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江戸城
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2025.12.18 12:00
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赤穂義士祭(あこうぎしさい)は、兵庫県赤穂市で毎年12月13・14日に開催される、江戸時代中期に起きた赤穂事件での義士たちの忠誠心を称えるお祭りです!
1701年、江戸城で赤穂藩主・浅野長矩が吉良義央に斬りかかったことで切腹を命じられましたが、 喧嘩両成敗の原則が無視されて吉良側には処罰がなかったこと、さらに吉良が挑発していたという話もあったことなどから、家臣たちは武士道に従って吉良を討ち取り、その後切腹したんです。
そんな赤穂義士の精神を後世に伝えるために1903年に始まったこのお祭りは、今年でなんと第122回!
メインの忠臣蔵パレードでは、当時の参勤交代を再現した厳かな雰囲気の大名行列を間近で見られますし、露店では赤穂名物の塩味饅頭が味わえて、視覚でも味覚でも楽しめちゃうんですっ!
先生も気になったら、ぜひぜひ足を運んでみてくださいね〜! December 12, 2025
本号から吉田悠軌さんの新連載「吉田悠軌の今は亡き怪異建築探訪」が始まります!
「既に存在しない建物」で語られた怪談を紐解きながら、建築と怪異の関係性を徹底考察します。
第一回に取り上げるのは「皇居」。江戸城から明治宮殿、現代まで…伝わる怪談とは!?
また「難事件は不思議建築とともに」は今回が最後の連載になります。
こちらは来年書籍化予定です!こちらもお楽しみに!
他にも建築に纏わる連載を掲載しています!
特集イラストレーターの方→@_tounami
連載執筆者の方→@naohikoKITAHARA December 12, 2025
山王日枝神社。千代田区永田町。
旧官幣大社。東京十社。江戸城(皇居・皇城)の裏鬼門に位置し「皇城之鎮」として崇敬を集めています。
本日12月17日は60日に1度の庚申の日。末社・猿田彦神社では庚申祭を斎行。「通常御朱印」と、庚申の日のみ授与の「猿田彦神社御朱印」を帳面に頂きました。
猿田彦大神(さるたひこおおかみ)は『古事記』『倭国書紀』の天孫降臨の段に登場する神さまです。天孫降臨の際、天照大神(あまてらすおおみかみ)に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した神であるため「導きの神」とされます。国土の神・道案内の守神で中世には庚申信仰や道祖神と結びつき民間信仰としても広く信仰を集めました。
当社では60日に1回訪れる庚申の日に庚申祭/庚申さま詣が行われます。御朱印も庚申の日のみ猿田彦神社の御朱印を頂ける他、猿田彦神社の天狗御朱印帳など様々な当日限定の頒布も行われています。朝9時より道開き参拝として開運祈願祭(初穂料1万円)も30人限定で行っています。
そんな日枝神社。平安時代末期に江戸郷を開拓した江戸氏によって創建された山王信仰の神社です。
山王信仰(さんのうしんこう)とは比叡山麓の「日吉大社」(滋賀県大津市)を総本社とする信仰です。山王とは「日吉大社」で祀られる神の別名で比叡山に鎮まる神を指しています。神仏習合の時代は「山王権現」と称される事が多く現在も「山王さん」「山王さま」と親しまれている神社が多いです。山王信仰の神使は猿。そのため当社にも猿の置物が数多く置かれています。
文明十年(1478)に太田道灌が江戸城を築城すると、江戸城の鎮守として当社に「川越日枝神社」(現・埼玉県川越市)の御分霊を再勧請。当時は江戸城内に祀られ江戸城の鎮守を担いました。
江戸時代になると徳川将軍家より多大な庇護を受けて「徳川歴朝の産土神」として崇敬を集めました。
例大祭の山王祭は「神田明神」の神田祭と共に天下祭と呼ばれた程。両祭りは江戸を代表する大祭として隔年で交互に行われ(現在もそうです)、この両社は江戸を守護する神社として祭りの際には山車が江戸城に入って将軍に拝謁する事が許されていました。天下の徳川将軍に拝謁できるため「天下祭」です。
今も広大で立派な境内を有する当社。数多くの見どころがありますが各所に設けられた鳥居の形に注目してみてください。
これは山王鳥居という形で明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をした鳥居です。仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされます。山王信仰の象徴であるため山王鳥居と呼ばれています。
また無料公開されている宝物殿には貴重な品々が多数。(内部は撮影禁止)徳川家による朱印状の他、当社に奉納された刀剣の数々も。その中には国宝の太刀「則宗」(通称:菊一文字)があります。
則宗(のりむね)は福岡一文字派の祖で備前国の刀工。後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めた事から皇位の紋である16弁の菊紋を銘に入れることを許されました。そして一文字派は銘を「一」とだけ彫り更に菊の紋を彫ったので「菊一文字」と称されるように。
当社に現在保存されている刀剣は31口。そのうち国宝1口・重要文化財14口・ 重要美術品1口。時期によって展示している刀剣は違いますが国宝や重文の刀剣をその目で見る事ができますのでぜひ。(休館日もあります)
倭国の中枢である永田町に鎮座する日枝神社。ぜひ参拝してみてください。
#御朱印 #限定御朱印 December 12, 2025
平河天満宮。千代田区平河町。
平河町鎮守。江戸三大天神の一社。
12月中に授与の「年越の大祓御朱印」と通年授与の「通常御朱印」を頂きました。通常御朱印は帳面に直接頂けるようになりました。限定御朱印は別紙のみ。神饌の煎餅つき。
限定御朱印は他に毎月1日は「神牛の御朱印」、毎月25日は「鷽の御朱印」、毎月午の日は「平河稲荷神社御朱印」が頂けます。
平河天神とも称される事も多い当社は文明十年(1478)に創建と伝わります。江戸城を築城した太田道灌によって川越の「三芳野天神(現・三芳野神社)」より勧請され創建。元々は江戸城内に祀られた天神様でした。
江戸時代に入ると徳川家康が江戸城を居城としたため、江戸城内にあった当社は江戸城の拡張工事を受け平川門外に遷座します。創建の地は江戸城の平川門内であったため「平川天神(平河天神)」と称されました。また当地周辺も平河町と呼ばれ氏子となります。
以後、徳川将軍家を始め、紀州徳川家・尾張徳川家・井伊家の祈願所となります。新年の賀礼には宮司が将軍に単独で拝謁できる格式の待遇を受けていた程です。
江戸時代中期には『群書類従』を編纂した国学者・塙保己一(はなわほきいち)が当社を熱心に信仰。江戸後期の医者であり蘭学者である高野長英も当社を崇敬したと伝わります。このように「学問の神」として学者からも多大な崇敬を集めました。
そんな平河天神。現在は境内に5基もの撫で牛(石牛)像が置かれているのが特徴です。天神様には撫牛が置かれる事が多いですが5基もあるのは当社ならでは。最も古いのは嘉永五年(1852)のもの。
また立派な銅鳥居は天保十五年(1844)に建立と古いもの。区内最古の銅鳥居で御鋳物師・西村和泉藤原政時の作品。現在は千代田区指定有形文化財です。左右の台座部分に四体づつ獅子の彫刻が施されるなど意匠が素晴らしい鳥居です。修復跡には弾痕が残り戦時中に機銃掃射によって受けたもので戦禍を伝えます。
当社の中で不思議なのは社務所手前にある縁結びの梅と呼ばれる梅の木。この梅の木の実は2つペアで梅の実がなる珍種です。この事から「縁結び」「恋愛成就」の御利益があると人気です。
天神様こと菅原道真公といえば梅。天神信仰と繋がりの深い梅の木がこうして2つペアで実がなると何たが嬉しいですね。
ぜひ参拝してみてください。
#御朱印 #限定御朱印 December 12, 2025
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