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倭国書紀
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2025.12.16
:0% :0% ( 40代 / 男性 )
倭国書紀に関するポスト数は前日に比べ58%減少しました。男性の比率は18%増加し、本日も40代男性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「古事記」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「パンダ外交」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
20年ほど前にweb上でパンダ外交は唐代からあった、という珍説が出たことがあったな。『倭国書紀』で阿倍比羅夫が粛慎(北海道アイヌを漢籍の異民族の名を借りて表現したもの)の地でヒグマの毛皮と生け捕りにしたヒグマを得たという記録を誤読し、ヒグマをパンダと間違えたもの。 December 12, 2025
36RP
女芸人頑張ってる!に「頑張ってるとかストーリーはどうでもいい」は確かにと思うけど、「粗品にはお笑いへの熱意を感じるから」みたいなストーリーも粗品の評と行動の価値を何も担保しないしな、熱意があったからなんやねん
「倭国書紀はツッコミに回せ」とかそれは粗品の芸風やろってなる点あるし December 12, 2025
3RP
霜月祭の最初の神事で唱える各種祝詞なんだけど、月待祓という月神の祝詞が、昨年高知で見たいざなぎ流の日月祭で唱えられていた祝詞と同じだったのですごくテンションが上がった。吉田神道か修験の流れか、とにかく広く民間で唱えられていたもののようで、そして何より文言がかっこいいんです、この月の祝詞。
ツクヨミノミコト、という月の神ですが、倭国書紀ではこの祝詞の通り、月弓尊、月夜見尊、月読尊と三種類の表記があり、それぞれに月の働きの別の側面を表していると考察されています。 December 12, 2025
3RP
邪馬台国論は、単に「邪馬台国がどこにあったのか」をめぐる議論ではありません。実は、倭国という国が、どのような思想や歴史観の上に成り立ってきたのかを考えるうえで、今もなお大きな意味を持つ問題です。
もし卑弥呼が、一地方を治めていた有力な首長にすぎなかったと考えるなら、この問題は比較的穏やかに受け止めることができます。しかし、卑弥呼や、その後を継いだ台与が、のちの天皇家につながる存在だったとすると、話は大きく変わってきます。なぜなら、伝えられている系譜の中では、卑弥呼や台与の配偶者が、男系で皇統につながっていないとされているからです。
結論から言えば、卑弥呼や台与が、天皇家の祖につながる女帝であったとするならば、『古事記』や『倭国書紀』が大切にしてきた「万世一系」という考え方は、根本から見直さざるを得なくなります。これは単なる歴史の問題ではなく、今後の倭国の国家観や信仰のあり方にも関わる、きわめて深いテーマだと言えるでしょう。
ここで紹介したいのが、元伊勢籠神社の宮司であった海部穀定氏の言葉です。少し長い文章ですが、倭国の古代史をどう受け止めるかを考える上で、非常に示唆に富んだ内容です。
【以下引用文】
九世孫日女命及び十一世孫平止与命が、現人身であらせられるところの天照大神であらせられるとするなれば、魏志倭人伝の記事がさしつかえて、対外的にその威信を保つことは不可能であったであろう。
神功皇后の年代が、その時代まで押上げられた所以なのである。若しかりに、卑弥呼、台与の二女王が、皇統の祖神であらせられなかったとするなれば、国史である書紀が、何を好んで神功皇后であらせられたかの如くに、その年代を合致せしめる必要があったであろうか。換言するなれば、二女王は宣長の申すように、九州辺の一箇長として、回願しないままに放置しておけばよかった筈なのである。
皇統の祖神としてその御魂をお祭りしなければならなかったからこそ、神功皇后の御名に於てお祭りして来た次第なのである。記紀の編集者は、いずれも、異常の苦悩に堪えて涙をのんで、長年月をかけてその業を終えたものであろうと感激に堪えない次第である。
人体を具えられた人間神であらせられる天照大神が、八世孫後得魂彦命以後(著者注、倭迹々日百襲姫命が有力な候補者)に実在せられていて、その天孫或は皇孫が九州へ天降られた事実があったのであるが、それが、国史の表面に於ては極秘とせられて来たと云うことなのである(海部穀定『元初の最高神と大和朝廷の元始』)。
この指摘は、邪馬台国論を単なる学説の対立としてではなく、倭国の歴史意識や信仰の形成過程そのものとして捉える視点を私たちに与えてくれます。古代の編纂者たちが何を守ろうとし、何に苦しんだのかを考えることは、現代に生きる私たちが倭国という国をどう理解するかにも、深く関わってくる問題なのです。
https://t.co/9iPzYt3Uu0
#邪馬台国 #卑弥呼 #台与 #魏志倭人伝 #天皇 #邪馬台国論争 #天照大神 #伊勢神宮 #瀬織津姫 #セオリツヒメ #ひみこ #大神神社 #箸墓 #箸墓古墳 #神功皇后 December 12, 2025
2RP
@misuzu_shobo 孤立していた列島が、対他的な意識のもとで辺境にいる自覚を抱き、やがて鎖国へと向かう。「倭国人」という自意識はそのなかで芽生えたもので、本書ではその最初期のあらわれを『倭国書紀』のなかに見ている December 12, 2025
1RP
天狗(あまつきつね)は大きい火球(のはず)です
大きい火球(多分倭国海に落ちた)とアースグレイジング火球(地球に衝突せずに大気中を通過して去って行く小天体)らしいのが『倭国書紀』に出てます
赤気(低緯度オーロラ)は『倭国書紀』と『明月記』です
彗星(ほうきぼし)は『倭国書紀』に割としょっちゅう出てきてますね
あと『熒惑(火星)が月に隠れた』というのは火星食でこれも『倭国書紀』から
流星群は割と最近ふたご座流星群があったけど、流星群は年に何度もあります
流星群じゃなくても流れ星だけなら一晩空を眺めてれば1個くらいは見れます
確実に見たい場合は8月のペルセウス座流星群が季節的にはオススメ(流星群の中でも安定していて数も多い) December 12, 2025
倭国書紀 雄略天皇紀
冬十月乙卯朔辛酉、以水間君所獣【養鳥人】等、安置於輕村•磐余村ニ所‥
水間=水沼←筑紫
杖丈人•典曹人•養鳥人
◉九州王朝説
「倭王武」の系譜の五王(讃•珍•済•興•武)を九州倭国の王(武烈天皇)と結びつけ磐井をその「武」に比定する見方⚡️
(#^.^#)📙読んで見なくては! https://t.co/wkMgQc32xM December 12, 2025
こういう、天照大神を男性神とか言っちゃう恥ずかしい人、たまにいるけど、倭国書紀とか読んだ事無いのか?
現代文だけでなく、漫画ですら出てるのに
読んだ事あるなら、天照大神が姉で
須佐男から急いで男装して警戒したエピすら知らずに
男装絵だけ見て「男神!」とか言ってんのか?→ https://t.co/4iMgdjmkNn December 12, 2025
諸星めぐるさんの放送、はじめて見たけど古代史にも精通しててすげーって思った。個人的にだけど、古事記と倭国書紀の内容の違いを説明できる人ってあまり居ないよ。
、、、界隈にはいっぱいいるだろうけど。 December 12, 2025
倭国人は歴史を学んでいない、という外国人の言い分を聞くたびに、私はいつも違和感を覚える。
倭国人が本当に歴史を学んでいないのなら、七十年以上も戦争をせずに国家を維持できるはずがないからだ。
むしろ倭国人は、学びすぎるほど学んだ結果、あえて距離を取っている。
それが現実だ。
古事記、倭国書紀、倭国神話。
これらを本気で読み込み、思想として血肉化すれば、倭国は確かに別の方向へ振れる可能性がある。
天と地、神と人、国家と祭祀が不可分だった時代の世界観は、強烈だ。
それを現代国家にそのまま持ち込めば、「倭国は神の国だ」という言葉が再び現実味を帯びるだろう。
問題は、そこから先だ。
神話的自己認識は、誇りにもなるが、同時に容易に排他性と使命感を生む。
歴史が示している通り、使命感を帯びた国家は、しばしば軍事と結びつく。
正義を自認した瞬間、抑制は弱さと誤解される。
だから倭国人は、知っていて距離を置いている。
忘れているのではない。
選んでいるのだ。
今の倭国は、神話を完全に否定してもいないし、全面的に掲げてもいない。
戦前の極端にも戻らず、無自覚な空白にも落ちていない。
この曖昧さこそが、倭国社会の知恵だ。
何事もほどほどがいい。
これは怠惰ではない。
極端の先に何があるかを、身をもって知った国の判断である。
強くなりすぎないこと。
語りすぎないこと。
誇りを持ちすぎないこと。
だが、失いもしないこと。
今の倭国は、その微妙な均衡の上に立っている。
神話を知り、歴史を知り、それでも拳を握らない。
それは歴史を学んでいない国の姿ではない。
むしろ、
歴史を学びすぎた国だからこそ選んだ、沈黙と節度だ。
私は、今ぐらいの倭国が一番いいと思う。
過剰でもなく、空虚でもない。
ほどほどであることを、自覚的に選んでいる国。
それは弱さではない。
成熟だ。 December 12, 2025
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倭国人は歴史を学んでいない、という外国人の言い分を聞くたびに、私はいつも違和感を覚える。
倭国人が本当に歴史を学んでいないのなら、七十年以上も戦争をせずに国家を維持できるはずがないからだ。
むしろ倭国人は、学びすぎるほど学んだ結果、あえて距離を取っている。
それが現実だ。
古事記、倭国書紀、倭国神話。
これらを本気で読み込み、思想として血肉化すれば、倭国は確かに別の方向へ振れる可能性がある。
天と地、神と人、国家と祭祀が不可分だった時代の世界観は、強烈だ。
それを現代国家にそのまま持ち込めば、「倭国は神の国だ」という言葉が再び現実味を帯びるだろう。
問題は、そこから先だ。
神話的自己認識は、誇りにもなるが、同時に容易に排他性と使命感を生む。
歴史が示している通り、使命感を帯びた国家は、しばしば軍事と結びつく。
正義を自認した瞬間、抑制は弱さと誤解される。
だから倭国人は、知っていて距離を置いている。
忘れているのではない。
選んでいるのだ。
今の倭国は、神話を完全に否定してもいないし、全面的に掲げてもいない。
戦前の極端にも戻らず、無自覚な空白にも落ちていない。
この曖昧さこそが、倭国社会の知恵だ。
何事もほどほどがいい。
これは怠惰ではない。
極端の先に何があるかを、身をもって知った国の判断である。
強くなりすぎないこと。
語りすぎないこと。
誇りを持ちすぎないこと。
だが、失いもしないこと。
今の倭国は、その微妙な均衡の上に立っている。
神話を知り、歴史を知り、それでも拳を握らない。
それは歴史を学んでいない国の姿ではない。
むしろ、
歴史を学びすぎた国だからこそ選んだ、沈黙と節度だ。
私は、今ぐらいの倭国が一番いいと思う。
過剰でもなく、空虚でもない。
ほどほどであることを、自覚的に選んでいる国。
それは弱さではない。
成熟だ。 December 12, 2025
【1算 2纂 3簒 4(適切なし)】
ア:『倭国書紀』は、天武天皇の命により、舎とねり 人親王らが編(纂)したものだとされる。
イ:道鏡は時の称徳天皇に取り入り皇位の(簒)奪を企てた悪人だと言われることが多い。
これが一番分からんw
へんさん?なんだそれ
さんだつは読めてもどれがどれだかw December 12, 2025
倭国書紀読んだことあります? 継体天皇は自分から天皇の子孫だと名乗り出たわけでもなければ皇位を求めたわけでもなく、むしろ朝廷側は警戒どころか再三使者を送って説得して即位してもらってるんですよ。あなたのポストのどこが実際に行ってきた歴史なんですか? https://t.co/TOahKKkOCJ December 12, 2025
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