明治時代 トレンド
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2025.11.28 10:00
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明治時代の庶民の暮らしぶりを知るのにオススメな2冊。読みやすくて気に入っています。時代が変わって朝ドラのように落ちぶれた人々は途方も無いほどいました…。でもこの頃があったから今があるんです。ご先祖様すごい。全国民に読んでいただきたい。 https://t.co/rE00UypO71 November 11, 2025
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でも袴履いて女学校行けるような娘は、ごく一部の限られた上流階級のおひいさまだけです………明治時代の格差社会の厳しさは想像を絶します。明治時代は史料読むのしんどい😭全くキラキラしてない。近現代って史料読んで具合悪くなりません?専門家の方たちってタフ… November 11, 2025
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11/28(金) おはようございます🌼*・
今日は洋ランの一種【オンシジューム】
和名は「群雀蘭(ムレスズメラン)」
スズメが群れて遊んでる様に見えたからつきました🐦
💐 《《花言葉》》💐
「一緒に踊って」 「気立ての良さ」
「美しい瞳」 「清楚」 「可憐」
花姿が蝶や女性が踊ってるように見えたからつきました。
明治時代に倭国に入って来た当初は目立たないお花でしたが 品種改良が進み平成時代になってから人気のお花となりました。
本日も素敵な一日をお過ごしくださいませ🍀 November 11, 2025
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都介野岳 岩石群29奈良県奈良市都祁南之庄町かつては山頂の竜王社横に磐座とされる岩石群が存在したが、近年すべて麓に降ろしたという。詳細の経緯は情報収集不足につき不明。原位置から移動伝承
白石29奈良県奈良市都祁南之庄町 国津神社白石と呼ばれる霊石を伊勢から河内へ運んでいると突然この場所で動かなくなったので、これを神意と見てここに国津神社を建てたという。A可動的性質霊石を遠方から運んで途中で動かなくなる。
白石29奈良県奈良市都祁白石町 国津神社南之庄国津神社から分霊して霊石を運んでいたところこの地で動かなくなったため、ここに神社を建ててまつった。A可動的性質霊石を遠方から運んで途中で動かなくなる。
御社尾の神石29奈良県奈良市都祁小山戸町 都祁山口神社元慶3年(880年)、水分神が白龍の姿で降臨した磐座。近くから古墳時代の管玉が2点発見されている。BABA
奈良県CA
都祁直霊石29奈良県奈良市都祁小山戸町 都祁山口神社都祁山口神社から御社尾の神石に向かう途中にある石碑。
八柱神社 岩石群29奈良県山辺郡山添村遅瀬社殿の東隣から上方斜面に岩石の露頭が複数分布。いわれはなし。
十三磨崖仏29奈良県山辺郡山添村遅瀬室町時代後期の磨崖仏。自然石の表面を平滑に加工した上で、6体の地蔵、13種の菩薩を26体彫刻し、それぞれに梵字を添えている。A
乞食岩29奈良県山辺郡山添村遅瀬この川辺に住み着いていた乞食が、岩石の上面に開いた穴に水をため、川魚のいけすとして使用していた。EA
奈良県EC
東山の天狗岩29奈良県山辺郡山添村遅瀬天狗が積み重ねたという、4畳半の岩を3重に積み重ねた形の巨岩。所在特定できず。今現在確認がとれていない岩石
鏡石29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社拝殿と向かい合うように残る三角形状の岩石。
山神29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社山神をまつる石碑。BAA
庚申29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社庚申をまつる石碑。BBC
奈良県A
舟岩29奈良県山辺郡山添村中峰山字オクヤデ高さ3m、幅10mの舟形の岩石の集積。名張川の上流から船で下ってきた素戔嗚命が、この地で船から降り、その船が石化したもの。あるいは、神功皇后が三韓征伐を行なった時、乗っていた船が石化したもの。C物品が石化したもの
山之神29奈良県山辺郡山添村中峰山山神をまつる石碑。BAA
地蔵岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
十市姫の岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
大師岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
大亀石29奈良県山辺郡山添村中峰山横から見た姿が亀に似ているということから名付けられた岩石。岩に5mの亀裂空間があり、神波多神社の祭神(素戔鳴尊/牛頭天王)が出てきたという言い伝えが残る。BAC岩穴・窟
奈良県C
大川遺跡対岸磨崖仏29奈良県山辺郡山添村中峰山川沿いの広い平坦面をもつ岩壁に仏の姿が彫刻されている。A
長持石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社吉田集落の人々が遠方から氏神を迎えようと祭祀をしたところ、轟音と共に伊賀から神が婿入りに来て、その時の神の婿入り道具である長持が石化したもの。C物品が石化したもの集落の氏神を外から迎えたところ、遠方の神が婿入り道具と共にやって来る。
奈良県突如出現した岩石
つづら石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具であるつづらが石化したもの。岩石の表面に十字架状の長石の層があり、つづらに見立てられたものと推測される。また、岩石の上面には神が降臨した時に乗っていた馬の蹄跡が残るという。C物品が石化したもの婿入り道具の荷物に祭神の馬の蹄跡が残る。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
鏡台29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具である鏡台が石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
ハサミ29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具であるハサミが石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
石の水鉢29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神が休憩の際に水を飲んだという水鉢。C
箪笥石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具である箪笥が石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
葛石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社
石売り行事29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社16歳以下の少年が川原で拾った小石を参拝者が買い求め、その小石を岩尾神社に供える。BBC可動的性質子供から石を買い、それを神前に供える。
庚申さん29奈良県山辺郡山添村吉田寺院の裏山中腹にある自然石を庚申として信仰したもの。A
八柱神社 滝29奈良県山辺郡山添村片平 八柱神社社殿の背後に高さ約6mの岩盤があり、そこを流れる滝を御神体にしていたという。地震で崖崩れがあったため、現在、八柱神社は付近に遷座している。BCA今現在確認がとれていない岩石
大師石/豆腐岩29奈良県山辺郡山添村広代 愛宕山愛宕山の峰続きの道近くにある、高さ約3m、直径約2mの岩石。弘法大師が担いできた岩石で、表面にはタスキのような跡があるという。C岩石表面に印・痕・模様が残る
三枚岩29奈良県山辺郡山添村菅生土に覆われた巨大な岩石の露頭の頂上部に、板状の岩石が3重に並んで立っている。小祠が隣接してまつられているが詳細のいわれは不明。
烏帽子岩29奈良県山辺郡山添村菅生河内川の上流にある七淵の岸にある岩石。詳細不明。
釜淵29奈良県山辺郡山添村葛尾 名張川名張川の淵の中に、上部が円状に陥没した岩盤があり、神波多の天王さんが最初に出現した場所という。BAC岩穴・窟
奈良県C
天王さん29奈良県山辺郡山添村葛尾神波多の天王さんが名張川を渡ってきた時に休憩をした岩石。C休み石・腰掛石
オニ岩29奈良県山辺郡山添村下津吉備津彦命をまつるという岩石。詳細不明。
芋紡ぎ岩29奈良県山辺郡山添村下津おばあさんが芋を紡いでいたという岩石。EC
吉備津神社 岩石祭祀事例29奈良県山辺郡山添村下津 吉備津神社高さ約6m、幅約10mの巨岩をまつる神社。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
山之神29奈良県山辺郡山添村下津 吉備津神社山神をまつる石碑。木製祭具を供える。BAA
カラブロ29奈良県山辺郡山添村下津水をかけると温かくなる岩石。元は下津川の真ん中にあったが、上流に上津ダムを建設したことでカラブロが沈下する可能性が出てきたので、カラブロを川の縁の方へ少し移動したという。まつられてはいない。EB原位置から移動伝承
奈良県熱を持つ岩石
狐岩29奈良県山辺郡山添村上津字ハジカミこの岩石の上に古狐が座っていて、村に異変があると村人に事前に知らせてくれたという。上津ダム建設などの開発の中で消滅した。BABA今は存在しない岩石
奈良県EC
六体地蔵29奈良県山辺郡山添村毛原 毛原廃寺室町時代後期の製作とされる磨崖仏。自然石に平坦な磨きを入れた上で、6体の地蔵を横並びに浮き彫りさせたもの。A
大師の硯石29奈良県山辺郡山添村大塩弘法大師が杖で岩石を叩いたところ、窪みができて海水が湧き出てきたという。この海水は決して涸れることがなく、いつも同じ量を保っているという。伊勢湾の塩の満ち引きが分かったり、人の生き死にも占えるという。CC岩石表面に印・痕・模様が残る岩石に溜まった水で塩の満ち引きや人の生き死にを占う。
奈良県BBD岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
奈良県岩石に溜まった水が枯れない
鍋倉渓29奈良県山辺郡山添村 神野山幅10m、長さ650mに渡り、大小の岩石が寄り集まり重なった景観。神野山の烏天狗と伊賀青葉山の烏天狗が喧嘩をした時、青葉山の烏天狗が投げつけてきた岩石の集積という。また、父をなくした息子が鍋倉渓の上で「父に会いたい」と泣いたところ、突然石が動き、岩石群の下を流れる水に亡き父の笑顔が映ったという。C神々の力比べ・喧嘩
奈良県EB岩石が動く
竜王岩29奈良県山辺郡山添村 神野山なべくら分教会がまつる岩石。A
天狗岩29奈良県山辺郡山添村 神野山神野山の烏天狗にちなむ岩石群。C
八畳岩29奈良県山辺郡山添村 神野山高さ約7m、幅約10mの岩崖状の巨岩。頂部には数本の溝があり、神野山の烏天狗の足の爪による引っ掻き跡という。C岩石表面に印・痕・模様が残る
スフィンクス岩29奈良県山辺郡山添村 神野山スフィンクスに似た形状ということで名付けられた岩石。EC近代以降の命名
王塚29奈良県山辺郡山添村 神野山漢速日命の墳墓といわれるマウンド。マウンドには葺石状の岩石が散見され、古墳・磐境・経塚などの諸説がある。
六所神社 岩石祭祀事例29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社山裾の岩塊の上に本殿が建てられている。六所神社は延喜式内の天乃石吸神社の論社で、石吸は石据えの転訛と見る解釈がある。BABC
毘沙門天像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の磨崖仏。A
金毘羅碑29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石神。A
行者石像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
不動磨崖仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
観音石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
地蔵石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
窯の焚き口29奈良県山辺郡山添村峰寺村の石橋を造った力持ちが風呂に入るため使っていた窯。EC
天王の森29奈良県山辺郡山添村峰寺小山の頂上に岩石群があり、牛頭天王をまつり禁忌が厳しく守られていたという。A禁忌が厳しい
首切り地蔵29奈良県山辺郡山添村峰寺道の往来の安全を祈念して造られた石仏。後に首部と胴部に亀裂が入ってしまい、この名称で呼ばれるようになる。A岩石表面に印・痕・模様が残る道の安全を祈念して地蔵仏をまつる。
奈良県BBB
水神の森29奈良県山辺郡山添村峰寺布目側の中洲に隆起する森。大小の川原石が群集する。BCA禁足地
八丈岩29奈良県山辺郡山添村峰寺約17㎡の巨岩。水神の森の遥拝所。BA
奈良県BBA
明星岩29奈良県山辺郡山添村北野 天神社天御中主尊が降臨したという岩石。麓に天神社が建てられる以前はここで祭祀が行なわれていたという。BA
奈良県C
腰越ウチカタビロ土塚29奈良県山辺郡山添村北野字ウチカタビロ直径3mほどのマウンドに、大小の自然石や数体の石仏を集積している塚。北野天神社で旧五社巡りという祭礼が行なわれる際、この塚の前に御幣を供え、田楽を奏上したという。BCA塚の前に御幣を立てて田楽を奏上する。
岩屋29奈良県山辺郡山添村北野高さ6m、幅13m、奥行き6mの内部を有する自然の岩窟。弘法大師が天井石に大日如来を刻し本尊として、岩窟の中に不動明王、入口に善女龍王をまつり、近世まで岩屋寺として栄えた。A岩穴・窟岩窟寺院の天井石に本尊を刻む。
奈良県BCA
奈良県BAC
枡形岩29奈良県山辺郡山添村北野弘法大師が岩屋に大日如来を彫った後、上方斜面にあった別の巨岩に枡形の刳り抜きを作り、その刳り抜きの中にノミとツチを収めたという。本来は木製の御正躰を収納する石厨子だったと考えられている。C岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める岩石に枡をくりぬいて御正体や祭具を収める。
奈良県BCA
奈良県BAC
牛ヶ峰ミヤマ洞穴遺跡29奈良県山辺郡山添村北野全長13m、最大幅5mの花崗岩の自然の集積による洞穴。禁忌の場所とされ、布目ダム建設により水没するため発掘調査を行なったところ、中世の土器片や近世~現代までの日常雑器が見つかった。BCA禁忌が厳しい
奈良県岩穴・窟
津越の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村津越山の岩肌を利用して数体の仏を刻んだ磨崖仏。A
フジノミ禊斎場29奈良県山辺郡山添村津越江戸中期、灌漑用水路を造る作業の無事を祈り、僧侶が岩石に不動明王の梵字を刻んで祈り続けたという。元来は北野字フジノミにあったが、布目ダム建設による水没を免れるため現在地に移設された。A
烏ヶ淵阿弥陀地蔵二尊磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山淵の中にあった自然岩に阿弥陀仏・地蔵仏の像を彫りこんだ磨崖仏。寛政年間の製作で、烏ヶ淵の堰の工人の供養や水害の鎮めとして彫られたものと考えられている。元来は烏ヶ淵にあり、布目ダム建設に現在地に移転。A
奈良県BBB
桐山阿弥陀磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山鎌倉~南北朝期の製作とされている磨崖仏A
弁天岩29奈良県山辺郡山添村桐山字カナヤケ巨岩の上に弁天をまつる瓦質の祠がある。周辺の遺跡調査の結果、弁天岩の周辺を意図的に平坦にしたような形跡が検出されたという。BABC
八幡神社 阿弥陀仏29奈良県山辺郡山添村的野1253年製作の村内最古の阿弥陀仏。A
送り狼石/室津のオーカミ石29奈良県山辺郡山添村室津字池神旅人が道を通る時、この岩石の上に食物などの奉げ物を置くと、後ろから狼が追いかけてこなくなるという。BCD岩石の上に捧げ物を置くことで、狼などの災禍を免れることができる。
奈良県BBB
室津の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村室津山の岩肌に刻まれている磨崖仏。A
賽の河原29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺山中の岩陰に設けられた水子供養の積石群BBB可動的性質
BBC
諸仏出現岩29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺室生寺奥の院の横に隆起する露岩。ここから諸仏が現れ出たといういわれを持つ。BA
C
龍穴/吉祥龍穴/奥宮29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社龍神が棲むといわれる岩穴。雨乞いの祭祀対象として信仰された。BAC岩穴・窟
奈良県BCA
天の岩戸29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社天岩戸に擬せられた岩石の亀裂。C
どん亀石29奈良県室生区黒岩この岩石の下に金の仏像が眠るという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
霊宝石/天の瓊矛29奈良県宇陀市大宇陀区 春日神社
神楽石29奈良県宇陀市大宇陀区 阿貴山
白石/白石明神29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社裏山の奥の院の巨岩の一部を打ち欠いて麓の劔主神社に持ってきて分霊・勧請したという岩石群。江戸末期までは社殿を持たずこの白石群を祭祀対象としていた。A岩石に損傷を加える行為山の巨岩の一部を打ち欠いて麓の神社の分霊石とする。
奈良県BA可動的性質
奈良県磐座と石神の性格が混在している事例
劔主神社例祭29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社例祭日、吉野川から持ってきた小石を川に沈めて禊をし、その小石を劔主神社奥の院の巨岩の前に供える。BBC可動的性質
奈良県水をかける・水に漬かる
奥の院/白石さん29奈良県宇陀市大宇陀区劔主神社の奥の院といわれる石灰岩の露頭で、劔主神社後方の山頂にあるという。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
奈良県C
月輪石29奈良県橿原市東池尻町 御厨子神社境内にある亀裂の入って2つに分かれた岩石。由来不詳。
光明不動29奈良県橿原市東池尻町 御厨子山妙法寺妙法寺の入口路傍に岩肌を見せる小さな自然石。この岩肌に不動明王の姿が見えれば眼病が治るといわれる。A岩石表面に印・痕・模様が残る
天香山神社 岩石群29奈良県橿原市南浦町 天香山神社社殿背後の山斜面の露岩群を磐座跡とみなす見方があるが確証はない。
天岩戸29奈良県橿原市南浦町 天岩戸神社拝殿の裏に4体の岩の集積があって岩室状の空間を形成しており、これを天岩戸としてまつったもの。玉垣内に真竹が自生し、毎年7本ずつ生え変わることから「七本竹」と呼んでいる。C
月の誕生石29奈良県橿原市南浦町 天香久山月を産んだ岩石。その産湯と足跡が岩石に残るという。EB岩石表面に印・痕・模様が残る
奈良県岩石が満ち欠け・増減・出産する
蛇つなぎ石29奈良県橿原市南浦町 天香久山蛇が巻きついているかのような石のシワが残るという岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
豊浦の立石29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社飛鳥京の条理の地割り石だったという説や、寺域を示していたという説があるが確定していない。現在は明神探湯神事の時に甘樫の神を憑依させる立石として機能している。BAA
明神探湯神事の炉29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社明神探湯神事の時に、熱湯をたぎらす釜を据えるための炉石。BE火が絡む祭祀
奈良県BCD
須弥山石29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る岩石構造物。『倭国書紀』に斉明天皇が須弥山石のもとで饗宴を催したという記述があり、これに該当するのではないかと考えられている。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
石人像29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る構造となる石像。須弥山石と同様の性格の石像物と目される。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
弥勒石29奈良県高市郡明日香村飛鳥胴体はずんぐりと長く屹立し、目鼻立ちは摩滅してしまっているがしっかりとした頭部を持つ石造物。下半身の病に霊験ありという。A
飛鳥坐神社の陽石祭祀29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社人々が諸願を果たすために奉納された陽石群。BBC
力石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社男性は左手で力石を持ち上げる。女性は右手で力石を持ち上げる。持ち上がったら幸福をつかめるという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
奈良県力石
むすびの神石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社一対になって並んでいる陽石と陰石。A
恵比須石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高さ30cm程の小さめの岩石。恵比須様の頭部に似ていることから名付けられて信仰された。A
奥の大石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高皇産霊神が宿る陽石。A
小原の立石29奈良県高市郡明日香村小原現在は場所が特定できず行方不明。
亀形石造物29奈良県高市郡明日香村岡亀形石造物とその手前に接する小判形石造物を中心に、その周囲から敷石遺構、配水遺構などが出土した。石造物自体も水を溜め込み次に導水するという配置構造を持っている。
岡の酒船石29奈良県高市郡明日香村岡岩石の表面に円形の窪みと直線状の溝が幾何学的に配置された石造物で、石の左右端は削り取られている。現在は酒船石と亀形石造物を含む周辺一帯が大規模な導水施設として機能していたのではないかという説が有力になっている。岩石が改変されている
出水の酒船石29奈良県高市郡明日香村出水岡の酒船石と類似した溝を持つ石造物。実物は京都市南禅寺の碧雲荘に移設されているが、レプリカを飛鳥資料館で見ることができる。原位置から移動伝承
岡寺奥の院彌勒堂29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺弥勒仏をまつっている人工の石窟。BCA岩穴・窟
奈良県BAC
岡の立石29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺高さ約3mの立石。
上居の立石29奈良県高市郡明日香村上居高さ1.9mの立石。
マラ石29奈良県高市郡明日香村祝戸考古学者の石田茂作によって命名された斜めに立てられた立石。近代以降の命名
フグリ山/ミワ山 岩石群29奈良県高市郡明日香村祝戸山頂尾根上に岩石の露頭が群集し、神聖視されていた磐座ではないかという説があるが、そのことを裏付ける資料に欠ける。
くつな石29奈良県高市郡明日香村阪田昔、ある石屋がこの岩石にノミを一打ちしたところ赤い血が噴出し、傷ついた蛇が現れたので、石屋は恐ろしくなって逃げ帰った。しかしその夜から熱と腹痛に冒され、やがて亡くなってしまった。村人は神の祟りだと畏れ、神の宿る岩石としてまつったという。A祟り伝承岩石から血と蛇が出て石屋が死んだので、岩石をまつった。
奈良県岩石から血が出る
二面石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺高さ1mほどの岩石の裏表両面に顔が彫られた石像物。人間の善悪両面を岩石に表現したものだといわれている。
三光石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺3つの石が凝り固まったかのような形状の岩石。聖徳太子が経講を行なった際、この石が光輝き、日の光、月の光、星の光が放たれたといわれる。C岩石から煙・光・火・気などが出る
立部の立石29奈良県高市郡明日香村立部定林寺跡にあり、立石というが地表からちょっと顔を出す程度の岩石だという。
川原の立石29奈良県高市郡明日香村川原出水の酒船石から飛鳥川を挟んだ向い側に存在。現在は地中に埋められている。
亀石29奈良県高市郡明日香村川原亀の形状をした石像物。昔、大和湖を巡って川原のナマズと当麻のヘビが争い、ナマズが負けたため川原の亀が枯死してしまった。これを哀れに思った村人が供養のために作ったのが亀石という。亀石はかつて東を向いていたが、少しずつ西に向いており、西の当麻方向を向いた時には大和一帯が泥の海になると言い伝えられている。BBB岩石が動く干からびて死んだ亀を供養するため亀石を造る。
奈良県祟り伝承
鬼の俎29奈良県高市郡明日香村村野口道行く人々を鬼が襲い、捕食に用いたという俎。元は横穴式石槨の底石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
鬼の雪隠/鬼の厠29奈良県高市郡明日香村平田鬼が用を足したという雪隠。元は横穴式石槨の蓋石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
女(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1702年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
山王権現(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1703年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
僧(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1704年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
男(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1705年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
益田の岩船29奈良県高市郡明日香村益田高さ5~6m、総重量900tに達するという石造物。石の表面に格子状の線刻があり、頂面に2つの方形穴とそれをつなぐ浅い直線の彫りが見られる。2基の横口式石槨の未完成姿という説があるが確定していない。
人頭石/顔石29奈良県高市郡高取町観覚寺 光永寺猿石と同時に見つかったといわれる独特な風貌の人面石。現在、光永寺で手水石として使用。BCB遺物・遺構の再利用
奈良県BE原位置から移動伝承
天津石門別神社 岩石祭祀事例29奈良県高市郡高取町大字越智 天津石門別神社榊の周りを板石で囲んだ施設を本殿としている。榊を神霊の宿る神籬とし、周囲の板石は磐境としての役割を負っている。BCA榊の周囲を板石で囲んで神社の本殿とする。
高取の猿石29奈良県高市郡高取町 高取城高取城の登山道途中にある。前述の猿石4体と同時に出土したという話がある。原位置から移動伝承
纏向遺跡 辻土坑29奈良県桜井市辻数十基見つかった土抗の内、数基の土抗内から岩石群・祭祀遺物・湧水跡・焼土のセットが検出。岩石群は雑然とも整然ともしない配置で、様々な解釈ができる。磐境説・磐座説・土坑側面補強材説・祭祀施設廃棄跡説がある。BCA今は存在しない岩石土坑に岩石群・祭祀遺物・湧水・炎を用いる行為。
奈良県BA火が絡む祭祀
奈良県BE
奈良県DB
「陰陽石」29奈良県桜井市 九日社横並びに高さ50cmほどの2体の岩塊がまつられており、「陰陽石」と仮称されるが詳細沿革不明。
「磐座」29奈良県桜井市 綱越神社神社境内の一角にまつられている岩石。「磐座」と仮称されるが岩石の名称やいわれなど詳細は不明。
夫婦岩/回り石29奈良県桜井市 素佐男神社2体の丸石。この石の周りを3度回る儀礼がある。岩石の周りを3度回る。
「磐境」29奈良県桜井市 志貴御県坐神社4個の丸石が横並びにまつられたもの。「磐境」と仮称されるが詳細沿革不明。
岩屋不動29奈良県桜井市 平等寺人工的に切り石を組んだ石窟。内部に、不動明王の石仏と梵字「ア」を刻んだ石碑と立石を安置している。A岩穴・窟
奈良県BAC
奈良県BCA
磐座/影向石29奈良県桜井市 平等寺地主神をまつる岩石。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
神饌石29奈良県桜井市 大直禰子神社正月元旦の神火祭の時、久延彦神社に対する神饌を置く岩石。久延彦神社を遥拝する時はこの石の地点から遥拝するようにといわれている。BCD
奈良県BBA
安産岩29奈良県桜井市 大直禰子神社母を亡くした神子が日々この岩石にすがりながら泣いていたという。C
夫婦岩/影向岩/聖天岩29奈良県桜井市 大神神社2個の草履状の岩石。江戸時代までは参道中央にあり影向岩・聖天岩の名称だったが、今は参道脇に移り夫婦岩と呼ばれ縁結び・安産の霊験を持つという。CC原位置から移動伝承
奈良県近代以降の命名
磐座神社/三穂神社/石神皇后神社/岩上皇后社/岩倉社/岩倉祠/岩上宮/石上社29奈良県桜井市 磐座神社人頭大ほどの岩石を置いてまつる形式の神社。現在、少彦名命を祭神とするが、かつては三穂神社・皇后神社の名を持つように大物主命の后である三穂津姫命をまつっていた。磐座が神社に変遷したものと推測される。BA
奈良県A
山ノ神遺跡29奈良県桜井市 大神神社古墳時代中期初~後期初(4世紀後半~6世紀初頭)の祭祀遺物が出土した遺跡。主石となる巨石の周りを5体の小ぶりの岩石が取り囲む形で見つかり、それらの岩石の一帯には割石が敷き詰められ、人工的に地固めされていた。現在は配置状態が原位置と異なり整備されている。BA原位置から移動伝承当初は碧玉製勾玉・剣形鉄製品・小形素文鏡など玉・剣・鏡の実物に近い遺物構成だったが、後代はそれぞれの模造品に変わっていく。
奥垣内遺跡29奈良県桜井市 大神神社大小の露岩の傍らから古墳時代中期末~後期初頭(5世紀後半~6世紀初頭)を中心とする祭祀遺物が出土した遺跡。現在一部の岩石を残して整備。BA原位置から移動伝承露岩の1つに接して須恵器の大甕が下半分を土中に埋めた状態で置かれ、大甕の中には杯・高杯・壺などの須恵器と多数の滑石製の玉もが収納されていた。
神籬29奈良県桜井市 檜原神社小ぶりの岩石を配置して神社としたもの。BAA
奈良県BAC
辺津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大物主命をまつる磐座。山裾の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
中津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大巳貴命をまつる磐座。山腹の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
奥津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると少彦名命をまつる磐座。山頂に大小無数の黒光りした斑糲岩が群集しており、これを総称して指す名称と思われる。CA禁足地
禁足地裏磐座群29奈良県桜井市 三輪山大神神社の社殿裏の禁足地(山腹斜面)に分布するという岩石群。文化財上のグルーピングで、6世紀代の新式の子持勾玉が発見されている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群A群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵南側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群B群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵北側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群C群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵裏の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群D群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山腹登山道近くの岩石群。露岩点数はやや少なめで小規模に属すという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群E群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山頂やや西斜面下の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座F群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の南西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名 November 11, 2025
1RP
奥津磐座G群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の北西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
百目石29奈良県桜井市 三輪山月山谷にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
鏡石29奈良県桜井市 三輪山オーカミ谷中腹にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
登拝道磐座(1)29奈良県桜井市 三輪山登拝口と山ノ神遺跡と三光の滝の3ポイントのほぼ中間に立地。三光谷の入口に位置し、登拝口から徒歩約10分の地点。禁足地
登拝道磐座(2)29奈良県桜井市 三輪山三光の滝から尾根を約15分登った山腹に、杉の巨木と共に注連縄の結界が張られた岩石群が存在。中津磐座に相当するものか。禁足地
登拝道磐座(3)29奈良県桜井市 三輪山(2)地点から5分ほど登った路傍にあり、人工的に小石を配して磐境状に仕立てた祭り場。賽銭が捧げられている。置銭・投銭祭祀
奈良県禁足地
登拝道磐座(4)29奈良県桜井市 三輪山視界の開けた広めの尾根を登り、傾斜がやや急になる坂の途中に露岩群があり、注連縄を張られている。禁足地
登拝道磐座(5)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。二重に注連縄が巻かれている。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(6)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(7)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
白山29奈良県桜井市辻眞言律宗巻向山奥不動寺のすぐ北にそびえる岩山。一面が岩盤露出していることから白山の名が付いたものと思われるが、神聖視・祭祀の痕跡は見られない。頂上が岩山
ダンノダイラの「磐座」29奈良県桜井市出雲ダンノダイラ急斜面の山肌に露出する岩崖を主体とし、岩崖の上にある2~3体の岩にも供献皿や注連縄が残されている。麓の出雲村の十二柱神社にはかつて社殿がなく、この「磐座」を拝む場だったという。年に一度出雲村の人々がダンノダイラへ登り飲み食いや相撲をして遊ぶという風習があったという、
天壇29奈良県桜井市出雲ダンノダイラマウンド頂部に集石が存在。冬至の日に天帝をまつるために設けた祭壇という説があるが真相不明。近代以降の命名
素盞鳴神社 岩石群29奈良県桜井市慈恩寺 素盞鳴神社本殿背後に露岩があり「磐座」ではないかとされるが由来不詳。
石神29奈良県桜井市忍坂 忍坂坐生根神社背後にある神体山の宮山に「石神」と呼ばれる約20個の自然石が存在するという。A
金剛寶磐石/磐座/大磐石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本尊の十一面観音菩薩の土台に使われている岩石。天平元年(729年)8月15日の夜、突如「金剛寶磐石」が土の中から現れ、磐石には仏像をしつらえるにふさわしい足跡形の穴があったことから、ここに十一面観音菩薩を立てたといわれる。BABC突如出現した岩石仏菩薩を安置するにふさわしい自然石が突如出現する。
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
ふく石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本願院が江戸時代に製作した「初瀬山之図」に記載された岩石。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気比神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂東北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気多神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝幢神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂西南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝語神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
見廻不動尊29奈良県桜井市初瀬岩崖。弘法大師が長谷寺の参籠を終えて笠山へ向かう途上ここで見かえり、ここは金剛界・胎蔵界の深理が顕現した霊場であるから、入山する者は心を定め清めなければならないと述べ、山の守り神である須彌山王の上に不動明王の御形を彫ったという。A山の入口に不動明王をまつり結界とする。
奈良県BCA
菅原道真の腰掛石29奈良県桜井市初瀬与喜天満神社の御旅所。菅原道真扮する狩衣装束の老人が腰掛けていたという岩石。切石のような形状で後世創設された可能性がある。CB休み石・腰掛石
泊瀬石29奈良県桜井市初瀬かつて滝蔵神社の近くに毘沙門天を祀る祠があり、ある時この上に雷が落ちて毘沙門天の宝塔が初瀬川に流れ落ちたが、この岩石に引っかかって止まったので、この岩石を泊瀬石と呼んだという。EC
女岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
男岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
山神遥拝所29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社与喜山・与喜天満神社の遥拝所とされる岩石。BA
奈良県BBA
八王子社29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社八王子社の祠の下に存在する岩石。BABC
鵝形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社天照大神が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
沓形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社春日大明神あるいは天児屋根命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
掌石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社太玉命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
千度まいり石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社千度参りの際の礼拝石。BBA
与喜山 A地点北西岩石群/磐座29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山2基の石灯籠を従えて玉垣の後ろに控える岩石。塔のように大きく三段から構成される岩石で、高さ3.1mを測る。
与喜山 A地点南東岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山A地点北西岩石群から南東へ10mほど進むと、急斜面に高さ2~3mの岩々が多く露出している。
与喜山 B地点下方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山1962年に杉髙講が奉献した鳥居・灯籠・狛犬などが残る尾根先端の露岩群。
与喜山 B地点上方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山B地点下方岩石群から尾根を少し登るとスパッと鋭角的な輪郭を持つ立石が存在。
与喜山 C地点岩石29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山天神山北側から登る登山道の入口東側に立地。石祠がまつられている背後に露岩がある。
与喜山 D地点岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山山頂尾根の南端に立地する東西隣り合わせの2体の岩石。西側の巨岩は高さ2~3m、幅5mほどの単体の横長石。東側の巨岩は、小さめの岩石が2個横並びになっていて、その上に支石墓の掌石のごとく高さ2m・幅5mほどの巨石が乗っかかっている構造を有する。
陽神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉諾尊也。東山腰石座御。南。」とある。所在未特定だが、A地点南東岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
陰神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉冉尊也。東山腰石座御。北。」とある。所在未特定だが、A地点北西岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
光神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「月弓尊也。東山北谷石座御。上。」とある。所在未特定だが、B地点上方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
雨神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同谷石座御。下。」とある。所在未特定だが、B地点下方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
賀茂大明神29奈良県桜井市初瀬落神『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「河中大石座御」とある。賀茂の雷神が瀧蔵権現から毘沙門天の宝塔を奪い取り去る途中でこの川中の岩石に落ちたという。下の屏風岩と同一物の可能性もある。初瀬ダム建設により水没。BABA今は存在しない岩石別の神から宝塔を奪い取った雷神が落ちた岩石。
奈良県BABC
屏風岩29奈良県桜井市初瀬落神高さ4.8mの三角形状の岩石に宝篋印塔と梵字の線刻がなされ、頂部に祠をまつっていたという。天落神六社権現の1つ。戦の時に塀代わりに使われたともいう。初瀬ダム建設により水没。BABC今は存在しない岩石
奈良県BAC
落神 山側斜面の岩盤29奈良県桜井市初瀬落神高さ97cmの宝篋印塔を刻んだ岩盤で、天落神六社権現の1つ。初瀬ダム建設により水没。BAC今は存在しない岩石
天落神六社権現 岩石祭祀事例29奈良県桜井市和田 天落神六社権現初瀬ダム建設により水没した岩石群を偲び、和田地区に遷座した天落神六社権現の境内に新たにまつられた宝篋印塔を刻んだ岩石。CB水没した岩石祭祀の場を偲んで、新たに清浄な岩石に宝篋印塔を刻んで遷座先にまつる。
弥勒菩薩石仏29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社境内にまつられた弥勒菩薩の石仏。A
観音屋敷29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社大小の岩石群が散在している場所。神聖視有無不明。
中谷休憩所 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社中谷休憩所という鞍部に存在する、注連縄の巻かれた岩石の割れ目から樹木が生えた事例。詳細由来不明。岩石割れ目から樹木、またはその逆
瀧蔵神社 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社拝殿の前に注連縄を巻かれた岩石。詳細由来不明。
猿田彦之命29奈良県桜井市小夫猿田彦之命の神名が表面に刻まれた岩石。人工的に築かれた石檀の上に置かれており神聖視されたことは確かだが、詳細由来不明。
八つ岩/八ッ岩/八箇岩/八龍王八箇石29奈良県天理市長滝町日の谷素戔男尊に斬られた八伎大蛇が八つの蛇となって天に昇り、水雷神となって聚雲の神剣に付き従って降臨した際の岩石という。朱鳥元年(686年)6月、石上神宮神主の布留宿邑智が「東の高山に神剣が発光して八つの竜が座す」という夢を見たので翌日に現地へ行ったところ、霊石八箇があり、傍らに現れた小童の口から「この地に降臨して人々を守ろうと思う」という神託があったため、出雲建雄神社を造ってまつった。BAA生き物が石化したもの八岐大蛇が八つに分裂して降臨した姿とも、八岐大蛇が降臨した岩石ともいう。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県CA最初の一回だけ磐座機能
天狗岩29奈良県天理市長滝町日の谷八つ岩の近くに残るという地名。今現在確認がとれていない岩石
九頭神社 岩石29奈良県天理市長滝町 九頭神社本殿の背後にある岩石。神聖視有無不明。
八龍王八箇石29奈良県天理市 大国見山八伎大蛇が素盞鳴命に八つ裂きされたのが天から落ちてきた名残の岩石群。日の谷の八つ岩との関連性は不明。
大阪山口神社 岩石群29奈良県香芝市穴虫 大阪山口神社本殿の背後にある露岩群。神聖視有無不明。
石光山 岩石群29奈良県御所市元町 石光山触ると火が出るといわれている巨岩群。隣接して祠がまつられている。山名の由来の可能性もある。石組・石室状の構造を持つものもあるが自然・人為含めて不明点が多い。石光山古墳群の群集墳の合間に存在する。祟り伝承
奈良県岩石から煙・光・火・気などが出る
奈良県古墳が近接
唐笠山 十一面観音29奈良県御所市朝町 唐笠山大穴持神社の鎮座する唐笠山の山頂近くにある露岩。岩石表面に十一面観音が線刻されているという。A
平群石床神社/岩神29奈良県生駒郡平群町越木塚 平群石床神社旧社地里山の裾に露出する岩壁。石床という名と立地から元は磐座だった可能性があり、江戸時代の絵図には岩神と書かれていることから、後世に石神に変化したと考えられる。陰石として女性の病や下半身の病に霊験がある。BABA磐座から石神に変化し、社殿なしのまま神社としてまつる。
奈良県A
神籠石/神護石29奈良県生駒郡平群町越木塚 石床神社拝殿の奥に置かれている岩石。詳細由来不明。
舟石/船石29奈良県生駒郡平群町三里 宮山延喜式内船山神社の祭神が降臨した時に乗った船とされる3体の船形石。CA物品が石化したもの
陽石29奈良県生駒郡平群町三里 船山神社麓の現・船山神社境内に置かれた立石。宮山中腹の中ノ宮(船山神社旧社地)から移設したものという。原位置から移動伝承
夫婦岩/天狗岩/三間石山巨石遺構29奈良県生駒郡平群町櫟原字三石3体の巨岩を中心に大小の岩石群が群集。現在、3体の内の2体に、多数の木の枝が岩に立てかけられている。『住吉大社神代記』の中の、住吉大神が母木里(東大阪市豊浦町付近)と高安国(大阪府八尾市付近)の境に置いた「諍石」に該当するという説がある。岩石に多数の木の枝を立てかける。
十三塚 祭壇状石組29奈良県生駒郡平群町福貴畑塚の手前に、岩石を用いて方形に囲った遺構。区画内に何らかの祭祀具を置いたものと推測されるが確証はない。築造時期は江戸中期以前といわれるが特定できていない。
十三峠地蔵菩薩29奈良県生駒郡平群町福貴畑峠の道標の横に立てられ、明和2年(1765年)の製作の石仏。A
両童子岩29奈良県吉野郡天川村 大峯山高さ約10mの2体の立岩。修験者が一方に登り、その後もう一方に飛び移る修行をする場。BCE巨岩に登り、別の巨岩に飛び移る修行。
子安石30和歌山県新宮市阿須賀 阿須賀神社子安社としてまつられる岩石。子宝安産を祈願する人々が、王子が浜から白石を拾い子安石に奉納して願掛けをする。A可動的性質
和歌山県BBC
蓬莱山遺跡30和歌山県新宮市阿須賀 蓬莱山山中の上オンビ・下オンビと称する場所から、自然石を壁として利用し、その前面三方に石を組み合わせた石室遺構が見つかり、そこから平安~室町時代の御正体194枚や経塚関係遺物(経筒片・経石など)が出土。他に弥生時代の土器、古墳時代の手づくね土器・滑石製模造品も出土。BCD経塚関係山中の自然石を利用して石室を作り、それを経塚とする。
千引岩/千引の岩/宮井戸遺跡30和歌山県新宮市蓬莱かつて海岸の小島だったとされる場所で、飛鳥行人が祭祀していた場所ともいい、黄泉道守命をまつる宮井戸社があった。弥生土器と一字一石経が出土し、千引岩の表面には鎌倉時代あるいは室町時代の「キリーク(大威徳明王)」「カーンマーン(不動明王)」の梵字が刻まれている。A
白玉稲荷神社30和歌山県新宮市蓬莱社殿に接して3体の球状の巨岩が存在。
ゴトビキ岩/琴引岩/神倉山遺跡30和歌山県新宮市神倉 神倉山神倭国磐余彦が熊野に上陸して最初に祈願した霊地「天磐盾」の上部、あるいは、高倉下命が高甕雷神から神剣を授かった場所、さらには熊野三所大神が最初に地上に降臨した場所といわれる巨岩。岩の裾部から中世の経塚群や弥生時代の銅鐸などが出土した。BCC経塚関係司祭者が座す場所でありながら、神が降臨する場所でもある。銅鐸と経塚の伴出。
和歌山県BABA
和歌山県BCD
鏡石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
唐斗石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
平石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社実方院跡に所在。七石
三ッ石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社珍重庵右横に所在。七石
烏石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社熊野那智大社の遥拝所奥にある岩石。神倭国磐余彦の道案内をした八咫鳥が石化したというもの。C七石
和歌山県生き物が石化したもの
和歌山県秘匿されている岩石
笈掛石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町熊野那智大社と青岸渡寺の間に所在。七石
降石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 青岸渡寺宿坊の尊勝院の裏庭に所在。天から落ちてきたという岩石。七石
和歌山県可動的性質
河内様/河内神社/清暑島30和歌山県東牟婁郡古座川町古座川に浮かぶ小島で、島全体が河内神社としてまつられている。島頂に一枚岩が存在。古座川の川神をまつる場所。BABC禁足地7月の河内祭では、河内様に古座川の清水(潮)を奉納する。
西の倉30和歌山県東牟婁郡古座川町河内様の上流にそびえる岩山。EC
重畳山30和歌山県東牟婁郡串本町橋杭岩と同じ成因による岩脈が残る山。山内に重畳山神社・神王寺と石仏群が存在。EC
橋杭岩30和歌山県東牟婁郡串本町串本の沖から紀伊大島に向かって立ち並ぶ岩の列。太古のマグマによって形成された岩脈が、黒潮の浸食で削られたもの。弘法大師あるいは太吉という村の正直者が一晩で架けようとした橋脚の跡と伝えられる。C
和歌山県EC
高塚の森30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬潮御崎神社の神域とされる森。マウンドと露岩群があり、応神天皇の侍従の墓と伝えられ、かつて小祠があったという。マウンド南西に列石・土堤・平坦地形が指摘され、測量調査が実施される。また、夏至に平坦地形からマウンドを望むと、露岩群から太陽が上ってくることが確認され、高塚の森は太陽祭祀の場だったとする説が出されたが、そのことを裏付ける文献記録や遺物の存在に欠ける。夏至の日に、平坦地からマウンドの露岩の頭上に日の出の太陽を望む太陽祭祀の可能性が指摘されている。
盃岩30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬 旭之森神功皇后が酒宴を催した際に杯を置いたという岩石。C
阪田山遺跡 環状配石遺構30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田山腹斜面に自然露出の岩盤が広がり、その下方に弧状列石、焚火址2ヶ所・環状配石を検出。環状配石遺構は、大小の砂岩16個を直径約1mの環状に配置され、配石の内側からは臼玉約2000点の他、包含層上部からは有孔円板・剣形製品・勾玉・管玉が偏って出土した。環状配石は祭祀具配置空間を明示する遺構あるいは祭祀終了後の廃棄場所を区画する遺構だった可能性がある。BCD環状配石の内外で土砂の種類、遺物の出土点数に差がある。配石内に遺物があまりに多量ということと、臼玉とそれ以外の遺物に出土位置の差が見られるため、祭祀具配置・埋納・廃棄跡など様々な機能が推測される。
和歌山県DB
阪田山遺跡 弧状列石30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田岩盤の下方斜面に弧状・壇状に配された岩石群。自然の露岩の可能性もある。
阪田山遺跡 岩盤30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田遺跡における祭祀対象と推測されている岩盤。遺跡中最も最高所の斜面に立地。
かろと石30和歌山県田辺市秋津川僧が石を煮て食べ、行をしてから岩石の中に入り、そのまま出なかった。これをかろと石と呼ぶ。BCE岩石の中に籠る
和歌山県BAC
白山 岩石群30和歌山県有田郡有田川町 白山田殿丹生神社の裏山である白山の中腹に、数十mはあろうかという巨岩が屹立し麓から仰ぐことができる。磐座ではないかという説があるが、歴史的に裏付ける明確な資料が確認できない。白山自体は神聖視されており、山頂に白山神社が鎮座。
タテリ岩/一の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮山頂にある高さ5.5mの蛇紋岩。康平6年(1063年)、ここに最初に宮を建てて一の宮と称したとの貴志川八幡宮の社伝がある。CA
中宮/中の宮/上の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮康平6年(1063年)に一の宮を設けた30年後、山腹に遷座して上の宮と称したといわれる場所で、多くの自然石が群集している。周辺一帯の自然石の上面や岩陰から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品が見つかっている。CA
岸宮中宮遺跡 環状配石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮中宮の自然石の群れの西に隣接。20数個の角礫を直径約1.5mの環状に巡らせた遺構で、石同士は粘土で固定され、配石内部は石敷きがされていた。1mほど東からは常時湧水を溜めていた井戸遺構を検出。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
岸宮中宮遺跡 敷石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮環状配石遺構の西に隣接。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
前庭/庭園/石組(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮 貴志川八幡宮社殿前の石段脇にある岩石群。安土桃山時代の製作の庭園とされているが、山裾の磐座に手を加えたものとする説もある。EC
七福の庭30和歌山県和歌山市 和歌山城紀州徳川藩祖の徳川頼宣が、紀州藩の隆盛を祈念して1621年(元和7年)に作った石庭。七福神が船に乗っている様子を岩石に擬して配置したもの。かつて本丸御殿の中央にあったが1923年に現在地に移転した。BBC原位置から移動伝承人工的に信仰対象の岩石を製作・奉献して守護神にする。
和歌山県A
弁財天山30和歌山県和歌山市 和歌山城南かつて和歌山城敷地内にあったとされる岩山。麓には紀州徳川勧請神社・子供観音があるほか、山の神の石碑が残されている。頂上が岩山
後醍醐天皇お腰掛けの岩31鳥取県西伯郡大山町御来屋後醍醐天皇が腰掛けた岩石。この岩石に船をつないでおくと流されることはないという。CC休み石・腰掛石
産石31鳥取県米子市橋本 阿陀萱神社天から落ちてきた岩石で、産石神社を建ててまつったという。A可動的性質
金鶏石31鳥取県米子市上新印 圓福寺箱と蓋の2つから構成される岩石構造物で、中には金の鶏(鳩とも)が入っており、元旦に泣いて福を与えてくれたという。かつて別の場所の寺にあり、小僧が開けてしまい金鶏は逃げてしまったので、和尚は逃げてしまった現在地に寺と金鶏石ごと移転したという。BAC黄金の何かが隠されているという伝説
鳥取県EC原位置から移動伝承
赤猪岩31鳥取県西伯郡南部町寺内 赤猪岩神社倭国神話で大国主命を焼き殺した猪岩を土中に封印し、その上に大きな蓋石と玉垣を施し禁忌とした。EA可動的性質不敬の岩石を土中に埋め、蓋石で封じ込める。
鳥取県BBB禁忌が厳しい
越路遺跡31鳥取県鳥取市越路宮丸山立地は麓近くの丘陵斜面。地表下約0.5-1mの辺りで、大ぶりの板石の下から銅鐸1出土。今は存在しない岩石
影石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
重石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
富士石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
天狗石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
万灯石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
双履石31鳥取県鳥取市国府町宮下 宇倍神社武内宿禰が亡くなる前に残したといわれる草履の石化したもの。地中に竪穴式石槨が眠っていることが分かり、古墳石材の一部ということが判明した。C物品が石化したもの
鳥取県遺物・遺構の再利用
岡益の石堂31鳥取県鳥取市国府町岡益安徳天皇陵と伝えられる石造遺構。石檀の上に板石で側壁を造り、中心にエンタシス調の石塔を立てた構造物。製作年代、元来の用途共に不明。聖者が亡くなった場所
羽衣石31鳥取県東伯郡湯梨浜町 羽衣石山天女が水浴びをするため自らの羽衣をかけていた岩石。裾に天女をまつる祠を設けている。C
安産岩31鳥取県東伯郡東郷町宮内 宮内倭文神社難産に苦しんだ妊婦が宮内倭文神社に祈願したところ、この岩石の前で安産したという。以降、安産の霊験を持つ岩石として信仰される。A
春日シヌン谷遺跡32島根県八束郡東出雲町春日シヌン谷露岩群の裾から手捏土器など出土。平野部からかなり奥まった丘陵斜面に位置するが、露岩群の近くに住居址状のテラス4ヶ所検出。今は存在しない岩石
座王さん32島根県松江市鹿島町佐陀本郷 恵曇神社恵曇神社祭神の磐坂日子命が腰掛けたという岩石。C休み石・腰掛石
志谷奥遺跡32島根県松江市鹿島町佐陀本郷字志谷奥高さ1.5mほどの2体の巨石の1.5mほど離れた場所の地中の下層から銅鐸2点、上層から銅剣6点が整然と出土。今は存在しない岩石
元宮/磐座32島根県松江市八雲町熊野 天狗山出雲国一宮熊野大社の元宮と伝えられる山頂付近の露岩群。現在は毎年5月に供物を捧げる元宮祭が行なわれている。BA
島根県CA
犬石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた犬が石化したもの。C生き物が石化したもの
猪石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた猪が石化したもの。C生き物が石化したもの
女夫岩さん/宍岩さん/女夫岩遺跡32島根県松江市宍道町白石2体の巨岩を中心とし、手前に石壇を有する遺跡。古墳時代中期・後期の土器、近世・近代の遺物が出土。石壇も近世・近代のものと推測される。『出雲国風土記』の猪石の候補地。
真玉/真玉さん/願い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社湯山主之大神(大己貴命)としてまつられてきた自然の丸石。近年「願い石」と呼ばれ、「叶い石」を使った信仰が生まれる。A近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
島根県BBD
叶い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社神社で販売している小石。この小石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に移り、自分のお守りになるという。近年考案された祭祀。BBD近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
御守石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社勾玉の原石。別の場所に保管されていたが、近年の「願い石」信仰を受けて境内に移設されて名付けられる。BD近代以降の命名
夫婦岩32島根県雲南市大東町須賀 八雲山山腹に立地する、須賀神社の奥宮とされる3体の巨岩を中心とする岩石群。それぞれ須佐之男命・奇稲田比売命・清之湯山主三名狭漏彦八島野命をまつる。BAC
島根県CA
大岩32島根県雲南市加茂町岩倉大岩の下には金鶏がおり、大晦日にだけ鳴き声を出し、それを聞いた者は巨万の富を得ることができるという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
矢櫃神社 岩石群32島根県雲南市加茂町岩倉矢櫃神社の旧社地の背後に露出する岩石群。岩倉の地名の元ともいわれるが詳細由来不明。
成長石32島根県雲南市三刀屋町多久和 飯石神社ある日突然天から落ちてきた岩石といい、日に日に岩石が大きくなるので、村人達が神様として神社を建ててまつったのが飯石神社の始まりという。明治時代の遷宮工事の際、この岩石の周辺から古墳時代の須恵器片が出土した。A突如出現した岩石
島根県岩石が満ち欠け・増減・出産する
島根県可動的性質
岩坪/岩坪さん/岩坪明神32島根県出雲市東神西町 那売佐神社川床の岩盤に甌穴が開いたもの。神が生まれた時に産湯に使ったという。甌穴は普段砂で埋まっているが、旱魃の時に砂を掘り出して雨乞いすると雨が降るという。C岩穴・窟甌穴に埋まった砂を掘り出すと雨が降る。
島根県BBD
烏帽子岩/石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された楯縫郡神名樋山の石神。日照りの時に雨乞いをすると必ず雨が降るという。A
小石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された、楯縫郡神名樋山の石神の周囲に群集する百余の小石神。この一帯及び付近の滝壺から古墳時代の土師器片が発見されている。A石神の周囲に付き従って百余の小石神の存在が記載される。
島根県BD
命主神社遺跡32島根県出雲市大社町 出雲大社命主神社は出雲大社の境内摂社。江戸時代の社殿改修時、社殿背後の大岩の下から弥生時代の銅戈4点、ヒスイ製勾玉が出土した。今は存在しない岩石
首岩32島根県出雲市佐田町反辺 多倍神社素盞鳴尊が退治した鬼の首を地中に埋め、地表に岩石で蓋をして封じたもの。この岩石に触れると鬼の血が付くといわれている。BBB岩石から血が出る鬼の首を埋めて岩石で蓋をして鎮める。
島根県C
上方林遺跡32島根県仁多郡奥出雲町下横田字上方林丘陵斜面において配石遺構が2ヶ所で出土し、近くに須恵器大甕・金銅製金具、土馬などが配置されていたと報告されている。今は存在しない岩石
大神岩/窟32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の窟。内部に所造天下大神の御琴と記載された石の亀裂がある。BCA岩穴・窟神の琴を納めた窟がある。
島根県BAC岩石表面に印・痕・模様が残る November 11, 2025
1RP
若宮様35山口県宇部市吉部 信田丸城跡付近かつて石祠の中に小さな岩石をまつっていたというが、今は石祠しか存在しない。祠を勝手に動かすことは禁忌とされている。BAC禁忌が厳しい
BCA今現在確認がとれていない岩石
殺生石35山口県長門市正明市 飯山八幡宮 八面稲荷那須湯本で討ち取られた九尾の殺生石が飛び散った欠片。ここでも当初災いをもたらしたが、飯山八幡宮の宮司が稲荷としてまつったところ祟りは鎮まったという。EA祟り伝承
山口県A
消災石35山口県周南市鹿野 漢陽寺漢陽寺境内にある岩石。漢陽寺和尚が若い頃修行した中国杭州の径山で火事があった時、この岩石に水をかけたところ岩石からジュージューと蒸気が立ち込め、径山の火災を食い止めたという。C岩石から煙・光・火・気などが出る
神籠石35山口県下関市一の宮 住吉神社神社の旧跡として伝えられる立石。C
弁慶の岩窟古墳36徳島県小松島市芝生町大嶽古墳時代後期(7世紀初)の横穴式石室が露出。弁慶が作った岩窟だといわれている。C岩穴・窟
徳島県遺物・遺構の再利用
城山貝塚36徳島県徳島市城山地山から露出した岩肌の岩陰に、縄文時代後期を中心とする貝殻の層のほか、弥生時代の土器片と人骨3体分が見つかった遺跡。縄文時代の貝塚が弥生時代に墓域空間となった事例。BCA岩穴・窟
八倉比売神社 奥宮/奥の院/神陵36徳島県徳島市国府町 八倉比売神社円墳の頂部に築かれた五角形の石壇。祭神の八倉比売命の墓所とされる。C聖者が亡くなった場所
立岩36徳島県徳島市八多町 立岩神社高さ7mの立岩。基部左右に2つの大玉石が寄り添う。天津麻羅をまつる。A
大玉石36徳島県名西郡神山町神領高根球状の岩石。手前に石祠をまつる。
天禺岩36徳島県名西郡神山町神領高根高さ80mの巨岩。頂部に別の岩石が乗っている。
台石36徳島県名西郡神山町神領高根高さ10mの巨岩。
立岩36徳島県名西郡神山町鬼籠野 立岩神社高さ20mの立岩。中心に縦に亀裂が入る。A
岩の鼻36徳島県吉野川市吉野川に突き出てそびえる岩山。南斜面から弥生時代の銅鐸が出土したという話があるが、明確な記録なく、本当かどうかは不確か。頂上が岩山
交合石神社36徳島県吉野川市山川町祇園 大神宮山2枚の板石を神社としてまつったもの。縁結び・安産・性信仰の神という。A
神籠岩/麻笥岩(おごけ)36徳島県吉野川市山川町岩戸 岩戸神社頂部に天の真名井と呼ばれる甌穴があり、そこに延命水と呼ばれる霊水が絶えず溜まっていて皮膚病に効くという。BBD岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
徳島県岩石に溜まった水が枯れない
建石/皇護石/列石/磐境/結界石36徳島県三好郡東みよし町中庄 八幡神社神社の境内を取り囲むように並べられている現存総数387本の板石の列。建石の根は深く、地中深くになればなるほど建石はますます厚みを増すという。建石をどかそうとすると、決まっておなかが痛くなったり、神社へ侵入しようとする泥棒は、建石まで来ると動けなくなってしまうという。建石付近の地中からはたたら製鉄の遺構が見つかっている。BCA祟り伝承板石を持って神社の境内を区画する。
徳島県岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
石体36徳島県三好郡東みよし町中庄 八幡神社本殿にまつられている岩石の神体。A秘匿されている岩石
山の上の大石36徳島県三好郡東みよし町中庄山の上に大石があり、村人は山に登って大石にお参りしていたが、遠くて体力的にも辛いと感じるようになった。すると、山の上にあった大石が麓の長善寺に降りてきたので、以降、山麓でお参りをするようになった。A原位置から移動伝承
徳島県岩石が動く
徳島県可動的性質
岩神/税神36徳島県三好郡東みよし町西庄岩神御供泉といわれる清水に接して岩があり、岩神という。A岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
磐座36徳島県三好郡東みよし町西庄1m弱の柱状石が3本ほど屹立した状態の岩石群。付近から磨製石斧・石鏃が見つかったという。近代以降の命名
支石墓36徳島県三好郡東みよし町西庄机状・鳥居状の石組がなされた構造物。近代以降の命名
石敢当36徳島県三好郡東みよし町加茂「石敢当」という文字を刻んで邪気や悪霊を防ぐ霊石とした1862年製作の石造物。BBB
ウスキの岩屋36徳島県三好郡東みよし町白内岩穴・窟
巫女の岩屋36徳島県三好郡東みよし町東毛田岩穴・窟
蛇巻き石36徳島県三好郡東みよし町大蛇が巻きついて昼寝をしていた岩石。EC
祟りを持つ石36徳島県三好郡東みよし町大蛇が昔住み着いていたといわれ、誰も近づいてはいけないという岩石。ある子供が、この石に垂れ下がっていたかずらにぶら下がって遊んでいたら、その夜、高熱で寝込んでしまった。EA祟り伝承
徳島県悪者が住んでいた・いる場所
へんろ石36徳島県三好郡東みよし町あるお遍路がここで亡くなったため、村人が平たい石を「へんろ石」と名付けて墓代わりに供養した。その後供養されなくなってくると、へんろ石から人を呼ぶ声が聞こえたり、へんろ石を踏んだ人達が腹痛や病気になった。そこで再び村人がへんろ石を供養したところ、変事は起こらなくなったという。BBB祟り伝承
徳島県岩石から音声が聞こえる
段ノ塚穴古墳36徳島県美馬市美馬町古墳石室を神祠の祭祀施設として再利用した事例。BCA遺物・遺構の再利用
天の磐戸/天岩屋戸36徳島県美馬郡つるぎ町一宇字法正 天磐戸神社天岩戸に擬せられた幅1m、奥行9mの洞窟。C岩穴・窟
神楽石36徳島県美馬郡つるぎ町一宇字法正 天磐戸神社天岩戸神話で神々がこの上で議論をしたといわれる岩石。C
御塔石36徳島県美馬郡つるぎ町一宇山頂近くにある高さ約8mの巨岩。EC
めおと岩/天の磐座の峯36徳島県阿南市-海部郡美波町 明神山従来めおと岩と呼ばれていた岩石を2006年頃に整備して「天の磐座の峯」と新たに命名した。近代以降の命名
立場石36徳島県海部郡美波町隣村に嫁ぐ娘が、実家で拾った石を山頂に置いたもの。実家の家族を案ずるごとに石が大きくなり、麓からでも見えるようになった。EC岩石が満ち欠け・増減・出産する
安田極ヶ谷遺跡37香川県小豆郡小豆島町安田岩塊数点の上に大ぶりの石が乗り、その隙間から銅鐸1点出土。
荒神島遺跡37香川県香川郡直島町 荒神島露岩の周辺から有孔円板・勾玉・臼玉・土器群が出土。
クジラ岩37香川県東かがわ市大内 本宮山クジラが口を開けているかのような形状をしていることから名付けられたと思われる岩石。詳細由来不明。
ゆるぎ岩37香川県綾歌郡宇多津町 聖通寺山重さ約10tの岩石。指1本で揺れ動くという。EC岩石が動く
三つ岩37香川県綾歌郡宇多津町2つの岩石が横並びし、その上にもう1つの岩石が乗りかかっている構造物。
御膳岩37香川県綾歌郡宇多津町 宇夫階神社神社創建以前から神聖視されていたという岩石。C
残念切りの石37香川県坂出市神谷町 神谷神社神谷神社で狼藉を働こうとした不届者に対して、この場所まで来た時に大量の蜂が襲ってきたため、不届者が残念がってこの岩石に刀傷を残して逃げた。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
影向石37香川県坂出市神谷町 神谷神社社殿が建てられる以前、この岩石の上で天神地祇を祭祀したという。BCC祭祀執行者であり信仰対象岩石の上で神祭りを行なう。
香川県BABB
求聞持石37香川県坂出市高屋町 遍照院地中から出現した岩石。宝珠の形をしているため、弘法大師がこの岩石の上で求聞持法の行をしたという。現在、岩石の上に地蔵仏が置かれている。BCC突如出現した岩石
香川県BCE岩石が改変されている
加茂明神原遺跡37香川県坂出市加茂明神原標高140mの山腹に分布する岩石群の地中約30cm地点から銅鐸1点出土。
佐岡遺跡37香川県仲多度郡まんのう町長尾東佐岡傾斜地に存在する岩石の間より銅剣2点出土。
船磐37香川県仲多度郡琴平町櫛梨神社祭神の神櫛王命が来臨したときに乗ってきた船の岩石。C
北条遺跡37香川県三豊市高瀬町上高瀬小ぶりの石を数十cm盛り上げた遺構の中から銅剣3点出土。今は存在しない岩石
岩屋石/屋根石37香川県三豊市仁尾町朝日 妙見山自然の巨岩を屋根として手前に堂宇を築き、岩屋妙見宮をまつった。堂内側の岩石表面に護摩の煙跡が残っている。BCA岩穴・窟自然の巨石を屋根・天井代わりにして、手前に堂宇を造る。
香川県岩石表面に印・痕・模様が残る
天蓋石37香川県三豊市仁尾町朝日 妙見山自然の巨岩を天井として、岩屋石と共に岩屋妙見宮を形成している。BCA岩穴・窟自然の巨石を屋根・天井代わりにして、手前に堂宇を造る。
開運の洞穴/胎内くぐり37香川県三豊市仁尾町朝日 妙見山本堂の横にある洞穴。潜り抜けると開運という。BBD岩穴・窟
明星石37香川県三豊市仁尾町朝日 妙見山
千貫岩37香川県三豊市仁尾町朝日 妙見山丸亀藩家老が名付けたといわれる千貫松が、昭和時代末までこの岩石の上から生えていたという。麓の見晴らしが良い場所。EC
神楽石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島天狗神社の守り本尊とされる岩石。陽石に似ているため性信仰の対象ともなっている。A
笑い石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島陰石状の岩石で姫岩神社とも呼ばれる。神楽石と一緒に参ると家庭円満という。A
桃太郎岩37香川県三豊市仁尾町 大蔦島桃太郎伝説になぞらえた岩石。C
烏帽子岩37香川県三豊市仁尾町 大蔦島烏帽子の形状に似た岩石。EC
ひき石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島島の沿岸に集まる3個の岩石。人によって見えるものが違うという。
平石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島島の沿岸に浮かぶ頂面平らの岩礁。EC
弁天岩/立石38愛媛県越智郡上島町 生名島高さ約5mの立石。生名島で採れない石材といわれるが原産地は不明。A
立石山遺跡38愛媛県越智郡上島町 生名島島頂に大小の岩石が群集しており、そこから弥生中期・古墳時代の遺物出土。弥生時代の遺物は祭祀用というよりも高地性集落説が高い。岩石群の合間から弥生土器・小型円筒形磨き石・石斧・石鏃・石包丁・ナイフ形石器・須恵器・土師器・貝殻類・川原石の出土。
磐座38愛媛県四国中央市三島中央1丁目 三島神社玉垣内に囲まれた空間内に大小の岩石群が存在。屋敷神の旧鎮座地といわれている。C
竜宝石/鯛寄せの石38愛媛県四国中央市三島中央1丁目 三島神社元々は沖合いにあった岩石でここから毎日鯛が釣れるため、神秘的な岩石と思った庄屋が自宅の庭に岩石を運搬してきたところ不幸が相次いだ。毎日海水を岩石にかけて海の神を拝んだところ災いは収まった。明治時代になって庄屋の子孫が三島神社に奉納した。A祟り伝承鯛が寄ってくる岩石を欲しいと思って自宅に持ち込んだ人に対して祟りを起こす。祟りを鎮めるため岩石に海水をかける。その後神社に奉納する。
愛媛県BBC水をかける・水に漬かる
愛媛県原位置から移動伝承
愛媛県可動的性質
立石遺跡38愛媛県四国中央市土居町津根字立石巨石下から銅矛先端1点出土。
天狗岳38愛媛県西条市 石槌山石鎚毘古命そのものを表す岩山。A頂上が岩山
天柱石38愛媛県西条市 石槌山
牛石/入日滝遺跡38愛媛県今治市大三島町台入日滝安神山南麓の台川上流入日滝にある「牛石」という岩石の中から集中して手捏土器約20点・土師器約1000点出土。
甑石38愛媛県松山市北条除夜に炊事の湯気が立ち上るという高さ6mの白石。甑石を砕いた石片を火打石にする風習があり、その代替に別の小石を乗せておくと甑石と一体化して甑石が損傷することはないという。EB岩石に損傷を加える行為岩石を欠く代わりに別の岩石を乗せておく。
愛媛県岩石が満ち欠け・増減・出産する
愛媛県岩石から煙・光・火・気などが出る
弥勒様38愛媛県大洲市 神南山女神南の頂上にある2体の立石を中心とする岩石群。雨乞いの霊験があるという。A
オショウブ岩38愛媛県大洲市 神南山山頂にあり、下部に洞穴状の岩屋を有する岩石。
ドンビ岩38愛媛県大洲市 神南山卵形の岩石。
八畳岩38愛媛県大洲市 神南山ドンビ岩の直下十数町の位置にある扁平楕円形の緑泥片岩。この岩石の下には金の茶釜が眠っていると伝えられている。EC黄金の何かが隠されているという伝説
盤珪禅師の座禅石/如法寺山頂巨石遺跡38愛媛県大洲市 冨士山/如法寺山山頂にある机状の岩石。盤珪禅師の座禅石。C休み石・腰掛石
仏岩/高山メンヒル38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山高さ4.75mの立石。岩石の表側は仏菩薩で、岩石の裏側は神が宿るとされる。かつて石材として麓に運び出されたが、翌日には元の場所に戻っていたという。眼の病に霊験がある。鳥居龍蔵によりメンヒル認定された代表例としても有名。A岩石が動く
愛媛県眼病に効く
愛媛県近代以降の命名
疣岩38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山高さ約2mの岩石。
神石38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山神田神社の下にあるドルメン状の岩石。神石として畏敬されているという。A
通仙岳38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山信仰対象としての霊石。A
高地イラズ38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山通仙岳の上部の山頂に広がる岩石群。地元の人が近づかなかった場所。BCA禁足地
朝立台遺跡38愛媛県西予市三瓶町朝立山腹にある巨石の周辺と山麓から古墳後期の土師器出土。
覗き石39高知県高岡郡檮原町-愛媛県上浮穴郡久万高原町 地芳峠峠にあり穴が貫通した岩石が立つ。高知側の永野・峰の段集落の人々が6/28に石槌山を遥拝する場所。BBA石に開いた穴を通して遠くの山を遥拝する。
灯明巌39高知県安芸郡安田町唐浜岬に屹立する岩石。夜や異変の前触れには岩が発光するという。EB岩石から煙・光・火・気などが出る
礫石39高知県高知市一宮町 土佐神社別の場所に鎮まっていた神が、新しい鎮座地を求めて放り投げて落ちた岩石。土佐神社鎮座の起源を物語る神跡。C
禊岩39高知県高知市一宮町 土佐神社禊神事を行なう斎場にあり、祓の神徳がある岩石。河川工事に伴い現在地に移転された。BCB可動的性質
高知県Aここで自らを整える・清める
大山祇神社の岩39高知県高知市天神町 潮江天満宮本殿の裏にある岩石。岩石の上に石祠がまつられている。BABC
八畳岩39高知県高知市柴巻麓・太平洋の眺望が良い平たい岩場。EC
ゴトゴト石39高知県高知市土佐山押すとゴトゴト揺れ動くことから名付けられた岩石。EC岩石が動く
お菱岩39高知県高知市春野町甲殿高さ約20mの菱形の岩石。詳しい由来は伝わっていない。EC
屏風岩39高知県高知市春野町甲殿住吉神社の奥の院の裏に控える屏風状の岩石。EC
烏帽子岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
お亀岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
蝙蝠岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
鳩岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
お舟岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
唐人駄馬遺跡39高知県土佐清水市奇岩怪石の群れがあり、縄文時代の石器が採集されているが、祭祀場として機能していたかは不明。
おなで石40福岡県北九州市門司区奥田 淡島神社体の悪い所をこれでなでると快方に向かったり、お腹をさすると子宝安産になるという小石の群れ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
福岡県可動的性質
蛇の枕石/夜泣き石40福岡県北九州市小倉北区篠崎 篠崎八幡宮恋仲の女蛇に会えない男蛇が夜毎この岩石を枕にして泣き続けたという。八雲の神が哀れに思って男蛇を竜神に変えて女蛇のいる場所へ導いたという。子供の夜泣き、恋愛成就に霊験があるという。CC
恋占い石40福岡県北九州市八幡東区祇園 仲宿八幡宮目をつぶり、この岩石に辿り着くことができたら恋愛成就という占い石。BBD
女郎岩/上﨟岩/日峯山遺跡40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山山頂直下の斜面上に立地していた立石。周辺は岩場。玉依毘売命由縁の岩石という。手前から古墳時代中期以降の土師器群が出土。発掘調査後、倒壊の危険があるため麓の日峯神社境内に移設された。山頂で祭祀を行なわず、山頂直下の岩石を磐境・磐座に見立てて祭祀を行なったと推測される事例。C原位置から移動伝承山頂で祭祀をせず、山頂直下の岩石の手前で祭祀を行なう。
福岡県BCA
福岡県BA
国見岩40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山隠岐国焼火神社祭神の大日孁貴尊がこの岩石の上に腰掛けて隠岐島を偲んだという。C
琵琶岩40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山隠岐国焼火神社祭神の大日孁貴尊がこの岩石の上で琵琶を弾いて四方を鎮めていたという。C神が岩石の上で琵琶を弾いて国土を鎮める。
福岡県BCC
古代祭場跡/磐境40福岡県北九州市八幡西区山寺町 一宮神社神武天皇が東遷の折に、この地で天神地祇を奉祭したといわれる場所。奥に方形の敷石施設、手前に円形の敷石施設を配し、敷石の中心に常磐木を立てる。C石を方形・円形に敷き詰めて、中央に常磐木を立てて祭祀する。
福岡県BCA
福岡県BABB
高宮40福岡県宗像市田島 宗像大社辺津宮宗像大神の降臨を迎えていたという社殿祭祀以前の祭祀場。列石を持って祭場を区画した施設。BCA
福岡県C
沖ノ島 1号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島露天祭祀の遺跡。東南隅に大石があり、その周囲平坦面一帯を石塁で祭壇状に構築した遺構。8-10世紀初頭の各種祭祀遺物が出土。BCA
沖ノ島 3号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島露天祭祀の遺跡。巨岩の横に接しているが露天上であり、巨岩との関連性は不明。
沖ノ島 4号遺跡/御金蔵40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩と巨岩が積み重なり、巨岩下に洞穴状の隙間が形成された遺跡。古墳時代の遺物も見つかっているが、中世以降も様々な用途で再利用された空間と見られる。BCA
沖ノ島 5号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。複数の巨岩が折り重なって形成された岩陰から露天上にかけて、土器を中心とした祭祀遺物の出土。BCA
沖ノ島 6号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩岩陰で列石を以て祭祀空間を区画している遺構。6-7世紀代の各種祭祀遺物が出土。BCA
沖ノ島 7号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩の岩陰床面を石英斑岩の剥片で若干整えた痕跡が見られる。中央に玉類、東側に武器類、西側に馬具類という規則的な遺物配置が確認されている。BCA
沖ノ島 8号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。7号遺跡と同じ巨岩の岩陰で、7号遺跡とは背中合わせの位置。岩陰の奥方中央に大石があり、そこから玉類が大量に見つかったため大石を祭祀対象とした可能性が高いと考えられている。BCA
福岡県BAA
沖ノ島 9号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 10号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 11号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 12号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 13号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 14号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。
沖ノ島 15号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 16号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。東にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。礫石を敷いて上に祭祀具を配置していたと推測され、遺物は5-6世紀代で新旧あり岩上祭祀でも最終段階に属す遺跡と考えられている。BCA
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 17号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。北にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。表面を上にして鏡を積み重ね、鏡と鏡の間には車輪石や礫石を挟んで固定し、それら遺物の上から石を積んで蓋をしている。BCC祭祀具を礫石などで挟んで固定し、さらに祭祀具の上から石を積んで蓋をする。
福岡県BCD
沖ノ島 18号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。周辺一帯で最高所の位置にある岩上にて、原形をとどめていないが複数の石組状遺構が確認されている。三角縁神獣鏡・石釧・玉類など4世紀後半に遡る遺物が出土し、沖ノ島最古級の祭祀遺跡と見られる。また、18号遺跡の巨岩は16・17・19号の祭祀対象だったと推測されている。BCC
福岡県BCD
福岡県BA
沖ノ島 19号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。南にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。岩上において、赤土・歴史床面を整え、列石で区画して壇を作り、壇上に石を敷いて祭壇状にしている。一帯からは滑石製玉類が多めの各種祭祀遺物が出土。BCA
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 20号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。中央に金属製品、左側に滑石製品、右側に土器類を配置した様子が確認される。BCA
沖ノ島 21号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。巨岩の頂部平坦面において方形区画の列石を配し、区画内に岩塊を置いた遺構。岩塊周囲から5世紀前-中の各種祭祀遺物出土。BAA自然の巨岩の上で、方形区画の列石内に岩塊を置いて祭祀対象とする。
福岡県BCA
福岡県BABB
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 22号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩の庇岩陰部分に列石が構築され祭祀場を区画しており、6-7世紀代の各種祭祀遺物が出土。BCA自然の巨岩が織り成す庇岩陰部分を天井面に利用して、地表面には列石で区画して祭祀空間を形成する。
沖ノ島 23号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩が折り重なる洞穴状空間から各種祭祀遺物が出土。BCA
鎭懐石40福岡県糸島市二丈深江 鎭懐石八幡宮神功皇后が三韓征伐の際、2個の卵石を腰に巻いて陣痛を鎮めた。帰還後、当地に2個の卵石を奉献したことから鎭懐石八幡宮がまつられた。BBB秘匿されている岩石2個の岩石を腰に巻いて陣痛を鎮める。
福岡県BBD可動的性質
福岡県BBC
福岡県C
香合石/神籠石40福岡県糸島市前原町 雷山雷神が三種の神器を中に収納したといわれる香箱形の岩石。BCD
福岡県C
亀石40福岡県福岡市東区志賀島 志賀海神社神功皇后が三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗ってやって来た伝承にちなんで、後世に奉納された岩石。BBC
俎石/俎岩40福岡県嘉麻市田島大隈 鮭神社鮭神社祭礼の際、豊玉姫が鮭を使いに向かわせ、鮭神社祭神であり息子である葺不合尊に対して、鮭がこの岩石から礼拝する。また、その鮭をこの岩石の上で清めて神社に奉納する。BBA神の使いである鮭が拝礼するポイントであり、さらにその鮭を清めて奉納する場でもある。
福岡県BCD
古大間池遺跡40福岡県糟屋郡粕屋町滑石の露頭があり、滑石製模造品など滑石製品の原産地・採掘地として利用された。DA
礫石40福岡県糟屋郡篠栗町 若杉山麓香椎の神が若杉山から無断で杉を持っていこうとしたため、若杉山の神が怒って香椎の神に投げつけた2個の岩石の名残。C神々の力比べ・喧嘩
王墓の上石40福岡県春日市須玖 須玖岡本遺跡弥生時代の甕棺墓の直上地表面に置かれていた細長い岩石。墓標・蓋石などの役割を担っていたと考えられている。原位置から移動伝承
カマト石/鼎石/仙竃石/竃門岳40福岡県太宰府市 宝満山トライアングル上に立つ3体の岩石。その様子が鼎の脚部に見立てられこの名が付いた。天神地祇が湯浴みをするために釜湯を沸かせた場所という。C
釜石40福岡県太宰府市 宝満山カマト石の上に乗せた釜が石化したもの。貞享年間(1684-87)『竃門山旧記』に記載があるが実物は所在不明。C今現在確認がとれていない岩石
釜ノ蓋石40福岡県太宰府市 宝満山カマト石の上に乗せた釜の蓋が石化したもの。貞享年間(1684-87)『竃門山旧記』に記載があるが実物は所在不明。C今現在確認がとれていない岩石
針ノ耳戸/石門40福岡県太宰府市 宝満山心蓮上人と玉依姫命(金剛神)が出会った場所。C
馬蹄石40福岡県太宰府市 宝満山上宮の直下に存在。金剛神の竜馬の蹄の跡が残った岩石。C岩石表面に印・痕・模様が残る
宝城窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。窟内に湧水源があり、窟内から多数の土師器と少数の瓦器・陶器片が出土。窟外からは遺物出土なし。BCE岩穴・窟
福岡県C
福城窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
釼窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
大南窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。8世紀末-13世紀前半の土師器・須恵器・瓦器・陶磁器出土。BCE岩穴・窟
福岡県C
藤窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
宝塔窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
釜蓋窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
宝ノ岩屋/雨宝ノ岩屋40福岡県太宰府市 宝満山役小角がにわか雨をしのいだ場所。後に雨宝童子が安置される。C岩穴・窟
福岡県BCA
福岡県BAC
笠窟40福岡県太宰府市 宝満山
行者堂跡40福岡県太宰府市 宝満山文保2年(1318年)銘の梵字が刻まれた岩石。
上宮遺跡/上宮裏遺跡/岩棚遺跡40福岡県太宰府市 宝満山上宮社殿の背後に断崖絶壁があり、崖下10mに平坦面を持つ岩棚があり、ここから8世紀後半-9世紀代の土師器・須恵器・灰釉陶器が出土。崖の上から投げ込まれたものと類推される。DB土師器杯には油煙の付着したものが多く、灯明皿として用いられた可能性が高い。土器の中には穿孔したものもあった。
普池窟40福岡県太宰府市 宝満山
袖すり岩40福岡県太宰府市 宝満山馬蹄石の下方にある岩石。袖を擦るほどの隙間を進む場所。EC
遠見岩40福岡県太宰府市 宝満山眺望の良い場所にある岩石。EC
座頭墓40福岡県太宰府市大字北谷字大黒字昔から手を触れることが禁じられている石積。畑地内にある。EA禁忌が厳しい
岩間40福岡県筑紫野市大字武蔵字池上 天拝山荒穂神社山腹の神社の背後に存在する露岩群。荒穂明神が鎮座したといわれる岩石群。BA
福岡県C
馬蹄石/神籠石40福岡県久留米市御井町 高良山高良大菩薩がこの地に降臨した時、乗っていた馬の蹄が付いた岩石。この馬蹄跡を踏んで山を登ると足が軽くなるという。BABA岩石表面に印・痕・模様が残る
福岡県C
八葉之石畳/蓮花石40福岡県久留米市御井町 高良山高良大菩薩が一夜の内に築いた列石。現在、一般的に高良山神籠石と呼ばれている遺構のことを指す。C
大日窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
普賢窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
多聞窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
吉祥窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
阿弥陀窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
求菩提山山頂岩石群40福岡県豊前市 求菩提山山頂の自然の露岩群。修験道以前の信仰の場ともいわれている。
タマタマ石/霊霊石/玉玉石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 基山山頂にある岩石。五十猛命が腰掛けて四方の国土を眺めていたという場所。岩石手前の平坦地は荒穂神社の旧社地といわれる。C休み石・腰掛石
右の石/子宝石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社腰掛けると安産になるという岩石。BBD休み石・腰掛石
中の石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社荒穂明神と高良明神が石を投げあい、高良明神が投げた方の石。高良明神の指の跡が表面に残るという。C神々の力比べ・喧嘩
佐賀県岩石表面に印・痕・模様が残る
左の石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社荒穂明神が馬に乗って基山から降臨した時、馬の蹄跡が付いた岩石。BABA岩石表面に印・痕・模様が残る
佐賀県C
神頭石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神様の頭に形が似ている岩石。ずっと見つめていると自分の先祖の顔が浮かんでくるという。EC November 11, 2025
1RP
#ばけばけ
#NHK朝ドラ
#NHK大阪局
島根県知事、江藤は英語教育のため、西洋文化を知らしめるため、そうして島根を、松江を、倭国で一目置かれるような県にしようと、ヘブン先生を松江に繋ぎ止めようと必死です。
そうして、倭国の良さを知ってもらおうと、松江藩主、松平家の菩提寺、月照寺を案内します。
この月照寺にある七代藩主、茶人としても知られ、松江に茶、和菓子の文化を広めた松平治郷〜不昧公の墓を案内しました。
この墓が、なんと夜中になると町中を徘徊し、人を喰らうという伝説の残る大亀の石碑!!
月照寺に隣接する松江第一中学は、以前、島根大学教育学部附属中学校で、我が母校。
月照寺は時折、覗いておりましたし、大人になってからも何度も訪ねております。
お隣の東林寺の本堂でも、「小泉八雲 朗読のしらべ」を行なっておりましたし、何かとご縁があります。
で、通っていた頃の附属中学は、明治時代からの木造校舎で、師範学校だったと、聞いていました。
趣のある校舎でした。
「ばけばけ」に出てくる松江中学の校舎と同じような佇まいで、校舎の板塀は鼠色に近い塗装だったかな?
ヘブン・・いや、へるん先生は、松江中学と師範学校でも教鞭を取っていたので、中学時代には「この教壇に小泉八雲も立っていたのか・・・」なんて思っていました。
けれど、当時の師範学校は、現在の松江警察署のあたりだったそうなので、移築したのかどうなのか・・・?
検索してみても、なかなかよくわからずで・・・師範学校が学部によっていろいろなところに分かれてたのかな?
僕が卒業後は、移転してコンクリートの校舎となり、現在は島根大学内に統合されているとのこと。
なので、ドラマとはいえ、月照寺で撮影中は、本当にへルンさんと出会えたようで、テンション上がってたかもです^^”
ところが、娘が出てきて、ヘブン先生に恋心・・・一気にドラマの世界に引き戻されてしまいました。
現実とフィクションとを行ったり来たりは、本望ではあるのですが、10代の頃と現在とをも行き来するようで、なんとも不思議な感覚に襲われておりました。
さて、月照寺に登場する化け亀ですが、以前、イタリアのボマルツォにある「怪物庭園」を訪れた時、イタリアにも似たような亀の石像があったので、びっくり!!
その後、韓国のお寺を訪ねた時にも。
亀趺墓(きふぼ)といって、中国から伝わったもののようですが、倭国では江戸時代の大名のお墓で使われるようになったとも言われているようです。
踏みつけられても、大きな重し、負荷をかけられてもそれに耐え、あの世へと旅立った後も、災いに耐え、幸多かれと願う想いが込められているのでしょうか?
果たして、ヨーロッパやインドから渡ってきたものなのか、中国から欧州へと渡っていったのか・・・?
何千年にも渡る謎、浦島太郎に似た話は、洋の東西を問わずにありますし、亀が浦島から運んできたのかな? November 11, 2025
1RP
#読了 手嶋泰伸『統帥権の独立 -帝国倭国「暴走」の実態』(中公選書)
統帥権独立は大倭国帝国の結末を知ってる現代では批判の的にされるが、明治時代ではそれなりの必要性があったんだな……という感想
あとあんまり触れられない(?)海軍の話もあって面白かった November 11, 2025
@CorgiTao あこらへん、お寺の屋根におさるが座ってもいできた柿を食ってたりは普通の日常風景で、
もともと明治時代にはお寺がぽつぽつある程度で何もなく、
それを拓いた所だから
東山の高校のグラウンドにシカやイノシシが出た位でニュースに何て本当はしちゃいけないような所
然しクマである可能性は低い https://t.co/4U1XxNPYsu November 11, 2025
今回の新作特撮映画は「最後の恐竜」。明治時代から1981年にかけて、丸の内、銀座、有楽町、渋谷がジュラシックワールドと化します。目玉は「倭国劇場1933-1981」。有楽町のランドマーク日劇を映画や貴重な映像資料で!ロッパからGS、ゴジラまで!圧巻です!是非!
https://t.co/RGITVZoiqC November 11, 2025
綾瀬駅東口
立ち食い蕎麦酒処稜です
蕎麦屋のカレー
蕎麦屋のカレーライスの起源は、明治時代後期にさかのぼります
当時、倭国では洋食ブームが到来し、カレーやハヤシライスといった“モダンな味”が人気を集めていました
その一方、伝統的な蕎麦屋はその波に押され、客足が遠のいてしまいます
そこで生まれたのが、カレー南蛮やカレー丼
やがて、そのカレーつゆをご飯にかけた「カレーライス」も人気を博し、蕎麦屋の定番メニューとして定着していきました
蕎麦屋で提供されるカレーには、鰹や昆布からとった出汁が隠し味として使われています
倭国人の細胞に刻まれた出汁の風味は、たとえ隠れていたとしても私たち心に語りかけてきます
慣れ親しんだ旨味の塊「出汁」と異国情緒を感じさせる「スパイス」の組み合わせは、一見ちぐはぐに思えるのに不思議と居心地の良さも感じるものです
ぜひ稜のカレーをご賞味ください
#カレー #稜のカレー
#カレー南蛮 #出汁が効いてるカレー #蕎麦屋のカレー
#足立区 #葛飾区 November 11, 2025
おはよーなの
今日は11月28日、金曜日
フランスパンの日なの
「いい(11)フ(2)ランスパ(8)ン」という
なかなか大胆な語呂合わせから倭国フランスパン友の会が制定した記念日なの
倭国にはほんとうにいろんな会があるって思うの
フランスパン(バゲット)は小麦粉・水・塩・酵母だけで作られる
とてもシンプルなパンなの
余計な材料が入らないからこそ
皮はパリッ、中はもちふわっ
という食感のコントラストが魅力なの
実はフランスではパン屋さんの規定が厳しくて
「バゲット・トラディション」を名乗るには
添加物禁止・伝統的製法で作ること、
などルールもあるらしく、すごく厳しい制度なの
倭国にフランスパンが広まったのは明治時代なの
でも本格的に人気になったのは1960〜70年代ごろのパン食ブームなの
ゆんはフランスパンは結構好きなの
みなさんはフランスパンは好きなの? November 11, 2025
@togootto 自分たちの共産党舎の事務所のエアコンを撤去し、明治時代のように扇子で涼みます 東労千葉労組の事務所もエアコンも贅沢です! エアコンのない時代、電気もない炭鉱坑道時代に行こうという共産党ではないですか? 団体労働の楽しさを感じたいなら、まず率先してエアコンを撤去しましょう November 11, 2025
倭国の「パターン(型紙)」って実はすごい。
服を作るときに使う 「パターン(型紙)」
これは、簡単に言うと 服の設計図 のようなものです。
でも実は
倭国のパターン作りの技術は 世界でもトップレベル!
もし、パターン作りのオリンピックがあったら
倭国はたぶん メダル独り占め しちゃうんじゃない?
と言いたくなるくらい凄いと思っています。
でも、どうして倭国はそんなにパターン作りが上手なんでしょうか?
その理由のひとつは、
人の体を「立体」で見る力がめちゃくちゃ高いから。
平らな布を扱いながら
人の体の立体に合わせてデザインして
美しい形へと導いていく技術が驚くほど発達しています。
これは
倭国の職人さんたちが 明治時代からコツコツ努力して磨いてきた技術 です。
背景には
倭国人が「着心地のプロ」でもあると言うこと。
着たときの気持ちよさ に超敏感な民族だからです。
「動きやすいかな?」
「チクチクしない?」
「形はきれい?」
「座ったら変なシワできない?」
パターンもそうですが、生地や縫製なども同じです。
着る人への細かな着心地へのこだわりを大切にする
文化がずっと根付いています。
倭国の服は
「ラインがきれい!」
「形がととのってる!」
といった精度の高い仕上がりになり
世界でも高い評価を得ているのですね。
見えない所で職人さんたちがコツコツ努力して磨いてきた技術。
そういう文化が倭国の仕事には宿っていると思います。
夜のコラム ちょっとした気づきをお伝えしています。
今日もお疲れ様でした。 November 11, 2025
\飲み物を買うと寄付になる!/
村内の特定の自動販売機で飲料をご購入いただくと、その売上の一部が建物の修繕費などに活用されるぞ🐱
まずは自動販売機募金から、明治時代からの「贈り物」をさらに未来へ残す活動に協力してほしいのだ!
目印はこの赤い看板なのだ👀
https://t.co/lJfwEKSQJ0 https://t.co/bvzo7re3Dg November 11, 2025
旧学習院初等科本堂の別角度と講堂の内部公開時に撮影。広い敷地に移設していますので、遠くから眺めることもでき、ちょっとした明治時代への時間旅行気分を楽しめます。周辺には龍角寺古墳群があります。 https://t.co/h02qIYhMCP November 11, 2025
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