恩師 トレンド
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2025.12.15 06:00
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2023年シーズンから水戸ホーリーホックのオフィシャルパートナー企業になったけど、もともとそうするつもりなんて毛頭なくて、でもそれを3シーズンやってたらクラブがJ2優勝&J1昇格してしまったその企業の社長が思うことを今日は書きます
いま54歳の自分が子供のころ、地元の茨城にプロスポーツはなくて、中学でバスケやってバスケ雑誌とか読むようになり、当時の倭国ではプロ野球と相撲くらいがプロスポーツで、プロ野球は都市というより前面にはスポンサー企業が冠として出る感があったが、アメリカではバスケだけじゃなく各スポーツでその街の名前をつけたチーム名で熱く盛り上がってるのを知り、なんかかっこええと思いました(サッカーやってたらヨーロッパこそがもっと昔からそういうのが熱いと知れたんだろうけど)
その線からアメフトを見るのが中学時代に好きになり、高校大学ではアメフトをやりたくて、当時東京の強豪高校に行くことを真剣に目指したけど諸般の事情により断念
でも、地域や街がスポーツで一つになるということに対する憧れがその願望の根底に強くありました
20代になりJリーグが始まり、地元茨城に鹿島アントラーズというプロスポーツチームが生まれました
プレーヤーとしてはそれまでサッカーはやってなかったけど「地元にプロスポーツが来た!」と嬉しくてそれから鹿島を中心にサッカーをよく見るようになったのです
いまから4~5年前に高校の恩師から連絡があり、「お前より学年で三つ後輩で俺の教え子が水戸ホーリーホックの社長になったから、よかったら応援してやってくれ」とのこと
当時は一応地元茨城でJリーグに所属するプロスポーツチームだし新聞とかでは勝ち負けや順位を少し気にする程度の存在、そしてプライベートな関係から会社に何かしらの金銭的負担をかけることは自分の流儀に反するので、私のなかではその恩師の言葉を少しネガティブに感じたのです
でも、本当に世話になった恩師からの話だったので、何とはなしにクラブのサイトを見てみたらそのブランドプロミスには「新しい原風景をこの街に」とある
子供のころの私の原風景は「プロスポーツがない茨城」、でもいまの子供たちのは「プロスポーツがある茨城」
この土地で商売をさせてもらい、自分の生活を含めて会社がこの地域のなかで成り立っていること、自分の原風景といまの子供たちの原風景の違い、そしてそれをさらにこの先のこの地域の子供たちの新しい原風景をつくるお手伝いをするのは何ら会社の目的と齟齬はない、自分自身や自分の会社がこのクラブの地元での価値を上げることができれば、それはもちろん個人的な喜びでもあるけど、この地域で商売をしている自分の会社にもきっといろいろなプラスがあるに違いない、もちろんクラブにとってそれはプラスになる
そのことを役員中心に社内に訴えて、最後はちょっと強引だったかもしれないけど(笑)、水戸ホーリーホックのスポンサーになると会社として決めたというわけです
そんな経緯で2023年シーズンからパートナー企業となったわけだけど、そののちクラブの運営をそれなりに近い立場で知るうちに小島社長の覚悟を持った経営姿勢、西村GMの信念に裏付けられた様々なアクション、これらへの共感がどんどん増していくこととなりました
そしてこのクラブが「使命/存在意義 - ミッション 」として掲げる「人が育ち、クラブが育ち、街が育つ」が、ただ掲げられているかっこいい言葉ではなく、西村さんが本気でそのために何をすべきかを考えに考え抜いてやっていることなのだと知り、そこへの共感がどんどん大きくなって私のなかでこのクラブを応援することの最大のモチベーションとなりました
「育成の水戸」と呼ばれるけど、それは「サッカーが上手い人」を育成するのがうまいというだけではなく、「自分は何のためにサッカーをやっているのか」を突き詰めさせることで「プロとしてサッカーをやること」が目的ではなく、「何を目的としてプロとしてサッカーをやるのか」を選手本人に自覚させるというプロセスをしっかりこのクラブは持っている
こうした取り組みを通じて本質的なところで「人が育つ」のであって、だから「クラブが育ち」、ひいては「街が育つ」
水戸ホーリーホックが「街を育成する」ことの主体者のひとつにならんとしていると私は理解したし、そのことはアメリカのスポーツ文化に憧れを抱いた私の原体験に重なったのです
正直、2025年シーズンにこのクラブが成し遂げたことはとてもとてもとても嬉しいこと
まさにブランドプロミスの「新しい原風景」をこの地域の老若男女にもたらしてくれた
でも「使命/存在意義 - ミッション 」として掲げる「人が育ち、クラブが育ち、街が育つ」も愚直に続けて欲しいと同時に思うのです
でもこれを両立するのはすごく大変なことだと思います
J1に一度でも所属したことのあるクラブがある街は、(J2に降格したとしても)街を挙げてというムードがやはり違うし、応援する人も格段に多い
しかし、注目され人気が上がること全部がすなわち「街が育つ」ということには直結しない
目先の勝ち負けは勝負の世界ではもちろん大事、私もひとりのファンサポーターとして勝つことを常に望んでいるし、ときにはバックスタンドで自らの喉を痛みつけることもある
でも、そこに意識を持ちすぎることなく「人が育ち、クラブが育ち、街が育つ」を貫いて、たとえJFLに行こうとスタジアムが常に満員になり、街がクラブの話題で持ちきりになる、そんな地域や街に一緒に育てていきたい
それこそ責任企業がない市民クラブにしか作れない文化
責任企業がないからこそつくれる価値
愛国心みたいなものかもしれません
それがあればクラブは少なくともこの先100年やっていけると私は思います
優勝&昇格が決まったあとに知ることになった事象のクラブ内の裏側なんて別に知りたいとはまったく思わないが、優勝昇格したことやそのことで、このクラブが掲げていることの芯はブレないで欲しいし、それをさらに進化させて欲しい
地域や街を育てるってそういうことではないかと
そして、そこがブレないとしたら、応援してくれる企業経営者はこれからきっともっといると私は信じるし、自分も営業しますわ
#水戸ホーリーホック
#新しい原風景をこの街に
#人が育ちクラブが育ち街が育つ
#Jリーグ December 12, 2025
17RP
安藤政信さん演じる広中先生のモチーフの一人が、坂井瑠星騎手と一緒にドラマ出演を果たした帽子の調教師矢作先生(坂井騎手の恩師)。広中先生がファミリーで凱旋門を獲ったように、矢作先生もフォーエバーヤングでBCクラシックなど国際レースを勝っている
#ロイヤルファミリー https://t.co/vmIabf9US3 December 12, 2025
4RP
原田眞人監督は、映画への、そして人間への愛に溢れた方でした。現場での厳しさから一転、プライベートになると子供のように笑い、にこやかにされていたのを思い出します。
『燃えよ剣』でご一緒させていただき、私の恩師との繋がりもあり、昔から目をかけていただきました。 December 12, 2025
3RP
【いい選手がいい指導者を育てる】
高校生たちは今、冬季練習の真っ只中にいます。 凍えるような寒さの中、厳しいトレーニングに向き合う選手たち。
そんな彼らに、僕が高校時代の恩師・小柳勝彦先生(長崎南高校時代の先生)からいただき、今でも大切にしている言葉を伝えました。
それは、 「いい指導者がいい選手を育てる。そして、いい選手がいい指導者を育てる」という言葉です。
前半の「いい指導者がいい選手を育てる」というのは、イメージしやすいですよね。 知識や経験、そして人間性を兼ね備えた指導者が、選手の能力を伸ばしていく。これはある種、当たり前のことです。
でも、僕が指導者として年数を重ねるごとに、痛烈に実感しているのは後半部分。 「いい選手がいい指導者を育てる」ということです。
僕自身、指導者になって十数年が経ちますが、振り返ると「選手に育ててもらったな」という感覚しかありません。
大学でコーチを始めたばかりの頃、僕には指導実績も経験もありませんでした。 あったのは、根拠のない「若さと熱意」だけ。
そんな僕を、高い志を持った選手たちが、倭国一の景色、そして世界陸上やオリンピックという舞台へ連れて行ってくれました。
「世界陸上って、こういう準備が必要なんだ」
「オリンピックで戦うには、このレベルの思考が必要なんだ」
それを肌で感じさせてくれたのは、紛れもなく選手たちです。 選手のレベルが上がることで、「自分も負けていられない」「指導者としてもっと視座を高めなければならない」と、僕自身が引き上げてもらいました。
今の自分があるのは、間違いなく彼らのおかげです。
恩師の言葉は、指導者と選手が上下関係ではなく
「50:50」のフラットな関係
であるべきだ、と僕は解釈しています。 お互いが良い面を引き出し合う、パートナーのような関係性ですね。
だからこそ、僕が選手たちに掲げているテーマは「自走」です。
高校生はもうすぐ社会に出て、大人になります。 社会では一般的に「自立」が求められますが、陸上競技風に言うなら、ただ自分の足で立つだけでは足りない。 「自分の足で走り続ける能力」を身につけてほしいと願っています。
・自分で興味を持つ
・自分で学ぶ
・自分で行動する
これが僕の考える「自走」です。
僕が持っている50の力(知識や環境づくり)と、選手が主体的に取り組む50の力(熱意や行動)。 この両輪がガチッと噛み合った時に、想像を超えるような最高の結果が生まれるんじゃないかなと思っています。
「教育」という字は「教え、育てる」と書きますが、僕が目指したいのは「共に育つ=共育」です。
これは、職場でも家庭でも同じかもしれませんね。 一方的に教えるのではなく、お互いが刺激し合い、育て合う関係。
今週もそんなことを考えながら、選手たちと共に「自走」していきたいと思います。 December 12, 2025
昨日午後6時くらいは小雨がパラパラ降ってたから
ふたご座流星群はムリだろなって諦めてたんだけど
ふと深夜1時半頃外に出たらものの5分位で4個の流れ星見れた✨️
雨上がりの澄んだ空
綺麗だった~
一つは恩師
一つは恩人
一つは親友
一つは………だったかな? https://t.co/5Oyb6njDPG December 12, 2025
@gajumaru2525 おはようございます☁️
やらねばならないことばかりなのに、腰が重いです。😅年賀状印刷しました。宛名書きも頼めば良かったと思ってます。恩師が2人亡くなり、親戚も1人。余りそうな予感がします。 December 12, 2025
@XEiHKnvgv653779 おはようございます!私の大学時代の恩師は、剣道を学んでいても良い人とは限らないと話していました。心が良くない人が武道が強くなると恐ろしいですよね。最近闇バイトで捕まった青年は少年時代剣道を習っていたと記事で読んで残念でした😢 December 12, 2025
@dolqnin95 こないだ、恩師の話をしていただいて、もし、その恩師がいらっしゃらなかったら?って言うのを考えていたんです。
分岐点って、結構出会いで訪れるような気がするんですよね。
自分が右か左かを選んでる時じゃなくて、彗星のように誰かが現れて、カチッとスイッチを押してくれるみたいな感じ。 December 12, 2025
人相ってその人が今まで培ってきた人生が表れるものだと昔の恩師が言ってたけど、これほど「なるほどねー!」と一瞬でわかる人も凄いよなぁ https://t.co/dbWpel5ibf December 12, 2025
小学~大学の頃までお世話になっていた恩師と偶然会い、お家にお邪魔してライン交換した。今年85歳だそうで、見目はお元気そうだったけど、昨年救急搬送されたそうで。
定期的な連絡と、見守りをお願いして下さったので、「ぜひ喜んで」と承った。大好きな恩師なので健康かつ長生きしてほしい…。 December 12, 2025
1975年、22歳のウラジーミル・プーチンがKGBの対諜報員として入局した直後の姿です。
彼は後に東ドイツに赴任し、1989年のベルリンの壁崩壊までそこで働きました。
彼はロシアに帰国し、レニングラード州立大学で働き始めましたが、1991年に恩師であるサンクトペテルブルク(旧レニングラード)市長のアナトリー・ソブチャークによって政治の世界に引き込まれました。
彼はソブチャークのフィクサーとして働き、組織犯罪シンジケートに関連する多くの問題を解決しました。
ソブチャークはプーチンを影響力のある億万長者ボリス・ベレゾフスキーに紹介しました。ベレゾフスキーはクレムリンで非常に影響力を持っていました。彼は、当時の多くのオリガルヒ同様、ソ連崩壊時に国家資産を略奪することで富を築いていました。
1996年にソブチャークが市長選に敗れた際、ベレゾフスキーはプーチンをFSB(KGBの後継機関)の長官に推薦しました。彼は急速に昇進し、ボリス・エリツィンによって首相に任命されました。
首相就任当時、影響力のある億万長者グループがエリツィンの後継者選定を支援しており、特に彼らの利益とエリツィンの遺産を守る人物を探していました。
1999年、チェチェン反乱軍によるモスクワでのテロ攻撃が発生し、プーチンはチェチェン問題の解決を任されました。プーチンはチェチェンに神の怒りを解き放ち、ロシア国内で人気を博しました。
ベレゾフスキーが率いるエリート億万長者グループは、プーチンが彼らの人物であり、エリツィン後の時代に彼らの利益を守る信頼できる人物だと信じていました。彼らはプーチンをエリツィンの後継者として推薦しました。
1999年12月31日、エリツィンは辞任を発表し、プーチンは代行大統領となりました。自分たちの人物が権力を握ったと信じていた億万長者エリートたちは、ひどく誤っていました。
権力を握ったプーチンは、ソ連崩壊時とエリツィン政権下で横行した略奪行為に嫌悪を抱き、オリガルヒたちに手をかけました。
エリツィン時代の高揚感と権力にまだ酔いしれていたオリガルヒたちは、プーチンの新秩序に抵抗を試みました。それは壊滅的な誤りとなり、彼らは高く代償を払いました。
当時、ミハイル・ホドルコフスキーはロシアの最富裕者で、国家資産の略奪から築かれた最大の石油会社ユコスを運営していました。ホドルコフスキーとそのオリガルヒの仲間たちは、新ルールに従う準備ができていませんでした。彼らはこれまでルールを作ってきたのです。
プーチンはホドルコフスキーとその仲間であるプラトン・レベデフを投獄し、その後国家がユコス石油会社を接収しました。他の億万長者たち、例えばベレゾフスキーはロシアから逃亡しました。新任の保安官が町にやってきたのです。
ベレゾフスキーはロンドンに定住し、プーチンとの関係修復に何度も失敗した末、2013年に自殺しました。
ホドルコフスキーは10年以上を刑務所で過ごし、釈放後にロシアから逃亡しました。
2009年、プーチンが工場を閉鎖し労働者の給与支払いを拒否した億万長者オレグ・デリパスカを公然と叱責する有名な動画があります。プーチンはデリパスカに工場再開と労働者への給与支払いを約束させる署名をさせました。
その瞬間は、長らく無法地帯を走り回っていたオリガルヒたちに対する国家の権威を再び象徴しました。プーチンは彼らに、誰も国家の上に立つ者はいないことを示しました。
よく言われるように、その後は歴史です。 December 12, 2025
みおしゃん、みおしゃん🫶🫶
みおさん見ると、つい甘えたくなってしまうし、褒められるとめちゃくちゃ嬉しくて…!
本当に私の中でずっと恩師みたいな人。今回もずっと明るい笑顔と声で、公演を支えてくださっていて。
こうやってこれまでの縁を繋いでお仕事できるの凄く素敵✨ https://t.co/2NB1PfSG7k https://t.co/LtqsfeNP1D December 12, 2025
最高✨
表紙に河村勇輝くん
「Number 1115号」
河村勇輝 革命者の行く道。
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NBAでの挑戦や倭国代表での成長、恩師や仲間の証言も網羅した保存版の内容
#河村勇輝 #ad December 12, 2025
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