マニラ トレンド
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2025.11.24〜(48週)
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以前、深圳の倭国料理店にマニラの帰りに立ち寄った時、中国人の女将さんに「どこへ行って来たの?」と訊ねられ、「フィリピンだよ」と答えました。国民は家族的だけど、経済的にはまだまだ貧しくて、冷蔵庫さえ無い家も多いんだ、と話すと、
「でも、私は中国が一番貧しいと思う」と答えました。でも、深圳なんて大都会じゃないか、と問い返すと、「こんなのは表面的よ。田舎にいけばトイレさえない家もたくさんあるわよ」と言いながら、店内で放送されていた倭国の民法テレビに目をやって、
「良いわね。倭国は。本当のことがテレビで言えて。中国なんて嘘ばっかり」と言い続けました。いやー、倭国も嘘ばっかりだよ、
といいながらも、確かに中国は見方を変えるとか、部分部分を覆い隠すというよりも、
完全なフィクションを平気で放送します。
2019年、北京から広州まで高速鉄道で
移動したとき、中国は相当お金が回っていないように映りました。
しかし、すべてがフィクションの国ですので、そのことがわかるのは、随分、先になるだろう、おそらく、しばらく中国に来ることはなくなるだろうと思いました。 December 12, 2025
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シンガポールとマニラを並べてみたけど…ちゃんと上達してんのよ5555555555555555555555555555(でもPEBACAは上達しないでほしいとも思っちゃう🤣)
PEBACA Manila X KS
#PEBACAConcertinManila
#คริสสิงโต #พีเบก้า https://t.co/XAyvuZs9QT December 12, 2025
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無防備都市宣言をしたにも関わらず、進駐後虐殺があった例はある(アルデアティネ洞窟虐殺)し、宣言を無視して思いっきり攻撃された例(マニラ、ベオグラード)もあるよ。
確かに抵抗すればやり返されるってのは一見説得力がある様に見えるけど現実はその逆の例もあるからその推測を持って「抵抗しないのが普遍的な最適解」としてしまうのは無理があると思う。
ましてや虐殺事件の責任の所在を虐殺者との間で相殺されてしまう可能性を考慮するとちょっと難しいよね。 December 12, 2025
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本日よりフィリピン入りしまして!!
#Centimillimental WORLD TOUR 2025-2026 “Cafuné”
フィリピン・マニラ公演ドラムにて参加させて頂きます!!
3年ぶりの #センチミリメンタル
楽しみです!!
よろしくお願いします♪ https://t.co/KypHzkuoEr December 12, 2025
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ワールドツアー3公演目のフィリピンマニラ公演でしたー!!
お客さんの熱気がすごくて圧倒されました。
温詞君の声がかき消されるくらいの大合唱でした🙌
フィリピンもご飯がめっちゃ美味しかったです!(そればっかり😂 https://t.co/8g9t8nzRhn December 12, 2025
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サンパウロが静かすぎて不気味🇧🇷
南米最大の都市で人口2,000万人いるとは思えないほど歩いている人がいない
警察がいない地域はマジで人が少なくて、危険というよりは不気味な感じ。マニラのマカティに近い雰囲気がある🇵🇭 https://t.co/waZBqeWHyz December 12, 2025
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マニラ市で悲惨な事故…
道路の穴にハンドルを取られたバイクが転倒し、隣のバスに巻き込まれて運転手が死亡。
フィリピンの道路事情、本当に“ファイナルデスティネーション感”がすごい…😨
バイクに乗る人はマジで気をつけて…🙏https://t.co/BCg3uExKAZ December 12, 2025
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マニラのファンへのメッセージ
一部英語になっているので
温詞さんの英語を聴きたい方はぜひ見てみてください☺️ https://t.co/JxsyrgiHfP December 12, 2025
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昭和15年の映画『秀子の応援団長』に巨人のリヴェラ(アデラーノ・リベラ)が出ている?
確かに撮影は昭和14年12月2日、3日で、同日に行われた巨人のマニラ遠征壮行試合に出場はしているが。試合の合間にはミルク・ブラザーズも出演。 https://t.co/h4lxh0foEC December 12, 2025
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PEBACAマニラでBurnoutSyndromeの予告をおふがんと一緒に観れたの嬉しかった☺️
これはあたぱんさんの羽になるおふくん((👼🏻))
#PEBACAConcertinManila
#ออฟกัน #OffGun
#BurnoutSyndromeSeries https://t.co/ePElXnD3Pd December 12, 2025
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卒業旅行シーズンになるとセブパシフィック航空 5J14(マニラ→ドバイ)の客層が欧州旅行目的の倭国人大学生だらけになりドバイ国際空港でフライドバイ ペガサス航空 AJet FlyOne スマートウィングス ウィズエアーの経由便(LCC)に乗り継いで欧州各地に大挙して向かう光景が見られるという話は本当? December 12, 2025
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【太平洋戦争と銀行】身柄拘束、船は沈没…ニューヨークやロンドンで銀行員に起きたこと
なぜ倭国は「無謀な戦争」ができたのか?
未曾有の戦争の「舞台裏」には、銀行員たちの奮闘があった。注目の新刊『太平洋戦争と銀行( https://t.co/Sz3aOLsx19 )』では、植民地経営から戦費調達、戦争の後始末まで、お金から「戦争のからくり」を解き明かす。
(本投稿は、小野圭司『太平洋戦争と銀行――なぜ倭国は「無謀な戦争」ができたのか( https://t.co/Sz3aOLsx19 )』の一部を抜粋・編集しています)
■資産凍結から引き揚げへ:ニューヨーク・ロンドン
昭和16年12月7日(現地時間)に倭国が米英蘭に宣戦を布告すると、米国でも日系銀行は接収され営業許可は取り消しとなり、行員たちは連邦捜査局(FBI)に検束された。住友銀行ニューヨーク支店は、閉鎖の準備中に接収となった。もちろん香港やマニラのように、倭国軍が占領して彼らが「解放」されることはない。
ニューヨークで検束された銀行員のほとんどは、自由の女神像に近いエリス島の宿舎をあてがわれた。翌年2月には、彼らはエリス島の東100キロのところにあるキャンプ・アプトンに移された。米陸軍の徴募兵入隊センターとして使われていた場所で、倭国人のほかに拘束されたドイツ人、イタリア人もいた。ここには真珠湾攻撃に特殊潜航艇乗組員として参加して米軍に捕らえられ、太平洋戦争で初めて捕虜となった酒巻和男少尉も、他の倭国人収容者とは隔離して収容されていた。
米国らしいというか、収容所では新聞を読めた。その頃は倭国軍が優勢で、紙面には倭国の勝利や連合国敗戦の記事も掲載されたが、読むのを制限されることはなかった。
昭和17年3月にドイツ人、イタリア人と共に首都ワシントンに近いキャンプ・ミードに移送される。
彼らは昭和17年6月(第1次)と翌年9月(第2次)の交換船で帰国した。交換船は2回ともニューヨーク港発だが、ハワイや西海岸の支店・現地法人に勤務していて抑留された銀行員たちも、これで帰国している。
帰国に際して米国は、収容者による自炊・収容所の清掃は「労役」であるとして、「俘虜の待遇に関する条約」(1929年)に基づいた賃金を収容者たちに支払った。「敵国に労務を提供したのではない」と反発する熱血漢もいたが、ほぼ全員が「賃金」を受け取り、それを残留する倭国人に寄付した。なお倭国は本条約を批准していない。
第1次日米交換船の帰国者たちはニューヨークを出港すると、リオデジャネイロで南米各地からの帰国者と合流する。その後アフリカ南東部のモザンビークに向かい、そこで倭国郵船の交換船「浅間丸」に乗り換えた。昭南(シンガポール)経由で横浜に帰ったのが昭和17年8月だ。第2次交換船はリオデジャネイロや南アフリカを経由後、インドのゴアで倭国郵船の「帝亜丸」に乗船して昭和18年11月に横浜に入港した。
交換船は交戦国間の協定で安全航行が保障されているが、交換船の任務が終了すると攻撃対象となる。「帝亜丸」は昭和19年8月にルソン島北西沖で、「浅間丸」は同年11月にバシー海峡で、それぞれ米潜水艦により撃沈された。
倭国は英国にも宣戦布告をした。加納久朗ら正金銀行ロンドン支店の行員は、日英間で戦争が始まって3ヵ月ほど経った昭和17年3月に身柄を拘束される。彼らは他の在英倭国人たちと共に、大ブリテン島とアイルランドの間にあるマン島に収容された。ここは第1次大戦でも敵性外国人の収容地として使われ、第2次大戦では倭国人のほかにドイツ人、イタリア人、オーストリア人、ハンガリー人、フィンランド人らが収容された。
正金銀行の行員は昭和17年7月の日英交換船・第一系統でリバプールを出港、モザンビークからは交換船「龍田丸」に乗って横浜に帰った。
「浅間丸」と「龍田丸」は、昭和4~5年より太平洋航路に投入された豪華客船だ。船内には住友銀行横浜支店の出張所があり、外貨両替、旅行者小切手(トラベラーズ・チェック)売買、預金の受け入れ・払い出し、外国送金などを扱った。大西洋航路では米英などの銀行が船内店舗を開設している例はあったが、太平洋航路では「浅間丸」「龍田丸」(それと「秩父丸」)の住友銀行が初めてだった。この船内出張所は、太平洋戦争勃発前の昭和16年8月に閉鎖となっている。
「龍田丸」は昭和18年2月に伊豆諸島の御蔵島東方沖で、米潜水艦により撃沈された。また交換船ではないが、日欧間最終定期便に運航された「伏見丸」も、昭和18年2月に御前崎沖で米潜水艦の攻撃により沈没した。
引用元『太平洋戦争と銀行――なぜ倭国は「無謀な戦争」ができたのか』では、どのように「国力の水増し」を行ったのか、植民地経営から戦費調達、敗戦後の「清算」まで担っていた銀行員(バンカー)たちの「知られざる血と汗と涙の奮闘記」を描いている。
https://t.co/Sz3aOLsx19 December 12, 2025
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【12月/フィリピン武術講習会特別企画】
バートン・リチャードソン師/
カリスイラストリシモの世界 /
2025年12月10日(水)- 11日(木)/ 東京
19:00-22:00 (各日)
京王線・幡ヶ谷駅 徒歩5分
詳細:https://t.co/BV4EPm6UIZ
ご参加お申し込み、受付中です!
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この講習会には特別な参加資格等はなく、ご興味のある方はどなたでも大歓迎です…正直なことを言うと初心者でいきなり飛び込んでくると内容が進むにつれて『難しい…』と感じられるかもしれません。
けれど、何より体験したい、触れてみたい、『百聞は一見に如かず』という方、熱意のある方…どなたでもご参加大歓迎です…!
長年に渡り武術の世界にて稽古、研究、探求を重ねられ、実践されてきた第一人者の技芸に触れることのできる稀な機会になると思います。
この度は年末の忙しい時期、開催が平日の夜間となり恐縮ですがご縁のある皆様にお越し頂けますと幸いに思っております。
皆様どうぞよろしくお願い致します🙏🏻
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以下はバートン先生より講習会メッセージのご紹介↓↓↓
倭国の皆様へ
この度の講習会ではグランドマスター/アントニオ・タタン・イラストリシモの技芸についてご紹介していきたいと思います。
私は幸運にも1994年、そして1996年にフィリピンのマニラにてタタンから直接手解きを受けると共に、トニー・ディエゴ師、クリストファー・リケット師らと共に稽古を重ねる機会に恵まれました。
また、フィリピンに赴く前から、ダン・イノサント師父、エドガー・スーライト師を通じて、「カリス・イラストリシモ」の体系に触れ、稽古していたことは、これらの旅を通じての稽古を最大限活かすことに繋がっていたと感じています。
そして、タタンの元で指導者資格を得ることとなり、その際にはタタンから「この体系を広めてほしいと欲しい」と言われました。
それから30年経った今…「カリス・イラストリシモ」という体系の一層の理解、そして皆様の武術への取組みに対しても資するところのあるであろう重要な”insight”をお伝えしていきたいと考えています。
是非、この度の東京での稽古にお越し頂き、タタンの「カリス・イラストリシモ」という技芸の世界を探求できればと思っています。
バートン・リチャードソン December 12, 2025
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マニラを旅しながら出会った70年代のフィリピン産ソフトロックをあつめてプレイリストをつくりました。
The Soft Side of Pinoy ’70s – Honeyed Manila Sound –
https://t.co/9aex7kC6BM December 12, 2025
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マニラ東方陸戦隊で、人肉食を小隊長(少尉)自身が(ほぼ間違いなく部下たちと)常習的に行い、それを 批判されると「死んだ人間の肉 送って 俺たちが戦って何が悪い(意訳)」と反論して、無事にそれで生還して倭国に帰ったという話がある。「何と言われても食った方が勝ちだ」とも言ったとか December 12, 2025
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ちょっと待って😳😳😳
マニラのベネフィットのとき、膝を撫でてるのは目撃したけど、膝裏をなで上げるのは初めて見たような気がする😳😳😳うわぁ!!!誕生日おめでとうKrist🤣
#คริสสิงโต #KristSingto https://t.co/pz4hFVYWPU December 12, 2025
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【講師紹介】
バートン・リチャードソン先生
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1979年より武術の道に入る。幸運にも生涯で初の稽古をリチャード・バストロ師父、そしてダン・イノサント師父によるオリジナル” Kali Academy”から始めることになる。
これまで武術の稽古・研究のために世界各国を旅し、フィリピンのマニラではグランドマスター/アントニオ・タタン・イラストリシモ、トニー・ディエゴ師、クリストファー・リケット師の下で稽古を重ね、タタンより「カリス・イラストリシモ」の指導資格を得る。
ブラジリアン柔術においては、マチャド兄弟、カーウソン・グレイシー、バレット・ヨシダ、ヘナート・ヴェリッシモ、マルセロ・ガルシア…らの名手の元を訪ね稽古を重ねる。
「棒術」に関する探求のために、南アフリカを訪れズル族の村に長期にわたって滞在しこれを修得する。
これまでに認可を得た指導資格については下記の通り…
・Full Instructor in Jun Fan JKD under Guro Dan Inosanto
・Full Instructor in Filipino Martial Arts under Tuhon Dan Inosanto
・Full Instructor in the JKD Grappling Association under Sifu Larry Hartsell
・Instructor in Thai Boxing under Master Chai Sirisute
・Guro in Penjak Silat under Pendekar Paul De Thouars
・Instructor in Kali Ilustrisimo under GrandMaster Ilustrisimo
・Fourth Degree Black Belt in BJJ (brazilian Jiu Jitsu) under Egan Inoue
・Instructor in Piper Knife System
・Black Belt in Nir Maman’s CT 707 Krav Maga
多岐にわたる経験から、民間・公的機関において武術・セルフディフェンス・競技格闘技といった幅広い分野において指導活動を行っている。
公式サイト:https://t.co/o7mR9JvID9
Instagram:https://t.co/eh1iCTyoiS December 12, 2025
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「開けてくれー!」と怒鳴ってみたが
誰も来ず
結局「戦闘解除」の喇叭が鳴るまで雪隠詰め
後で聴けばB29の爆撃で至近弾
鉄扉変形
高雄の南の左営で修理
修理後「行ったら帰れない」と
もっぱらの噂のマニラ港へ
到着12月25日
空襲もなく穏やかな一日
どうやらXmasで敵さんお休みだったとか? December 12, 2025
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