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大飢饉
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2025.12.18 20:00
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みなが手を挙げ、声を上げた
「わしらに任せろ」と、心強い限りである
「あと、言っておきたいのは、なによりも命が大切じゃと言うことじゃ。荷が野盗に襲われるようなことがあれば…
#秋田藩・救済米
#天保の大飢饉
#仙台藩
書籍詳細:海翔けた龍の記憶 | 書籍案内 | 文芸社 https://t.co/0SoiCUm7Le December 12, 2025
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今からちょうど704年前、東京埼玉一帯の大飢饉を救った、法密上人様の雨乞い断食祈願を称え、当神社摂社「法密稲荷社」に於いて大荒行を成満された、地元の丸山寺住職の内山上人様に読経いただきました。
当神社創建の史実が再現され、参拝に来られる皆様の清き志が満願成就されることを心からお祈り申し上げます。 December 12, 2025
歴史的人為的大飢饉「ホロドモール」はなぜ起きたのか 隠蔽されていた歴史
ホロドモールとは、1932年から1933年にかけてウクライナで起きた人為的な大飢饉。当時のソ連(現ロシア)の最高指導者ヨシフ・スターリンによって計画された、ウクライナ人へのジェノサイドだった。
https://t.co/dYafxSbqrl
ソ連は、工業化を無理やり推し進めようとした。ウクライナのコルホーズに過剰な量の穀物徴収を課し、割高を提出すると農民には自分たちが食べる分の食料が残らなかった。彼らはろくに食事もできないまま、労働することを余儀なくされたのだ。
収穫した穀物は政府に徴収され、外貨獲得の有効な手段として国外に輸出された。しかし、その輸出量は国内消費分が不足するほど過剰で、恵まれた土壌を持つウクライナでも、課せられた収穫高の達成は困難であった。
加えて天候不順も重なり、穀物の生産量は激減。食料が底を付き多くの農民が餓死する事態へとつながったが、スターリンは外貨獲得のために飢餓輸出を行い続けたのだ。
不満を表明する農民は続出したが、政府は制圧するために数々の条例を制定。農産物は人民に属するものとされ、パンの取り引きや調達不達成、落ち穂拾いまでもが、見つかると「人民の財産を収奪した」という罪状で罰せられた。都市部から共産党メンバーが見張りに送り込まれ、食料などを没収していった。
さらに、1932年12月には国内パスポート制を導入。ウクライナの国境は封鎖され、農民は自由な出入りは許されず、村や集団農場に縛り付けられた。
イギリスなどヨーロッパの国々は、国際赤十字を通じて、ソ連政府に飢饉への対策を要請したが、「五ヶ年計画」の成功を宣伝していたソ連は、飢饉の存在を隠蔽して認めなかった。
限られた農作物や食料も徴収された人々は、鳥や家畜、ペット、道端の雑草を食べて飢えをしのいでいた。それでも耐えられなくなり、遂には病死した馬や人の死体を掘り起こして食べ、チフスなどの疫病が蔓延。
極限状態が続き、時には、自分たちが食事にありつくため、そして子どもを飢えと悲惨な現状から救うために、我が子を殺して食べることもあったと言う。
通りには力尽きて道に倒れた死体が放置され、町には死臭が漂っているという有様だった。当時は、飢饉や飢えという言葉を使うことも禁じられていた。
飢饉によってウクライナでは人口の20%(国民の5人に1人)が餓死し、正確な犠牲者数は記録されてないものの、400万から1450万人以上が亡くなったと言われている。 December 12, 2025
『未完の名宰相 松平定信』を読んでいますがめちゃ面白いですね…。命懸けなレベルで儒学や歴史を勉強しまくって政策を立案したとはいえ、20代の政治経験のない青年が大飢饉から白河藩の領民を守ったという政界デビューがまず尋常じゃない。学識と理論も凄いが、事前リサーチと効果検証も徹底してる。 December 12, 2025
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