松平定信 トレンド
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2025.12.17 17:00
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3年ぐらい前、白河関跡に行った時「関の場所は江戸時代までどこにあったのか不明だったが、松平定信が考証して場所を断定した」と書いてあって、当時は「え、あの松平定信が? そんな歴史オタクみたいな事やってたの? へー」なんて思ったけど、今は違う。あいつならやりかねんって思う https://t.co/BB1VWo4ski December 12, 2025
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今回のNHKの大河ドラマ『べらぼう』ですが、かなり複雑な構成の作品だったと思います。最終回を見たあとで、もう一度第1回を見直したら、「なるほど」と腑に落ちる点が多いだろう、そう感じさせる作りではありました。
その一方で、「これは大河ドラマなのだろうか」という疑問も残りました。特に一橋治済の扱い方です。推理小説的な仕掛けとしては、これはこれで成立していると思いますし、最終的に「個人の罪」に収斂させるまとめ方も、ストーリーとしてはよくできています。そこに平賀源内の影を重ねてきた点も、トリックとしては理解できます。
ただし、物語として巧みにできていることと、大河ドラマとして何を描くべきかは別問題です。蔦屋重三郎という人物については、教科書的にはその公的な意味が語られているにもかかわらず、この物語の中心部分では、その「公的な意味」がすっぽり抜け落ちてしまっているように感じました。ここが抜けてしまうと、「これは大河ドラマではない」という印象になってしまいます。
もっとも、近年は「そもそも大河ドラマではないのでは」と感じる作品も少なくありませんから、「まあ、これでいいのか」という気持ちがないわけではありません。ただ、本来描かれるべきだったものは、やはり別のところにあったはずです。
具体的には、田沼意次、松平定信、一橋治済という政治の流れ、そしてそれぞれのレジームの関係です。これは倭国の近代化へとつながっていく、政治史上の重要な潮流ですよね。ところが一方で、蔦屋重三郎の側は、文化史的な側面に寄せて、いわば「教養カタログ」のようにきれいに整理されてしまっています。
楽しい物語であること自体は否定しません。しかし、本当に描くべきだったのは、そこではなかったはずです。作中で蝦夷の問題が一度提示されましたが、結局のところ、それは事実上、未消化のまま終わってしまったという印象が残りました。 December 12, 2025
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