後鳥羽上皇 トレンド
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2025.12.01〜(49週)
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【開幕】「国宝 熊野御幸記と藤原定家の書」 三井記念美術館(東京・倭国橋)
後鳥羽上皇の熊野参詣に定家が随行した際の自筆の記録。過酷な”旅日記”です。倭国文学史上の巨人が身近な存在に感じられる第一級の国宝です。来年2月1日(日)まで。 https://t.co/Ejd8c1bTzr December 12, 2025
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三井記念美術館「国宝 熊野御幸記と藤原定家の書」
1201年10月、後鳥羽上皇の熊野参詣に随行した藤原定家直筆の旅日記「国宝の熊野御幸記」
達筆で個性的な定家独特の書風を間近で観られ、何と写真まで撮れます! https://t.co/Gqcwwvju9U December 12, 2025
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1201年の後鳥羽上皇の熊野参詣に随行した23日間のリアルタイムな旅日記
この旅は建仁元年(1201年)10月5日~26日(日記は27日まで)に行われました。この年の7月には後鳥羽上皇による勅撰和歌集「新古今和歌集」の撰者に選ばれ、元久2年(1205年)に一応の完成をしたとされています。新古今和歌集と同じ時期に、後鳥羽上皇と藤原定家がこのような過酷な旅を経験していたことに驚かされます。
熊野への道は今でも登山の準備が必要な道のりがあります。この日記については、旅を終えてから清書した可能性もありましたが、2012年~14年の解体修理によって、記録用の巻紙が途中で足りなくなり、紙背(裏側)に続けて記録していたことが判明しました。これはつまり、定家が旅の途中、おそらくは宿に着いてから、現地でリアルタイムに記録していたことの裏付けと言えます。 December 12, 2025
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三井記念美術館で本日から開催⛰️🚶「国宝 熊野御幸記と藤原定家の書 ―茶道具・かるた・歌仙絵とともに―」展の内覧会に行ってきました!
藤原定家が後鳥羽上皇の熊野参詣に随行した際の自筆の記録「熊野御幸記」を全巻展示。日を追って見ていくと、旅の臨場感を味わえます。
来年2月1日まで(高) https://t.co/WzPFNsrlV6 December 12, 2025
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城南宮の周囲に白河上皇により造られた城南離宮(鳥羽離宮)は、熊野詣の出発地でもあった
この地で数日の精進をおこなってから、熊野へ旅立ったという。往復二十日間以上。白河上皇のみならず鳥羽上皇、後白河上好、後鳥羽上皇みな然り https://t.co/CLllaN7t1k December 12, 2025
【仙台となり村自慢 天子塚⛩】
2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のクライマックスとなった「承久の乱」。そこで父後鳥羽上皇と共に北条義時と戦った順徳上皇が、流刑地の佐渡島から逃れたのが尾花沢市の「天子塚」とも。当地には「御所神社⛩」や「御所山」といった地名も残ります。 https://t.co/xekSyqKwwE December 12, 2025
藤原定家筆の国宝『熊野御幸記』です。定家が後鳥羽上皇の熊野参詣に随行した際の旅日記です。筆跡だけでなく、個人の記録だからか、文字のサイズがまちまちだったり、所々に黒く塗りつぶして横に文字が書き足されていたり、何とも人間味があるという点が良いと思いました。 https://t.co/GUQOvfcZjV December 12, 2025
【小説】さまよえる神剣
後鳥羽上皇のため神剣探索の旅に出た忠臣・有綱。――謎めいた使命を与えられた若武者の旅が始まる。
https://t.co/UQSIfNDZWw December 12, 2025
『こんなに面白かった「百人一首」 (PHP文庫)』吉海 直人
歌の意味以外にも、その背景や歌い手の周辺情報、他の歌い手との関係性なども書かれていてとても面白かった。ちょうど大河の「鎌倉殿の13人」を観ていたので、実朝や慈円、後鳥羽上皇の歌が...
#読書メーター
https://t.co/5kDWeiuCBc December 12, 2025
1000年前
17歳の少女が
安楽和尚を慕い剃髪する
しかし少女は
後鳥羽上皇のお気に入り
上皇の怒りを買い和尚は処刑された
・・
安楽寺は美しい
#安楽寺
#京都 https://t.co/cMXA4HHDKI December 12, 2025
将軍後見人に島津の援助などで復帰し、参与会議(諸侯会議)で幕政を主導しよう、というところでお前ら全員バカ、的にやっちまったんですよ慶喜さん。おかげで最大兵力持ちかつ後ろ盾だった島津は仇敵の長州と同盟組んで討幕に傾くし(まあすぐではないのですが)松平春嶽などの有力諸侯も腰が引けていったという。
この一件がなくて十四代将軍家茂が早死にしなければ(元々病弱な上当時の食生活が最悪で体調崩した)幕府のまま緩やかに近代化だったかもしれません。家茂は人望が高く、勝海舟なども惚れ込んでいて亡くなった時に幕府は終わった、と言ったぐらい。
慶喜自身もそこはある程度は自覚していたみたいで自分で将軍をやるのは絶対に嫌だ、と何度も逃げていたのですが…(家茂が長生きするか家達が継いであくまでも後見がやりたかったみたいです)
でも善良な所はあったからこそ最後は岩倉卿の寝技で全部ひっくり返されたという。大体錦の御旗なんて幕末にしか出てこないもの(旗出せば勝てるなら承久の乱で後鳥羽上皇負けてませんわ) December 12, 2025
広島県尾道市(#生口島🍋)
🍋#光明坊🍋
住蓮上人、安楽上人死罪の後、
#松虫姫 と #鈴虫姫 は、後鳥羽上皇の追補を逃れ、妙念尼(白河上皇皇女)を頼り来島、念仏三昧の生涯を送ったという。
2年前に #向上寺 の三重塔(重文✨)を見に行った際にお詣りしてて仏縁を感じます🙏📿
#真言宗泉涌寺派 https://t.co/vQMRt9hHYU December 12, 2025
#今日のレビュー
帯にも記載がある通り大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代考証を務めている著者の書籍である。この書籍は北条氏の視点で記述したもの。他にも後鳥羽上皇、朝廷の視点で描いたもの、源氏将軍の視点で描いたものがあり、3つ全て読むのも面白いと思います。
吾… https://t.co/ncYyzNjw3U December 12, 2025
三井記念美術館 国宝 熊野御幸記と藤原定家の書
12/6に開幕したので見てきました。熊野御幸記は明月記の一部だそうですが最近の修理で新発見があったとのこと。後鳥羽上皇の書や土佐光芳筆の定家像など初公開作品も多く興味深い展覧会でした。一部撮影可、2/1迄 https://t.co/RymIUjqpO8 December 12, 2025
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