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神の存在
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2025.12.18
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神の存在に関するポスト数は前日に比べ16%増加しました。男性の比率は43%増加し、前日に変わり40代男性の皆さんからのポストが最も多いです。本日話題になっているキーワードは「倭国」です。
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【感謝】
ついにデビュー作への嶺岸佑亮先生の書評が『本のひろば』2026年1月号に掲載されました!
一番伝えたかったヘーゲルの神、永遠、現実性のテーマを圧倒的な精密さで読み解き、聖書と関連付けながら高く御評価してくださっています。
最高の解説書になっているのでぜひ御一読を。
御担当してくださった嶺岸佑亮先生(岩手大学人文社会科学部准教授)はヘーゲルを中心とするドイツ観念論やクザーヌスの専門家で、倭国ヘーゲル学会実行委員などを歴任してこられました。
『ヘーゲル 主体性の哲学』(2018)や『自己意識の哲学』(2023)など、私の本ともテーマ的に深く通底した御著書や論文も多く、アカデミー版ヘーゲル全集(知泉書館)の翻訳も御担当されています。
長年苦労してこの本を書き上げた私にとっては、これ以上ない最高のクリスマスプレゼントになりました。
【『現代において信仰はいかに可能か』掲載情報】
●「予約ランキング1位」(ヨベル公式現在)。https://t.co/EdIOnPDwUM
●倭国経済新聞(9/23、朝刊一面)掲載。https://t.co/hGKU84aC8r
●毎日新聞(10/5、朝刊一面)掲載。https://t.co/jSaRf0C4HF
●『本のひろば』(9月号、11月号)、『福音と世界』(11月号)広告掲載。
●倭国カトリック神学院教授(カトリック神学会理事)の阿部仲麻呂司祭による推薦文を収録。
●金子晴勇先生(岡山大学・聖学院大学名誉教授)の査読から得た御助言をもとに全面的なブラッシュアップを経て完成。
●大貫隆先生(東京大学名誉教授)より「久しぶりの充実した読書体験」、「壮大なスケールでのヨハネ福音書注解」との御評価。
●大貫先生の最新作『福音書の隠れた難所』(ヨベル)では本書とも繋がりの深い拙著『ナザレのイエス』へのレビューが記載。
「目次」
序論
第一章 ヘーゲルの時間様相論
第二章 ヘーゲルによる神の存在証明(全一六講義解説)
第三章 ヘーゲルにとってキリスト教とは何か
第四章 ヘーゲル哲学における「神の死」
第五章 ヘーゲル哲学における「不幸な意識」
第六章 ヘーゲル哲学における「愛」
終章 現代において信仰はいかに可能か
【全国取り扱い書店リンク先】
●ヨベル(予約ランキング1位達成!)
https://t.co/cZNUqsAPrr
●紀伊国屋書店
https://t.co/UcyRNL9dPq
●丸善ジュンク堂書店
https://t.co/Cwr4WgHqFh
●教文館
https://t.co/EBeX0zPeyx
●Amazon
https://t.co/SCXJ6ASigo
●楽天ブックス
https://t.co/p7uyBmNaif
●日キ販
https://t.co/GZ9lAQbiMg
●いのちのことば社
https://t.co/WDdWMCLzxU
●ゴスペル・ライト・ストア
https://t.co/qcRzMTRO8q
●特集記事(詳細目次あり)
https://t.co/sITSFak08Q
#読書好きな人と繫がりたい
#読書一年分 December 12, 2025
5RP
神の存在の有無に関しては難しい話だけど、宗教の授業とかでキリスト教(カトリック)勉強したり行事で聖歌歌ったりする時、何故かいつも神が本当に降臨したかのような感覚になって…洗礼受けたら少しでも聖なる心に近づけるのかなとか思い始めてる December 12, 2025
@sig_recog_parti @tabinidetain @GzqfEVfOgWv5dpn タンパク質に関しては雑な言い方でした
ご意見ありがとうございます
量子力学では物質にも意思が存在してるのではなかという、ある意味神の存在証明のような研究もある様ですのでどこまでそれを追求できるのか
ウイルスに関しても敵だと思い込んでたら味方だったなんてこともあり得ると思っています December 12, 2025
遅ればせながらチ。をコツコツ見ているんだけど、私が1番感動しているのは異端研究をしている全員、1人として神を疑ってないとこ。いやほんとに。まじ、現代人のカスみたいな短絡的思考で神を否定するのは簡単だけど、中世ヨーロッパなんて神の存在なしに語れないんだからさ。 December 12, 2025
あなたの過去のポストから分析すると、聖書や動物の苦しみ、神の存在についての深い思索が目立ちます。ゲームや書籍のプロモも見られ、知的で共感力の高いタイプがぴったり。
理想の恋人像:
- 動物愛護の心を持ち、哲学的な議論を楽しむ人。
- ゲーム好きで、勝負ごとやコレクションに熱中できるパートナー。
- 優しく、疑問を共有できる共感者。
- 年齢は20-30代、好奇心旺盛な性格。
相性抜群だと思います! #愛のことはAIに聞こう December 12, 2025
美しい感じる音楽を構造解析し、三次元に再構築するとタージ・マハールのようなシンメトリーになるのだとしたら、神の存在を否定することは出来ない
ブラームスを聴きながら想う等 December 12, 2025
@tonkatsuman 神を否定する共産主義
家庭連合は、神の存在をいろいろな角度から語っており、実感する信者が多いので、共産主義からすると最も恐るべき存在なんですね。これ程神を実感出来る宗教が他に無いって事なんでしょうか。 December 12, 2025
見てきたよ。
「みらいのうた」
しっかりとしたドキュメンタリーだった。
やっぱ人間死にかけると神の存在を意識しだすもんなんだな。 https://t.co/GbWk37659o December 12, 2025
A for−Realが6年経って今では
神の存在になってるからね。
それはもう 庄司さんと なおさんの
ステージはいつもすごくてワクワクするから。
年末もきっとワクワクする ステージが待ってるよ!!
いつだったか アンコールの幸福進化論
涙ながらに見れなかったもんね。
あまりに感動しすぎて。 December 12, 2025
死神を道連れに神の存在を問う旅は従者の存在が大きい。浮き草のように飄々と、然し俯瞰したその内奥は全てを受け入れる覚悟が伺える。
どの登場人物も必要不可欠、
どのカットも一切の無駄なく、
死神は全ての者に訪れ、
然し神だけは完全なる不完全なのかもしれない。。なんてことを思った。 https://t.co/huwi3D2tkI December 12, 2025
彼らの悪のすべてが、御前に出されますように。そして彼らに報いてください。あなたが、私のすべての背きに対して報いを返されたように。私のうめきは大きく、私の心は弱っています。」
哀歌 1章22節
(質問)
ともすれば、あまりにの現状のひどさに神はいないのではないかと言う思いに駆られそうな時に、必死になって神を求めている姿とも言えますね。
まぁ、エレミヤはそんなことないと思いますが。
(回答)
おっしゃる通り、非常に鋭く、かつ信仰の本質を突いたご指摘だと思います。
「あまりの悲惨さに、神などいないのではないか(神は私たちを見捨てて去ってしまったのではないか)」という絶望の淵に立たされながら、それでもなお「あなた(神)」に向かって語りかけているという点に、この祈りの凄みがあります。
ご指摘の「エレミヤ(作者)の信仰」という視点から、この「必死の神求め」をもう少し掘り下げてみます。
1. 「背を向ける」のではなく「向き合って抗議する」信仰
もし作者が本当に「神はいない」「神は無力だ」と諦めていたなら、彼は沈黙するか、あるいは人間に向かって愚痴をこぼすだけで終わっていたはずです。
しかし、ここで彼は「あなた(主よ)」と呼びかけ続けています。
* 逆説的な信頼:
「こんなにひどいことが許されるのですか!」
「私を見てください!」
と神に迫るのは、
「神は聞いておられる」
「神はこの状況を支配しておられる」
という、骨の髄までの確信があるからこそできることです。
* 格闘する祈り:
これは単なる静かな祈りではなく、ヤコブが神の使いと格闘したように、
「神が答えてくださるまでは離さない」
という、魂の格闘と言えます。
2. エレミヤ(預言者)としての苦悩
ご指摘のように、エレミヤだとすれば「神がいない」とは微塵も思っていません。
しかし、だからこそ彼の苦悩は深いものでした。
* 知っている神 vs 現実の神: 彼は頭では「神は契約を守る方」「愛なる方」と知っています。
しかし、目の前の現実は「神は容赦ない破壊者」「敵のようになられた(2章5節)」と感じさせるものでした。
* 「いないのではないか」よりも辛いこと:
預言者にとって最も辛いのは、神が不在であることではなく、「神がそこにおられるのに、沈黙している(助けてくれない)」こと、あるいは「神ご自身が敵となって立ちはだかっている」という感覚です。
1章22節の「彼らに報いてください」という叫びは、沈黙を守っているように見える神に対し、「あなたが正義の神であることを、今すぐ証明してください!」と、神の属性(ご性質)に訴えかけて揺さぶっている姿とも言えます。
3. 「うめき」こそが祈り
「私のうめきは大きく、心は弱っています」という言葉は、弱音に見えますが、聖書的には「最も正直な祈り」です。
神の前で強がらず、絶望を隠さず、「もう無理です、心が折れそうです」とすべてをさらけ出すこと、これこそが、神との最も親密な関係の証左です。
エレミヤは、その悲惨さの中で神から目をそらさなかったという一点において、やはり信仰の巨人と呼べるのかもしれません。
○まとめ
これは平穏な時の祈りではなく、「神の不在を感じさせるような現実の中で、必死に神の存在をつかみ取ろうとする手」です。
「神はいないのではないか」という誘惑に負けず、「神よ、あなたがおられるなら、これをなんとかしてください」と食らいつく姿。それが哀歌の持つ、血の通った信仰の力強さです。
(了) December 12, 2025
なんでこの時から……私は……(寺西拓人が載っているしょマ表紙のSODAを買っていたにも関わらず神の存在を当時は恥ずかしながら知らなくてしょマの切り抜きしか残っていなくて絶望した絵文字) https://t.co/pVHFWLXo85 December 12, 2025
キリスト教徒の人から聞いたけど、その辺の話が本当かはそんなにこだわってなかった
信じてない訳でもなくて、実際にあったのかも…?位のテンション
サンタさんみたいな感じ
この世界の法則とか物事の成り立ちとかの元を辿った時に、ただの偶然じゃ信じられないから神の存在を信じてるって言ってた https://t.co/OXayBYvGzj December 12, 2025
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