安全地帯 芸能人
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2025.12.11 14:00
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>私の恩師は、よくこう言っていた。「倭国人は戦争に向かない」と。何故ですか?と私。
①すぐ感情的になる
②事実に向き合わない
③まとまりがない、バラバラ
④安全地帯からの自己主張ばかり
⑤気にいらないヤツがいたら、
暗殺
⑥事実(戦況)をすぐに捻じ曲げる
⑦妄想=一億総玉砕戦法を編み出す⑧特攻と突撃、餓死と病死が大半
⑨学徒動員も、戦地に行く前に
リンチ
⑩戦地に行っても、武器弾薬がない⑪全く軍事的合理性がないまま、
ひたすら徴兵する
【結論】
今も変わらず、
「倭国/人は、戦争に向いてない」
2ヶ月も経たず、中国との情報戦に完敗。孤立真っしぐら。倭国の機関産業である自動車のサプライチェーンをいつでも寸断できる。
もちろん、防衛省は予算大幅獲得のために、戦争ごっこをしている。
代償は高く付くだろう。 December 12, 2025
88RP
100人いたら100人が納得する意思決定など、この世に存在しない。これは綺麗ごとでも極論でもなく、組織という人間の集合体を理解していれば当然の事実。人はそれぞれ異なる欲求、立場、正義、恐れ、価値観、損得勘定を持っている。その100通りの背景が存在するなかで全員が納得する意思決定なんてない。意思決定の民主化は、責任の希釈化。
もし100人全員が納得する意思決定を本気で作ろうとしたらどうなるか。会議が増え、議論が増え、利害調整が増え、クッション言語が増える。資料が増え、承認プロセスが増え、スピードが落ち、責任の所在がぼやけ、決定が曖昧になる。誰も反対しないが、誰も推進しない案だけが残る。たとえるなら、肉も野菜もチーズもない、誰も食べたいと思わない無味無臭のピザが完成する。
みんなの納得を追いかけるほど集団は愚かになる。合意形成は本来、意思決定を早めるための手段だったはずが、多くの倭国の企業文化では反対が出ないことがゴールにすり替わってしまっている。でも「反対がない」は「賛成している」と同義じゃない。多くの場合、それは責任を負いたくない沈黙者たちの集まり。
組織の意思決定の軸は「納得」ではなく「責任」にあるべき。責任を持たない人の意見は、的確であれ間違っていようが、あくまで参考値にしかならない。責任のない人ほど安全地帯から批評できる。火災現場に入らずに消火方法を語り、経営の痛みも背負わずに方針を語る。だから意見に重みがない。責任のない人の反対意見は軽い。
昨日も「役員が納得してくれない」と悩む経営者がいたが、最も視座が高く未来を見据えて意思決定している経営者が、株も持たず、会社が倒れても個人的な人生は揺らがない役員の意見を重視する構造がおかしい。役員の役割は審査員ではなく、経営者の意思決定を現実にする実行者。経営者の未来への確信より、役員の不安を優先する会社は成長しない。
とはいえ、役員が納得しない理由が構造だけにあるとは限らない。多くの場合、もっと根深い要因が潜んでいる。それは経営者が普段から言行一致できていない、戦略性が乏しい、場当たり的で信用残高が低いという「呆れ」が蓄積しているケース。人は信頼している人には従うが、信用していない人には耳を貸さない。どれだけ正しい意思決定でも、語る人が信用されていなければ説得力を持たない。
役員がついてこないなら、役員の問題なのか、経営者自身の未熟さの問題なのか、その両方なのかを冷静に考えて対策を打たなければいけない。
全員の納得など必要ない。必要なのは、責任を負う者の覚悟ある意思決定であり、その意思決定に人がついていきたいと思える経営者の器。組織は「納得」で動くのではなく「責任」で動き「器」で加速する。 December 12, 2025
1RP
明日風が強いのは知ってたけどすでにもう既に風強いな
明日はさらに風強いうえに寒いので、風に煽られて倒れそうな鉢や落ちそうなところの鉢、まだ若い苗物とかの庭の鉢物を安全地帯に避難させないといけん… December 12, 2025
引用元に同意。
ツリーにある“・排除を「自然な結果」にすり替える ・規範を明文化せず、守れない子だけ自己責任で切り捨てる ・語っている本人だけ安全地帯に立つ”という箇条書きも、本当にわかりやすい。
以下、引用元スクショを読んでいて個人的に思ったこと。
そもそも、クラス内の“弾かれ”の原因と結果の関係は、それほど単純な物ではないと思う。
小学校高学年の子どもの“弾き(≒いじめ)”は、「あいつは品行方正だから気に入らない」とか「あいつは顔が良いから気に入らない」ぐらいの理由でも簡単に始まり、察しが察しに繋がってマジョリティを形成する。
つまりいじめは、やられる側個人の行いだけで防げるものではない。
そんな分かりきった事を差し置いて、「この時期の子どもたち」にわざわざ謎の論理を展開する教員の本当の意図は、なんだろう?
読んでてなーんかモヤモヤする理由を考えて、言語化してみた。
①“いきなり周りの人からスパンと弾かれてしまう”
↑この部分。これは「何かの条件を満たさなければ、いきなりみんなの仲間外れになる」という脅迫になっている。
なぜいきなり脅迫する必要があるのか?
②“ちゃんとやる事をやっている”“周りの事を考える”
↑これは、なぜか表現を曖昧にしている。
何をすれば“ちゃんと”やったことになるのか、“やる事をやる”とはどういう意味か、“周りのことを考える”とは、具体的にどういう行動を指すのか?
大人の私が見てもさっぱりわからない事は、子どもにとってはもっとわからないだろう。
しかしこの教員は、これを説明せず、内容を相手に察させようとしている。
①+②は、侵入型支配の典型的な手法と重なる。
侵入型支配は、
・ダブルバインド(言ってることと本音や態度が大きく異なる)
・察しの搾取(→ガスライティング)
以上の2つを多用する。
侵入型支配というのは、例えば、「もう好きにしなさい!!」とガチギレする親の言動もその一つ。
この言動を分解すると以下のようになる。
・「好きにしなさい」と言葉で言いつつ、好きに行動していいなんて少しも思っていない→つまり、子どもには「好きにする」などという選択肢は与えていない。これをダブルバインドという。
・「何をすればいいのかは具体的に提示しないが、私の機嫌を取らないなんて許さない」というメッセージを、明らかに不機嫌な態度から察させる(察しの搾取)
・結果的に子どもは、親の機嫌を取るしかなくなり、しかもその行動を「自分で選んだこと」と無意識に誤認する(ガスライティング)
つまりポス主の教員の言動に戻ると、②では曖昧な表現によって子どもに選択肢があるように見せかけ、「この行動は自分で選んだ」とガスライティング、でも実際は①の脅迫により子どもにはほかの選択肢などない。
そうやって、自分が提示した曖昧な規範に従わせる。従う以外の選択肢は、あらかじめ剥奪しておく。
子どもは、気づかないうちにコントロールされてしまう。しかも、自分の意思で行動したと誤認する。
これが侵入型支配。
②補足
内容をはっきり明言しないことで、“弾き”の理由を幅広くカバーすることもできる。クラスでどんな理由で“弾かれ”が起きても「やられる自分に問題があった」と本人に思い込ませることができる。被害者をあらかじめ無力化させておけば、いじめ問題が顕在化せず、教員は直接手を下さずとも自動的に隠蔽コースに進める。
③“周りの人はあなたの言動をよく見ています”“みんなそのあたりをよく見ていて”“こうなった場合、大人がどうこうするのも難しい”
↑この部分。スクショポス主の言動は、“自分vs子ども”の支配・コントロールが目的なのに、“子ども同士の関係に起きる問題”に見せかけている。これにより自分による支配のカモフラージュ、自分の力の拡大、自分の正義の一般化している。
④「逆に言うと、そこをしっかりしていれば、周りは見ています。」
↑結果的に「弾く側」の私刑を当然として正当化し、実質的に加担しているが、これもカモフラージュしている。
以上。
子どもは大抵の場合、大人に生殺与奪件を握られているので、「侵入型支配」を受けた子は、生存のためにその支配に従ってしまいます。
そして、それを繰り返された子は「自分の考えを持つとろくなことがない」「自分には価値がない」と感じるようになります。
これは、自己肯定感の基礎である自己承認を失う事です。
私は、「集団生活における大事なルールを守ること」と「教員の指示に盲目的に従うこと」の正義を同列にするべきではないと思います。
集団生活のルールはきちんと指導する傍らで、「自分のクラスでは、みんなのオリジナルの自分を臆さずのびのび表現してほしい。もし誰かに嫌なことを言われたら、俺が全力で守ってやる。」ぐらいのことを言ってくれる先生がいたら、安心なんだけどなぁと思います。 December 12, 2025
@candied0violets 袋から吸い込む勢いで食べてたよ🤭
🍿って飲み物だっけかww
好感度上げなくてもうちら夫婦はいつでもウェルカムだから連番したくなったら声かけてっ🙌
安全地帯オジだから怖くないよっ😁 December 12, 2025
FM CoCoLo 📻
DJまちゃおさんのCIAO765
安全地帯、松井五郎さんのお話しからの…
“悲しみにさよなら”
on air 13:50頃〜
今日は、松井五郎さんのお誕生日🎂🎉
radikoで聞き逃したお話し聞かねば❣️
#CIAO765
#FmCoCoLo765 https://t.co/P2hnfbHhtY December 12, 2025
人には、不思議とそばにいるだけで心が安心する相手がいますよね。
そうした安心感は、その人の特別な能力なんかではなく、相手との関わり方の積み重ねから生まれます。
たとえば、相手の話を途中で奪わず、最後まで耳を傾けること。どんな感情も否定せず、「そう感じるんだね」と受け止める姿勢。求められていない助言を急いで押しつけず、ただ寄り添い余白を残すこと。
そして、相手のほんの小さな変化に気づき、そっと気づかいを添えること。
こうした態度に「自分は大切に扱われている」という実感が湧いてきますよね。
安心とは、言葉ではなく態度によって生まれる“心の安全地帯”のようなもの。
その“安全地帯”があるからこそ、自然と「また会いたい」と思えてきます。
“いい感じ”の関係性の中で日々生きていたいです…よね。 December 12, 2025
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