学習指導要領 トレンド
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2025.12.01 19:00
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【新刊・数学の受験教科書第9巻 微分・積分のご案内】
このたび、無事審査を通過し発売することができました。
紙カラー版 https://t.co/aov1EZxmCX
紙モノクロ版 https://t.co/84fdf1uEUu
電子書籍版 https://t.co/C8CRF1Pyrp
この本は主に数学IIIの微分・積分を扱っています。
一部のものすごくよくできる高校生(倭国の上位30人くらい)以外の人には役に立つものだと思っています。
・数学の導入にはいくつかの方法がありますが、原則として学習指導要領に従ったものをメインに置き、それ以外のものはサブで紹介する方針です。
・「これはダメ」で終わらせるのではなく、じゃあどうすればいいの? どのようなときに適用できるの? などにも踏み込んでいます。例えば
(a) 微分可能な関数f(x)がx=aで極小になる条件は、f'(x)の符号が- から + に変わるであるだけだと考えると誤り→じゃあ、どうやって適用するといいのか?
(b) lim と∫ の交換はダメ → ある条件を満たしていれば好感しても構わない
などです。入試でどのように採点されるかではなく、まず数学として正しいかどうかの説明をしています。
(注) 入試の採点の話は、第12巻の「教えられない数学」にしっかりと投入しています。
この本は同じシリーズの他の本と同じように、検定教科書の所持を仮定していません。この本だけで基礎から学べます。(どちらかというと数学に興味のある人には、大変喜ばれるものです。)
ネックは、値段がはるというところです。
受験生の方はモノクロ版でも内容は同じなので、ご覧ください。電子書籍という方法もあります。 December 12, 2025
物事を時系列で整理して捉えたり、自らの考えを客観的に見ようとすることのできない、世の中に2割から3割存在する境界知能ピープルが、概ね高市政権叩きに興じている。困ったものだ。別に蔑んだりしないけれども、かわいそうだなとは思う。
考える力を養わず(というより、生きる力を育てるとか崇高なことがちゃんと書かれてはいる学習指導要領を、理解して指導できる教員を育てられなくなったことに起因する結果として)、単なる受験用のパターン認識に堕ちた義務教育の敗北でもある。
あのパターン認識の情報詰め込み教育から脱落して、その後、自ら「学ぶ」機会に恵まれなかった層の人々は、原因と結果を類推して正しく結び付けるのが致命的に苦手なので、短絡的な目の前の結論(のようなもの)に簡単に飛びついてしまう。間違いを間違いと認識することができないのだ。
反社会的な政治団体やカルト宗教、ネズミ講やMLM、怪しい投資話を仕掛ける輩にとっては、実に良いカモだ。刷り込みや短絡的な結論への誘導が超絶チョロいからだ。初めて自分の話を聞いてもらえた。理解してもらえたなどと勘違いして、なんならネギ(お布施、寄付、遺贈、献金、党費、機関紙やアジ紙の購入)もしょってくる。一体何と共依存しているのか本人がわかっていないうちに、身ぐるみ剥がす集金体制にまんまとはまりこんでしまう。(だから政党支援金が要らないとかほざける。笑止千万だ。)
また、知識の応用ができないため、トラブルシューティングが出来ない。何かわからないことにぶつかると思考を停止してしまうか、発狂しだす。結果として、他責で代償機制を働かせることでしか自我を維持できないのだ。無理もない、実にかわいそうだ。
これから子供を育てるみなさんのために。欠陥だらけの受験対策の学習の中にも、救いはある。簡単な習慣を一つ身に着けるトレーニングをするだけでいい。宿題に3択や5択の問題があったら、答え合わせをするときに、解答用紙に〇✕をただ赤ペンで書いて横に正解を書き込むだけでは、敗北者一直線だ。問題を解く前と説いた後で何も知識が増えていないので、宿題が単なる時間の浪費になってしまっているからだ。ノートを作って、正解はなぜそうなるのか。回答時に自分はなぜその選択肢を選んだのかの「両方」を、毎回文章化して書き留める。それだけを徹底することだ。
できれば国語から始めることをお勧めする。はじめは、「なんとなく」や「そちらが正しいと思ったから」みたいなレベルだが、繰り返すうちに、「ここに「つまり」という接続詞があるので結論だと思った」「飛び越えの読点があるので、主語は〇〇と△△の両方だから」というように、文章を構造的に読めるようになってくる。そうすると、設問を読めるようになるので、実は英語や数学も劇的に化ける。
そこまで行けば、小さな達成感を積み上げていくことで、本人も視界がクリアになって、自己肯定感が育ってくると、がぜん「勉強」が楽しくなる(本当に顔つきがかわる瞬間があります。あれを味わうのは教えるほうもちょっとうれしい。)ので、偏差値を60以上にすることはそう難しくない。
「設問者はこの文章をこう読むべきだと意図している。こういう回答を求められている。こういうひっかけや陥りやすいミスを用意している」を正しく類推できるところまでたどりつければ、東大、国立大学合格も夢ではない。(この辺より上は、上側の境界領域なので、ドラマやマンガみたいな根性論や精神論だけではたどりつけないけどね。人の3倍努力するか天才かのいずれか。でも、頭ん中でやっていることは効率は違えど一緒だ。)
実はもう一つ大事な、経験の積み上げでしか身に付けられないスキルがある。これも言ってしまえば単純なことなのだが、スピードだ。同じ時間制限の中で答えにたどり着く時間をいかに早くするか。公文式はまさにそれだ。現状の能力を超えた大量の問題を要求して、チャレンジとバーストを繰り返すことで、スピードを身に着け、だんだん次の要求に応えられるようになってくる。そうすることで、身に着けた応用力を発揮する「余裕」ができるのだ。
気持ちの余裕と、時間の余裕ができると、「学習」以外にもいろいろなことを「学ぶ」機会を作ることができる。学習も部活動も軽やかに両立できるようになる。
最近の子は根気がない、我慢が出来ないと言うがそれは半分ウソだ。RPGやFPSといったゲームは、まさにバーストを繰り返して反復練習して、段階的にスキルアップやHPを獲得していくものだ。あらゆる運動や、楽器の演奏や、手芸や書道、芸術なども同じだ。
社会人になってからの、組織人としての「仕事」も、実はそうやって「場数」をこなし、時にはパンクすることで「余裕」を身に着けるものだ。会社の場合はそのフォローのために「チーム」や「上司」がいるわけだ。(そういう仲間や上司に恵まれるかどうかは別として。) December 12, 2025
物事を時系列で整理して捉えたり、自らの考えを客観的に見ようとすることのできない、世の中に2割から3割存在する境界知能ピープルが、概ね高市政権叩きに興じている。困ったものだ。別に蔑んだりしないけれども、かわいそうだなとは思う。
考える力を養わず(というより、生きる力を育てるとか崇高なことがちゃんと書かれてはいる学習指導要領を、理解して指導できる教員を育てられなくなったことに起因する結果として)、単なる受験用のパターン認識に堕ちた義務教育の敗北でもある。
あのパターン認識の情報詰め込み教育から脱落して、その後、自ら「学ぶ」機会に恵まれなかった層の人々は、原因と結果を類推して正しく結び付けるのが致命的に苦手なので、短絡的な目の前の結論(のようなもの)に簡単に飛びついてしまう。間違いを間違いと認識することができないのだ。
反社会的な政治団体やカルト宗教、ネズミ講やMLM、怪しい投資話を仕掛ける輩にとっては、実に良いカモだ。刷り込みや短絡的な結論への誘導が超絶チョロいからだ。初めて自分の話を聞いてもらえた。理解してもらえたなどと勘違いして、なんならネギ(お布施、寄付、遺贈、献金、党費、機関紙やアジ紙の購入)もしょってくる。一体何と共依存しているのか本人がわかっていないうちに、身ぐるみ剥がす集金体制にまんまとはまりこんでしまう。(だから政党支援金が要らないとかほざける。笑止千万だ。)
また、知識の応用ができないため、トラブルシューティングが出来ない。何かわからないことにぶつかると思考を停止してしまうか、発狂しだす。結果として、他責で代償機制を働かせることでしか自我を維持できないのだ。無理もない、実にかわいそうだ。
これから子供を育てるみなさんのために。欠陥だらけの受験対策の学習の中にも、救いはある。簡単な習慣を一つ身に着けるトレーニングをするだけでいい。宿題に3択や5択の問題があったら、答え合わせをするときに、解答用紙に〇✕をただ赤ペンで書いて横に正解を書き込むだけでは、敗北者一直線だ。問題を解く前と説いた後で何も知識が増えていないので、宿題が単なる時間の浪費になってしまっているからだ。ノートを作って、正解はなぜそうなるのか。回答時に自分はなぜその選択肢を選んだのかの「両方」を、毎回文章化して書き留める。それだけを徹底することだ。
できれば国語から始めることをお勧めする。はじめは、「なんとなく」や「そちらが正しいと思ったから」みたいなレベルだが、繰り返すうちに、「ここに「つまり」という接続詞があるので結論だと思った」「ここに「~ので」という接続助詞があるので、そこが理由だと思った」「飛び越えの読点があるので、主語は〇〇と△△の両方だから」というように、文章を構造的に読めるようになってくる。そうすると、設問を読めるようになるので、実は英語や数学も劇的に化ける。
そこまで行けば、小さな達成感を積み上げていくことで、本人も視界がクリアになって、自己肯定感が育ってくると、がぜん「勉強」が楽しくなる(本当に顔つきがかわる瞬間があります。あれを味わうのは教えるほうもちょっとうれしい。)ので、偏差値を60以上にすることはそう難しくない。
「設問者はこの文章をこう読むべきだと意図している。こういう回答を求められている。こういうひっかけや陥りやすいミスを用意している」を正しく類推できるところまでたどりつければ、東大、国立大学合格も夢ではない。(この辺より上は、上側の境界領域なので、ドラマやマンガみたいな根性論や精神論だけではたどりつけないけどね。人の3倍努力するか天才かのいずれか。でも、頭ん中でやっていることは効率は違えど一緒だ。)
実はもう一つ大事な、経験の積み上げでしか身に付けられないスキルがある。これも言ってしまえば単純なことなのだが、スピードだ。同じ時間制限の中で答えにたどり着く時間をいかに早くするか。公文式はまさにそれだ。現状の能力を超えた大量の問題を要求して、チャレンジとバーストを繰り返すことで、スピードを身に着け、だんだん次の要求に応えられるようになってくる。そうすることで、身に着けた応用力を発揮する「余裕」ができるのだ。
気持ちの余裕と、時間の余裕ができると、「学習」以外にもいろいろなことを「学ぶ」機会を作ることができる。学習も部活動も軽やかに両立できるようになる。
最近の子は根気がない、我慢が出来ないと言うがそれは半分ウソだ。RPGやFPSといったゲームは、まさにバーストを繰り返して反復練習して、段階的にスキルアップやHPを獲得していくものだ。あらゆる運動や、楽器の演奏や、手芸や書道、芸術なども同じだ。
社会人になってからの、組織人としての「仕事」も、実はそうやって「場数」をこなし、時にはパンクすることで「余裕」を身に着けるものだ。会社の場合はそのフォローのために「チーム」や「上司」がいるわけだ。(そういう仲間や上司に恵まれるかどうかは別として。) December 12, 2025
物事を時系列で整理して捉えたり、自らの考えを客観的に見ようとすることのできない、世の中に2割から3割存在する境界知能ピープルが、概ね高市政権叩きに興じている。困ったものだ。別に蔑んだりしないけれども、かわいそうだなとは思う。
考える力を養わず(というより、生きる力を育てるとか崇高なことがちゃんと書かれてはいる学習指導要領を、理解して指導できる教員を育てられなくなったことに起因する結果として)、単なる受験用のパターン認識に堕ちた義務教育の敗北でもある。
あのパターン認識の情報詰め込み教育から脱落して、その後、自ら「学ぶ」機会に恵まれなかった層の人々は、原因と結果を類推して正しく結び付けるのが致命的に苦手なので、短絡的な目の前の結論(のようなもの)に簡単に飛びついてしまう。間違いを間違いと認識することができないのだ。
反社会的な政治団体やカルト宗教、ネズミ講やMLM、怪しい投資話を仕掛ける輩にとっては、実に良いカモだ。刷り込みや短絡的な結論への誘導が超絶チョロいからだ。初めて自分の話を聞いてもらえた。理解してもらえたなどと勘違いして、なんならネギ(お布施、寄付、遺贈、献金、党費、機関紙やアジ紙の購入)もしょってくる。一体何と共依存しているのか本人がわかっていないうちに、身ぐるみ剥がす集金体制にまんまとはまりこんでしまう。(だから政党支援金が要らないとかほざける。笑止千万だ。)
また、知識の応用ができないため、トラブルシューティングが出来ない。何かわからないことにぶつかると思考を停止してしまうか、発狂しだす。結果として、他責で代償機制を働かせることでしか自我を維持できないのだ。無理もない、実にかわいそうだ。
これから子供を育てるみなさんのために。欠陥だらけの受験対策の学習の中にも、救いはある。簡単な習慣を一つ身に着けるトレーニングをするだけでいい。宿題に3択や5択の問題があったら、答え合わせをするときに、解答用紙に〇✕をただ赤ペンで書いて横に正解を書き込むだけでは、敗北者一直線だ。問題を解く前と説いた後で何も知識が増えていないので、宿題が単なる時間の浪費になってしまっているからだ。ノートを作って、正解はなぜそうなるのか。回答時に自分はなぜその選択肢を選んだのかの「両方」を、毎回文章化して書き留める。それだけを徹底することだ。
できれば国語から始めることをお勧めする。はじめは、「なんとなく」や「そちらが正しいと思ったから」みたいなレベルだが、繰り返すうちに、「ここに「つまり」という接続詞があるので結論だと思った」「ここに「~ので」という接続助詞があるので、そこが理由だと思った」「飛び越えの読点があるので、「母は、楽しそうにはしゃぐ私を眺めていた」の「楽しそうにはしゃいでいた」のは私だ」というように、文章を構造的に読めるようになってくる。そうすると、設問を読めるようになるので、実は英語や数学も劇的に化ける。
そこまで行けば、小さな達成感を積み上げていくことで、本人も視界がクリアになって、自己肯定感が育ってくると、がぜん「勉強」が楽しくなる(本当に顔つきがかわる瞬間があります。あれを味わうのは教えるほうもちょっとうれしい。)ので、偏差値を60以上にすることはそう難しくない。
「設問者はこの文章をこう読むべきだと意図している。こういう回答を求められている。こういうひっかけや陥りやすいミスを用意している」を正しく類推できるところまでたどりつければ、東大、国立大学合格も夢ではない。(この辺より上は、上側の境界領域なので、ドラマやマンガみたいな根性論や精神論だけではたどりつけないけどね。人の3倍努力するか天才かのいずれか。でも、頭ん中でやっていることは効率は違えど一緒だ。)
実はもう一つ大事な、経験の積み上げでしか身に付けられないスキルがある。これも言ってしまえば単純なことなのだが、スピードだ。同じ時間制限の中で答えにたどり着く時間をいかに早くするか。公文式はまさにそれだ。現状の能力を超えた大量の問題を要求して、チャレンジとバーストを繰り返すことで、スピードを身に着け、だんだん次の要求に応えられるようになってくる。そうすることで、身に着けた応用力を発揮する「余裕」ができるのだ。
気持ちの余裕と、時間の余裕ができると、「学習」以外にもいろいろなことを「学ぶ」機会を作ることができる。学習も部活動も軽やかに両立できるようになる。
最近の子は根気がない、我慢が出来ないと言うがそれは半分ウソだ。RPGやFPSといったゲームは、まさにバーストを繰り返して反復練習して、段階的にスキルアップやHPを獲得していくものだ。あらゆる運動や、楽器の演奏や、手芸や書道、芸術なども同じだ。
社会人になってからの、組織人としての「仕事」も、実はそうやって「場数」をこなし、時にはパンクすることで「余裕」を身に着けるものだ。会社の場合はそのフォローのために「チーム」や「上司」がいるわけだ。(そういう仲間や上司に恵まれるかどうかは別として。) December 12, 2025
物事を時系列で整理して捉えたり、自らの考えを客観的に見ようとすることのできない、世の中に2割から3割存在する境界知能ピープルが、概ね高市政権叩きに興じている。困ったものだ。別に蔑んだりしないけれども、かわいそうだなとは思う。
考える力を養わず(というより、生きる力を育てるとか崇高なことがちゃんと書かれてはいる学習指導要領を、理解して指導できる教員を育てられなくなったことに起因する結果として)、単なる受験用のパターン認識に堕ちた義務教育の敗北でもある。
あのパターン認識の情報詰め込み教育から脱落して、その後、自ら「学ぶ」機会に恵まれなかった層の人々は、原因と結果を類推して正しく結び付けるのが致命的に苦手なので、短絡的な目の前の結論(のようなもの)に簡単に飛びついてしまう。間違いを間違いと認識することができないのだ。
反社会的な政治団体やカルト宗教、ネズミ講やMLM、怪しい投資話を仕掛ける輩にとっては、実に良いカモだ。刷り込みや短絡的な結論への誘導が超絶チョロいからだ。初めて自分の話を聞いてもらえた。理解してもらえたなどと勘違いして、なんならネギ(お布施、寄付、遺贈、献金、党費、機関紙やアジ紙の購入)もしょってくる。一体何と共依存しているのか本人がわかっていないうちに、身ぐるみ剥がす集金体制にまんまとはまりこんでしまう。(だから政党支援金が要らないとかほざける。笑止千万だ。)
また、知識の応用ができないため、トラブルシューティングが出来ない。何かわからないことにぶつかると思考を停止してしまうか、発狂しだす。結果として、他責で代償機制を働かせることでしか自我を維持できないのだ。無理もない、実にかわいそうだ。
これから子供を育てるみなさんのために。欠陥だらけの受験対策の学習の中にも、救いはある。簡単な習慣を一つ身に着けるトレーニングをするだけでいい。宿題に3択や5択の問題があったら、答え合わせをするときに、解答用紙に〇✕をただ赤ペンで書いて横に正解を書き込むだけでは、敗北者一直線だ。問題を解く前と説いた後で何も知識が増えていないので、宿題が単なる時間の浪費になってしまっているからだ。ノートを作って、正解はなぜそうなるのか。回答時に自分はなぜその選択肢を選んだのかの「両方」を、毎回文章化して書き留める。それだけを徹底することだ。
できれば国語から始めることをお勧めする。はじめは、「なんとなく」や「そちらが正しいと思ったから」みたいなレベルだが、繰り返すうちに、「ここに「つまり」という接続詞があるので結論だと思った」「ここに「~ので」という接続助詞があるので、そこが理由だと思った」「飛び越えの読点があるので、「母は、楽しそうにはしゃぐ私を眺めていた」の「楽しそうにはしゃいでいた」のは私だ」というように、文章を構造的に読めるようになってくる。そうすると、設問を読めるようになるので、実は英語や数学も劇的に化ける。
そこまで行けば、小さな達成感を積み上げていくことで、本人も視界がクリアになって、自己肯定感が育ってくると、がぜん「勉強」が楽しくなる(本当に顔つきがかわる瞬間があります。あれを味わうのは教えるほうもちょっとうれしい。)ので、偏差値を60以上にすることはそう難しくない。
「設問者はこの文章をこう読むべきだと意図している。こういう回答を求められている。こういうひっかけや陥りやすいミスを用意している」を正しく類推できるところまでたどりつければ、東大、国立大学合格も夢ではない。(この辺より上は、上側の境界領域なので、ドラマやマンガみたいな根性論や精神論だけではたどりつけないけどね。人の3倍努力するか天才かのいずれか。でも、頭ん中でやっていることは効率は違えど一緒だ。)
実はもう一つ大事な、経験の積み上げでしか身に付けられないスキルがある。これも言ってしまえば単純なことなのだが、スピードだ。同じ時間制限の中で答えにたどり着く時間をいかに早くするか。公文式はまさにそれだ。現状の能力を超えた大量の問題を要求して、チャレンジとバーストを繰り返すことで、スピードを身に着け、だんだん次の要求に応えられるようになってくる。そうすることで、身に着けた応用力を発揮する「余裕」ができるのだ。
気持ちの余裕と、時間の余裕ができると、「学習」以外にもいろいろなことを「学ぶ」機会を作ることができる。学習も部活動も軽やかに両立できるようになる。
最近の子は根気がない、我慢が出来ないと言うがそれは半分ウソだ。RPGやFPSといったゲームは、まさにバーストを繰り返して反復練習して、段階的にスキルアップやHPを獲得していくものだ。あらゆる運動や、楽器の演奏や、手芸や書道、芸術なども同じだ。
社会人になってからの、組織人としての「仕事」も、実はそうやって「場数」をこなし、時にはパンクすることで「余裕」を身に着けるものだ。会社の場合はそのフォローのために「チーム」や「上司」がいるわけだ。(そういう仲間や上司に恵まれるかどうかは別として。) December 12, 2025
学習まんがは、セット買いに限りますね🎓
別巻2冊つき! 講談社学習まんが倭国の歴史 全22巻 基本セット
https://t.co/kX4oNneA79
「とにかく受験に強い!」を打ち出してきた講談社版の倭国の歴史ですが、全20巻に加え「人物事典」「史跡・出来事事典」の2冊が加わったセットです!
好評の以前の全20巻セット特典「歴史人物データカード」「倭国史重要人物イラスト年表」「47都道府県早わかりデータBOOK」「知っておきたい!倭国の史跡・名所・名物こだわりMAP」の4点は引き続きついております。「データBOOK」と「こだわりMAP」監修はスタディサプリ講師の伊藤賀一先生! 2022年の学習指導要領改訂で,戦後初めて高校でも地理が必修となっておりますが、それを見据えた特典です。
プレゼントに最適!
小学生から大人の学び直しまで幅広い層に満足いただける圧倒的情報量です!!
(出版社からの内容紹介) December 12, 2025
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