国際関係 トレンド
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2025.11.29 06:00
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このダブルスタンダードの本質は、国際関係論で言われる「規範に基づく国際秩序」を掲げながら、実際には「反米であれば何でも正当化する」という極端なパワー・ポリティクスに堕している点にあります。彼らの主張は、以下の点で完全に崩れてしまいます。それでも意図的に無視しているのが、実に醜悪です。
まず、国際法上の台湾の地位についてです。
1952年のサンフランシスコ講和条約で倭国は台湾に対する一切の権利・権原を放棄しましたが、誰に返すかは指定していません。つまり台湾の主権帰属は現在も「未確定」のままです。米国務省は今でもこの立場を公式見解として維持しており、国連総会2758号決議も台湾の地位については何も決めていません。
「一つの中国原則」は中華人民共和国の国内的な政治的主張にすぎず、国際法上の普遍的効力はゼロです。それを「国際的コンセンサス」と呼ぶのは、単なるプロパガンダの丸呑みでしかありません。
次に、自己決定権の優先性です。
国連総会決議1514号(1960年)および1541号では、人民の自己決定権は領土一体性よりも優先されることが明確に定められています。
台湾は1949年以降、一度も中華人民共和国の有効な統治下に入ったことがありません。国際法学者の多くは、台湾は国家の成立要件を満たす実体だと認めています。
「国家ではないから自己決定権がない」という主張は、学問的には完全に破綻しています。
さらに、現代の主権正統性は「有効統治+民主的正統性」が決定的な要素になりつつあります。
台湾は1996年の総統直接選挙以来、6回連続で平和的な政権交代を実現している、アジアでもっとも成熟した民主主義国家の一つです。一方、中国は70年以上一党独裁です。
「歴史的権原」を持ち出すなら、清朝が割譲した時点で有効統治は既に失われており、現在の正統性は圧倒的に台湾側にあります。
そして最も欺瞞的なのが「平和的統一」論です。
中国自身が「非平和的手段も放棄しない」と明記し、近年は「統一は待ったなし」と期限を強調し始めています。これは国連憲章2条4項が禁じる「武力による威嚇」に該当します。
台湾は独立宣言すらしていないのに、先制的な併合圧力をかける…これは1930年代の「満州事変は内政問題」という論理とまったく同じです。
結局、彼らがやっていることは、学問的にも法的にも破綻した「歴史神話」を振りかざして、2340万人の民主的な自己決定権を抹殺しようとする行為です。
その動機は理論ではなく、ただの感情…「アメリカが嫌い」「西側が負けてほしい」という、幼稚な反米感情でしかありません。
だからこそ、これは単なる意見の相違ではなく、知的・道義的破産の公開処刑です。
これからも彼らが「人権」「平和」「反権威主義」という言葉を口にするたびに、台湾のことを思い出させてあげてください。
それだけで、彼らの言葉は永遠に自己崩壊する呪いになります。 November 11, 2025
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ほとんどの人は知らないことを。ある本で読んだのだが、明治24年5月11日滋賀県大津市で来日中のロシア皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が警備中の津田三蔵に切りつけられるという大事件があった。これは歴史の教科書にも載っているから知っているだろう。私も吉村昭氏の小説「#ニコライ遭難」も読んだ。事件発生直後に公式の接待委員長だった有栖川宮威仁親王海軍大佐(留学経験もあり、国際関係にも精通していた)が、明治天皇に「すぐにこちらに来ていただきたい」と電報を打ち、明治天皇もすぐに京都へ向かおうとしたが、その日は間に合わなかった。明治天皇は深夜1時過ぎに伊藤博文と面談していた。翌日12日朝6時30分、お召列車で京都へ向かい通常の列車より2時間早い午後9時10分に到着した。(機関士たちも必死であっただろう)明治天皇はニコライ皇太子の国賓来日前に、ロシア皇太子訪日に懸念を示したロシア公使に「ロシア皇太子の来遊については、私が直接責任を負う。#私は名誉にかけて安全を保証する」と伝えていた。そこにこの事件であり、明治天皇は自分の責任でこれを解決しようとしていた。明治天皇はすぐにも見舞おうとしたが、ロシア側が難色を示して見舞いはできなかった。翌日13日午前11時、明治天皇はニコライ皇太子を見舞った。見舞いは20分ほどだったが友好のうちに終わった。この日、青木外相はロシア公使から「皇太子の安全のために、神戸に停泊中の軍艦アゾヴァ号まで天皇に同行して欲しい」と要請され、青木外相から話を聞いた明治天皇は即座に了承し、お召馬車にニコライ皇太子を乗せて、京都駅へ向かった。そして京都駅で人々は目を疑う光景を見た。#タバコを取り出したニコライ皇太子に明治天皇がマッチで火をつけたのだ。明治天皇この年37歳。国難に対して自分の責任で何とか収めようと必死だったのだろう。正直私は驚いた。16日の午前11時頃に神戸居留地の東洋ホテルで青木外相は、ロシア公使から「今回の事件でロシア皇帝は何ら賠償を要求することはない」との電報を伝えられた。このことはすぐに京都に滞在中の天皇に伝えられた。17日、伊藤博文は松方首相に事後の詳細と「今回円滑に事態が収拾されたのは、天皇がすぐに親臨され、百事指揮された成果だ」と言う手紙を書いている。そして19日に別れの午餐に招かれた明治天皇は、「拉致されるかもしれない」と反対する重臣たちを説諭して、軍艦アゾヴァ号に向かった。明治天皇が大帝と呼ばれるようになったのは、領土を広げただけではない。天皇として元首としての責任を負われて、事態の収拾にあたったことをへの敬意がある。この話をおそらく昭和天皇も子供の頃に聞いていただろう。「#天皇としての責任の取り方」の一例として昭和天皇の中に残っていたと推測される。 November 11, 2025
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