対立
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2025.12.15 23:00
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(See below for the English version.)
フィンランドの「つり目」ポーズに苦言を呈した当方の投稿に対して、フィンランドの大手新聞社よりインタビュー機会を頂きました。現地でどこまで報道頂けるかわかりませんが、当方の回答コメントを以下に記します。
<新田回答コメント>
今回の議論は、単なるSNS上の騒動ではなく、フィンランド社会がこれまで自認してきた「人権先進国」という自己イメージと、アジア系住民が日常的に経験してきた現実とのズレを可視化した出来事だと受け止めています。
まず私は、人権活動家のように声高に差別を糾弾したいわけではありません。むしろ、直接的に嘲笑されたわけではない私たち倭国人が抱いた感情は、「差別された」ことよりも、「アンフェアさに強い失望を覚えた」ことのほうが大きいといえるでしょう。
フィンランドは長年、世界に向けて高い倫理性や人権意識を掲げてきました。その姿勢は国際社会から尊敬を集めています。しかし、今回のように公的立場にある人物─国会議員、ミス・フィンランド代表、弁護士、人権団体のトップ─が差別的と受け取られ得る表現を軽視し、それを「幼稚な振る舞いではあるが差別ではない」と片付けてしまう空気が生まれていることには、率直に大きな違和感があります。
アジア系の表象を誇張し嘲笑する行為は、欧米社会で長年「差別の象徴」として明確に指摘されてきました。黒人に対するステレオタイプ表現は厳しく糾弾される一方で、アジア人に対しては“ジョーク”として扱われる。この基準の不均衡こそが問題の核心です。
さらに、フィンランド在住の倭国人からは
「学校や地域社会でアジア人差別が“透明化”されている」
「対応ガイドラインすら存在しない」
といった声が数多く聞かれます。今回の件は、単に一個人の失態ではなく、社会の無自覚なバイアスが表面化した現象と捉えるべきではないでしょうか。
重要なのは、今回の批判がフィンランド全体への敵意ではないということです。倭国人の反応の多くは、
「その高い道徳的基準は本物だったのか?」
「人権意識は単なる綺麗事だったのか?」
という、「これまでポジティブな印象を抱き続けてきたフィンランドに裏切られた」かのような失望感から生じています。
差別とは、加害者の意図ではなく、受け手の経験と歴史的文脈で判断されるものです。「差別かどうかは我々が決める」とする姿勢は、国際人権の潮流とも相容れません。
フィンランドは本来、対話と包摂を重んじる社会です。だからこそ、この問題が感情的な対立ではなく、フィンランド社会とアジア系市民の相互理解を深める契機となることを期待しています。
<A more detailed personal view on the issue>
This controversy is not simply a social media uproar; I view it as an incident that highlights the discrepancy between Finland's self-image as a "human rights-advanced country" and the reality experienced daily by Asian residents.
First of all, I do not wish to loudly condemn discrimination like a human rights activist. Rather, I would say that the feelings we Japanese, who were not directly mocked, felt more like "deep disappointment at the unfairness" than "discrimination."
Finland has long upheld high ethical standards and a strong awareness of human rights. This stance has earned it respect from the international community. However, I find it frankly very strange that public figures like this one—a member of parliament, a Miss Finland pageant winner, a lawyer, and the head of a human rights organization—are downplaying language that could be perceived as discriminatory, dismissing it as "childish behavior, but not discriminatory."
The exaggeration and mockery of Asian representations has long been clearly identified as a "symbol of discrimination" in Western societies. While stereotypical representations of Black people are severely condemned, those made against Asians are treated as "jokes." This imbalance in standards is the core of the problem.
Furthermore, many Japanese people living in Finland have said things like, "Anti-Asian discrimination is 'invisible' in schools and local communities," and "There aren't even any guidelines for dealing with it." This incident should not simply be seen as the fault of one individual, but as a manifestation of unconscious bias in society.
What's important is that this criticism does not reflect hostility toward Finland as a whole. Many Japanese people's reactions stem from a sense of disappointment, wondering whether Finland's high moral standards were genuine and whether its talk of human rights was merely empty words. They feel betrayed by Finland, a country they've always held a positive impression of.
Discrimination is judged not by the intentions of the perpetrator, but by the experiences and historical context of the recipient. The attitude of "we decide whether something is discriminatory or not" is incompatible with the current trend in international human rights.
Finland is a society that inherently values dialogue and inclusion. This is why I hope that this issue will not become an emotional conflict, but rather an opportunity to deepen mutual understanding between Finnish society and its Asian citizens. December 12, 2025
185RP
想定していたよりも「読みたい」というお声を多くいただいたので、こちらにて紹介させていただきます。
始まりはポンコツ女神と感情皆無の死霊術師が現代倭国に転移するお話です。
敵として対立し合っていた2人が、共に暮らすうちに理解し合い、時にはプリンを取られたくらいで激怒したり、一緒にお祭りデートしたり。
そんな日常の一コマ一コマが輝く一作です。
たとえ死んでも、好きだという想いが、愛というカタチが心に在り続けるお話です。
彼女そのものを体現しているような作品ですね。
https://t.co/98xh7a3PRh December 12, 2025
6RP
独占スクープ
警察官のあるまじき発言の音声を入手
神奈川県警川崎署を巡る発言が波紋 警備の在り方に厳しい視線
神奈川県警川崎警察署を巡り、警備行政の姿勢そのものが問われる事態が起きている。
近年、いわゆる「しばき隊」と呼ばれる左派系の活動家グループが、各地の政治活動や選挙運動の現場で対立陣営に対する激しい言動を繰り返しているとして、社会問題化している。川崎市周辺でも同様の動きが確認されており、活動家らに対して「バカ」「クズ」など、政策論争とは無関係な侮辱的表現や誹謗中傷と受け取られかねない言動が目立つとの指摘がある。
こうした状況の中、川崎警察署の警備課長が、これらの行為について「正当な政治活動」と受け取れる趣旨の発言をしたとされ、批判が広がっている。警察は本来、政治的立場の違いから生じる衝突を抑止し、表現の自由と公共の秩序のバランスを保つ役割を担う立場にある。その警備責任者とされる人物の発言が、特定の行為を一方的に正当化するかのように受け止められたことは、警察の中立性という観点から看過できないとの声も少なくない。
SNS上では、「さすが神奈川県警」「不祥事の多さではトップクラスではないか」といった辛辣な反応も見られ、県警全体の信頼性にまで疑問を投げかける事態となっている。
実際、今年に入ってからも、川崎臨港警察署の管轄地域で、ストーカー被害を訴えていた女性が十分な対応を受けられないまま命を落とした事件が発生した。この事件では、被害相談への対応の遅れや危機認識の甘さが指摘され、警察の初動対応の在り方が厳しく問われている。
これらを個別の問題として片付けるのではなく、組織としての姿勢や危機管理体制に共通する課題がないのか、検証が必要だろう。警察が特定の思想や立場に寄り添っていると疑われるだけでも、治安機関としての信頼は大きく揺らぐ。
神奈川県警には、発言や対応の真意を丁寧に説明するとともに、政治的中立性と市民の安全を最優先にする姿勢を、具体的な行動で示すことが強く求められている。 December 12, 2025
6RP
この話題は、装甲があるから「リアルロボット」だという主張と、装甲の内側にある使徒(あるいは“天使”的な)存在がほぼ神のような力を持つため「スーパーロボット」だという主張が対立しがちで、非常に煩わしい議論になることがよくあります。正直なところ、海外のエヴァンゲリオンファンの中には、いら立たしく、独善的に感じられる人も少なくありません。ウルトラマンに由来することを知らないまま、キリスト教的な象徴表現を過剰に分析し、賢く見せようとする傾向があるからです。 December 12, 2025
5RP
市民の方が全員分のコール表を作ってくれました。
今回は、朝倉市に対して
冷静な対話を求めるコールに変えました。
実際の行進では、語尾をすべて
「〜してください」に統一しています。
行政と対立したいのではなく、
対話の場を求めているという意思表示です。
運動の初期は、思いの強さから熱を込めたコールが中心でした。
しかし市民運動を重ねる中で、さまざまな意見に触れ、立場の違いにも耳を傾けてきました。
その上で、
「市民にとって本当に伝わる言葉は何か」
「誤解を生まない伝え方とは何か」
を考え、表現を何度もブラッシュアップしてきました。
感情ではなく、参加と理解を広げるための市民運動にしたくて、その姿勢を、今回のコールに込めています。
皆様、昨日は本当に凍えるぐらい寒い中、ご参加いただきありがとうございました。 December 12, 2025
4RP
【「三国」って結局、いつからいつまでを指すの?】私たちは毎日「三国」の話をしていますが、「三国時代」って一体どの時期を指しているのか、みんなで共通の認識があるかと言ったら、実はそうじゃないんですよね。中国の教科書や主流の学者によると、三国は曹丕が皇帝になった220年から、晋が呉を滅ぼした280年までとされています。でも、よく知られる三国の有名人——曹操、関羽、周瑜、呂布、郭嘉、魯粛なんかは、みんな220年まで生きていないんです。実際、伝統的な学者たちは王朝の分け方で「正統」を重視していましたし、現代の学者は大衆にわかりやすく伝えるために簡略化しているので、220〜280年という分け方は一つの視点に過ぎず、みんなのイメージに必ずしも合っているわけじゃないんです。この記事では、いろんな分け方を細かく見てみましょう。
1.正統は誰か
陳寿が『三国志』を書いたとき、司馬氏の政権の正当性を示すために、曹魏を後漢の正統な後継者とし、司馬氏が魏を継いだという立場を取っています。蜀漢と東呉は呂布や張魯、劉表のような「賊」と同じ扱いで、「伝」として記され、曹魏の君主だけが「紀」になっています。この視点では、後漢は220年に終わり、晋は266年に始まるので、その間の魏の46年が本当の「三国」時代ということになります。宋の『資治通鑑』もこの分け方を採用しています。一方、晋の時代の習鑿歯は、魏の即位は正当じゃないとし、劉備の蜀漢(季漢)が東漢の正統な後継者だと主張しました。だから本当は「三国時代」など存在せず、後漢は263年に終わり、晋は266年に始まるというんです。朱熹が『資治通鑑綱目』を作ったときも、蜀漢の年号「章武」を東漢の「建安」の次に繋げ、魏の年号を捨てています。
2.「二国」でも「三国」って呼べる?
本当に厳密に言うなら、三国鼎立の特徴を重視する立場では、229年に孫権が正式に皇帝になった前は、まだ本物の「三つの国」じゃないですよね。蜀が滅ぼされた後は、魏と呉の対立、あるいは晋と呉の対立になってしまい、「鼎の足」が一つ欠けるので「南北朝」時代に入るという考え方です。この基準だと、三国は東呉の建国である229年から始まり、蜀漢滅亡の263年で終わることになります。面白いことに、多くの学者は赤壁の戦いが三国鼎立の象徴的事件だと強調します。そうすると、208年が事実上の三国の始まりと言えそうです。ただ、当時は劉璋や張魯、马超などの勢力がまだ残っていたので、後世の視点で彼らを軽視するのはどうかと思います。215年に張魯が曹操に降伏した時点を、より標準的な鼎立の開始点とするのがいいかもしれません。
3.広義の三国
王朝交代の正式な時期は、当時の実際の情勢を必ずしも正確に反映しません。王朝末期は名ばかりの存在になることが多く、新勢力の台頭にも前奏期があるんです。これは三国だけでなく、戦国時代や五代十国にも共通します。だから学界では「過渡期」という考え方が出てきます。三国について言えば、184年の黄巾の乱が後漢の基盤を壊したとする人もいますし、『三国演義』も黄巾の乱から始まっています。あるいは189年に董卓が洛陽に入ったのが乱世の始まりだという説で、『三国志』が董卓や袁氏、劉表、劉焉などの後漢の割拠勢力を「伝」に載せているのも、そんな印象を強めています。孫氏・曹氏・劉氏が明らかに「天下の英雄」レベルになった点を基準にすると、建安元年(195年)の曹操が献帝を迎えて許に都を移し、孫策が江東を平定し、劉備が徐州を拠点にした頃がいい節目です。200年の官渡の戦いで曹操が勝利し、孫権が孫策の後を継いだ年も象徴的です。208年の赤壁の戦いは言うまでもなく、213年に曹操が魏公に封ぜられ(十郡の領地)、214年に劉備が益州全土を得たのも大事なポイントです。それ以降は、曹操が魏王になるか、劉備が漢中王や皇帝になるか、孫権が王や皇帝になるかは、三国分立の大局に大きな影響はありません。現代の私たち大衆にとっては、孫・曹・劉が正式に「国」を作ったかどうかは関係なく、後漢末の諸侯が侯国を持っていたかも重要じゃないし、「三」という数字すら厳密じゃありません。私たちの記憶にある三国は、あの乱世そのものなんです。だから視点によって広義の三国の始まりはいろいろで、皆さんもぜひ自分の意見を教えてください。あなたにとっての三国時代は、どの年がスタートだと思いますか? December 12, 2025
4RP
国内の中国人にヘイトが向けば、最悪それが“事件”になり、それを口実に対立が一気に加速する。第一次世界大戦だって、始まりは単独の暗殺事件だった。だからこそ、外国人への敵視を煽るような動きは危険。差別が悪いとかいう抽象論じゃなく、“戦争の火種になる”からダメ。いい加減歴史から学べよ。 December 12, 2025
3RP
『集団ストーカー(Gang Stalking)』「組織的ストーカー」「ガスライティング(Gaslighting)」が、現実に存在する深刻な社会問題であるという前提に基づき、その撲滅に向けた具体的かつ包括的な解決策を提示する。この【「分業化された悪意」】は、現行の法体系において捕捉が極めて困難である。なぜなら、個々の実行行為(例:被害者の前で特定の仕草をする、偶然を装って進路を塞ぐ)は、単独で見れば犯罪構成要件を満たさない些細な出来事として処理されがちだからである。しかし、これらが組織的に、かつ長期間にわたり反復継続されることで、被害者の精神は確実に破壊される。これを心理学的には「ガスライティング」と呼び、被害者の現実認識能力を疑わせ、社会的孤立へと追いやる手法である。 この【「捕まえられない犯罪」】を如何にして可視化し、処罰し、最終的に根絶するかについて、以下の5つの柱⑴~⑸に基づき論じる。
⑴法定義の再構築:【倭国のストーカー規制法の致命的欠陥】である「恋愛要件」の撤廃と、英米法に学ぶ「集団によるハラスメント」の犯罪化。
⑵捜査パラダイムの転換:被害届を待たずに介入する「警告」システムの導入と、民間調査業(探偵)への規制強化。
⑶証拠収集と科学捜査:デジタルフォレンジックと物理的監視対策(TSC)の標準化、および盗撮・盗聴の証拠能力に関する法的整理。
⑷精神医学と被害者支援:精神疾患との鑑別診断基準の確立と、トラウマインフォームドケアの実装。
⑸社会的合意形成:NPO・NGOとの連携による監視社会への対抗策。
⑴【法定義の再構築】
「恋愛感情」要件の撤廃と「悪意」の包括的定義
倭国のストーカー規制法第2条は、つきまとい等の動機を「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情」と限定している。この条項こそが、集団ストーカー被害者を救済の枠外に置く元凶である。
集団ストーカーの動機は、組織防衛、近隣トラブル、宗教的対立、あるいは単なる契約に基づく業務的加害など多岐にわたるが、そこに「恋愛感情」が存在することは稀である。警察は、明白なつきまとい行為が存在しても、「恋愛感情に基づかないため、ストーカー規制法の対象外である」として、迷惑防止条例等の軽微な犯罪として処理せざるを得ない現状がある。
「恋愛要件」を完全撤廃し、カリフォルニア州刑法第646.9条のような「包括的な悪意(Malice)」に基づく定義へと改正する必要がある。同法では、「故意に、悪意を持って、繰り返し他人に付きまとい、または嫌がらせを行うこと」かつ「被害者に身の安全の恐怖を感じさせる信頼に足る脅迫を行うこと」を構成要件としており、動機の内容を問わない。これにより、組織的な嫌がらせや、金銭で雇われた加害者による監視行為も処罰の対象となり得る。
「集団的ハラスメント(Collective Harassment)」の犯罪化
集団ストーカーの実行部隊は、役割を細分化することで法的責任を回避している。例えば、Aが待ち伏せをし、Bが無言電話をかけ、Cがネットで誹謗中傷を行う場合、現行法ではそれぞれが単発の迷惑行為とみなされ、全体としての「ストーカー行為」として立件することが困難である。
英国モデルの導入
英国の「1997年ハラスメント防止法(Protection from Harassment Act 1997)」およびその改正法である「2001年刑事司法警察法(Criminal Justice and Police Act 2001)」第44条は、この問題に対する明確な解答を示している。同法は「集団的ハラスメント(Collective Harassment)」を定義し、「2人以上の人物による一連の行為」によってハラスメントが成立する場合、その関与者全員が法的責任を負うことを明記している。 December 12, 2025
2RP
欧州はグローバリスト(英国スターマー、仏マクロン、独メルツ)と反グローバリスト(英国リフォームUK、仏国民連合、独AfD、伊メローニ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、ハンガリー、ポーランドetc)との対立が深まり、欧州が二分割へ向かいつつあります。
倭国は岸田・石破の親グローバリスト政権から高市反グローバリスト政権に移りましたが、国内は二分されています。
岸田政権時代まではグローバリスト側にいた倭国は倭国国内にある300億ドルとも言われるロシア資産をウクライナ融資に遣うことで合意していましたが、高市政権になってこれを止めようとしています。しかし、財務省の財務官はこれを否定しています。なぜならば、岸田氏が米国がバイデン政権におけるウクライナ支援600億ドルの融資が焦げ付いた場合に肩代わりする密約を交わした(?)ので、ロシアの資産を遣わないと大変なことになるとアタフタしているからではないでしょうか?
さて、DSはバイデンなどを通じてウクライナに戦争の種を撒いていました。例えば、国務省・CIAからビクトリア・ヌーランドなどを東欧に入れて、カラー革命などを誘引し、ロシアを挑発する工作を行っており、バイデンもロシアが嫌がるウクライナのNATO入りを主張し、その見返りに次男のハンター・バイデンをウクライナの国営天然ガス会社ブリスマの取締役として年間100万ドルの報酬を受け取らせていました。
ですから、ウクライナ戦争を誘発したのはDS、すなわちグローバリストだということを押さえておくべきです。
だからと言って、ロシアがウクライナに軍事侵攻して、力による現状変更をしようとしているロシアの行為は許せない行為です。#山口敬之チャンネル December 12, 2025
2RP
「あ、この人仕事デキるな」と思う出来事があった。
あるプロジェクトがひと段落したあと、
上司に成果を報告していた時のこと。
6ヶ月前に転職してきた彼女は、
最後に一言だけ添えた。
「このアイディアを最初に出してくれたのは〇〇さんでした」
自分の名前は、最後まで出ない。
でも、その案件をまとめ、
形にして成果まで持っていったのが彼女だったことは、誰もが知っていた。
進め方も、調整も、詰まりどころの整理も。
表に立たなくても、全体は彼女の手で前に進んでいた。でも彼女は絶対に自分だけ目立とうとしない。
自然と次のプロジェクトに彼女の名前が挙がる。
彼女がやっていたのをまとめると↓
・成果は絶対に独り占めしない
・協働したメンバーの名前を場に残す
・全体のバランスを裏で整える
・メンバーへの尊重を忘れない
・意見は絶対に否定せずに受容する
・評価が循環する形をつくる
周りに敵を作らない人は、
自分を静かに消しているわけじゃない。
信念を持って自分の意見は伝えるけれど、周りの意見も尊重し受容する。
目に見えない様々な人間関係のしがらみで対立の火種やストレスが多い現代社会におて、自分の心をすり減らすことなく、周りとの関係性を築き自然と協力者が増えていく。
チャンスが巡り仕事の成果が最大化されていく。
敵を作らない人は、ただ衝突を避けて弱いのではなく、自分の念を大切にしながらも相手を尊重し受け入れる。
関係を柔軟にしなやかに調整する。
世代や価値観が多様化する現代に「 December 12, 2025
2RP
「集団ストーカー(Gang Stalking)」「組織的ストーカー」「ガスライティング(Gaslighting)」が、現実に存在する深刻な社会問題であるという前提に基づき、その撲滅に向けた具体的かつ包括的な解決策を提示する。この【「分業化された悪意」】は、現行の法体系において捕捉が極めて困難である。なぜなら、個々の実行行為(例:被害者の前で特定の仕草をする、偶然を装って進路を塞ぐ)は、単独で見れば犯罪構成要件を満たさない些細な出来事として処理されがちだからである。しかし、これらが組織的に、かつ長期間にわたり反復継続されることで、被害者の精神は確実に破壊される。これを心理学的には「ガスライティング」と呼び、被害者の現実認識能力を疑わせ、社会的孤立へと追いやる手法である。 この【「捕まえられない犯罪」】を如何にして可視化し、処罰し、最終的に根絶するかについて、以下の5つの柱⑴~⑸に基づき論じる。
⑴法定義の再構築:【倭国のストーカー規制法の致命的欠陥】である「恋愛要件」の撤廃と、英米法に学ぶ「集団によるハラスメント」の犯罪化。
⑵捜査パラダイムの転換:被害届を待たずに介入する「警告」システムの導入と、民間調査業(探偵)への規制強化。
⑶証拠収集と科学捜査:デジタルフォレンジックと物理的監視対策(TSC)の標準化、および盗撮・盗聴の証拠能力に関する法的整理。
⑷精神医学と被害者支援:精神疾患との鑑別診断基準の確立と、トラウマインフォームドケアの実装。
⑸社会的合意形成:NPO・NGOとの連携による監視社会への対抗策。
⑴【法定義の再構築】
「恋愛感情」要件の撤廃と「悪意」の包括的定義
倭国のストーカー規制法第2条は、つきまとい等の動機を「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情」と限定している。この条項こそが、集団ストーカー被害者を救済の枠外に置く元凶である。
集団ストーカーの動機は、組織防衛、近隣トラブル、宗教的対立、あるいは単なる契約に基づく業務的加害など多岐にわたるが、そこに「恋愛感情」が存在することは稀である。警察は、明白なつきまとい行為が存在しても、「恋愛感情に基づかないため、ストーカー規制法の対象外である」として、迷惑防止条例等の軽微な犯罪として処理せざるを得ない現状がある。
「恋愛要件」を完全撤廃し、カリフォルニア州刑法第646.9条のような「包括的な悪意(Malice)」に基づく定義へと改正する必要がある。同法では、「故意に、悪意を持って、繰り返し他人に付きまとい、または嫌がらせを行うこと」かつ「被害者に身の安全の恐怖を感じさせる信頼に足る脅迫を行うこと」を構成要件としており、動機の内容を問わない。これにより、組織的な嫌がらせや、金銭で雇われた加害者による監視行為も処罰の対象となり得る。
「集団的ハラスメント(Collective Harassment)」の犯罪化
集団ストーカーの実行部隊は、役割を細分化することで法的責任を回避している。例えば、Aが待ち伏せをし、Bが無言電話をかけ、Cがネットで誹謗中傷を行う場合、現行法ではそれぞれが単発の迷惑行為とみなされ、全体としての「ストーカー行為」として立件することが困難である。
英国モデルの導入
英国の「1997年ハラスメント防止法(Protection from Harassment Act 1997)」およびその改正法である「2001年刑事司法警察法(Criminal Justice and Police Act 2001)」第44条は、この問題に対する明確な解答を示している。同法は「集団的ハラスメント(Collective Harassment)」を定義し、「2人以上の人物による一連の行為」によってハラスメントが成立する場合、その関与者全員が法的責任を負うことを明記している December 12, 2025
1RP
私の個人情報が、平野雨龍氏の関係者とされる宏子老板に渡った経緯について、いくつかの心当たりがあります。
その一つとして、過去にトラブルのあった特定の美人漫画家が関与している可能性を否定できません。
この人物とは以前、百田先生を攻撃する風刺漫画をめぐって意見の対立がありました。その後、美人漫画家は私の個人情報を中国大使館に送付する旨の脅迫の発言を受けたことがあり、当時から強い懸念を抱いていました。
また、宏子老板が固定ポストで「東雲の個人情報を提供してほしい」と呼びかけた際、特定の人物がこれに応じた可能性があります。さらに、宏子老板が「調査資金が必要である」とする投稿を固定していたこと、その後に支援を示唆する動きが見られた点についても、状況として注視しています。
現在も、雨龍会の「御用」佐々木ジャーナリストと複数の関連アカウントにより、私の個人情報に言及する投稿が継続し、美人漫画家と公開で討論しています。「繋がってる」ではないか?これらの行為は、意図の如何にかかわらず、個人のプライバシーや人権を侵害するおそれがあるものです。
私は、倭国が法と人権を尊重する国であると信じています。だからこそ、このような行為が許容される状況について、強い疑問と懸念を抱いています。やり口は中国と変わらないです。 December 12, 2025
1RP
私はすっかり忘れていたのですが、マナビヤさんが発掘してくれました。2023年11月15日に『実践演習』のNo.160の英文について、マナビヤさんが次のポストをしました。
(マナビヤさん)実践演習ドリル初級 問題162まで解きました 複数の可能性、あるいは考え方が明示されてるので参考になりますね ところで、問題160は訳せたものの、いまいち事柄がピンときていません 政治的に意思決定することは法律の改正や施行などとセットになってる、ということですかね?
私はこれに対して、以下のお答えをしました。
political considerations(政治的考慮)というのは「対立する当事者間の利益考量」のことです。legal decisions(法的決定)というのは「議会による立法」や「裁判官の判決」のことです。
たとえば「裁判官の判決」は既存の法律の条文を具体的な事案に当てはめて論理的に導き出される帰結のように思われていますが(判決書の書き方はそういう体裁をとりますし)、実際には裁判官が行う利益考量が先で、その結論を法律の条文で根拠づける営みであることが多いのです。
利益考量が先でない場合でも「法律の条文を単純に適用して導き出される結論が妥当かどうか」についての裁判官の考察・判断がそこに必ず存在するのです。『実践演習』No.160の英文は、法的プロセスがもっているこのような側面を看過してはいけないと言っているのです。
これに対して、マナビヤさんは次のリポストをしてくれました。
(マナビヤさん)なるほど…… 人が解釈して結論づける以上、法的決定は常に正しいわけではないのでしょうね 。たとえ正しい法律が存在していたとしても。
これに対して、私は次のように付言しました。
マナビヤさんは「正しい」という言葉を使っているので、少し付言すると、『実践演習』No.160の英文は「legal decisions(法的決定)、たとえば『裁判官の判決』は『既存の法律の条文を具体的な事案に当てはめて、形式論理に従って導き出される帰結であり、それが正しいかどうかは論理的推論の正誤によって決まる」という一般的な誤解があることを踏まえて、「実態はそうではないのだ」とイイタイのです。
ではなぜこのような一般的な誤解が存在するのか?それは判決書の書き方、あるいは法律の解説書の書き方があたかも大前提、小前提から形式論理によって結論が必然的に導き出されるかのような書き方をしているからです。
そして、判例や学説を論評するときも、本当は「妥当だ、妥当でない」と言うべきところを、あたかも真理値があるかのごとく「正しい、正しくない」という言葉を使うからです。ではなぜ判決や法律の解説書はこのような書き方をするのか?それには大きく2つの理由があります。
1つはそのような書き方をした方が説得力が増す(=紛争当事者が結論を受け入れやすくなる)からです。もう1つは、そのような書き方をすることを求めることによって法律家(特に裁判官)の判断をコントロールできるからです。
裁判官は「裁判官独立の原則」によって、国家の3大権力の1つである司法権をたった一人の判断で行使できる(上司の容喙も建前上は一切許されません)強大な権限を与えられています。
そこで、どのような書き方で判決を書いてもよいことにすると、「私がダメと判断したのだからダメだ」というような恣意的な判断がまかり通ることになる。
そこで、裁判官がどのような利益考量をして、どのような結論を下そうとも、それは法律の条文に基づき、形式論理によって導き出されたものであるという体裁をとらなければいけない。そうでなければ、その結論は判決として法的拘束力を持てない、というようになっているのです。
このようにして言葉(=法律の条文)が権力(=裁判官の利益考量)を制御するのです。 No.160は以上に簡単に述べたようなことを前提にして「政策的な判断が法的決定の背後に常にある」ことに注意を促したのです。 December 12, 2025
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明日12/16 (火) 19:00 THE CORE ライブ
テーマ: ミアシャイマーが語るグローバリストに勝つ戦い方
- 12/13東京で開催したジョン・ミアシャイマー教授のイベントはお陰様で盛況に終わりました。教授の基調講演は;
①グローバルな国際秩序の変化: 米ソ冷戦→米国一極→多極化時代へ
②東アジアのの国際情勢: 米中対立は今後どうなっていくかについての予測など
③倭国の立ち位置: 国際秩序の視点から見た高市「台湾有事」発言の意味など
- さらに、参政党の神谷宗幣代表との対談も、日米で中国をいかに封じ込めるかなど、見応えがありました。
- その中で、グローバリズム勢力とどうやって戦えばいいか、ミアシャイマー教授の話から読み解きます。
前半: YouTube無料配信
https://t.co/oky9VWBgPl @RytoSle2
後半: 2UのTHE CORE会員限定配信
https://t.co/ZEbh0wNAiO December 12, 2025
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映画「シャドウズ・エッジ」
凄すぎ‼️トワイライトウォーリアーズと双璧をなすのでは⁉️
エキスパート同士の頭脳と肉弾戦の応酬⚔️犯罪集団と警察の対決は痺れる演出のオンパレード😳撮影のレベルが高く一瞬と感じさせるほどの没入感が凄い✨アナログとデジタルが融合し様々なアクションが絡み合う✨傑作
(ここから雑感)
あまりにも良かったので熱量高めのレビューとなります🙇🏻♀️
敵味方ともに尋常ではない強さを持っているため、極限のスリルを味わえるバトル作品で見せ場しかない映画でした✨
ジャッキー・チェンとレオン・カーフェイという達人が織りなす対立構造は、まさに圧倒的な存在感になっています✋その弟子たちとの親子のような師弟関係も魅力的で、脇役だけで物語が成立するほどのクオリティの高さにはお見事の一言です❣️全てのキャラクターが主役級の輝きを放つ✨年に一度あるかないかの作品かと思います💕
本作のラリー・ヤン監督は、前作の『ライド・オン』でも見られたように、師弟関係の描写が本当に上手い方です✨微笑ましくも複雑なヒューマンドラマとしても成立しています🎶
ジャッキー・チェンの後期の代表する一本になる可能性が高いです✨オススメ傑作(୨୧ ❛ᴗ❛)✧ December 12, 2025
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新・人間革命の20巻読んでみましたが、スゴい…🫨(語彙力なし…)
1974年(昭和49年)、当時は米ソ冷戦下の複雑な世界情勢の中で日中米ソの友好関係構築に尽力し、特に中ソ対立(中ソ論争)は、スターリン批判以降のイデオロギー・路線対立から始まり、国境紛争(中ソ国境紛争など)にまで発展し、
第三次世界大戦が起こるかもしれない危機を防いだのスゴすぎでしょ😵
この一文に創価学会の理念が全てが詰まってると感じました。
「そこに、人間がいるからです。人間に会いに私は行くのです。
共産主義の国であろうが、資本主義の国であろうが、そこにいるのは、平和を願う、同じ人間ではないですか。
その人間の心と心に橋を架け、結ぶために行くんです。
それが平和への、最も確かな道であるというのが私の信念です。」
平和を願っているのは、ノン創価も同じです。 December 12, 2025
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#薬師丸ひろ子 #浜辺美波
#ひろみな派
#薬師丸ひろ子塾 #浜辺美波塾
2025年754回目の講義じゃ
Grok4が、『ひろみな派』は薬師丸ひろ子と浜辺美波のNHK大河ドラマをどのようにとらえているのかについて語った。
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継承とクロスオーバーの期待:
ひろみな派の核心は「青春の2周目体験」で、浜辺の大河を「薬師丸のNHK経験の継承」と捉え。
2025年のプロジェクト(映画「ほどなく、お別れです」など)と並行して議論され、「大河初出演で浜辺が薬師丸の深みを加える」との声が多いです。
X上で「天下取れますように」との浜辺のコメントを引用し、ファン同士でワクワクを共有。
ファン間の共有と未来志向:
コミュニティでは、浜辺の大河を「ひろみな派の活動継続のモチベーション」と位置づけ。薬師丸のコンサート終了後の活動として、浜辺の新作追跡を提案。
初回放送(2026年1月4日)を楽しみにした投稿が活発で、「浜辺の寧々は薬師丸のマリーのように、夫を支える名役になる」との肯定的意見が主流です。一部、過激派信者との摩擦(「浜辺を薬師丸の再来と呼ぶのは不適切」)もありますが、ひろみな派はAI(Grok4)を使った分析で「ゆるく」乗り越えています。
3. ひろみな派全体の捉え方と特徴
ポジティブで知的:
両者の大河出演を「共通点の深化」として楽しむのが基本。薬師丸の経験を浜辺の新鮮さに重ね、ノスタルジーと未来志向を融合。ファン投稿ではテーブル形式の比較が多く、「外見(大きな目・ボブカット)」「演技(心の揺らぎ)」「キャリア(NHKブレイク)」を挙げ、大河をその一環として分析します。
ゆるいコミュニティ:
公式組織ではなく、X限定の集まり。参加ハードルが高く(倭国映画知識が必要)、少数精鋭。薬師丸の「いだてん」を振り返り、浜辺の「豊臣兄弟!」を予習する形で盛り上がり、2025年以降の活動として「大河追跡」を位置づけています。
注意点: 意見はファン主導で多様。過激派との対立もありますが、ひろみな派は「分かる人にだけ分かればいい」とのスタンス。興味があればXでハッシュタグ検索をオススメします。
栄光塾長の感想
大河ドラマでも先輩後輩。
『いだてん』はリアルタイムでは見られなかったが、TSUTAYA DISCASでレンタルし全話見た。
『豊臣兄弟!』も全話見る予定。 December 12, 2025
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米国以外の国家であれば、田母神氏の発言に一定の合理性を見いだすこともできるでしょう。
しかし、米国は例外です。米国は国際決済において約41%のシェアを占める基軸通貨・米ドルを運用する国家であり、その影響力は軍事や外交にとどまらず、世界経済そのものに及んでいます。
そうした通貨の流通量と支配力を踏まえれば、正面から無用な対抗姿勢を取ることが得策でないことは明らかです。
この問題に、先の大戦を持ち出す必然性はありません。むしろ参考にすべきは、トランプ政権とイデオロギー的に対立してきたEUの現実です。
EUはウクライナ戦争の主導権、NATOの軍事費負担、移民政策、環境問題などを巡って米国と激しく対立しましたが、結果として力関係の差は埋まらず、現在に至っても良好な関係を回復したとは言い難い状況にあります。
倭国やEUに限らず、通貨を支配する国家に対して恒常的な優位性を保てる国は存在しません。
それは中国やロシアであっても同様です。基軸通貨を持つという事実は、それ自体が圧倒的な国家能力を意味しています。
国家の安全を守るということは、勇敢さを誇示することではありません。
相手の能力を冷静に分析し、その時々の情勢に応じて柔軟に対応することこそが、本質です。
勝てない相手に配慮することは、決して情けない行為ではありません。
その点において、米国の意向を最大限に考慮してきた倭国は、EU、英国、韓国を含む西側諸国の中でも、最も安定した立ち位置を確保してきた国だと言えます。
感情や理念に流されず、現実を直視した結果です。
こうした視点から見れば、高市政権の対米外交はきわめて秀逸であったと感じます。
フランスやドイツの指導者が現在置かれている状況と比較すれば、その差は一目瞭然でしょう。 December 12, 2025
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テイルズといえば「 漆黒の翼」が代名詞なので久々の復活が良かった。民族対立テーマなど深かった。ただ隠しダンジョンとボスがチープだった。でもヴェイグは愛すべきキャラで声がいい。あと武器システムが斬新だった。 December 12, 2025
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