豊臣秀吉 トレンド
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2025.11.21 14:00
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織田信雄(織田信長の息子)が愛媛に行く時、妻の雪姫(伊勢北畠、千代御前)が愛媛死去
北畠具親の子孫(私の先祖)
知っていたのかは知らないけど
小姫(豊臣秀吉の養女、信雄と雪姫の娘)が、徳川家康の息子秀忠(江戸幕府2代将軍)と婚約式、小姫が夭逝破談
生きてたら系図変わってたかもね
#歴史 https://t.co/Jnt3RuszU4 November 11, 2025
【話題】秀吉、寝返りの見返り約束 本能寺の変翌日付の誓約状
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織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の変(1582年6月2日)の翌日付で記された豊臣秀吉の誓約状が見つかった😳
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誓約状は1582年6月3日付で、毛利元就の娘婿だった戦国武将上原元将(元祐)に出したもの
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東京大史料編纂所の村井准教授
「誓約状の作成時、秀吉は信長の死を知らなかった可能性が高く、政治的動向が分かる貴重な史料」
毛利氏を裏切り、信長に忠誠を尽くす見返りとして、備後国(広島県)を与えることや、備後国が織田側の手に入らなければ、備中国(岡山県)の一部を与えることなどが書かれている
だが本能寺の変を受け、秀吉は3日夜から4日にかけ信長の死を知ったとされている。実際は誓約状の日付の翌4日に秀吉は毛利氏と和睦し、約束が果たされることはなかった
「大きな混乱の中でも、臨機応変に対応した秀吉の決断力の高さが垣間見える」
面白いね〜 November 11, 2025
大阪城は別名金城と呼ばれていたそうです😍
KEEN城(;//́Д/̀/)'`ァ'`ァ💚
素敵すぎる(;//́Д/̀/)'`ァ'`ァ🤣
「金城(きんじょう)」は大阪城の別称の一つです。大阪城は、豊臣秀吉と徳川秀忠によって築かれた倭国の城で、かつては「錦城(きんじょう)」とも呼ばれていました。
AIより🤭 https://t.co/W3eNEONaZR November 11, 2025
さて、秀吉の書簡が発見されたそうである。じつは研究室に豊臣秀吉文書集を揃えていて、ときどき眺めている。研究対象が新しくなればなるほどによくあることだが、まだしばらくは補遺が増えるのかもしれない。「文献」というのは読めば読むほど不思議なものである。 November 11, 2025
天下布武の織田信長と豊臣秀吉、徳川家康の足跡を追い、清洲城の天守閣を登った。清洲公園も散策。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」というくだりが好き❤️
#あいちウィーク #無料 https://t.co/9OPx3Fny41 November 11, 2025
本能寺の変の"翌日"に、まだ生きてるはずの信長からの朱印状を約束して調略を仕掛ける秀吉のスピード感と度胸、ヤバすぎるだろ🤯
これが「天下人になる男」の緊急対応能力…。この時点で信長は死んでるのに、毛利重臣にバレないように切り抜ける判断力と行動力が桁違い。まさに神業!🔥 #本能寺の変 #豊臣秀吉 November 11, 2025
「5」その他(としておきます)
①は間違いなく起こると思います。
その後に予想される②③については難しいですね。
①:その場合には誰が織田信忠を担ぎ出して、明智光秀と対峙・合戦を行うか?
実際には織田信孝を総大将として、天王山と言われた山崎にて打ち破りました。
羽柴秀吉が担ぎ上げた総大将ですね。
今回の仮定としても、先ず間違いなく羽柴秀吉が動き出すことでしょうし、
間違いなく明智光秀を討つことになり、織田家は清須会議を開くことはなかったでしょう。
しかしながら当時でも家臣同士の権力争いはあるにもかかわらず、さらに大きな手柄を立てたということで、激化する可能性が高いと思われます。
おそらくは家臣は2つに真っ二つに割れることでしょう。
「羽柴秀吉側」「柴田勝家側」に。
新興勢力と古参勢力との内部抗争に発展していくことに。
信忠にそれを止めることが出来るのか?いささか疑問点はあります。
最悪内乱へと発展する可能性があります。
賤ヶ岳の戦い以上に激戦となることでしょうね。
間違いなくこの2人は水と油みたいな関係なので、
お互いに手を取り合うことはないでしょう。
そうなると天下は再度混乱状態になり、しばらくは戦の世の中は続くことでしょう。
中国の毛利家は国内経済等の安定に努めることになり、
四国の長宗我部元親もしばらくは様子見、九州は三国志状態。
これが何年続くのかは分かりません。
また九州が島津家によって統一された場合には九州・四国・中国の3大名との決戦はあるとは思います。
「連合軍VS織田・徳川連合軍」が倭国の歴史にて起きたこと、出来事として…。
ただ九州の島津家と中国の毛利家での戦いが起こることも。
特に毛利家は九州北部にも影響力があったこともあり、
合戦は避けられない状況にも。
反島津勢力の旗頭として、彼らを束ねて挑むことも考えられます。
お互いに戦上手ということもあり、長引く可能性もあることでしょう。
先ずは雌雄を決することに。
その後に京を目指して雪崩れ込むということもありますよね。
四国については、長宗我部元親がどのような人間なのか?
私の知識・見識では分からない点が多いので、この時点では何とも言えませんが、
優秀な家臣団、一領具足の軍団として結束は強いので、相当手ごわい相手になることでしょう。
今回のお題についても、難題だったと思います。 November 11, 2025
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