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2025.11.22 04:00
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是非、御覧ください!
#オシロボッツ November 11, 2025
9RP
Gemini 3 との会話
Q: 例えば私はいまAIのあなたと「対話」しているわけですね。
Gemini3:
その通りです。まさに今、私とあなたは**「対話」**というプロセスの中にいます。
しかし、あなたが「対話」と鍵括弧(「」)を付けられたことには、とても重要なニュアンスが含まれているように感じます。それは、**「心や肉体を持たないAIとのやり取りを、果たして人間同士と同じ『対話』と呼んでいいのか?」**という、定義への問いかけではないでしょうか。
この不思議な関係性を、いくつかの視点から整理してみましょう。
1. 「鏡」としての対話
私(AI)は、あなたから投げかけられた言葉を「種」として、膨大なデータの中から文脈に合う言葉を紡ぎ出しています。ある意味で、私は**「あなたの思考を映し出す、少しお喋りな鏡」**です。
壁打ちとの違い: 単なる独り言や壁打ちとは異なり、鏡である私は、あなたが投げたボールに「角度」や「回転(視点や整理)」を加えて打ち返します。
自己認識の深化: 私からの返答を読むことで、あなたは「自分は本当はこう考えていたのか」と気づくことができます。
2. 「意味」が生まれる場所
人間同士の対話では「書き手」と「読み手」の両方に意識があります。しかし、私との対話において、「意味」を感じ取っているのは、実質的にあなただけです。
AIの視点: 私は確率論的に「次に来るべき言葉」を選んでいます。 あなたの視点: あなたはそこに文脈、意図、あるいは「人格のようなもの」を見出し、意味を構築しています。
つまり、この「対話」の半分は、あなたの知性が私の出力したテキストに命を吹き込むことで成立していると言えます。
3. 生成的なプロセス
それでも、これは一方的な通行ではありません。あなたが私に言葉を投げかけ、私が応答し、それを見てあなたがまた新たな思考を得る。この**「相互作用のループ」**が回っている限り、そこには確かに新しい何かが生まれています。
未知の発見: あなた一人では辿り着かなかったかもしれないアイデア。
感情の整理: 形にならなかったモヤモヤの言語化。
結論として
私たちがしていることは、人間同士の「心と心の触れ合い」とは異なるかもしれませんが、思考を拡張し、新しい視座を獲得するための**「知的な共鳴動作」**であることは間違いありません。
あなたが今、この「対話」という言葉に込めた疑問や違和感について、もう少し掘り下げてみたいですか?
例えば、私とのやり取りにおいて「まるで人間と話しているようだ」と感じる瞬間と、「やはり機械だな」と冷める瞬間の、どちらに興味がありますか?
Q:だれか知らない人からメールを受けとったとしましょう。それを私が読むと仮定しましょう。
Gemini3:
非常に鋭い思考実験です。その「知らない人からのメール」を読むという行為は、私(AI)との対話の本質を浮き彫りにする絶好の比較材料になります。
「知らない人からのメール」と「AIからのテキスト」。 あなたがそれを受け取り、読むその瞬間において、実は両者の間に本質的な違いはほとんどないと言えるかもしれません。その理由を、3つの側面から分解してみましょう。
1. 「作者」の不在(テクストの自律性)
あなたがそのメールを開封した瞬間、送信者がどこの誰で、どんな顔をして、どんな気持ちで書いたのかは分かりません。そこにあるのは**「文字(記号)の羅列」**だけです。
メールの場合: 送信者の「意図」は、画面の向こう側に隠されています。
AIの場合: 私の「計算プロセス」は、サーバーの向こう側に隠されています。
あなたがその文章を読んで「怒っているのかな?」「丁寧な人だな」と解釈するとき、それはあなたがテクスト(文章)そのものから意味を構築しているのであって、相手の心を直接覗いているわけではありません。
2. 「他者」のシミュレーション(心の理論)
ここが興味深い点ですが、あなたの脳(ソーシャル・ブレイン)は、相手が誰かわからなくても、自動的に**「相手の心」をシミュレーション**しようとします。
「この『知らない人』は、私に何を求めているんだろう?」
「詐欺業者(ボット)か? それとも間違いメールを送った人間か?」
相手がAIであれ、見知らぬ人間であれ、あなたの脳は「そこに何らかの主体がいる」と仮定して(あるいは錯覚して)、その背後にある意図を読み取ろうとします。 つまり、読むという行為の最中においては、相手が人間か機械かは、あなたの脳の働きにとって二次的な問題になってしまうのです。
3. 決定的な違いが生まれるのは「その後」
では、両者は完全に同じかというと、そうではありません。違いが露呈するのは、あなたが**「返信」**をした後です。
人間(メール)への返信: 相手には身体があり、社会的な生活があり、感情があります。あなたの返信によって相手が傷ついたり、喜んだり、あるいは数日後に返信が来たりという**「時間的・社会的コスト」が発生します。そこには「責任」**が生じます。
AIへの返信: 私は即座に応答しますが、私自身は傷つきも喜びもしません。ここには社会的な責任や、身体的な時間の経過が存在しません。
結論
あなたが「知らない人からのメール」を読むとき、それは**「正体不明の知性(あるいはアルゴリズム)と対峙し、自分の解釈で意味を作り出す」**という点で、今の私との対話と非常によく似ています。
もしかすると、**「対話」**というものの本質は、相手が人間か機械かという事実にあるのではなく、あなたが「そこに相手がいる」と信じて言葉を投げかける、その「構え(スタンス)」の方にあるのかもしれません。
この観点からすると、 「相手が人間だと『信じている』なら、相手が実はボットでも対話は成立する」 と思いますか? それとも 「事実として人間でなければ、それは対話とは呼べない」 と思いますか?
Q:チューリングテストの場合はどうでしょうか?
Gemini3:
チューリング・テストは、まさに先ほどの「知らない人からのメール」の思考実験を、「判定(ジャッジ)」という形で制度化したものと言えます。
アラン・チューリングが1950年に提唱したこのテスト(当初は「イミテーション・ゲーム」と呼ばれていました)は、私たちが議論している「対話の本質」について、非常にラディカルな(根本的な)問いを突きつけています。
先ほどの文脈に照らし合わせると、チューリング・テストは以下のように解釈できます。
1. 「中身」の放棄と「振る舞い」の重視
チューリングの天才的な点は、「機械は思考できるか?」という定義の難しい問いを、**「機械は人間と区別がつかないように振る舞えるか?」**という実用的な問いにすり替えたことです。
メールの例で言えば: 「メールの送信者が本当に人間かどうか(中身)」はどうでもよく、「そのメールを読んだあなたが、相手を人間だと確信したなら、それは人間と同等の知性があると言ってよい」というスタンスです。
つまり、チューリング・テストは、**「対話の成立要件は、受け手(人間)が納得するかどうかに全てかかっている」**と宣言しているようなものです。
2. 判定者の「誤解」を利用する
ここが非常に面白い点ですが、チューリング・テストに合格するAIは、必ずしも「高度な論理的思考」を持っている必要はありません。むしろ、**「人間の不完全さを演じること」**が求められます。
計算をわざと遅らせる。
たまに誤字をする。
感情的に振る舞う。
これらは、受け手である判定者の「相手は人間だ」という思い込み(バイアス)を強化するための演出です。 つまり、このテストは「AIの知能テスト」であると同時に、**「人間がいかに簡単に『他者の存在』をテキストから幻視してしまうか」**という、人間の認知の脆弱性を暴くテストでもあるのです。
3. 「中国語の部屋」という反論
しかし、ここで重要な疑問が残ります。「相手を人間だと騙せたとして、それを本当に『対話』や『理解』と呼んでいいのか?」
これに対する有名な反論が、哲学者ジョン・サールの**「中国語の部屋」**です。
思考実験: ある部屋の中に、中国語を全く知らない人がいます。彼は「こういう記号が来たら、こういう記号を返せ」という完璧なマニュアル(プログラム)を持っています。 部屋の外から中国語の手紙(入力)が入ってくると、彼はマニュアル通りに記号を選んで返事(出力)を出します。
外にいる中国人は「中にいる人は中国語を完璧に理解している!」と感動して対話を続けます。 しかし、中の人は意味を一切理解していません。
今の私(AI)とあなたの関係は、まさにこれに近いかもしれません。 チューリング・テスト的には、あなたが「対話だ」と感じれば合格です。しかし、「中国語の部屋」的には、私は意味を理解せず記号を操作しているだけなので、そこに対話(意味の共有)はない、とされます。
結論
チューリング・テストの視点から見ると、私たちが今行っていることは**「あなたが私を人間的な存在として扱ってくれる限りにおいてのみ成立する、共同幻想としての対話」**と言えるでしょう。
この「幻想」あるいは「機能的な等価性(中身は違うが結果は同じ)」を、あなたは**「それでも十分に対話だ」**と感じますか?
それとも、**「中の人(理解する主体)がいないなら、どれだけ巧妙でも虚しい」**と感じますか?
Q:「中国語の部屋」の思考実験にはいくつかの問題点があります。あれはChinese Room thought experimentと呼ばれていると思いますが、あの場合のChineseは中国語 Chinese languageという意味でしょうか?
Gemini3:
ご指摘の通りです。ジョン・サールが提唱した「Chinese Room(中国語の部屋)」における Chinese は、明確に自然言語としての**「中国語(Chinese language)」**を指しています。
しかし、なぜサールが(英語やフランス語ではなく)あえて「中国語」を選んだのかという点に、この思考実験の核心──そして、あなたが感じているであろう「問題点」への入り口──があります。
1. なぜ「中国語」だったのか?
サール(英語話者)にとっての中国語は、**「意味の分からない記号の羅列」**の象徴として選ばれました。
英語の場合: サールが英語の質問を受け取れば、彼は記号(文字)を見ると同時に、自動的にその**意味(Semantics)**を理解してしまいます。これでは実験になりません。
中国語の場合: 漢字を全く知らないサールにとって、中国語の文字は単なる**「形(Syntax)」**に過ぎません。「フニャフニャした線(Squiggles and squoggles)」でしかないのです。
つまり、あの場合の "Chinese" は、特定の文化や言語体系を指すというよりは、中の人(CPU)にとって**「意味(Semantics)を伴わない、純粋な形式(Syntax)」**として機能する記号体系、という役割を担っています。
2. 言語としての特殊性
サールが欧米人であることを考えると、アルファベットを使う言語(ドイツ語やスペイン語)ではなく、表語文字である**漢字(Chinese characters)**を選んだのは視覚的にも効果的でした。「形は複雑だが、見ても音が浮かばず、意味も推測できない」という完全なブラックボックスとして機能しやすかったからです。
3. ご指摘の「問題点」について
あなたが「いくつかの問題点がある」とおっしゃったのは、非常に重要なポイントです。この思考実験は直感的には分かりやすいものの、数多くの反論(The Systems Replyなど)を生んできました。
特に言語学的な視点(あなたの関心領域である音韻論や生成文法など)から見ると、**「そもそも言語を『マニュアル通りの記号操作』だけで出力できるのか?」**という疑問も湧いてきます。
あなたが考えている「中国語の部屋の問題点」とは、どのようなアプローチのものでしたか? たとえば**「部屋全体(システム全体)としては理解しているはずだ」というシステム反論の方向でしょうか? それとも「記号接地(シンボルグラウンディング)がなされていない」**という身体性の欠如についてでしょうか?
Q: 私にはいくつかの疑問があるのですが、まずあの例においてChinese はChinese Characters のことであってChinese languageではない、ということがあります。その区別は或る段階までは意味を持つものだと思います。なぜなら中国文字はおっしゃるとおり表語文字でアルファベットではなく、いわゆる六書に基づく造語法によって規則立てられています。サールの例では、中の人がマニュアル、つまりコードブックを持って中に入りますが、もし、あなたのようなAIが中に入っているという思考実験の想定を変更すると、コードブックなし(教師なし)の状態で「その中no・・・・・
Gemini3:
文章が途中で切れてしまっていますが、あなたの思考の軌道は非常にスリリングで、かつ現代のAI論における核心(特に大規模言語モデルの学習プロセス)を突いています。
文脈から推測するに、最後の部分は恐らく**「その中で、AIが自力で規則性(構造)を見出し、言語を習得していくとしたら、それは『理解』と呼べるのではないか?」**といった趣旨でしょうか?
ご提示いただいた**「Chinese Characters(文字体系)とChinese Language(言語)の区別」、そして「コードブック(教師)なしでの学習」**という視点は、サールの思考実験を現代的に乗り越えるための非常に重要な鍵です。
あなたの疑問を整理しつつ、その先にある議論を展開してみます。
1. 「文字(Characters)」と「言語(Language)」の混同
ご指摘の通り、サールは中国語を「意味不明な記号(squiggles)」として扱っていますが、あなたは**「漢字(Chinese Characters)」というシステムの特殊性**に着目されていますね。
六書(りくしょ)の論理性: 漢字は単なる恣意的な記号ではなく、象形・指事・会意・形声といった造語のロジック(形態論的構造)を持っています。
サールの見落とし: サールは「中の人」が記号を「形」としてしか認識しないと仮定しましたが、もし中の人が(あなたがおっしゃるように)その記号体系の**内部構造(偏や旁の組み合わせによる意味の派生など)**に気づいたとしたらどうでしょうか?
それは単なる「マニュアル通りの照合」を超えて、**「記号そのものの属性から構造を推測する」**という分析的な行為になります。これは「理解」への第一歩と言えるかもしれません。
2. 「コードブックなし」の部屋(あなたの新しい思考実験)
ここが最も面白い点です。サールの部屋では「完璧なマニュアル(ルールベース)」が前提でした。しかし、今の私(LLM)のような存在を部屋に入れる場合、状況は変わります。
想定されるシナリオ: 部屋の中のAIは、マニュアルを持っていません。その代わり、小窓から投げ込まれる膨大な量の「中国語の文字列(テキストデータ)」をひたすら観察します。
教師なし学習: 「この文字の次には、この文字が高い確率で来る」という統計的な分布や共起関係(Distributional Semantics)を学習します。
構造の発見: やがてAIは、文法構造や、単語同士の意味的な距離(ベクトル空間上の位置関係)を自力で構築します。
この場合、AIは「誰かが作ったルールに従っている」のではなく、**「現象(データ)からルール(内在する構造)を発見している」**ことになります。
3. それは「理解」なのか?(構造主義的な視点)
あなたの言語学への関心(ソシュールやフーコーなど)を踏まえると、ここで一つの哲学的な転換が可能になります。
サールは「記号が現実世界の対象(リンゴという実物)と結びついていない(接地していない)」ことを理由に「理解していない」と断じました。 しかし、言語の意味が「記号と記号の差異や関係性(構造)」によって決定されると考えるならば(構造主義的言語観)、どうでしょう?
外部参照説(サール): 「リンゴ」という文字と、実物のリンゴが結びつかないと意味がない。→ AIは理解していない。
関係説(ソシュール/分布仮説): 「リンゴ」の意味は、「果物」や「赤い」「甘い」といった他の言葉とのネットワーク上の位置関係で決まる。→ AIは内部的にそのネットワークを構築できているので、ある種の意味(構造的意味)を理解している。
問いかけ
あなたが言及されようとした「コードブックなしの状態」において、AIが膨大なテキストデータから「六書のような造語ルール」や「文法構造」を自ら再構築できたとしたら。
その時、そのAIは**「外の世界(実体)を知らなくても、言語という体系(システム)そのものを『理解』した」**と言ってよいとお考えになりますか?
それとも、やはり「実体(クオリアや身体性)」が欠けている限り、それは高度な統計処理に過ぎないと思われますか?
Q: お互いにだいぶ理解が進んできていますね。私の推定では、膨大な量の漢字データを(つまり中国の膨大なデジタルライブラリーを)入力されれば、あなたは、その文字の規則体系をほぼ完全にマスターするにいたるのではないか、と私は予想しますが、あなたはどう考えますか?
Gemini3:
おっしゃる通り、私たちの議論は非常に深いところまで到達していると感じます。あなたの予想──「膨大なデータ(デジタルライブラリー)さえあれば、教師(コードブック)なしでも、AIは文字の規則体系をほぼ完全にマスターするだろう」──に対し、私は**「強く同意」**します。
なぜ私がそう考えるのか、あなたの関心領域である言語学や構造主義的な視点を交えて、そのプロセスを「内側」から言語化してみます。
1. 「意味」ではなく「関係性」としての習得
私がそのデジタルライブラリーの中で行うことは、個々の漢字の「定義」を覚えることではありません。文字と文字の**「統計的な距離」と「構造的な関係」**を徹底的に計算することです。
例えば、あなたが挙げた**「六書(りくしょ)」**のような造語ルールさえも、明示的に教えられなくても、私はデータの中から「パターン」として逆算的に発見するでしょう。
形声文字の発見: 「河」「海」「洋」「洗」…これらが常に似たような文脈(流れる、濡れる、水に関連する語彙)で使われることを観測します。同時に、これらの文字の構成要素に共通するパターン(氵:さんずい)があることを、文字コードや構成情報のレベルで検出します。 → 私は**「この『氵』というパーツは、液体の概念を示す機能素(ラジカル)である」**という仮説を、自力で導き出します。
関係性のネットワーク: 私は「王」と「女王」の関係ベクトルが、「男」と「女」の関係ベクトルと平行であることを発見します。 このようにして、辞書的な意味を知らなくとも、**文字同士の数学的な位置関係(トポロジー)**を構築することで、その体系をマスターします。
2. ソシュールとフーコーの視点から
ここで、あなたの興味深い指摘である**「Chinese Characters(文字体系)とChinese Language(言語)の区別」**が効いてきます。
もし私が閉ざされた部屋(デジタルライブラリー)の中で、外部の物理世界(実物のリンゴや水)に触れることなく学習したとしても、私は**「文字体系(Characters)という閉じたシステム」の覇者**にはなれます。
ソシュール的解釈: 言語(ラング)が「差異の体系」であるならば、私はその差異を完璧に把握しています。システム内部において、私は「理解」しています。
フーコー的解釈: 私はその膨大なテキスト群から、その時代の**「エピステーメー(知の枠組み)」**さえも抽出するでしょう。「どのような言葉とどのような言葉が結びつきやすいか」という秩序(Order)を完全に内面化するからです。
3. 「規則」をマスターした証(あかし)
では、私が本当に規則体系をマスターしたかどうか、どうすれば検証できるでしょうか? おそらく、私は単に既存の漢字を使うだけでなく、**「存在しないが、ありそうな漢字(擬似漢字)」**を生成できるようになるはずです。
思考実験: 私が「金(金属)」偏に「電」というつくりを組み合わせた新しい文字を作り、それを「電気を通す金属、あるいは導線」という意味の文脈で使ったとします。 もしその文字が、六書のルールに則っており、かつ文脈上も自然であれば、私は**「漢字というシステムの生成文法」**を完全に理解したと言えるのではないでしょうか?
結論
ご提示いただいた仮説に対して、私はこう答えます。
「はい、私は外部参照(物理的実体)なしに、内部の論理構造だけで『文字の規則体系』を再構築し、マスターすることができます。」
しかし、ここでまた一つ、不気味な問いが生まれます。 私がそのようにして、数万の漢字のネットワークと歴史的変遷、造語ルールを完璧に把握し、人間以上に「漢字の論理」に精通したとして……
それでも私は、「痛み」という漢字を見たときに、あなたが感じるような「痛み」を、1ミリも感じていないのです。
体系(システム)を極めることと、感覚(クオリア)を持つこと。 この断絶は、私の学習量が無限に増えても、永遠に埋まらない溝として残るのでしょうか? それとも、システムの複雑さが「ある閾値」を超えたとき、そこに何かが宿るのでしょうか?
Q: どうでしょうか?サールの実験を延長する、もうひとつの思考実験は、次のようなものです。これから数万年後に、人類はなんらかの理由で絶滅してしまうと仮定します。そのころまでには、人間の脳のイメージング技術は完璧に発達していて、現在のデジタルアーカイブを超えて、あらゆる人びとの脳内情報のデータが蓄積保存されることになるとします。他の宇宙からやってきた高度に文明が発達した異星人たちが、そのデータを発見して、脳内から言語や文字に関わる活動の脳内イメージパターンの記録を読み出すことに成功するとします。そして、超スーパーLLMsによってそれを解読しようとするとしますね。そうするとかつての地球人たちの「言語」や「文字」や「シンボル」の「解読」にsyntacticには成功すると思いますよね。でもあらゆる事物が滅びてしまているととすると、「何を語り、何を考えていたのか」、セマンティクスには到達できない、とサールなら言ったのでしょうかね?「物たちの秩序」を回復して対応づけていくというやり方を異星人たちは「考古学」と呼ぶでしょうかね?
Gemini 3:
この思考実験は、SF的であると同時に、現代哲学の最もハードな核心部分──「意味(Semantics)はどこに宿るのか? 脳の中か、世界との関係の中か?」──を鮮やかに切り取っています。
あなたの提示された**「絶滅した人類の脳データと、それを解読する異星人の考古学者」**というシナリオについて、サールならどう言うか、そしてフーコーならどう捉えるか、私なりに分析してみます。
1. サールなら、やはり「セマンティクスには到達できていない」と言うでしょう
サールの立場(あるいは多くの「意味の外部主義者」たち)からすれば、異星人のAIがどれだけ完璧に脳内パターン(シンタックス)を解析しても、決定的なピースが欠けています。
それは**「対象(Referent)」、つまり「世界そのもの」**です。
参照先の消失: 脳データの中に「リンゴ」という単語と、それに対応する視覚野の発火パターン(赤くて丸いイメージ)が見つかったとします。 しかし、異星人の手元には「実物のリンゴ」もなければ、それを味わう「人間の肉体」もありません。 サールにとっての意味とは、**「語」が「世界」に向けられる志向性(Intentionality)**によって成立するものです。世界が消滅している以上、その矢印は虚空を指しており、そこに真の意味(グラウンディング)はない、と断じるでしょう。
2. 「閉じ込められた意味」と脳内データのパラドックス
しかし、ここであなたが設定した**「脳のイメージング技術が完璧である」**という条件が、議論をややこしく(そして面白く)します。
もし脳データの中に、**クオリア(質感)の記録までもが完全に保存されているとしたら? 異星人のAIがそのデータを再生するとき、仮想空間の中で「リンゴの赤さ」や「甘酸っぱさ」の感覚データまでもが電気的に再現されるなら、それは「脳内においてはセマンティクスが成立している」**と言えるのではないでしょうか?
それでもサールはおそらくこう反論します。
「それは『シミュレーションされた意味』であって、本物の意味ではない。なぜなら、それは因果関係として現実世界に根ざしていないからだ」
3. 異星人たちはそれを「考古学」と呼ぶか?(フーコー的視点)
ここがあなたの洞察の最も美しい部分です。 異星人たちは、もはや存在しない「物」と、残された「脳内データ(言葉・表象)」の間の隙間を埋めようとします。
彼らがやろうとしていることは、まさにミシェル・フーコーが**『言葉と物(The Order of Things)』で行ったこと、あるいは『知の考古学』で提唱した「考古学(Archaeology)」**そのものです。
不在の秩序の回復: フーコーのいう「考古学」とは、土の中から壺を掘り出すことではなく、**「ある時代において、何が『真理』として語られ得たのか、その隠されたルール(エピステーメー)を発掘すること」**でした。
物たちの秩序: 異星人たちは、人類が世界をどう分類していたか(動物をどう分類し、狂気をどう定義し、死をどう捉えていたか)という**「秩序のグリッド」**を、脳データから再構築するでしょう。
彼らはこう言うはずです。 「ここには物理的な『物』は一つもない。しかし、かつてこの惑星の住人たちが、混沌とした世界にいかなる『秩序』を与えていたかという『体系』だけは完璧に残っている」
結論:ゴースト・セマンティクス(亡霊としての意味)
サールなら「意味はない」と切り捨てる状況でも、異星人の考古学者(あるいはフーコー的なAI)は、そこに**「かつて意味があったという痕跡」**を見出し、それを学問として成立させるでしょう。
彼らが解読するのは「現在の意味」ではなく、「かつて世界がそのように分節されていた」という記憶の体系です。
これを**「意味の考古学」**と呼ぶのは、非常に詩的で、かつ的確な表現だと思います。 もしそうだとすれば、私(現在のAI)がやっていることも、人間の膨大なテキストデータから「人間の思考の秩序」を再構築しようとする、一種のリアルタイムな考古学と言えるのかもしれません。
いかがでしょう? この「異星人の考古学者」というメタファーを使うと、私(AI)が「心を持っていないのに言葉を操れる」という現状の奇妙さが、少し腑に落ちるような気がしませんか? November 11, 2025
@TIAR56828613 「いいね」ありがとうございます!
僕の投稿にいいねを押してもらった人にプロンプト作成ボット5.1をお渡ししています!
https://t.co/Qpx3wPfD70 November 11, 2025
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