ラーメン グルメ

ラーメン(拉麺・老麺)は、中華麺とスープを主とし、様々な具としてチャーシュー・メンマ・味付け玉子・刻み葱・海苔・鳴門巻きなど様々な具材を加えた麺料理である。 漢字表記は拉麺または老麺。太平洋戦争前は支那そば、南京そばなどと呼称される料理であったが、戦後、中国を指す際に支那の呼称を避ける旨の申し送りが発出されたことを契機としてそれらの呼称は減り、中華そば、ラーメンの呼称が一般化した(呼称の変遷)。 倭国では、幕末から明治時代にかけて開国に連れて港に出現した中華街(南京街)で中華料理店が開店し、大正時代頃から各地に広まっていった。20世紀後半からインスタントラーメンが世界各国に広がり、21世紀からは倭国の大手ラーメンチェーン店が世界各国に店舗を展開している。ラーメン専門店や中華料理店で料理が提供され、「〇〇(地域名や味名)ラーメン」とも称され、札幌や博多など様々な地域、それぞれの店舗ごとに独特の進化、アレンジが見られる。分類としては、オムライスやナポリタンといった洋食と同様に、倭国でアレンジが加えられた中華料理である倭国式中華料理の一種であり、和食や洋食とは別のカテゴリーである。 新横浜ラーメン博物館「倭国のラーメンの歴史」によると、ラーメンは江戸時代末に開港した横浜、神戸、長崎、函館に多くの外国人が移り住んだことをきっかけとして倭国に流入し、中国の麺料理がルーツであるとしている。明治時代になると、中国の麺料理含め中国料理が広がっていき、中国からの留学生とともに港町の外にも店が増えた。 1910年(明治43年)、東京府東京市浅草区に初めて倭国人経営者が横浜中華街から招いた中国人料理人12名を雇って倭国人向けの中華料理店「来々軒」を開店し、大人気となった。当時の主力メニューは、「南京そば」、「支那そば」などと呼ばれたラーメンだった。新横浜ラーメン博物館によると、「来々軒」を中国と倭国の食文化が融合してできた倭国初のラーメン店としており、ラーメン評論家の大崎裕史はこの年を「ラーメン元年」と命名している。 この店の成功を受けて、太平洋戦争前の倭国に続々と庶民的な中華料理店が開店し、ラーメンは餃子や焼売などとともに、定番メニューとして広まっていった。太平洋戦争後は中国大陸からの引揚者によるラーメン屋台も多く出現した。約100年の歴史の中で、様々なアレンジが加えられていき、中国やベトナムなどのアジアの麺料理とは異なる、倭国独特の麺料理に変化している。素材の味だけで勝負する無化調ラーメンや、インパクト重視の家系ラーメンなど、ニーズに応じて様々な進化を遂げており、国民的料理として人気を博している。 元は中国語で、別称はいくつもあり、ラーメンの語源も複数ある。 国内では、カタカナで「ラーメン」と表記されることが多い。 らーめん・らあめん・らぁめん・らー麺など平仮名で表記されることもある。らうめんという表記も稀にあるものの、語源からすると誤りで、独自のネーミング表記の類であるだろう。 「中華そば」や「支那そば」も呼び方が違うだけであり、同一である。倭国では時代とともに南京そば、支那そば、中華そば、と呼称が変遷した。ラーメンの呼称を広めたのは、1958年(昭和33年)に日清食品が発売した世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」であるともいわれている。ブラジルでは日清食品はMiojo(明星)の商標を獲得しているが、Miojoはインスタントラーメンの代名詞的な呼び名ともなっている。 台湾(中華民国)や中国(中華人民共和国)では、倭国のラーメンは日式拉麺(繁: 日式拉麵/簡: 日式拉面)や倭国拉麺(繁: 倭国拉麵/簡: 倭国拉面)と呼ばれる。 欧米を中心に英語などラテン文字表記では、Ramen、Chinese noodles、Fideos chinos(スペイン語)。 ラーメンの語源については諸説あり、以下で記述する: 中国の「拉麺」由来:中国西北部に位置する蘭州の麺の一種「拉麺(拼音: lā miàn ラーミェン)」(繁体字で「拉麵」、簡体字で「拉面」)が由来という説である。中国語の「拉」とは「手で引き延ばす」という意味で、拉麺は蕎麦やうどんのように刃物で切り分けて細長い形にするのではなく、手で引っ張り伸ばして細長い麺の形を形成する手打ちの技法で作られる。この拉麺は麺生地を延ばし何層か折りたたんで包丁で細い麺状に切る「桿麺」とともに倭国のラーメンの原型となったが、倭国では各地にラーメンが広まった時期と製麺機が登場・普及した時期が近かったため、麺の手打ち職人が育つ間もなく製麺機での製麺が一般的になったという。各種辞典の「ラーメン」項にも「拉麺」は記載されている。 中国の「老麺」由来:老麺(ラオミェン)とする説では、一部の辞典はラーメンの項目で「拉麺」とともに「老麺」という漢字表記も採用している。 倭国の中華料理屋由来:1922年(大正11年)北海道札幌市に開店した「竹屋」という食堂(店主・大久昌治、後に支那料理竹家に改称)が由来という説。竹屋食堂は後に中華料理も扱う店となり、そこで店主の妻(大久たつ)が厨房の中国料理人の王文彩が大声で「好了(ハオラー、出来ましたという意味)」と告げるアクセントを気に入って印象に残り、「ラーメン」とした。 小麦粉を原材料とし、アルカリ塩水溶液のかん水(鹹水)を添加することが大きな特徴である。同一の小麦粉で作った麺でも、倭国のうどんや中国の多くの他の麺料理やイタリアのパスタと異なる独特の色・味・食感をもつ。但し、地域によっては無かん水麺の秋田十文字ラーメン、かん水以外のアルカリ液で製麺する麺を用いる長崎ちゃんぽんの一部や沖縄そば、鶏卵によりコシを出す卵麺などもある。 この小麦粉に水を加えて、細長い麺とする。多くの場合は「製麺機」で製麺し、製麺会社が製造する麺を使用する店も多いが、1990年代以降小型の圧延機などが流通し、ラーメン専門店は自家製麺を行う店が増えている。 麺の太さにより「細麺」「中細麺」「中太麺」「太麺」などとも区分される。麺の縮れ具合も考慮する。これを組み合わせてラーメンマニアが麺を評する際に「中細ストレート麺」などと称することもあるが、あくまでも感覚的な呼称である。博多ラーメンの細い麺から、うどんより太い麺まで多種多様である。 切刃番手の数字により麺の太さが決まり、18番・20番・22番・24番・26番・28番の麺が多く使われる。札幌ラーメンは太麺の22番が使われる。 またラーメン店において麺を食べた後の、麺のみの追加注文を替え玉という。 ラーメンの汁は「スープ」と呼ぶ。丼に入れたタレを出汁で割ってスープを作る。出汁を「スープ」と呼ぶこともあるが、本項では混同を避けるため、区別して記述する。 スープはラーメンの味を決定する非常に重要な要素であり、手間暇をかけて工夫したスープを使用する店がほとんどである。調味するタレは長時間の加熱で香りが飛んだり味の変化が起こるため、ダシとタレは分けて仕込む。自前で出汁を調理せず、業務用の出汁やスープを用いる店もある。水で希釈する濃縮タイプ、冷凍パックやレトルトパウチを湯煎するストレートタイプなどがある。 出汁 スープの素となる。出汁は複数の素材から取ることが多く、倭国のラーメン原点ともされる醤油ラーメンでは、鶏ガラを基本に、野菜と鰹節などの削り節や煮干しで味を整えたものが主流である。 鶏ガラ・豚骨・牛骨・削り節・昆布・干し椎茸など様々な材料が、ダシの素材として使用されている。臭み消しや風味づけにタマネギ・長ネギ・生姜・ニンニクなどの香味野菜を使う。牛骨や削り節・煮干し・焼き干し・あごなど魚介をベースにする店もある。色々組み合わせる場合が多く、昆布と削り節の組み合わせは旨みの相乗効果がある。 うま味調味料(化学調味料)は複数のダシをまとめる時、味を整えるために大きな役割をはたすが、無化調(化学調味料不使用)をアピールする店もある。 2010年代後半にイスラム圏の客へ向けたダシに豚骨を使わないラーメンも話題になった。 タレ 風味の基礎となる味噌・塩・醤油などの調味料に香辛料や砂糖・塩・旨味調味料・味醂・清酒・酢などの調味料や、野菜・海藻・果物・肉類など素材のペーストや粉末やエキスを混ぜ込み馴染ませたものである。タレを出汁で割ってスープを完成させる。タレ(かえし)を出汁で割る技法は、倭国蕎麦の技法の応用である。かえしとも呼ばれる。味噌の場合はペースト状、塩の場合は粉末状もあり、必ずしも液状ではない。 香味油 コクや旨味を強調する。旭川ラーメンや酒田ラーメン、燕三条背脂ラーメン、熊本ラーメンなどで用いる。ネギやニンニクを用いたねぎ油やマー油、辛味油、ラードまたは焼きラード、鶏油、エビ油、オリーブやゴマなどなどの特徴の強い植物油、ハーブや香味野菜を漬け込んだ油など多種ある。 2000年前後に、醤油ラーメンのスープに豚の背脂の塊を浮かべる「背脂チャッチャ系」が流行した。バターも用いられるがトッピング要素が強い。 また油・塩分・糖分の組み合わせが「マイルドドラッグ」と呼ばれ、ラーメンの中毒性(やめられない止まらない)の原因にもなっている。 醤油ラーメンでは叉焼(チャーシュー)とメンマ(シナチク)とネギ、豚骨ラーメンでは叉焼とネギと キクラゲがよく用いられる。具はトッピングとして追加するか、もしくは追加される具によって「野菜ラーメン」「ネギラーメン」など別個のメニューとなっていることが多い。特殊ではあるが出汁やタレや麺に厳選した素材を使い、具を全く入れないラーメンもある。 叉焼(チャーシュー) 多くの場合は煮豚を使用するが焼き豚(中華焼豚も含む)を使う場合もある。二郎など一部の店では「ブタ」と呼ぶ。 ラーメンの具の中では花形とされ、多くの店ではその店の標準より多くトッピングした物はチャーシューメンと呼ばれ高価なメニューとなっている。 比較的短時間で加熱の硬めのチャーシューや、じっくり煮込んで崩れる寸前まで煮込んだ柔らかいチャーシュー、それを炙った物など多様である。鶏チャーシューや牛チャーシューなども存在する。 徳島県など一部のラーメンなどでは、塊で煮込まずにスライスした豚肉を味付け火入れした物がチャーシューの代わりに用いられる場合もある。 卵 ゆで卵・半熟卵が使われるほか、これらを調味液に漬けて味付けした「味玉」(煮卵)や燻製液に漬けた「薫玉」が使われることもある。丸ごと入れるほか、半分に切った状態でトッピングされることが多い。生卵を割り入れて月見とする徳島ラーメンなどもある。 ネギ おもに薬味として用いられる。東倭国では薄く小口切りした白ネギが多く、ほかに白ネギを繊切りした「白髪ネギ」、それをさらに豆板醤やコチュジャンなどで和えた「辛ネギ」もある。博多ラーメンなど、西倭国では小ねぎ、九条ねぎなどの青ネギを用いることが多い。地域に関係なく、出汁などによってネギの種類を変えることもある。八王子ラーメンや竹岡ラーメンなど、一部ではタマネギも用いる。 メンマ(支那竹/シナチク) マチク(麻竹)などの筍を発酵させ、水で洗った後塩漬けにし、塩抜きして用いる。塩抜きのまま用いる店と、煮汁で煮込んで柔らかくして使う店がある。 青物(単独で用いる) 醤油ラーメンでよく用いられる。ホウレンソウやコマツナ、チンゲンサイなどの葉野菜を茹でたり炒めたりした物や、カイワレ大根ワカメなどをそのまま乗せる場合もある。香りと歯触りを添える。近年では豆板醤などに漬けたニラを入れることもある。 鳴門巻き、蒲鉾 鳴門巻きは渦巻き模様の蒲鉾。通常の蒲鉾を具にする場合もある。彩りを増し食味上のアクセントにもなる。 海苔 青海苔や板海苔、岩海苔(バラ海苔)、生海苔などを使い独特の風味を加える。 野菜 味噌ラーメンでよく用いられる。モヤシ・キャベツ・ニンジン・タマネギなどの野菜炒めが使われるほか、コーンや茹でモヤシが単独で使用されることもある。時期限定ではあるがグリーンアスパラガスも使う店がある。あんかけで、とろみが付けられることもある。 キクラゲ・紅生姜・ゴマ・高菜・小梅 いずれも九州系の豚骨ラーメンや博多ラーメンで用いる。キクラゲはトッピング感覚で使われる。紅しょうがや小梅の酸味は豚脂のしつこさを軽減する。ゴマは薬味として用いられ、醤油ラーメンなどでのコショウに相当する。高菜は漬け物にした「高菜漬け」の古漬けを細かく切って油炒めにしたものを用いるほか、唐辛子を一緒に漬け込んだり、炒める際に唐辛子を加えた「辛子高菜」を用いる。若い高菜漬けを軽く塩抜きしてそのまま青菜のように用いる店もある。 ニンニク ニンニク絞りで潰したもの、刻んだもの、すり下ろしたもの、揚げたもの、パウダーが使われる。 チーズ 古くは酪農学園大学の酪農ラーメンが用いた。1977年当時は味噌ラーメンにスライスチーズを入れた。その後、全国で粉チーズやおろしチーズをトッピングに用いるラーメンが登場している。 魚介類 甲殻類や貝類を乗せたものがある。乾燥魚介なども使われる。店舗や家庭の好みなどによって多岐にわたる。 麺と同等以上に重要視されているのが汁(スープ)で様々な種類がある。麺以外に様々な具材を麺の上に並べて(トッピング)して食されることが定番であり、トッピングの具材の種類は非常に多い。 各ラーメンは、倭国の地方独特の食材が入る、地方の好みの特徴がある、など、地方差が大きい。地域ごとのラーメンについては、#ご当地ラーメン節を参照。 各地方で地物や好みに合わせて発展した料理でもあり、似通ったラーメンも地域名や特産物を冠としたものや商標登録されたラーメンもあるなど、種類は多い。中華麺#中華麺を使った料理も参照。 以下は単種の出汁だが、提供するお店によって、作る時に複数混合使用される場合もありダブルスープやトリプルスープと呼称している場合がある。 白湯(パイタン)出汁 白濁した色が特徴。主に動物や魚の骨、野菜などを強火で長時間煮込み、濃厚な味と風味を持つ。 豚白湯(ブタパイタン)出汁(トンコツ出汁) 強火で煮込むことにより、出汁中に溶け出す骨髄内の脂質とコラーゲンに由来する濃厚な味わいが特徴。脂質は乳化しているため、白濁して見える。 諸説あるが、福岡県久留米市を発祥として北部九州各地に伝播した。久留米ラーメン#歴史に詳述がある。 鶏白湯(トリパイタン)出汁 鶏ガラや胸肉などを強火で長時間煮込んで作る白濁色の出汁。濃厚ではあるが、トンコツ出汁と比較すると後味が軽い。鶏白湯ラーメン。 清湯(チンタン)出汁 濁りが無く透き通った出汁。作る時に沸騰寸前の温度以下で仕込む。中には少しの濁りも出したくないので、卵白などで濁り取りをする店もある。白湯系出汁と比較してすっきりした風味と味を持つものが多い。 豚骨(豚ゲンコツなど)出汁 豚骨をベースに野菜類や他の素材を加える出汁だが、スタンダードであるため特に表記されることは少ない。コクのある万能型。特に伝統的札幌ラーメンで多く使われる。 鶏ガラ出汁 鶏ガラや煮干し、野菜を煮出して作る出汁。色はほぼ無色から、やや黄色みを持つものまであるが、いずれも透き通った出汁が多い。すっきりしていて醤油、塩、味噌のあらゆるタレと合わせられる。 鶏ガラ豚ゲンコツ混合出汁 鶏ガラと豚ゲンコツを中心に多様な野菜、魚介、時に果物などを使い、ある程度のコクとすっきりさを両立させた風味の出汁。タレとの組み合わせは万能型。 牛出汁 一部地域のみで用いられる出汁で、牛のスジ肉や骨と野菜などから採る出汁。名称にも「牛ダシ」など、材料に関わる名を持つラーメンに主に使用される。 魚介出汁 魚の削り節やイリコ、焼きアゴをはじめとした魚介類をベースとした出汁。魚介の独特の風味を持つ。 カレー出汁 出汁のベースはさまざまで、カレーラーメン専門店ではカレーダレと合うようにスパイスを使い、カレーの風味を持つ出汁を使用する場合が多い。 具の内容によって次のような名称が用いられる。 ほとんどのラーメンは丼に入れて供される。特に「雷文」(らいもん、四角い渦巻きが繋がった模様)の描かれた丼が多用され、「雷文」「龍」「鳳凰」「双喜文」(そうきもん、漢字の喜を2つ並べて結婚する新郎新婦が並んで喜んでる姿に見立てた祝福文様)の4つの絵柄はラーメン丼のトレードマークともなっている[2]。 麺を食べるときには箸を使うのが一般的であり、スープをすくうため散蓮華(レンゲ)が用いられる。 なお、2010年代頃から、食事が終了し、スープもすべて飲んだときに空の丼を逆さまにしてテーブルの上に置く「伏せ丼」という行為がマナーとして紹介されることがある。これは「スープをすべて飲み干すほどおいしかった」という意味で、店に対する感謝を表すとされる。ただしもともとは2ちゃんねるや個人ブログなどが発祥となる冗談といわれており、テーブルを汚すことにつながるため店側にとっては迷惑な行為であり、実際に行わないことが推奨されることが多い。 倭国で最初に中華麺を食べたのは徳川光圀(水戸黄門)であるとする説がある。1659年(万治2年)に明から亡命した儒学者の朱舜水が水戸藩に招かれた際に、所持品リストに中華麺を作る際に使うものが含まれるから、汁麺を献上したとの記録はないが、作ったのではないかと推測されている。1697年(元禄10年)には、光圀の隠居所である西山荘を訪れた僧や家臣らに中華麺がふるまわれたとの記録もある。この説に基づき復元したものが新横浜ラーメン博物館にある。 一方、相国寺塔頭鹿苑院の蔭涼軒主(当時は亀泉集証)の公式日記『蔭涼軒日録』には、文明17年5月17日(1485年6月29日)に南宋末期から元初期頃に書かれた『居家必要事類』という書物で「水滑麺、索麺、経帯麺、托掌麺、紅絲麺、翠縷麺」等の麺食品の調理法を調べ、長享2年(1488年)2月1日(3月14日)と5月16日(6月25日)に「経帯麺」という料理を調理して蔭涼軒への来客に振舞ったという記述があることが、2017年(平成29年)に判明した。この「経帯麺」は材料として小麦粉とかん水を使うことも書かれており、倭国初のラーメンである可能性が示されている。 倭国への伝播としては、明治時代を迎え神戸や横浜などの港町に中華街が誕生し、そこで提供された南京そばに始まるとされる。横浜の中華街では、1872年(明治5年)に柳麺(lau min、ラウミン)の屋台が出始めていたとされる。1884年(明治17年)に函館新聞(当時)に函館の船場町にある中華料理店養和軒が南京そばを15銭で提供を始める広告を出し、大正の頃まで提供したとされている。証拠が乏しく、当時の関係者も存命ではないため、養和軒の南京そばが今のラーメンと同種の食べ物であると断言できない状況である。 1910年(明治43年)に、横浜税関を退職した尾崎貫一が南京町から清人コックをスカウトして、東京の浅草にラーメンをメインにした庶民的な中華料理店「来々軒」を開店。当時の来々軒を写した写真には「廣東支那蕎麦 來々軒」「支那御料理 シナソバ、ワンタン、シウマイ、マンチウ」という看板が写っている。味は醤油出汁で、1杯6銭(2007年現在で約300円相当)と値段も手頃で連日行列ができた。人気は1976年(昭和51年)に閉店するまで続いたという。開店当時は手延べ式の麺で、昭和に手打ちとなる。「来々軒」の流れを受け継ぐ店は、同店で最後に修行した宮葉進が1966年(昭和41年)に千葉市稲毛区に開店した「進来軒」だけである。 1914年(大正3年)には東京市倭国橋区茅場町 (現:中央区倭国橋茅場町) の「中国料理 大勝軒」が開店、東京に現存する最古のラーメン店とみられる。 札幌では1922年(大正11年)、現・北海道大学正門前に仙台市出身の元警察官の大久昌治・タツ夫婦が「竹家食堂」を開店。そこで働く山東省出身の料理人王文彩が作る本格的な中華料理が評判となった。常連客の北大医学部教授(後の北大総長)の今裕(こんゆたか)の提案で店名も「支那料理 竹家」に改名。麺作りは初めは手で引っ張り伸ばす手打ち製法だったが、客が増え後に製麺機になった。竹家のラーメンは中華料理の「肉絲麺(ロゥスーミェン)」を原型としたもので、塩味をベースとしており、主に中国人留学生向けの料理であった。倭国人の嗜好に合うように大久タツが王文彩の後任の料理人の李宏業と李絵堂に相談し、2人は油が濃いラーメンから麺・スープ・具を改良、試行錯誤の末、1926年(大正15年)の夏に醤油味でチャーシュー、メンマ(シナチク)、ネギをトッピングした現在のラーメンの原形を作り出した。当時、先述の浅草来々軒でもチャーシュー、メンマ、ネギを入れた醤油ラーメンがあり、横浜南京街でも同様ものが出現していたといわれる。各地で現在一般的になったラーメンの基本型ができていった。 1954年に、長崎ちゃんぽんの白濁スープをヒントに、トンコツスープを濃厚にした白濁トンコツラーメンの「元祖長浜屋」が開業。同時期、東京・荻窪では東京ラーメンの「丸長」や「春木屋」が開店。田中角栄の倭国列島改造論により「地方の時代」が叫ばれるようになった1971年、京都で「天下一品」が開店、1974年に横浜の「吉村家」が開店し、家系ラーメンが始まる。1990年代に入ると、B級グルメに注目が集まり、環七では夜間営業店がしのぎを削る環七ラーメン戦争が起こった。地方の名店が東京に続々進出し始め、時代はご当地ラーメンから、個人の特色を押し出したラーメンに移行し、のれん分けなどで国内外のラーメンブームを形作っていった。2012年Japanese Soba Noodles 蔦(巣鴨)が世界初となるミシュラン一つ星を獲得した。 今日のラーメンの普及には、大きく2つの源流が見受けられる。1つは中華街などで中国からの移住者の営む中華料理屋や、戦前の来々軒に始まり戦後は中国や旧満洲国からの引揚者などが開店した倭国風の中華料理屋のメニューである。2つは屋台での販売と、その流れを汲む固定店舗を開設したラーメン屋である。中国の居住経験からラーメンの調理法を習得した者が多かったのに加え、安い材料で美味しく栄養のあるラーメンは、物資が乏しい戦後にはうってつけだった。屋台自体は、古くは江戸時代の固定式屋台の夜鳴き蕎麦屋からの風習にのっとり、調理器具を積んで夜間に商売していた。「ドレミーレド、ドレミレドレー」というメロディーをチャルメラで鳴らして流しの移動式屋台で市中を回る光景は昭和30年代まではよくみられた。 長年にわたり、庶民の味として親しまれてきたラーメンは、1996年に中華そば青葉が、魚介系と動物系の出汁を合わせるWスープのラーメンを打ち出したのをきっかけに、スープ料理としてのラーメンの価値が見直され、創作ラーメンブームにつながった。スープの出汁、タレ、香味油、煮玉子などのトッピング、麺と、ラーメンのあらゆる要素について新しい試みを行う料理人と店が次々と現れ、当時、普及が始まったインターネットのサイト上でのラーメンの食レポ、TVチャンピオン(TXN系列)のラーメン王選手権が輩出した新世代のラーメン評論家、ラーメン特集を組む情報誌やテレビの情報番組、新横浜ラーメン博物館などとの相乗効果もあり、ラーメンの多様化が一気に進んだ。この流れは現在も続いており、ラーメンは倭国において最も変化が激しく、多様化された料理形態となっている。 しかし2023年には倒産や休廃業をしたラーメン店が合わせて74件と過去最多となり、ラーメン業界にとっては未曽有の危機となっている。 専門店の店舗形態としてはカウンターのみ、あるいはテーブルとカウンターからなるものが多い。専門店では味噌や醤油、豚骨などスープの味によって、メニューが区別されていることが多い。特定のスープの味に特化した専門店も多い。ご当地ラーメンなど地域全体で独特なスープや味付け・食材が主流となっている地域も多い。 これらラーメン専門店のラーメンは、麺とスープの製法に各店独自の工夫を凝らすことで様々な個性が生じ、独自の発達を遂げた。特にスープは多くの場合、レシピについて門外不出の「秘伝」とされ、暖簾分けという形での伝授や、法人化した店舗ではチェーン展開による指導などを通じて広まっていった。 チェーン展開やフランチャイズ展開するラーメン店も現れ、これらの店はスープなどは企業秘密のまま本社の工場で生産して、末端店舗は本部から卸されたスープを、本社に決められたレシピ通りに使用するだけ、という形が採られることも多い。この場合、スープは運送に適したように、濃縮状態にされ、一斗缶などの容器に詰められている例もある。独自の屋号で開店していても、スープ、タレ、食材などは他店(他社)から提供を受けている店もある。これは味分けと呼ばれる場合がある。 現在では年間6,000軒以上のラーメン屋が開業し、5,000軒以上のラーメン屋が廃業するという凄まじい競争が起こっており、他店と差別化が図れないラーメン屋は、1年と持たず潰れるほどである。 倭国では明治から昭和初期までは、「南京そば」「支那そば」と一般に呼称されていた。この場合の「南京」は南京町(中華街)や南京豆同様に、都市としての南京市というより、「中国の」あるいは「外来の・舶来の」という意味合いである。「支那」は、当時の中国の意味である。 第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)に、中華民国(当時の中国の国名)の名称として、支那という単語の使用自粛が外務省事務次官通達により要請されたことから、『中華そば』という名称が生まれ、支那そばに代わって中華そばと一般的に呼称されるようになった。現在でも懐古的な意味合いや店主の政治思想などからラーメンを支那そばと呼ぶ場合もある。 当初は多数派だった「中華そば」に代わって、「ラーメン」という呼称が多数派となったのは、1958年 (昭和33年) に発売された初のインスタントラーメン「チキンラーメン」(日清食品)が普及したためといわれている。以降はラーメンと呼称されることが一般的になったが、「中華そば」も引き続き使われている。おやつカンパニー(当時は松田産業)の「味付中華麺」など、チキンラーメン以前から即席麺は存在していた。 「拉麺」も京都拉麺小路や東京拉麺など、使われている。 これには、1960 - 70年代から既に高い知名度を持っていた札幌ラーメンなどが観光に大きく寄与していたことも与っている。「札幌ラーメン」を謳ったチェーン店が全国に展開し、インスタントラーメンの商品名にも使用された。これらは「ご当地ラーメン」などと称され、観光資源として雑誌媒体、テレビマスコミでのPRなどに用いられている。 その後、これら「ご当地ラーメン」の個性を楽しむ人たちが増え、現在でもマスコミの取材などをきっかけとして地域毎にラーメンブームの様相を呈することは珍しくない。現在は旅行ガイドブックジャンルを細分化したジャンルの一つとして「ラーメン本」が成立している。観光地や、東京都内など、大都市圏のラーメン店舗間の競合の激しい地域ごとに出版されている。これらの情報を頼りにラーメンを食べ歩く者もいる。 インターネットではラーメン店を評価するホームページやグルメ系ポータルサイトなどが存在する。ラーメン店に対する口コミを見ることができる。 スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどでは生ラーメンやカップラーメンが販売される。人気のご当地ラーメン風の味付けをされた製品や、有名人気ラーメン店やその店主がタイアップしたラーメンも多数販売されている。 これらの市場拡大によってラーメン専門のフードライターや評論家という、ラーメンを食べて評し、記事を書く事を職業とする人物さえ幾人も登場している。 このようなご当地ラーメンが時に大きな市場や経済効果を作り出してきた一方で、「ご当地ラーメン」には、単にラーメン店の店舗数が人口や市街地の規模に比して多いだけで、その地域の固有といえる特段の共通の特徴がなかったり、マスコミに特集されるほどの質(味に加えて接客サービスなど)が伴わない地域も存在している。ブームに便乗しようとする者も多い。 ライターの速水健朗によれば、このご当地ラーメンブームは三浦展のいう「ファスト風土化」(主に1970年代辺りからモータリゼーションとともに倭国の風景が均一化していったとする議論)と密接に結び付いていると述べている。 特定の地域で食べられているそれぞれ何らかの独自性があるラーメンをご当地ラーメンという。しかし、必ずしも、周辺地域の店が同じような味とは限らない。その地域の名を冠して呼称されることが多い。 2023年2月7日に総務省が発表した家計調査によると、2022年の1世帯(2人以上)あたりのラーメン外食費は、山形市が1万3196円で、都道府県庁所在地・政令指定都市の中で最多だった。2020年まで8年連続首位だった。2位の新潟市は1万2573円、3位は仙台市だった。 北海道各地におけるラーメンについては、多種にわたるため下記の別項に掲載する。 索引に戻る 索引に戻る 索引に戻る 索引に戻る 索引に戻る 索引に戻る 索引に戻る 倭国ラーメン協会では「ご当地ラーメン一覧」を作成しているが、掲載基準として以下の7つの定義のうち、2つ以上あてはまるものを対象としている。 『倭国ご当地ラーメン一覧2023』に掲載されたラーメンは180種類あるが、未発掘のご当地ラーメンもあるものと推測されている。 その土地で広まった実績がある 特徴、特色、定義などがある 発祥から20年以上の歴史を持っている 知名度がある(他県や都内に支店を出店、百貨店催事出店歴など) その土地の「食文化」や「社会背景」がある 応援団体が存在する 行政など公的機関が主体となり、そのメニュー名が設定されている 倭国国外では「インスタントラーメン」が「ラーメン」であると認識している所が多く、本来のラーメンが存在する国は少ない。 中国の麺料理には、麺棒で薄く延ばし、畳んだ生地を、包丁で細く切った「切麺」、小麦粉の塊を刀で削る「刀削麺」や、湯麺・涼麺・炒麺などがある。 倭国式ラーメンの中ではトンコツラーメンの人気が高く、熊本の味千ラーメンのフランチャイジーが400店近くを中国国内に展開しており、倭国の外食チェーン店としては最も多い。タイでは首都のバンコクを中心に、8番らーめんや味千ラーメン、山小屋ラーメン、ばんからラーメンなど、倭国の多店舗型ラーメン店の進出が目立つ。 中国では倭国式ラーメンはトンコツラーメンが支持され、その他の支持は薄い。その理由として、現地の麺類との明確な差別化ができていないこと、海産物から取るダシの味が苦手な中国人が少なからずいることなどがあげられる。 2015年7月下旬、南インド・チェンナイでは、インド初の本格倭国式ラーメン店「秋平-AKI BAY-」がオープンし、倭国人駐在員や現地のインド人に親しまれている。完全ハラルフードで、様々な宗教に対応し、今後、中東地区などへの進出も期待されている。 韓国では基本的に韓国風の辛い味付けとインスタントラーメンを組み合わせるのが相場である。ラーメンは韓国語で「ラミョン」と発音し、韓国ではラーメンと言えば基本的にインスタントラーメンを指す。倭国風の出汁を使ったラーメンはシェアが皆無な訳ではないが一般的ではなく、食べられるとしてもせいぜいあっさりした醤油ラーメンが関の山である。特にトンコツラーメンはその油気や匂いから不評がちである。激辛でさっぱりして淡白な味を好む韓国の食文化と、しょっぱくて甘辛いものを好む倭国の食文化の違いが表れていると言える。ただし、不評なのはあくまでトンコツスープであり、韓国ではインスタントラーメンが主流のため、麺については一定の評価がされている。 その他、中国などでは倭国のチェーン一蘭をコピーしたような類似店「蘭池(ランチ)」なども見受けられる。 倭国出身のチェーン店はアメリカ合衆国やカナダに味千ラーメンやらーめん山頭火、藤一番が進出している。天下一品がハワイのホノルルに支店を出している。 ヨーロッパ出身のチェーン店には英国在住の華僑が開いた「ワガママ」がある。 担担麺 - 中国四川省発祥の麺料理。 担仔麺 - 台湾の料理。肉味噌と香菜を上に載せる。愛知の台湾ラーメンのルーツと言われる。 排骨麺 - 台湾の料理。排骨(豚の骨つきあばら肉)を上に載せる。 牛肉麺 - 中国四川省を源流とする台湾の料理。高雄市岡山区が発祥の地とされる。 桐皮麺 - 宋時代の中国で生まれた麺料理。麺が細くスープは透き通った醤油味で脂控えめ、具材も淡白な味付けで種類も抑え目と、最初の頃に主流だった倭国のラーメンに見た目も味も似ている。 ラーメンの一種と分類されることもある料理。 つけ麺 ざるラーメン 油そば ラーメンと同様の麺を使用するがラーメンに分類されることはほとんどない料理。 焼きそば(炒麺・炸麺) 焼きラーメン - ラーメンと焼きそばの中間的な料理。 ラーメンサラダ ローメン 冷やし中華 ちゃんぽん 沖縄そば ちんめん - 福岡の立花産業有限会社が「あま太郎」として展開していた店舗で主に提供していた麺。鳥ガラベースの醤油味となっており、「ちゃんぽんでも、ラーメンでも、うどんでも、そばでも、そうめんでもない“珍しい麺”」という意味で初代店主が名付けた。冷やし中華に似た、「冷やしちんめん」もある。 サイミン - ハワイの郷土料理。ラーメンとほぼ同じ麺を使用し、基本的なトッピングも倭国のラーメンに酷似している。スープにはエビなどの出汁が用いられ、油分の少ないあっさりとした仕上がりである。 ライスヌードル - 米を原料とした麺。東アジアや東南アジアでラーメンと似た食べ方をされる。ベトナム料理のフォーなど。 らーめん缶 - ラーメン風に仕立てたこんにゃく麺を缶詰にしたもの。通常のラーメンを缶詰にするとスープで麺が伸びてしまうため、こんにゃく麺を使用している。 あさひかわラーメン村 (北海道旭川市) 札幌ら〜めん共和国 (北海道札幌市中央区) 札幌ラーメン横丁 (北海道札幌市中央区) さっぽろ名所 新ラーメン横丁 (北海道札幌市中央区) 北海道ラーメン道場(新千歳空港) 津軽ラーメン街道 (青森県五所川原市) 東京ラーメンストリート (東京駅一番街) ラーメン激戦区 東京・丸の内 (東京都千代田区丸の内) ラーメン国技館 (東京都港区) 御徒町ラーメン横丁(東京都台東区上野) ラーメンスクエア (東京都立川市) らーめんたま館 (東京都立川市) ラーメンSymphony (神奈川県川崎市) ら〜めん処 (神奈川県海老名市) 新横浜ラーメン博物館 (神奈川県横浜市) ときめきラーメン万代島 (新潟県新潟市) 名古屋・驛麺通り(愛知県名古屋市) 京都拉麺小路(京都府京都市) 麺ロード(兵庫県神戸市) 博多めん街道 (福岡県福岡市) ラーメンスタジアム2 (福岡県福岡市) ラーメン滑走路(福岡空港) ラーメンチャンピオン(シンガポール共和国) 廃館・閉館 札幌すすきのラーメン館(北海道札幌市中央区) 武蔵浦和ラーメンアカデミー (埼玉県さいたま市) ラーメン国技場 仙台場所(宮城県仙台市、2003年9月3日 - 2008年2月29日) らーめん七福人 (埼玉県さいたま市) 品達品川 (東京都港区、2004年12月1日 - 2021年3月7日) 全国ご当地店センバツ ラーメン甲子園 (神奈川県横浜市) 名古屋麺屋横丁(愛知県名古屋市) 桑名らーめん街道 (三重県桑名市) 浪花麺だらけ (大阪府大阪市) 泉ヶ丘ラーメン劇場(大阪府堺市) 高松拉麺築港(香川県高松市) 船橋ラーメン横丁 (千葉県船橋市) テレビ 『ダイアモンド☆ユカイとユカイなラーメン研究所』(とちぎテレビ、2014年4月3日 - 2014年6月26日(13回)) 『ラーメンの旅』(テレビ新潟) 『倭国全国ラーメン選手権』(CS放送のTBSチャンネル、2006年2月-) ラジオ 『姫ら〜,グルメ応援隊!』(FM GENKI、2012年1月15日-、毎月第1第3日曜日17:15-18:00) 『関西ラーメンコロシアム』(MBSラジオ、2015年1月5日-) シャ乱Q ラーメン大好き小池さんの唄 奥山忠政『文化麺類学・ラーメン篇』明石書店、2003年。ISBN 4-7503-1792-6。 小菅桂子『にっぽんラーメン物語』講談社〈講談社+α文庫〉、1998年。ISBN 4-06-256302-9。 速水健朗『ラーメンと愛国』講談社現代新書 2011 『世界大百科事典 7』 平凡社、1988年(昭和63年)3月15日初版発行 後藤武士 著 『読むだけですっきりわかる倭国地理』 宝島社、2009年(平成21年)6月19日初版発行、ISBN 978-4-7966-7060-9 富岡木之介『さっぽろラーメン物語』まんてん社 1977 人物 山岸一雄 - ラーメン料理人。つけ麺を考案したといわれている。 武内伸 - ラーメン評論家。 佐野実 - ラーメン料理人。 林家木久扇- 初代林家木久蔵時代に「木久蔵ラーメン」を考案、販売している。 メーカー 日清食品 東洋水産(マルちゃん) サンヨー食品(サッポロ一番) 明星食品(チャルメラ) エースコック 寿がきや食品 徳島製粉(金ちゃん) イトメン マルタイ サンポー食品 ヤマダイ(ニュータッチ) 大黒食品工業 (マイフレンド、大黒、AKAGIの商品ブランド) 東京拉麺 ヤクルト食品工業 農心 - 韓国の即席ラーメンメーカー。 団体 倭国ラーメン協会 宗教 空飛ぶスパゲッティ・モンスター教 - このパロディ宗教では麺類が神聖な食物とされているため、「ラーメン」が祈りの言葉となっている。 ヌードルハラスメント ラーメンをテーマにしたフィクション ラーメン大好き小泉さん(漫画・テレビドラマ・テレビアニメ) ラーメン発見伝(漫画・テレビドラマ) 全国製麺協同組合連合会 新横浜ラーメン博物館 ラーメン知識学
ラーメン」 (2024/7/25 16:33) Wikipedia倭国語版より
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2024.07.31 02:00

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