本居宣長 トレンド
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2025.12.08 22:00
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福井県越前市のある団体が「ホツマツタヱ」を地域おこしに活用しようとして大炎上しているんですが、この問題を掘り下げると「倭国人の課題」が見えてきたのでシェアします。
そもそもホツマツタヱが何故「偽書」として扱われているのか?その理由をまとめると、
①ホツマツタヱの最古の写本が1775年(江戸時代)に確認されているが、それ以前のものは確認されていない→古事記の最古の写本は1371年
②漢字以前に作られたとされる「神代文字がなかった」という前提
③古代倭国には存在しなかった(とされる)言葉が一部混入している
そして、何よりもホツマツタヱ=偽書説を決定づけたのが、
④古代倭国は現在の「五母音」ではなく「八母音」だったはずなのに、ホツマツタヱは五母音で構成されている
こういった理由から、国文学者の佐佐木信綱が「これは偽書や!」と判断したわけですが、近年になってホツマツタヱを偽書として決定づけた「上代特殊仮名遣(八母音説)」自体が否定されてしまったんです(ここを説明すると長くなるのでご自身で調べてみてください)
なので、本物か偽物とか言い切る前に「もう一回再考する必要性がある書物」だと言えるわけです。
ちなみに、SNSでは「古事記=正史」という前提で議論されていることが多いですが、そもそも古事記は作られてから1000年ほど偽書として扱われてきました。
実は古事記の地位が上がったのは、本居宣長が作った「古事記伝」が発表されてからなんです。これはホツマツタヱが発見されてから10年後に制作され始めた書物なんですが、本居宣長は神代文字否定派で、弟子筋にあたる平田篤胤は神代文字の存在を主張していました。
つまり、古事記そのものが「後世に見直された結果、正史扱いされた」書物ってことですね。
結局、その当時の権力層が「これが正しい」と言ったものが正しいってことになるんですが(その後の明治時代以降の流れ的にも古事記はピッタリな書物だった)
何よりも僕がこの投稿で伝えたいことは、そろそろ「偽書か真書か」という二項対立自体を見直すべきじゃないかって話なんです(ここが冒頭の課題)
というのも、古事記も倭国書紀も複数の資料を編纂し、政治的意図のもとに取捨選択された「編集物」だからです。
そして、その過程で排除された伝承が、別のルートで伝わっていた可能性を最初から否定する理由はないはずです。
例えば、創建から1000年以上経つ神社の由緒の中には(有名なところだと廣田神社)、記紀ではなく、ホツマツタヱに書かれた内容と紐づくことが多くあります。そういった伝承は古事記や倭国書紀には書かれてないことがほとんどです。
それこそ、かつては伊勢神宮ですら祀ってた瀬織津姫の存在を完全スルーしている記紀に対し、ホツマツタヱはガッツリと記録してる(この内容も各地に残る神社の由緒と一致)
書物を個人の妄想だけで書いたというのは、よくある現代人の発想で、古代の歴史的資料のほとんどが各地の伝承を集めた「編纂物」であるという視点を持つと、もう少し倭国の歴史の可能性の幅が広がるかもしれませんね。
そうして見ていったら倭国の歴史はさらに深くて、ビックリするくらい面白くなるんですわ!ってことでこれからのTOLAND VLOGもよろしくお願いします🔥 December 12, 2025
1RP
本居宣長、名前だけは出てきてたけど本当に登場するのは面白いなあ。
しかも北村一輝という大河2番手経験のある大物が来たということで、光る君へで途絶えていた最終回スペシャルゲストが復活したのも嬉しい。
#大河べらぼう https://t.co/IwnJ0bahK4 December 12, 2025
本居宣長弁当
宣長が大好きだった桜をモチーフにしつつ
「大人(うし)と牛をかけて
地元松阪の牛そぼろ煮 牛しぐれ煮を使った
歴史ロマン駅弁」
なんですね!ありがとうございます。 https://t.co/MJePOYOH5D December 12, 2025
「春町はわが神」
定信様😭
定信は実際「#大河べらぼう」ナレ通り…特に源氏物語は生涯7回も写したりその書写日記を書いたり果ては本居宣長に楯突いたりナレ以上に重いオタクだったかと…。
現代の我々は写さず読める上現代語訳まで手に入る。大名より幸福。
#大河べらぼう
https://t.co/MrMX60Eonn https://t.co/PBoF2Sflsz December 12, 2025
最終回、漸く本居宣長出るのか!
医者やりながら「源氏物語」の同人サークルを主催、賀茂真淵との「松阪の一夜」以降、記紀の研究に入り、国学者として頭角を現わしていく。係り結びについて研究した凄い人。寛政7年に蔦重は彼と面会していて、『手まくら』『玉勝間』とその著作を世に出している。 https://t.co/QgCiWdHfgN December 12, 2025
@NAITO_gambo 江戸城パートは実質大団円を迎えたので、あとは蔦重の大往生…とみせかけて北村一輝の本居宣長を最終回にぶちこんでくるとは思いませんでしたよ!最終回ホントに楽しみです! December 12, 2025
封建思想の復権と
「訓練された無作為」
――近代革命思想の
限界を超えて――
Ⅰ 革命思想の宿命的限界
ジャン=ジャック・ルソーに
代表される近代民主主義は
「理性」
「人民」
「設計可能な社会」
という三つの神話を掲げ、フ
ランス革命を通じて歴史の表
舞台に登場した。
しかし、理性による設計は社
会の複雑性を過小評価し、人
民主権は容易に全体主義的専
制へと転化した。
自由・平等・友愛は、やがて
恐怖政治という逆説的帰結を
招いたのである。
共産主義はこの設計主義をさ
らに先鋭化させ
「完全な社会構造」
を理念的に構想し、現実社会
へ暴力的に適用した。
結果は、粛清と内ゲバ、官僚
支配と停滞、そして最終的な
体制崩壊であった。
また現代のリベラリズムも、
個人の自由と合理的制度設計
を極限まで推し進めた結果、
共同体の空洞化・価値の相対
化・統治不能性という別種の
危機に直面している。
これらに共通するのは、
「変えればよくなる」
という過剰な意思主義である。
Ⅱ 「訓練された無作為」
という政治的徳
ここで重要となるのが、勤勉
な情報収集と思索の果てに
あえて「動かない」
と決断する政治的態度である。
これは怠惰とも無責任とも異な
る。むしろ
•あらゆる選択肢の危険性
を知悉したうえで
•今は作為が最大の破壊を
生むと見抜き
•意図的に「時間の推移」
に委ねる
という、高度に訓練された政治
的自制である。
革命思想が
「作為による救済」
を信仰したのに対し、この思想
は、時間そのものが持つ修復力
均衡回復力への深い信頼に基礎
を置く。
Ⅲ バークとバジョット
の保守主義
エドマンド・バークはフランス
革命を
「人類が長年かけて育てた制度
を、抽象理性で一挙に破壊した
暴挙」
と批判した
彼にとって社会秩序とは、理性
の設計物ではなく
•習慣
•宗教
•家族
•慣例
•身分秩序
といった非合理の堆積によって支
えられる有機体であった。
ウォルター・バジョットもまた
英国憲政を
「威厳の部分」と「効率の部分」
に分解し、伝統の象徴性(王制)
こそが大衆の政治的暴走を抑制
すると論じた。
彼らの核心は共通している。
「制度は機械ではなく、生き物で
ある」
ゆえに、急激な改変は即ち破壊
となる。
Ⅳ 孔子と倭国儒学の
「変えない政治」
孔子の政治思想は革命思想とは
正反対に位置する。
彼は制度改革よりも、
徳の涵養と秩序の継承
を重視した。為政者は積極的に
社会を設計するのではなく、身
を修め、乱れぬ象徴となること
が求められた。
この流れは倭国において
•中江藤樹の「良知」
•荻生徂徠の礼楽秩序論
•山崎闇斎の神儒一致
へと分岐しながら
「作為を最小化する統治観」
を育てていった。
とりわけ徂徠は道徳主義による政
治介入を排し制度を
「維持すべき枠組み」
と捉え直した点で、近代保守主義
と深く響き合う。
Ⅴ 本居宣長と小林秀雄
――反設計主義の美学
本居宣長は儒仏の抽象理性を排し、
「もののあはれ」
という、理性以前の自然な感応を
重視した。
これは政治思想としても極めて重
要で、社会とは
「設計されるもの」
ではなく
「感じ取られ、受け継がれるもの」
だという理解に通じる。
小林秀雄はこれを現代に蘇らせ
革命思想の本質を、
現実を憎み、観念を愛する精神
と喝破した。彼にとって、思想
とは世界を
「良くするため」
にまず破壊しようとする衝動そ
のものであった。
Ⅵ 内ゲバの構造と
「思想とシステム」の問題
革命運動が必ず内ゲバへ向かう
理由は明白である。
「個人」
が悪いのではなく
「思想と制度」
が暴力を生むからである。
制度を理性で設計すればするほど
現実は必ず設計通りに動かない。
そのズレは
「誰かの責任」
と解釈され
粛清 → 権力交代 → 再設計
→ さらなる失敗
という破局的循環が発生する。
これはフランス革命、ロシア革
命、中国文化大革命、すべてに
共通する制度暴力の法則である。
Ⅶ 封建思想・保守思想の現代
的意味
ここで再評価されるのが、封建
思想・保守思想である。
それは「反動」でも「時代遅れ」
でもない。
それは
•急変を拒む思想
•人間理性の限界を認める思想
•変えないことで重心を保つ思想
である。
すなわち、
「何かを変えようとする思想」
ではなく、
「変えないことで安定させる思想」
である。
近代は「変革」を信仰した時代で
あった。
しかし21世紀は
「変えない」
という行為が、最も高度な統治技
術となる時代に移行しつつある。
訓練された無作為
熟慮された不作為
そして時間に委ねる勇気
それこそが、バークから孔子、
本居宣長、小林秀雄へと貫かれる、
真の保守思想の核心なのである。 December 12, 2025
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