ポーランド トレンド
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2025.12.12 22:00
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ホワイトハウスで、キャロライン・レビット報道官がバッサリ言いました😤
「オバマケアを作ったのは民主党。共和党の票ゼロで可決して、その後、自分たちで高額なコロナ補助金を上乗せして風船のように膨らませた。
なのに今になって、その補助金を2025年で打ち切ると決めたのも彼ら自身だ」と🧨
お金をバラまいて、都合が悪くなったらスッと引く。
国民の暮らしをこんな風に”期限付き”で扱うのかと、問いかけた形です📉
そして一方、ウクライナ支援で命がけだったポーランドは…
NATOに尽くし、武器も難民も全力で受け入れてきたのに、
今や「使い切られた感」がすごい🗑️
ロンドンでの和平協議には招待すらされず、椅子は空席のまま。
ジュネーブの会議にも呼ばれず、外交の場から静かにフェードアウト⏳
兵器が枯渇した途端、何も言えない、何も渡せない国になった瞬間に…
NATOもゼレンスキーも、スッと離れていく😞
キャロライン報道官の言葉が突きつけるのは、この「使い捨て文化」の冷たさなのかもしれません😢 December 12, 2025
10RP
散々お金も血も流させといて、もう使えなくなったら即ポイ‼️
NATOって、どこまで冷酷なんでしょうか😡
ウクライナ戦争の最前線に立ち、武器庫を空にし、国境も基地も開放してきたポーランドが……今、ロンドンでの和平協議の場にさえ呼ばれていないんです‼️
呼ばれたのはフランス、ドイツ、イギリス、そして当然ウクライナ。
でも、あれだけ尽くしたポーランドの席だけ、まさかの空席😱
NATOの「盾」とまで呼ばれた国が、いまや部屋の外から指をくわえて見てるだけ。
和平サミットからも、ジュネーブ会議からも外されて……この仕打ち、あまりにも酷すぎます💥
しかもポーランドは、難民100万人も受け入れて、ウクライナ支援の物流拠点まで提供し、戦車・弾薬・兵器も山ほど送ったんです📦💣
一人あたりの国防費、NATO加盟国でトップですよ?😤
でもいま、手持ちの武器が底をついて、もう「使えるカード」が無くなった瞬間、冷たく突き放された。
平和維持部隊にも関わらない方針が逆鱗に触れたのか、完全に“要らない子”扱い…。
他の大国は今、新しい防空システムやミサイルを売り込み、ゼレンスキーに媚び始めてるのに、ポーランドだけ、何も貢げないなら話に入れてもらえないって😡💢
ドナルド・トゥスク首相は「出席してないのは褒め言葉」なんて強がりを言ってましたけど、あれだけ“NATOの忠犬”として働いたのに、この冷遇。笑えないですよね🧊
外交では「今、何を持ってるか」だけがモノを言う。
過去の功績も忠誠も、全部リセット。
使い捨て、それがNATOのやり方なんでしょうか🗑️👎
ポーランドの時代は、終わったのか。
それとも、これはほんの“氷山の一角”…?⏳ December 12, 2025
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このたび出されたアメリカの国家安全保障戦略(NSS)は従来のグローバルな覇権維持から地域的なバランスと経済優先へのシフトを強調している。つまりグローバリズムから愛国主義(ナショナリズム)。対欧州関係を見ると…
1⃣EUについては移民政策の失敗、低出生率、言論の自由の抑圧が国家アイデンティティを失わせ「文明の消滅」の危機を招いていると指摘。
2⃣欧州の「自信喪失」がロシアとの緊張を悪化させ、米国の仲介を必要とするが欧州自体が対処不能。
3⃣東欧諸国(ポーランド、ハンガリー、イタリア、オーストリアなど右派政権国)を優先パートナーとし、EUからの引き離しを支援。つまりEUの解体?
4⃣欧州内の「愛国的」運動(ハンガリーのオルバン政権やイタリアのメローニ政権)と連携し、EUの「反民主的」政策に対抗。ロシアとの「戦略的安定」を米主導で仲介しウクライナ問題を「外交解決」にシフトさせる。
5⃣スローガンは「NATOの永遠の拡大は終わり、欧州は自立せよ」「Make Europe Great Again」 December 12, 2025
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小林文乃『カティンの森のヤニナ』が、ポーランド外務大臣主催「外国語で書かれた最優秀歴史書コンテスト」特別賞を受賞しました🎊
独ソ戦最大の謎「カティンの森事件」。そのなかにたったひとりいた女性犠牲者の足跡を追う、歴史紀行ノンフィクション。ぜひご一読ください。
https://t.co/BqBKUEyPPc https://t.co/KranYq53VI December 12, 2025
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INTERVIEW【DORMANT ORDEAL】
「ポーランドのメタルは激しく、凶暴で、機械的でありながら、一貫した知性がある。僕はいつも知的な激しさが好きで、ライブでも家でも楽しめるようなものが好きなんだ」
VADER, DECAPITATED, BEHEMOTHの血を継ぐ波蘭の機械獣。インタビュー!!
https://t.co/nvSO618ifW https://t.co/EPDBpbfaiT December 12, 2025
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ポーランドボールとQuizKnockの動画のおかけで倭国の近代史までの歴史が坊やの頭の中に入ってて笑うwまーじで興味がある事の記憶力と好奇心は凄まじいなw勝手に調べて覚えてくるからたまに一緒に動画見よって言われて見たら解説されるのでビビるw December 12, 2025
ポーランドボールとQuizKnockの動画のおかけで倭国の近代史までの歴史が坊やの頭の中に入ってて笑うwまーじで興味がある事の記憶力と好奇心は凄まじいなw勝手に調べて覚えてくるからたまに一緒に動画見よって言われて見たら解説されるのでビビるw December 12, 2025
ナチスはワルシャワの旧市街を完全に破壊し、元のレンガごとにレンガを積み直して再建。昔の絵画を手本として用いられた。今日では少しだけ気取った感じがしてディズニーっぽい雰囲気だが、それでも通り抜けるのは喜びであり、ポーランド人の回復力の記念碑 December 12, 2025
ポーランドのお話聞けて嬉しかったナリ
新しい全ての物から逃げるようにお持ちのものや価値観をそのまま大切にされるひろさん
ぼくたちはひろさんの中の「古くて良いもの」で有れるように、ぼくたち自身が懐古そのものとして生きていきたいですよね
でもぼくは万能の風見鶏やん、何にでもなれるのよね December 12, 2025
戦後、デンマークはポーランドへの人道支援を行ったが、スターリン時代は両国の関係を完全に冷え切らせた。しかし彼の死後、雪解けが起こり、両国の外相が相互に国を渡り、バルト海を戦場にせぬ様努力した。経済/文化/科学でも関係は促進され、70年代までにポーランドはデンマークの最大の貿易相手国と December 12, 2025
ポーランドの天才ギタリスト、MARCINの倭国公演(大阪)行ってました
こんなにギターが弾けたらどんなに楽しいだろうと感嘆するばかり
また楽しそうに弾きなさる
さらに、サプライズでIchika Nitoさんがゲストで来てて激アツ😭
カッコよかったー!!(語彙が小学生化) https://t.co/RlfJ4y3cLY December 12, 2025
今年のフジロックの初日初っ端に観て度肝を抜かれたポーランドのギタリスト、MARCINの来日公演に行ってきた。
フジロックの時もそうだったけど、演奏があまりに凄すぎて、ギターってこんな楽器だったっけ?って新しいものを観ている感覚。 December 12, 2025
奇しくも修学旅行でポーランドへユンギペンの娘が出掛けたその日に待ちに待ったユンギが来た。まだ飛行機の中で何も知らないであろう娘。ミュンヘンに着いたら発狂するはず。ありがとうユンギ。本当にありがとう。母、泣く。 https://t.co/vr42PsdPQd December 12, 2025
【お知らせ】ワルシャワのショパン博物館は2026年1月1日〜12月31日まで改修のため休館になります。
展示リニューアルやバリアフリー化などを行い、再オープンは2027年1月の予定です。#ポーランド
#海外旅行
#ニュース December 12, 2025
1日遅れてしまいましたが、ナポレオン関連の歴史を調べるにあたって発見した興味深い人を紹介します。
1817年12月11日はマリア・ヴァレフスカヤの忌日です。
ポーランド貴族。ナポレオンの愛人。
由緒正しい名門貴族出身だったが、ポーランド分割によりほとんどの領地をプロイセンにとられており、さらに義勇軍に参加していた父の死などで生活は苦しく、マリアが16歳のとき、家の借金を肩代わりする代わりに43歳年上のヴァレフスキ伯爵と結婚させられる。彼女はこの縁談で肺炎になるほどショックを受けた。不幸な結婚をした彼女は、次第に信仰と愛国心に心の慰めを見出していく。
1806年、ヨーロッパを席巻し急速に勢力を拡大するフランスのナポレオンはプロイセンを駆逐しポーランドまで至る。12月18日、ワルシャワを訪れたナポレオンとフランス軍はポーランドの救い主としてポーランド人から熱狂的な歓迎を受けた。1807年1月7日、フランス主催の舞踏会にマリアは夫と共に出席しナポレオンと出会う。ナポレオンは美しい彼女に一目惚れし、花束や手紙を贈らせて彼女に求愛したが、貞淑な彼女はこれをことごとく無視した。
しかし、ナポレオンにポーランド復興の期待をかけた最後のポーランド国王の甥ユゼフ・ポニャトフスキや他の多くのポーランド人たちがポーランドのためにナポレオンの求愛に応えてくれるようマリアに頼んだ。夫のヴァレフスキ伯爵も承諾し、彼女はナポレオンの愛人になった。
自ら愛人になることを望んだわけではなかったが、次第にマリアはナポレオンを本当に愛するようになり、ナポレオンも、おだやかで慎ましく、欲がなく純真な彼女を「ポーランドの妻」と呼び深く愛するようになった。後年、夫のヴァレフスキ伯爵と離婚後、ナポレオンの兄弟姉妹達と一緒に過ごすが、皆マリアの人柄に好感を抱き、またナポレオンの前妻ジョセフィーヌもマリアに非常に好意を持ち、贈り物をするようになる。
1809年、マリアはナポレオンとの子を妊娠したが、自分とナポレオンとの先行きに不安を感じ「たとえあなたが私を愛さなくなっても、私はあなたを愛していることを忘れないでいて」と彫らせた指輪をナポレオンに贈った。マリアの不安は的中し、ナポレオンはジョゼフィーヌと12月に離婚した後、オーストリア皇女マリー・ルイーズと結婚するつもりでいることを知った。マリアは彼の計画の邪魔になってはとポーランドに帰った。ナポレオンは自分の野心のためにマリアを捨て、1810年、マリー・ルイーズと結婚し念願の王室と縁戚となる。一方マリアは同年5月、息子アクレサンダルを出産した。
1814年4月、皇帝を退位したナポレオンを心配したマリアは、ナポレオンのもとに駆けつけた。彼女はナポレオンの部屋に通されるのを朝から夜までずっと待っていた。しかし、結局会うことは叶わず、同年8月にはナポレオンに呼ばれエルバ島に行ったがマリー・ルイーズの件があるため、すぐに帰らなければならなかった。
復位後の1815年、ワーテルローの戦いに敗れたナポレオンと最後の別れをするため、マリアはアレクサンドルを連れてマルメゾン城を訪れた。マリアは1時間ほどナポレオンと過ごした。そして彼女は涙ながら、セント・ヘレナ島に連れて行って欲しいと言ったが叶わなかった。
その後、マリアはナポレオンと別れた事による心痛で食べ物をほとんど食べなくなり、やせ細り体調が悪化していき、1817年12月11日、31歳の若さで亡くなった。
セント・ヘレナ島に流されたナポレオンは部屋にマリアの肖像画を飾り、彼女から贈られた指輪は最後までナポレオンの指にはめられていたという。 December 12, 2025
@moronojapan 医療現場に居た身としては、現場現場に丸投げの移民政策には反対です。倭国人が我慢しなきゃいけないし、不利益を被るは間違っている。ポーランドを見習って欲しいですね。 December 12, 2025
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