自己責任論 トレンド
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2025.12.15 08:00
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最低限の自助努力は前提として行います。災害マニュアルの確認は個人の責任であり、政府が改めて強調すべき核心的なメッセージではありません。
要は、権力側が国民を自己責任論で切り捨てようとする姿勢への懐疑です。
この自己責任論は、国家が国民の生命と安全を守る究極の責任から逃れようとする、無責任な言説に聞こえるからです。
政府は国民から権限を委託された使用人であり、国民は助けを「期待する」のではなく、「救済を受ける権利」を持ち、他人(国民)の命より服従が大事という、前近代的な権威主義の浸透を恐れます。
能登地震の復興はどうであったか?
これは民主主義社会において最も忌むすべき態度であり、国家が災害対応の名の下に国民の不安を利用し、服従を強いる事に対する警戒です。 December 12, 2025
1RP
「災害が起きる地域に住むのが悪い」という自己責任論を言う人が出て来る時代です。
「あくまで原則」とか「心構えの話」という行間が読める人に向けた言葉でもモンスターの人達は誤解します。
能登地震で避難所に被災者が居るのに「復興しないで移住させろ」と言い出す国会議員も居る時代です。 https://t.co/YzCKFaGN6A https://t.co/0bnhkBBZqa December 12, 2025
障害福祉の話になると、
必ず出てくる言葉がある。
「自己責任」
「努力不足」
「甘え」
はっきり言う。
障害福祉の文脈に自己責任論を持ち込むのは、論理的に破綻している。
理由は単純だ。
障害福祉は、
本人の努力だけでは生活が成立しない前提で設計されている。
たしかに、
作業所を変えれば
作業内容を選べる場合もある。
評価制度があり、
頑張る人に工賃が上乗せされる現場もある。
でも、ここで一度、現実を見てほしい。
・事業所を変えるには体力・情報・環境が要る
・地域によって選択肢の数は大きく違う
・評価があっても生活を左右する水準には届きにくい
・体調や特性で「継続的に頑張れるか」は日によって変わる
つまり、
「選べること」と「選び続けられること」は別物だ。
この状態で
「結果が出ないのは自己責任」
と言うのは、
個人の問題にすり替えて構造を無視している。
努力を語るなら、
まず問うべきことがある。
「努力が、生活の安定に結びつく設計になっているか?」
障害福祉の現場では、
多くの場合、
努力と生活の安定が直結しない。
どれだけ真面目に通所しても、
どれだけ作業量をこなしても、
収入は数千円〜数万円台。
評価はあっても、
人生を立て直せるほどの差にはならない。
ここで
「もっと努力しろ」
と言うのは、
本人を励ましているようで、
実際には
制度の限界から目を逸らしているだけだ。
自己責任論が一番楽なのは誰か。
・制度を作った側
・運営する側
・外から眺めている第三者
「本人の問題」にしてしまえば、
構造を直さなくていい。
リソースを再配分しなくていい。
考え続けなくていい。
だから自己責任論は、
道徳の仮面をかぶった思考停止として頻繁に使われる。
そして一番の問題は、
障害者自身が
それを内面化させられることだ。
「自分が悪い」
「努力が足りない」
そう思い込まされて、
自尊心を削られ、
静かに壊れていく人を、
現場で何人も見てきた。
障害福祉で問われるべきなのは、
根性でも覚悟でもない。
調子が悪い日があっても、
失敗しても、
生き続けられる設計になっているか。
それだけだ。
障害福祉に自己責任論を持ち込む人は、
冷たいわけでも、悪意があるわけでもないと思う。
ただ、
現実を知らないか、
見ないで済ませているだけ。
※もし
「でも努力は必要だろ」と思ったなら、
それ自体は否定しない。
ただ一つだけ言う。
努力を道徳として振りかざしていいのは、
努力が生活を支える水準まで報われる土台を
用意した側だけだ。 December 12, 2025
@bob_hoffman_jp ここの否定的コメントの方達、論点が違うんよ。
「災害で被害が現に出ている中」で「自助」を強調する発言は、三原則の説明ではなく事実上の「自己責任論」に聞こえるってこと
自助に限界のある最も支援を必要とする人への配慮が感じられない
政治家としての言葉の重みを軽視しているのよ、高市は December 12, 2025
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