倭国国憲法第9条 トレンド
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2025.11.27 01:00
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憲法9条を改めて読むと、今の高市政権を先回りしていて驚いた。
「 武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。国の交戦権は、これを認めない」 って書いてある。
軍国主義者の暴走を想定しているんだなと思った。 November 11, 2025
倭国が9条と国際条約を遵守していれば、中国も倭国国憲法第9条に縛られるという世界線
imagine超えましたね。素敵です。 https://t.co/wcT6sQpJDt https://t.co/sMhr2Nobea November 11, 2025
11月21日の早朝、父が他界。91歳でした。本日、無事葬儀を終え、父を見送りました。簡素な葬儀でしたが、父の希望どおり地域の人に見守られながら旅立ちました。91年間、本当にお疲れ様でした。
1934年生まれの父は、10歳で岡山空襲を体験。直接の被害は受けませんでしたが、庭先から空襲で真っ赤に染まった遠くの空を見ながら、「これが花火かー!」と思ったそうです。それが空襲だと知るのは後になってから。晩年、時に涙しながら「倭国には憲法9条があるんじゃけぇよぉ。倭国は戦争しちゃおえんので。戦争は勝っても負けても、どっちにとってもええ事は何にもねんじゃけぇよぉ。戦争だけは絶対しちゃおえん」と口にすることが増えました。私はこれが彼の遺言だと思っています。
ずっと農業に携わって来た彼は、「農家は国土の管理者だ」と言っていました。田畑を守って来た農家を軽んじ、政治家や役人によって猫の目の様に変わる農政に、怒りと諦めを感じてきた事でしょう。
「自分の家と、両隣2.3軒が食べれるだけの野菜と米を作っとったら、戦争の時でも生き延びれる」とも話していました。分かち合い生きる事を具体的に教えてくれる言葉でした。
封建的な父に反発を覚え、3人の娘の中で、父と一番ケンカをしたのは私でしょう。反面教師だった彼のおかげで、私はフェミニストになりました。でも振り返れば、私たちがやりたいことを止めたり、選択を否定することはない人でした。
私が政治の道に進んでからは、気が気ではなかったでしょう。再選を果たした姿を見せる事が出来なかった事が、何よりも悔やまれます。彼の遺言に応える娘であり、政治家でありたいと思います。
葬儀がもうドタバタ過ぎて、わちゃわちゃ大騒ぎの家族の様子に、「あぁー、葬式の日でもこれかー!」と思わず笑いが溢れた葬儀でした。私の挨拶に拍手が湧き、「拍手が起きる葬式とかある?」と笑う母と姉。😆私たちらしいと言えば、私たちらしい見送り方だったのではないかな。
あたたかいお言葉を寄せてくださった皆さんに、この場を借りて感謝を申し上げます。ありがとうございました。 November 11, 2025
@airport_7 @umenosuke_tani @yuno_sarashina まあその中途半端なタイミングでの方向転換が憲法9条と自衛隊という軍事組織という歪な体制を生んでしまったのだけれど
ただ、当時の憲法作成に携わった倭国の政治家はこの事態を見越してGHQ案に加筆修正して現政権の解釈のしようをのこしている November 11, 2025
@hetare_keieisha @yoshifumi660722 倭国には、平和憲法9条が有るから安全なんですって
凄いですね
憲法9条バリア
ミサイルも弾くんですかね November 11, 2025
うわ即日発送のプクリンAR PSA10出てるじゃん…欲しいけど財布が憲法9条並みに平和すぎる😂
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https://t.co/PMwZORzlq9 November 11, 2025
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