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平和主義
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2025.12.01〜(49週)
:0% :0% (40代/男性)
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世の中の物語の多くは、「夢を成し遂げる」「復讐を果たす」、あるいは「恋を成就させる」までで終わる。
なぜなら、その先にある「リアリティのある生活」からドラマを掬い上げ、エンタメとして成立させるのは、作家にとってあまりに過酷で難しい作業だからだ。
僕自身、『宇宙兄弟』という作品に関わる中で、「夢を叶えた後の日常」を描き続けることの難易度を小山さんが感じているのを、ずっと見てきた。
だからこそ、一ファンでしかないけど、『ヴィンランド・サガ』が到達している領域には畏怖すら感じる。
ヴァイキングの物語と聞けば、僕たちはつい「力」と「征服」のイメージを思い浮かべる。しかしこの作品は、その中心に「戦わないこと」を選ぶ勇気を据えた特異な物語だ。
主人公トルフィンは幼少期に父を失い、復讐だけを支えに育つ。だが、その復讐心こそが彼を戦場に縛りつけ、人間性を殺していく。憎しみによって生きる者は、相手を否定することでしか自分を肯定できなくなる。そこにあるのは「戦う者の論理」への従属でしかない。
面白いのは、彼の人格を形成したアシェラッドという男が、暴力に最も精通しながら、最後の瞬間に暴力の物語を裏切る点だ。暴力の果てには虚無しかないことを、彼は知っていた。アシェラッドを失い、復讐の軸が消えたとき、トルフィンは再び考え始める。「人は何のために生きるのか」と。
父トールズの言葉がそこで再び響く。「お前に敵などいないんだ。誰にも敵などいないんだ」
これは単なる平和主義ではない。敵を想定しなければ自己を保てないという、近代社会の脆さを射抜く視線だ。
他者を排除して成立する強さは、結局のところ常に敵を探し回らねばならない。
今のSNSの議論。毎日、誰かがフォロワーを増やすプロレスだとしても新しい議論をしてる。
トルフィンが辿り着いたヴィンランドは、暴力の物語を降りた者たちが、傷だらけのまま「共に生きる道」を試みる場所だ。争わずに存在するという、極めて困難な哲学実験である。
作品は問いかける。「あなたが『敵』と呼んでいるものは、本当に敵だろうか」と。
この物語構造を見ていて思う。
僕たちは今、「勝つことを目指す時代」から「継続することを目指す時代」の転換点にいる。この作品を20年描き続けた幸村さんは、思想的に時代の最先端にいる。古い時代を描きながら。
遠藤周作が描いた愛は、幸村さんに影響を与えていたのだろうか?
『ヴィンランド・サガ』は、単なる歴史漫画ではなく、この新しい時代をどう生きるべきかを示す、教科書のような作品だと思う。
戦いを捨てることこそが、最も困難で、最も高貴な選択なのだと、この作品は教えてくれる。
月曜日の対談を前に読み直しているのだが、静かな興奮が止まらないし、心の中で作者とたくさん話してる。
対談の時間が足りないが、楽しみすぎる。 December 12, 2025
1,327RP
徳川慶喜は非常に平和主義で
戦いたくなかったんですよね。
テロリストだと思って、
取り締まるべく挙兵したつもりが
相手側に錦の旗が翻った事により
こちらがテロリストの立場になってしまった。
こちらは元々、朝廷と争うつもりもなく
むしろ朝廷を守ってきたつもり。
何故、薩長側に朝廷がついたのだろうか?
どうやって薩長が朝廷を味方に取り入れたのだろう?
と非常に大きな疑問とショックを受けたと思います。
そこに
戦うつもりであった家臣を
止める事ができなかった慶喜は
態度で示すしかなく
アタマ抜けて戦争回避
大急ぎで江戸に帰り
朝廷には家臣の暴走により
混乱を招いて
本当に申し訳ありません。
その責任は取ります。
私の身はいかようにもなさってください。
と示したのですが
将軍が負けを認め
これ以上戦ってはならぬ
という姿勢を見せていたにも関わらず
何故に戦い続けた?
誰1人、死んで欲しくない。
命を差し出すのは
自分1人で十分だ。
刀を置いてくれ
という願い
というのが徳川慶喜サイドの疑問と苦悩 December 12, 2025
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アメリカは悪の帝国主義だ!対米独立!
中国は経済力も強いし軍事力も強いので逆らわないで仲良くしよう!
倭国は平和主義の民主主義国家!独裁や権威主義はNO!
⇑こんなことを同じ人が言ってるのを見て、さすがに恐怖を感じる。 December 12, 2025
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意味わからん(笑) 高市の発言がどれほど中国にとって都合の悪いものであったとて、軍事的衝突の可能性のある行為を正当化しうるものじゃないでしょ。価値観バグりすぎなんよ。平和主義どこ行ったお前ら。 https://t.co/TSuFjcPOug December 12, 2025
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一国平和主義で滅びた国はもっと多い。カルタゴ、ハワイ王国、チベット、ポーランド、チェコ、清など。倭国は軍事同盟で救われた例外だ。 https://t.co/Ubs9cMUN6z December 12, 2025
127RP
なぜ “降伏=安全” と思いやすいのか?
① 戦後教育と“平和主義”の定着
倭国の戦後教育は
「武力を使わない」「争わない」「話せば分かる」
を徹底して教えてきました。
→ “降伏=理性的な解決” と自然に結びつきやすい。
② GHQ占領が比較的“寛容”だった経験
第二次世界大戦後、倭国は壊滅したが
・国体(天皇制)は維持
・大規模な報復虐殺なし
・復興支援を受けた
という歴史がある。
→ これが 「降伏しても最悪にはならなかった経験」 として社会記憶になっている。
③ 村社会的な“服従=調和”の価値観
倭国文化は長く
「争わず、和を保つために引く」ことが正義
とされてきた。
→ 理不尽な相手でも “従えば収まる” と考えやすい。
④ “話せばわかる” という対人期待の高さ
倭国社会は比較的、対人暴力が少なく、
権力も暴力的に行使されにくい。
→ 「相手も同じように理性的であってほしい」という期待が生まれる。
⑤ 敵の“悪意・残虐性”を想定する訓練が弱い
欧米や中東では、
「最悪のケースを前提に行動する」
という安全保障・サバイバル教育が発達している。
倭国ではそれが弱い。
→ 敵が降伏を受け入れない可能性 を考えにくい。 December 12, 2025
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2025.12.05
NeW FIGHT〜動員数頂上決戦〜
改めてご来場いただいた方、ここまでお力添えをいただいた方、関わっていただいた全ての方に感謝を申し上げます。
このライブをやると決めた時、社長としてたくさんの葛藤がありました。自分自身平和主義で正直勝ち負けを決める勝負が苦手だからです。ですが今ここでニュースタメンバー1人1人が自分自身、そしてチームと向き合い、僕らがステージに立てている事、ライブができている事、この仕事1つでご飯を食べさせていただいている事、平等に各メンバー1日は24時間な事。全て踏まえた上で「職業アイドル」の自分と向き合って欲しかったからです。
「人として」の部分を今改めて考えなければと、社長としてそう判断しました。
今回のライブを通し、道のりの中でたくさんの物語がありました。それは皆様には見えない部分や皆様から見える部分どちらもです。また、皆様には弊社の動員数対決ライブという勝手な都合でたくさんのご協力をいただきました事、心より感謝申し上げます。必ず、少しづつではございますが人としてもアイドルとしても大きくなって皆様にこの会社を応援してよかったと思っていただけるよう努力を惜しまない事をお約束させていただきます。
もしもこの約束を破るような事があれば僕、杉本らいちが命を捨てて行動で償います。
皆様、この度は本当にありがとうございました。 December 12, 2025
23RP
武器に対して、非武装で中国に挑んだチベットも然り(チベット侵略の歴史:武器を持たぬ民の抵抗)。
チベット高原のチベットは、古くから独自の文化、宗教、統治システムを持つ独立地域だった。13世紀のモンゴル帝国時代から、中国王朝と緩やかな関係を保ちつつ、実質的な自治を維持した。しかし、20世紀中盤、中国の軍事侵略で一変した。1950年、中国人民解放軍(PLA)が侵攻した際、チベット人は効果的な武器や軍事組織を持たず、圧倒的な軍事力に非暴力的抵抗を強いられた。この出来事はチベット史の悲劇的な転換点で、今日まで続く抵抗運動の基盤だ。本稿では、侵略の背景、経緯、チベット人の非武装抵抗を考察する。
1.侵略の背景:平和主義のチベットと中国の拡張主義
チベットは仏教を国教とする平和主義社会で、ダライ・ラマを中心とした政教一致の統治下、軍事力を最小限に抑えていた。1912年の清朝崩壊後、事実上の独立を宣言し、独自の通貨、郵便制度、外交関係を築いた。一方、中国は1949年に共産党が政権を握り、毛沢東の下で領土拡大を推進。中国はチベットを「歴史的に中国の一部」と主張し、「解放」の名で軍事介入を正当化した。これはチベット側から見れば明らかな侵略です。
1950年以前、チベット軍は数千人の兵士しかおらず、近代的な武器や訓練が不足していた。チベット人は伝統的に非暴力を重視し、仏教の慈悲の精神が根付いていたため、軍事強化を積極的に行わなかった。この非武装状態は侵略時の致命的な弱点となった。中国のPLAはソ連製兵器と数万人の兵力を擁し、チベット東部(カムとアムド地域)から進軍。チベット側は外交交渉を試みたが、中国の要求は一方的でした。
2.1950年の侵攻:非武装の民に対する軍事制圧
1950年10月7日、中国軍はチベット東部に侵入し、チャムドを占領した。侵攻は迅速で、チベット軍の抵抗は散発的・限定的だった。チベット軍の多くは古い銃器しか持たず、組織的な防衛ができなかった。結果、チャムド守備隊は短期間で降伏、数千人が捕虜となった。中国軍の進軍はほとんど無抵抗でラサに至った。これはチベット側が軍事格差を認識し、犠牲を最小限に抑えるため非暴力的対応を選んだからだ。
侵攻後、中国は1951年に「17点合意」を強制署名させた。この合意はチベットの自治を認めつつ、中国主権を認める内容だったが、代表団は軍事圧力下で署名を強いられた。チベット人は武器を持たず、国際社会への訴えや外交で抵抗を試みたが、インドや国連は十分な支援を提供しなかった。侵攻ニュースが世界に伝わるまで2年かかった事実も、チベットの孤立を象徴する。
3.非暴力的抵抗の展開:1950年代の蜂起とダライ・ラマの役割
侵攻直後、チベット人は即時の武装蜂起を避け、非暴力的手段で抵抗を開始。寺院や僧侶を中心としたデモ、文化的保存、国際訴えが主だった。しかし、中国の占領政策が苛烈さを増すと抵抗は激化。1956年頃から東部で散発的反乱が発生、一部武装化したものの全体として非暴力原則を維持した。ダライ・ラマ14世は非暴力を提唱し、チベット人を導いた。彼の指導下で平和抗議やボイコットを繰り返した。
1959年のラサ蜂起は抵抗の頂点。3月10日、数万人がダライ・ラマの宮殿を取り囲み、中国軍撤退を要求。当初非暴力的だったが、中国軍の砲撃で暴力的衝突に発展。数千人が犠牲となり、ダライ・ラマはインドへ亡命した。この蜂起はCIA支援の武装グループも関与したが、多数の民衆は武器を持たず身体を張った。中国はこれを「反乱」として鎮圧、以後チベット支配を強化した。
4.継続する非暴力闘争とその意義
侵略以降、チベット人は中国の文化同化政策(チベット語抑圧、漢民族移住、寺院破壊)に対し、非暴力的抵抗を続ける。1987~1989年のラサデモは主に非暴力的で、僧侶や民衆が参加。ダライ・ラマの「中道アプローチ」は真の自治を求める非暴力の道を提案し、国際支持を集める。しかし、中国の弾圧は厳しく、平和抗議者さえ逮捕・拷問される。
チベット人が武器を持たずに侵略されたことは、軍事力不在の脆弱性を示す一方、非暴力精神が長期抵抗の源泉となった。 December 12, 2025
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村山富市元首相
平和を求めた生涯
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101歳で亡くなるまで倭国の行く末を案じていた村山富市元首相
根底にある平和主義、イデオロギーを越えた政治理念
側近たちの証言から現代へのメッセージを紡ぎます
#ザライフ
📺5日(金)午後7:30
https://t.co/RMzNq7C1kG
(放送後はNHKONEで見逃し配信) https://t.co/rtCMw5LF7C December 12, 2025
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紫微斗数タロット🌟学びの途中
龍池星《りゅうこくせい》🌠
陰の水星🌠中天星
穏やかで謙虚 美しさと奥ゆかしさ
芸術好き 平和主義 争いを好まず
純真 おっとりして文才有
優雅な立ち振舞 風流で古風
川 海の近くに住むと福を呼ぶ
#プラタ真寿
https://t.co/Tne5FMmroM https://t.co/frHQKtpl7U December 12, 2025
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国民が望んでない憲法改正を
自民、公明、維新、国民民主が推進してます。
改憲されると平和主義、基本的人権、国民主権がなくなります。
#米国戦争屋の支配下倭国
#ヤバすぎる緊急事態条項
#憲法改正は戦争への道
#憲法改悪は権力のクーデター https://t.co/hzrXzz15ts December 12, 2025
7RP
@Hiromi19611 9条の話するとお花畑だ的な批判がよく飛んでくるけど
実体験として肌で感じ、その上で批判している人はどれほどいるんだろうか
私自身他人をとやかく言えるような人間じゃないけど
学も経験乏しく中身がないまま、冷笑的に平和主義を叩いている奴多いよなぁと(特にSNS、掲示板 December 12, 2025
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みうちゃんをあんまり叩かないであげてください🙇
みうちゃんは平和主義で優しい世界の人間です
ケータリングで人気のないメニューをあえて選んでるような人です
この企画は別のメンバーが考案したもので、それに選ばれただけです(単なる短いVTRの企画であり、権威のあるものではないです) https://t.co/NwXkZjEZbu December 12, 2025
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倭国人にとって、戦争しないことが独立です。
それが他国の人と信頼関係を築ける礎になる。
政府だけか平和を築くのではなく、世界中国民同士だって平和を築いてます。
倭国独立を掲げながら、戦争を認めることは、独立ではなく恥ずかしいことです
平和主義を覆すことは、築いた平和を壊すことです。 December 12, 2025
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これは「国会という言論の場」に対する発言に対して武力で威嚇するという、平和主義とは真逆の行為なのだが、何故中国の行動を支持する「平和主義者」が多いのだろう? https://t.co/kJGUnDNdUw December 12, 2025
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遅滞や怠慢、平和主義が遠因し、ポーランドの改革が遅れて滅んだとしている。
本題としてポーランドの軍縮は外国の内政干渉もあるが、ルネサンス期に流行した人文主義はポーランドにとって薬であり、毒となった。薬としてはポーランド文化発展に寄与したが、毒としてはシュラフタに平和主義を植え付け December 12, 2025
5RP
大半のヒトは、「今のシステムにしがみついたらジリ貧」という、「そりゃ当然そうなるしかないよね」程度の先を読む能力もなく、「カネを無限に刷ったら社会が崩壊する」「平和主義をやめたら戦争になる」みたいなトンチキな“先”を懲りずに想像し、現状にしがみつく。お前らなんでちゃんとやらないの? December 12, 2025
4RP
勿論シュラフタの平和主義には良い側面があったと補足しておく。またポーランドと倭国の状況は異なるし、歩んできた歴史も違う。単純な比較も難しいだろう。
しかし軍縮という一因で滅んでしまった国があったことは頭に入れておいて欲しい。
自分としては所得税増税には少しばかり反対ではあるが… December 12, 2025
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再来年には新しい世界へ2
また最近は、
『今後の時代は、倭国の「植物の精神」「和心」などが精神的支柱になり、「倭国~東南アジア~インド~イラン(ペルシャ)」を結ぶ海路の大文化圏が出来る』と予想しています。
当たるも八卦の類と思われるかも知れませんが、これは自分の直観(天の啓示)によるものなので、自分でも確信を持っている訳ではありません。
しかし「良いアイディア」と思います。
東南アジアは、「微笑みの国・タイ」などの言葉に代表されるように、概して平和な穏やかな国民性を持った国が多いです。「植物の精神」を持った国が多く、倭国人の故郷のひとつの地域と言えます。
インドは、ヨガや釈迦が誕生した、アジア精神文化の一大拠点で、ガンジー首相に代表される平和主義国家です。ただカースト制度や旧態依然の国情などの問題も山積される様です。
イランは、例のイスラム国騒動でも中立を守り中東の中でも一線を画す平和国家のようです。
ベトナム戦争当時等、米国はイランを悪の枢軸と呼んでいましたが、その米国が実は DS(ディープステート)などの戦争屋の巣窟だったことが分かって来ました。
イスラム国の戦闘もイスラエルやアメリカなどの戦争屋が儲けるために仕掛た戦争だったとは!!???
9.11 事件も DS が目論んだものだったとかも信じがたい事です。
当時は自分も知る由もありませんでした。
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冒頭に戻りますが、自分の感覚では高市首相の台湾有事発言に反対する国民が圧倒的に多いと推定します。
西洋の物質文明的な対立&競争的な考えでは戦争はなくならずに最後は世界大戦が目に見えています。
世の中が、東洋の精神文化に変わらなけらばならない。それは歴史的循環であり「神のご意志」である、としか言えません。
⇒ ともかく、高市首相のご祝儀相場の終わる来年からは、大きくまたは深く、政治情勢が変わって行くと思います。
識者によると「来年は準備の年。再来年から時代は様変わりし新しい時代(共生・競創社会)に突入する」とのことです。
ホントか?と思われる方々が多いと思いますが、
「長いトンネルを抜けれはそこは、陽光の煌めく平和な別世界であった」ということになるのかどうか?
少なくとも我々はその地点を目指して日々努力、試行錯誤を積み重ねなければならない所です。
ーーー
ChatGPT-5 による作画 December 12, 2025
3RP
@takanori_w2 @ishiitakaaki 墨子の平和主義はあくまでも「非攻」であって防衛戦では玉砕覚悟で戦う方針なので倭国の左派とは相性が悪いのでは。
墨家思想が衰えたのは極端な清貧思想についていけない人が多かったのと、墨子の死後、三派に分裂して対立したのでさらに人心が離れたことでしょう。 December 12, 2025
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