対立
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2025.12.15 22:00
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(See below for the English version.)
フィンランドの「つり目」ポーズに苦言を呈した当方の投稿に対して、フィンランドの大手新聞社よりインタビュー機会を頂きました。現地でどこまで報道頂けるかわかりませんが、当方の回答コメントを以下に記します。
<新田回答コメント>
今回の議論は、単なるSNS上の騒動ではなく、フィンランド社会がこれまで自認してきた「人権先進国」という自己イメージと、アジア系住民が日常的に経験してきた現実とのズレを可視化した出来事だと受け止めています。
まず私は、人権活動家のように声高に差別を糾弾したいわけではありません。むしろ、直接的に嘲笑されたわけではない私たち倭国人が抱いた感情は、「差別された」ことよりも、「アンフェアさに強い失望を覚えた」ことのほうが大きいといえるでしょう。
フィンランドは長年、世界に向けて高い倫理性や人権意識を掲げてきました。その姿勢は国際社会から尊敬を集めています。しかし、今回のように公的立場にある人物─国会議員、ミス・フィンランド代表、弁護士、人権団体のトップ─が差別的と受け取られ得る表現を軽視し、それを「幼稚な振る舞いではあるが差別ではない」と片付けてしまう空気が生まれていることには、率直に大きな違和感があります。
アジア系の表象を誇張し嘲笑する行為は、欧米社会で長年「差別の象徴」として明確に指摘されてきました。黒人に対するステレオタイプ表現は厳しく糾弾される一方で、アジア人に対しては“ジョーク”として扱われる。この基準の不均衡こそが問題の核心です。
さらに、フィンランド在住の倭国人からは
「学校や地域社会でアジア人差別が“透明化”されている」
「対応ガイドラインすら存在しない」
といった声が数多く聞かれます。今回の件は、単に一個人の失態ではなく、社会の無自覚なバイアスが表面化した現象と捉えるべきではないでしょうか。
重要なのは、今回の批判がフィンランド全体への敵意ではないということです。倭国人の反応の多くは、
「その高い道徳的基準は本物だったのか?」
「人権意識は単なる綺麗事だったのか?」
という、「これまでポジティブな印象を抱き続けてきたフィンランドに裏切られた」かのような失望感から生じています。
差別とは、加害者の意図ではなく、受け手の経験と歴史的文脈で判断されるものです。「差別かどうかは我々が決める」とする姿勢は、国際人権の潮流とも相容れません。
フィンランドは本来、対話と包摂を重んじる社会です。だからこそ、この問題が感情的な対立ではなく、フィンランド社会とアジア系市民の相互理解を深める契機となることを期待しています。
<A more detailed personal view on the issue>
This controversy is not simply a social media uproar; I view it as an incident that highlights the discrepancy between Finland's self-image as a "human rights-advanced country" and the reality experienced daily by Asian residents.
First of all, I do not wish to loudly condemn discrimination like a human rights activist. Rather, I would say that the feelings we Japanese, who were not directly mocked, felt more like "deep disappointment at the unfairness" than "discrimination."
Finland has long upheld high ethical standards and a strong awareness of human rights. This stance has earned it respect from the international community. However, I find it frankly very strange that public figures like this one—a member of parliament, a Miss Finland pageant winner, a lawyer, and the head of a human rights organization—are downplaying language that could be perceived as discriminatory, dismissing it as "childish behavior, but not discriminatory."
The exaggeration and mockery of Asian representations has long been clearly identified as a "symbol of discrimination" in Western societies. While stereotypical representations of Black people are severely condemned, those made against Asians are treated as "jokes." This imbalance in standards is the core of the problem.
Furthermore, many Japanese people living in Finland have said things like, "Anti-Asian discrimination is 'invisible' in schools and local communities," and "There aren't even any guidelines for dealing with it." This incident should not simply be seen as the fault of one individual, but as a manifestation of unconscious bias in society.
What's important is that this criticism does not reflect hostility toward Finland as a whole. Many Japanese people's reactions stem from a sense of disappointment, wondering whether Finland's high moral standards were genuine and whether its talk of human rights was merely empty words. They feel betrayed by Finland, a country they've always held a positive impression of.
Discrimination is judged not by the intentions of the perpetrator, but by the experiences and historical context of the recipient. The attitude of "we decide whether something is discriminatory or not" is incompatible with the current trend in international human rights.
Finland is a society that inherently values dialogue and inclusion. This is why I hope that this issue will not become an emotional conflict, but rather an opportunity to deepen mutual understanding between Finnish society and its Asian citizens. December 12, 2025
335RP
市民の方が全員分のコール表を作ってくれました。
今回は、朝倉市に対して
冷静な対話を求めるコールに変えました。
実際の行進では、語尾をすべて
「〜してください」に統一しています。
行政と対立したいのではなく、
対話の場を求めているという意思表示です。
運動の初期は、思いの強さから熱を込めたコールが中心でした。
しかし市民運動を重ねる中で、さまざまな意見に触れ、立場の違いにも耳を傾けてきました。
その上で、
「市民にとって本当に伝わる言葉は何か」
「誤解を生まない伝え方とは何か」
を考え、表現を何度もブラッシュアップしてきました。
感情ではなく、参加と理解を広げるための市民運動にしたくて、その姿勢を、今回のコールに込めています。
皆様、昨日は本当に凍えるぐらい寒い中、ご参加いただきありがとうございました。 December 12, 2025
10RP
【「三国」って結局、いつからいつまでを指すの?】私たちは毎日「三国」の話をしていますが、「三国時代」って一体どの時期を指しているのか、みんなで共通の認識があるかと言ったら、実はそうじゃないんですよね。中国の教科書や主流の学者によると、三国は曹丕が皇帝になった220年から、晋が呉を滅ぼした280年までとされています。でも、よく知られる三国の有名人——曹操、関羽、周瑜、呂布、郭嘉、魯粛なんかは、みんな220年まで生きていないんです。実際、伝統的な学者たちは王朝の分け方で「正統」を重視していましたし、現代の学者は大衆にわかりやすく伝えるために簡略化しているので、220〜280年という分け方は一つの視点に過ぎず、みんなのイメージに必ずしも合っているわけじゃないんです。この記事では、いろんな分け方を細かく見てみましょう。
1.正統は誰か
陳寿が『三国志』を書いたとき、司馬氏の政権の正当性を示すために、曹魏を後漢の正統な後継者とし、司馬氏が魏を継いだという立場を取っています。蜀漢と東呉は呂布や張魯、劉表のような「賊」と同じ扱いで、「伝」として記され、曹魏の君主だけが「紀」になっています。この視点では、後漢は220年に終わり、晋は266年に始まるので、その間の魏の46年が本当の「三国」時代ということになります。宋の『資治通鑑』もこの分け方を採用しています。一方、晋の時代の習鑿歯は、魏の即位は正当じゃないとし、劉備の蜀漢(季漢)が東漢の正統な後継者だと主張しました。だから本当は「三国時代」など存在せず、後漢は263年に終わり、晋は266年に始まるというんです。朱熹が『資治通鑑綱目』を作ったときも、蜀漢の年号「章武」を東漢の「建安」の次に繋げ、魏の年号を捨てています。
2.「二国」でも「三国」って呼べる?
本当に厳密に言うなら、三国鼎立の特徴を重視する立場では、229年に孫権が正式に皇帝になった前は、まだ本物の「三つの国」じゃないですよね。蜀が滅ぼされた後は、魏と呉の対立、あるいは晋と呉の対立になってしまい、「鼎の足」が一つ欠けるので「南北朝」時代に入るという考え方です。この基準だと、三国は東呉の建国である229年から始まり、蜀漢滅亡の263年で終わることになります。面白いことに、多くの学者は赤壁の戦いが三国鼎立の象徴的事件だと強調します。そうすると、208年が事実上の三国の始まりと言えそうです。ただ、当時は劉璋や張魯、马超などの勢力がまだ残っていたので、後世の視点で彼らを軽視するのはどうかと思います。215年に張魯が曹操に降伏した時点を、より標準的な鼎立の開始点とするのがいいかもしれません。
3.広義の三国
王朝交代の正式な時期は、当時の実際の情勢を必ずしも正確に反映しません。王朝末期は名ばかりの存在になることが多く、新勢力の台頭にも前奏期があるんです。これは三国だけでなく、戦国時代や五代十国にも共通します。だから学界では「過渡期」という考え方が出てきます。三国について言えば、184年の黄巾の乱が後漢の基盤を壊したとする人もいますし、『三国演義』も黄巾の乱から始まっています。あるいは189年に董卓が洛陽に入ったのが乱世の始まりだという説で、『三国志』が董卓や袁氏、劉表、劉焉などの後漢の割拠勢力を「伝」に載せているのも、そんな印象を強めています。孫氏・曹氏・劉氏が明らかに「天下の英雄」レベルになった点を基準にすると、建安元年(195年)の曹操が献帝を迎えて許に都を移し、孫策が江東を平定し、劉備が徐州を拠点にした頃がいい節目です。200年の官渡の戦いで曹操が勝利し、孫権が孫策の後を継いだ年も象徴的です。208年の赤壁の戦いは言うまでもなく、213年に曹操が魏公に封ぜられ(十郡の領地)、214年に劉備が益州全土を得たのも大事なポイントです。それ以降は、曹操が魏王になるか、劉備が漢中王や皇帝になるか、孫権が王や皇帝になるかは、三国分立の大局に大きな影響はありません。現代の私たち大衆にとっては、孫・曹・劉が正式に「国」を作ったかどうかは関係なく、後漢末の諸侯が侯国を持っていたかも重要じゃないし、「三」という数字すら厳密じゃありません。私たちの記憶にある三国は、あの乱世そのものなんです。だから視点によって広義の三国の始まりはいろいろで、皆さんもぜひ自分の意見を教えてください。あなたにとっての三国時代は、どの年がスタートだと思いますか? December 12, 2025
6RP
独占スクープ
警察官のあるまじき発言の音声を入手
神奈川県警川崎署を巡る発言が波紋 警備の在り方に厳しい視線
神奈川県警川崎警察署を巡り、警備行政の姿勢そのものが問われる事態が起きている。
近年、いわゆる「しばき隊」と呼ばれる左派系の活動家グループが、各地の政治活動や選挙運動の現場で対立陣営に対する激しい言動を繰り返しているとして、社会問題化している。川崎市周辺でも同様の動きが確認されており、活動家らに対して「バカ」「クズ」など、政策論争とは無関係な侮辱的表現や誹謗中傷と受け取られかねない言動が目立つとの指摘がある。
こうした状況の中、川崎警察署の警備課長が、これらの行為について「正当な政治活動」と受け取れる趣旨の発言をしたとされ、批判が広がっている。警察は本来、政治的立場の違いから生じる衝突を抑止し、表現の自由と公共の秩序のバランスを保つ役割を担う立場にある。その警備責任者とされる人物の発言が、特定の行為を一方的に正当化するかのように受け止められたことは、警察の中立性という観点から看過できないとの声も少なくない。
SNS上では、「さすが神奈川県警」「不祥事の多さではトップクラスではないか」といった辛辣な反応も見られ、県警全体の信頼性にまで疑問を投げかける事態となっている。
実際、今年に入ってからも、川崎臨港警察署の管轄地域で、ストーカー被害を訴えていた女性が十分な対応を受けられないまま命を落とした事件が発生した。この事件では、被害相談への対応の遅れや危機認識の甘さが指摘され、警察の初動対応の在り方が厳しく問われている。
これらを個別の問題として片付けるのではなく、組織としての姿勢や危機管理体制に共通する課題がないのか、検証が必要だろう。警察が特定の思想や立場に寄り添っていると疑われるだけでも、治安機関としての信頼は大きく揺らぐ。
神奈川県警には、発言や対応の真意を丁寧に説明するとともに、政治的中立性と市民の安全を最優先にする姿勢を、具体的な行動で示すことが強く求められている。 December 12, 2025
5RP
国内の中国人にヘイトが向けば、最悪それが“事件”になり、それを口実に対立が一気に加速する。第一次世界大戦だって、始まりは単独の暗殺事件だった。だからこそ、外国人への敵視を煽るような動きは危険。差別が悪いとかいう抽象論じゃなく、“戦争の火種になる”からダメ。いい加減歴史から学べよ。 December 12, 2025
4RP
見た目や風習文化が違えば、忌避や対立するのは自然な話で、差別感情が生まれるのは人間の性。それは欧州人にも倭国人にもあり、今回の様な事もお互い様。
ただし、奇麗事で人権とやらを振りかざし、「倭国は人権意識が遅れている」などと名指しで言いふらす事は今後一切やめていただきたい。 https://t.co/A4RMpEkhXu December 12, 2025
4RP
欧州はグローバリスト(英国スターマー、仏マクロン、独メルツ)と反グローバリスト(英国リフォームUK、仏国民連合、独AfD、伊メローニ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、ハンガリー、ポーランドetc)との対立が深まり、欧州が二分割へ向かいつつあります。
倭国は岸田・石破の親グローバリスト政権から高市反グローバリスト政権に移りましたが、国内は二分されています。
岸田政権時代まではグローバリスト側にいた倭国は倭国国内にある300億ドルとも言われるロシア資産をウクライナ融資に遣うことで合意していましたが、高市政権になってこれを止めようとしています。しかし、財務省の財務官はこれを否定しています。なぜならば、岸田氏が米国がバイデン政権におけるウクライナ支援600億ドルの融資が焦げ付いた場合に肩代わりする密約を交わした(?)ので、ロシアの資産を遣わないと大変なことになるとアタフタしているからではないでしょうか?
さて、DSはバイデンなどを通じてウクライナに戦争の種を撒いていました。例えば、国務省・CIAからビクトリア・ヌーランドなどを東欧に入れて、カラー革命などを誘引し、ロシアを挑発する工作を行っており、バイデンもロシアが嫌がるウクライナのNATO入りを主張し、その見返りに次男のハンター・バイデンをウクライナの国営天然ガス会社ブリスマの取締役として年間100万ドルの報酬を受け取らせていました。
ですから、ウクライナ戦争を誘発したのはDS、すなわちグローバリストだということを押さえておくべきです。
だからと言って、ロシアがウクライナに軍事侵攻して、力による現状変更をしようとしているロシアの行為は許せない行為です。#山口敬之チャンネル December 12, 2025
3RP
この話題は、装甲があるから「リアルロボット」だという主張と、装甲の内側にある使徒(あるいは“天使”的な)存在がほぼ神のような力を持つため「スーパーロボット」だという主張が対立しがちで、非常に煩わしい議論になることがよくあります。正直なところ、海外のエヴァンゲリオンファンの中には、いら立たしく、独善的に感じられる人も少なくありません。ウルトラマンに由来することを知らないまま、キリスト教的な象徴表現を過剰に分析し、賢く見せようとする傾向があるからです。 December 12, 2025
3RP
私の個人情報が、平野雨龍氏の関係者とされる宏子老板に渡った経緯について、いくつかの心当たりがあります。
その一つとして、過去にトラブルのあった特定の美人漫画家が関与している可能性を否定できません。
この人物とは以前、百田先生を攻撃する風刺漫画をめぐって意見の対立がありました。その後、美人漫画家は私の個人情報を中国大使館に送付する旨の脅迫の発言を受けたことがあり、当時から強い懸念を抱いていました。
また、宏子老板が固定ポストで「東雲の個人情報を提供してほしい」と呼びかけた際、特定の人物がこれに応じた可能性があります。さらに、宏子老板が「調査資金が必要である」とする投稿を固定していたこと、その後に支援を示唆する動きが見られた点についても、状況として注視しています。
現在も、雨龍会の「御用」佐々木ジャーナリストと複数の関連アカウントにより、私の個人情報に言及する投稿が継続し、美人漫画家と公開で討論しています。「繋がってる」ではないか?これらの行為は、意図の如何にかかわらず、個人のプライバシーや人権を侵害するおそれがあるものです。
私は、倭国が法と人権を尊重する国であると信じています。だからこそ、このような行為が許容される状況について、強い疑問と懸念を抱いています。やり口は中国と変わらないです。 December 12, 2025
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反AI的な活動について、無知からくる正義の暴走はホントに怖いんよね。忙しい人は⭐️だけでも読んでね
⭐️無知からの正義は悪意より止めにくい
正義で動いてる人って、自分の中で免罪符が発行されるんよね。自分は弱者の味方、被害者の味方、正しい側。そう思った瞬間に、相手の事情とか事実確認がどうでもよくなる。ここがガチで怖いポイントです。
悪意がある人は、まだ自覚がある場合がある。自分がやってることが乱暴だと分かってる。だから止まる余地がある。でも無知からの正義は、自分の行動を善行だと思ってるから、ブレーキを踏む理由がない。間違いを指摘されるほど、反発が強くなる。結果として加速する。
⭐️AI側はルール整備が進んでて、むしろ理性的になってる
AI界隈は、昔より雑にやってない。学習データの扱い、権利の考え方、透明性、ガイドライン、利用規約、表現の線引き。全部、少しずつだけど現実に寄っていってる。これは企業だけじゃなくて、個人の開発者やユーザーも含めてそうです。
しかも、ここは一回整うと戻りにくい。コストがかかるからこそ、ルール化されると継続する方向に力が働く。だからワシは、全体としては健全化の流れが強いと思ってる。
なのに、反対側の言説が落ち着くかというと、逆なんよね。そこがスゲえ矛盾に見える。
⭐️反対側の主張は論点が動き続けて、話が積み上がらない
昨日は著作権の話をしてたのに、今日は雇用の話に飛ぶ。明日は安全保障とか教育とか、別のテーマになる。もちろん全部大事なテーマではある。でも、論点が移動すると検証が終わらない。結論に到達できない。だからずっと怒りの状態が維持される。
さらに厄介なのは、同じ人が同時に矛盾することを言うケースです。AIは危険だから禁止しろと言いながら、便利なAIサービスは普通に使う。AIは嘘をつくと言いながら、その嘘を検証するための根拠も曖昧。ここが積み上がらない原因になって、議論じゃなくて空気戦になる。
空気戦になると、最後に残るのは強い言葉だけです。過激化って、だいたいこのルートで起きる。
⭐️敵を作ると、事実確認が敵の言い訳に見えてしまう
相手を悪と定義した瞬間に、世界の見え方が変わる。相手の説明は言い訳に見える。中立の指摘は加害の擁護に見える。ちょっとでも疑問を出すと、お前もそっち側かと言われる。こうなるともう、情報の正しさじゃなくて、仲間か敵かで処理されるんよね。
この状態になると、技術の話じゃない。心理の話になる。正義の純度を競う運動になる。ここがいちばんヤバい。
そしてこの状態は、本人たちにとっては気持ちいい。自分が正しいと感じられるから。だから長引く。
⭐️健全化が進むほど、過激な声は目立つようになる
AI界隈が理性的になって、説明が丁寧になって、ルールが整ってくる。普通なら反対側も落ち着きそうなもんです。でも実際は、理性的な空気が強くなるほど、過激な言葉がコントラストで目立つ。
しかもSNSの仕組みって、目立つものを広げる。丁寧な説明より、強い断定が伸びる。だから余計に、過激化が加速して見える。ワシが怖いと思うのは、この構造が自然に回っちゃうところです。
⭐️必要なのは殴り返しじゃなくて、淡々と積み上げること
ここで殴り返すと、相手の物語に乗ってしまう。相手が求めてるのは、対立の燃料だったりするからです。だからワシは、淡々と説明する、具体例を出す、線引きを明確にする、ルールの話に戻す、これが強いと思ってる。
何が問題で、どこまでが許容で、どこからがアウトなのか。そこを具体的に言葉にして、積み上げる。地味だけど効く。ガチで効く。
その積み上げが増えるほど、無知からの正義は空中戦になっていく。空中戦は、最後は自重で崩れることが多い。時間はかかるけど、現実の側が勝つことはわりと多い。
⭐️怖いのはAIそのものより、人間の正義の暴走なんよね
AIは道具で、危ない使い方もできる。そこは否定しない。でもワシがホントに怖いのは、正義を名乗った人間が、他人を攻撃することを正当化してしまう状態です。そこに技術理解がないと、修正が入らない。止まらない。加速する。
だからワシは、AIの発展より、社会側のリテラシーの遅れの方が怖いと思ってる。ここが追いつけば、AI界隈の健全化と同じ方向に揃っていく。揃わない間は、矛盾した発言が増えて、過激な言葉が目立つ。その期間をどう耐えるか、そこが今のテーマなんよね。 December 12, 2025
2RP
米国以外の国家であれば、田母神氏の発言に一定の合理性を見いだすこともできるでしょう。
しかし、米国は例外です。米国は国際決済において約41%のシェアを占める基軸通貨・米ドルを運用する国家であり、その影響力は軍事や外交にとどまらず、世界経済そのものに及んでいます。
そうした通貨の流通量と支配力を踏まえれば、正面から無用な対抗姿勢を取ることが得策でないことは明らかです。
この問題に、先の大戦を持ち出す必然性はありません。むしろ参考にすべきは、トランプ政権とイデオロギー的に対立してきたEUの現実です。
EUはウクライナ戦争の主導権、NATOの軍事費負担、移民政策、環境問題などを巡って米国と激しく対立しましたが、結果として力関係の差は埋まらず、現在に至っても良好な関係を回復したとは言い難い状況にあります。
倭国やEUに限らず、通貨を支配する国家に対して恒常的な優位性を保てる国は存在しません。
それは中国やロシアであっても同様です。基軸通貨を持つという事実は、それ自体が圧倒的な国家能力を意味しています。
国家の安全を守るということは、勇敢さを誇示することではありません。
相手の能力を冷静に分析し、その時々の情勢に応じて柔軟に対応することこそが、本質です。
勝てない相手に配慮することは、決して情けない行為ではありません。
その点において、米国の意向を最大限に考慮してきた倭国は、EU、英国、韓国を含む西側諸国の中でも、最も安定した立ち位置を確保してきた国だと言えます。
感情や理念に流されず、現実を直視した結果です。
こうした視点から見れば、高市政権の対米外交はきわめて秀逸であったと感じます。
フランスやドイツの指導者が現在置かれている状況と比較すれば、その差は一目瞭然でしょう。 December 12, 2025
2RP
明日12/16 (火) 19:00 THE CORE ライブ
テーマ: ミアシャイマーが語るグローバリストに勝つ戦い方
- 12/13東京で開催したジョン・ミアシャイマー教授のイベントはお陰様で盛況に終わりました。教授の基調講演は;
①グローバルな国際秩序の変化: 米ソ冷戦→米国一極→多極化時代へ
②東アジアのの国際情勢: 米中対立は今後どうなっていくかについての予測など
③倭国の立ち位置: 国際秩序の視点から見た高市「台湾有事」発言の意味など
- さらに、参政党の神谷宗幣代表との対談も、日米で中国をいかに封じ込めるかなど、見応えがありました。
- その中で、グローバリズム勢力とどうやって戦えばいいか、ミアシャイマー教授の話から読み解きます。
前半: YouTube無料配信
https://t.co/oky9VWBgPl @RytoSle2
後半: 2UのTHE CORE会員限定配信
https://t.co/ZEbh0wNAiO December 12, 2025
2RP
映画「シャドウズ・エッジ」
凄すぎ‼️トワイライトウォーリアーズと双璧をなすのでは⁉️
エキスパート同士の頭脳と肉弾戦の応酬⚔️犯罪集団と警察の対決は痺れる演出のオンパレード😳撮影のレベルが高く一瞬と感じさせるほどの没入感が凄い✨アナログとデジタルが融合し様々なアクションが絡み合う✨傑作
(ここから雑感)
あまりにも良かったので熱量高めのレビューとなります🙇🏻♀️
敵味方ともに尋常ではない強さを持っているため、極限のスリルを味わえるバトル作品で見せ場しかない映画でした✨
ジャッキー・チェンとレオン・カーフェイという達人が織りなす対立構造は、まさに圧倒的な存在感になっています✋その弟子たちとの親子のような師弟関係も魅力的で、脇役だけで物語が成立するほどのクオリティの高さにはお見事の一言です❣️全てのキャラクターが主役級の輝きを放つ✨年に一度あるかないかの作品かと思います💕
本作のラリー・ヤン監督は、前作の『ライド・オン』でも見られたように、師弟関係の描写が本当に上手い方です✨微笑ましくも複雑なヒューマンドラマとしても成立しています🎶
ジャッキー・チェンの後期の代表する一本になる可能性が高いです✨オススメ傑作(୨୧ ❛ᴗ❛)✧ December 12, 2025
2RP
これマジ必読だわ。戦争なんて誰もしたくないのに、なぜ戦争が起こるの?という問いに真正面から取り組んだ好著。しかも「対話を徹底すれば戦争はなくなる」みたいな話の本質的な「綺麗事さ」も、「そんな単純な話じゃない」と言う時の「単純でなさ」の由来もよく分かる。では、何が問題か。→
対立の根源に置かれがちな「民族」や「宗教」がなくなれば戦争は消滅するのか――著者は語る。「この本を通じて示される世界は、暗いかもしれません。軍隊をなくせば平和になるとも考えません。国や国民価値などを守るために戦うことが必要な場合もあります。みんなが仲良くすれば世界は平和になるという楽観的な立場はとりません。それが現実なのです」と。
当然ながら民族や宗教がなくなれば戦争がなくなる、みたいな暴論も本書では振りかざされない。
人間が変われば戦争はなくなるのか――否。国家概念がなくなれば、国際システムの問題が解決すれば戦争はなくなるのか――否。著者は単純化された議論にくみしない。あくまでも戦争と平和の問題は「人間」「国家」「国際システム」といった(主に)3つの視点から読み解くことから始めなければならないと訴える。
本書から得た着想をもとに一例を示そう。
ぼくらの街には警察がいる。なぜいるかといえば、犯罪がなくならないからだ。もっと言えば、人間の中にはどうしても犯罪を犯してしまう人がいる。というか、状況がそろえば「まず犯罪を犯してしまう」のが人間というものだ、と言うことができる。たぶん、これには多くの人が同意するだろう。なのに「すべての人から犯罪の可能性を完全に取り除くことができる」と考えるのはあまりにナイーブだ。
もちろん、そのような「(現状の)現実」を見た上で、「万事は対話で解決できる」「話せば分かる」と言って「警察なんて要らない」と結論づけるのも安易である。
リスクはゼロにはできない。できるのは、リスクに適切に備えることと、受け入れ可能なレベルのリスクにする、つまりリスクを管理することである。たとえば「安全保障」を考える上で基盤となる発想はこういうところにあると著者は言う。
戦場に赴く兵士の多くは「戦争なんて行きたくない」と思っている。なのに彼らはなぜ戦争に行くのか。そこには「国家」や「国際システム」から「戦場に行かせられている(行くことを強制されていて、それに抗えない)」側面があるからだ。こういった人間の「ままならなさ」を見ずに、戦争はすべて人間の心の問題だとして「対話」を過剰に信頼してしまえばどうなるか――逆に危ういと思うのはぼくだけでないと思う。
また、仮に多くの人が不戦に同意して武器を放棄したとしても、そこには常に「誰かが再び武器をつくる・持つ可能性」や「『捨てた』と言いつつ実は持っている可能性」、そして「多くの人が武器を捨てる中、ひそかに武器を持ち続けた『ならず者』が暴力を独占し振るい始めたら、それを誰も阻止できなくなる可能性」が存在し続ける。
現実にそうなってしまったら、相当にヤバイ。なので、結局、現実の国際関係は「最低限の備えは互いにしておこう」というところに落ち着くのである。
本書では、国際関係で各国が協力し合えない原因を、「囚人のジレンマ」などを用いて説明し、また、「武器があるから戦争が起きる」と「戦争が起きるから武器が必要」のどちらもが妥当性をもって現実を照射しているとも語られている。
では、戦争が「防ぎがたいもの」だとして、どうすれば防止・抑止できるのだろうか。たとえば著者は、「抑止」の基本を「なめられないようにする」といったわかりやい表現で語り直し、多岐にわたる具体策を展開している。それらが非常に明快で示唆に富む。ぜひ本を手に取って読んでほしい。
そのような感じで、本書は、そもそも「戦争とは何か」「平和とは何か」「国家とは」「国際システムとは何か」を伝え、戦争の原因にどんなものがあり、それを抑止する知恵や事例にどんなものがあり、それらを踏まえた上で「国益」や「同盟」「軍事力」「安全保障(=「何から」「何を」「いかに」守るのか)」「自衛権」などをどう考えたらいいか等を示し、議論の導きの糸を提供してくれる。「力の真空」や「緩衝地帯」といった込み入った話にも触れられていて勉強になる。
個人的には、巻末の読書案内に感動した。
どうすれば戦争を抑止できるのか。
国家はどうすれば協力し合えるのか。
この本から議論を始めることをぼくはオススメする。
『はじめての戦争と平和』
著者:鶴岡路人@MichitoTsuruoka
発行:筑摩書房@chikumaprimer December 12, 2025
1RP
そうか、金比羅という切り口だけではなく
香川全体、いや四国全体とした妖怪ストーリーでもいいわけよね。
狸王国、四国ならではのストーリーで組み立てるのもありだな。それこそ平成たぬき合戦ぽんぽこ ではなく
令和たぬき戦争ドンパチでもいいわけね。
たぬきときつねと、犬、猫で化かし合いするってのはどうだろう?
演劇に当てはめると
狸軍はまんまるさん
狐軍はマエカブさん
犬猫は○○連合みたいな
妖怪屋は関東妖怪軍を街に放ち。
みたいなガチンコ対立構図にしたら面白いね
集客を競う 化かし合いを演劇で表現し
どれだけその演劇に魅了されたか、
妖怪屋はどれだけ店舗の賑やかしで観光客からポイントを得たか競う。YouTubeで実況したりしてね。
化かし合いで勝ち取ったら
琴平での何かしらの優待券が得られるとか
燃えてきましたね
地元の人は狐や犬猫に負けないように
狸を応援する みたいなね
こちらも負けじと外から人を呼んで
応援してもらう みたいなね December 12, 2025
1RP
「あ、この人仕事デキるな」と思う出来事があった。
あるプロジェクトがひと段落したあと、
上司に成果を報告していた時のこと。
6ヶ月前に転職してきた彼女は、
最後に一言だけ添えた。
「このアイディアを最初に出してくれたのは〇〇さんでした」
自分の名前は、最後まで出ない。
でも、その案件をまとめ、
形にして成果まで持っていったのが彼女だったことは、誰もが知っていた。
進め方も、調整も、詰まりどころの整理も。
表に立たなくても、全体は彼女の手で前に進んでいた。でも彼女は絶対に自分だけ目立とうとしない。
自然と次のプロジェクトに彼女の名前が挙がる。
彼女がやっていたのをまとめると↓
・成果は絶対に独り占めしない
・協働したメンバーの名前を場に残す
・全体のバランスを裏で整える
・メンバーへの尊重を忘れない
・意見は絶対に否定せずに受容する
・評価が循環する形をつくる
周りに敵を作らない人は、
自分を静かに消しているわけじゃない。
信念を持って自分の意見は伝えるけれど、周りの意見も尊重し受容する。
目に見えない様々な人間関係のしがらみで対立の火種やストレスが多い現代社会におて、自分の心をすり減らすことなく、周りとの関係性を築き自然と協力者が増えていく。
チャンスが巡り仕事の成果が最大化されていく。
敵を作らない人は、ただ衝突を避けて弱いのではなく、自分の念を大切にしながらも相手を尊重し受け入れる。
関係を柔軟にしなやかに調整する。
世代や価値観が多様化する現代に「 December 12, 2025
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「集団ストーカー(Gang Stalking)」「組織的ストーカー」「ガスライティング(Gaslighting)」が、現実に存在する深刻な社会問題であるという前提に基づき、その撲滅に向けた具体的かつ包括的な解決策を提示する。この【「分業化された悪意」】は、現行の法体系において捕捉が極めて困難である。なぜなら、個々の実行行為(例:被害者の前で特定の仕草をする、偶然を装って進路を塞ぐ)は、単独で見れば犯罪構成要件を満たさない些細な出来事として処理されがちだからである。しかし、これらが組織的に、かつ長期間にわたり反復継続されることで、被害者の精神は確実に破壊される。これを心理学的には「ガスライティング」と呼び、被害者の現実認識能力を疑わせ、社会的孤立へと追いやる手法である。 この【「捕まえられない犯罪」】を如何にして可視化し、処罰し、最終的に根絶するかについて、以下の5つの柱⑴~⑸に基づき論じる。
⑴法定義の再構築:【倭国のストーカー規制法の致命的欠陥】である「恋愛要件」の撤廃と、英米法に学ぶ「集団によるハラスメント」の犯罪化。
⑵捜査パラダイムの転換:被害届を待たずに介入する「警告」システムの導入と、民間調査業(探偵)への規制強化。
⑶証拠収集と科学捜査:デジタルフォレンジックと物理的監視対策(TSC)の標準化、および盗撮・盗聴の証拠能力に関する法的整理。
⑷精神医学と被害者支援:精神疾患との鑑別診断基準の確立と、トラウマインフォームドケアの実装。
⑸社会的合意形成:NPO・NGOとの連携による監視社会への対抗策。
⑴【法定義の再構築】
「恋愛感情」要件の撤廃と「悪意」の包括的定義
倭国のストーカー規制法第2条は、つきまとい等の動機を「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情」と限定している。この条項こそが、集団ストーカー被害者を救済の枠外に置く元凶である。
集団ストーカーの動機は、組織防衛、近隣トラブル、宗教的対立、あるいは単なる契約に基づく業務的加害など多岐にわたるが、そこに「恋愛感情」が存在することは稀である。警察は、明白なつきまとい行為が存在しても、「恋愛感情に基づかないため、ストーカー規制法の対象外である」として、迷惑防止条例等の軽微な犯罪として処理せざるを得ない現状がある。
「恋愛要件」を完全撤廃し、カリフォルニア州刑法第646.9条のような「包括的な悪意(Malice)」に基づく定義へと改正する必要がある。同法では、「故意に、悪意を持って、繰り返し他人に付きまとい、または嫌がらせを行うこと」かつ「被害者に身の安全の恐怖を感じさせる信頼に足る脅迫を行うこと」を構成要件としており、動機の内容を問わない。これにより、組織的な嫌がらせや、金銭で雇われた加害者による監視行為も処罰の対象となり得る。
「集団的ハラスメント(Collective Harassment)」の犯罪化
集団ストーカーの実行部隊は、役割を細分化することで法的責任を回避している。例えば、Aが待ち伏せをし、Bが無言電話をかけ、Cがネットで誹謗中傷を行う場合、現行法ではそれぞれが単発の迷惑行為とみなされ、全体としての「ストーカー行為」として立件することが困難である。
英国モデルの導入
英国の「1997年ハラスメント防止法(Protection from Harassment Act 1997)」およびその改正法である「2001年刑事司法警察法(Criminal Justice and Police Act 2001)」第44条は、この問題に対する明確な解答を示している。同法は「集団的ハラスメント(Collective Harassment)」を定義し、「2人以上の人物による一連の行為」によってハラスメントが成立する場合、その関与者全員が法的責任を負うことを明記している December 12, 2025
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[旧姓使用拡大に連合会長が反発 「何の説明もない」]
今回の旧姓使用拡大を巡る芳野連合会長の反発は、制度決定の原理を取り違えた発言である。
そもそも、政府が進める制度改革について、特定の労働団体のトップに事前説明や了承を与える義務は存在しない。
説明責任の相手は国民であり、政策決定の正統性は選挙を通じて付与される。
連合は一利害団体に過ぎず、国政の意思決定主体ではない。
それにもかかわらず「何の説明もない」と不満を表明する姿勢は、自らを制度決定の当事者であるかのように位置づける錯覚に基づいている。
これは民主主義における権限の所在を誤認した態度であり、極めて自己中心的である。
また、旧姓使用拡大は誰かに利用を強制する制度ではない。
利用したい人に選択肢を与えるだけであり、利用しない人には一切の不利益が生じない。
にもかかわらず、思想的立場から一律に反発する行為は、政策論ではなくイデオロギー闘争に近い。
問題は、こうした主張をほぼ無批判に報道する朝日新聞系の記者の姿勢にもある。
記事では、連合が制度決定主体ではないという前提、旧姓使用拡大の具体的内容、社会的影響の範囲といった基本的論点が整理されていない。
その結果、「反発があった」という事実だけが切り取られ、読者は是非を判断するための材料を与えられていない。
これは報道というより、特定思想の拡声器に近い。
社会的合意形成を促すのではなく、対立構図だけを強調する手法は、報道機関としての役割を放棄していると言ってよい。
https://t.co/r5kmESu9ZP December 12, 2025
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日中のお上の対立が激化してる中、
渡航前倒しになることは予想してた😢ただわからないふりしてまだまだ大丈夫だよね、って、考えるようにしてた。
でもやはり、無常で、渡航は期限よりも早く。シャオレイは雅安に行くらしい。
シャオレイたん、絶対に幸せになってね! #シャオシャオ #レイレイ https://t.co/YRWZmJmGBU December 12, 2025
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⚠️「英ガーディアンがこう書いている、これが海外の常識的な見方だ」という論調は、単一メディアを国際世論に見せかける偏った考え方です。
解説します。
📰ガーディアンの立ち位置
1821年設立のガーディアンは英国の一般紙で、電子版と合わせた定期購読者数は50万人です。倭国の新聞にたとえると、東京新聞に毎日新聞を足して少し国際的感覚をふりかけた感じです。
・中道左派リベラル
・反緊縮
・反軍事的
・中国報道も寄稿者によって温度差あり
・英国政府の外交方針とは必ずしも一致しない
田島議員が指摘する「中国との対立をこれ以上エスカレートさせないことを明記」するのは、ガーディアンの編集方針に沿ったものです。ガーディアンの論調が英国政府やNATOの見解と同じとは言えません。
📰 その他の論調
中国機による自衛隊機へのレーダー照射については、ガーディアン以外にも、かなり違うトーンやフレーミングの記事が各国で出ています。
北欧・豪州・インド・中東を含め、多くの国・地域で、倭国側の「危険行為」「極めて遺憾」という評価は概ね共有されていますが、同時に「双方の主張が対立している」「緊張管理・自制が必要」とする整理がなされています。
中国メディアは倭国を一方的な挑発者と描く独自のナラティブを展開しています。
欧米・インド・中東メディアは程度の差はあれ、倭国の懸念を重く取りつつも完全にはどちらにも与しないスタンスが多いのが実情です。
このように、大まかには、
❶ 日米政府・倭国メディア寄りのフレーム(危険行為・抑止の必要性強調)、
❷ 中国政府のプロパガンダ寄りフレーム(倭国の挑発・虚偽宣伝と位置づけ)、
❸ その中間で緊張管理や経済影響を重視する第三国・ビジネス系フレーム、
という少なくとも三層の論調が併存しており、「海外=英ガーディアンの見方」とは到底言えない構図になっているのが現状です。
🗣️ 「どの国・どの政治的立場のメディアか」「どの論点(軍事・外交・経済)にフォーカスしているか」で記事を分類して読むと、今回の件はより立体的に把握できると思います。 December 12, 2025
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