学生運動 トレンド
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2025.12.17 07:00
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「歴史的経験が何かを教示してくれるとすれば、それは私有財産が文明と密接に絡み合っていることだろう」
(マーク・ファーバー)
哲学が幸せをもたらすには、思いやりの気持ちから着想すべきだと述べている。
ところが、マルクス主義は思いやりの気持ちから着想したものではなかった。
それはプロレタリア労働者階級の幸せを望むふりをしながら、実際にはブルジョア中産階級の不幸を望んでいたのだ。
実際のところ、マルクス主義は中産階級の完全な破壊を望んでいた。それを効率的かつ最も恐ろしい手口で実行したのがボルシェビキ(訳注:旧ソ連共産党の前身)であり、晩年の毛沢東(マオ・ツートン)である。ボルシェビキのもとで苦しめられた人々に「白人至上主義」はほとんどなかった。
これについて触れたのは、抗議デモ参加者たちにいくらか同情している読者もいるに違いないからだ。
しかし、明確にしておきたい点がひとつある。
私は1968年に学生運動を目撃した。そのスローガンは「戦争をしないで恋をしよう」であり、その目的はベトナム戦争を終わらせることであった。デモが支持したのは平和だ。また、60年代と70年代に流行した音楽聴くと、愛・平和・宗教などを理想化した歌だった。
対照的なのが現在のデモである。無法かつ無秩序な手段で、社会の壊、公共・私有財産の破壊を目的としている。かつての平和主義的な音楽は、汚い言葉で攻撃的なラップとヒップホップ音楽に取って代わった(平和主義的な音楽とは例えば1969年ウッドストック音楽祭のジョーン・バエズや米国国歌をギターで奏でたジミー・ヘンドリックスなどである。今どきこのようなことをする人がいれば、デモ参加者がどのような反応をするか想像してみてほしい)。
今どきのデモと音楽が呼び起こすのは、思いやりの気持ちどころか、憎しみ・苦しみ・恨み・羨みである。 December 12, 2025
庶民の尻子玉が抜かれたのはいつなのかなぁ…と考えたら、労働運動や学生運動が下火になってきた70年代に端を発するとは思うんですが、それにしても今の国民の腑抜けぶりはすごいですね、各国の独裁主義者が喜ぶレベルで飼いならされてる。#TBSスタンバイ https://t.co/fzdfNi6Hzb December 12, 2025
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