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あの頃、
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2025.11.10〜(46週)
:0% :0% (30代/男性)
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
韓国の人たちが「あの頃、俺も束草にポケモンを捕まえに行っていた……」って経験談教えてくれるので嬉しい。地元の商店街が「ポケモンの聖地」とか言って勝手に街おこしはじめて、市長が博士のコスプレしたりしてたんですよ。自国でまだサービスがはじまってすらいないゲームの規約外利用で。 https://t.co/CdzNXGrYRF November 11, 2025
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🌱すべての出逢い皆さまへ大感謝🌱
ARMOR祭2025🔥の公式からの写真の展開が完了しました🎊 2016年のあの頃、私にとっても人生初の貸切イベントであったARMOR祭の1回目から10年が経ちました⏳変わらず夢の場を一緒に創り応援頂いている方、勇気を出して足を運んでくださった方、本当にありがとうございます🤝私にとっての1年はARMOR祭で始まりARMOR祭で終わります🗓皆さまはこの1年、振り返ってみていかがでしたでしょうか?ARMOR祭を取り巻く環境については新しい変化を感じる10年目だったなと私自身感じてはいるとともにARMOR祭は多くの方にとって大切な場であるとも改めて感じました🖼️人生は山もあれば谷もあります⛰️嬉しいこともあれば悲しいこともあります🍀成功もあれば失敗もあります🌪️色々な経験を積まれている方、創造をされている方、これから創造者になられる方には初めての方や迷える方への道標、笑顔をよりたくさん生み出していって欲しいなと経験の荒波を旅する者、創る側の立場、ひとりの皆さまのファンとしても勝手ながら願っています🌱想像して創造し、旅をして全てが集まる場、力を出し切る場が約束の日、約束の場所だと思います💫この日この場所に集まれた方、集まれなかった方にとっても『ヨッ!元気してる?1年どうだった?』を変わらず語り合える遊べる場であって欲しいとこの先も願っていますし誰でもいつでもフラリと来れる場であって欲しいと10年目を終えた今でも思います🌱夢の扉を創り続けられるうちは皆さまと一緒に創り続けます🚪夢の扉を開く鍵は誰もが持っていて🗝また皆さまと一緒にこの夢の扉を開けられる日を楽しみにまた1年を進んでいきます✍️ 1年はすでに始まっています⏳世界をどんどん笑かせてやりましょう🕊
沢山のお言葉につきまして、こちらにて返させて頂きます🥂🙏✨
ARMOR祭2025
ありがとうございます‼️
代表 モエガミ
#ARMOR祭 #ARMOR祭2025 November 11, 2025
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街の灯が、消えかけている。
僕が出版業界で働き始めた20年で、愛した街の書店は半分以下になりました。
今、心の底から叫びたい。
「街の灯が、消えかけている」と。
僕が出版業界で働き始めた約20年前。
あの頃、本屋はただの店ではなく、文化の"呼吸"そのものでした。街を歩けばそこにはお店があり、インクと紙の匂いがして、棚には無限の宇宙が広がっていた。
しかし、現実はどうでしょう。この20年で、街の書店はほぼ半分になってしまった。
「Amazonがあるから大丈夫でしょう?むしろ便利になった」
そう思う人もいるでしょう。
確かにネット書店は便利です。でも、現実の深部はもっと冷たい。
「Amazonで1位!」と景気の良いニュースが流れても、その実態は、昔の1位と比べればずっと少ない部数でしかない。(具体的な数字は言えませんが、業界の人間としては胸が痛む事実です)
少し前、国が「書店の支援をする」と発表しました。行政が動かざるを得ないほど、紙の本の市場は今、「重篤な状態」にあると言っても過言ではありません。
なぜこんなことになってしまったのか。経営面の支援やイベント企画だけで解決しないのは、倭国の出版構造が世界でもあまりに特殊だからです。
・委託販売制度(返品自由)
・再販制度(定価販売)
・雑誌の巨額な収益に支えられた流通網
「本は文化的商品だ」という高潔な思想のもと、この国では長らく、どんな僻地に住んでいても本との出逢いが不平等にならないよう、全国の書店に本が溢れるのが「あたりまえ」でした。
ところが、インターネットの波は、その強固な構造を一瞬で変えてしまった。
・紙の雑誌やコミックの収益が急降下。
・広告収入という酸素ボンベが外された。
・書店のキャッシュフローが冷え込んだ。
その結果、何が起きたか。
流通を支える問屋(取次)は、もはや赤字に耐えられず「効率命」の重視の仕事にシフト。
書店は、家賃や人件費を捻出するため、広い売り場や熟練のスタッフを手放さざるを得なくなりました。
そして出版社も、採算重視の「売れ筋企画」を優先するしかない。
店頭に並ぶのは、SNSでバズった本や、無難な話題作ばかり。まるで「金太郎飴」のように、どこに行っても同じ顔ぶれ。
「みんなが注目している本しか、もはや、知られない、売れない。」
本当に、もったいない。そう思えてならないんです。
僕は、やっぱり本の持つ力を信じています。
なぜなら、僕は何度も見てきたから。
人生の岐路に立ち、何気なく書店の店頭で手に取った一冊が、その人の人生のハンドルを180度切らせてしまう瞬間を。
本が売れなくなったのは、「本の力が尽きたから」ではない。
ただ、その本と読者を「きちんと出逢わせる」という、長年機能していた回路が、完全にショートしてしまっているからです。
僕は、この出版業界が好きです。
紙の手触りを愛する人が好きです。
この業界で、歯を食いしばって働く人が好きです。
だから、僕の心は叫びます。
「出版業界を、この手で、元気にしたい」と。
現状の危機感は、業界の誰もがわかっています。
けれど、自社の利益や慣習に囚われ、なかなか一歩を踏み出せないでいる。
それが今、僕らが直面している、一番の「壁」です。
出版社、取次、書店、作家さん、周辺領域の方々。そして何より読者。
この大きな「本の世界」を構成する誰もを、分け隔てなく繋ぎ、本の魅力をもう一度、力強く届けたい。
この大きな想いを胸に、僕は動き始めます。
実名で活動する業界関係者の方が多い中、僕はあえて「もんきち」という名で発信しています。
隠しているわけではありません。
僕の経歴も今やろうとしていることも、すべてお話しできます。
「このままではいけない」 「何か小さなことからでも変えたい」
そんな、熱を共有できる方と、今すぐ繋がりたい。
是非、この熱意に共感いただけたら、フォローをお願いします。
僕は、僕自身の動き、その試行錯誤の過程を、すべて見せていきます。
本の世界が好き。 出版業界が好き。
その想いは、僕と同じですか?
みんなが心から笑える、そんな「本と人の新しい世界」を、一緒に創っていきませんか? November 11, 2025
46RP
SHAZNAは、さすがの試合巧者。会場との距離の縮め方をよくわかってる。あの頃、SHAZNAは実力が伴っていないとか言っていた自称音楽通たちは何を見ていたんだろう。完全に幕張の空気を掌握していて、一体感が物凄かったです。 November 11, 2025
36RP
昔の話をします
昨日のnoteでお話させて頂いた内容に対し、ワタシの想いもここで語らせてください。
ワタシがこのSNSを運用し始めておおよそ1年ぐらいですかね。あの頃、業者だらけの100フォロワーしかいなかったこのアカウントも今では、3600人のフォロワーさんに支持していただけるところまで成長しました。
特に最近思うのが、ワタシのフォロワーさんって皆さんとても優しいんですよね。この1年間批判的なコメントなんてほとんどありませんでした。
そんな皆さんへ
トレードは勝てるようになりましたか?きっとまだ勉強中という方々が、ほとんどだと思います。トレードって難関資格と同じで、猛勉強が必要、マスターするまでとても時間もかかります。時には心が折れたり、資金がショートしたり、穏やかな気持ちでいられない時だってあります。
そんな中で、今でもこのポストを見てくれている皆さんはきっと熱量が高くて、想いの強いそんな方々なんだろうなと思います。
だからこそ、昨日のnoteを伝えさせてもらいました。
絶対に失敗してほしくない、ただ真っ直ぐに道を進んで
いってほしいそれがワタシの願いです。
ワタシもマイナスからのSTARTでした。学生時代の友人に60万円貸して借用書まで作りましたが、いまだに
お金は返ってきません。
だから、失敗は気にせずこれからも
一緒に挑戦していきましょう。
さて、長くはなりましたが最後に最も重要なお知らせをします。
15日土曜日20時 重大発表があります。
通知はONでお待ちください November 11, 2025
35RP
二年前の冬、母が静かにこの世を去った。白い息が空に溶けるように、母の命もまた、静かに消えていった。
母は、私にとって「語り部」だった。幼いころから、季節の移ろいや人の心の機微を、物語のように語ってくれた。その声が、もう聞こえない。
あの頃、世界は新型コロナウイルスに揺れていた。ワクチンが希望のように語られ、恐れのように囁かれた。私は、母に何度も言った。「打たないでほしい」と。けれど、母は接種を選んだ。医師の言葉を信じ、未来への一歩として。
その選択を、私は止められなかった。今でも、その悔しさが胸の奥で凍っている。
ワクチンは、母を私から奪った。そして父からは、健康を奪った。網膜静脈閉塞症、腹部動脈瘤、脳梗塞——副反応と思われる症状が、父を次々と襲った。
二人とも高齢で、基礎疾患を抱えていた。医師は「だからこそ、打つべきだ」と言った。その言葉が、今も耳の奥に残っている。
母の死後、父は静かに暮らしていた。病と向き合いながら、母の遺影に語りかける日々。私は、父の背中に言葉をかけることができなかった。何を言っても、届かない気がした。
そして今年の夏、母の納骨を終えた。墓前に手を合わせたとき、風が吹いた。母の声が、風に混じって聞こえた気がした。
その帰り道、私たちは久しぶりに家族旅行をした。旅館の畳の部屋で、父と向き合って話をした。
「お父さん、あのときワクチンを打ったこと、後悔してない?もし打ってなければ、母さんは死なずにすんだかもしれない…」
父は、しばらく黙っていた。畳の目を見つめるように、遠くを見ていた。そして、静かに口を開いた。
「人の死は、いつ、どうやって訪れるかなんて誰にも分からない。お前だって、明日生きてる保証なんてない。人生の始まりと終わり、その間にある選択の中で、俺たちは最善を尽くしたつもりだ。この時代の流れの中で、自分たちが信じた道を選んだんだ。」
「だから、お前の言うことが正しいかもしれない。でも、誰かを恨んだり、悔やんだりすることはない。きっと母さんも、そう思ってるはずだ。」
「お前も、くよくよせずに笑って生きろ。母さんに心配かけるなよ。」
そのとき、父の目にうっすらと光るものを見た。父の心にも、きっと葛藤があるのだろう。母を守れなかったという痛み。自分の選択への問い。
でも、私は思った。父と話せてよかった。あの言葉を、これからの自分の中で、大切に育てていこうと。
母の声はもう聞こえない。でも、父の言葉の中に、母の想いが生きている気がした。
そして私は、冬が来るたびに思い出すだろう。あの日のこと。母の静かな旅立ちと、父の静かな強さを。 November 11, 2025
21RP
🔥OKAYAMA 1DAY Track Festival 2025
~ Street Tuning Car Battle ~
📷 2025年12月10日(水)
📷 募集終了11/末⏰
https://t.co/0wBQ3latIa
参加者さん。いいねやRTで応援してくれた方。直接DM頂いた方。また、関係者や協賛企業様のお陰で、岡山1DAYは、昨年以上にお申し込みを頂くことができました。
本当にありがとうございます。
おそらくこれが募集告知は最終となります。今後は空き枠だけできるだけリアルタイムでコメント欄に書き込みをさせて頂きます。
思い返せば...
チューニングフェスタが終わってから、
関西は突然ぽっかりと穴が空いたようになりました。
仲間が集まり、
大人が少年のような目をして、
誰かの走りに胸が熱くなり、
歓声がサーキットに響く──
あの“お祭りのような時間”が、なくなってしまったからです。
「ここで自己ベストを狙いたい」
「一年の目標はこのイベントに」
「来年こそはあいつに勝ちたい」
そんな“挑む理由”をくれる舞台さえも、気づけば消えていました。
そんな中で、仲間がふと言いました。
「チューニングフェスタのようなワクワクするイベントがまたあったら…」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がギュッとなった。
同時に、どこか悔しくなった。
あの頃、自分は走る意味を見失いかけていた。
情熱が、少しずつ冷めていくのを自分でも分かっていた。
でも──
仲間のその一言で気づいたんです。
“文化は、誰かが動かないと終わる” と。
待っていても戻らないなら、
「なら、自分が動くしかない」
そう覚悟を決めました。
関西には、
タイムアタック車両が本気でぶつかれる場所がほとんどない。
ナンバー付き車両が胸を張って戦えるステージも足りない。
挑戦したい初心者に「大丈夫だよ」と言える土壌すら少ない。
だから今回のイベントは最初から決めていました。
◆ ナンバー無し → 本気のガチタイムアタック
◆ ナンバー付き → 関西最速決定戦
◆ 初心者や初走行の方 → 細かいクラス分けで“ちゃんと主役になれる”
「観る人」ではなく
「挑む人」が増えるイベントを作りたかった。
そしてもう一つ。
まだ準備中ではありますが、動き始めたプロジェクトがあります。
それは──
“個人のサーキットユーザーに光を当てる、新しいメディア” です。
デモカーやプロだけが目立つ世界ではなく、
無名の誰かの、小さな挑戦が光る場所。
仲間の努力や涙が、ちゃんと世の中に届く場所。
このイベントも、メディアも、
すべては
“関西のチューニングカルチャーを未来へつなぐため”
という、たった一つの理由から生まれています。
今年も、昨年同様に7桁の赤字を覚悟してのスタートでした。
それでも皆さんのおかげで、現時点でコース代が見えるところまで来ました。
本当にありがとうございます。
走行費を上げれば楽になる。
でも、それでは意味がない。
文化は、“人が集まることでしか”育たない。
だから僕は、この道を選びました。
目指しているのは──
“関西の新しいチューニングフェスタ” です。
上級者が本気でぶつかり、
ナンバー付きが夢を見られ、
初心者が勇気を出して挑戦し、
子どももギャラリーも心が躍る。
そんな“祭り”を続けていきたい。
そしていつか──
噂を聞いたギャラリーが自然と押し寄せ、
協賛企業様が増え、
土日開催が当たり前にできるようになる。
そんな未来を本気で描いています。
今はまだ、MC・音響・スタッフ・トロフィーなど諸経費が残っており、
全枠満員でようやくトントンになるかどうかという状況です。
そして、もしすべての枠が埋まったら──
じゃんけん大会の景品を、“僕からの感謝として”個人的にさらに豪華にします。
来てくれた皆さんに、心から「最高の一日だった」と思ってほしいからです。
このイベントは、自分ひとりでは絶対に作れません。
走る人、応援する人、支えてくれる人。
みんなで作り上げる“未来の祭り”です。
迷っている方。
もし少しでも心が動いたなら、ぜひ一歩踏み出してください。
そしてRTで広めてもらえたら、それは大きな力になります。
一緒に──
関西に、新しい歴史を刻みましょう。
あの日のワクワクを、未来につなぐために。
🔥OKAYAMA 1DAY Track Festival 2025
~ Street Tuning Car Battle ~
📷 2025年12月10日(水)
📷 募集終了11/末⏰
https://t.co/0wBQ3latIa
◆【満員御礼】スーパーラップ:満員御礼
◆【満員御礼】フリー走行枠:満員御礼
◆【満員御礼】NAFR C枠+チャレンジカップ
◆【残4台】フリーアタック
◆【残4台】NAFR A枠
◆【残11台】NAFR B枠
◆【残7台】TBAD
【エントリーリスト】
✔スーパーラップ/フリーアタック リスト
https://t.co/eYSObPP8Rb
✔NAFR HEROES’ CUP(自然吸気×FR)
https://t.co/blurRRNIOH
✔TBAD HEROES’ CUP(ターボ・過給器車)
https://t.co/7SADh8juRx
✔チャレンジCUP(ビギナー歓迎)
https://t.co/tkHiez6Afs
✔フリー走行枠
https://t.co/yCSiw38C2n
🔥OKAYAMA 1DAY Track Festival 2025
✅詳細はこちら
https://t.co/0wBQ3latIa
💬 ご質問・お問い合わせは、LINE登録後にメッセージをお送りください。
参加者の方でXやFacebbokへ投稿頂ける方は、
【#岡山1DAY】でお願いいたします。 November 11, 2025
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あの頃、1日100席近い空席リリースがあって皆頑張って取って行ってたんですね。初めは運営側が意図的に行ったんじゃ疑惑がありましたがなんか違うような…と思ってたら事情を知る🇨🇳のツイートがありました。
その後は電話番号認証や未決済は強制的に空席リリースになる等、変更がありました。 November 11, 2025
12RP
フェアな議論を回避して改革者を潰す方法。かつては国会や米議会でも同様の事例が散見されたが、このSNS時代になってもいまだにやっている都議会の旧態依然には驚くほかない。
都民の税金の使途を健全化しようとする都議を本人不在で追及する理由はひとつもない。1999年の石原慎太郎都知事登場前の暗黒都政時代に戻ったかのようだ。
あの頃、都庁は財政再建団体転落直前だった。都庁と都議会の伏魔殿に「チーム」で乗り込んでいき、矢継ぎ早に政策を打ち出して、二期目に入る前には議会(会派)も都庁(人事)も奪取し、無血開城に成功した。
西新宿では孤立無援かもしれないが、都民に寄り添い続けるという彼女の一貫した姿勢は、必ずや道をひらくことになるだろう。
本人は極めて大変だと思う。しかし、東京で育ち、長く都政を取材し、都知事選に挑戦した者としては、彗星のごとく現れたさとうさおりという爽快な一筋の光明には期待と敬意しかない。ジャーナリストというよりも、一ファンとして彼女の活動を注視している。 November 11, 2025
12RP
仕事中、消音忘れで着信音が鳴った。すぐに出たけどほんの少しだけ流れたMikrokosmos
戻ってきたら後ろの席のOくんが「今の曲はBTSですか?」と。イントロクイズくらい短かったのにわかるとはもしかして?
もう半年以上同じ部署で働いているのに知らなかったとお互いにびっくりして
さらに驚いたのはファンになったきっかけ。Oくんは長女の中学の後輩で、放送部長だった長女が昼食の時間に流し続けたバンタンの曲でファンになったのだと
Not Today、かっこよくてめっちゃはまりましたよ!と教えてくれた。あの頃、朝練に送る車中で必ずかける曲だった、懐かしいな
7年前の長女の布教活動とその時からのアミが近くにいたこと、驚いて嬉しい日でした November 11, 2025
11RP
@tomohiro811 斎藤知事の再選を覆したかった勢力が公選法違反を疑惑の段階で、確定したかのように叩きまくった。
あの頃、折田氏が鬱病になり、自死してもおかしくないくらいの決めつけバッシングでしたよ。
メディアは謝罪無しかな、メディアは政争が絡むと冤罪製造機になる。 November 11, 2025
10RP
新作投稿しました。『マリアナ海溝から回収された文書』の動画化です。
そして8年ぶりに「らくがき式」の立ち絵の茶番劇を復刻させました。実はあの頃、怪異録の結末として採用しようと考えていたお話でした。
https://t.co/a8fqAuc1AS November 11, 2025
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本日13:00-オンラインで開催✨
ドット絵が全盛だったあの頃、、ゲーム🎮に心奪われた人、これからピクセルアートで表現を作っていく人、全員に聴いていただきたい講義です‼️
@ichiroukusaka / @zolge1
#ピクセルアートの学校 #ドット絵 #ピクセルアート #pixelart #8bit #gamedev #レトロゲーム https://t.co/jgNZ6EFC90 November 11, 2025
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渡邉さん!こちらこそいつも有難うございます!
90年代のことなので、約40年前というのを見てびっくりして計算してみたら、30年経つか経たないかの頃でした。VHSとレーザーディスクの時代です。
あの頃、制作担当に確認したら東宝に出演者分も送ってあるとか言うので、向こうは年上ですが怒りました https://t.co/DiT6IgJqoT November 11, 2025
4RP
@takepan314star @arareoba @motohikosaitoH 姫路で歌ってる動画です😉
https://t.co/nhzuJPeClN
こんな演説は見たことない、私もです。
ちょうどあの頃、高校生の「斎藤知事ジャンプみたいな勝ち方してるーー!!」って書き込みを見て大笑いしました。
いやほんまに、と🤣 November 11, 2025
3RP
後輩くん達、タンホイザーに悲愴と難曲だけど頑張ってて楽しかった~😃
新しいホールにびっくり‼️でも制服は当時のままでタイムスリップした気分。あの頃、何の根拠も無いのに絶対に自分は指揮者になれると信じて疑わなかった…今想うとゾッとする🤣 なりたいという気持ち↓
https://t.co/MjRtTIk6Uq https://t.co/P3P8LA1QWO November 11, 2025
3RP
(※リプライがつけられない仕様でしたので、引用リポストさせていただきます)
自分の投稿をご覧になって、入手してくださったとのこと、心より感謝いたします。ありがとうございました。
インタビュー記事って、オンタイムでは鮮度が重要視されますけど、ある程度時間が経つと「あの頃、こんなことを考えていたんだな」と資料的な価値が増すのが面白いんですよね。
そんなふうにして点と点を結んでいくと、その人の思考の変遷のグラデーションが浮き彫りになってくるのも、興味深いところじゃないかなと思っています。
#松田里奈 #櫻坂46 #20SWEET November 11, 2025
3RP
あの頃、浮所くんに着いてく!以外の選択肢はなかったから何の迷いも無かったけど、
周りからの心ない言葉で辛い思いとか嫌な思いはたくさんしたな。
#RIDEONTIME
#ACEes #浮所飛貴 November 11, 2025
3RP
【あの頃、試行錯誤していた私達へ】
配信情報
来週11月23日(日)21時より
同期Vの集い #にーにー会 での
初配信やります!
遊ぶゲームは
#ケンケンガク楽団 !初配信にして
解散の危機!?
属性もジャンルも違うけど、なんか集まった7人の活躍是非ご期待ください‼️ https://t.co/aobOH56OXM November 11, 2025
2RP
「子どもたちの笑い声が響く校庭に、1通のメールから始まった夢が立っていました。」
ドゥンバ(ワールドギフト・ウガンダ施設長)
彼が着ている服、帽子、そして動画の中で子どもたちが身につけている服やリュック。
どれも倭国の皆さまから届いたご支援の品々です。
今日は、彼について少し昔話をしたいと思います。
私がドゥンバを知ったのは2018年ごろ。
当時まだ、支援実績も世界で10カ国に満たない頃でした。
そんな私のもとに、彼から1通のメールが届いたのです。
その内容は――
「私は貧困家庭に生まれ、地域の大人たちに助けられて育ちました。
今、私の村では深刻な健康課題(HIVなど)が広がり、働き手の男性たちは町へ出稼ぎに行き、残された家族をなんとか支えています。
私は村に残り、作物を分けて子どもたちや高齢の女性を助けていますが、一人ではできることが限られています。
どうか、この村への支援を検討していただけませんか。
私は責任をもってこの地で働きます。」
まだ20代の若者でしたが、彼の誠実さを見極めたいと思い、
ごくわずかな物品と月1度の小さな食事支援から始めました。
1年、2年…
彼は誠実に倭国の皆さまの贈り物を受け取り、
村での支援に役立て、その想いを形に変え続けてくれました。
そして信頼が育った頃、彼は一つの夢を語ってくれました。
「私は子どものころ、地域の大人たちに助けられて育ちました。
今はその人たちも年を重ね、亡くなられた方もいますが、
私にとって村の高齢者たちはみんな“家族”のような存在です。
あの頃、大人たちがしてくれたことを私は忘れていません。
この村の子どもたちは学校に通うことができません。
私の夢は、村に学校を作り、すべての子どもたちが無償で教育を受けられるようにすることです。
そのために、私は結婚も子どもも持たず、
自分の人生をこの村の未来に捧げて働きます。」
その夢は、2024年――
倭国の皆さまのご支援によって、ついに実現しました。
「ワールドギフト・ウガンダ施設」。
彼はまだ30代の若さで、その夢を叶えました。
現在この施設には、先生として教えられる女性が3人、
地域の若者たちもボランティアとして加わっています。
今では140人を超える子どもたちが時間を分けて学び、笑顔があふれています。
衛生面や教育内容も役所から認定を受け、
低学年の子どもたちは進級資格を得て、将来ほかの学校でも学年を継続できるようになりました。
次の目標は、全学年での認可を得ること。
そして、村の外からも子どもたちを受け入れられるよう分校を作り、学びの輪を広げることです。
教育方針は、毎月地域の大人たちが集まって話し合い、決めています。
「子どもたちは村みんなで守り、育てる」――
それは、彼が幼い頃に受けた愛情が、今、形を変えて受け継がれている姿です。
そしてドゥンバはこう言っています。
「私の夢を叶え、人生を素晴らしいものにしてくれた倭国の皆さま。
あなた方のご恩を、私は地域の子どもたち、そして次の世代に伝えていきます。
倭国の皆さま、私たちの村に希望を与え、
素晴らしい変化をもたらしてくださって本当にありがとうございます。」
---
この物語は、一通のメールから始まりました。
“誰かを助けたい”という小さな思いが、
やがて村全体を変える大きな希望となったのです。
支援とは、誰かを助けることだけではなく、
その人の中に「自分も誰かを支えたい」と思える心を灯すこと。
その灯りが、また次の誰かの心を照らしていく。
それがワールドギフトの信じる支援の形です。
#ワールドギフト
#ありがとうの輪
#ぬくもりを届ける
#贈り物の力
#笑顔の力
#心を届ける
#小さな行動大きな力
#持続可能な未来
#支え合う社会
#共に生きる
#教育支援
#子どもたちの笑顔
#希望をつなぐ
#優しさの連鎖
#未来への贈り物
#学びの場
#地域の力
#信頼の絆
#人を想う気持ち
#世界をつなぐ
#温かな社会
#命のリレー
#心の豊かさ
#想いを届ける
#笑顔が広がる November 11, 2025
2RP
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