東京大空襲 トレンド
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2025.11.24〜(48週)
:0% :0% (40代/男性)
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違いますよwwww
そんな崇高な考えではなく、洗脳教育で従順なアメポチにされただけの話ですwwww
東京大空襲で倭国人を大量虐○したカーチス・ルメイに旭日大綬章を授与してる時点で察してくださいwww
80年近く生きてる人がここまで不勉強だと見てるこっちが恥ずかしくなりますよwww https://t.co/3vBkah7T8j December 12, 2025
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#大河べらぼう ではついにプロジェクト #写楽 が始動。弊社の創業者・安達豊久は #蔦重 に憧れ、写楽に魅せられた一人でした。写楽の版画作品、全復刻の夢。世界中に資料を尋ね、東京大空襲ですべての版木を失っても諦めませんでした。上映中の映画「#バレンと小刀」の中でもご紹介いただいています。 https://t.co/FOkO40xB5I December 12, 2025
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「アンちゃん」は母国アメリカの原爆投下を全く悪いと思っているように見えない
東京大空襲も同様。
常に「倭国が間違っている」「倭国は非難されるべき加害者」というスタンスで意見を言ってるようにしか見えません。
なぜ帰化できたんでしょうか??
言いたい放題する為にきかしたのでしょうか? https://t.co/ZKIR302Gwr December 12, 2025
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#aespaの紅白出場取消を求めます
「一度の攻撃で殺した人数」
人類史上最悪の大量殺戮ワースト3
3位:長崎原爆 一般市民7.4万人
(プルトニウム原爆。即死4万人)
2位:広島原爆 一般市民14万人
(ウラニウム原爆。即死7万人)
1位:東京大空襲 一般市民 30〜50万人
(ナパーム弾1700トン。150分) https://t.co/3dWmfGKLIS December 12, 2025
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東京タクシー
山田監督に敬服するのは、東京大空襲での 言問橋での悲劇、在日朝鮮人問題を映画の冒頭にもって来た事、今の世相を見て、戦争をしてはならない、弱者ー外国人を標的にしてはならないを訴えなければならないと考えられたのであろう。 https://t.co/LpwzSmFXYI December 12, 2025
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「TOKYOタクシー」東京大空襲での喪失体験や、戦後の北朝鮮帰還事業による恋人との別れなど、より幅広い内容が倍賞千恵子の人生に紐づけられている印象。主人公兼語り部は倍賞千恵子で、ずっと若いキムタクは聞き手。この人も良い感じに歳をとって来て、受けの芝居が #映画 #eiga #TOKYOタクシー December 12, 2025
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@siroiwannko1 死んだ婆ちゃんに
「戦争直前ってどんな感じだったの?」
って聞いたら
「何もないわよぉ、いきなり始まるしいきなり終わったわよ、ある日突然いろんなことが見ちゃだめ聞いちゃダメ食べちゃダメになっただけよ」
と
東京大空襲を生き延びた婆ちゃん
生きてるうちに動画撮っておけば良かった December 12, 2025
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#aespaの紅白出場取消を求めます
「一度の攻撃で殺した人数」
人類史上最悪の大量殺戮ワースト3
3位:長崎原爆 一般市民7.4万人
(プルトニウム原爆。即死4万人)
2位:広島原爆 一般市民14万人
(ウラニウム原爆。即死7万人)
1位:東京大空襲 一般市民 30〜50万人
(ナパーム弾1700トン。150分) https://t.co/qMChdJ1uyz December 12, 2025
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「一家心中を図ったことも…」109歳、関東大震災も東京大空襲も経験 “世界最高齢の現役理容師”が語る「生きる力」
「世界最高齢の現役理容師」としてギネス世界記録に認定された箱石シツイさんが今年11月10日、109歳の誕生日を迎えた。約90年間ハサミを握り続ける箱石さんの生涯に迫る。 December 12, 2025
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冗談ではない。
遅くともサイパン陥落(マリアナ沖海戦含む)で「負け。勝てない」ことは確定している。東條内閣の総辞職が何よりの証拠。
だが、倭国の軍事指導者たちは「負け」を言う度胸のない腰抜けばかり。
そのまま、惰性のような戦争を続け、レイテ・硫黄島・沖縄・本土空襲(東京大空襲や原爆含む)・特攻・ソ連参戦による満州棄民の悲劇・シベリア抑留等々を引き起こした。
サイパン陥落時に、軍事指導者たちが真の勇気を持ち「負け」を言えば、それらの悲劇はなかった。
少なくとも近代以降の「敗戦」としては、「最悪」以外の言葉は見当たらない。
https://t.co/rKZ1gKXdVB December 12, 2025
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東京大空襲資料展実行委員長、下町人間の会理事長を務められた川杉元延さんが亡くなり、今日は偲ぶ会が浅草で開かれました。
故人の温和で知性と平和・変革の情熱に溢れた人柄の生き方への共感、喪失感に涙いっぱいの会になりました。
遺志を継ぐ決意も!
川杉さん。ありがとうございました。 https://t.co/yiaa9xcYAr December 12, 2025
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飛木稲荷神社に参拝しました⛩
東京大空襲の戦火にも耐えた
御神木のイチョウも見頃に🦊💛
生命力を感じますね✨
御朱印は紅葉したイチョウの
デザインを拝受しました✨
#飛木稲荷神社
#御朱印 https://t.co/fafA4Oipic December 12, 2025
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今更ながら何も驚かない。
東京大空襲を指揮したカーチス・ルイメイに与えた国ですもんね。
良かったって事なんですよね。
今更、、、
何も驚かない、、、
何も。
インスタnora氏 https://t.co/I2WG3ENFsd December 12, 2025
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"「一家心中を図ったことも…」109歳、関東大震災も東京大空襲も経験 “世界最高齢の現役理容師”が語る「生きる力」" https://t.co/RW9XX3Ezuo
現役とは素敵(灬º‿º灬)♡ December 12, 2025
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背中に火…母は体をよじらせながらも子を守ろうとした
#東京大空襲から79年「地獄絵のような光景」
政府は元軍人らに60兆円を超える補償をしてきたが、民間戦争被害者には原爆被爆者など一部を除いて行っていない
#軍隊は住民を守らない
#東京新聞
https://t.co/7AFgJz8PxE December 12, 2025
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→された作品。
幼年時代の東京大空襲の記憶、在日朝鮮人の恋人との別れ、その恋人との子を連れて結婚した相手のDV。
ヒロインの波乱万丈の人生がドラマチックで、ハートウォーミングなラストも秀逸。
#倍賞千恵子 の年輪を感じさせる演技が味わい深く、#木村拓哉 の抑えた演技も好感が持てる。 https://t.co/flcYU68ltY December 12, 2025
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では、昭和天皇の誕生日はいつなのか?
候補として、3/1(3/10)などは、
予感する日でしょうか?当時の軍部が4と2
で9まで付いた死人苦と連想する日に生まれさせないでしょう?
3/1なら数字も綺麗で、
だから天皇代理役の麻原彰晃を3/2にし、
東京大空襲も大震災も3と1の日に行った予感がします。 December 12, 2025
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明日フィナーレとなるTEAM羽原の「星の流れに」を観劇。ただただ感動しました。泣かされました。戦後のショーガールのダンス素敵でした。伊藤わこさんのテネシーワルツに江利チエミさんが見えました✨私は亡き祖母の東京大空襲の話を思い出す事が出来ました。有り難うございました🙇
#星の流れに https://t.co/AXDf497dyO December 12, 2025
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「世界青年学会・飛翔の年」
おはようございます😊
「令和6年能登半島地震」「能登豪雨災害」で
被災された方々の早い復興と生活の安定・再建を祈ります。🙏🙏🙏
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〈ストーリーズⅡ 池田先生の希望の励まし〉
第19回 広宣流布は「偉大なる劇場」
2025年11月30日 聖教新聞より抜粋・引用です
🔹🔸🔹
「今」の闘争に醍醐味がある。
波瀾万丈の中を戦うから、おもしろい
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🔷「明るく頑張りなさい!」
音に彩られた、心躍る舞台だった。2001年5月21日の本部幹部会。壇上の袖から、池田大作先生がラッパを両手に持ち、口元にあてながら場内へ。会場はどよめきと歓声に包まれた。
九州青年部から学会本部に届けられた自動演奏の「完勝ラッパ」。先生は青年たちの真心に応え、自ら奏でるしぐさを。スッペの「軽騎兵」序曲などが響き渡った。
この日は、九州、中国、沖縄の総会の意義が込められていた。先生はスピーチで各地の友をたたえた後、フランスの文豪・ユゴーが民衆の決起を呼びかけた言葉を通し、こう語った。
「偉大な力があるのは、権力者でもなければ、有名人でもない。『民衆』である。民衆よ、小さくなるな。民衆が動く、巨大な姿。それを敵に見せつけるのだ!――と。日蓮大聖人の仏法は、『民衆のための仏法』である。民衆よ立ち上がれ! これがユゴーの叫びであり、戸田先生の叫びであり、創価学会の叫びである」
スピーチが終わると、先生は扇子を右手に握り、腕を高々と上げた。壇上の中央へ歩みを運ぶ。「じゃあ、『威風堂々の歌』を!」。音楽隊の演奏に合わせ、先生が指揮を執った。場内に誓いの歌声が轟く。
「じゃあ、またね。ありがとう!」
励ましの“劇”は、まだ続いた。壇上袖に太鼓が設置されていた。先生はバチを握り、太鼓をたたいた。“友よ起て!”との力強い響きは、参加者の胸を打った。
会合を彩った創価グロリア吹奏楽団。その一員として師と共演した孫の活躍を、藤沢サクさんはことのほか喜んだ。九州婦人部長だった娘の佐藤聖子さんは壇上に。3世代で師匠と縁することができた幸福に、母は涙した。
藤沢さんは大正生まれ。戦時中、暮らしていた東京・深川の街は、東京大空襲で壊滅的被害を受けた。炎と爆音の中で生き延びたものの、戦後も悲惨だった。アメ横商店街で菓子問屋を開く。夫は酒乱で暴れた。やむなく、2人の娘を連れて家を出た。塩をなめてでも、2人を育てると決めた。
掘っ立て小屋のような場所で暮らしながら、できる仕事は何でもした。だが、心も体もすり減り、寝たきりに。“このまま人生を終わらせたい”。極限の日々の中で、1954年の秋、信心に出あう。
「学校から帰るまで、生きててね」。娘にそう言われるほどの日々が変わっていく。また働けるようになり、学会活動に家族で励んだ。
わずかな蓄えは、娘たちを富士鼓笛隊に送り出すために使った。次女の佐藤聖子さんは高等部の部長の任命を受ける。部旗授与の席で、池田先生から声をかけられた。「明るく頑張りなさい!」。その一言が佐藤さんにとっての人生の指針となった。
生まれ育った家庭環境への卑屈な思い――。そんな心を、少しずつほぐしてくれたのが先生だった。
さらに、先生の御書講義を受ける機会に恵まれた。母が購入してくれた御書で講義を受けた。ある時、先生は佐藤さんの御書の扉に筆を走らせた。「法華経は冬の如し 冬は必ず春となる」
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🔷「嵐吹く 王者につづけや 弟子の道」
女子部で活動していた1972年のある日。佐藤さんは先生から声をかけられた。
「朝日がさしてきたように明るくなったじゃないか。今の決意を忘れなければ、生々世々、広宣流布の大道を歩んでいける。今の決意を忘れたら後悔するよ」
暗く、消極的だった自分を、長い時間をかけて見守り続けてくれる師匠。その深き慈愛に応えたい――と、心の底から誓った。やがて佐藤さんは、少女部長として、子どもたちに励ましを送る責任を担う。
学会本部で行われていた少年少女部の会合でのこと。メンバーが壇上にあがり、記念品を手渡している時だった。会場に突然、先生が入ってきた。
「未来を担う大切な方々じゃないか。こちらから持っていって、お渡しするのです」
記念品の渡し方を通して、後継の友への尊敬の心を教わった。
76年11月14日、石川文化会館で、少年少女部の代表や「七五三」を迎える子どもたちが家族と集い、記念の勤行会が行われた。この集いに出席した先生は、「『厚田村』を歌おう」と。ところが、緊張や遠慮もあって、少年少女たちは歌い出せずにいた。
先生は「戸田先生の生誕の地から、少年少女部から、『厚田村』の歌を歌っていこう」と。その場にいた佐藤さんは、いついかなる時も師を思い、師と共に戦う心を深く胸に刻んだ。
78年、佐藤さんは夫・政春さんと共に、広布の舞台を九州に移した。師弟を引き裂こうとする第1次宗門事件の渦中。日々、各地を歩き、一人また一人と対話を重ねた。
4年がたった82年10月、先生から政春さんに句が届いた。
「嵐吹く 王者につづけや 弟子の道」
夫婦で九州の地を駆け、師弟共戦の歴史を刻んだ。93年、佐藤さんは九州婦人部長の任命を受けた。
娘の新たな出発を、母の藤沢サクさんは喜び、自らも決意新たに前進した。2022年、102歳まで、師と共に、同志と共に、家族と共に、広布の使命に生き抜いた。
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🟦「胸中の池田先生」とともに歌い上げた「歓喜の歌」
93年12月、九州は翌94年夏から各県で音楽祭・合唱祭などを行い、その総仕上げとして、11月に福岡ドーム(当時)で、ベートーベンの第九の合唱を5万人で行うことを決定した。運営を担ったのは、青年部である。
90年11月、学会創立60周年を祝賀する本部幹部会の席上、第九の演奏・合唱が行われた。先生は創立65周年に5万人、創立70周年に10万人での第九の合唱を提案。“ドイツ語でもやろう”と呼びかけた。師の提案を実現する、九州青年部の誓願の証しが、5万人の合唱であった。
ドームでの合唱は、“歌声が一つにとけ合うか”など、幾つもの難題があった。青年たちは知恵を絞り、粘り強く創意工夫を重ねながら、見事に乗り越えていった。
迎えた当日、自らの人間革命に挑み抜いた5万人の混声合唱は、見事なハーモニーを奏でた。池田先生は、「すごかった。いまだに合唱の響きが残っているよ。よく一つになれたね」「九州は勝った! 完璧だったよ」と最大にたたえた。
第九の合唱から数カ月ほど後、九州青年部長だった新名浩司さんのもとに、福岡の婦人から電話があった。
――大学に通う娘が授業の後、教室で言い争う二人の男子学生の姿を見たという。
一人は学会の悪口を言い、もう一人は反論していた。二人とも学会員ではない。反論する学生は、九大フィルハーモニー・オーケストラの団員だった。
“おれは学会の人たちと一緒に、ベートーベンの「第九」を演奏したんだ。創価学会はすごい団体だよ。お前は自分の目で見たのか。学会のことを知っているのか”
娘は家に帰ると、反論してくれてうれしかったこと、自分が学会員だと言い出せずにいたことなど、さまざまな思いを語った――
第九の合唱は、九州各地に学会理解の輪を大きく広げた。
2001年12月2日には、マリンメッセ福岡(当時)と九州の116会場、東京の学会本部を生中継で結び、「アジア青年平和文化総会」が行われ、10万人の第九の合唱が響き渡った。
この日、総合リハーサルの直前、学会本部で見守っていた先生は、「最初から最後まで全部見るよ」と伝言を届けた。文化総会の演目が終わるたび、「よくやった!」「素晴らしい!」と賛嘆した。さらに、第九の演奏終了後、「満点でした!」「明年の先駆を見事に切ってくれました。本当にありがとう!」と祝福を寄せた。
05年には、沖縄と韓国の友も参加した「アジアの第九」を実現している。
「第九」の合唱とともに、先駆の歴史を刻んできた九州。その幕が再び上がった。今月23日、31年前と同じ日、同じ場所――みずほPayPayドーム福岡で、「Asia Peace Festa 2025」(世界平和の第九)が開催された。
九州・沖縄の青年を中心に、5万人の合唱団。アジア9カ国・地域から駆け付けた友。一人一人の胸に、それぞれの「歓喜の歌」があった。
合唱団には、与論島や加計呂麻島など離島の友がいた。全盲で、楽譜を読むことができない中で、懸命に歌った友もいた。子育てや介護の合間を縫って、何度も練習に通った友がいた。
大きな音が苦手な人もいた。人混みに苦痛を感じる人もいた。「誰一人置き去りにしない」と、団員が歌う場所にもこまやかに心が配られた。直前に病に伏し、悔しさに胸を震わせながら、自宅で思いを合わせた人もいる。
1994年の「第九」の日、福岡ドームを遠くに見つめ、任務に徹する青年がいた。創価班として、歩道橋の下で整理・誘導の役割を担った。
31年後、その青年の5人の子どもが、「世界平和の第九」でドームの舞台に立った。父が寒風の中、無事故の運営に力を尽くした「第九」。その誇りは、子どもたちに受け継がれた。
舞台の上、会場の外、148の中継会場――。そこにいる一人一人に、ストーリー(物語)があった。
「世界平和の第九」のクライマックス。94年の時と同様、ドームの屋根がゆっくりと開いた。柔らかな光が差し込む。一人一人が「胸中の池田先生」とともに、「歓喜の歌」を歌い上げた。
「天までも 轟きわたらむ 母たちの 祈りの深きは 仏と等しく」――94年の第九の大成功をたたえ、先生が詠んだ和歌。あの日と同じように、一人一人の祈りと挑戦が勝ち開いた「人間勝利の大絵巻」となった。
新たな広布の幕が開いた九州。池田先生はかつて、九州総会を兼ねた本部幹部会で、「喜び」は戦いの中にあると述べ、語っている。
「本当は、途中が全部、『映画』であり、『絵画』であり、『詩』であり、『音楽』なのである。人生も、最後の勝利を目指して、『今』を、どう生きるか。その『今』の闘争に醍醐味がある。波瀾万丈の中を戦うから、おもしろいのである。広宣流布は『偉大なる劇場』である」
🔷ここまでが、抜粋・引用です🎵 🔷
https://t.co/geJ2xYtsPw December 12, 2025
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