山岸潤史 芸能人
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2025.12.01〜(49週)
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🎸コネクションもなく30年近く前ひとりでギター1本持ってニューオリンズへ行った彼の情熱に頭が下がる
50年以上の盟友であり、悪友である山岸潤史がグラミーにノミネートされている
私より本人が驚いている
倭国に帰ってきたらお祝いに焼き肉奢るよとメールしたらいまは中華の珉珉の気分やと🤣安い🤣 https://t.co/p3JOSftmDG December 12, 2025
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「ヤマギシ」などと呼び捨てにしてますが、ギタリスト山岸潤史氏は実は福田の大恩人です。(ここから年寄りの昔話ですw)1979年、友達に頼まれて再出場したYAMAHAのコンテストEastWest79の予選会で、審査員だった山岸氏が福田のピアノをやたら褒めてくれて、その時の「今度一緒にやろうや!」と言う言葉通り、同年秋にあったカルロス・サンタナを迎えたギターバトルイベント「サンタナ・ギターウォーズ」のキーボードに誘ってくれ、これが実質的に福田の「プロデビュー」となりました。その後、レコーディングデビューしたのも彼の2ndアルバムです。彼がいなければ福田はプロになるきっかけさえつかめないでいたと思います。では、なぜそんな大恩人を「呼び捨て」にするのか、と言いますと。この話、一度書いたことがあるのですが、これを機に再度書いてみます。
大学を出てすぐ、ベースの鳴瀬喜博氏に誘われて(山岸氏の推薦だったらしい)「QUYZ」というインストバンドを始めた時、ドラムは超有名バンド「四人囃子」の岡井大二氏でした。「四人囃子」のアルバムはめちゃくちゃ聞いていましたから、最初のリハではそれはもう緊張して福田は「岡井さん」と呼んだんですが、彼は笑って「同じバンドのメンバーなんだから、さん付けはやめろよ。年上とか気にすんな。大二、でいいよ」と言ってくれたのです。当時の下北沢に集っているバンドマンはみんなそんな感じで、本当に自由でフレンドリーでした。そんな経緯で、ギターレスバンドだった「QUYZ」に殆どレギュラーメンバーとしてギターを弾きに来てくれていた山岸氏(岡井氏と同い年で福田の4歳上)も、福田は「ヤマギシ」と呼び捨てで呼ぶようになったのです。もちろんそれを咎める人間は誰一人いませんでした。その後、彼は早い段階で単身アメリカにわたり、ブルースギタリストとしてニューオリンズを中心に確固たる地位を築き上げて行きました。今回のグラミー賞ノミネートは本当にうれしいです。もう一度。おめでとう、ヤマギシ!!! December 12, 2025
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山岸潤史さんが参加したアルバムがグラミー賞にノミネート
今日はイギリスロック界で活躍した山内テツさんに関する真偽不明の情報が出回っており、やきもきしていましたが、こちらは素直にうれしいお知らせ
倭国のミュージシャンが本場で活躍しているのは何となくうれしい
https://t.co/nC1oS4dPrw December 12, 2025
山岸潤史さんのグラミー賞ノミネートが話題です。こちらは1981年の作品ですが人気ラジオ番組のテーマ曲だったのでご存知の方も多いかも。ホーンスペクトラムも参加しています。#モア・コルクスクリュー
https://t.co/g5vvq4l8Sn December 12, 2025
@hifipapa 懐かしい!
山岸潤史「モア・コルクスクリュー」と、土方隆行「スマッシュザグラス」はよく聴いてました😊
今思うと当時のフュージョンギタリストは半端ないですね。
高中正義、渡辺香津美、和田アキラ、鳥山雄司、大村憲司、森園勝敏、秋山一将、野呂一生、安藤正容、松原正樹、今剛、もう凄すぎ😆 December 12, 2025
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