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倭国書紀
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2025.12.17 01:00
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邪馬台国論は、単に「邪馬台国がどこにあったのか」をめぐる議論ではありません。実は、倭国という国が、どのような思想や歴史観の上に成り立ってきたのかを考えるうえで、今もなお大きな意味を持つ問題です。
もし卑弥呼が、一地方を治めていた有力な首長にすぎなかったと考えるなら、この問題は比較的穏やかに受け止めることができます。しかし、卑弥呼や、その後を継いだ台与が、のちの天皇家につながる存在だったとすると、話は大きく変わってきます。なぜなら、伝えられている系譜の中では、卑弥呼や台与の配偶者が、男系で皇統につながっていないとされているからです。
結論から言えば、卑弥呼や台与が、天皇家の祖につながる女帝であったとするならば、『古事記』や『倭国書紀』が大切にしてきた「万世一系」という考え方は、根本から見直さざるを得なくなります。これは単なる歴史の問題ではなく、今後の倭国の国家観や信仰のあり方にも関わる、きわめて深いテーマだと言えるでしょう。
ここで紹介したいのが、元伊勢籠神社の宮司であった海部穀定氏の言葉です。少し長い文章ですが、倭国の古代史をどう受け止めるかを考える上で、非常に示唆に富んだ内容です。
【以下引用文】
九世孫日女命及び十一世孫平止与命が、現人身であらせられるところの天照大神であらせられるとするなれば、魏志倭人伝の記事がさしつかえて、対外的にその威信を保つことは不可能であったであろう。
神功皇后の年代が、その時代まで押上げられた所以なのである。若しかりに、卑弥呼、台与の二女王が、皇統の祖神であらせられなかったとするなれば、国史である書紀が、何を好んで神功皇后であらせられたかの如くに、その年代を合致せしめる必要があったであろうか。換言するなれば、二女王は宣長の申すように、九州辺の一箇長として、回願しないままに放置しておけばよかった筈なのである。
皇統の祖神としてその御魂をお祭りしなければならなかったからこそ、神功皇后の御名に於てお祭りして来た次第なのである。記紀の編集者は、いずれも、異常の苦悩に堪えて涙をのんで、長年月をかけてその業を終えたものであろうと感激に堪えない次第である。
人体を具えられた人間神であらせられる天照大神が、八世孫後得魂彦命以後(著者注、倭迹々日百襲姫命が有力な候補者)に実在せられていて、その天孫或は皇孫が九州へ天降られた事実があったのであるが、それが、国史の表面に於ては極秘とせられて来たと云うことなのである(海部穀定『元初の最高神と大和朝廷の元始』)。
この指摘は、邪馬台国論を単なる学説の対立としてではなく、倭国の歴史意識や信仰の形成過程そのものとして捉える視点を私たちに与えてくれます。古代の編纂者たちが何を守ろうとし、何に苦しんだのかを考えることは、現代に生きる私たちが倭国という国をどう理解するかにも、深く関わってくる問題なのです。
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