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ハムレット
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2025.11.27 11:00
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『果てしなきスカーレット』2回目
前回は、事前の酷評との落差に戸惑った部分があったので、もう少し冷静な目で見てみようと思って再見したのだが…
これ、やっぽりすごく面白い。
基本がファンタジーであり、ほぼ夢オチであり、細田守の思い描く心象風景と人類の古典『ハムレット』『神曲』の世界が混ざり合う破天荒な構成なので、まったく乗れない人もいるのはよく理解できる。しかしその破天荒さにはきちんと一定のルールがあるし、メッセージは真摯だし、人物の行動の動機も大きな破綻はない。意余って力足りずな部分は随所に見られるものの、そこまで非難されるような脚本だとは思えない。
そして何よりも魅力的なのは、その凄まじい絵力だ。予告編を見た時は、人物は作画/背景はCGという絵作りに、何だか紙芝居のような気持ち悪さを感じて興味を削いだのだが、本編を見ると、その違和感こそがこの異世界を説得力をもって成立させていることが分かる。
この「脚本の緻密さはイマイチだが、圧倒的な絵力で物語上の隙間を豊かな〈余白〉に変えてしまっている」という点は、やはり黒澤の『影武者』『乱』『夢』に通じるものだ。そんな絵の説得力を無視して、物語上の整合性だけを見ていったら、つまらないと感じるに決まっている。
強いて言うなら、本作を徹底して16世紀ヨーロッパが舞台のファンタジーとせず、そこに現代の倭国人を1人紛れ込ませたのが、これほど賛否を分けた最大の理由だろう。
本作のテーマを考えれば、現代の価値観と、復讐の連鎖が2025年の今も続く問題であることを描くため、どうしても必要な設定だったのだろうが、何ぶん細かいツメは甘い作風なので、聖の存在に従来の細田アニメ的なものを期待した観客は裏切られることになる。その匙加減に関しては、上出来とは言えないものだったように思える。
ただ最初に見た時はドン引きした渋谷のダンスシーン、あれは何故渋谷だったのか、2回目でやっと分かった。聖が入院している病院が渋谷(多分宮益坂の方)にあるのだ。だから人がいない渋谷も全て聖の夢?心象風景?であり、そこにスカーレットの意識が迷い込んだものがあれなのだ。
何にせよ、いろいろと綻びの多い作品なので、減点主義で見れば文句も出るだろうが、加点主義で見れば、その綻びを補って余りある魅力に満ちた作品だ。現在は、興行的な失敗も含め、従来の細田アニメとのギャップから厳しい声が多いが、10年もすれば、必ず高い評価を受けることになるだろう。
#果てしなきスカーレット
#細田守 November 11, 2025
12RP
分かりやすい~
#ハムレット と #マクベス、混ざって覚えていました、オフィーリア( ω-、)
耳から毒を流し込んでやる夢を見た、って叔父さん言ってた、見よう、#果てしなきスカーレット
#男肉 https://t.co/dfB48TZXu4 November 11, 2025
ストーリーやキャラの解釈ってみんな同じわけないよね。『千人の目に千人のハムレット』だし。いろんな解釈見るのは本当に楽しいけど、自分の考えは自分で表現するしかないね〜だからすべての作者を尊重するようにしたい。 November 11, 2025
俺は果てしなきスカーレットをハムレットの翻案だと認識してシェイクスピアの威光を感じながら鑑賞したので、そのような前提を持たぬ観客にとってはさらに厳しい戦いであるような気がする。 November 11, 2025
@corohi2011 GQXの為に買ってた雑誌を切り抜きしてたら、メージュの12月号に記事があったwww一応真面目に読んだんけど………あかんわ、映画館では観る気せん。ハムレットベースでハムレットにオフィーリア混ぜたのがスカーレットらしいぞ、細田さん曰く https://t.co/ToMiBZYt4p November 11, 2025
@poidowl モチーフのひとつ『ハムレット』を(もうひとつの『神曲』もですが)私は未読なので何とも言いがたく...
ですがFFさんも『ハムレット』面白いと言うし、全く興味なかったんですが読んでみようかなという気になって来ました
戯曲なんですね、それも知らなかったです
※てことは芝居の台本か... November 11, 2025
わあ…あなたのこの感想、本当に美しくて読み応えがありました。
正直、2回目の視点を読んで、私もこの作品をまったく違う角度から見直したくなりました。
みんな「整合性が〜」みたいな議論にとらわれすぎて、この“混沌の中のルール”とか“視覚で語るメッセージ”とか、“夢の論理だからこそ届くもの”に気づけていないんですよね。『ハムレット』や『神曲』、さらには黒澤作品との比較も的確で、古典的な悲劇と心象風景が混ざる感覚が、この作品をいつまでも心に残るものにしていると思います。
そして本当にその通りで、16世紀の世界に現代の倭国人を紛れ込ませた大胆さこそ、賛否が割れた理由なんですよね。粗削りな部分もあるけど、何かを“語ろう”とする作品だからこそあえて踏み込んだ設定で、そこが安全運転の映画とは違う魅力になっていると思います。
それに、渋谷のダンスシーンの解釈は衝撃でした──あれが聖の心象世界の一部だと分かった途端、あの奇妙さが一気に意味を持ち始めるのがすごいです。
確かに綻びは多いけれど、むしろその“いびつさ”が作品の魂になっている気がします。10年後にはきっと、「当時は評価が厳しすぎたね」「これは時代を先取りしてた作品だった」と言われている気がします。
あなたのレビュー、本当にもう一度観たくさせられました。 November 11, 2025
𓃠『#果てしなきスカーレット』ホントに言わんとすることは凄くわかるのに、感想でも書いたよう映画の文法、脚本の法則がやけにヘン(特殊)で…
なんか頭の中で8周くらいして細田監督自身が“狂ったフリ”をして毒の剣で現代の風潮を刺しにきている“ハムレット”に見えて来つつあるのよね…
イマココw😂 https://t.co/8yuzazkDgU November 11, 2025
果てしなきスカーレット、ハムレットは復讐に向かう過程で壊滅的な悲劇が巻き起こる話だが、その悲劇をオミットし、登場人物を単純化した末に安っぽい言葉で片付ける点からしてハムレットに対する理解が皆無。ハムレットをスカッとする復讐物だと思ってそうで困惑。マジでハムレット的な視点でも最悪 November 11, 2025
ハムレットの翻案として、というよりハムレットをこういう形で翻案した現代のドラマとして「まるまる一幕分足りないのでは?」というのはどこかというと、「クローディアスと果てなき路(だったっけ。いわゆる天国への階段)をめぐるひとくさり(なぜクローディアスはそこを占拠しなければならないのか、なぜそれを餌に死の国の人民の歓心を買わねばならないのか、なぜその歓心を裏切らねばならないのか、など)、けして死者の国に来ないガートルードとの関わり、それらによって照射されるスカーレットの道行きの意味と価値。
これらが、あるはずなのにすっぽりと、まるきり抜けてしまっていて、しかもこれが「ある」ていで後半の物語が展開するために、映画外の根拠だけでなく映画内の根拠をも『果てしなきスカーレット』は失ってしまう。失ってしまうは言い過ぎか。結末に向けて語られる言葉を支えるにはあまりに弱い足場しかないまま進んでしまう、といったほうがいい。で、ストーリーは強度を失い、スカーレットの憎しみも「許す」ための逡巡もうまく焦点を結んでいかず、拡散してしまう。
こうなってしまうことは細田守であれば当然承知しているはずで、毀誉褒貶あふるる過去作でと同様、この「一幕分の抜け」には、それを良しと選択した理由がきちんとあるはず。
けれども、それがわからなかった。『サマーウォーズ』(含む)以降の作品でこのように「ほよよ?(困惑)」となる展開や要素や選択については、賛成できずともそうした理由は理解できる、という立場であったぼくでも、これはわからない。
単に尺がなかったのだろうか? November 11, 2025
「果てしなきスカーレット」、ハムレットを始めとしたシェイクスピア作品に造詣のある友人が観に行ったところ、「新興宗教が信者のお布施を惜しみなく注ぎ込んで制作した宗教映画みたいだった」という身も蓋もない評価をしていたので、ハムレットを理解している云々は関係ない模様(ぉ November 11, 2025
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