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倭国書紀
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2025.12.13 12:00
:0% :0% (50代/男性)
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カプセル兵団が年末に行う朗読劇の
【ホツマツタエ】とはなんぞや?
その2
『ホツマツタエ』は偽書とされてきました。
・その理由は、江戸時代に写本が発見されたけど、それ以前に書かれた物が見つからない
・ホツマツタエが書かれていた神代文字は、漢字が伝わる前の文字と言われているが、ハングルに似ていたりして江戸時代以降に作られた創作文字だと判断された。
・古代倭国は万葉集等は母音が8音だったが、現代の5音で書かれている。
・江戸時代以降の言葉「妾」等が使われている。
等の理由で長らく偽物の創作物『偽書』とされてきました。
故にそれ以降、政府も学会も真偽を調べることはしなくなったのですが。
個人的に調べている学者さん達によると
現在は
・古事記や倭国書紀も写本しかなく、原本がない。古事記は712年成立とされるが、見つかったのは1371年頃の写本。
竹取物語、源氏物語でさえ写本しか残っていない。
・倭国では漢字が中国から伝わる前には文字はなかったとされている。しかし、2000年前からある神社の石碑等に神代文字が刻まれていたり、神事やお札には神代文字が今も使われており、倭国最古の神社幣立神社では御神体の鏡に神代文字が刻まれている。
中国5000年前の最古の文字、甲骨文字が発見されたのが1899年の明治時代。しかし、神代文字の一つ阿比留草文字は甲骨文字に非常にそっくりで、国学者・平田篤胤が神代文字に関する書『神字日文伝』を書いたのは、1819年の江戸時代の為、甲骨文字が発見される遥か前になる。
またハングルによく似た阿比留文字もあるが、ハングルが作られたのは1443年である。
〈神代文字は地域ごとの文字で複数ある〉
・江戸時代に書き写したのだから、その時の言葉に訳して書き写した可能性がある。源氏物語も書き写した人によって主観が入り内容に違いが出来てしまっている
・倭国書紀には以下のような文が存在する。
漢字より古い言葉が沢山あって、読んで意味を選ぶのに取捨選択をした。兄弟の順番や、出来事が間違っている事がある。と書かれている。
・古代は母音が8音だったのは、渡来人の「耳」から生まれた漢字の書き分けによるもの。つまり、簡単に言えば漢字を習う時英語みたいに外国語訛りで書いていた。と思われ、8母音説の方が現代では間違いだったとされている。
という理由で、今では偽物であるという理由の方が弱くなってきているのです。
何より、神様の世界として書かれた古事記では、矛から雫を垂らして島を産み男が神様を生み、剣を噛み砕いて子供産み、天から神様がやってきて、鳥や兎が喋ると言ったファンタジーなのに対して、ホツマツタエはそれらの出来事を人間の歴史として辻褄が合い腑に落ちる様に描かれているのが面白いのです。
#カプセル兵団
#アクティブイマジネーション朗読劇
#ホツマツタエとは
#秀真伝
#声優 December 12, 2025
1RP
個人でゲーム開発してます!
和風3DアクションRPG「鬼の守り人」をSteam公開に向けて製作中です!(原神などカジュアル寄りの難易度!) https://t.co/HRvoWt0Szv
古事記・倭国書紀の伝説や古代九州の伝説などから着想を得たお話です!
#スーパー開発デー
#スーパーゲ制デー https://t.co/Muc6SC1e0A December 12, 2025
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### 超深掘り編:お雑煮の起源・変遷・地域差の真実
#### 本当の起源は「弥生時代~古墳時代」にまで遡れる
- 考古学的に確認されている最古の「餅を煮て食べる料理」は、弥生時代後期~古墳時代の遺跡から出土した「餅を入れた土器」です。
- 『倭国書紀』(720年)には、元旦に「餅を煮て天皇に献上した記録があり、これが「煮餅(にもち)」と呼ばれていました。つまり少なくとも1300年以上前から「正月に餅を煮る」という行為は存在していたのです。
#### 「雑煮」という名前が誕生した決定的瞬間
- 「雑煮(ぞうに)」という言葉が初めて文献に登場するのは、室町時代応永年間(1394~1428年)の『尺素往来(せきそおうらい)』です。
- 当初は「雑(まじまじ)に煮る」=「いろいろな具材を一緒に煮る」という意味でした。
- これは中国の「合菜(ハーツァイ)」という「具だくさんの煮込み料理」の影響を受けたと言われています。
#### 江戸時代に起きた「史上最大のお雑煮戦争」
江戸中期になると、こんな事件が実際に起きています。
【1767年(明和4年)「お雑煮論争」】
- 江戸っ子(角餅+醤油すまし汁)と京都人(丸餅+白味噌)が大ゲンカ。
- 本屋が「東西雑煮合(とうざいぞうにがっさい)」という本を出版し、両者のレシピを比較して煽った結果、江戸中で大論争に。
- 最終的に「どっちも正しい」と結論が出たが、これ以降「東西のお雑煮は別物」という意識」が決定的になった。
#### 現在確認されている「極端すぎる地域のお雑煮」ベスト5
1. 香川県小豆島
→ 餡子入り甘いお雑煮(餅に餡子を詰めて甘く煮る)
倭国で唯一「甘いお雑煮」が主流の地域
2. 島根県津和野
→ 鯛の頭+丸餅+豆腐+こんにゃく+ぜんまい
頭から尻尾まで鯛を丸ごと入れる「鯛雑煮」
3. 秋田県仙北市角館
→ 凍らせた汁に凍った餅を入れる「凍み雑煮(しみぞうに)」
マイナス20℃でも汁が凍らないよう塩を極端に効かせる
4. 奈良県吉野
→ きな粉をまぶした餅を入れた「きな粉雑煮」
汁は一切使わない「ドライ雑煮」
5. 鹿児島県奄美大島
→ 鶏肉+餅+たんかん(柑橘)+黒糖
南国風甘酸っぱい雑煮
#### 現代でも続く「家庭内お雑煮戦争」の実態(2024~2025年調査)
- 結婚したカップルの約38%が「正月にどちらの実家の雑煮を食べるかで揉める(ゼクシィ調べ)
- 特に「関東×関西」のカップルは離婚危機レベルで喧嘩するケースが続出
- 解決策として登場したのが「半分ずつ器に盛る二色雑煮」→ これが今TikTokでバズってる
#### 最後に、本当の意味での「倭国一古いお雑煮」
京都・上賀茂神社の「賀茂別雷神社」では、今でも飛鳥時代(645年)から続く「お煮か」を正月に作っています。
- 丸餅+小豆+里芋のみ
- 味付けは塩のみ
- これが文献で確認できる「現存最古のレシピ」です
お雑煮はただの料理ではなく、1300年以上にわたる倭国の歴史・風土・家族の絆そのものなんですね。
だからこそ、どれが正しいとかじゃなくて「どれも正しい」んです。
……でもやっぱり香川の甘いお雑煮だけは許せない(冗談です)
もっと知りたい地域があれば、どこでも掘り下げますよ! December 12, 2025
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冬野菜の代表格でもある大根。『古事記』『倭国書紀』にはだいこんのことを「おほね」と記されています。これに大根という漢字をあて、音読みで「ダイコン」と呼ばれるようになったそう。おでんやふろふき大根など旬の味を楽しみたいものです。 https://t.co/6yAs0rybcO December 12, 2025
カプセル兵団が年末に行う朗読劇の
【ホツマツタエ】とはなんぞや?
その2
『ホツマツタエ』は偽書とされてきました。
・その理由は、江戸時代に写本が発見されたけど、それ以前に書かれた物が見つからない
・ホツマツタエが書かれていた神代文字は、漢字が伝わる前の文字と言われているが、ハングルに似ていたりして江戸時代以降に作られた創作文字だと判断された。
・古代倭国は万葉集等は母音が8音だったが、現代の5音で書かれている。
・江戸時代以降の言葉「妾」等が使われている。
等の理由で長らく偽物の創作物『偽書』とされてきました。
故にそれ以降、政府も学会も真偽を調べることはしなくなったのですが。
個人的に調べている学者さん達によると
現在は
・古事記や倭国書紀も写本しかなく、原本がない。古事記は712年成立とされるが、見つかったのは1371年頃の写本。
竹取物語、源氏物語でさえ写本しか残っていない。
・倭国では漢字が中国から伝わる前には文字はなかったとされている。しかし、2000年前からある神社の石碑等に神代文字が刻まれていたり、神事やお札には神代文字が今も使われており、倭国最古の神社幣立神社では御神体の鏡に神代文字が刻まれている。
中国5000年前の最古の文字、甲骨文字が発見されたのが1899年の明治時代。しかし、神代文字の一つ阿比留草文字は甲骨文字に非常にそっくりで、国学者・平田篤胤が神代文字に関する書『神字日文伝』を書いたのは、1819年の江戸時代の為、甲骨文字が発見される遥か前になる。
またハングルによく似た阿比留文字もあるが、ハングルが作られたのは1443年である。
〈神代文字は地域ごとの文字で複数ある〉
・江戸時代に書き写したのだから、その時の言葉に訳して書き写した可能性がある。源氏物語も書き写した人によって主観が入り内容に違いが出来てしまっている
・倭国書紀には以下のような文が存在する。
漢字より古い言葉が沢山あって、読んで意味を選ぶのに取捨選択をした。兄弟の順番や、出来事が間違っている事がある。と書かれている。
・古代は母音が8音だったのは、渡来人の「耳」から生まれた漢字の書き分けによるもの。つまり、簡単に言えば漢字を習う時英語みたいに外国語訛りで書いていた。と思われ、8母音説の方が現代では間違いだったとされている。
という理由で、今では偽物であるという理由の方が弱くなってきているのです。
何より、神様の世界として書かれた古事記では、矛から雫を垂らして島を産み男が神様を生み、剣を噛み砕いて子供産み、天から神様がやってきて、鳥や兎が喋ると言ったファンタジーなのに対して、ホツマツタエはそれらの出来事を人間の歴史として辻褄が合い腑に落ちる様に描かれているのが面白いのです。
#カプセル兵団
#アクティブイマジネーション朗読劇
#ホツマツタエとは December 12, 2025
### 超深掘り編:お雑煮の起源・変遷・地域差の真実
#### 本当の起源は「弥生時代~古墳時代」にまで遡れる
- 考古学的に確認されている最古の「餅を煮て食べる料理」は、弥生時代後期~古墳時代の遺跡から出土した「餅を入れた土器」です。
- 『倭国書紀』(720年)には、元旦に「餅を煮て天皇に献上した記録があり、これが「煮餅(にもち)」と呼ばれていました。つまり少なくとも1300年以上前から「正月に餅を煮る」という行為は存在していたのです。
#### 「雑煮」という名前が誕生した決定的瞬間
- 「雑煮(ぞうに)」という言葉が初めて文献に登場するのは、室町時代応永年間(1394~1428年)の『尺素往来(せきそおうらい)』です。
- 当初は「雑(まじまじ)に煮る」=「いろいろな具材を一緒に煮る」という意味でした。
- これは中国の「合菜(ハーツァイ)」という「具だくさんの煮込み料理」の影響を受けたと言われています。
#### 江戸時代に起きた「史上最大のお雑煮戦争」
江戸中期になると、こんな事件が実際に起きています。
【1767年(明和4年)「お雑煮論争」】
- 江戸っ子(角餅+醤油すまし汁)と京都人(丸餅+白味噌)が大ゲンカ。
- 本屋が「東西雑煮合(とうざいぞうにがっさい)」という本を出版し、両者のレシピを比較して煽った結果、江戸中で大論争に。
- 最終的に「どっちも正しい」と結論が出たが、これ以降「東西のお雑煮は別物」という意識」が決定的になった。
#### 現在確認されている「極端すぎる地域のお雑煮」ベスト5
1. 香川県小豆島
→ 餡子入り甘いお雑煮(餅に餡子を詰めて甘く煮る)
倭国で唯一「甘いお雑煮」が主流の地域
2. 島根県津和野
→ 鯛の頭+丸餅+豆腐+こんにゃく+ぜんまい
頭から尻尾まで鯛を丸ごと入れる「鯛雑煮」
3. 秋田県仙北市角館
→ 凍らせた汁に凍った餅を入れる「凍み雑煮(しみぞうに)」
マイナス20℃でも汁が凍らないよう塩を極端に効かせる
4. 奈良県吉野
→ きな粉をまぶした餅を入れた「きな粉雑煮」
汁は一切使わない「ドライ雑煮」
5. 鹿児島県奄美大島
→ 鶏肉+餅+たんかん(柑橘)+黒糖
南国風甘酸っぱい雑煮
#### 現代でも続く「家庭内お雑煮戦争」の実態(2024~2025年調査)
- 結婚したカップルの約38%が「正月にどちらの実家の雑煮を食べるかで揉める(ゼクシィ調べ)
- 特に「関東×関西」のカップルは離婚危機レベルで喧嘩するケースが続出
- 解決策として登場したのが「半分ずつ器に盛る二色雑煮」→ これが今TikTokでバズってる
#### 最後に、本当の意味での「倭国一古いお雑煮」
京都・上賀茂神社の「賀茂別雷神社」では、今でも飛鳥時代(645年)から続く「お煮か」を正月に作っています。
- 丸餅+小豆+里芋のみ
- 味付けは塩のみ
- これが文献で確認できる「現存最古のレシピ」です
お雑煮はただの料理ではなく、1300年以上にわたる倭国の歴史・風土・家族の絆そのものなんですね。
だからこそ、どれが正しいとかじゃなくて「どれも正しい」んです。
……でもやっぱり香川の甘いお雑煮だけは許せない(冗談です)
もっと知りたい地域があれば、どこでも掘り下げますよ! December 12, 2025
### 超深掘り編:お雑煮の起源・変遷・地域差の真実
#### 本当の起源は「弥生時代~古墳時代」にまで遡れる
- 考古学的に確認されている最古の「餅を煮て食べる料理」は、弥生時代後期~古墳時代の遺跡から出土した「餅を入れた土器」です。
- 『倭国書紀』(720年)には、元旦に「餅を煮て天皇に献上した記録があり、これが「煮餅(にもち)」と呼ばれていました。つまり少なくとも1300年以上前から「正月に餅を煮る」という行為は存在していたのです。
#### 「雑煮」という名前が誕生した決定的瞬間
- 「雑煮(ぞうに)」という言葉が初めて文献に登場するのは、室町時代応永年間(1394~1428年)の『尺素往来(せきそおうらい)』です。
- 当初は「雑(まじまじ)に煮る」=「いろいろな具材を一緒に煮る」という意味でした。
- これは中国の「合菜(ハーツァイ)」という「具だくさんの煮込み料理」の影響を受けたと言われています。
#### 江戸時代に起きた「史上最大のお雑煮戦争」
江戸中期になると、こんな事件が実際に起きています。
【1767年(明和4年)「お雑煮論争」】
- 江戸っ子(角餅+醤油すまし汁)と京都人(丸餅+白味噌)が大ゲンカ。
- 本屋が「東西雑煮合(とうざいぞうにがっさい)」という本を出版し、両者のレシピを比較して煽った結果、江戸中で大論争に。
- 最終的に「どっちも正しい」と結論が出たが、これ以降「東西のお雑煮は別物」という意識」が決定的になった。
#### 現在確認されている「極端すぎる地域のお雑煮」ベスト5
1. 香川県小豆島
→ 餡子入り甘いお雑煮(餅に餡子を詰めて甘く煮る)
倭国で唯一「甘いお雑煮」が主流の地域
2. 島根県津和野
→ 鯛の頭+丸餅+豆腐+こんにゃく+ぜんまい
頭から尻尾まで鯛を丸ごと入れる「鯛雑煮」
3. 秋田県仙北市角館
→ 凍らせた汁に凍った餅を入れる「凍み雑煮(しみぞうに)」
マイナス20℃でも汁が凍らないよう塩を極端に効かせる
4. 奈良県吉野
→ きな粉をまぶした餅を入れた「きな粉雑煮」
汁は一切使わない「ドライ雑煮」
5. 鹿児島県奄美大島
→ 鶏肉+餅+たんかん(柑橘)+黒糖
南国風甘酸っぱい雑煮
#### 現代でも続く「家庭内お雑煮戦争」の実態(2024~2025年調査)
- 結婚したカップルの約38%が「正月にどちらの実家の雑煮を食べるかで揉める(ゼクシィ調べ)
- 特に「関東×関西」のカップルは離婚危機レベルで喧嘩するケースが続出
- 解決策として登場したのが「半分ずつ器に盛る二色雑煮」→ これが今TikTokでバズってる
#### 最後に、本当の意味での「倭国一古いお雑煮」
京都・上賀茂神社の「賀茂別雷神社」では、今でも飛鳥時代(645年)から続く「お煮か」を正月に作っています。
- 丸餅+小豆+里芋のみ
- 味付けは塩のみ
- これが文献で確認できる「現存最古のレシピ」です
お雑煮はただの料理ではなく、1300年以上にわたる倭国の歴史・風土・家族の絆そのものなんですね。
だからこそ、どれが正しいとかじゃなくて「どれも正しい」んです。
……でもやっぱり香川の甘いお雑煮だけは許せない(冗談です)
もっと知りたい地域があれば、どこでも掘り下げますよ! December 12, 2025
### 超深掘り編:お雑煮の起源・変遷・地域差の真実
#### 本当の起源は「弥生時代~古墳時代」にまで遡れる
- 考古学的に確認されている最古の「餅を煮て食べる料理」は、弥生時代後期~古墳時代の遺跡から出土した「餅を入れた土器」です。
- 『倭国書紀』(720年)には、元旦に「餅を煮て天皇に献上した記録があり、これが「煮餅(にもち)」と呼ばれていました。つまり少なくとも1300年以上前から「正月に餅を煮る」という行為は存在していたのです。
#### 「雑煮」という名前が誕生した決定的瞬間
- 「雑煮(ぞうに)」という言葉が初めて文献に登場するのは、室町時代応永年間(1394~1428年)の『尺素往来(せきそおうらい)』です。
- 当初は「雑(まじまじ)に煮る」=「いろいろな具材を一緒に煮る」という意味でした。
- これは中国の「合菜(ハーツァイ)」という「具だくさんの煮込み料理」の影響を受けたと言われています。
#### 江戸時代に起きた「史上最大のお雑煮戦争」
江戸中期になると、こんな事件が実際に起きています。
【1767年(明和4年)「お雑煮論争」】
- 江戸っ子(角餅+醤油すまし汁)と京都人(丸餅+白味噌)が大ゲンカ。
- 本屋が「東西雑煮合(とうざいぞうにがっさい)」という本を出版し、両者のレシピを比較して煽った結果、江戸中で大論争に。
- 最終的に「どっちも正しい」と結論が出たが、これ以降「東西のお雑煮は別物」という意識」が決定的になった。
#### 現在確認されている「極端すぎる地域のお雑煮」ベスト5
1. 香川県小豆島
→ 餡子入り甘いお雑煮(餅に餡子を詰めて甘く煮る)
倭国で唯一「甘いお雑煮」が主流の地域
2. 島根県津和野
→ 鯛の頭+丸餅+豆腐+こんにゃく+ぜんまい
頭から尻尾まで鯛を丸ごと入れる「鯛雑煮」
3. 秋田県仙北市角館
→ 凍らせた汁に凍った餅を入れる「凍み雑煮(しみぞうに)」
マイナス20℃でも汁が凍らないよう塩を極端に効かせる
4. 奈良県吉野
→ きな粉をまぶした餅を入れた「きな粉雑煮」
汁は一切使わない「ドライ雑煮」
5. 鹿児島県奄美大島
→ 鶏肉+餅+たんかん(柑橘)+黒糖
南国風甘酸っぱい雑煮
#### 現代でも続く「家庭内お雑煮戦争」の実態(2024~2025年調査)
- 結婚したカップルの約38%が「正月にどちらの実家の雑煮を食べるかで揉める(ゼクシィ調べ)
- 特に「関東×関西」のカップルは離婚危機レベルで喧嘩するケースが続出
- 解決策として登場したのが「半分ずつ器に盛る二色雑煮」→ これが今TikTokでバズってる
#### 最後に、本当の意味での「倭国一古いお雑煮」
京都・上賀茂神社の「賀茂別雷神社」では、今でも飛鳥時代(645年)から続く「お煮か」を正月に作っています。
- 丸餅+小豆+里芋のみ
- 味付けは塩のみ
- これが文献で確認できる「現存最古のレシピ」です
お雑煮はただの料理ではなく、1300年以上にわたる倭国の歴史・風土・家族の絆そのものなんですね。
だからこそ、どれが正しいとかじゃなくて「どれも正しい」んです。
……でもやっぱり香川の甘いお雑煮だけは許せない(冗談です)
もっと知りたい地域があれば、どこでも掘り下げますよ! December 12, 2025
音村先生@otomura_saekoからサイン入りの本を送ってもらったー✨
タヌキのサインがとてもカワイイ😊
愛智神話をわかりやすく描いてあって
ユーモアセンスも最高w🤣
愛智神話はマイナーかもしれないけど倭国書紀とか古事記とか神話好きの人なら絶対楽しいw https://t.co/cesOGgvMYF December 12, 2025
カプセル兵団が年末に行う朗読劇の
【ホツマツタエ】とはなんぞや?
「ホツマツタエ」とは秀真伝と書きます。
ホツマの国の伝説だから
《ホツマ 伝え》なのです。
ホツマとは何ぞや?
人間が生きる上での真理とか、教えとかそんな感じ
倭国最古の歴史書とされる『古事記』
より古くから伝わっているとされる古伝の一つで
時の朝廷が編纂した古事記や倭国書紀
には描かれなかった、本当の歴史かもしれない事が書かれており。
全ての文が五・七調の歌として描かれている。
天の巻、地の巻、人の巻 の3巻からなっており。
天地創造から景行天皇の時代、ヤマトタケル迄が描かれている
#ホツマツタエ
#秀真伝
#カプセル兵団
#アクティブイマジネーション朗読劇
#声優 December 12, 2025
韓国にも倭国と同様に、火山に対する崇拝や信仰の伝統が存在します。とりわけ済州島の漢拏山は民族の守護神として認識されており、白頭山は民族の聖山としてきわめて神聖な場所とされています。白頭山は民族の安寧と豊穣を祈る象徴的空間であるため、今日でも多くの韓国人が中国側の国境を経由し、巡礼の形で白頭山を訪れることがあります。
歴史的観点から見ると、召文国は邪馬台国と深い関連性を有していたと考えられています。朝鮮半島南部の召文国が新羅の圧迫によって消滅した後、その残余勢力が九州へ移住したという見解も存在します。ただし、この召文国も当時の倭国列島各地に点在していた半島系分国の一つにすぎません。
また、大和政権の起源については、これを古代伽耶系勢力とみなす説が有力です。倭国神話の主要構造も、概ね 古朝鮮(遼河地域)→ 三韓(とりわけ伽耶)→ 倭国列島(大和) という移動経路を反映していると考えられます。天孫降臨神話の淵源は古朝鮮の天符三印(のちに倭国では三種の神器として伝承)に結びつき、アマテラスは召文国系、スサノオは紀元前の百済系、ニニギおよび神武天皇へと続く系譜は伽耶系と推定されています。もちろん、これら一連の流れの根底には「韓」というより大きな文化的基層が存在します。
天皇が十一月二十三日の祭祀において、祝文で「韓神」を奉る旨を唱える伝統や、朝鮮半島の方言的特徴を帯びた古語で女神を呼称する習俗も、同系統性を示唆するものです。
さらに、イザナギ・イザナミが降臨したと伝えられる霧島地域には、「韓国岳(からくにだけ)」という山が存在する点も注目に値します。『古事記』において「カラ(韓)」は朝鮮半島を意味し、「カラ」はすなわち伽耶の古称でもあります。
すなわち、大和とは古代の伽耶系勢力が形成した政権であり、七世紀に百済が滅亡した後には、百済系の人々が列島の指導層を占めるようになったと考えられています。
百済滅亡後、大和が国号を「倭国」へと改称したのも象徴的です。これは当時、百済の別称でもありました。唐の史書には、百済=倭国、高句麗=風谷、新羅=盤桃、倭=扶桑といった別称が記録されています。
これは列島で「倭国」という国号が公式に登場する以前から、百済がすでにその名称で呼ばれていたことを示すものであり、最古の「倭国」表記の一つといえます。
したがって、百済滅亡後に多数の遺民と指導層が列島に移住し、その時期に倭が国号を改めたという事実は、権力層および主導勢力が交代したことを意味しているとも解釈できます。
いずれにせよ、倭国の神々は単一の直系血統で継承された存在ではなく、半島系集団が列島へ渡来する過程で持ち込んだ多様な信仰・物語が融合した結果として理解する方が妥当でしょう。言い換えれば、朝鮮半島から渡来した政治勢力が列島各地に分国を築き、それが次第に中央集権的体制へと統合される過程で、諸々の神話的要素が一つの体系として再編されたものと考えられます。
要するに、倭国古代史の中核を成す相当部分は、朝鮮半島系の移住集団の文化・言語・信仰に基づいて形成されており、これは太古以来、朝鮮半島と倭国列島が密接に結びついていたことを示す重要な歴史的根拠であると言えます。
そして、百済の滅亡を記した『倭国書紀』の天智天皇紀には、次のように記されております。
『今日をもって百済の名が絶えたので、先祖の墓をいかにして往来できようか。』 December 12, 2025
@mgmg001001_02 ありがとうございます!
今調べてみましたがすごく雰囲気のある神社ですね!すごい、倭国書紀にも載ってる!
機会があればぜひ行ってみたいです!! December 12, 2025
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