北京 トレンド
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2025.11.30 12:00
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中国から無事に帰国しました!
残念ながら北京と上海での犬夜叉コンサートは不可抗力により中止となりました。
ボクらはもちろんのこと、中国側のスタッフの皆さん、犬夜叉ファンの皆さんも大変楽しみにしていたのに残念でなりません。
でも近い未来に平和裡に交流、そしてコンサートができるよう願っています! November 11, 2025
88RP
世界で1番人口の多い中国北京でやってこい。
台湾を軍事侵攻しようとしているのは中国共産党。
旧敵国条項を持ち出して倭国に戦争をふっかけているのは中国共産党。
倭国は軍事侵攻なんて一言も言ってない。 https://t.co/G02zjTgVe1 November 11, 2025
57RP
「ライブを中止させた中国より、中国にライブを中止させる原因になった高市が悪い」
コレのどこが反体制(ロック)のか?
共産党の飼い犬ロッカーは、北京で中国国歌でも演奏したらどうか🤣🤣🤣 https://t.co/5VGqpSmcpx November 11, 2025
41RP
中国人民が来日しなくなって困った中国人民。倭国を舞台に、変わらぬ中国心で中国人民と稼ぎ、倭国にはお金💰を落とさない中国人民。めでたし!めでたし。あ、媚中派もついでに悲しんでいるかな?悲しんでも、中国人民からも、北京からも、おこぼしはもらえない媚中派。 https://t.co/D3bVkBCiu4 November 11, 2025
38RP
倭国首相高市早苗近日在國會答辯中指出,台海若發生武力衝突,有可能構成倭国的「存亡危機事態」,此言一出便引起中國強烈反彈,也迅速成為倭国國內政治焦點。中國方面接連祭出旅遊及進口限制等,試圖向倭国施壓。倭国國內本身也並非鐵板一塊,對高市發言的反應出現明顯分歧。
其中最受注目的反對聲音來自前首相石破茂。他批評高市、強調倭国歷屆政府一向「理解並尊重中國對台灣的立場」。他的這番談話立刻被中國駐日大使館轉貼並加以放大,使得原本屬於倭国內政的討論,被外部勢力拿去宣傳利用。
與之相對,支持與贊同的聲浪也不小。有意見認為,高市的發言是一個「必要且遲來的明確訊號」。曾與我在北京共事數年,一起在高壓環境下採訪過中共十七大、四川大地震、北京奧運等多個重大事件的產經新聞前同事、資深媒體人福島香織,便在倭国的電視節目上做出直接而清晰的評論。
她指出,中國總是擅自宣佈「紅線」,並要求周邊國家遵守,而長期以來,倭国在外交上也確實傾向迴避衝突,以「不踩中國紅線」為最高原則,致使国家利益多次蒙受損失。然而,高市首相的談話,第一次為倭国主動畫下了屬於自己的紅線。
福島香織的重點很明確,她說,中國若在台海出動軍艦、封鎖海域,就等於觸碰了倭国的紅線,倭国將有所作為。換言之,倭国並未主動挑釁,而是具體告訴北京:只要中國不跨越這條線,日中仍可維持和平與穩定的關係。
福島強調,這種清楚、對等的外交訊號,是倭国多年以來所欠缺的。她指出,倭国過去總是被動接受對方設定的框架,導致外交上始終處於不對稱的位置。如今,東京能夠明確告訴中國「倭国的安全底線在哪裡」,不僅是政策上的轉變,也是外交態度上的一次突破。
她說,倭国其實「等待這樣的首相、這樣的外交立場,已經等太久了」。這段發言直截了當,擲地有聲,引起了許多人的共鳴。這不是情緒化的煽動,而是福島基於多年觀察中國的行為模式後做出的冷靜判斷。 November 11, 2025
19RP
言い換えれば、共同通信がこれを報じていることも、倭国の大衆に「チャイナのヒデー言論統制ネタ」を煽っておけば、注目集まるだろうという若干のメディア的なあさましさも感じます。(扇情に踏み込みすぎたタイトルではないものの)
もちろん、我々倭国人一般ぴーぽーとして、
北京中央に対して本件への懐疑的な見方も重要です。
これまで散々語られてきた「ネット空間運命共同体」「正能量(ネット言論を体制礼賛ポジティブ情報で満たすべしという北京中央の意思)」も再度言及されていて、これはそもそも、国境のないネット言論空間に対して、チャイナが介入しようという話でありまして、徹底的に倭国の我々側としては「反対声明」を掲げるべきものであります。
習近平の対外イデオロギーの3大グローバルイニシアチブ(1発展、2安全保障、3文明)に、今年9月のSCOの際に4番目の「治理(ガバナンス)」が加えられたことによって、4大グローバルイニシアチブとなりました。
んで、これにあわせて、今回の集団学習会の意思決定(≒イデオロギー設定の改定と同義)があるとすれば、「ネット空間運命共同体」×「グローバルガバナンスイニシアチブ」×「正能量」という、対外的な情報空間での主権拡大サラミスライスやらOODAループやらがみえてくるわけです。
倭国の情報空間にも硬軟あわせたかたちで介入してきます。「硬」とはネット空間の操作のために、ハード(例えば、今回のような反日抗議キャンペーンなど)な動きの可能性です。
というわけでありまして、
共同通信が、昨今の倭国国内の対チャイナ空気感を反映すれば、本件「紅いネット政策」をただ単に報道するだけでも倭国の大衆煽りのようになってしまうわけですから、
「対日政策が主たるものではない」「過去政策との整合性アップデート」ということと、同時に「ワンノブゼムとしての倭国への影響懸念」を冷静に示しておくのが、誠意のある解像度の高い報道だと思うわけです。 November 11, 2025
14RP
騙されるな!
香港の大火事
大火事の原因は竹の足場がメインではない
(1)防火基準を満たさない中国製の緑の網
(2)関与した2つの中国企業
(1)(2)を隠し、香港伝統の竹の足場のせいにした上、北京と深圳を持ち上げる
李家超(香港行政長官)
親中派による「竹が原因」説を流す倭国のマスコミも最低 https://t.co/nl1BzQUpG1 November 11, 2025
12RP
台湾の憲法が「自分たちが唯一の中国の正統政府と書いているのは、あくまで1940年代の国共内戦という歴史的経緯が残っているだけで、現実の台湾社会のアイデンティティや国の実態とはすでに別の話なんです。
憲法の建前は古いまま残り、現実の台湾は 自分の政府、自分の軍、自分の選挙、自分の外交を持つ、完全に独立して動いている民主国家です。
台湾の若い世代に聞けばわかりますが、「自分たちは台湾人であって、中国とは別」という認識が圧倒的です。
つまり今の状況は現実は、台湾は独立国家として機能している。しかし、憲法は国共内戦期の中華民国=全中国の名残が残っている。国際社会は北京を唯一の中国と扱う国連2758号決議。
という三層のズレが同時に存在しているから、議論が複雑になるだけなのです。
あたしは国家どうしの建前よりも、「実際にそこに暮らす人たちがどう生きているか」を優先して考えてます。
そして、その現実を見れば台湾はすでに独立した民主社会です。
憲法の文言だけを取り上げて「だから台湾は中国の一部」と言ってしまうのは、歴史の残骸を今の台湾に無理やり当てはめてしまう誤解だと思います。
「台湾憲法では台湾政府が唯一の中国を統治する政府と書いてある」
という指摘は、事実として間違いではない。憲法は正しい、でもそれは過去の歴史の残滓であって現実とは違う。
現実の台湾は独立国家として完全に機能している。
国連の建前、憲法の建前、現実の台湾の三重構造が議論を複雑にしてる
つまり、憲法の事実はほんとなの。でも、これだけだと誤解につながる。それをほどくのが、あたしたち見る側、読む側、知る側、知らせる側に必要だと思います。 November 11, 2025
3RP
【必読】
倭国語訳
もしMAGAがウクライナ領土を差し出せば、アメリカのグローバル安全保障システムは崩壊する。
アメリカがロシアによるウクライナ領土の占領を承認すれば、その影響はヨーロッパをはるかに超えて広がる。
それは、アメリカが数十年にわたり依存してきた安全保障アーキテクチャ全体を連鎖的に崩壊させる引き金になる。
ヨーロッパは強硬に対応する。
ロシアの領土強奪を承認することは、「武力による国境変更は認めない」という原則を破壊する行為だ。
その瞬間、ヨーロッパはさらなるロシアの拡張を止めるため、東ウクライナへの軍事的関与を強める。
NATOの結束も崩れる。なぜなら、その原則を最初に破ったのがアメリカ自身となるからだ。
中国は太平洋で動き出す。
アメリカの決意が崩れたと見た瞬間、北京は対米包囲網を打破する行動に出る。
中国は第一列島線への圧力を強め、倭国、台湾、フィリピン周辺で米国のプレゼンスに挑戦する。
太平洋はもはや緩衝地帯ではなく、アメリカ本土への直接的な戦略ルートへと変わる。
北朝鮮は弱点を突く。
ワシントンが二正面で強さを示せないと判断すれば、平壌は即座に韓国への圧力か軍事行動をエスカレートさせるだろう。
その結果、アメリカは大規模なアジア紛争に引きずり込まれるか、撤退を余儀なくされ、地域の信頼を完全に失う。
倭国と韓国はアメリカへの信頼を失う。
両国は米国の安全保障に依存している。
もしワシントンが政治派閥の圧力でウクライナを見捨てるなら、もはや安定した同盟国とは見なされない。
東アジアの勢力均衡は一夜にして変わる。
台湾は防衛不能になる。
信頼が崩れれば、抑止は働かない。
中国は台湾への行動に踏み切り、アメリカは巨大戦争に介入するか、また民主国家を見捨てるかの二択に追い込まれる。
中東はアメリカから離れる。
サウジ、イスラエル、ヨルダン、湾岸諸国など、米国の安定に依存してきた国々は同盟関係を再評価する。
アメリカの保証が信頼できないと判断すれば、中国やロシアへ軸足を移すだろう。
すべてはひとつの決断から始まる。
ロシアの領土侵略を正当化するという決断だ。
そしてそれを主導しているのは、トランプの周囲にいるごく小さな集団だ。
ロシア寄りの傾向が強く、ロシアのエネルギー資産に個人的利害を持つ人物たち。
彼らは共和党でも、アメリカの主流でもない。
しかし大統領の耳を握り、自らの行動が引き起こす世界的連鎖反応を理解していない。
これはイデオロギーの問題ではない。
アメリカの信頼性そのものの破壊の問題だ。
ウクライナ領土を差し出すことは戦争を終わらせない。
むしろ世界規模の戦争を始める行為だ。 November 11, 2025
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モンゴルへ行った時、まだ直行便がなかったので北京経由だった。前泊と後泊が北京。帰りのモンゴルのウランバートル空港で、現地で買ったのだろう。若い倭国人女性が黄色のデール(モンゴル民族衣装)に民族の帽子(写真のような)をかぶって倭国へ帰るところだった。モンゴルと中国は犬猿の仲だと知らないらしいので、彼女が北京でひどい目に遭わないようにと祈ったことを覚えている。私はメガネをかけていたせいで中国人と間違えられて、酔っ払いのおっさんに蹴られたからなぁ。 November 11, 2025
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🚨中国で“ポジティブ・オンリー法”発動😶🌫️
2025年11月28日、中国共産党が新たに導入したのは……
**「ポジティブな情報のみを許可」**という驚きの命令🈲
つまり、「元気がない話」は禁止😶
生活の苦しさ?📉農村の困窮?📚学生の就職難?
全部“ネガティブ”として弾圧対象です。
山東省・潍坊市では、警察が「99.1%の市民が安全と感じている」と自慢する一方で、実際はSNS投稿の監視に全力。
農民が作物不作を語ればアウト。
学生が就活の苦しみを吐露すれば即削除。
この“陽キャ強制国家”では、すでに1,200人以上のインフルエンサーが削除済み。
さらに新法では、残った人たちにも「金融」や「健康」の話題を語ることさえ禁じられました📵
🇨🇳経済は不調、国民の信頼は失墜…
そんな中で、北京は情報統制の締め付けをさらに強化中。
💬でも静かに“目覚め始めている人たち”も増えているという話です。
ポジティブ以外を封じる時代に、本当の希望は……どこにあるのか🌫️💡
#中国 #言論統制 #ポジティブ強制国家 #SNS検閲 #2025年の現実 November 11, 2025
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#民國偉大故事
民國二年(1913),宋教仁在上海火車站被刺殺,生命垂危,在醫院他對于右任說:我很痛,估計是活不成了。我在南京、北京和東京都有大量的存書,委託老兄把它捐給南京圖書館。我一生投身革命,家貧無錢,但上有老母,下有幼子,希望你和黃興老兄,包括我的其他朋友能為我照料。
他在生死關頭特意交代,要把自己這輩子在南京、北京、東京存的那些書,一股腦全捐給南京圖書館,這裡面既有他當年省吃儉用淘來的宋版《冷齋夜話》,也有他在倭国留學時一邊啃乾糧一邊翻譯的《美國制度概要》。
可惜在那個動盪的亂世,連書的命運都和它的主人一樣坎坷,于右任雖然答應了下來,但後來因為戰亂和保管制度的混亂,這幾千冊承載著憲政光芒的書籍,有一多半在運輸中不知所蹤。
有的流入了民間書商手裡,有的甚至混進了廢紙堆,直到幾十年後他的兒子才在故紙堆裡翻到幾本殘卷,上面還印著那枚倔強的“漁父藏書”印章,那個春夜的槍聲,打碎的不光是一個年輕人的身體,更是把當時中國試圖透過“講道理”和“定規矩”來解決分歧的路給堵死了。
宋教仁在遺囑裡還在勸袁世凱要“開誠佈公”,要守住法律的底線,這種天真在今天看來甚至有點讓人心疼,他像一顆流星劃過漆黑的夜空,雖然轉瞬即逝,但他那個“把權力關進籠子”的想法,卻像一顆種子哪怕被鮮血澆灌過,埋得再深也終究會在歷史的泥土裡等著發芽。 November 11, 2025
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胡平:生祭郭罗基(一)2025年1月,美国溪流出版社推出《郭罗基访谈录——一生充当反对派》,上下两大卷,一百多万字。说来,郭罗基这本书的问世,也有我一份功劳。2019年六四,我到华府参加纪念活动,见到ChinaChange网站创办人曹雅学女士。曹雅学说她想对海外流亡人士做深度采访。我建议首先采访郭罗基。我说,郭罗基八十多岁了,再不采访就来不及了。8月上旬,曹雅学约上我太太王艾,分别从华府和纽约乘飞机前往内布拉斯加州到奥马哈(Omaha)城,对郭罗基进行了长达三天的采访,参与采访的还有郭罗基的儿子郭听雷。
郭罗基是1992年来到美国的。当时他被纽约科学院选为院士并受邀来纽约参加该院的活动,同时他还收到哥伦比亚大学黎安友(Andrew J. Nathan)教授的邀请到哥大东亚所做研究工作。1995年,郭先生受哈佛大学法学院邀请参加东亚法研究。郭先生1992年来美国时的有效签证J-1是三年,他原准备三年后回中国,可是第二年郭先生就被中国政府列入不准入境的“黑名单”。在结束了哈佛的研究后,郭先生无法回国,就留在了波士顿。2011年,郭先生当年在南京大学教书时的一位学生袁劲梅,毕业后赴美留学,现在内布拉斯加的克雷顿大学(Creighton University)哲学系任教,邀请郭先生搬到奥马哈。这样,郭先生就到奥马哈住下了。郭先生和他的妻子在2009年离婚,儿女都不在美国工作。我担心郭先生在奥马哈太过孤单,打电话问他是不是搬到纽约来,这边朋友多些。郭先生说他在奥马哈过得不错。老了,不想再搬迁了。
三天的采访,郭先生给曹雅学和王艾这两位采访者留下了十分深刻的印象。那一年,郭先生已经87岁了,就在一年前,他遭遇一场重大车祸,断了几根肋骨,差一点没抢救过来。然而,采访者看到的郭先生,衣着整洁,精神矍铄,思维敏捷,口若悬河,讲起往事脉络分明,记忆力惊人,多年前发生的事,时间地点和现场的一些细节都记得清清楚楚。采访者注意到,郭先生住的是老人公寓,没有食堂,没有护理,平时买菜做饭、洗衣打扫都是自己动手。郭先生把自己的生活安排得井井有条,从起居饮食,到锻炼和调养身体。就在这样的环境下,郭先生坚持阅读、思考和写作,并通过网络和各地的、包括国内的朋友交流。如此高龄,如此环境,竟有如此境界,如此状态。令人佩服不已。
接下来,郭先生把采访的录音认真整理。为此,他小心核对事实,引证原文,查阅笔记和日记,还特地收录了一些原始文件,并且扩充了内容,把采访时被忽略或未展开的话题做了进一步的补充,一个字一个字打进电脑。就在这段时间,郭先生又先后患上前列腺癌和肝癌。医生说,从来没见过这么大年纪的人长这么大的瘤子。郭先生从容应对,给朋友们的信中说自己“像无事人一样,该干什么还干什么”。然后,病情竟然得到控制。历时近五年,在92岁的高龄,郭先生交出了这部一百多万字的书稿。真是人间奇迹。
(二)
访谈录一出版,郭先生就嘱托出版社给我邮寄一套,并来信说:“照老规矩,请胡平阅后写出评论,这不仅是评一部书,也是评我的一生。可称是祭文,而我人还没死,叫做生祭。”
此前,郭先生在海外已经出了五本书:1、《共产党违法案纪实》(香港 民主大学出版社 1997),2、《论“依法治国”》(纽约 民主亚洲基金会,2004),3、《历史的漩涡——1957》(香港 明报出版社,2007),4、《新启蒙——历史的见证与省思》(香港 晨钟书局,2010),5、《“梁效”顾问冯友兰》(美国 华忆出版社 2020)。每一本我都写了书评。我之所以给郭先生的每一本书都写书评,是因为我自以为对郭先生最了解,是因为我和郭先生有着深厚的情谊,另外也是因为我认为长期以来郭先生都没有得到足够的重视与应有评价。如果用一句话评价郭先生,那就是,郭罗基先生堪称文革后中共党内推动思想自由、言论自由与人权理念的启蒙先驱第一人。
郭先生讲到“生祭。何谓生祭?有两个例子:一是台湾女作家曹又方身患绝症,她请朋友们举办了一场“曹又方快乐生前告别式”。另一个是李锐之女李南央,在李锐病重住院期间向朋友们约稿,希望能让父亲在生前就听到众人对他的评价。我和几个朋友一道,在5月20日——恰好是郭先生93岁诞辰的第二天——举办了《郭罗基访谈录》网上讨论会。上线发言的嘉宾有:曹雅学、黎安友(Andrew J Nathan)、梁雷、林培瑞(Perry Link)、徐友渔、陈奎德、苏晓康、王军涛、朱学渊、高伐林、张裕、高寒。这次网上讨论会长达三个小时。每一位嘉宾的发言都很精彩,在高度肯定之余,也有坦诚的不同意见和批评。郭先生说,他本来想约请他的同辈人参加讨论,可是他的同辈人,大多已作古,有几位还在,但久已卧床不起,恐怕脑子也不清楚了。我感慨道:高寿者有个大遗憾,那就是,你的同辈亲友同事,你们之间本来有着最多的共同记忆的人,都走了,你生命中很大一部分也随着他们消失了。他们本来可以讲出很多重要的故事和生动的细节,可惜我们再也听不到了。
(三)
《郭罗基访谈录》是一部自传。阅读《郭罗基访谈录》,我们不但可以认识郭罗基这个人,也可以通过他认识我们的时代。
郭罗基,1932年出生于江苏无锡,1948年加入中国共产党。
1955年,考入北京大学历史系,还没毕业就被留校任教。
在1957年反右运动中,郭先生被指为“右倾”。
在1975-1976年的“批邓、反击右倾翻案风”运动中,北大有两人坚持不表态,不批邓。一位是北大校长、物理学家周培源,另一位是郭先生。
1976年10月,“四人帮”垮台,北大随即发生了一场反对“两个凡是”的民主运动。运动是北大的教师发起的,郭先生是三个“领头羊”之一。时任北京市委书记的吴德就郭罗基的发言稿请示华国锋,华国锋说:“一定要把他压下去!”(上卷,第330页)但是,郭先生的发言赢得北大师生的广泛赞同,也得到党内已经复出和正要复出的改革派赞同。于光远说他亲耳听邓小平说:“郭罗基是好样的!”(上卷,第333页)这场运动取得成功,北大党委改组,北京市委检讨。
1977年11月,声誉鹊起的郭先生被推选为北京市人大代表。郭先生在北京市第七届人代会上严肃批评北京市委,是中共建政以来人民代表问责政府之第一例——也是迄今为止唯一的一例。
1978年,郭先生参与了“实践是检验真理的唯一标准”大讨论。1979年1月,郭先生参加了理论务虚会。在这一年第3期《红旗》杂志上,郭罗基发表了著名文章《思想要解放,理论要彻底》。
1979年6月,郭先生在《光明日报》上发表《谁之罪?》。这是探讨张志新案件的最著名的文章。张志新是中共党员,在文革后期发表言论,批判对毛泽东的个人崇拜,质疑文化大革命,被定性为现行反革命分子关进监狱;在狱中张志新喊口号“打倒毛泽东”。辽宁省政法部门本来给张志新判处的是无期徒刑。时任辽宁省委常委、辽宁地区实际上的最高统治者、毛泽东的侄子毛远新发话枪毙。临刑前,怕张志新呼喊“反动口号”,割断了张志新的喉咙。1979年3月,张志新平反昭雪,其事迹公诸媒体,引发强烈反应。在大量的纪念张志新的文章中,就以郭先生这篇《谁之罪?》流传最广,影响最大。作者虽未点毛泽东之名,但明眼人谁都知道这里的谁是谁。
1979年11月14日,郭先生又在《人民日报》上发表了那篇《政治问题是可以讨论的》,反对因言治罪,力倡言论自由,直击中共专制之要害;文章采用对话体,深入浅出,逻辑严谨,极有说服力。这篇文章先是在10月15日首发于内部刊物《未定稿》,人民日报则是在一个月后正式发表。就在10月16日,北京市中级人民法院判处魏京生有期徒刑15年。11月6日,北京市高级人民法院驳回魏京生的上诉,做出终审判决。郭先生这篇发表在人民日报上的反对因言治罪的文章正赶上这样的时刻。当天下午,胡耀邦就打电话给人民日报总编辑胡绩伟,问:“你们发表郭罗基的文章是不是为魏京生辩护呀?”胡绩伟说:“这篇文章是9月份写的,那时魏京生还没有判刑,怎么谈得上为他辩护呀!”(上卷,第480页)胡乔木拿这篇文章向邓小平告了状。邓小平后来在报告里说;“绝不允许宣传什么包括反革命分子在内的言论出版自由。”(上卷,第486页)郭先生的宏文不胫而走,而郭先生的名字则被邓小平等打入另册。
郭先生写《政治问题是可以讨论的》不是为魏京生辩护,而是针对所有的因言治罪。在1979年12月北京市第七届人代会第四次会议上,郭先生联合其他几位代表发表了一份声明,为魏京生进行辩护,同时为因散发和出售审理魏京生案的部分录音记录而被捕的刘青(民间刊物《四五论坛》负责人)进行辩护,向北京市检察院和法院提出严正的挑战。这在中国的人民代表大会的历史上是没有先例的。郭罗基对魏京生有不少批评,但这丝毫无碍于他为魏京生的言论自由权利做公开辩护。
1981年夏天,郭先生以“马温”的笔名在《人民日报》上发表了一篇反对个人崇拜的文章。这篇文章事先交给胡耀邦看过,胡耀邦亲自写了回信。郭先生给我看过这封回信。平心而论,回信写得很不错,语气谦和友好,平等待人,还提出了几处修改意见,应该说,有些修改意见还是很中肯的。但这篇文章还是遭到中共保守派的深刻忌恨。不久,上面就发出调令,把郭罗基先生逐出京城。郭先生据理力争,很是顶了一阵子。当时上面有话:不走就开除出党,开除之后还是要走。1982年8月,郭先生被迫迁去南京。我录下一首唐诗赠给郭先生:“千里黄云白日曛,北风吹雁雪纷纷。莫愁前路无知己,天下谁人不识君?”
1989年4月15日,胡耀邦逝世,引发天安门学潮。郭罗基说,他并不希望发生学潮。1988年以来,中国的和平演变相当迅速。上海的《世界经济导报》和北京的《经济学周报》实际上已成为自由化思潮的阵地。1988年5月,在北京饭店举行了一场“文化座谈会”,为翌年“五四 ”运动70周年作准备。郭先生以及不少多年来被整肃的自由化分子,连为胡耀邦陪绑的下台中宣部长朱厚泽,都出场了。1989年“五四”之前发生了政治风波,和平演变的进程为之中断。郭先生说,如果可以选择,我宁要和平演变,不要政治风波。但政治风波不可选择地发生了,我决定参加进去。(下卷,第196页)
“六四”后,当局进行了全国范围的大清洗。南京大学党委秉承上意,以“党员重新登记”的名义,迫使党员人人过关,表态附和中央关于“六四”是“平暴”的结论。郭先生非但拒绝认错,而且“猖狂反扑”,“摔出三顶帽子:‘反党、反人民、反马克思主义’:‘党员重新登记’是反党;‘六四’事件是反人民;‘反对资产阶级自由化’是反马克思主义。”(下卷、第214页)郭先生在支部大会上发表《告别书》,这一长篇讲话引起很大反响。真正的勇士未必总是在形势顺利时冲得最远的人,但必是在恶浪袭来时屹立不退的人。伟大的人格有如火石,遭到的打击越强,迸出的光芒越亮。
郭先生被拒绝党员重新登记。接下来,郭先生的一个研究生因积极参加八九民运而被捕入狱“拘留审查”,郭先生给南京市政府发去抗议书要求放人。六四后被抓的研究生很多,但提出抗议的导师唯有郭罗基一个。再接下来,郭罗基被取消教授与博导资格,然后又被剥夺上讲台授课的资格。郭先生通过法院提出起诉,状告国家教委和南京大学党委,在万马齐喑的政治气候下犹如一声惊雷,首开1949年以来“民告官”之先河。
1992年5月,人在国内的郭罗基当选为海外人权组织“中国人权”的理事,是“中国人权”在中国大陆的第一位理事。11月,赴美国哥伦比亚大学东亚研究所作研究。1995年,任哈佛大学法学院资深研究员。2001年,郭罗基还参与了中国独立作家笔会的创建。在流亡海外期间,郭罗基应邀为美国之音和自由亚洲电台做评论,同时也在海外多家刊物上发表文章,共计约500篇。其中有关人权与法治的系列文章,略加整理就会是很好的教科书。
1997年10月,郭先生的中国护照到期。郭先生向中国驻纽约总领事馆提出延期。领事馆说上面规定要他“写个东西”。郭先生写了个东西交去,然后就没了下文。因为郭先生写的“东西”不是对方要的“东西”。领事馆要的是检讨书,郭先生在国内的高压下尚且不写检讨,哪有到了美国的自由天地反而写检讨的道理?那时的外交部长唐家璇毕业于北大东语系,郭先生当年是他们的政治课老师。郭先生直接给唐家璇写了信,结果是石沉大海,毫无音信。郭先生母亲病危,郭先生想回国探望,但因为拒绝“写个东西”而未能成行。母亲去世,郭先生听说有人虽未获准护照延期,但允许回国奔丧,于是又找到领事馆,对方又说要写个东西,倒不是要检讨而是要保证,保证只参加母亲丧事,保证不和别人来往,保证不到别的地方。郭先生拒绝这种政治勒索,宁愿忍受和高堂老母生离死别的哀痛。我完全理解并同情那些为了奔丧而写下保证的朋友,但对捍卫尊严、连一分一毫都不肯退的郭先生,我只能更加钦敬。
(四)
1978年秋,我考进北京大学哲学系研究生班。由于我主修专业为西方哲学史,而郭先生讲授的是马克思主义哲学原理,彼此没有交集。1979年,郭先生在写作《政治问题是可以讨论》一文时,读到我在民主墙时期民间刊物《沃土》上以“何边”的笔名发表的《论言论自由》(《沃土》的作者都是用笔名),很是欣赏。中共理论务虚会上那些党内知识分子对民主墙和民间刊物大多是赞扬的,但不愿和我们沾边。愿意和我们接触的只有三个人:严家祺、王若水和郭罗基。郭先生在访谈录里写道:“我到哪里去找何边?想出了一个办法,我把何边的一句特色语言写进了我的文章,他一看就知道,‘嘤呼其鸣,求其友声。’这句话是这样的:‘文化大革命中,没头脑的人到处摇头晃脑,有头脑的人竟至于失去了脑袋。’”(上卷、第479页)我读郭先生《政治问题是可以讨论的》,一下子就看到了这句话,非常高兴,立即登门拜访。正如郭先生所说:“从此,我们就成了为争取言论自由而斗争的战友”。
曹雅学采访郭罗基,一开始就请郭先生用几句话概括自己的一生。郭先生当即回答道:“一句话就可以概括:一生充当反对派。”(上卷、第1页)这句话成了《郭罗基访谈录》的副标题。郭先生从小就是反对派,反对倭国军国主义,反对国民党统治,然后是反对共产党统治,到海外后又是他参加的组织中国人权和独立中国作家笔会的某些负责人的反对派。
对于早年反对国民党统治,参加共产党和共产革命这一段历史,郭先生讲到了他的沉痛反思。他引用《钢铁是怎样炼成的》作者奥斯特洛夫斯基临终前的一句话:“我们所建成的,与我们当年为之奋斗的完全两样。”“问题出在什么地方?”郭先生说,“问题就出在我们投入的革命是暴力夺取政权。因为是暴力夺取政权,夺取政权以后,必然是用暴力来维护政权、运用政权。”(上卷、第37页)另外,他对于社会主义也有自己的反思。
至于他到海外后又成了人权组织和独立笔会某些负责人的反对派这一段历史,郭先生用了整整两章的篇幅,讲述了他亲历的“中国人权的‘大地震’”和“独立中文笔会的大风暴”。在参加郭先生这本书的讨论会上,有几位嘉宾就是中国人权“大地震”和独立中文笔会大风暴的当事人,包括赞成他的和不赞成他的。此外,郭先生在访谈录里还记叙了他参加的很多重大问题的争论以及对若干民运同道的严肃的、理性的批评。对于这些事,相关人士免不了有不同看法,见仁见智;而郭先生的特立独行则一以贯之。
(五)
《郭罗基访谈录》也是一部思想和心灵的自传。郭先生不但写下了自己经历的重大事件和自己的所言所行,而且写下了自己当时的所思所感以及事后的反思,写下了自己的心路历程。我认为这后一点非常重要。作为思想者,我们现在所拥有的种种观念、倘从人类思想史着眼,其中并没有多少新颖原创之处,但我们获得这些观念的那一经验过程,却堪称独特而弥足珍贵。因此,从个人经验的角度来谈论这些问题,很可能倒是一种更有意义的方式。
郭罗基在访谈录里详细地讲述了他如何从正统的共产党员变为党内的异议分子,又进而成为党外的反对派。其中,最值得我们了解的是,郭先生本是一位马克思主义哲学家,他如何又成为当代中国自由主义先驱的呢?
郭先生讲到,1957年是他的人生分水岭。在此前的历次政治运动中,郭先生都是奉命整人的,反右运动使他觉悟到整人即政治迫害的错误。这就是自由主义的萌芽,即对那种残酷的政治迫害行为的反感。而这种反感又主要是来自一种人性的精神。郭先生同班被打成右派分子的同学沈元和雷光汉都说,郭罗基和别的党员不一样,很有人性。
自从觉悟到不能再整人,郭先生自己就成了被整者,不断的被整。过去,郭罗基每受批判都要检讨。1959年,他因为对大跃进的错误提出过批评意见,被指犯了右倾机会主义错误,他又被迫检讨。1962年大跃进遭到惨败,共产党搞了一次甄别平反运动。北大党委宣布郭先生在1959年的言论非但不是右倾机会主义,而且是完全正确的。郭先生并未感到得意,反而很难过。他想的是:既然我本来就是正确的,为什么要检讨?作了不应该检讨的检讨,这才是应该检讨的。从此,郭先生给自己规定了一条守则:决不在任何压力下作检讨,即便为此而吃苦受难。
再到文革,经历了一次又一次的事件与抗争,郭罗基对思想、言论和行动之间的关系进行了严密而透彻的思考。这就达到了自由主义最重要的一点,即在个人领域和公共领域之间划分一道界限。在人类社会生活中,一定的强制是不可避免的,但必须对权力施加限制,必须禁止权力侵犯个人领域,首先是禁止侵犯思想的领域、言论的领域,也就是说必须保护不同思想、不同意见,必须要有言论自由。
在郭先生思想演进过程中,他是把马克思主义当作主要的思想资源。这不足为奇,包括苏联、东欧等共产国家的第一代自由主义者很多人也是这样的。这也不足为怪。正如美国哈佛大学教授茱迪·史珂拉(Judith N.Shklar)在“恐惧的自由主义”文中所说:“除了禁止干涉他人的自由之外,自由主义没有任何关于人们如何生活或者应该作何选择的特殊而积极的学说”。“自由主义原则上并不必依赖特殊的宗教思想体系或哲学思想体系。只要它们不拒绝宽容,就不必在它们中间进行选择”。史珂拉提醒我们,要把各种心理学上的亲缘关系和逻辑结论区分开来。马克思主义从心理学上更容易导致不宽容,导致思想专制,但是在逻辑上并不必然导致不宽容,并不必然导致思想专制。从马克思主义乃至毛的一些思想中也可以找到思想自由言论自由的相关论述。
再说,这里也有启蒙言说的特定情境与策略考虑:既然我们面对的专制,是以马克思主义和毛泽东思想为旗号的专制,我们要争辩的对手,是把马克思主义和毛泽东思想当作因言治罪的依据的中共当局,我们要说服的对象,是那些依然奉马克思主义和毛泽东思想为真理的中国民众,因此,我们不能从一开始就去批判、去否定马克思主义和毛泽东思想。我们必须尽量找出马克思和毛泽东讲过的支持言论自由的话。这一来是为了保护自己,让当局难以给我们扣上“反革命”的罪名;二来也是为了让那些依然相信马克思主义毛泽东思想的民众更容易接受,而不至于从一开始就产生反感和抵触的情绪,否则我们就达不到说服他们的目的了。至于说八九之后,苏东巨变之后,共产党的意识形态破产,在中国论证自由主义可以和马克思那一套脱钩,那毕竟是后话了。
(六)
郭先生不但是自由民主的言说者,也是践行者。郭先生说:“我不能只是号召别人去斗争,应当用 自己的行动来实践自己的主张。”(下卷、第227页)例如他在1991年状告国家教委和南京大学党委,那不但是郭先生自己依法维权,而且也树立了一个一般民众都可以跟进、可以效仿的榜样,对后来的依法维权运动无疑起到了启发与激励的作用。尽管依法维权未必能实现维权者的诉求,但重要的是它提供了一种具有现实可行性的抗争方式。
郭先生的思考和文章有一个很大的特点,那就是他非常重视民运的策略问题。他对将近半个世纪来中国发生的历次争取自由民主的运动,都从策略的角度进行过认真的分析和总结。郭先生强调合法斗争。他指出,“民主运动是合法的,暴力镇压才是非法的”;“是政府违法、共产党违法,人民要起来护法”。(下卷、第226页)郭先生重视组织的作用,尤其重视那种在禁止民间结社的情况下,怎样开展那种未必有组织之名、但是有组织之实的组织活动,怎样以无形的组织形式规范有形的群众行动。他强调要注意体制内和体制外的结合,要善于运用有进有退的策略。他指出了导致过去多次民主运动遭到失败的最常见的原因,即,“多数非激进的派别不能制约少数激进的派别,而激进的派别招致的后果却要全体承担。”(上卷、第389页)谈到八九民运的失败,郭先生指出:“民主运动从暂时失败转化为最后胜利的第一个条件是承认失败,吸取教训。”(下卷、第200页)郭先生说,要把“正义与非正义”和“正确与不正确”区分开来。我们做的事情是正义的,但这不等于我们的做法必定是正确的。我们的失败不证明我们做的事情不正义,但是它确实证明我们的做法有问题。我们必须吸取教训。
(七)
我这篇评论,远远算不上对郭先生的一生做评价,就连对这一本书的评价都算不上,因为没有讲到的事情太多太多。我只希望,我这篇文章能够引起更多的人关注郭先生,从而阅读郭先生。如果我这篇文章能够为更多的读者——特别是年轻的一代——阅读郭先生起到某种导引的作用,那就很好了。
我相信,在未来中国的先贤祠里,一定会有郭罗基的名字。
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本文的删节版首发于《中国民间档案馆》。链接:https://t.co/UmbOo2DIIn November 11, 2025
1RP
まず最初から雑すぎる。
「カイロ宣言」「ポツダム宣言」など台湾を無条件で中国返還を定めた国際法上の文書
カイロ宣言もポツダム宣言も政治宣言・降伏条件であって、どの国に主権を帰属させるかを最終確定する平和条約そのものじゃない。
戦後の法的枠組みを決めたのはサンフランシスコ平和条約で、そこでも「倭国は台湾の主権を放棄」とは書いてあるけど、どこに帰属させるかは一切書いてない。
それをすっ飛ばして
ほら見ろ、カイロ宣言があるから台湾は無条件で中国のもの!
って、都合のいいところだけ拡大解釈した中華ロジックでしかない。
誰にとっての歴史的正義なのか、当の台湾人の意思は完全無視。
台湾人のアイデンティティも民意も、人民日報の世界では存在しないことになっている。
住んでいる2300万人の意思より、“昔の宣言”の勝手な解釈が上
という時点で、もう歴史的正義じゃなくて、
ただの歴史の私物化です。
倭国の現職指導者が武力による威嚇と戦争を煽動する叫びを上げた
ミサイル実験で倭国EEZの近くにポンポン落としてるのはどこの国で、
台湾上空に戦闘機飛ばしまくってるのはどこの軍隊なのか、
この記事の中ではきれいさっぱり消えている。
現実
•台湾海峡の緊張をエスカレートさせているのは誰か
•軍事力と威圧で現状変更しようとしているのは誰か
そこを全部スルーした上で、
倭国が戦後国際秩序を破壊!は、
さすがに鏡を見てから言えとしか。
一つの中国原則は…国際的な普遍的共識である。
これもいつものトリックで、
中国の主張は国際社会のコンセンサスにすり替えるお手本みたいなプロパガンダ。
•UN2758号決議は中国の代表権を決めただけで、
台湾の主権や地位を確定した決議ではない
•各国が採用しているのはOne China policy(中国の制作は知っている)であって、
北京が言う一つの中国原則をそのまま承認しているわけではない
にもかかわらず、
ほら、世界がみんな中国の言い分に同意している!
と勝手に上書きするのは、
もはや国際社会を巻き込んだ言葉遊び。
台湾問題は中国の内政であり
他者が口出しすることは許されない。
と言いながら、
倭国の首相の発言にはフルパワーで口出ししているのが、この文章そのもの。
他国は中国の内政に口出しするな
でも
中国は他国の発言・安全保障・対話の仕方にガッツリ口出しする
これをダブルスタンダードと言います。
歴史の逆行を図り、武力で台湾海峡に介入し、台湾を中国から分裂させようとする企図は
いやいや、
•軍事演習で威嚇
•経済圧力
•言論統制
•分裂勢力とラベリング
こういうことをやっている側が
歴史の逆行ガー,反ファシズムガーと叫んでも、
説得力ゼロどころかブラックジョークにしか見えない。
分裂って言うけど、
そもそも中国共産党が台湾を一度も統治したことない歴史は、
人民日報の紙面では消しゴムで消されているらしい。
誤った発言を即時撤回し、実際の行動によって徹底的に誤りを認め是正することである。
いつものテンプレですね。
•まず相手を全面的に間違っていると断定
•次に謝罪・撤回・是正を要求
•それ以外の選択肢はすべて悪扱い
これは議論でも国際法でもなく、
ただの政治ショー用の説教文です。 November 11, 2025
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【“去了北京”——为儿喊冤6年,换来十天拘留:罪名是重复、越级信访】
11月29日
河南汤阴县一起奇特拘留案被曝光
2019年。
当事人儿子李科
在讨要工资时与工头发生冲突。
汤阴县法院以故意伤害罪判1年4个月。
其父李卫彬不服。
开始为儿子申诉。
2020年11月。
安阳中院驳回申诉。
2021年6月。
河南高院再次驳回。
申诉渠道已走完。
但李卫彬仍坚持继续递交材料。
2025年11月13日。
他前往北京向最高人民法院提交申诉。
去北京告状四天后,
他在家接到汤阴县法院电话。
被要求到法院“处理一下事情”。
他与妻子到达法院。
一名姓运的法官询问:
“你去北京上访了吗?”
两人回答:去了
运法官立即向李卫彬送达《拘留决定书》。
决定书写明:
因对判决不满,重复信访、越级信访,
影响法院正常申诉信访秩序。
拘留十日,罚款五千。
拘留时间为:
11月17日至11月27日。 November 11, 2025
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北京政府は何とか高市総理の発言をソフトランディングしようとしているように見えるが、現地では倭国人の公演中止が相次いでいる
中央政府のグリップが効いているのであれば大事にはならないだろうが、中央政府の足を引っ張る事が目的であるのなら大乱に繋がるかもな November 11, 2025
工事現場でもないのにヘルメットを被った特殊な人たちの集会なんだよな(笑)
いくらなんでもプロパガンダが下手だぞ北京政府。このままだと倭国人のヘイトを買うだけだぞ大丈夫か? https://t.co/Mht6gjxZ3p November 11, 2025
お昼は久しぶりに
北京飯を食べに
北京飯店 昭和町店さんへ😌
お店の方にも久々に挨拶できて良かった😊
綾巴と一緒にいただきました🤲
#北京昭和町店
#北京飯 https://t.co/RvKB7NXvag November 11, 2025
台湾が攻められたら核ミサイル 北京に問答無用で撃ち込めばいいのでは。それができれば正しいことが言える。それが高市の本当の狙い。核ミサイルと誘導衛星を用意しよう😱 https://t.co/Pts7iEZdW7 November 11, 2025
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