侮蔑 トレンド
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2025.12.19 22:00
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倭国人に反論されると、「原爆を落とす、落としてやる、落とされろ」と反駁してくる外国人は夥しく、またそれを悪意や侮蔑とも思っていなくて、「マジになるなよ。ジョークだろ」で言い逃れようとする。
そして、そういう人が割と普遍的に多いので、海外に根を下ろす倭国人は困っている、という話を「例外的な話」で済ませてきたけど、今後もそれでええのんか?
という問いが顕現してきた。
そんなことに関わり続けるのは面倒だから、現地に赴いた人々は「無礼を笑って許してきた」が、その結果、侮蔑行動が収まることはなかった。
どう思う? December 12, 2025
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というわけで再掲するけど、
「謝罪は受け入れない。
謝罪されても許す気はない。
賠償は求めない。
譲歩しなくていい。
差別感情も捨てなくていい。
もちろんそれを許す気はない。
ただ、自分達が差別者であるという自覚を持ってくれればいい。
自分たちの中にいる差別者を許し、庇い立て、なかったことにしようとし、正当化する社会であり、つまりは差別的社会の一員だという認識を忘れずにいてくれるなら、今後も好きなだけ差別をすればよろしいんでなくて?
だから謝罪は受け入れないし許すも許さないもない。
己を見て己を裁き己を許せるのかどうか自問して自覚せよ」
ついでに言うと、謝罪というのは「態度・行動を改めてもいない人が言っても薄っぺらい。態度・行動で示した後にするもの」でないと信用されない。
子供が悪いことをして、反省して態度を変えてもいないのに、謝ったからすぐに許すのか?それは意味がある謝罪か?ってなるのと同じ。
なので、今の段階で謝罪されたところで信用されないから意味がない。
また、今回のケースで言うと、
・侮蔑ジェスチャーをした人は複数人いる
・当事者以外が「代理謝罪」をしても意味がない
・当事者が行動を改めないなら、代理謝罪はただのアリバイにしかならないから無意味
・フィンランド社会が移民の増加によって治安の悪化が起きており、移民に対する排斥感情が強くなっているという背景があることは理解している。理解して同情もするが、だからといって許す訳ではない。それは我々には関係がないので
・アジア人に対する侮蔑ジェスチャーはフィンランド以外の欧州で一般的で、彼らはそれを「侮蔑だとは思ってもいない」ことも今回露呈した
・そうした社会状況がある以上、捌け口としての侮蔑ジェスチャーは今後も彼らの社会では肯定されるだろうし、実際昨日今日の24時間足らずの間に繰り返し「我々の社会では問題ではない」「必要な差別はすべき」みたいなことを書くフィンランド人らしき人々からのリプを得た
つまりは、誰かを謝らせたところで、別の誰かが別の侮蔑を行う。
謝罪には意味がない。
謝罪をさせられる理由に納得がいっていない人の謝罪には意味がないので。
そういう訳で、「謝罪は必要ないが許している訳ではない」となる。
許されたいなら、おまえらの社会を変革してから出直してこい、それまでこっちに来るな。
概ね、こんな認識の人が今回爆増したんじゃないかと思う。 December 12, 2025
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これがまさに「侮蔑・差別」の発生の構図の再現でもあるんだけど、
「侮蔑を受けたかどうか、差別と感じたかどうかは、受け手側の心象で発生する」
加害側が「そんなつもりはなかった。気を悪くさせたなら謝る」とか言っても意味がない、というのはそういうこと。
母語が同じでもこのくらいには食い違うのだから、母語が違う者同士で意見を一致させるのは極めて難しい。
画期的なたった一つの冴えたやり方が見つかったなら教えて貰いたいけど、恐らくそれは見つからないので、我々は「距離を取る」というモラトリアム的な先送りを選ぶしかない。
「問題がある、と言うことを相互に認識したことで一致した。問題の解決については一致した意見を共有できなかったので、この結論は保留し検討を続ける」
これは外交ではよく使われるレトリックだと思うけど、これを平たく言うと「互いに譲れないから距離を取る」になる。
「自分は絶対に正しいから、自分の言う通りにすればうまくいくはず。自分の正しさを否定する奴は悪だから、どれだけ詰っても構わない」
こういう感じの論者や「正しい人」には星の数ほども会ってきたけど、だいたいそういう人が主導すると対話は瓦解すんだよなあ。 December 12, 2025
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「イスラム系移民がフィンランド内に増え、治安が悪化したので、アジア系なら侮蔑してもよい」
とか、
「フィンランドはフン族の襲撃でアジア系との混血が多いので、欧州からアジア系扱いされて差別されてきたから、その恨みからアジア系を下に見て民族的アイデンティティを保とうとしている」
とか、
なんか色々考察があったけど、そうすると「そもそも悪いのはアッティラ・フン、またはアッティラ・フンに負けるような原始フィンランド人」とかあって、怒りを向ける矛先が定まらないから、とりあえず蹂躙しても文句言わなさそうなアジア人蹂躙しとくか。ああ、これはジョークだから真に受けないでね、っていう感じだった。 December 12, 2025
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今日、何人かのフィンランド人または、ナイジェリアからVPNを使って絡んできた自称フィンランド人の人とかの言い分を聞いてて思ったんだけど、
・フィンランドは外国人移民が増加しており、それらに対する排外的意識が強まっている
・故に、外国人排斥を正当化する意識が社会全体で肯定されている、或いは「外国人排斥を正当化する有権者の比率が高くなっている」
・従来の「移民促進、差別否定を進めたのは左派勢力」だったが、それが否定されて排外右派が台頭している
・しかし、「差別の肯定(仕方なく差別する)」をしている人々は、自分が右派だという自覚がない
・そして、「暴力的な移民を排斥するためには、差別が必要だ」と認識している
その流れで、「アジア人侮蔑ジェスチャーも肯定された」、という僕の当初の読みはだいたい当たってた。
ここらへん、「難民・移民排斥」「外国人排斥」というのはフィンランドだけに起きている問題ではないから、フィンランドだけが特別なのではないと思う。
外国人の犯罪を排除できないのは、フィンランドの国内法と司法の執行力の問題だと思うけど、だからと言って、
「その場にいないアジア人への侮蔑を行うこと」
に何の意味が、という気はする。
が、それは「フィンランド国内では擁護される」んだな、って。
或いは、「フィンランド国内なら肯定される」んだな、って。
ここらへん、トランプが共和党支持者へのポーズとして、「我々アメリカ人の仕事を奪う移民を追い出せ!」ってやって支持を集めているのと構図としては同じ。
だから、外国人排斥/侮蔑は、彼らの国内問題なんだろうな。
そういう図式、社会の構図はだいたい理解できた。
「差別はすべきこと」という、翻訳の間違いかな?みたいな主張(文脈的に間違いではなかった)についても、理解はした。
が、別に支持はしない。
議員やら人権大使やらが我も我もとやったことについて、
「この先、謝罪しようがどうしようがその気持ちは変わらないんだろうし、そうすることが有権者の支持を集めるんだろうし、今のフィンランドはそういう国なんだろう」
って、なっちゃうよね。
そんな人達が、
「自分はアジアが好きで」
「倭国にも旅行したことがあって」
「倭国人の友人もいて」
「柔道もやってて」
「宮本武蔵が好きで」
とか言っても、「ふーん」としかならない。
「倭国で自分は差別を受けたから、倭国人を差別してもいいんだ」
というのも、「ふーん」としか思えない。
難しいよね。
一度信用を損ねると。 December 12, 2025
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結局本質は「そのまま瓦礫の下にいろ」の人と何も変わらないじゃないか。政治的主張を無理やり押し付け、それが通らない相手は誰であろうと侮蔑と中傷の対象にしちゃう。つくづく最低な連中だよ。 https://t.co/Smz922rxBk December 12, 2025
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安全靴の件かなり怒ってる。安全靴履く仕事今まで色々やった。安全靴履く仕事する人を自己責任論で使えないだの言って侮蔑してるの本当に許せない。新しい靴買う余裕あるやつが安全なところからなんだかんだ言ってんじゃねーよ。そもそも業務に使う装備を労働者が自前で用意する慣習もおかしいし。 December 12, 2025
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「強いられた謝罪か、そうでない謝罪か、心の底からの謝罪かどうかを、誰がどうやって判別するのか?」
そもそも、当事者じゃない人の謝罪(議員のやらかしを首相が謝罪、本人ではない別のフィンランド人の謝罪)を受けたところで、当事者が意見・態度・姿勢・今後を変える訳でもなし。
謝罪した人は許された気持ちになり、謝罪されたほうは溜飲が下がって気分がいい。
それに何の意味が?
とは思っちゃうんですよ。
そんで、散々繰り返してるけど、現在のフィンランドで外国人排斥・差別・侮蔑が「正当化される背景」がある(移民の増加と治安の悪化)以上、流れ弾的な「侮蔑ジェスチャー」について、「何が悪いんだ!」と食い下がる人は幾らでも出てくる。「黙れ、原爆を落とされたいか」とか。
その都度、謝罪を求めて、その都度許すの? December 12, 2025
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【徹底抗議】フィンランドにおけるアジア人差別をめぐる構造的問題について
Miss Suomi 騒動と公人の言動が示したもの
2025年、Miss Suomi(ミス・フィンランド)に選ばれた Sarah Dzafce 氏が、アジア人を侮蔑する意味を持つ「つり目ジェスチャー」を行った写真が SNS 上で拡散され、国際的な批判を受けた。
当該画像には「Kiinalaisen kaa syömäs(中国人と食べている)」という文言が添えられており、このジェスチャーが欧米社会において長年アジア人差別の象徴として批判されてきた表現であることから、彼女は Miss Suomi のタイトルを剥奪された。
しかし、問題はこの処分で終わらなかった。
騒動の最中、フィンランド国会議員である Juho Eerola 氏および Joakim Vigelius 氏が、自身の SNS 上で同様の「つり目ジェスチャー」を再演し、それを擁護する投稿を行ったのである。
Eerola 氏は「Minä olen Sarah(私はサラだ)」と述べ、当該行為は差別ではないと断言した。
Vigelius 氏もまた、「過剰反応」「ユーモアが失われた」と主張し、差別性を軽視する姿勢を示した。
しかし、このジェスチャーは曖昧な文化表現ではない。
アジア系の子どもが学校におけるいじめで強制されてきた行為であり、
海外のスポーツ選手が処分を受け、
国際機関においても差別的表現として明確に扱われてきた行為である。
その歴史的背景と意味を無視、あるいは軽視したまま、政治家という公的立場の人間が再演したことは、極めて深刻な問題である。
この問題を語る上で、まず明確に区別されるべきなのは「差別」と「区別」である。
国家が自国民を優先する政策をとることや、制度上の扱いに違いが生じることは、それ自体が直ちに差別を意味するわけではない。
それは国籍や制度に基づく「区別」であり、国家運営において一定の合理性を持つ場合がある。
しかし、特定の民族の身体的特徴を誇張し、模倣し、嘲笑の対象とする行為は、それとは本質的に異なる。
身体的特徴を弄ることは、明確に差別である。
この点を意図的に曖昧にする言説も見られた。
「寿司が好きだ」「倭国文化を尊敬している」「中国人観光客が経済に貢献している」といった主張は、差別行為の是非とは無関係であり、論点のすり替えにすぎない。
文化への好意や経済的評価は、人種差別的行為を正当化する理由にはならない。
むしろ、こうした言い訳は、アジア人を一人の人間として尊重しているのではなく、
「好ましい文化」「役に立つ存在」として条件付きで評価しているに過ぎず、差別の別形態を示している。
さらに看過できないのは、これらの行為が公人によって行われたにもかかわらず、強い是正や明確な再発防止の姿勢が示されなかった点である。
これは、フィンランド社会においてアジア人差別がどれほど可視化されず、問題として認識されにくいかを象徴している。
駐日フィンランド大使館は、国連加盟70周年に際し、
フィンランドが人権、ジェンダー平等、正義の実現に大きく貢献してきたと発信している。
しかし、人権とは国際的な場で語られる理念だけで成立するものではない。
国内外を問わず、少数派に対して一貫して適用されてこそ、その信頼性が保たれる。
もし、アジア人差別が「冗談」「過剰反応」「文化の違い」として処理され続けるのであれば、
フィンランドが今後、人権や人種差別問題について国際的に提言を行うたびに、
「自国の公人によるアジア人差別には、どのように向き合ったのか」という問いが必ず突きつけられることになるだろう。
これは特定の国を貶めるための主張ではない。
また、すべてのフィンランド人を差別主義者とみなすものでもない。
しかし、公人による差別的行為が軽視され、是正されなかった事実は、国際的な信頼とソフトパワーに直接影響する。
この問題は、倭国一国の感情論ではなく、
ヨーロッパに暮らす倭国人、そしてアジア人全体の尊厳と安全に関わる国際的問題である。
だからこそ、この出来事は忘れ去られてはならない。
可視化され、議論され、明確な説明と再発防止策が示される必要がある。
↓アジア人差別を行うまごうことなき人種差別主義者(レイシスト)。しばき隊よ!共に非暴力、非暴言で戦おうぞ!! December 12, 2025
ついこないだフィンランドの人権大使と吊り目ジェスチャーという面白いサンプルがありましたけど、相手に対して侮蔑の意味や見下す言い方で言葉を使う人の言う事ってスルーしたり肯定しちゃいけないのです、特にそれは表現規制の矢面に立つ人は理解しているはずなのだけど。 https://t.co/GwGsF4PmbF December 12, 2025
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