モスクワ トレンド
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2025.12.11 03:00
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これは黒土(チェルノーゼム)の地図であり、ヨーロッパで最も価値の高い農地です。ご覧の通り、その大部分はウクライナに広がっています。
このため、ウクライナの領土は産業革命以前、ヨーロッパでも最も人口密度の高い地域の一つでした。世界中に食料を運べない時代、人々が生き延び、繁栄できる場所は「作物がよく育つ土地」だけだったのです。
六千年前、ウクライナの地には1万人規模の集落が存在しました。そこに暮らした人々は農耕民で、亜麻布の衣服を作り、当時世界のどこにも存在しなかった高度な窯焼き陶器技術を発展させました。文字こそ残しませんでしたが、人々や道具、日常生活を描いた「ミニチュアの家」を粘土で作成して残しました。これは、メソポタミアで最初の都市が誕生し、エジプトのピラミッドが建てられるよりもはるか以前の時代のことです。
ヘロドトスは、あるスキタイ王が人口を数えるため、それぞれの臣下に矢を一本持って来るよう命じたところ、700万本集まったと記しています。この数字の正確性はともかく、当時この地域が非常に人口の多い土地だったことがわかります。アレクサンドロス大王は将軍ゾピュリオンを率いてスキタイ征服を試みましたが、軍全体が消滅し、ゾピュリオン自身も帰らなかったと伝えられています。アレクサンドロスが二度と挑まなかったのは賢明な判断であり、おそらくそれが、彼がその後一度も戦いに敗れなかった理由なのかもしれません。
ウクライナでは自然発生的な飢饉は起きなかったと言われます。それが、ウクライナ人が強い個人主義的性格を持つ理由でもあります。自分の食料を自分で育てられるなら、「強い指導者」に依存して生き延びる必要はありません。一方、ロシアは異なりました。寒冷で湿地の多い土地では、乏しい食料を共同で分配し、指導者を“神のように”崇めるような社会構造が形成されていったのです。
しかし、ウクライナには飢饉が起きました。それらはすべてモスクワによって人工的に作り出されたものです。
1933年には、ウクライナ人の食料が奪われることで数百万人が意図的に餓死させられました。あの時代の恐怖の物語を持たないウクライナの家庭はありません。
今日、ウクライナはEU全体を養えるだけの食料を生産でき、すでに北アフリカやアジアの数百万人の人々を支えています。
もしロシアがウクライナを完全に奪えば、これらの供給が断たれ、世界規模の危機が発生する可能性があります。飢餓と絶望に追い詰められた人々は逃げざるを得ず、ヨーロッパがその最後の希望となるでしょう。
その未来に備える覚悟はありますか?
もしないのなら――ウクライナを助けてください。
著者:ヴォロディミル・クハレンコ December 12, 2025
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