自己責任論 トレンド
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2025.12.08〜(50週)
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「災害が起きる地域に住むのが悪い」という自己責任論を言う人が出て来る時代です。
「あくまで原則」とか「心構えの話」という行間が読める人に向けた言葉でもモンスターの人達は誤解します。
能登地震で避難所に被災者が居るのに「復興しないで移住させろ」と言い出す国会議員も居る時代です。 https://t.co/YzCKFaGN6A https://t.co/0bnhkBBZqa December 12, 2025
476RP
障害福祉の話になると、
必ず出てくる言葉がある。
「自己責任」
「努力不足」
「甘え」
はっきり言う。
障害福祉の文脈に自己責任論を持ち込むのは、論理的に破綻している。
理由は単純だ。
障害福祉は、
本人の努力だけでは生活が成立しない前提で設計されている。
たしかに、
作業所を変えれば
作業内容を選べる場合もある。
評価制度があり、
頑張る人に工賃が上乗せされる現場もある。
でも、ここで一度、現実を見てほしい。
・事業所を変えるには体力・情報・環境が要る
・地域によって選択肢の数は大きく違う
・評価があっても生活を左右する水準には届きにくい
・体調や特性で「継続的に頑張れるか」は日によって変わる
つまり、
「選べること」と「選び続けられること」は別物だ。
この状態で
「結果が出ないのは自己責任」
と言うのは、
個人の問題にすり替えて構造を無視している。
努力を語るなら、
まず問うべきことがある。
「努力が、生活の安定に結びつく設計になっているか?」
障害福祉の現場では、
多くの場合、
努力と生活の安定が直結しない。
どれだけ真面目に通所しても、
どれだけ作業量をこなしても、
収入は数千円〜数万円台。
評価はあっても、
人生を立て直せるほどの差にはならない。
ここで
「もっと努力しろ」
と言うのは、
本人を励ましているようで、
実際には
制度の限界から目を逸らしているだけだ。
自己責任論が一番楽なのは誰か。
・制度を作った側
・運営する側
・外から眺めている第三者
「本人の問題」にしてしまえば、
構造を直さなくていい。
リソースを再配分しなくていい。
考え続けなくていい。
だから自己責任論は、
道徳の仮面をかぶった思考停止として頻繁に使われる。
そして一番の問題は、
障害者自身が
それを内面化させられることだ。
「自分が悪い」
「努力が足りない」
そう思い込まされて、
自尊心を削られ、
静かに壊れていく人を、
現場で何人も見てきた。
障害福祉で問われるべきなのは、
根性でも覚悟でもない。
調子が悪い日があっても、
失敗しても、
生き続けられる設計になっているか。
それだけだ。
障害福祉に自己責任論を持ち込む人は、
冷たいわけでも、悪意があるわけでもないと思う。
ただ、
現実を知らないか、
見ないで済ませているだけ。
※もし
「でも努力は必要だろ」と思ったなら、
それ自体は否定しない。
ただ一つだけ言う。
努力を道徳として振りかざしていいのは、
努力が生活を支える水準まで報われる土台を
用意した側だけだ。 December 12, 2025
166RP
働いて×5のときの「自民党員に向けてるのにお前はバカか?」「本人の覚悟でお前は関係ねーんだよ?」といったリプライ。くっそいただきました(半分くらいクラウドワークス経由だったのかもだがw)。その方々は今回の災害自己責任論もきっとこう言うでしょう。「は?自助が基本に間違いないだろ? 政府広報見ろよ」と。話が永遠に噛み合わないのは政治的信条の前に, <言ったこと>だけを真空状態で見ているのと, <誰が何をどのタイミングでどのように言うか>という発言の背景と立場性・影響力・受け手の感情を考えるのと大きく異なるからでしょうかね。今回の被災地への「自らの命は自らが守るという原則」は, すでに被災した方へ向けて総理大臣が今言うことか?と考えてしかるべき。災害の備えの段階で言うならまだわかります。もう起きていること, かつ, 自分で動けない人も数多いらっしゃるなかで「原則」の話をしてどうするんでしょう。「お見舞い申し上げます。できる限りのことを急ぎします。それまではどうかご自身で…と言わざるを得なくて申し訳のないことですが急ぎます。約束します」とかさ…… December 12, 2025
107RP
経済政策の主張を見ていると、高学歴だったりIQが高くても、経済的弱者や庶民を見下し、自己責任論でぶん殴ったり愉悦に浸るような奴は、絶対に経済政策に関わらせてはダメだと感じる。
弱者を踏みつけにしたり、経済政策を我田引水の道具として私物化しようとする輩に権力を持たせたら、必ず国民経済は終わって後進国化が進む。 December 12, 2025
50RP
本来、
部下が育たないのは
上司の指導力不足が原因であり、
部下がミスをするのは
上司の管理能力不足が原因です
どんな背景があろうと、
部下に問題があれば
上司は対話を重ね、
共に解決していくのが
本来の役割のはず
しかし、
パワハラ上司は全く違います
部下の能力が低ければ
「お前の努力が足りないせいだ!」
部下がミスをすれば
「お前が責任取れ!」
と、全て部下に責任を押し付けるのです
なぜこんな行動を取るのか?
結局は、
『自分が責任を取りたくないだけ』
なのです
本来なら自分が負うべき責任を、
全て部下に転嫁しているだけです
これが、
パワハラ上司が好む
「自己責任論の罠」です
だから、
「全部自分が悪い」
なんて思わないでください
あなたの問題に対して
全く寄り添わず、
責任転嫁をするような上司の言葉など、
絶対に信じてはいけません
全ては
上司の無能さが原因なのですから
#自己責任論の罠
#責任転嫁するな
#無能な上司 December 12, 2025
43RP
@pdrhaga 国に文句を言うな系の人。働く人が国に不満をもつと、「自分が悪いんだ!自業自得だ!」自己責任論振りかざしてくる。
介護士の給料って国が法律で決めているので、事業所の努力でどうにもならない部分ありますね。
大事な職業なので、給料を上げるべく改訂すべきです。 December 12, 2025
29RP
@bob_hoffman_jp すごいよな
「まず自分の身の安全を守る行動を最優先して下さい」って言えば何処にも角が立たないのに、
「災害時、自分の身を守るのは自分という原則」って自己責任論を被災者にチラつかせる
こんだけ思慮も配慮も無い言動しててあの人よく選挙通ったよな December 12, 2025
26RP
障害福祉における「自己責任論」を、福祉職の立場から代弁する
障害福祉の現場で働いている人の多くは、
本当は分かっている。
「自己責任」という言葉が、
この領域では
ほとんど機能しないことを。
でも、それは
なかなか口に出せない。
なぜなら福祉職は、
制度の“中”で働く人間だからだ。
・限られた予算
・変えられない報酬体系
・国や自治体のルール
・事業所の経営
・「公平性」を求められる立場
その中で
利用者一人ひとりの人生を
丸ごと救えるわけがないことを、
一番よく分かっている。
だから、
苦しくなる。
本音ではこう思っている。
「この人は怠けているわけじゃない」
「能力がないわけでもない」
「環境と制度が合っていないだけだ」
でも現場では、
言葉を選ばなければならない。
「今の制度では難しい」
「ここでできるのはここまで」
「別の事業所も検討してみましょう」
それ以上は、
言えない。
なぜなら
それ以上を言ってしまうと、
制度そのものを否定することになるからだ。
そして、
制度を否定できない以上、
話はどこかで
個人の努力や姿勢の話に寄っていく。
それが
「もっと頑張れたら」
「継続できたら」
「意欲があれば」
という、
曖昧で便利な言葉になる。
福祉職の多くは知っている。
それが
利用者を追い詰めることも、
自尊心を削ることも。
それでも使わざるを得ない場面がある。
なぜなら、
他に差し出せる言葉が用意されていないからだ。
だから外から
「甘やかしている」
「自己責任を教えるべきだ」
と言われるたび、
現場は静かに消耗していく。
違う。
甘やかしてなんかいない。
むしろ逆だ。
制度の限界を、
利用者と一緒に
毎日突きつけられている。
努力できる日もあれば、
できない日もある。
安定して通える月もあれば、
崩れる月もある。
それでも
「生活」は続いていく。
その現実を前にして、
自己責任論は
あまりにも雑で、
あまりにも軽い。
障害福祉で問われるべきなのは、
利用者の覚悟ではない。
「この制度で、
人は壊れずに生き続けられるのか」
それだけだ。
福祉職は、
利用者の代わりに
制度と折り合いをつけている人たちだ。
自己責任論を投げる前に、
一度だけ想像してほしい。
その言葉を、
現場の誰が、
どんな顔で受け止めているかを。
★自己責任論は、現場にとって一番いらない正論だ。 December 12, 2025
17RP
引用で散見されるエッセンシャルワーカーの給与が上げにくい構造とそれによって波及する問題には思慮が及ばず自己責任論に終始するシンプルな思考回路をお持ちの方々が賢ぶっていらっしゃる光景、本当に面白すぎる https://t.co/TwB32DMJPm December 12, 2025
11RP
悪質な切り抜きでも何でもなく災害に対する一国の首相の表現としては最悪級だと思うよ今回の高市発言は
やれ色々と擁護ポストしてこの人を叩いてる連中も例えば「今生き埋めになっててまだ助かってない人達が大勢いる」って状況でも自己責任論を唱えられたら同じように高市を擁護できたか? https://t.co/x8rwJhZR9A December 12, 2025
8RP
何人かの自己責任論者と議論(議論と言えるものとも言い難いが…)をして思ったこと。
自己責任論者も排外主義者も新自由主義社会の被害者だと私は捉えている。
しかしこの手の人間は重なるところはあれども本質はまるで違う。
排外主義者は自己責任論から逃げ出した人達と言える。
突きつけられた責任を外国人という誤った向き先に敵意を向けたのが排外主義者だ。
差別という行為を私は一切容認するつもりはないが、少なくとも彼らは自分の苦しさを自覚していた。
では自己責任論者はどうか。
彼らはどれだけ苦しかったとしても与えられた環境に順応する。
その上で他者に「努力不足」という言葉や、自助を強要する。
私からしたら苦しさを感じ続けている人の方がいくらか可能性を感じる。
つまり、排外主義の不満の向き先さえ正すことができたなら、社会をよくすることはできるということだ。
強調するために繰り返し述べるが、私は差別を容認しない。
しかし「苦しい」と声を上げられた社会を受け入れ次に進むべきはどっちかを提示するなら今なのではないか。
私はれいわが掲げ続けてきた「誰も取り残さない社会」に期待したい。 December 12, 2025
6RP
私がもし政治家になったとして、そのときやりたい政策を提示します。
倭国を立て直すための指針は、
次の3つの時間軸になると思っています。
前提:新自由主義からの脱却
短期:積極財政による格差の是正
中期:抽象化や具象化の往復の訓練や批判的思考を培える議論ベースの教育へのシフト
長期:愛着障害発症を抑制できる社会制度の制定
私の「人の心」がなくなったという主張に対し、「30年前はハラスメントがたくさんあった」という話がある。
それ自体はその通りです。
私は30年以上前に戻ろうなんて全く思っていません。
では今はどうか。今はそれをダメと言えるようになった代わりに新自由主義の自己責任論が同じ機能を果たしてる。
80年代に新自由主義が輸入され、2000年代に本格的に新自由主義路線を展開しました。
国会でも自己責任論がそれまでの10倍以上も登場し、こうして完全に自己責任論が定着しました。
この自己責任論が「お前の努力不足」というレッテルを貼るのを正当化したわけです。
しかも社会的に。
道徳的にハラスメントがダメとされるようになった今、その吐口をイデオロギーが用意している。
これが「人の心」の喪失と言わずなんと言いますか。
そうした自己肯定感の低下は下方に再帰的に再現性を持って繰り返すものです。
資本主義社会においてお金は権利の数値化です。
お金がなければ暮らしに余白は生まれにくく、自由のない状態は他者に優しくなれません。
自分の中に答えを持てない状況も辛いものです。
そして家庭は人格形成に重要な場所です。
自己責任の皺寄せが子供に向くことを防げるようにするべきです。
だから私は冒頭に提示した政策が有効だと考えます。 December 12, 2025
4RP
青森の自己責任論者は何食わぬ顔で支援受けてんだろうな。
ネットで大口叩いてたヤツが避難所のカレーをクチャクチャ食べてグーグー寝てんだろ。
#青森県東方沖地震 December 12, 2025
3RP
それこそ、長い自民党政権のせいで、
こういう風に『自己責任論』をぶつける人多いと感じる。
でも、それって違うくて、だれもが最低限の生活を過ごせるよう政治をしなければなない。でなきゃ、なんのために国会議員のお給料を税金から出しているのか? https://t.co/EricMqWnmv December 12, 2025
3RP
朝のニュースで見た時、引っかかったフレーズ。「命を守ることを最優先に」とかでいいのに。いかにも自己責任論者らしいなと。 https://t.co/lXY2qygBXT December 12, 2025
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@BCAA20000 @msk_2003v 自助努力を求められていることを自己責任論に変換してしまうような頭の悪さと狭量さしか持ち合わせていないくせに、被害妄想という妄想の世界では自由に羽ばたいている面白い人たち。 December 12, 2025
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