対立
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2025.12.17 04:00
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これ必読だわ。「人はなぜ戦争をしてしまうのか?」という問いに納得の答え。それは「直観に反する理屈」が絡み合うものだった。個人的には「オーストリア皇太子暗殺」という火種がなぜ第一次世界大戦という歴史的大火に拡大したのかについての本書の回答が人生でいちばん腑に落ちた。以下解説。→
まず、第一次世界大戦前のヨーロッパについて。
いわゆる「ナポレオン戦争」後のヨーロッパは、イギリス、フランス、プロイセン、オーストリア、ロシアの五大国の勢力が均衡する中で「帝国」の出現が抑止されていた。近い勢力を持つ国同士がにらみ合うことで安定していた。ちなみに「帝国」とは「いくつもの地域やさまざまな民族を強制的にまとめて支配する国」(25頁)という意味である。
ところが、100年ほどの歳月が流れると、力関係はかなり変わってくる。特にプロイセンが、同じ言語を使う諸国をまとめあげて強国「ドイツ」を建国。これで情勢が変化した。ヨーロッパの力のバランスが揺らぎ、周辺の国々は「『帝国』になることを目指してドイツが戦争を始めるのでは?」と警戒をするようになった。
一応、ドイツのオットー・ビスマルクが巧みな外交戦略を駆使し、力のバランスの揺らぎと平和は一時的に両立した。が、ビスマルクの引退後、やはりと言うべきか、ドイツは軍拡と植民地獲得を開始する。そこで、1894年にフランスとロシアが手を組むことを決断。両国でドイツを挟み撃ちにできる状況をつくった。さらに、1904年にフランスとイギリスが、1907年にイギリスとロシアが手を組んだ。いわゆる「三国協商」である。これによりドイツ包囲網が完成。ここから「軍拡競争」が始まる。
「軍拡競争」というと、いかにも愚かで、「なんでそんなことをするの?」と思う人もいるかもしれない。しかし、それぞれの国の立場に立って考えてみると、「愚か」とは簡単に言いきれないことがわかってくる。
仮に当時のドイツ、フランス、ロシアの兵力を20万、20万、20万だったとしよう。まず、ドイツから。先述したように、ドイツはフランスとロシアに挟まれている。とすれば、ドイツは、フランスとロシアの20万+20万=40万が同時に攻めてくることを最悪の事態として想定しなければならない。すなわち、ドイツとしては20万では足りないし、40万の兵力を持たなければ安心できないという話になるのだ。
次に、フランスの立場に立ってみよう。「フランスとロシアが同時に攻撃してくることを想定して兵力を40万に拡大する」というのは、あくまでもドイツの言い分である。それを見せつけられるフランスにとっての最悪の事態とは、自分たちには20万の兵力しかないのに、拡大したドイツ軍40万と戦わざるを得なくなった場合である。それを考えると、フランスとしても40万の兵力を持たなければという話になる。ロシアの場合も同様だ。フランスとロシアからすれば、「自国だけで」ドイツを相手にしなければならない場合を想定せざるを得ない。自前で40万の兵力を保持しようという発想にならざるを得ない。で、結局、フランスもロシアも本当に40万、40万の兵力を持つことになるのである。すると、両者に同時に挟み撃ちにされることを想定して、ドイツが再び兵力を増強。今度は80万に増やす、という行動に出るのである。
こうして軍拡のスパイラルが発生する。
各国が「自国の利」だけを考えて選択した結果が、全体としては不合理な結果になってしまう。こういうことが国際政治でよくある。自国の安全を確保するために兵力を増強することには合理性があるが、みんながそれをやってしまうと地域全体で見た時にお互いの安全がかえって低下するのだ。本書ではこれを「囚人のジレンマ」を引き合いに出して説明している。みんなが各人の最適解を出すことで、全体最適から遠ざかるというジレンマがそこに発生する。
第一次世界大戦直前のヨーロッパでは、敵対する陣営のあいだでこの「安全保障のジレンマ」が生じ、緊張が高まった。
そこに起きたのが「オーストリア皇太子暗殺」である。この事件の犯人はセルビア人だった。当時、オーストリアとセルビア人勢力は対立していた。そして、セルビアの背後にはロシアが控えていた(ロシアはセルビアの兄貴分のような存在だった)。
事件後、まずオーストリアがセルビアに宣戦する。すると、ロシアが兵を招集し始める。「お前らがセルビアを攻撃するのなら、ロシアが黙っていないぞ」と脅しをかけるためだ。このとき、ロシアは積極的に戦争に参加しようとは考えていなかった。だが、ロシアが動員をかけたことで思わぬ反応をした国がある。ドイツである。ドイツはオーストリアの同盟国でもあるため、すぐにロシアに宣戦布告。しかも、ドイツはもともとフランスとロシアを同時に相手にすることを想定し、さまざまな計画を練っていた。具体的には「まずフランスを全力で叩き、国土が広いロシアが兵力を招集させることにもたついている間にフランスを叩きのめし、その後にロシアと戦う」というものである(「シュリーフェン計画」)。これを成功させるには、ロシアが兵力を動員し切る前にフランスを制圧し切るという超・短期作戦を完遂しなければならない。そのためドイツは、いざという時にフランスにスクランブル発進ができるよう準備をしていた。開戦の火ぶたが切られるか切られないか、くらいの時に総力戦に持ち込める体制を組んでいた。そんな時に、セルビアという弟分を守る意図を示すためにロシアが動員をかけ始めたら――。ドイツとしてはフランスに手を出さざるを得ないというのもわかる気がする。
実際、ドイツはフランスに宣戦。実はこの時、ドイツとフランスに戦争をしなければならない明確な理由はなかった。が、戦争は始まってしまった。そして、フランスは当然それに対抗する。そこに、すぐさまロシアが参戦する。なぜなら、もしフランスが負けてしまえば、その後は大陸国としてロシアが単独でドイツと対峙しなければならなくなるからだ。それは厳しい。なら、ロシア的にも参戦した方がいいという判断になる。同じく、ドイツとロシアが戦争をしてロシアが負ければ、それ以降は大陸国としてフランスが単独でドイツと対峙しなければならなくなる。それを防ぎたいフランスも、やはり対抗せざるを得ない。で、そこにさらにイギリスが参戦することになる。もともとイギリス、フランス、ロシアでドイツ包囲網(三国協商)をつくっていたので、これは当然と思うかもしれないが、そういう協商的な関係があったとしても、わざわざ戦争に介入するかというと、意外とその判断が正しいとは言いきれないこともある。しかし、イギリスは事前に「シュリーフェン計画」を知っていた。その実現を恐れていた。だから「もしフランスとロシアがドイツに負けてしまえば、うちが単独でドイツと対峙することになる。それはキツイ」と考えていた。こうなると、イギリスも黙っているわけにはいかない。
つまり、どの国も「ドイツ」対「自分一国」という対立構図が生まれることを避けたいと思っていたのである。とすれば、いざ戦争が始まってしまったら、ドイツを袋叩き状態にしていく、という判断をせざるを得ない。
こういう戦況を見たときに、そもそも「兵力を拡大せず、相手を刺激しないという判断もあるのでは?」と思う人もいるかもしれない。が、それは「人間の善性を信じて警察権力を一切なくしましょう」という理屈と地続きである。現実的には難しい。
こうして、戦火はあっという間に拡大した。ロシアが動員を始めてからイギリス参戦まで、わずか一週間足らずの出来事である。
このようにして始まる戦争のことを、カナダの国際政治学者ジャニス・スタインは「脆弱性による戦争」と呼んだ。それは「安全保障のジレンマ」の極限状態で、「相手に対して手を出さなければ、自分の弱みを攻められて自分がやられてしまうという恐怖から、戦争に入っていかざるを得ない」という動機で始まる戦争を指す。
ところで、である。考えてみてほしい。本来の戦争当事国はオーストリアとセルビアだ。彼らが、そもそも宣戦する前に踏みとどまれなかったのかという議論もできるのではないか。実際、そういう議論もあった。
しかし、当時のオーストリアには同盟国のドイツがいた。セルビアにはロシアがいた。それぞれ、「いざとなったらドイツが助けてくれる」「ロシアが助けてくれる」という気持ちがあった。それゆえ、強気に出ることができた(だから、オーストリアもセルビアも自制ができなかった)。一方、ドイツとロシアも、同盟国が始める戦争をそんざいには扱えない。なぜなら「いざという時に助けてくれないのか」と同盟国に思われてしまえば、その国が自陣営から離れていってしまう可能性があるからだ。同盟相手との結びつきが弱いと、「見捨てられ」ることが想定されるのである。それゆえ、同盟国が勝手に始めた戦争に「巻き込まれ」るという事態が生じる。この「巻き込まれ」と「見捨てられ」の恐怖の板挟みになることを、アメリカの国際政治学者マイケル・マンデルバウムは「同盟のジレンマ」と呼んだ。
このようにして、ほとんどの国が明確な理由もなく戦争を始めてしまったというのが第一次世界大戦である。
最後に著者による悲しい指摘を紹介しておきたい。
「実は、もともと戦う理由がなかったドイツとフランスの戦いが西部戦線で始まったとき、本来の戦争当事国であるオーストリアとセルビアの戦いはまだ始まっていなかった、というのは、第一次世界大戦がいかなる戦争であったかをもっともよく表しているエピソードといえるでしょう」(85頁)
他にも本書では、「国連がうまく機能しないのはなぜか」「核兵器が現実的に抑止してきたものは何か」「戦争を終わらせるにはどういう条件が必要か」といった議論も展開され、それぞれに答えと思考のフックとなる情報が提示されている。
めちゃくちゃ学びになった。
『世界の力関係がわかる本』
著者:千々和泰明@chijiwa_yasuaki
発行:筑摩書房@chikumaprimer December 12, 2025
5RP
(See below for the English version.)
フィンランドの「つり目」ポーズに苦言を呈した当方の投稿に対して、フィンランドの大手新聞社よりインタビュー機会を頂きました。現地でどこまで報道頂けるかわかりませんが、当方の回答コメントを以下に記します。
<新田回答コメント>
今回の議論は、単なるSNS上の騒動ではなく、フィンランド社会がこれまで自認してきた「人権先進国」という自己イメージと、アジア系住民が日常的に経験してきた現実とのズレを可視化した出来事だと受け止めています。
まず私は、人権活動家のように声高に差別を糾弾したいわけではありません。むしろ、直接的に嘲笑されたわけではない私たち倭国人が抱いた感情は、「差別された」ことよりも、「アンフェアさに強い失望を覚えた」ことのほうが大きいといえるでしょう。
フィンランドは長年、世界に向けて高い倫理性や人権意識を掲げてきました。その姿勢は国際社会から尊敬を集めています。しかし、今回のように公的立場にある人物─国会議員、ミス・フィンランド代表、弁護士、人権団体のトップ─が差別的と受け取られ得る表現を軽視し、それを「幼稚な振る舞いではあるが差別ではない」と片付けてしまう空気が生まれていることには、率直に大きな違和感があります。
アジア系の表象を誇張し嘲笑する行為は、欧米社会で長年「差別の象徴」として明確に指摘されてきました。黒人に対するステレオタイプ表現は厳しく糾弾される一方で、アジア人に対しては“ジョーク”として扱われる。この基準の不均衡こそが問題の核心です。
さらに、フィンランド在住の倭国人からは
「学校や地域社会でアジア人差別が“透明化”されている」
「対応ガイドラインすら存在しない」
といった声が数多く聞かれます。今回の件は、単に一個人の失態ではなく、社会の無自覚なバイアスが表面化した現象と捉えるべきではないでしょうか。
重要なのは、今回の批判がフィンランド全体への敵意ではないということです。倭国人の反応の多くは、
「その高い道徳的基準は本物だったのか?」
「人権意識は単なる綺麗事だったのか?」
という、「これまでポジティブな印象を抱き続けてきたフィンランドに裏切られた」かのような失望感から生じています。
差別とは、加害者の意図ではなく、受け手の経験と歴史的文脈で判断されるものです。「差別かどうかは我々が決める」とする姿勢は、国際人権の潮流とも相容れません。
フィンランドは本来、対話と包摂を重んじる社会です。だからこそ、この問題が感情的な対立ではなく、フィンランド社会とアジア系市民の相互理解を深める契機となることを期待しています。
<A more detailed personal view on the issue>
This controversy is not simply a social media uproar; I view it as an incident that highlights the discrepancy between Finland's self-image as a "human rights-advanced country" and the reality experienced daily by Asian residents.
First of all, I do not wish to loudly condemn discrimination like a human rights activist. Rather, I would say that the feelings we Japanese, who were not directly mocked, felt more like "deep disappointment at the unfairness" than "discrimination."
Finland has long upheld high ethical standards and a strong awareness of human rights. This stance has earned it respect from the international community. However, I find it frankly very strange that public figures like this one—a member of parliament, a Miss Finland pageant winner, a lawyer, and the head of a human rights organization—are downplaying language that could be perceived as discriminatory, dismissing it as "childish behavior, but not discriminatory."
The exaggeration and mockery of Asian representations has long been clearly identified as a "symbol of discrimination" in Western societies. While stereotypical representations of Black people are severely condemned, those made against Asians are treated as "jokes." This imbalance in standards is the core of the problem.
Furthermore, many Japanese people living in Finland have said things like, "Anti-Asian discrimination is 'invisible' in schools and local communities," and "There aren't even any guidelines for dealing with it." This incident should not simply be seen as the fault of one individual, but as a manifestation of unconscious bias in society.
What's important is that this criticism does not reflect hostility toward Finland as a whole. Many Japanese people's reactions stem from a sense of disappointment, wondering whether Finland's high moral standards were genuine and whether its talk of human rights was merely empty words. They feel betrayed by Finland, a country they've always held a positive impression of.
Discrimination is judged not by the intentions of the perpetrator, but by the experiences and historical context of the recipient. The attitude of "we decide whether something is discriminatory or not" is incompatible with the current trend in international human rights.
Finland is a society that inherently values dialogue and inclusion. This is why I hope that this issue will not become an emotional conflict, but rather an opportunity to deepen mutual understanding between Finnish society and its Asian citizens. December 12, 2025
4RP
\本日のカードのメッセージ/
月は蠍座に滞在🌙🦂
木星、土星、海王星で幸運の三角形を形成し、そこに天王星と対立の角度をとって「カイト」が生まれます🪁
現実的な安心感と信じる力に、予想外の出来事や気持ちの揺さぶりが入りやすく、「このままでいいの?」という問いが生まれるかもしれません。
今日は無理に答えを出さず、心が反応したポイントを大切に😉
そんな本日のメッセージを、タップorスクショでお受け取りくださいね👇 December 12, 2025
2RP
「二人が実際に付き合ったらどうなるか」を先にAIでシミュレートしてから相性を判断する恋愛マッチングシステムが提案されています。
言い換えると「まず仮想的に恋に落ちてみて、相性を知る」というアイデアです。
二人の人格を持ったAIエージェントを作り、実際にデートの会話や、結婚 後の重要な場面(キャリアの対立、子育ての方針など)での反応をシミュレートする仕組み。
観察者役のLLMが会話ログから採点して、それを学習して相性スコアにするそうです。
このシステムを開発した研究者たちは心理学の知見から以下の仮説を立てています。
「何年もの関係の成否は、実は数少ない重要な瞬間にどう反応したかで決まる」というもの。
だから何年分もの日常をシミュレートする必要はなく、喧嘩の解決方法や価値観が衝突する場面など、決定的な瞬間だけをシミュレートすれば十分だといいます。
実験で行われた離婚予測では、厳密な統計手法に近い性能を示したとのことです。
AI研究のトップカンファレンスNeurIPS 2025ワークショップに採択。 December 12, 2025
2RP
「追悼 末吉興一元市長」
北九州市長を5期20年間担われた末吉興一さんが亡くなった。1987年初当選。「北九州越冬実行委員会(抱樸の前身、その後『北九州ホームレス支援機構』を経て現在に至る)」が活動を始める一年前である。
最初の10年余り私たちは市と激しく対立していた。路上生活者が増える中、北九州市は「追い出し」はしても、何らの助け手も伸べなかった。末吉市長肝いりの「マイリバーマイタウン計画」が発表され、紫川一体が開発されることが決まった。当時は紫川周辺だけでも100名以上が野宿していた。市の「ホームレス排除」は増々激しくなった。生活保護を申請しようとしても「住所がない。家がない」を理由に断られる。家がないこと自体が「生存権(憲法25条)」以下の状態であるにもかかわらず。出口が見いだせず、時に私は50名ほどの野宿当事者と共に「殺人行政出てこい!」とメガホンで叫びながら市庁舎に突入していた。
そんな日々を過ごしながら、私たちは全国の他のNPOと共に国会への法律の上程運動を続けていた。そして2002年8月ついに「ホームレス自立援法」が成立した。この動きにいち早く呼応したのが北九州市であった。結果、北九州市と私たちが「ホームレス自立支援」で協働体制を組むことになった。前代未聞の枠組みが始まろうとしていた。期待と不安が募る。
そんな中、市長との面会が組まれる。「宿敵末吉市長」と直接会う。緊張しつつ庁舎内の応接室に入った。そこに末吉市長が入ってこられた。「奥田さん。末吉です」と笑顔で挨拶。「いろいろご無礼なこともあったと思いますが、これからよろしくお願いいたします」と言う私に「いやああ、やり方はともかく、あなたの言っていること、やっていることは正しい。私は、庁舎の上からずっと見ていましたと」と返された。意外だった。
その後市長は自分の生い立ちを語り出された。貧しかったこと、様々苦労したこと。話は長引き、面会時間はとっくに終わっていたが終わらなかった。次の予定があるのだろう、何度も秘書の方がメモを入れるが、市長はそれを払いのけ話し続ける。そして最後に「だから、路上の方々のしんどさは私にも解ります」と仰った。『ならば、もっと早くなんとかしてほしかったなあ』と内心思いつつ、情のある正直な方だと思った。
協働を組むならば無難な相手を選ぶと思う。わざわざ「殺人行政」と名指しした人を選ぶ必要はない。もっと温厚で従順な団体は他にある。しかし、末吉市長は私たちをパートナーとして選んだ。不思議な感じがしたが私はこれが協働の前提だと思えた。お互いの本音は痛いほどわかっている。強味も弱味も。だからよくある「委託=下請け」という関係にはならない。是々非々でやっていける。末吉市長もそう考えておられたともう。翌2004年9月。公設民営型の「ホームレス自立支援センター北九州」が開所した。住民反対運動が起こったが、それを乗り越え開所した。これまでに2000人近くがこのセンターから自立され、これは全国屈指の成果となった。今では地域から頼りにされる存在となっている。
末吉さんは、2007年に市長を降りられた後、外務省の参与などを担っておられた。時々、北九州空港でばったりお会いする。「おお、奥田さん、元気か」と声をかけていただく。「ところで奥田さん、もうノーベル賞もらったかね」とこれまた笑顔で聞かれる。「市長が推薦してくれないからまだもらってませんよ」と答える私に「わかった、わかった、今度推薦しておくから」と末吉さん。ユーモアに富んだやり取りが忘れられない。
喧嘩もしたが、よい出会いをさせていただいた。もっともっといろいろなことを教えていただきたかった。長く北九州市のためにお働きいただき心から感謝したい。お疲れ様でした。次は、天国でかお会いしましょう。
元北九州市長 末吉さん死去 門司港レトロ整備、ホームレス支援 各界から惜しむ声 /福岡 | 毎日新聞 https://t.co/mt1nddixGU December 12, 2025
1RP
「麒麟がくる」の佐々木秀吉は、近年の研究が反映された秀吉像として興味深い。出自ゆえの素朴さ、主君や同輩に対する時の抜け目なさ、そして密かに対立するものへ向けられる隠れた敵意。状況によっていくらでも「顔」を変えられる不気味さが最高だった。 https://t.co/qhzZWhk978 https://t.co/CieC0lOiO5 December 12, 2025
1RP
高市早苗首相の政治手法の核心は、強硬な理念提示と現実的な調整を使い分ける点にあるんじゃないかと思います。例えば、衆院定数削減では、維新との連立合意と世論の支持を背景にしつつ、党内反発や野党の抵抗を踏まえ、答弁を抑制して時間を確保し、代替改革案を並行して提示することで各方面の分裂を避けています。言い方は悪いですが、これはダメとわかって妥協的に調整しているわけです。靖国参拝でも、当初は参拝宣言によって保守層の支持を固めながら、実行は見送り、外交摩擦を回避しました。中国外交や移民政策でも発言は強いわりに、運用は柔軟です。この調整術的な高市首相のやりかたは、対立を避ける調整であり、極論が先鋭化する政治環境の中で、政策の継続性と政権の安定を確保するための、存外にスキルフルで現実的な戦略だと言えるのでは。
詳細はこちらに。
極東ブログ 2025.12.10
『高市首相の「調整術」』
https://t.co/aNlPLZ1bry December 12, 2025
1RP
この発想に立てば、金持ち(金融資産家)を敵視したまま人生が終わるだけだ。
資産家(=金持ち)と庶民(=貧乏)を固定化し、対立構造を煽れば、社会は分断され、結果として国力は低下する。
これは思想の問題ではなく、歴史的にも統計的にも繰り返されてきた現象である。
米国では、すでに国民の約52%が何らかの形で金融資産家に該当する。
あの国が倭国よりも活力を保ってきた最大の理由は、貧困に生まれても「金持ちになろうとすること」を否定しない文化と制度にある。
成功者を妬むのではなく、追いつこうとする力が社会全体を押し上げてきた。
かつてのアメリカンドリームは精神論に近かった。
しかし現在は違う。金融は理論化され、S&P500やオルカンといった敷居の低い金融商品を用い、地道に積み立てを行うことで、準富裕層へと上がっていくルートが現実的に開かれている。
その道を選ぶ米国民は確実に増えている。
倭国も本質は同じだ。二項対立の中で不満を言い続け、誰かを悪者にして終わる人生を送れば、待っているのは愚痴の多い、貧しい老後である。
社会を恨んでも、資産は増えない。
金持ちは悪人ではない。嫉妬の対象でもない。むしろ、これを読んでいる「あなた自身」が目指すべき姿だ。
敵を作る人生か、上を目指す人生か。選択肢は最初からそこにある。
NISAがある倭国は、大半の国家よりも遥かに恵まれている。 December 12, 2025
1RP
https://t.co/bltsKDM49q
徳永弁護士が自説を撤回‼️
今後、徳永弁護士の見解を根拠に『対応整備義務による内部通報限定説』を主張することは、おやめください‼️
🔴徳永弁護士の「2号・3号の体制整備を委任する規定はない」という主張は、法第11条第2項の「公益通報者の保護」という文言の射程を無視している点で、消費者庁の解釈と対立します(誤読)
👇
▶https://t.co/rw8Jzl5STX
🔴公益通報者保護法における指針の構造と権限の委任体系
>3.指針策定の権限委任体系
指針を『策定』する権限は内閣総理大臣が留保し、その策定された指針と法律に基づき『指導・監督』する権限は消費者庁長官に委任されている。
>指針の策定権限は内閣総理大臣(内閣府)一任。
消費者庁にも委任されてませんから徳永弁護士の『行政指針』説は無理筋👇
▶https://t.co/W6ZPpoSq21
斎藤知事は2025年3月26日の記者会見で、通報者捜しの禁止を含む体制整備義務について「外部通報も含まれるという考え方がある一方で、内部通報に限定されるという考え方もある(内部通報限定説は後日徳永弁護士の見解だと明かされる)」と発言。「違法性の認定については専門家でも意見が分かれている」などとして、県の対応は「適切だった」と発言。
斎藤知事がこの会見で言及した「3号通報も保護に含まれる」という意見は、この消費者庁の有権解釈に基づいています。
再三の消費者庁による助言
更に今回その拠り所としていた徳永弁護士の説が崩れた今
消費者庁長官から
『自浄作用を働かせて欲しい』と言われている斉藤知事は果たしてこれからどうするつもりなのか?対応が注目される。
👇
▶https://t.co/K89DTzOoVN December 12, 2025
「会社の人と深い話はしないべき」ってマジで、私は若くバカだったので性的な話、家庭の事情の話、金銭的な話、政治の話、宗教の話などをしてしまったことがあるが(マジでバカ)、見事にどれも悪い結果しか生まない。見下されたり勝手なレッテル貼られたりズケズケ踏み込まれたり対立したり。 December 12, 2025
フェミ/アンフェ、女/男という完全二極化した対立を狙っている人は私に絡んでこない方がいい
もっと美味しい対立を生める相手は他にたくさんいる
どんなに私の意見と異なる人が現れても私はそれを自身の敵とだけ主観的に捉える前に、構造における自分と相手を見て比較するし、極力その視点から論じて→ December 12, 2025
彼が体現しているのは、善と悪の二項対立における「善」ではなく、人と人とのあいだに引かれた、極めて困難な一本の線です。
理解しようとはする。
けれど、理解されることを強いることはしない。
#マイフレンドジキル December 12, 2025
正しく報道して欲しい!
東京が緊張状態に、三大国間の対立が激化
倭国・東京近海で、三カ国間の空母対立が緊迫した状況で展開している。雰囲気は極めて不安定で、いつ大規模な衝突が勃発してもおかしくない。
中国は2隻の052D型駆逐艦を派遣し、宮古海峡を通過して東京方面へ向かっている。同時に、米海軍のワシントン(USS Washington)はグアム基地から東京湾へ急行し、米国の迅速な対応を示している。
ロシアは中国支援のため、戦略爆撃機を派遣することで事態をさらにエスカレートさせた。
倭国周辺の状況は急速に緊迫を増している。一つの誤った行動がすべてを変える可能性がある。 December 12, 2025
#フローレンス などの #NPO問題、#公金チューチュー 問題から #Colabo(#コラボ)の話へ発展し、#性産業 の話へ
百田氏と有田氏の2人のやり取りは面白い
百田党首と意見が対立する等、必ずしも「百田ファンクラブ」ではない所に可能性を感じる #倭国保守党
https://t.co/PGQTfIKGTs December 12, 2025
@rightman_bt @chidaisan @ayaka_otsu @gweoipfsd そこですね。それが重要だと思います。
立花一派にとっては、選挙も娯楽。政治も娯楽。政治や選挙は生活を良くするためのものではないのです。単なる娯楽。だから政策には興味がない。勝ち負けを楽しむ。
誹謗中傷も娯楽。政治的な対立も娯楽。人の命でさえ娯楽。もちろん裁判も娯楽なのでしょう。 December 12, 2025
@ark2_exceller QRはそうでもないですが
現金の会計速度とSuicaを比べると
コンビニの列にいる時にいろいろ考えちゃいますね
でも災害時、停電時を考えると現金は0に出来ない。
なので対立より両立したい(綺麗事かもですが) December 12, 2025
@cnn_co_jp オーストラリアのビーチ銃撃で
反ムスリムを煽るメディア発疹が出たけど、止めた人もイスラム教徒だったとわかってから、IS批判に切り替えて、シリアと欧州を切り離す世論形成をしようとする動きがある
倭国の左右のノイジーマイノリティって、対立してるって設定なのに、共闘させていいのかな December 12, 2025
geminiさんに聞いたら「心理的安全性が担保されていないと、話し手は無意識に自発的な自己検閲を行う。批判や対立を避けるため、自分の本音の解釈や感情、さらには都合の悪い事実さえも隠蔽する。その結果、発言は意図的に曖昧化され、情報量が極端に少ない、論理性のないアウトプットとなる」らしい。 December 12, 2025
北九州市がホームレス自立支援へ舵を切ったのは当時の末吉市長の判断だった。10年以上北九州市対立していた。時には「殺人行政」と市庁舎に押し掛けたこともあった。
その後の協働体制。その分本音で話ができ目標に向かって共に歩めた。
市長退任後、時々空港などでお会いすると「おー奥田さん。元気か。ところでもうノーベル賞もらったか」と笑顔で話してくださった。「末吉さんが推薦してくれないからもらえませんよ」と答えると「わかった、わかった、今度推薦しおくよ」と笑顔で返された。
ユーモアがあり情のあるお方だった。
2004年秋ホームレス自立支援センター北九州が開所。この施設から2000人ほどが路上から脱し、次の道を歩まれた。喧嘩もしたが感謝している。
天国での再会を楽しみにしている。
お疲れ様でした。
末吉興一さん 北九州の社会基盤築く 空港建設や門司港レトロ 関係者ら悼む声 : 読売新聞オンライン https://t.co/EGXPqouIhM December 12, 2025
倭国におけるスポーツは、人間形成の場、いわゆる教育的観点から発展してきた経緯がある。だからこそ、倭国のスポーツマンシップは、道徳・規律・規範といった意味合いが強い。これは海外にも共通する部分はあると思うが、倭国文化では特にその傾向が色濃く表れている。
倭国におけるスポーツマンシップには、良い面もあれば、同時に難しさもある。
たとえば、
・相手への敬意
・空気を読むこと
・和を乱さないこと
・目立たないこと
・感情を抑えること
といった価値観が重視されてきた。
その結果、感情表現は抑制されやすくなり、発言や振る舞いにおける自由度も低くなる。
礼儀、自由、規律、表現、尊重、本音
これらは本来、対立するものではなく、同時に存在しているものだと思う。THIS IS 感情。
スポーツにおける感情は人の心を動かし、人のやる気を導くと思っている。これらを巧みに扱い、状況に応じて行き来できること。
そこに、これからの倭国のスポーツマンシップになったらいいなーと思う。 December 12, 2025
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