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神の存在
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2025.11.17〜(47週)
:0% :0% (40代/男性)
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「肉体的に弱いけど、精神的には強い」という人には会ったことがないので、筋トレは大事。
倭国人のメンタルの弱さの源泉は「筋肉量が足りていない」ということに尽きる。
「メンタルが弱い」と悩んでる人に限って
・運動してない
・体力がない
・すぐ疲れる
・姿勢が悪い
・呼吸が浅い
原因は全て「筋肉がない」から。
メンタルの問題じゃなくて、フィジカルの問題。
更に筋トレはわかりやすい「成功体験」を与えてくれる。
・先週持てなかった重量が持てる
・見た目が変わる
・数字で成長が分かる
「自分はやればできる」
この感覚が、他の全てに波及する。
だから、メンタルが弱いと悩んでる人は全員ゴールドジムに行った方が良い。
特に早朝。
朝の筋トレ後は神の存在を確信するレベルで陶酔できる。
テストステロンという支配欲を司るホルモンが分泌され、ネガティブな気持ちを完璧に打ち消してくれる。
早朝にゴールドジム行っている人で鬱な人を見たことがない。
異論は認めません。 November 11, 2025
19RP
今、山上被告の妹の証言によりあらためて宗教と帰依の問題についての議論が活発化しています。
実は私のデビュー作『現代において信仰はいかに可能か』第五章では『精神現象学』の帰依論に焦点を当てて、熱烈な帰依がもたらす功罪について分析しています。
念頭にはまさにこの事件がありました。
「帰依とは「不幸な意識」のキリスト教的様態である。帰依にはたしかに帰依者自身を幸福へ導くという健全な機能が存在する。しかし一方で、帰依していない隣人たちとの関係が切断される危険性をも孕んでいる。これは現代社会にも直接関係する問題であり、熱烈な帰依者とその家族の間で起きる分裂や不和といった側面も指摘されなければならない」(p.229-230)
この文脈から、ヘーゲルの「不幸な意識」についての議論の分析に入っていきます。
ぜひ今こそ、宗教とは何なのかを本書と共に考えていただければと切実に願っています。
●倭国経済新聞(9/23、朝刊一面)掲載。https://t.co/vtJoA7gjJy
●毎日新聞(10/5、朝刊一面)掲載。https://t.co/PcwSKkvHBD
●「予約ランキング1位」(ヨベル公式現在)。https://t.co/8IurFUmL2y
●『本のひろば』(9月号、11月号)、『福音と世界』(11月号)広告掲載。
●倭国カトリック神学院教授(カトリック神学会理事)の阿部仲麻呂司祭による推薦文を収録。
●金子晴勇先生(岡山大学・聖学院大学名誉教授)の査読から得た御助言をもとに全面的なブラッシュアップを経て完成。
●大貫隆先生(東京大学名誉教授)より「久しぶりの充実した読書体験」、「壮大なスケールでのヨハネ福音書注解」との御評価。
●大貫先生の最新作『福音書の隠れた難所』(ヨベル)では本書とも繋がりの深い拙著『ナザレのイエス』へのレビューが記載。
10/1発売『現代において信仰はいかに可能か』(ヨベル)
序論
第一章 ヘーゲルの時間様相論
第二章 ヘーゲルによる神の存在証明(全一六講義解説)
第三章 ヘーゲルにとってキリスト教とは何か
第四章 ヘーゲル哲学における「神の死」
第五章 ヘーゲル哲学における「不幸な意識」
第六章 ヘーゲル哲学における「愛」
終章 現代において信仰はいかに可能か
★全国取り扱い書店リンク先★
●ヨベル(予約ランキング1位達成!)
https://t.co/cZNUqsAPrr
●紀伊国屋書店
https://t.co/UcyRNL9dPq
●丸善ジュンク堂書店
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●教文館
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●Amazon
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●楽天ブックス
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●日キ販
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●いのちのことば社
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●ゴスペル・ライト・ストア
https://t.co/qcRzMTRO8q
●特集記事(詳細目次あり)
https://t.co/sITSFak08Q
#読書好きな人と繋がりたい November 11, 2025
14RP
【生存確認会】 今日も同じ空の下で。
おはようございます。中途覚醒、細切れ睡眠型、ストレート睡眠、成らず。頭痛と寒気、関節痛、喉の痛みなど風邪の症状まで出ている。投与している薬が複合的すぎてどの薬が合ってるか副作用をもたらしているかの判別すらつかない。目眩を抱えての現実世界への強制ログインも限界を超えてしまっていて。どれだけの試練を与え続ける神の存在があるのなら、そんな神などもう要らない。ただただ穏やかに、自分に優しく生きていきたいだけなのに、そのために無理しなければ生きられない無慈悲な矛盾の世界で。
決して誰からも理解されることのない精神世界の孤独を抱えて。また1日、見上げた先に感じる繋がりに縋って、どこの誰かもわからぬあなたと、互いのご自愛とご武運を祈り合いたくて🙏
本日のプラネタリウム🤝🚀🪐
見上げた空とXの繋がりを信じて。
💫テーマ:「2025年11月19日の生きた証」
それぞれの現実世界で最幸到達地点を目指して、同じ空の下で共に生きるあなたと「生きた証」を分かち合いたくて始めました。
少しでもXでの繋がりで癒されるような、そんな孤独感が和らぐプラネタリウムのような展覧ポストとなれば嬉しいです🧙♂️🪄✨
朝昼晩の挨拶、ふとした瞬間に見上げた空、お散歩中に目に留まった花鳥風月、食べ物、飲み物、風景、人間以外の動植物、布団で動けなくて何もできなくても見つめた天井、メンクリの床、etc...
今日という1日を共に生きた証が共有され、手を繋ぎながら眺め合える刹那のプラネタリウムのような夢のアルバムとなります。
どこかの誰かと共有したい本日の存在証明となるお写真をお一人、1枚〜最大4枚まで一つのリプにて共有をお願いいたします🫡
※複数回ポストいただける場合には、初回ポストにツリー状でポストしていただくと、その方の1日が見やすくなります🙏
※リプ期限は23:59まででお願いします🙇
※個人情報や住んでいる場所など具体的な特定がなされぬような、また、第三者も人物が写らぬような、そんな撮影時のご配慮をお願いいたします。
※運営者の視点でリツイートする場合がございます。予めご了承ください。
見上げた空と、Xの繋がりを信じて。
今日も同じ空の下、ミルっとサバイヴ!
共に最幸到達地点まで🤝
ミル🧙♂️🪄✨ November 11, 2025
11RP
⚠捏造妄想/四神パロ
【青龍mcの気持ちによって植物に影響が出るお話】
fw:ある日、突然庭の花々が咲き始めた。
まだ咲頃ではなかった蕾たちは一斉にその美しく鮮やかな花弁を開き、燦々と注ぐ陽の光を浴びて喜んでいた。
これは青龍が楽しいことでも見つけたんやろなぁ。
青龍は人の子が大好きやから。
また新しい、楽しいことにでも出会ったんやろ。
最近会いにも行けへんかったし、久しぶりに青龍の楽しそうに笑ってるところでも見に行って、元気分けてもらうか!
髪を整え、色付きサングラスと上着を羽織り、大きな朱の翼を広げた朱雀はゆっくりと東の領土へ飛び立った。
kgm:ある日、部屋に飾ってあった花々が一斉に萎れ始めました。
水は毎日替えていますし、長持ちするように眷属の彼女達が術を施していることも知っています。
これは青龍が拗ねているのでしょう。
大方、玄武や朱雀に手合わせでも挑んで手酷く負けたのでしょう。
青龍は努力家で負けず嫌いで、とてもよく回る頭と口を持っており、見た目にそぐわぬ大人らしさで勘違いされがちではありますが、まだまだ大人になりきれない不安定な精神も持っているのです。
私はそんな青龍を全雑魚小僧とからかってはいますが、今日はちゃんと話を聞いて差し上げましょうかね。
貴方に元気が無いと、張合いがありませんから。
青龍の好物を携え、白く上質な毛並みをなびかせながら東の領土に駆けて行く白虎であった。
kid:ある日、宮に生殖している植物たちが次々と黒く腐った。
天気も気候も殆ど変わらない北の領土でいきなり植物が黒く腐ることなどほぼありえない。
青龍が怒っている。それも神力の制御が出来なくなり、己を見失うほどに。
ぶっきらぼうで、たまに冷たく感じる時はあれど、一度愛すと決めた者にとことん愛を尽くすそんな青龍が今まで本気で怒ることなど万に一にもなかったのだ。
植物を伝って微かに感じる神力の中に、力に飲まれまいと藻掻く青龍の抵抗が伝わってくる。
早く行って止めないと、彼が愛すものを、彼の手で壊してしまわぬように。
急いで神具を取り出し、飛行術で東の領土にいそぎ向かう玄武だった。
ある日、全領土の植物が枯れた。
これは、青龍に危機が迫っている。
全ての植物には青龍の神力が宿り産まれてくる。
青龍の神力が弱まれば、植物は枯れ、今後生まれ育つことは無い。
また神力は神にとって生命力。
神力が弱まったということは、神の存在が、青龍の存在が危うい状態であることは明白であった。
青龍が危ない
青龍が死んでしまう
青龍が居なくなってしまう
間に合え!!!
間に合ってくれ!!!
間に合って!!!
三神は己の神具を手に取り、人の目では追えぬ速さで青龍の元へ駆けていった。
全領土の植物が枯れてから一月が経った。
そんなある日、突然空から桃の花びらが舞った。
花びらは全領土を舞い、領民や枯れた植物の上に降り注いだ。
花びらを手のひらに乗せると淡く手に溶け、ほのかな暖かさを残した。
そして枯れ果てた植物たちがみるみる元の青々とした状態へ姿を取り戻し始める。
あぁ、青龍様が目を覚まされたのだ。
あの新緑を宿した瞳でまた我らを見守ってくださるのか。
あの鈴を転がしたような可憐な笑い声がまた聞けるのか。
あの慈愛に満ちた、愛も毒も、全てを受け止め許してくださる青龍様がまた…。
成長を司る神、青龍。
春を告げ、生きとし生けるものの始まりと終わりを見届ける者。
愛ある彼は、人にも神にも愛し愛される。
願わくば、全ての者に祝福を___。 November 11, 2025
6RP
すみませんぼく本日から総理大臣兼天皇に就任したので真面目な話をさせていただきます。万紬は最初お互い年齢も性格も全てが合わない中カフェ巡りっていう共通点から全てが始まり(なお、摂津くんは紬さんといると落ち着くというか楽という感情をもっている)お互いのこだわりだったりカフェで色々話してく中人生相談とかもするようになったり、少しずつお互いのことを知っていってる訳なんですけど万里が役者として成長する時に必ず背中を押してくれて役者摂津万里に可能性を沢山与えてくれる存在なんです月岡紬は。。。芝居以外のことはちょっと抜けてて機械音痴だったり運動が苦手な所も万里くんは優しくカバーしてくれ本当に一言じゃ表しきれない時間をかけて最高の関係性を築き上げてる神の存在なんです万紬って
あとシンプルに見た目年齢性格全てが真逆の2人が実は……みたいなの大好きなのでつまり万紬は神 はっきりわかんだね そろそろ会議なので失礼します(風呂)総理大臣兼天皇の限界でした November 11, 2025
3RP
今まで目を背けていた己の抱え続けていた痛みに、感じなくなったと思っていた、切り捨てたと思っていた痛みに自覚したのがあの涙で、流血で手を染める内にやっぱり自分は鉄の精神の存在なんだと思っている中での戦いで、ようやく自分の抱える傷に気付いて、それだけでちょっと救われたんじゃないかな November 11, 2025
3RP
「#沈黙 ーサイレンスー」は遠藤周作の「沈黙」の映画化で、#マーティン・スコセッシ 監督が長年温めていた念願の企画。
少年時代カトリックの司祭を目指していたスコセッシにとって、信仰と神の存在に関する葛藤は大きなテーマなのだろう。
江戸時代初期の倭国(長崎)が舞台だが、→ https://t.co/sHjSJ3Zl35 November 11, 2025
2RP
登拝道磐座(1)29奈良県桜井市 三輪山登拝口と山ノ神遺跡と三光の滝の3ポイントのほぼ中間に立地。三光谷の入口に位置し、登拝口から徒歩約10分の地点。禁足地
登拝道磐座(2)29奈良県桜井市 三輪山三光の滝から尾根を約15分登った山腹に、杉の巨木と共に注連縄の結界が張られた岩石群が存在。中津磐座に相当するものか。禁足地
登拝道磐座(3)29奈良県桜井市 三輪山(2)地点から5分ほど登った路傍にあり、人工的に小石を配して磐境状に仕立てた祭り場。賽銭が捧げられている。置銭・投銭祭祀
奈良県禁足地
登拝道磐座(4)29奈良県桜井市 三輪山視界の開けた広めの尾根を登り、傾斜がやや急になる坂の途中に露岩群があり、注連縄を張られている。禁足地
登拝道磐座(5)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。二重に注連縄が巻かれている。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(6)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(7)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
白山29奈良県桜井市辻眞言律宗巻向山奥不動寺のすぐ北にそびえる岩山。一面が岩盤露出していることから白山の名が付いたものと思われるが、神聖視・祭祀の痕跡は見られない。頂上が岩山
ダンノダイラの「磐座」29奈良県桜井市出雲ダンノダイラ急斜面の山肌に露出する岩崖を主体とし、岩崖の上にある2~3体の岩にも供献皿や注連縄が残されている。麓の出雲村の十二柱神社にはかつて社殿がなく、この「磐座」を拝む場だったという。年に一度出雲村の人々がダンノダイラへ登り飲み食いや相撲をして遊ぶという風習があったという、
天壇29奈良県桜井市出雲ダンノダイラマウンド頂部に集石が存在。冬至の日に天帝をまつるために設けた祭壇という説があるが真相不明。近代以降の命名
素盞鳴神社 岩石群29奈良県桜井市慈恩寺 素盞鳴神社本殿背後に露岩があり「磐座」ではないかとされるが由来不詳。
石神29奈良県桜井市忍坂 忍坂坐生根神社背後にある神体山の宮山に「石神」と呼ばれる約20個の自然石が存在するという。A
金剛寶磐石/磐座/大磐石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本尊の十一面観音菩薩の土台に使われている岩石。天平元年(729年)8月15日の夜、突如「金剛寶磐石」が土の中から現れ、磐石には仏像をしつらえるにふさわしい足跡形の穴があったことから、ここに十一面観音菩薩を立てたといわれる。BABC突如出現した岩石仏菩薩を安置するにふさわしい自然石が突如出現する。
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
ふく石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本願院が江戸時代に製作した「初瀬山之図」に記載された岩石。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気比神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂東北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気多神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝幢神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂西南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝語神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
見廻不動尊29奈良県桜井市初瀬岩崖。弘法大師が長谷寺の参籠を終えて笠山へ向かう途上ここで見かえり、ここは金剛界・胎蔵界の深理が顕現した霊場であるから、入山する者は心を定め清めなければならないと述べ、山の守り神である須彌山王の上に不動明王の御形を彫ったという。A山の入口に不動明王をまつり結界とする。
奈良県BCA
菅原道真の腰掛石29奈良県桜井市初瀬与喜天満神社の御旅所。菅原道真扮する狩衣装束の老人が腰掛けていたという岩石。切石のような形状で後世創設された可能性がある。CB休み石・腰掛石
泊瀬石29奈良県桜井市初瀬かつて滝蔵神社の近くに毘沙門天を祀る祠があり、ある時この上に雷が落ちて毘沙門天の宝塔が初瀬川に流れ落ちたが、この岩石に引っかかって止まったので、この岩石を泊瀬石と呼んだという。EC
女岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
男岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
山神遥拝所29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社与喜山・与喜天満神社の遥拝所とされる岩石。BA
奈良県BBA
八王子社29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社八王子社の祠の下に存在する岩石。BABC
鵝形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社天照大神が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
沓形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社春日大明神あるいは天児屋根命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
掌石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社太玉命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
千度まいり石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社千度参りの際の礼拝石。BBA
与喜山 A地点北西岩石群/磐座29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山2基の石灯籠を従えて玉垣の後ろに控える岩石。塔のように大きく三段から構成される岩石で、高さ3.1mを測る。
与喜山 A地点南東岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山A地点北西岩石群から南東へ10mほど進むと、急斜面に高さ2~3mの岩々が多く露出している。
与喜山 B地点下方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山1962年に杉髙講が奉献した鳥居・灯籠・狛犬などが残る尾根先端の露岩群。
与喜山 B地点上方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山B地点下方岩石群から尾根を少し登るとスパッと鋭角的な輪郭を持つ立石が存在。
与喜山 C地点岩石29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山天神山北側から登る登山道の入口東側に立地。石祠がまつられている背後に露岩がある。
与喜山 D地点岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山山頂尾根の南端に立地する東西隣り合わせの2体の岩石。西側の巨岩は高さ2~3m、幅5mほどの単体の横長石。東側の巨岩は、小さめの岩石が2個横並びになっていて、その上に支石墓の掌石のごとく高さ2m・幅5mほどの巨石が乗っかかっている構造を有する。
陽神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉諾尊也。東山腰石座御。南。」とある。所在未特定だが、A地点南東岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
陰神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉冉尊也。東山腰石座御。北。」とある。所在未特定だが、A地点北西岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
光神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「月弓尊也。東山北谷石座御。上。」とある。所在未特定だが、B地点上方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
雨神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同谷石座御。下。」とある。所在未特定だが、B地点下方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
賀茂大明神29奈良県桜井市初瀬落神『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「河中大石座御」とある。賀茂の雷神が瀧蔵権現から毘沙門天の宝塔を奪い取り去る途中でこの川中の岩石に落ちたという。下の屏風岩と同一物の可能性もある。初瀬ダム建設により水没。BABA今は存在しない岩石別の神から宝塔を奪い取った雷神が落ちた岩石。
奈良県BABC
屏風岩29奈良県桜井市初瀬落神高さ4.8mの三角形状の岩石に宝篋印塔と梵字の線刻がなされ、頂部に祠をまつっていたという。天落神六社権現の1つ。戦の時に塀代わりに使われたともいう。初瀬ダム建設により水没。BABC今は存在しない岩石
奈良県BAC
落神 山側斜面の岩盤29奈良県桜井市初瀬落神高さ97cmの宝篋印塔を刻んだ岩盤で、天落神六社権現の1つ。初瀬ダム建設により水没。BAC今は存在しない岩石
天落神六社権現 岩石祭祀事例29奈良県桜井市和田 天落神六社権現初瀬ダム建設により水没した岩石群を偲び、和田地区に遷座した天落神六社権現の境内に新たにまつられた宝篋印塔を刻んだ岩石。CB水没した岩石祭祀の場を偲んで、新たに清浄な岩石に宝篋印塔を刻んで遷座先にまつる。
弥勒菩薩石仏29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社境内にまつられた弥勒菩薩の石仏。A
観音屋敷29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社大小の岩石群が散在している場所。神聖視有無不明。
中谷休憩所 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社中谷休憩所という鞍部に存在する、注連縄の巻かれた岩石の割れ目から樹木が生えた事例。詳細由来不明。岩石割れ目から樹木、またはその逆
瀧蔵神社 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社拝殿の前に注連縄を巻かれた岩石。詳細由来不明。
猿田彦之命29奈良県桜井市小夫猿田彦之命の神名が表面に刻まれた岩石。人工的に築かれた石檀の上に置かれており神聖視されたことは確かだが、詳細由来不明。
八つ岩/八ッ岩/八箇岩/八龍王八箇石29奈良県天理市長滝町日の谷素戔男尊に斬られた八伎大蛇が八つの蛇となって天に昇り、水雷神となって聚雲の神剣に付き従って降臨した際の岩石という。朱鳥元年(686年)6月、石上神宮神主の布留宿邑智が「東の高山に神剣が発光して八つの竜が座す」という夢を見たので翌日に現地へ行ったところ、霊石八箇があり、傍らに現れた小童の口から「この地に降臨して人々を守ろうと思う」という神託があったため、出雲建雄神社を造ってまつった。BAA生き物が石化したもの八岐大蛇が八つに分裂して降臨した姿とも、八岐大蛇が降臨した岩石ともいう。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県CA最初の一回だけ磐座機能
天狗岩29奈良県天理市長滝町日の谷八つ岩の近くに残るという地名。今現在確認がとれていない岩石
九頭神社 岩石29奈良県天理市長滝町 九頭神社本殿の背後にある岩石。神聖視有無不明。
八龍王八箇石29奈良県天理市 大国見山八伎大蛇が素盞鳴命に八つ裂きされたのが天から落ちてきた名残の岩石群。日の谷の八つ岩との関連性は不明。
大阪山口神社 岩石群29奈良県香芝市穴虫 大阪山口神社本殿の背後にある露岩群。神聖視有無不明。
石光山 岩石群29奈良県御所市元町 石光山触ると火が出るといわれている巨岩群。隣接して祠がまつられている。山名の由来の可能性もある。石組・石室状の構造を持つものもあるが自然・人為含めて不明点が多い。石光山古墳群の群集墳の合間に存在する。祟り伝承
奈良県岩石から煙・光・火・気などが出る
奈良県古墳が近接
唐笠山 十一面観音29奈良県御所市朝町 唐笠山大穴持神社の鎮座する唐笠山の山頂近くにある露岩。岩石表面に十一面観音が線刻されているという。A
平群石床神社/岩神29奈良県生駒郡平群町越木塚 平群石床神社旧社地里山の裾に露出する岩壁。石床という名と立地から元は磐座だった可能性があり、江戸時代の絵図には岩神と書かれていることから、後世に石神に変化したと考えられる。陰石として女性の病や下半身の病に霊験がある。BABA磐座から石神に変化し、社殿なしのまま神社としてまつる。
奈良県A
神籠石/神護石29奈良県生駒郡平群町越木塚 石床神社拝殿の奥に置かれている岩石。詳細由来不明。
舟石/船石29奈良県生駒郡平群町三里 宮山延喜式内船山神社の祭神が降臨した時に乗った船とされる3体の船形石。CA物品が石化したもの
陽石29奈良県生駒郡平群町三里 船山神社麓の現・船山神社境内に置かれた立石。宮山中腹の中ノ宮(船山神社旧社地)から移設したものという。原位置から移動伝承
夫婦岩/天狗岩/三間石山巨石遺構29奈良県生駒郡平群町櫟原字三石3体の巨岩を中心に大小の岩石群が群集。現在、3体の内の2体に、多数の木の枝が岩に立てかけられている。『住吉大社神代記』の中の、住吉大神が母木里(東大阪市豊浦町付近)と高安国(大阪府八尾市付近)の境に置いた「諍石」に該当するという説がある。岩石に多数の木の枝を立てかける。
十三塚 祭壇状石組29奈良県生駒郡平群町福貴畑塚の手前に、岩石を用いて方形に囲った遺構。区画内に何らかの祭祀具を置いたものと推測されるが確証はない。築造時期は江戸中期以前といわれるが特定できていない。
十三峠地蔵菩薩29奈良県生駒郡平群町福貴畑峠の道標の横に立てられ、明和2年(1765年)の製作の石仏。A
両童子岩29奈良県吉野郡天川村 大峯山高さ約10mの2体の立岩。修験者が一方に登り、その後もう一方に飛び移る修行をする場。BCE巨岩に登り、別の巨岩に飛び移る修行。
子安石30和歌山県新宮市阿須賀 阿須賀神社子安社としてまつられる岩石。子宝安産を祈願する人々が、王子が浜から白石を拾い子安石に奉納して願掛けをする。A可動的性質
和歌山県BBC
蓬莱山遺跡30和歌山県新宮市阿須賀 蓬莱山山中の上オンビ・下オンビと称する場所から、自然石を壁として利用し、その前面三方に石を組み合わせた石室遺構が見つかり、そこから平安~室町時代の御正体194枚や経塚関係遺物(経筒片・経石など)が出土。他に弥生時代の土器、古墳時代の手づくね土器・滑石製模造品も出土。BCD経塚関係山中の自然石を利用して石室を作り、それを経塚とする。
千引岩/千引の岩/宮井戸遺跡30和歌山県新宮市蓬莱かつて海岸の小島だったとされる場所で、飛鳥行人が祭祀していた場所ともいい、黄泉道守命をまつる宮井戸社があった。弥生土器と一字一石経が出土し、千引岩の表面には鎌倉時代あるいは室町時代の「キリーク(大威徳明王)」「カーンマーン(不動明王)」の梵字が刻まれている。A
白玉稲荷神社30和歌山県新宮市蓬莱社殿に接して3体の球状の巨岩が存在。
ゴトビキ岩/琴引岩/神倉山遺跡30和歌山県新宮市神倉 神倉山神倭国磐余彦が熊野に上陸して最初に祈願した霊地「天磐盾」の上部、あるいは、高倉下命が高甕雷神から神剣を授かった場所、さらには熊野三所大神が最初に地上に降臨した場所といわれる巨岩。岩の裾部から中世の経塚群や弥生時代の銅鐸などが出土した。BCC経塚関係司祭者が座す場所でありながら、神が降臨する場所でもある。銅鐸と経塚の伴出。
和歌山県BABA
和歌山県BCD
鏡石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
唐斗石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
平石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社実方院跡に所在。七石
三ッ石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社珍重庵右横に所在。七石
烏石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社熊野那智大社の遥拝所奥にある岩石。神倭国磐余彦の道案内をした八咫鳥が石化したというもの。C七石
和歌山県生き物が石化したもの
和歌山県秘匿されている岩石
笈掛石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町熊野那智大社と青岸渡寺の間に所在。七石
降石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 青岸渡寺宿坊の尊勝院の裏庭に所在。天から落ちてきたという岩石。七石
和歌山県可動的性質
河内様/河内神社/清暑島30和歌山県東牟婁郡古座川町古座川に浮かぶ小島で、島全体が河内神社としてまつられている。島頂に一枚岩が存在。古座川の川神をまつる場所。BABC禁足地7月の河内祭では、河内様に古座川の清水(潮)を奉納する。
西の倉30和歌山県東牟婁郡古座川町河内様の上流にそびえる岩山。EC
重畳山30和歌山県東牟婁郡串本町橋杭岩と同じ成因による岩脈が残る山。山内に重畳山神社・神王寺と石仏群が存在。EC
橋杭岩30和歌山県東牟婁郡串本町串本の沖から紀伊大島に向かって立ち並ぶ岩の列。太古のマグマによって形成された岩脈が、黒潮の浸食で削られたもの。弘法大師あるいは太吉という村の正直者が一晩で架けようとした橋脚の跡と伝えられる。C
和歌山県EC
高塚の森30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬潮御崎神社の神域とされる森。マウンドと露岩群があり、応神天皇の侍従の墓と伝えられ、かつて小祠があったという。マウンド南西に列石・土堤・平坦地形が指摘され、測量調査が実施される。また、夏至に平坦地形からマウンドを望むと、露岩群から太陽が上ってくることが確認され、高塚の森は太陽祭祀の場だったとする説が出されたが、そのことを裏付ける文献記録や遺物の存在に欠ける。夏至の日に、平坦地からマウンドの露岩の頭上に日の出の太陽を望む太陽祭祀の可能性が指摘されている。
盃岩30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬 旭之森神功皇后が酒宴を催した際に杯を置いたという岩石。C
阪田山遺跡 環状配石遺構30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田山腹斜面に自然露出の岩盤が広がり、その下方に弧状列石、焚火址2ヶ所・環状配石を検出。環状配石遺構は、大小の砂岩16個を直径約1mの環状に配置され、配石の内側からは臼玉約2000点の他、包含層上部からは有孔円板・剣形製品・勾玉・管玉が偏って出土した。環状配石は祭祀具配置空間を明示する遺構あるいは祭祀終了後の廃棄場所を区画する遺構だった可能性がある。BCD環状配石の内外で土砂の種類、遺物の出土点数に差がある。配石内に遺物があまりに多量ということと、臼玉とそれ以外の遺物に出土位置の差が見られるため、祭祀具配置・埋納・廃棄跡など様々な機能が推測される。
和歌山県DB
阪田山遺跡 弧状列石30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田岩盤の下方斜面に弧状・壇状に配された岩石群。自然の露岩の可能性もある。
阪田山遺跡 岩盤30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田遺跡における祭祀対象と推測されている岩盤。遺跡中最も最高所の斜面に立地。
かろと石30和歌山県田辺市秋津川僧が石を煮て食べ、行をしてから岩石の中に入り、そのまま出なかった。これをかろと石と呼ぶ。BCE岩石の中に籠る
和歌山県BAC
白山 岩石群30和歌山県有田郡有田川町 白山田殿丹生神社の裏山である白山の中腹に、数十mはあろうかという巨岩が屹立し麓から仰ぐことができる。磐座ではないかという説があるが、歴史的に裏付ける明確な資料が確認できない。白山自体は神聖視されており、山頂に白山神社が鎮座。
タテリ岩/一の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮山頂にある高さ5.5mの蛇紋岩。康平6年(1063年)、ここに最初に宮を建てて一の宮と称したとの貴志川八幡宮の社伝がある。CA
中宮/中の宮/上の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮康平6年(1063年)に一の宮を設けた30年後、山腹に遷座して上の宮と称したといわれる場所で、多くの自然石が群集している。周辺一帯の自然石の上面や岩陰から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品が見つかっている。CA
岸宮中宮遺跡 環状配石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮中宮の自然石の群れの西に隣接。20数個の角礫を直径約1.5mの環状に巡らせた遺構で、石同士は粘土で固定され、配石内部は石敷きがされていた。1mほど東からは常時湧水を溜めていた井戸遺構を検出。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
岸宮中宮遺跡 敷石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮環状配石遺構の西に隣接。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
前庭/庭園/石組(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮 貴志川八幡宮社殿前の石段脇にある岩石群。安土桃山時代の製作の庭園とされているが、山裾の磐座に手を加えたものとする説もある。EC
七福の庭30和歌山県和歌山市 和歌山城紀州徳川藩祖の徳川頼宣が、紀州藩の隆盛を祈念して1621年(元和7年)に作った石庭。七福神が船に乗っている様子を岩石に擬して配置したもの。かつて本丸御殿の中央にあったが1923年に現在地に移転した。BBC原位置から移動伝承人工的に信仰対象の岩石を製作・奉献して守護神にする。
和歌山県A
弁財天山30和歌山県和歌山市 和歌山城南かつて和歌山城敷地内にあったとされる岩山。麓には紀州徳川勧請神社・子供観音があるほか、山の神の石碑が残されている。頂上が岩山
後醍醐天皇お腰掛けの岩31鳥取県西伯郡大山町御来屋後醍醐天皇が腰掛けた岩石。この岩石に船をつないでおくと流されることはないという。CC休み石・腰掛石
産石31鳥取県米子市橋本 阿陀萱神社天から落ちてきた岩石で、産石神社を建ててまつったという。A可動的性質
金鶏石31鳥取県米子市上新印 圓福寺箱と蓋の2つから構成される岩石構造物で、中には金の鶏(鳩とも)が入っており、元旦に泣いて福を与えてくれたという。かつて別の場所の寺にあり、小僧が開けてしまい金鶏は逃げてしまったので、和尚は逃げてしまった現在地に寺と金鶏石ごと移転したという。BAC黄金の何かが隠されているという伝説
鳥取県EC原位置から移動伝承
赤猪岩31鳥取県西伯郡南部町寺内 赤猪岩神社倭国神話で大国主命を焼き殺した猪岩を土中に封印し、その上に大きな蓋石と玉垣を施し禁忌とした。EA可動的性質不敬の岩石を土中に埋め、蓋石で封じ込める。
鳥取県BBB禁忌が厳しい
越路遺跡31鳥取県鳥取市越路宮丸山立地は麓近くの丘陵斜面。地表下約0.5-1mの辺りで、大ぶりの板石の下から銅鐸1出土。今は存在しない岩石
影石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
重石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
富士石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
天狗石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
万灯石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
双履石31鳥取県鳥取市国府町宮下 宇倍神社武内宿禰が亡くなる前に残したといわれる草履の石化したもの。地中に竪穴式石槨が眠っていることが分かり、古墳石材の一部ということが判明した。C物品が石化したもの
鳥取県遺物・遺構の再利用
岡益の石堂31鳥取県鳥取市国府町岡益安徳天皇陵と伝えられる石造遺構。石檀の上に板石で側壁を造り、中心にエンタシス調の石塔を立てた構造物。製作年代、元来の用途共に不明。聖者が亡くなった場所
羽衣石31鳥取県東伯郡湯梨浜町 羽衣石山天女が水浴びをするため自らの羽衣をかけていた岩石。裾に天女をまつる祠を設けている。C
安産岩31鳥取県東伯郡東郷町宮内 宮内倭文神社難産に苦しんだ妊婦が宮内倭文神社に祈願したところ、この岩石の前で安産したという。以降、安産の霊験を持つ岩石として信仰される。A
春日シヌン谷遺跡32島根県八束郡東出雲町春日シヌン谷露岩群の裾から手捏土器など出土。平野部からかなり奥まった丘陵斜面に位置するが、露岩群の近くに住居址状のテラス4ヶ所検出。今は存在しない岩石
座王さん32島根県松江市鹿島町佐陀本郷 恵曇神社恵曇神社祭神の磐坂日子命が腰掛けたという岩石。C休み石・腰掛石
志谷奥遺跡32島根県松江市鹿島町佐陀本郷字志谷奥高さ1.5mほどの2体の巨石の1.5mほど離れた場所の地中の下層から銅鐸2点、上層から銅剣6点が整然と出土。今は存在しない岩石
元宮/磐座32島根県松江市八雲町熊野 天狗山出雲国一宮熊野大社の元宮と伝えられる山頂付近の露岩群。現在は毎年5月に供物を捧げる元宮祭が行なわれている。BA
島根県CA
犬石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた犬が石化したもの。C生き物が石化したもの
猪石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた猪が石化したもの。C生き物が石化したもの
女夫岩さん/宍岩さん/女夫岩遺跡32島根県松江市宍道町白石2体の巨岩を中心とし、手前に石壇を有する遺跡。古墳時代中期・後期の土器、近世・近代の遺物が出土。石壇も近世・近代のものと推測される。『出雲国風土記』の猪石の候補地。
真玉/真玉さん/願い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社湯山主之大神(大己貴命)としてまつられてきた自然の丸石。近年「願い石」と呼ばれ、「叶い石」を使った信仰が生まれる。A近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
島根県BBD
叶い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社神社で販売している小石。この小石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に移り、自分のお守りになるという。近年考案された祭祀。BBD近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
御守石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社勾玉の原石。別の場所に保管されていたが、近年の「願い石」信仰を受けて境内に移設されて名付けられる。BD近代以降の命名
夫婦岩32島根県雲南市大東町須賀 八雲山山腹に立地する、須賀神社の奥宮とされる3体の巨岩を中心とする岩石群。それぞれ須佐之男命・奇稲田比売命・清之湯山主三名狭漏彦八島野命をまつる。BAC
島根県CA
大岩32島根県雲南市加茂町岩倉大岩の下には金鶏がおり、大晦日にだけ鳴き声を出し、それを聞いた者は巨万の富を得ることができるという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
矢櫃神社 岩石群32島根県雲南市加茂町岩倉矢櫃神社の旧社地の背後に露出する岩石群。岩倉の地名の元ともいわれるが詳細由来不明。
成長石32島根県雲南市三刀屋町多久和 飯石神社ある日突然天から落ちてきた岩石といい、日に日に岩石が大きくなるので、村人達が神様として神社を建ててまつったのが飯石神社の始まりという。明治時代の遷宮工事の際、この岩石の周辺から古墳時代の須恵器片が出土した。A突如出現した岩石
島根県岩石が満ち欠け・増減・出産する
島根県可動的性質
岩坪/岩坪さん/岩坪明神32島根県出雲市東神西町 那売佐神社川床の岩盤に甌穴が開いたもの。神が生まれた時に産湯に使ったという。甌穴は普段砂で埋まっているが、旱魃の時に砂を掘り出して雨乞いすると雨が降るという。C岩穴・窟甌穴に埋まった砂を掘り出すと雨が降る。
島根県BBD
烏帽子岩/石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された楯縫郡神名樋山の石神。日照りの時に雨乞いをすると必ず雨が降るという。A
小石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された、楯縫郡神名樋山の石神の周囲に群集する百余の小石神。この一帯及び付近の滝壺から古墳時代の土師器片が発見されている。A石神の周囲に付き従って百余の小石神の存在が記載される。
島根県BD
命主神社遺跡32島根県出雲市大社町 出雲大社命主神社は出雲大社の境内摂社。江戸時代の社殿改修時、社殿背後の大岩の下から弥生時代の銅戈4点、ヒスイ製勾玉が出土した。今は存在しない岩石
首岩32島根県出雲市佐田町反辺 多倍神社素盞鳴尊が退治した鬼の首を地中に埋め、地表に岩石で蓋をして封じたもの。この岩石に触れると鬼の血が付くといわれている。BBB岩石から血が出る鬼の首を埋めて岩石で蓋をして鎮める。
島根県C
上方林遺跡32島根県仁多郡奥出雲町下横田字上方林丘陵斜面において配石遺構が2ヶ所で出土し、近くに須恵器大甕・金銅製金具、土馬などが配置されていたと報告されている。今は存在しない岩石
大神岩/窟32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の窟。内部に所造天下大神の御琴と記載された石の亀裂がある。BCA岩穴・窟神の琴を納めた窟がある。
島根県BAC岩石表面に印・痕・模様が残る
烏帽子岩/石神32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の石神に比定されている巨岩。他にも周囲に巨岩があるため異説もある。A
婆石32島根県邑智郡邑南町作木下の爺石に毎年米一粒ずつ近づいており、爺石に接すると近くの江川が大海になるという。EC岩石が動く
爺石32島根県邑智郡邑南町江平下瀬上の婆石に毎年米一粒ずつ近づいており、婆石に接すると近くの江川が大海になるという。EC岩石が動く
水枕石33岡山県新見市大佐上刑部人が亡くなると、川から拾ってきた石を枕飯の横に置く。BBB可動的性質人が亡くなると、川から拾ってきた石を枕飯の横に置く。
岡山県BBC November 11, 2025
1RP
ぴっちゅるぞさん、ライブの時はありがとうございました🙏
原神知ってますって言ってくださった時は、ああただただ原神の存在だけ知ってる方だと思いましたが、自己紹介欄見てこの人全然原神知らない人じゃないやんけ!!☆と思いながらりぬアカウントからもフォローしましたふふふへへ November 11, 2025
1RP
@fictitious1999 衰退した原因についてクボ語の元となるシュバル語で書かれた石板というものが見つかって、その中でキモティカ文明において信仰されていた神を失い嘆き悲しむ住人に向かって神官が神の存在を否定したとされる文言が刻まれていたらしく何かしらの対立がありそれが衰退に繋がったのではという仮説はあるね November 11, 2025
1RP
八つ岩/八ッ岩/八箇岩/八龍王八箇石29奈良県天理市長滝町日の谷素戔男尊に斬られた八伎大蛇が八つの蛇となって天に昇り、水雷神となって聚雲の神剣に付き従って降臨した際の岩石という。朱鳥元年(686年)6月、石上神宮神主の布留宿邑智が「東の高山に神剣が発光して八つの竜が座す」という夢を見たので翌日に現地へ行ったところ、霊石八箇があり、傍らに現れた小童の口から「この地に降臨して人々を守ろうと思う」という神託があったため、出雲建雄神社を造ってまつった。BAA生き物が石化したもの八岐大蛇が八つに分裂して降臨した姿とも、八岐大蛇が降臨した岩石ともいう。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県CA最初の一回だけ磐座機能
天狗岩29奈良県天理市長滝町日の谷八つ岩の近くに残るという地名。今現在確認がとれていない岩石
九頭神社 岩石29奈良県天理市長滝町 九頭神社本殿の背後にある岩石。神聖視有無不明。
八龍王八箇石29奈良県天理市 大国見山八伎大蛇が素盞鳴命に八つ裂きされたのが天から落ちてきた名残の岩石群。日の谷の八つ岩との関連性は不明。
大阪山口神社 岩石群29奈良県香芝市穴虫 大阪山口神社本殿の背後にある露岩群。神聖視有無不明。
石光山 岩石群29奈良県御所市元町 石光山触ると火が出るといわれている巨岩群。隣接して祠がまつられている。山名の由来の可能性もある。石組・石室状の構造を持つものもあるが自然・人為含めて不明点が多い。石光山古墳群の群集墳の合間に存在する。祟り伝承
奈良県岩石から煙・光・火・気などが出る
奈良県古墳が近接
唐笠山 十一面観音29奈良県御所市朝町 唐笠山大穴持神社の鎮座する唐笠山の山頂近くにある露岩。岩石表面に十一面観音が線刻されているという。A
平群石床神社/岩神29奈良県生駒郡平群町越木塚 平群石床神社旧社地里山の裾に露出する岩壁。石床という名と立地から元は磐座だった可能性があり、江戸時代の絵図には岩神と書かれていることから、後世に石神に変化したと考えられる。陰石として女性の病や下半身の病に霊験がある。BABA磐座から石神に変化し、社殿なしのまま神社としてまつる。
奈良県A
神籠石/神護石29奈良県生駒郡平群町越木塚 石床神社拝殿の奥に置かれている岩石。詳細由来不明。
舟石/船石29奈良県生駒郡平群町三里 宮山延喜式内船山神社の祭神が降臨した時に乗った船とされる3体の船形石。CA物品が石化したもの
陽石29奈良県生駒郡平群町三里 船山神社麓の現・船山神社境内に置かれた立石。宮山中腹の中ノ宮(船山神社旧社地)から移設したものという。原位置から移動伝承
夫婦岩/天狗岩/三間石山巨石遺構29奈良県生駒郡平群町櫟原字三石3体の巨岩を中心に大小の岩石群が群集。現在、3体の内の2体に、多数の木の枝が岩に立てかけられている。『住吉大社神代記』の中の、住吉大神が母木里(東大阪市豊浦町付近)と高安国(大阪府八尾市付近)の境に置いた「諍石」に該当するという説がある。岩石に多数の木の枝を立てかける。
十三塚 祭壇状石組29奈良県生駒郡平群町福貴畑塚の手前に、岩石を用いて方形に囲った遺構。区画内に何らかの祭祀具を置いたものと推測されるが確証はない。築造時期は江戸中期以前といわれるが特定できていない。
十三峠地蔵菩薩29奈良県生駒郡平群町福貴畑峠の道標の横に立てられ、明和2年(1765年)の製作の石仏。A
両童子岩29奈良県吉野郡天川村 大峯山高さ約10mの2体の立岩。修験者が一方に登り、その後もう一方に飛び移る修行をする場。BCE巨岩に登り、別の巨岩に飛び移る修行。
子安石30和歌山県新宮市阿須賀 阿須賀神社子安社としてまつられる岩石。子宝安産を祈願する人々が、王子が浜から白石を拾い子安石に奉納して願掛けをする。A可動的性質
和歌山県BBC
蓬莱山遺跡30和歌山県新宮市阿須賀 蓬莱山山中の上オンビ・下オンビと称する場所から、自然石を壁として利用し、その前面三方に石を組み合わせた石室遺構が見つかり、そこから平安~室町時代の御正体194枚や経塚関係遺物(経筒片・経石など)が出土。他に弥生時代の土器、古墳時代の手づくね土器・滑石製模造品も出土。BCD経塚関係山中の自然石を利用して石室を作り、それを経塚とする。
千引岩/千引の岩/宮井戸遺跡30和歌山県新宮市蓬莱かつて海岸の小島だったとされる場所で、飛鳥行人が祭祀していた場所ともいい、黄泉道守命をまつる宮井戸社があった。弥生土器と一字一石経が出土し、千引岩の表面には鎌倉時代あるいは室町時代の「キリーク(大威徳明王)」「カーンマーン(不動明王)」の梵字が刻まれている。A
白玉稲荷神社30和歌山県新宮市蓬莱社殿に接して3体の球状の巨岩が存在。
ゴトビキ岩/琴引岩/神倉山遺跡30和歌山県新宮市神倉 神倉山神倭国磐余彦が熊野に上陸して最初に祈願した霊地「天磐盾」の上部、あるいは、高倉下命が高甕雷神から神剣を授かった場所、さらには熊野三所大神が最初に地上に降臨した場所といわれる巨岩。岩の裾部から中世の経塚群や弥生時代の銅鐸などが出土した。BCC経塚関係司祭者が座す場所でありながら、神が降臨する場所でもある。銅鐸と経塚の伴出。
和歌山県BABA
和歌山県BCD
鏡石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
唐斗石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
平石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社実方院跡に所在。七石
三ッ石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社珍重庵右横に所在。七石
烏石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社熊野那智大社の遥拝所奥にある岩石。神倭国磐余彦の道案内をした八咫鳥が石化したというもの。C七石
和歌山県生き物が石化したもの
和歌山県秘匿されている岩石
笈掛石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町熊野那智大社と青岸渡寺の間に所在。七石
降石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 青岸渡寺宿坊の尊勝院の裏庭に所在。天から落ちてきたという岩石。七石
和歌山県可動的性質
河内様/河内神社/清暑島30和歌山県東牟婁郡古座川町古座川に浮かぶ小島で、島全体が河内神社としてまつられている。島頂に一枚岩が存在。古座川の川神をまつる場所。BABC禁足地7月の河内祭では、河内様に古座川の清水(潮)を奉納する。
西の倉30和歌山県東牟婁郡古座川町河内様の上流にそびえる岩山。EC
重畳山30和歌山県東牟婁郡串本町橋杭岩と同じ成因による岩脈が残る山。山内に重畳山神社・神王寺と石仏群が存在。EC
橋杭岩30和歌山県東牟婁郡串本町串本の沖から紀伊大島に向かって立ち並ぶ岩の列。太古のマグマによって形成された岩脈が、黒潮の浸食で削られたもの。弘法大師あるいは太吉という村の正直者が一晩で架けようとした橋脚の跡と伝えられる。C
和歌山県EC
高塚の森30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬潮御崎神社の神域とされる森。マウンドと露岩群があり、応神天皇の侍従の墓と伝えられ、かつて小祠があったという。マウンド南西に列石・土堤・平坦地形が指摘され、測量調査が実施される。また、夏至に平坦地形からマウンドを望むと、露岩群から太陽が上ってくることが確認され、高塚の森は太陽祭祀の場だったとする説が出されたが、そのことを裏付ける文献記録や遺物の存在に欠ける。夏至の日に、平坦地からマウンドの露岩の頭上に日の出の太陽を望む太陽祭祀の可能性が指摘されている。
盃岩30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬 旭之森神功皇后が酒宴を催した際に杯を置いたという岩石。C
阪田山遺跡 環状配石遺構30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田山腹斜面に自然露出の岩盤が広がり、その下方に弧状列石、焚火址2ヶ所・環状配石を検出。環状配石遺構は、大小の砂岩16個を直径約1mの環状に配置され、配石の内側からは臼玉約2000点の他、包含層上部からは有孔円板・剣形製品・勾玉・管玉が偏って出土した。環状配石は祭祀具配置空間を明示する遺構あるいは祭祀終了後の廃棄場所を区画する遺構だった可能性がある。BCD環状配石の内外で土砂の種類、遺物の出土点数に差がある。配石内に遺物があまりに多量ということと、臼玉とそれ以外の遺物に出土位置の差が見られるため、祭祀具配置・埋納・廃棄跡など様々な機能が推測される。
和歌山県DB
阪田山遺跡 弧状列石30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田岩盤の下方斜面に弧状・壇状に配された岩石群。自然の露岩の可能性もある。
阪田山遺跡 岩盤30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田遺跡における祭祀対象と推測されている岩盤。遺跡中最も最高所の斜面に立地。
かろと石30和歌山県田辺市秋津川僧が石を煮て食べ、行をしてから岩石の中に入り、そのまま出なかった。これをかろと石と呼ぶ。BCE岩石の中に籠る
和歌山県BAC
白山 岩石群30和歌山県有田郡有田川町 白山田殿丹生神社の裏山である白山の中腹に、数十mはあろうかという巨岩が屹立し麓から仰ぐことができる。磐座ではないかという説があるが、歴史的に裏付ける明確な資料が確認できない。白山自体は神聖視されており、山頂に白山神社が鎮座。
タテリ岩/一の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮山頂にある高さ5.5mの蛇紋岩。康平6年(1063年)、ここに最初に宮を建てて一の宮と称したとの貴志川八幡宮の社伝がある。CA
中宮/中の宮/上の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮康平6年(1063年)に一の宮を設けた30年後、山腹に遷座して上の宮と称したといわれる場所で、多くの自然石が群集している。周辺一帯の自然石の上面や岩陰から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品が見つかっている。CA
岸宮中宮遺跡 環状配石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮中宮の自然石の群れの西に隣接。20数個の角礫を直径約1.5mの環状に巡らせた遺構で、石同士は粘土で固定され、配石内部は石敷きがされていた。1mほど東からは常時湧水を溜めていた井戸遺構を検出。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
岸宮中宮遺跡 敷石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮環状配石遺構の西に隣接。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
前庭/庭園/石組(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮 貴志川八幡宮社殿前の石段脇にある岩石群。安土桃山時代の製作の庭園とされているが、山裾の磐座に手を加えたものとする説もある。EC
七福の庭30和歌山県和歌山市 和歌山城紀州徳川藩祖の徳川頼宣が、紀州藩の隆盛を祈念して1621年(元和7年)に作った石庭。七福神が船に乗っている様子を岩石に擬して配置したもの。かつて本丸御殿の中央にあったが1923年に現在地に移転した。BBC原位置から移動伝承人工的に信仰対象の岩石を製作・奉献して守護神にする。
和歌山県A
弁財天山30和歌山県和歌山市 和歌山城南かつて和歌山城敷地内にあったとされる岩山。麓には紀州徳川勧請神社・子供観音があるほか、山の神の石碑が残されている。頂上が岩山
後醍醐天皇お腰掛けの岩31鳥取県西伯郡大山町御来屋後醍醐天皇が腰掛けた岩石。この岩石に船をつないでおくと流されることはないという。CC休み石・腰掛石
産石31鳥取県米子市橋本 阿陀萱神社天から落ちてきた岩石で、産石神社を建ててまつったという。A可動的性質
金鶏石31鳥取県米子市上新印 圓福寺箱と蓋の2つから構成される岩石構造物で、中には金の鶏(鳩とも)が入っており、元旦に泣いて福を与えてくれたという。かつて別の場所の寺にあり、小僧が開けてしまい金鶏は逃げてしまったので、和尚は逃げてしまった現在地に寺と金鶏石ごと移転したという。BAC黄金の何かが隠されているという伝説
鳥取県EC原位置から移動伝承
赤猪岩31鳥取県西伯郡南部町寺内 赤猪岩神社倭国神話で大国主命を焼き殺した猪岩を土中に封印し、その上に大きな蓋石と玉垣を施し禁忌とした。EA可動的性質不敬の岩石を土中に埋め、蓋石で封じ込める。
鳥取県BBB禁忌が厳しい
越路遺跡31鳥取県鳥取市越路宮丸山立地は麓近くの丘陵斜面。地表下約0.5-1mの辺りで、大ぶりの板石の下から銅鐸1出土。今は存在しない岩石
影石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
重石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
富士石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
天狗石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
万灯石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
双履石31鳥取県鳥取市国府町宮下 宇倍神社武内宿禰が亡くなる前に残したといわれる草履の石化したもの。地中に竪穴式石槨が眠っていることが分かり、古墳石材の一部ということが判明した。C物品が石化したもの
鳥取県遺物・遺構の再利用
岡益の石堂31鳥取県鳥取市国府町岡益安徳天皇陵と伝えられる石造遺構。石檀の上に板石で側壁を造り、中心にエンタシス調の石塔を立てた構造物。製作年代、元来の用途共に不明。聖者が亡くなった場所
羽衣石31鳥取県東伯郡湯梨浜町 羽衣石山天女が水浴びをするため自らの羽衣をかけていた岩石。裾に天女をまつる祠を設けている。C
安産岩31鳥取県東伯郡東郷町宮内 宮内倭文神社難産に苦しんだ妊婦が宮内倭文神社に祈願したところ、この岩石の前で安産したという。以降、安産の霊験を持つ岩石として信仰される。A
春日シヌン谷遺跡32島根県八束郡東出雲町春日シヌン谷露岩群の裾から手捏土器など出土。平野部からかなり奥まった丘陵斜面に位置するが、露岩群の近くに住居址状のテラス4ヶ所検出。今は存在しない岩石
座王さん32島根県松江市鹿島町佐陀本郷 恵曇神社恵曇神社祭神の磐坂日子命が腰掛けたという岩石。C休み石・腰掛石
志谷奥遺跡32島根県松江市鹿島町佐陀本郷字志谷奥高さ1.5mほどの2体の巨石の1.5mほど離れた場所の地中の下層から銅鐸2点、上層から銅剣6点が整然と出土。今は存在しない岩石
元宮/磐座32島根県松江市八雲町熊野 天狗山出雲国一宮熊野大社の元宮と伝えられる山頂付近の露岩群。現在は毎年5月に供物を捧げる元宮祭が行なわれている。BA
島根県CA
犬石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた犬が石化したもの。C生き物が石化したもの
猪石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた猪が石化したもの。C生き物が石化したもの
女夫岩さん/宍岩さん/女夫岩遺跡32島根県松江市宍道町白石2体の巨岩を中心とし、手前に石壇を有する遺跡。古墳時代中期・後期の土器、近世・近代の遺物が出土。石壇も近世・近代のものと推測される。『出雲国風土記』の猪石の候補地。
真玉/真玉さん/願い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社湯山主之大神(大己貴命)としてまつられてきた自然の丸石。近年「願い石」と呼ばれ、「叶い石」を使った信仰が生まれる。A近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
島根県BBD
叶い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社神社で販売している小石。この小石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に移り、自分のお守りになるという。近年考案された祭祀。BBD近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
御守石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社勾玉の原石。別の場所に保管されていたが、近年の「願い石」信仰を受けて境内に移設されて名付けられる。BD近代以降の命名
夫婦岩32島根県雲南市大東町須賀 八雲山山腹に立地する、須賀神社の奥宮とされる3体の巨岩を中心とする岩石群。それぞれ須佐之男命・奇稲田比売命・清之湯山主三名狭漏彦八島野命をまつる。BAC
島根県CA
大岩32島根県雲南市加茂町岩倉大岩の下には金鶏がおり、大晦日にだけ鳴き声を出し、それを聞いた者は巨万の富を得ることができるという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
矢櫃神社 岩石群32島根県雲南市加茂町岩倉矢櫃神社の旧社地の背後に露出する岩石群。岩倉の地名の元ともいわれるが詳細由来不明。
成長石32島根県雲南市三刀屋町多久和 飯石神社ある日突然天から落ちてきた岩石といい、日に日に岩石が大きくなるので、村人達が神様として神社を建ててまつったのが飯石神社の始まりという。明治時代の遷宮工事の際、この岩石の周辺から古墳時代の須恵器片が出土した。A突如出現した岩石
島根県岩石が満ち欠け・増減・出産する
島根県可動的性質
岩坪/岩坪さん/岩坪明神32島根県出雲市東神西町 那売佐神社川床の岩盤に甌穴が開いたもの。神が生まれた時に産湯に使ったという。甌穴は普段砂で埋まっているが、旱魃の時に砂を掘り出して雨乞いすると雨が降るという。C岩穴・窟甌穴に埋まった砂を掘り出すと雨が降る。
島根県BBD
烏帽子岩/石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された楯縫郡神名樋山の石神。日照りの時に雨乞いをすると必ず雨が降るという。A
小石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された、楯縫郡神名樋山の石神の周囲に群集する百余の小石神。この一帯及び付近の滝壺から古墳時代の土師器片が発見されている。A石神の周囲に付き従って百余の小石神の存在が記載される。
島根県BD
命主神社遺跡32島根県出雲市大社町 出雲大社命主神社は出雲大社の境内摂社。江戸時代の社殿改修時、社殿背後の大岩の下から弥生時代の銅戈4点、ヒスイ製勾玉が出土した。今は存在しない岩石
首岩32島根県出雲市佐田町反辺 多倍神社素盞鳴尊が退治した鬼の首を地中に埋め、地表に岩石で蓋をして封じたもの。この岩石に触れると鬼の血が付くといわれている。BBB岩石から血が出る鬼の首を埋めて岩石で蓋をして鎮める。
島根県C
上方林遺跡32島根県仁多郡奥出雲町下横田字上方林丘陵斜面において配石遺構が2ヶ所で出土し、近くに須恵器大甕・金銅製金具、土馬などが配置されていたと報告されている。今は存在しない岩石
大神岩/窟32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の窟。内部に所造天下大神の御琴と記載された石の亀裂がある。BCA岩穴・窟神の琴を納めた窟がある。
島根県BAC岩石表面に印・痕・模様が残る
烏帽子岩/石神32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の石神に比定されている巨岩。他にも周囲に巨岩があるため異説もある。A
婆石32島根県邑智郡邑南町作木下の爺石に毎年米一粒ずつ近づいており、爺石に接すると近くの江川が大海になるという。EC岩石が動く
爺石32島根県邑智郡邑南町江平下瀬上の婆石に毎年米一粒ずつ近づいており、婆石に接すると近くの江川が大海になるという。EC岩石が動く
水枕石33岡山県新見市大佐上刑部人が亡くなると、川から拾ってきた石を枕飯の横に置く。BBB可動的性質人が亡くなると、川から拾ってきた石を枕飯の横に置く。
岡山県BBC
鏡石33岡山県備前市八木山 鏡石神社広大な鏡肌の平滑面を持つ岩石。鏡石自体のいわれは残っていないが、池田輝政をまつる神社が創建当時から鏡石神社と名付けられていることから、すでに神社創建時において特別視以上の認識を受けていたことは間違いない。鏡面を持つ岩石鏡石が存在する場所に藩主をまつる神社を建てる。
たいち墓/太一墓/加三方磐座遺跡33岡山県和気郡和気町加三方台座石の上に立石を置いた組石があり、北に8個の細長い岩石が一列に並び、東には1個の丸石があり、周囲を細長い岩石で3個以上取り囲んだ列石構造が見られる。どこまで人工物かは不明。隣接して横穴式石室があり、一帯からは土器片と石包丁が発見されている。地元では元来たいち墓と呼ばれ雨乞いや花見の場所、マツタケが生えるため夜通し番をした場所という。近代以降の命名
岡山県古墳が近接
休み石33岡山県和気郡和気町加三方たいち墓の番をする人が道の途中で腰かけて休んだという岩石。EC休み石・腰掛石
石根依立神社 本殿玉垣33岡山県和気郡和気町 石根依立神社石根依立神社の本殿を取り囲む玉垣には一部自然石が用いられている。意図は不明。BCA自然石を玉垣に用いる。
イモリ岩33岡山県和気郡和気町石根依立神社の裏山の山頂近くに露出する巨岩。麓からも望むことができるが、神社との関連性は不明。
石上布都御魂神社 本宮33岡山県赤磐市石上 石上布都御魂神社大松山山頂に露出する岩盤。社殿祭祀以前の磐座跡とされる。BABC禁足地
岡山県CA
熊山遺跡33岡山県赤磐市奥吉原 熊山熊山山頂に建てられた階段状の石塔。諸説あるが奈良時代の仏塔説が有力。石塔には厨子と見られるし四角の凹み空間が設けられている。岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める
鉾立岩33岡山県玉野市番田八丈岩山の南腹支峰上に屹立する巨岩。麓や海岸からもよく見えるため海上交通の目印にもなったという。EC
由加神社/瑜伽大権現 岩石群33岡山県玉野市胸上 瑜伽山社殿の背後に群集する岩石群。磐座跡の説があるが由来は伝わっていない。
玉石/立石/霊岩33岡山県玉野市玉 玉比咩神社勾玉の形状から名付けられたという岩石。中世には立石とも呼ばれたという。あるとき、玉石から3つの火の玉が飛び出て3ヶ所に落ち、玉石には日輪状の跡が残ったという。かつては海岸の立地で満潮時には海水に洗われていたという。A岩石表面に印・痕・模様が残る
岡山県C水をかける・水に漬かる
岡山県岩石から煙・光・火・気などが出る
臥竜稲荷神社奥宮33岡山県玉野市 臥竜稲荷神社奥宮臥竜山中腹に立地。社の背後に岩壁が露出する。玉比咩神社の玉石から飛び出た火の玉が落ちた場所の1つといわれる。
高島遺跡33岡山県岡山市宮浦 高島山頂部の高さ3.7mの立石を中心とする岩石群から古墳時代後期の祭祀遺物が出土。岩石群からは牡蠣の殻が付着したものがあり、海岸から島頂部に運搬してきた石材であることが判明している。
磐境33岡山県岡山市北区京山 尾針神社本殿裏に集積する岩石群。社殿祭祀以前のまつり場といわれる。C
環状列石33岡山県岡山市北区一宮 吉備津彦神社平安時代まで遡りうるという人工庭園の五色島に配された、20個の岩石からなる環状列石。庭園施設化、祭祀用途のあるものかは不明。
八島殿 神座33岡山県岡山市北区一宮 吉備津彦神社『備前州一宮密記』によると、八島殿に神座と呼ばれる岩石があり、吉備津彦神社へお供えをする場合はまずこの岩石に供え物を置いて、霊烏がついばんでから吉備津彦神社に供えないといけなかったという。現在、八島殿の跡地に長さ約3m、巾約1m、高さ約1mの安山岩が存在しており、これが八島殿の神座だったのではないかと推測されている。BCD今現在確認がとれていない岩石
忠魂碑台石33岡山県岡山市北区一宮 吉備津彦神社忠魂碑の台石はかつて背後の一段高い場所から移設してきたといい、そこは『古代御社図』に描かれた元来の本殿の位置であることから、台石は古代のイワクラだったという説がある。原位置から移動伝承
岡山県岩石が改変されている
矢置岩/矢置石/箭置石33岡山県岡山市北区吉備津 吉備津神社大吉備津彦命が、この岩石の上に矢を置いてから弓を引き温羅を退治したという。箭祭の時、桜箭神社に奉納する2本の矢を最初に安置する岩石としても用いられる。C神前に奉納する矢を最初に置いておく岩石。
岡山県BCD
矢納宮石33岡山県岡山市北区吉備津 吉備津神社矢置岩の背後の山腹に存在するという2個の岩石。所在地不明の桜箭神社のことを指すといわれる。
岩山宮33岡山県岡山市北区吉備津 吉備津神社岩石をまつる神社。後世、岩石を覆うように社殿が造られ今は見えない。祭神は中山主命・建日方別命。A秘匿されている岩石
岡山県BABC磐座と石神の性格が混在している事例
金比羅宮跡 露岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備津神社江戸時代の絵図で、山腹に「金比羅」と書かれた祠と背後を屏風のごとく覆う岩が描かれており、現在も露岩が残る。吉備津宮の元宮ともいわれる。
穴観音33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山中山茶臼山古墳の後円部東に5体ほどの岩石が群集しており、岩石の表面を窪ませて仏を彫刻していることから穴観音の名称がある。主石の左側面の穴に耳を当てると観音様の声が聞こえるという。A岩石から音声が聞こえる
鏡岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山山頂からやや西に下った山頂直下にある岩石。斜面下側の岩肌は平らで、楕円形の鏡の形状を見せるが、表面には石のしわが大量に走っており、光沢面はない。
八畳岩/奥宮磐座33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山ほぼ山頂に立地。奥宮磐座と総称される大小の岩石群があり、その中でひときわ大きいものを八畳岩と呼んでいる。八畳岩には岩陰状の窪みがあり、そこから土師器片が採集されている。C岩穴・窟
環状石籬33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山山頂尾根に立地する岩石群。近代以降の命名
お休み岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山環状石籬の近くに存在。人が休むのか神が休むのか由来不明。
元宮磐座33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山龍王山の山頂直下に位置する単独の岩石。C
龍王山経塚33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山龍王山山頂に立地。経筒を地中に埋納し、地表を小ぶりの石礫で覆った後、中心に若干大きめの石礫を寄せ固めた遺構。内部から出土した銅製経筒は鎌倉時代製作と推定されている。BCD経塚関係
岡山県BCA
八大龍王 石祠33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山天明年間(1781~1789年)の寄進といわれる石祠。天明の大飢饉に対して、雨乞いの神を迎えるために奉納された神の座所か。BBC
岡山県BAC
盗人岩/天柱岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山上部に「天柱」という字が刻まれた立石状の岩石。宗教法人福田海が刻んだ字で、以前は盗人岩と呼んでいた。盗人岩の名の由来は不明。岩石の根元からは鎌倉時代と推定される土師器片が採集されている。近代以降の命名
岡山県岩石表面に印・痕・模様が残る
夫婦岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山吉備の中山の東側斜面に存在する2体の巨岩。
不動岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山かつて有木神社の境内に位置していたと考えられる岩石。現在は福田海の敷地内にありまつられている。
内宮石33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山江戸時代の吉備津神社境内絵図に描画された11個の岩石からなる環状列石。平安末期に「内の宮」があったとされる場所。現在跡地では環状列石を確認できず。今現在確認がとれていない岩石
影向石33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山明治時代、本宮に合祀された新宮の旧社地に建てられた石碑。CB
「S山」山頂遺跡33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山内宮石のほぼ真南に位置する峰の頂上にかつてあったとされる岩石群。鉄塔建設工事で破壊され、その時に弥生時代の分銅形土製品・石剣・弥生土器片が出土したという。今は存在しない岩石
矢喰岩33岡山県岡山市北区高塚 矢喰神社大吉備津彦命が放った矢に対して、温羅が負けじと投げた岩石がぶつかって落ちたもの。C神々の力比べ・喧嘩
血吸石33岡山県岡山市北区 血吸川大吉備津彦命に退治された温羅の血が付いた岩石。C
岩倉神社 岩石群33岡山県倉敷市日畑 岩倉神社田畑の中に集積する巨岩群の中に鎮座する神社。伝承ではかつてここは岬だったといわれる。岩倉の地名は稲倉の転訛と伝えられるが、さすがに磐座からの転訛と見るのが自然。ただ巨岩群自体のいわれは残っていない。
真宮神社 列石群33岡山県倉敷市西尾 真宮神社社殿の周囲を環状に巡る列石群。南側のみ石段が築かれているため列石は巡っていない。BCA古墳が近接社殿の周囲を環状に列石で区画する。
楯築遺跡 立石遺構33岡山県倉敷市矢部弥生墳丘墓上に直立する5体の立石。墳丘墓築造と同時期の遺構とも、後世の以降ともいい定かではない。
楯築遺跡 墳丘斜面列石遺構33岡山県倉敷市矢部墳丘を巡るように一定間隔で置かれた列石。
楯築遺跡 突出部列石遺構33岡山県倉敷市矢部墳丘の両端突出部裾に貼られた列石。密に貼り敷き詰められた形態のため、土留めとしての用途が色濃い。BE
楯築遺跡 弧帯文石33岡山県倉敷市矢部墳頂下の埋葬施設上方封土中から破砕された状態で出土した弧帯文様の岩石。
亀石33岡山県倉敷市矢部 楯築神社楯築神社の神体石で、楯築遺跡出土の弧帯文石と同形態。A遺物・遺構の再利用 November 11, 2025
1RP
映画「ファイナル・デスティネーション」ホラー系でノーマークだったがこの映画はある意味で真実を言い当てている。勿論エンタテインメントだからかなりの誇張はある。しかし、この中に出てくる「死はデザインされている」というテーマはかなり現実的なものである。死が予定調和だとするこの考え方は、死のみならず、世界に起こるあらゆる出来事は"因果応報"という仏教の根底にある考え方と酷似している。
結果に対して、常に原因がある、これは多くの人がなんらかの形で経験しているはずだ。しかし、注意深く分析、考察していないと気づかない。
私は、ジャーナリストであるから常に分析と考察を繰り返している。証拠がないものは信用しない。ただし、自ら経験したものに対しては不可思議な出来事があった場合、なぜこのような結果になったのか、深く考えると、理屈では理解不能な思考に行き着くことがある。
スピリチュアルという言葉を安易に使いたくはない。英語でスピリチュアルという言葉は「敬虔な」という意味である。Are you spiritual ? は神の存在を信じるか?という意味になる。世界の圧倒的な人々は神の存在を受け入れている。殆ど無宗教なのは倭国ぐらいかもしれない。だから、この国でスピリチュアルな話をしても、頭を疑われるだけである。
だから、我が身に起こった数々の不可思議な出来事を真剣に話せば話すほど、人間性を疑われる。だから、最近、我が身に起こったことを今ここでいうべきかどうか、真剣に迷っているのだ。あと数日考えてから結論を出そうと思っている。 November 11, 2025
1RP
登拝道磐座(1)29奈良県桜井市 三輪山登拝口と山ノ神遺跡と三光の滝の3ポイントのほぼ中間に立地。三光谷の入口に位置し、登拝口から徒歩約10分の地点。禁足地
登拝道磐座(2)29奈良県桜井市 三輪山三光の滝から尾根を約15分登った山腹に、杉の巨木と共に注連縄の結界が張られた岩石群が存在。中津磐座に相当するものか。禁足地
登拝道磐座(3)29奈良県桜井市 三輪山(2)地点から5分ほど登った路傍にあり、人工的に小石を配して磐境状に仕立てた祭り場。賽銭が捧げられている。置銭・投銭祭祀
奈良県禁足地
登拝道磐座(4)29奈良県桜井市 三輪山視界の開けた広めの尾根を登り、傾斜がやや急になる坂の途中に露岩群があり、注連縄を張られている。禁足地
登拝道磐座(5)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。二重に注連縄が巻かれている。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(6)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(7)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
白山29奈良県桜井市辻眞言律宗巻向山奥不動寺のすぐ北にそびえる岩山。一面が岩盤露出していることから白山の名が付いたものと思われるが、神聖視・祭祀の痕跡は見られない。頂上が岩山
ダンノダイラの「磐座」29奈良県桜井市出雲ダンノダイラ急斜面の山肌に露出する岩崖を主体とし、岩崖の上にある2~3体の岩にも供献皿や注連縄が残されている。麓の出雲村の十二柱神社にはかつて社殿がなく、この「磐座」を拝む場だったという。年に一度出雲村の人々がダンノダイラへ登り飲み食いや相撲をして遊ぶという風習があったという、
天壇29奈良県桜井市出雲ダンノダイラマウンド頂部に集石が存在。冬至の日に天帝をまつるために設けた祭壇という説があるが真相不明。近代以降の命名
素盞鳴神社 岩石群29奈良県桜井市慈恩寺 素盞鳴神社本殿背後に露岩があり「磐座」ではないかとされるが由来不詳。
石神29奈良県桜井市忍坂 忍坂坐生根神社背後にある神体山の宮山に「石神」と呼ばれる約20個の自然石が存在するという。A
金剛寶磐石/磐座/大磐石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本尊の十一面観音菩薩の土台に使われている岩石。天平元年(729年)8月15日の夜、突如「金剛寶磐石」が土の中から現れ、磐石には仏像をしつらえるにふさわしい足跡形の穴があったことから、ここに十一面観音菩薩を立てたといわれる。BABC突如出現した岩石仏菩薩を安置するにふさわしい自然石が突如出現する。
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
ふく石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本願院が江戸時代に製作した「初瀬山之図」に記載された岩石。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気比神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂東北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気多神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝幢神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂西南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝語神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
見廻不動尊29奈良県桜井市初瀬岩崖。弘法大師が長谷寺の参籠を終えて笠山へ向かう途上ここで見かえり、ここは金剛界・胎蔵界の深理が顕現した霊場であるから、入山する者は心を定め清めなければならないと述べ、山の守り神である須彌山王の上に不動明王の御形を彫ったという。A山の入口に不動明王をまつり結界とする。
奈良県BCA
菅原道真の腰掛石29奈良県桜井市初瀬与喜天満神社の御旅所。菅原道真扮する狩衣装束の老人が腰掛けていたという岩石。切石のような形状で後世創設された可能性がある。CB休み石・腰掛石
泊瀬石29奈良県桜井市初瀬かつて滝蔵神社の近くに毘沙門天を祀る祠があり、ある時この上に雷が落ちて毘沙門天の宝塔が初瀬川に流れ落ちたが、この岩石に引っかかって止まったので、この岩石を泊瀬石と呼んだという。EC
女岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
男岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
山神遥拝所29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社与喜山・与喜天満神社の遥拝所とされる岩石。BA
奈良県BBA
八王子社29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社八王子社の祠の下に存在する岩石。BABC
鵝形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社天照大神が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
沓形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社春日大明神あるいは天児屋根命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
掌石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社太玉命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
千度まいり石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社千度参りの際の礼拝石。BBA
与喜山 A地点北西岩石群/磐座29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山2基の石灯籠を従えて玉垣の後ろに控える岩石。塔のように大きく三段から構成される岩石で、高さ3.1mを測る。
与喜山 A地点南東岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山A地点北西岩石群から南東へ10mほど進むと、急斜面に高さ2~3mの岩々が多く露出している。
与喜山 B地点下方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山1962年に杉髙講が奉献した鳥居・灯籠・狛犬などが残る尾根先端の露岩群。
与喜山 B地点上方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山B地点下方岩石群から尾根を少し登るとスパッと鋭角的な輪郭を持つ立石が存在。
与喜山 C地点岩石29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山天神山北側から登る登山道の入口東側に立地。石祠がまつられている背後に露岩がある。
与喜山 D地点岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山山頂尾根の南端に立地する東西隣り合わせの2体の岩石。西側の巨岩は高さ2~3m、幅5mほどの単体の横長石。東側の巨岩は、小さめの岩石が2個横並びになっていて、その上に支石墓の掌石のごとく高さ2m・幅5mほどの巨石が乗っかかっている構造を有する。
陽神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉諾尊也。東山腰石座御。南。」とある。所在未特定だが、A地点南東岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
陰神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉冉尊也。東山腰石座御。北。」とある。所在未特定だが、A地点北西岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
光神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「月弓尊也。東山北谷石座御。上。」とある。所在未特定だが、B地点上方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
雨神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同谷石座御。下。」とある。所在未特定だが、B地点下方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
賀茂大明神29奈良県桜井市初瀬落神『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「河中大石座御」とある。賀茂の雷神が瀧蔵権現から毘沙門天の宝塔を奪い取り去る途中でこの川中の岩石に落ちたという。下の屏風岩と同一物の可能性もある。初瀬ダム建設により水没。BABA今は存在しない岩石別の神から宝塔を奪い取った雷神が落ちた岩石。
奈良県BABC
屏風岩29奈良県桜井市初瀬落神高さ4.8mの三角形状の岩石に宝篋印塔と梵字の線刻がなされ、頂部に祠をまつっていたという。天落神六社権現の1つ。戦の時に塀代わりに使われたともいう。初瀬ダム建設により水没。BABC今は存在しない岩石
奈良県BAC
落神 山側斜面の岩盤29奈良県桜井市初瀬落神高さ97cmの宝篋印塔を刻んだ岩盤で、天落神六社権現の1つ。初瀬ダム建設により水没。BAC今は存在しない岩石
天落神六社権現 岩石祭祀事例29奈良県桜井市和田 天落神六社権現初瀬ダム建設により水没した岩石群を偲び、和田地区に遷座した天落神六社権現の境内に新たにまつられた宝篋印塔を刻んだ岩石。CB水没した岩石祭祀の場を偲んで、新たに清浄な岩石に宝篋印塔を刻んで遷座先にまつる。
弥勒菩薩石仏29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社境内にまつられた弥勒菩薩の石仏。A
観音屋敷29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社大小の岩石群が散在している場所。神聖視有無不明。
中谷休憩所 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社中谷休憩所という鞍部に存在する、注連縄の巻かれた岩石の割れ目から樹木が生えた事例。詳細由来不明。岩石割れ目から樹木、またはその逆
瀧蔵神社 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社拝殿の前に注連縄を巻かれた岩石。詳細由来不明。
猿田彦之命29奈良県桜井市小夫猿田彦之命の神名が表面に刻まれた岩石。人工的に築かれた石檀の上に置かれており神聖視されたことは確かだが、詳細由来不明。
八つ岩/八ッ岩/八箇岩/八龍王八箇石29奈良県天理市長滝町日の谷素戔男尊に斬られた八伎大蛇が八つの蛇となって天に昇り、水雷神となって聚雲の神剣に付き従って降臨した際の岩石という。朱鳥元年(686年)6月、石上神宮神主の布留宿邑智が「東の高山に神剣が発光して八つの竜が座す」という夢を見たので翌日に現地へ行ったところ、霊石八箇があり、傍らに現れた小童の口から「この地に降臨して人々を守ろうと思う」という神託があったため、出雲建雄神社を造ってまつった。BAA生き物が石化したもの八岐大蛇が八つに分裂して降臨した姿とも、八岐大蛇が降臨した岩石ともいう。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県CA最初の一回だけ磐座機能
天狗岩29奈良県天理市長滝町日の谷八つ岩の近くに残るという地名。今現在確認がとれていない岩石
九頭神社 岩石29奈良県天理市長滝町 九頭神社本殿の背後にある岩石。神聖視有無不明。
八龍王八箇石29奈良県天理市 大国見山八伎大蛇が素盞鳴命に八つ裂きされたのが天から落ちてきた名残の岩石群。日の谷の八つ岩との関連性は不明。
大阪山口神社 岩石群29奈良県香芝市穴虫 大阪山口神社本殿の背後にある露岩群。神聖視有無不明。
石光山 岩石群29奈良県御所市元町 石光山触ると火が出るといわれている巨岩群。隣接して祠がまつられている。山名の由来の可能性もある。石組・石室状の構造を持つものもあるが自然・人為含めて不明点が多い。石光山古墳群の群集墳の合間に存在する。祟り伝承
奈良県岩石から煙・光・火・気などが出る
奈良県古墳が近接
唐笠山 十一面観音29奈良県御所市朝町 唐笠山大穴持神社の鎮座する唐笠山の山頂近くにある露岩。岩石表面に十一面観音が線刻されているという。A
平群石床神社/岩神29奈良県生駒郡平群町越木塚 平群石床神社旧社地里山の裾に露出する岩壁。石床という名と立地から元は磐座だった可能性があり、江戸時代の絵図には岩神と書かれていることから、後世に石神に変化したと考えられる。陰石として女性の病や下半身の病に霊験がある。BABA磐座から石神に変化し、社殿なしのまま神社としてまつる。
奈良県A
神籠石/神護石29奈良県生駒郡平群町越木塚 石床神社拝殿の奥に置かれている岩石。詳細由来不明。
舟石/船石29奈良県生駒郡平群町三里 宮山延喜式内船山神社の祭神が降臨した時に乗った船とされる3体の船形石。CA物品が石化したもの
陽石29奈良県生駒郡平群町三里 船山神社麓の現・船山神社境内に置かれた立石。宮山中腹の中ノ宮(船山神社旧社地)から移設したものという。原位置から移動伝承
夫婦岩/天狗岩/三間石山巨石遺構29奈良県生駒郡平群町櫟原字三石3体の巨岩を中心に大小の岩石群が群集。現在、3体の内の2体に、多数の木の枝が岩に立てかけられている。『住吉大社神代記』の中の、住吉大神が母木里(東大阪市豊浦町付近)と高安国(大阪府八尾市付近)の境に置いた「諍石」に該当するという説がある。岩石に多数の木の枝を立てかける。
十三塚 祭壇状石組29奈良県生駒郡平群町福貴畑塚の手前に、岩石を用いて方形に囲った遺構。区画内に何らかの祭祀具を置いたものと推測されるが確証はない。築造時期は江戸中期以前といわれるが特定できていない。
十三峠地蔵菩薩29奈良県生駒郡平群町福貴畑峠の道標の横に立てられ、明和2年(1765年)の製作の石仏。A
両童子岩29奈良県吉野郡天川村 大峯山高さ約10mの2体の立岩。修験者が一方に登り、その後もう一方に飛び移る修行をする場。BCE巨岩に登り、別の巨岩に飛び移る修行。
子安石30和歌山県新宮市阿須賀 阿須賀神社子安社としてまつられる岩石。子宝安産を祈願する人々が、王子が浜から白石を拾い子安石に奉納して願掛けをする。A可動的性質
和歌山県BBC
蓬莱山遺跡30和歌山県新宮市阿須賀 蓬莱山山中の上オンビ・下オンビと称する場所から、自然石を壁として利用し、その前面三方に石を組み合わせた石室遺構が見つかり、そこから平安~室町時代の御正体194枚や経塚関係遺物(経筒片・経石など)が出土。他に弥生時代の土器、古墳時代の手づくね土器・滑石製模造品も出土。BCD経塚関係山中の自然石を利用して石室を作り、それを経塚とする。
千引岩/千引の岩/宮井戸遺跡30和歌山県新宮市蓬莱かつて海岸の小島だったとされる場所で、飛鳥行人が祭祀していた場所ともいい、黄泉道守命をまつる宮井戸社があった。弥生土器と一字一石経が出土し、千引岩の表面には鎌倉時代あるいは室町時代の「キリーク(大威徳明王)」「カーンマーン(不動明王)」の梵字が刻まれている。A
白玉稲荷神社30和歌山県新宮市蓬莱社殿に接して3体の球状の巨岩が存在。
ゴトビキ岩/琴引岩/神倉山遺跡30和歌山県新宮市神倉 神倉山神倭国磐余彦が熊野に上陸して最初に祈願した霊地「天磐盾」の上部、あるいは、高倉下命が高甕雷神から神剣を授かった場所、さらには熊野三所大神が最初に地上に降臨した場所といわれる巨岩。岩の裾部から中世の経塚群や弥生時代の銅鐸などが出土した。BCC経塚関係司祭者が座す場所でありながら、神が降臨する場所でもある。銅鐸と経塚の伴出。
和歌山県BABA
和歌山県BCD
鏡石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
唐斗石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
平石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社実方院跡に所在。七石
三ッ石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社珍重庵右横に所在。七石
烏石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社熊野那智大社の遥拝所奥にある岩石。神倭国磐余彦の道案内をした八咫鳥が石化したというもの。C七石
和歌山県生き物が石化したもの
和歌山県秘匿されている岩石
笈掛石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町熊野那智大社と青岸渡寺の間に所在。七石
降石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 青岸渡寺宿坊の尊勝院の裏庭に所在。天から落ちてきたという岩石。七石
和歌山県可動的性質
河内様/河内神社/清暑島30和歌山県東牟婁郡古座川町古座川に浮かぶ小島で、島全体が河内神社としてまつられている。島頂に一枚岩が存在。古座川の川神をまつる場所。BABC禁足地7月の河内祭では、河内様に古座川の清水(潮)を奉納する。
西の倉30和歌山県東牟婁郡古座川町河内様の上流にそびえる岩山。EC
重畳山30和歌山県東牟婁郡串本町橋杭岩と同じ成因による岩脈が残る山。山内に重畳山神社・神王寺と石仏群が存在。EC
橋杭岩30和歌山県東牟婁郡串本町串本の沖から紀伊大島に向かって立ち並ぶ岩の列。太古のマグマによって形成された岩脈が、黒潮の浸食で削られたもの。弘法大師あるいは太吉という村の正直者が一晩で架けようとした橋脚の跡と伝えられる。C
和歌山県EC
高塚の森30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬潮御崎神社の神域とされる森。マウンドと露岩群があり、応神天皇の侍従の墓と伝えられ、かつて小祠があったという。マウンド南西に列石・土堤・平坦地形が指摘され、測量調査が実施される。また、夏至に平坦地形からマウンドを望むと、露岩群から太陽が上ってくることが確認され、高塚の森は太陽祭祀の場だったとする説が出されたが、そのことを裏付ける文献記録や遺物の存在に欠ける。夏至の日に、平坦地からマウンドの露岩の頭上に日の出の太陽を望む太陽祭祀の可能性が指摘されている。
盃岩30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬 旭之森神功皇后が酒宴を催した際に杯を置いたという岩石。C
阪田山遺跡 環状配石遺構30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田山腹斜面に自然露出の岩盤が広がり、その下方に弧状列石、焚火址2ヶ所・環状配石を検出。環状配石遺構は、大小の砂岩16個を直径約1mの環状に配置され、配石の内側からは臼玉約2000点の他、包含層上部からは有孔円板・剣形製品・勾玉・管玉が偏って出土した。環状配石は祭祀具配置空間を明示する遺構あるいは祭祀終了後の廃棄場所を区画する遺構だった可能性がある。BCD環状配石の内外で土砂の種類、遺物の出土点数に差がある。配石内に遺物があまりに多量ということと、臼玉とそれ以外の遺物に出土位置の差が見られるため、祭祀具配置・埋納・廃棄跡など様々な機能が推測される。
和歌山県DB
阪田山遺跡 弧状列石30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田岩盤の下方斜面に弧状・壇状に配された岩石群。自然の露岩の可能性もある。
阪田山遺跡 岩盤30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田遺跡における祭祀対象と推測されている岩盤。遺跡中最も最高所の斜面に立地。
かろと石30和歌山県田辺市秋津川僧が石を煮て食べ、行をしてから岩石の中に入り、そのまま出なかった。これをかろと石と呼ぶ。BCE岩石の中に籠る
和歌山県BAC
白山 岩石群30和歌山県有田郡有田川町 白山田殿丹生神社の裏山である白山の中腹に、数十mはあろうかという巨岩が屹立し麓から仰ぐことができる。磐座ではないかという説があるが、歴史的に裏付ける明確な資料が確認できない。白山自体は神聖視されており、山頂に白山神社が鎮座。
タテリ岩/一の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮山頂にある高さ5.5mの蛇紋岩。康平6年(1063年)、ここに最初に宮を建てて一の宮と称したとの貴志川八幡宮の社伝がある。CA
中宮/中の宮/上の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮康平6年(1063年)に一の宮を設けた30年後、山腹に遷座して上の宮と称したといわれる場所で、多くの自然石が群集している。周辺一帯の自然石の上面や岩陰から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品が見つかっている。CA
岸宮中宮遺跡 環状配石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮中宮の自然石の群れの西に隣接。20数個の角礫を直径約1.5mの環状に巡らせた遺構で、石同士は粘土で固定され、配石内部は石敷きがされていた。1mほど東からは常時湧水を溜めていた井戸遺構を検出。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
岸宮中宮遺跡 敷石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮環状配石遺構の西に隣接。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
前庭/庭園/石組(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮 貴志川八幡宮社殿前の石段脇にある岩石群。安土桃山時代の製作の庭園とされているが、山裾の磐座に手を加えたものとする説もある。EC
七福の庭30和歌山県和歌山市 和歌山城紀州徳川藩祖の徳川頼宣が、紀州藩の隆盛を祈念して1621年(元和7年)に作った石庭。七福神が船に乗っている様子を岩石に擬して配置したもの。かつて本丸御殿の中央にあったが1923年に現在地に移転した。BBC原位置から移動伝承人工的に信仰対象の岩石を製作・奉献して守護神にする。
和歌山県A
弁財天山30和歌山県和歌山市 和歌山城南かつて和歌山城敷地内にあったとされる岩山。麓には紀州徳川勧請神社・子供観音があるほか、山の神の石碑が残されている。頂上が岩山
後醍醐天皇お腰掛けの岩31鳥取県西伯郡大山町御来屋後醍醐天皇が腰掛けた岩石。この岩石に船をつないでおくと流されることはないという。CC休み石・腰掛石
産石31鳥取県米子市橋本 阿陀萱神社天から落ちてきた岩石で、産石神社を建ててまつったという。A可動的性質
金鶏石31鳥取県米子市上新印 圓福寺箱と蓋の2つから構成される岩石構造物で、中には金の鶏(鳩とも)が入っており、元旦に泣いて福を与えてくれたという。かつて別の場所の寺にあり、小僧が開けてしまい金鶏は逃げてしまったので、和尚は逃げてしまった現在地に寺と金鶏石ごと移転したという。BAC黄金の何かが隠されているという伝説
鳥取県EC原位置から移動伝承
赤猪岩31鳥取県西伯郡南部町寺内 赤猪岩神社倭国神話で大国主命を焼き殺した猪岩を土中に封印し、その上に大きな蓋石と玉垣を施し禁忌とした。EA可動的性質不敬の岩石を土中に埋め、蓋石で封じ込める。
鳥取県BBB禁忌が厳しい
越路遺跡31鳥取県鳥取市越路宮丸山立地は麓近くの丘陵斜面。地表下約0.5-1mの辺りで、大ぶりの板石の下から銅鐸1出土。今は存在しない岩石
影石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
重石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
富士石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
天狗石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
万灯石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
双履石31鳥取県鳥取市国府町宮下 宇倍神社武内宿禰が亡くなる前に残したといわれる草履の石化したもの。地中に竪穴式石槨が眠っていることが分かり、古墳石材の一部ということが判明した。C物品が石化したもの
鳥取県遺物・遺構の再利用
岡益の石堂31鳥取県鳥取市国府町岡益安徳天皇陵と伝えられる石造遺構。石檀の上に板石で側壁を造り、中心にエンタシス調の石塔を立てた構造物。製作年代、元来の用途共に不明。聖者が亡くなった場所
羽衣石31鳥取県東伯郡湯梨浜町 羽衣石山天女が水浴びをするため自らの羽衣をかけていた岩石。裾に天女をまつる祠を設けている。C
安産岩31鳥取県東伯郡東郷町宮内 宮内倭文神社難産に苦しんだ妊婦が宮内倭文神社に祈願したところ、この岩石の前で安産したという。以降、安産の霊験を持つ岩石として信仰される。A
春日シヌン谷遺跡32島根県八束郡東出雲町春日シヌン谷露岩群の裾から手捏土器など出土。平野部からかなり奥まった丘陵斜面に位置するが、露岩群の近くに住居址状のテラス4ヶ所検出。今は存在しない岩石
座王さん32島根県松江市鹿島町佐陀本郷 恵曇神社恵曇神社祭神の磐坂日子命が腰掛けたという岩石。C休み石・腰掛石
志谷奥遺跡32島根県松江市鹿島町佐陀本郷字志谷奥高さ1.5mほどの2体の巨石の1.5mほど離れた場所の地中の下層から銅鐸2点、上層から銅剣6点が整然と出土。今は存在しない岩石
元宮/磐座32島根県松江市八雲町熊野 天狗山出雲国一宮熊野大社の元宮と伝えられる山頂付近の露岩群。現在は毎年5月に供物を捧げる元宮祭が行なわれている。BA
島根県CA
犬石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた犬が石化したもの。C生き物が石化したもの
猪石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた猪が石化したもの。C生き物が石化したもの
女夫岩さん/宍岩さん/女夫岩遺跡32島根県松江市宍道町白石2体の巨岩を中心とし、手前に石壇を有する遺跡。古墳時代中期・後期の土器、近世・近代の遺物が出土。石壇も近世・近代のものと推測される。『出雲国風土記』の猪石の候補地。
真玉/真玉さん/願い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社湯山主之大神(大己貴命)としてまつられてきた自然の丸石。近年「願い石」と呼ばれ、「叶い石」を使った信仰が生まれる。A近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
島根県BBD
叶い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社神社で販売している小石。この小石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に移り、自分のお守りになるという。近年考案された祭祀。BBD近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
御守石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社勾玉の原石。別の場所に保管されていたが、近年の「願い石」信仰を受けて境内に移設されて名付けられる。BD近代以降の命名
夫婦岩32島根県雲南市大東町須賀 八雲山山腹に立地する、須賀神社の奥宮とされる3体の巨岩を中心とする岩石群。それぞれ須佐之男命・奇稲田比売命・清之湯山主三名狭漏彦八島野命をまつる。BAC
島根県CA
大岩32島根県雲南市加茂町岩倉大岩の下には金鶏がおり、大晦日にだけ鳴き声を出し、それを聞いた者は巨万の富を得ることができるという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
矢櫃神社 岩石群32島根県雲南市加茂町岩倉矢櫃神社の旧社地の背後に露出する岩石群。岩倉の地名の元ともいわれるが詳細由来不明。
成長石32島根県雲南市三刀屋町多久和 飯石神社ある日突然天から落ちてきた岩石といい、日に日に岩石が大きくなるので、村人達が神様として神社を建ててまつったのが飯石神社の始まりという。明治時代の遷宮工事の際、この岩石の周辺から古墳時代の須恵器片が出土した。A突如出現した岩石
島根県岩石が満ち欠け・増減・出産する
島根県可動的性質
岩坪/岩坪さん/岩坪明神32島根県出雲市東神西町 那売佐神社川床の岩盤に甌穴が開いたもの。神が生まれた時に産湯に使ったという。甌穴は普段砂で埋まっているが、旱魃の時に砂を掘り出して雨乞いすると雨が降るという。C岩穴・窟甌穴に埋まった砂を掘り出すと雨が降る。
島根県BBD
烏帽子岩/石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された楯縫郡神名樋山の石神。日照りの時に雨乞いをすると必ず雨が降るという。A
小石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された、楯縫郡神名樋山の石神の周囲に群集する百余の小石神。この一帯及び付近の滝壺から古墳時代の土師器片が発見されている。A石神の周囲に付き従って百余の小石神の存在が記載される。
島根県BD
命主神社遺跡32島根県出雲市大社町 出雲大社命主神社は出雲大社の境内摂社。江戸時代の社殿改修時、社殿背後の大岩の下から弥生時代の銅戈4点、ヒスイ製勾玉が出土した。今は存在しない岩石
首岩32島根県出雲市佐田町反辺 多倍神社素盞鳴尊が退治した鬼の首を地中に埋め、地表に岩石で蓋をして封じたもの。この岩石に触れると鬼の血が付くといわれている。BBB岩石から血が出る鬼の首を埋めて岩石で蓋をして鎮める。
島根県C
上方林遺跡32島根県仁多郡奥出雲町下横田字上方林丘陵斜面において配石遺構が2ヶ所で出土し、近くに須恵器大甕・金銅製金具、土馬などが配置されていたと報告されている。今は存在しない岩石
大神岩/窟32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の窟。内部に所造天下大神の御琴と記載された石の亀裂がある。BCA岩穴・窟神の琴を納めた窟がある。
島根県BAC岩石表面に印・痕・模様が残る
烏帽子岩/石神32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の石神に比定されている巨岩。他にも周囲に巨岩があるため異説もある。A
婆石32島根県邑智郡邑南町作木下の爺石に毎年米一粒ずつ近づいており、爺石に接すると近くの江川が大海になるという。EC岩石が動く
爺石32島根県邑智郡邑南町江平下瀬上の婆石に毎年米一粒ずつ近づいており、婆石に接すると近くの江川が大海になるという。EC岩石が動く
水枕石33岡山県新見市大佐上刑部人が亡くなると、川から拾ってきた石を枕飯の横に置く。BBB可動的性質人が亡くなると、川から拾ってきた石を枕飯の横に置く。
岡山県BBC November 11, 2025
1RP
登拝道磐座(1)29奈良県桜井市 三輪山登拝口と山ノ神遺跡と三光の滝の3ポイントのほぼ中間に立地。三光谷の入口に位置し、登拝口から徒歩約10分の地点。禁足地
登拝道磐座(2)29奈良県桜井市 三輪山三光の滝から尾根を約15分登った山腹に、杉の巨木と共に注連縄の結界が張られた岩石群が存在。中津磐座に相当するものか。禁足地
登拝道磐座(3)29奈良県桜井市 三輪山(2)地点から5分ほど登った路傍にあり、人工的に小石を配して磐境状に仕立てた祭り場。賽銭が捧げられている。置銭・投銭祭祀
奈良県禁足地
登拝道磐座(4)29奈良県桜井市 三輪山視界の開けた広めの尾根を登り、傾斜がやや急になる坂の途中に露岩群があり、注連縄を張られている。禁足地
登拝道磐座(5)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。二重に注連縄が巻かれている。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(6)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(7)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
白山29奈良県桜井市辻眞言律宗巻向山奥不動寺のすぐ北にそびえる岩山。一面が岩盤露出していることから白山の名が付いたものと思われるが、神聖視・祭祀の痕跡は見られない。頂上が岩山
ダンノダイラの「磐座」29奈良県桜井市出雲ダンノダイラ急斜面の山肌に露出する岩崖を主体とし、岩崖の上にある2~3体の岩にも供献皿や注連縄が残されている。麓の出雲村の十二柱神社にはかつて社殿がなく、この「磐座」を拝む場だったという。年に一度出雲村の人々がダンノダイラへ登り飲み食いや相撲をして遊ぶという風習があったという、
天壇29奈良県桜井市出雲ダンノダイラマウンド頂部に集石が存在。冬至の日に天帝をまつるために設けた祭壇という説があるが真相不明。近代以降の命名
素盞鳴神社 岩石群29奈良県桜井市慈恩寺 素盞鳴神社本殿背後に露岩があり「磐座」ではないかとされるが由来不詳。
石神29奈良県桜井市忍坂 忍坂坐生根神社背後にある神体山の宮山に「石神」と呼ばれる約20個の自然石が存在するという。A
金剛寶磐石/磐座/大磐石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本尊の十一面観音菩薩の土台に使われている岩石。天平元年(729年)8月15日の夜、突如「金剛寶磐石」が土の中から現れ、磐石には仏像をしつらえるにふさわしい足跡形の穴があったことから、ここに十一面観音菩薩を立てたといわれる。BABC突如出現した岩石仏菩薩を安置するにふさわしい自然石が突如出現する。
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
ふく石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本願院が江戸時代に製作した「初瀬山之図」に記載された岩石。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気比神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂東北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気多神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝幢神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂西南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝語神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
見廻不動尊29奈良県桜井市初瀬岩崖。弘法大師が長谷寺の参籠を終えて笠山へ向かう途上ここで見かえり、ここは金剛界・胎蔵界の深理が顕現した霊場であるから、入山する者は心を定め清めなければならないと述べ、山の守り神である須彌山王の上に不動明王の御形を彫ったという。A山の入口に不動明王をまつり結界とする。
奈良県BCA
菅原道真の腰掛石29奈良県桜井市初瀬与喜天満神社の御旅所。菅原道真扮する狩衣装束の老人が腰掛けていたという岩石。切石のような形状で後世創設された可能性がある。CB休み石・腰掛石
泊瀬石29奈良県桜井市初瀬かつて滝蔵神社の近くに毘沙門天を祀る祠があり、ある時この上に雷が落ちて毘沙門天の宝塔が初瀬川に流れ落ちたが、この岩石に引っかかって止まったので、この岩石を泊瀬石と呼んだという。EC
女岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
男岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
山神遥拝所29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社与喜山・与喜天満神社の遥拝所とされる岩石。BA
奈良県BBA
八王子社29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社八王子社の祠の下に存在する岩石。BABC
鵝形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社天照大神が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
沓形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社春日大明神あるいは天児屋根命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
掌石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社太玉命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
千度まいり石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社千度参りの際の礼拝石。BBA
与喜山 A地点北西岩石群/磐座29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山2基の石灯籠を従えて玉垣の後ろに控える岩石。塔のように大きく三段から構成される岩石で、高さ3.1mを測る。
与喜山 A地点南東岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山A地点北西岩石群から南東へ10mほど進むと、急斜面に高さ2~3mの岩々が多く露出している。
与喜山 B地点下方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山1962年に杉髙講が奉献した鳥居・灯籠・狛犬などが残る尾根先端の露岩群。
与喜山 B地点上方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山B地点下方岩石群から尾根を少し登るとスパッと鋭角的な輪郭を持つ立石が存在。
与喜山 C地点岩石29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山天神山北側から登る登山道の入口東側に立地。石祠がまつられている背後に露岩がある。
与喜山 D地点岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山山頂尾根の南端に立地する東西隣り合わせの2体の岩石。西側の巨岩は高さ2~3m、幅5mほどの単体の横長石。東側の巨岩は、小さめの岩石が2個横並びになっていて、その上に支石墓の掌石のごとく高さ2m・幅5mほどの巨石が乗っかかっている構造を有する。
陽神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉諾尊也。東山腰石座御。南。」とある。所在未特定だが、A地点南東岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
陰神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉冉尊也。東山腰石座御。北。」とある。所在未特定だが、A地点北西岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
光神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「月弓尊也。東山北谷石座御。上。」とある。所在未特定だが、B地点上方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
雨神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同谷石座御。下。」とある。所在未特定だが、B地点下方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
賀茂大明神29奈良県桜井市初瀬落神『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「河中大石座御」とある。賀茂の雷神が瀧蔵権現から毘沙門天の宝塔を奪い取り去る途中でこの川中の岩石に落ちたという。下の屏風岩と同一物の可能性もある。初瀬ダム建設により水没。BABA今は存在しない岩石別の神から宝塔を奪い取った雷神が落ちた岩石。
奈良県BABC
屏風岩29奈良県桜井市初瀬落神高さ4.8mの三角形状の岩石に宝篋印塔と梵字の線刻がなされ、頂部に祠をまつっていたという。天落神六社権現の1つ。戦の時に塀代わりに使われたともいう。初瀬ダム建設により水没。BABC今は存在しない岩石
奈良県BAC
落神 山側斜面の岩盤29奈良県桜井市初瀬落神高さ97cmの宝篋印塔を刻んだ岩盤で、天落神六社権現の1つ。初瀬ダム建設により水没。BAC今は存在しない岩石
天落神六社権現 岩石祭祀事例29奈良県桜井市和田 天落神六社権現初瀬ダム建設により水没した岩石群を偲び、和田地区に遷座した天落神六社権現の境内に新たにまつられた宝篋印塔を刻んだ岩石。CB水没した岩石祭祀の場を偲んで、新たに清浄な岩石に宝篋印塔を刻んで遷座先にまつる。
弥勒菩薩石仏29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社境内にまつられた弥勒菩薩の石仏。A
観音屋敷29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社大小の岩石群が散在している場所。神聖視有無不明。
中谷休憩所 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社中谷休憩所という鞍部に存在する、注連縄の巻かれた岩石の割れ目から樹木が生えた事例。詳細由来不明。岩石割れ目から樹木、またはその逆
瀧蔵神社 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社拝殿の前に注連縄を巻かれた岩石。詳細由来不明。
猿田彦之命29奈良県桜井市小夫猿田彦之命の神名が表面に刻まれた岩石。人工的に築かれた石檀の上に置かれており神聖視されたことは確かだが、詳細由来不明。
八つ岩/八ッ岩/八箇岩/八龍王八箇石29奈良県天理市長滝町日の谷素戔男尊に斬られた八伎大蛇が八つの蛇となって天に昇り、水雷神となって聚雲の神剣に付き従って降臨した際の岩石という。朱鳥元年(686年)6月、石上神宮神主の布留宿邑智が「東の高山に神剣が発光して八つの竜が座す」という夢を見たので翌日に現地へ行ったところ、霊石八箇があり、傍らに現れた小童の口から「この地に降臨して人々を守ろうと思う」という神託があったため、出雲建雄神社を造ってまつった。BAA生き物が石化したもの八岐大蛇が八つに分裂して降臨した姿とも、八岐大蛇が降臨した岩石ともいう。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県CA最初の一回だけ磐座機能
天狗岩29奈良県天理市長滝町日の谷八つ岩の近くに残るという地名。今現在確認がとれていない岩石
九頭神社 岩石29奈良県天理市長滝町 九頭神社本殿の背後にある岩石。神聖視有無不明。
八龍王八箇石29奈良県天理市 大国見山八伎大蛇が素盞鳴命に八つ裂きされたのが天から落ちてきた名残の岩石群。日の谷の八つ岩との関連性は不明。
大阪山口神社 岩石群29奈良県香芝市穴虫 大阪山口神社本殿の背後にある露岩群。神聖視有無不明。
石光山 岩石群29奈良県御所市元町 石光山触ると火が出るといわれている巨岩群。隣接して祠がまつられている。山名の由来の可能性もある。石組・石室状の構造を持つものもあるが自然・人為含めて不明点が多い。石光山古墳群の群集墳の合間に存在する。祟り伝承
奈良県岩石から煙・光・火・気などが出る
奈良県古墳が近接
唐笠山 十一面観音29奈良県御所市朝町 唐笠山大穴持神社の鎮座する唐笠山の山頂近くにある露岩。岩石表面に十一面観音が線刻されているという。A
平群石床神社/岩神29奈良県生駒郡平群町越木塚 平群石床神社旧社地里山の裾に露出する岩壁。石床という名と立地から元は磐座だった可能性があり、江戸時代の絵図には岩神と書かれていることから、後世に石神に変化したと考えられる。陰石として女性の病や下半身の病に霊験がある。BABA磐座から石神に変化し、社殿なしのまま神社としてまつる。
奈良県A
神籠石/神護石29奈良県生駒郡平群町越木塚 石床神社拝殿の奥に置かれている岩石。詳細由来不明。
舟石/船石29奈良県生駒郡平群町三里 宮山延喜式内船山神社の祭神が降臨した時に乗った船とされる3体の船形石。CA物品が石化したもの
陽石29奈良県生駒郡平群町三里 船山神社麓の現・船山神社境内に置かれた立石。宮山中腹の中ノ宮(船山神社旧社地)から移設したものという。原位置から移動伝承
夫婦岩/天狗岩/三間石山巨石遺構29奈良県生駒郡平群町櫟原字三石3体の巨岩を中心に大小の岩石群が群集。現在、3体の内の2体に、多数の木の枝が岩に立てかけられている。『住吉大社神代記』の中の、住吉大神が母木里(東大阪市豊浦町付近)と高安国(大阪府八尾市付近)の境に置いた「諍石」に該当するという説がある。岩石に多数の木の枝を立てかける。
十三塚 祭壇状石組29奈良県生駒郡平群町福貴畑塚の手前に、岩石を用いて方形に囲った遺構。区画内に何らかの祭祀具を置いたものと推測されるが確証はない。築造時期は江戸中期以前といわれるが特定できていない。
十三峠地蔵菩薩29奈良県生駒郡平群町福貴畑峠の道標の横に立てられ、明和2年(1765年)の製作の石仏。A
両童子岩29奈良県吉野郡天川村 大峯山高さ約10mの2体の立岩。修験者が一方に登り、その後もう一方に飛び移る修行をする場。BCE巨岩に登り、別の巨岩に飛び移る修行。
子安石30和歌山県新宮市阿須賀 阿須賀神社子安社としてまつられる岩石。子宝安産を祈願する人々が、王子が浜から白石を拾い子安石に奉納して願掛けをする。A可動的性質
和歌山県BBC
蓬莱山遺跡30和歌山県新宮市阿須賀 蓬莱山山中の上オンビ・下オンビと称する場所から、自然石を壁として利用し、その前面三方に石を組み合わせた石室遺構が見つかり、そこから平安~室町時代の御正体194枚や経塚関係遺物(経筒片・経石など)が出土。他に弥生時代の土器、古墳時代の手づくね土器・滑石製模造品も出土。BCD経塚関係山中の自然石を利用して石室を作り、それを経塚とする。
千引岩/千引の岩/宮井戸遺跡30和歌山県新宮市蓬莱かつて海岸の小島だったとされる場所で、飛鳥行人が祭祀していた場所ともいい、黄泉道守命をまつる宮井戸社があった。弥生土器と一字一石経が出土し、千引岩の表面には鎌倉時代あるいは室町時代の「キリーク(大威徳明王)」「カーンマーン(不動明王)」の梵字が刻まれている。A
白玉稲荷神社30和歌山県新宮市蓬莱社殿に接して3体の球状の巨岩が存在。
ゴトビキ岩/琴引岩/神倉山遺跡30和歌山県新宮市神倉 神倉山神倭国磐余彦が熊野に上陸して最初に祈願した霊地「天磐盾」の上部、あるいは、高倉下命が高甕雷神から神剣を授かった場所、さらには熊野三所大神が最初に地上に降臨した場所といわれる巨岩。岩の裾部から中世の経塚群や弥生時代の銅鐸などが出土した。BCC経塚関係司祭者が座す場所でありながら、神が降臨する場所でもある。銅鐸と経塚の伴出。
和歌山県BABA
和歌山県BCD
鏡石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
唐斗石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
平石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社実方院跡に所在。七石
三ッ石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社珍重庵右横に所在。七石
烏石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社熊野那智大社の遥拝所奥にある岩石。神倭国磐余彦の道案内をした八咫鳥が石化したというもの。C七石
和歌山県生き物が石化したもの
和歌山県秘匿されている岩石
笈掛石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町熊野那智大社と青岸渡寺の間に所在。七石
降石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 青岸渡寺宿坊の尊勝院の裏庭に所在。天から落ちてきたという岩石。七石
和歌山県可動的性質
河内様/河内神社/清暑島30和歌山県東牟婁郡古座川町古座川に浮かぶ小島で、島全体が河内神社としてまつられている。島頂に一枚岩が存在。古座川の川神をまつる場所。BABC禁足地7月の河内祭では、河内様に古座川の清水(潮)を奉納する。
西の倉30和歌山県東牟婁郡古座川町河内様の上流にそびえる岩山。EC
重畳山30和歌山県東牟婁郡串本町橋杭岩と同じ成因による岩脈が残る山。山内に重畳山神社・神王寺と石仏群が存在。EC
橋杭岩30和歌山県東牟婁郡串本町串本の沖から紀伊大島に向かって立ち並ぶ岩の列。太古のマグマによって形成された岩脈が、黒潮の浸食で削られたもの。弘法大師あるいは太吉という村の正直者が一晩で架けようとした橋脚の跡と伝えられる。C
和歌山県EC
高塚の森30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬潮御崎神社の神域とされる森。マウンドと露岩群があり、応神天皇の侍従の墓と伝えられ、かつて小祠があったという。マウンド南西に列石・土堤・平坦地形が指摘され、測量調査が実施される。また、夏至に平坦地形からマウンドを望むと、露岩群から太陽が上ってくることが確認され、高塚の森は太陽祭祀の場だったとする説が出されたが、そのことを裏付ける文献記録や遺物の存在に欠ける。夏至の日に、平坦地からマウンドの露岩の頭上に日の出の太陽を望む太陽祭祀の可能性が指摘されている。
盃岩30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬 旭之森神功皇后が酒宴を催した際に杯を置いたという岩石。C
阪田山遺跡 環状配石遺構30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田山腹斜面に自然露出の岩盤が広がり、その下方に弧状列石、焚火址2ヶ所・環状配石を検出。環状配石遺構は、大小の砂岩16個を直径約1mの環状に配置され、配石の内側からは臼玉約2000点の他、包含層上部からは有孔円板・剣形製品・勾玉・管玉が偏って出土した。環状配石は祭祀具配置空間を明示する遺構あるいは祭祀終了後の廃棄場所を区画する遺構だった可能性がある。BCD環状配石の内外で土砂の種類、遺物の出土点数に差がある。配石内に遺物があまりに多量ということと、臼玉とそれ以外の遺物に出土位置の差が見られるため、祭祀具配置・埋納・廃棄跡など様々な機能が推測される。
和歌山県DB
阪田山遺跡 弧状列石30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田岩盤の下方斜面に弧状・壇状に配された岩石群。自然の露岩の可能性もある。
阪田山遺跡 岩盤30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田遺跡における祭祀対象と推測されている岩盤。遺跡中最も最高所の斜面に立地。
かろと石30和歌山県田辺市秋津川僧が石を煮て食べ、行をしてから岩石の中に入り、そのまま出なかった。これをかろと石と呼ぶ。BCE岩石の中に籠る
和歌山県BAC
白山 岩石群30和歌山県有田郡有田川町 白山田殿丹生神社の裏山である白山の中腹に、数十mはあろうかという巨岩が屹立し麓から仰ぐことができる。磐座ではないかという説があるが、歴史的に裏付ける明確な資料が確認できない。白山自体は神聖視されており、山頂に白山神社が鎮座。
タテリ岩/一の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮山頂にある高さ5.5mの蛇紋岩。康平6年(1063年)、ここに最初に宮を建てて一の宮と称したとの貴志川八幡宮の社伝がある。CA
中宮/中の宮/上の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮康平6年(1063年)に一の宮を設けた30年後、山腹に遷座して上の宮と称したといわれる場所で、多くの自然石が群集している。周辺一帯の自然石の上面や岩陰から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品が見つかっている。CA
岸宮中宮遺跡 環状配石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮中宮の自然石の群れの西に隣接。20数個の角礫を直径約1.5mの環状に巡らせた遺構で、石同士は粘土で固定され、配石内部は石敷きがされていた。1mほど東からは常時湧水を溜めていた井戸遺構を検出。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
岸宮中宮遺跡 敷石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮環状配石遺構の西に隣接。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
前庭/庭園/石組(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮 貴志川八幡宮社殿前の石段脇にある岩石群。安土桃山時代の製作の庭園とされているが、山裾の磐座に手を加えたものとする説もある。EC
七福の庭30和歌山県和歌山市 和歌山城紀州徳川藩祖の徳川頼宣が、紀州藩の隆盛を祈念して1621年(元和7年)に作った石庭。七福神が船に乗っている様子を岩石に擬して配置したもの。かつて本丸御殿の中央にあったが1923年に現在地に移転した。BBC原位置から移動伝承人工的に信仰対象の岩石を製作・奉献して守護神にする。
和歌山県A
弁財天山30和歌山県和歌山市 和歌山城南かつて和歌山城敷地内にあったとされる岩山。麓には紀州徳川勧請神社・子供観音があるほか、山の神の石碑が残されている。頂上が岩山
後醍醐天皇お腰掛けの岩31鳥取県西伯郡大山町御来屋後醍醐天皇が腰掛けた岩石。この岩石に船をつないでおくと流されることはないという。CC休み石・腰掛石
産石31鳥取県米子市橋本 阿陀萱神社天から落ちてきた岩石で、産石神社を建ててまつったという。A可動的性質
金鶏石31鳥取県米子市上新印 圓福寺箱と蓋の2つから構成される岩石構造物で、中には金の鶏(鳩とも)が入っており、元旦に泣いて福を与えてくれたという。かつて別の場所の寺にあり、小僧が開けてしまい金鶏は逃げてしまったので、和尚は逃げてしまった現在地に寺と金鶏石ごと移転したという。BAC黄金の何かが隠されているという伝説
鳥取県EC原位置から移動伝承
赤猪岩31鳥取県西伯郡南部町寺内 赤猪岩神社倭国神話で大国主命を焼き殺した猪岩を土中に封印し、その上に大きな蓋石と玉垣を施し禁忌とした。EA可動的性質不敬の岩石を土中に埋め、蓋石で封じ込める。
鳥取県BBB禁忌が厳しい
越路遺跡31鳥取県鳥取市越路宮丸山立地は麓近くの丘陵斜面。地表下約0.5-1mの辺りで、大ぶりの板石の下から銅鐸1出土。今は存在しない岩石
影石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
重石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
富士石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
天狗石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
万灯石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
双履石31鳥取県鳥取市国府町宮下 宇倍神社武内宿禰が亡くなる前に残したといわれる草履の石化したもの。地中に竪穴式石槨が眠っていることが分かり、古墳石材の一部ということが判明した。C物品が石化したもの
鳥取県遺物・遺構の再利用
岡益の石堂31鳥取県鳥取市国府町岡益安徳天皇陵と伝えられる石造遺構。石檀の上に板石で側壁を造り、中心にエンタシス調の石塔を立てた構造物。製作年代、元来の用途共に不明。聖者が亡くなった場所
羽衣石31鳥取県東伯郡湯梨浜町 羽衣石山天女が水浴びをするため自らの羽衣をかけていた岩石。裾に天女をまつる祠を設けている。C
安産岩31鳥取県東伯郡東郷町宮内 宮内倭文神社難産に苦しんだ妊婦が宮内倭文神社に祈願したところ、この岩石の前で安産したという。以降、安産の霊験を持つ岩石として信仰される。A
春日シヌン谷遺跡32島根県八束郡東出雲町春日シヌン谷露岩群の裾から手捏土器など出土。平野部からかなり奥まった丘陵斜面に位置するが、露岩群の近くに住居址状のテラス4ヶ所検出。今は存在しない岩石
座王さん32島根県松江市鹿島町佐陀本郷 恵曇神社恵曇神社祭神の磐坂日子命が腰掛けたという岩石。C休み石・腰掛石
志谷奥遺跡32島根県松江市鹿島町佐陀本郷字志谷奥高さ1.5mほどの2体の巨石の1.5mほど離れた場所の地中の下層から銅鐸2点、上層から銅剣6点が整然と出土。今は存在しない岩石
元宮/磐座32島根県松江市八雲町熊野 天狗山出雲国一宮熊野大社の元宮と伝えられる山頂付近の露岩群。現在は毎年5月に供物を捧げる元宮祭が行なわれている。BA
島根県CA
犬石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた犬が石化したもの。C生き物が石化したもの
猪石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた猪が石化したもの。C生き物が石化したもの
女夫岩さん/宍岩さん/女夫岩遺跡32島根県松江市宍道町白石2体の巨岩を中心とし、手前に石壇を有する遺跡。古墳時代中期・後期の土器、近世・近代の遺物が出土。石壇も近世・近代のものと推測される。『出雲国風土記』の猪石の候補地。
真玉/真玉さん/願い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社湯山主之大神(大己貴命)としてまつられてきた自然の丸石。近年「願い石」と呼ばれ、「叶い石」を使った信仰が生まれる。A近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
島根県BBD
叶い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社神社で販売している小石。この小石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に移り、自分のお守りになるという。近年考案された祭祀。BBD近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
御守石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社勾玉の原石。別の場所に保管されていたが、近年の「願い石」信仰を受けて境内に移設されて名付けられる。BD近代以降の命名
夫婦岩32島根県雲南市大東町須賀 八雲山山腹に立地する、須賀神社の奥宮とされる3体の巨岩を中心とする岩石群。それぞれ須佐之男命・奇稲田比売命・清之湯山主三名狭漏彦八島野命をまつる。BAC
島根県CA
大岩32島根県雲南市加茂町岩倉大岩の下には金鶏がおり、大晦日にだけ鳴き声を出し、それを聞いた者は巨万の富を得ることができるという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
矢櫃神社 岩石群32島根県雲南市加茂町岩倉矢櫃神社の旧社地の背後に露出する岩石群。岩倉の地名の元ともいわれるが詳細由来不明。
成長石32島根県雲南市三刀屋町多久和 飯石神社ある日突然天から落ちてきた岩石といい、日に日に岩石が大きくなるので、村人達が神様として神社を建ててまつったのが飯石神社の始まりという。明治時代の遷宮工事の際、この岩石の周辺から古墳時代の須恵器片が出土した。A突如出現した岩石
島根県岩石が満ち欠け・増減・出産する
島根県可動的性質
岩坪/岩坪さん/岩坪明神32島根県出雲市東神西町 那売佐神社川床の岩盤に甌穴が開いたもの。神が生まれた時に産湯に使ったという。甌穴は普段砂で埋まっているが、旱魃の時に砂を掘り出して雨乞いすると雨が降るという。C岩穴・窟甌穴に埋まった砂を掘り出すと雨が降る。
島根県BBD
烏帽子岩/石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された楯縫郡神名樋山の石神。日照りの時に雨乞いをすると必ず雨が降るという。A
小石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された、楯縫郡神名樋山の石神の周囲に群集する百余の小石神。この一帯及び付近の滝壺から古墳時代の土師器片が発見されている。A石神の周囲に付き従って百余の小石神の存在が記載される。
島根県BD
命主神社遺跡32島根県出雲市大社町 出雲大社命主神社は出雲大社の境内摂社。江戸時代の社殿改修時、社殿背後の大岩の下から弥生時代の銅戈4点、ヒスイ製勾玉が出土した。今は存在しない岩石
首岩32島根県出雲市佐田町反辺 多倍神社素盞鳴尊が退治した鬼の首を地中に埋め、地表に岩石で蓋をして封じたもの。この岩石に触れると鬼の血が付くといわれている。BBB岩石から血が出る鬼の首を埋めて岩石で蓋をして鎮める。
島根県C
上方林遺跡32島根県仁多郡奥出雲町下横田字上方林丘陵斜面において配石遺構が2ヶ所で出土し、近くに須恵器大甕・金銅製金具、土馬などが配置されていたと報告されている。今は存在しない岩石
大神岩/窟32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の窟。内部に所造天下大神の御琴と記載された石の亀裂がある。BCA岩穴・窟神の琴を納めた窟がある。
島根県BAC岩石表面に印・痕・模様が残る
烏帽子岩/石神32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の石神に比定されている巨岩。他にも周囲に巨岩があるため異説もある。A
婆石32島根県邑智郡邑南町作木下の爺石に毎年米一粒ずつ近づいており、爺石に接すると近くの江川が大海になるという。EC岩石が動く
爺石32島根県邑智郡邑南町江平下瀬上の婆石に毎年米一粒ずつ近づいており、婆石に接すると近くの江川が大海になるという。EC岩石が動く
水枕石33岡山県新見市大佐上刑部人が亡くなると、川から拾ってきた石を枕飯の横に置く。BBB可動的性質人が亡くなると、川から拾ってきた石を枕飯の横に置く。
岡山県BBC November 11, 2025
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昨日今日観た映画
『果てしなきスカーレット』
『落下の王国』
『天使のたまご』
上手く説明出来ないが、この三作品に共通してる部分を強く感じる
“映像が凄い”も共通項のひとつだが、もっと根っこの部分で親和性がある様に感じる
神の存在とか死生観とか November 11, 2025
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国会の様子などを見ながらふと、基本的な事項を共通認識しておかないと、議論がまとまらないだけでなく、労力と時間の浪費が多いなと。
これは私たちの生活圏でも言えること。
例えば、いまさら「地球が回っているか、いないか」を議論したり、あるいはそれで異端だとか、そうでないとか裁きをする必要もない。
神がいるかいないか、霊界があるかないか。この点はその人の人生観や人生を左右する重要なポイントだと思うが、けっこうそれぞれの観や信仰に委ねられている。
量子論が出て久しいが、これは霊界や神の存在にグッと近づいた科学的見地だろう。 November 11, 2025
拗らせオタクなので仮に演者に認知されていたとしても生産者側である生みの親村上さんには決して認知されたくない。人ではなく神の存在であって欲しい。のでスペースリアルタイムでお邪魔するのは違うと思っている。持論です…はい… November 11, 2025
@zetu_rrr 存在しない神を盾に私利私欲に走るとはな。
むしろ、崇める神の存在をむしろ見せてほしいが。。無理だろうな。
問題が女性と言う苦しい言い訳が通用するならそれらが原因で逆に殺害されても、同じような理由を言われたら何も言えんぞ November 11, 2025
神は存在していないと思っていて、理由は科学的証明がないから。
ただ科学が神の存在を証明するまで至ってないからだ、と言われると、ぐぬぅ…と言う感じ。
神は乗り越えられない試練は与えないとかさ、言うでしょ?運命とか。
この言葉大嫌い。
神がいるなら全員幸せにしなさいよ。 November 11, 2025
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