同調圧力 トレンド
0post
2025.12.14 02:00
:0% :0% (40代/男性)
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
生きずらさってなんだろうって考えることが増えた。
自分の性格や努力不足の問題として説明されることが多いが、どうしても腑に落ちなかった。そこには、個人の内面だけでは説明できない感覚がある。
倭国の社会は、同調圧力が強く、高コンテキストで成り立っている。
「空気を読む」こと、「察する」ことが暗黙の前提となり、本音と建前が乖離したまま関係が維持される。
責任ははっきりと引き受けられず、衝突を避けるために、誰かが沈黙し、誰かが自分を調整役として差し出す。そうした構造が、日常のあちこちに埋め込まれている。
この文化の中で、違和感を言葉にすることは容易ではない。疑問を呈すれば「空気を壊す人」になり、折り合いをつけることが求められる。
だが、倭国社会における「折り合いをつける」とは、多くの場合、自分の考えや境界、尊厳を脇に置いて皆に合わせることを意味している。それは調和ではなく、境界の一方的な侵害である。
このような侵害が一度きりであれば、人はやり過ごせるかもしれない。しかし、それが長期にわたって続くとき、事態は変わる。
予測不能で、逃げ場のないストレスは、人の神経系を少しずつ変化させていく。常に緊張し、周囲の空気や他者の感情に過敏になり、危険を見逃さないよう身構える状態が「通常」になっていく。
この過敏性は、弱さではない。生命体が環境に適応した結果である。
長期のストレスは、ホルモン系や神経系の調整を通じて、人の反応性を高めることがある。エピジェネティクスという言葉で説明されるように、これは固定された欠陥ではなく、環境に応じた可塑的な変化である。
しかし皮肉なことに、こうして適応した人ほど、さらに「生きづらい人」と見なされやすくなる。空気に敏感であるがゆえに疲弊し、境界を守ろうとすれば浮き、合わせれば自分がすり減る。
文化構造、境界侵害、神経の適応変化、そしてさらなる同調圧力。この循環の中で、生きづらさは深まっていく。
だから私にとって、生きづらさとは「適応できない個人の問題」ではない。人間の神経の仕様と、境界を尊重しない社会構造とのあいだに生じたズレが、長期にわたって解消されない状態である。
生命体として考えれば、自己破壊を伴う適応は健全な調和とは言えない。共同体や社会が、個体の尊厳や境界を犠牲にして成り立つのであれば、それは協働ではなく、均質化された安定にすぎない。
それでも人は社会の中で生きる。だから答えは、戦うか、従うか、という単純な二択ではない。個体として守るべきもの、関係として引き受けるもの、社会的な役割として距離を取るもの。その階層を分けて関わり方を選ぶことも、一つの倫理である。
私が考える生きづらさの本質は、誠実に感じ、考え、境界を持とうとする人ほど、それを削ることを求められる構造そのものにある。
生きづらさは、人が壊れている証拠ではない。社会とのズレに気づいてしまった証である December 12, 2025
3RP
非常時に限らずで「国ガチャ失敗」「失敗国家」とか言ってる人達は。後進国どころか先進国ですら稀な程に国民の自由と安全が日常的に保障されたSSRを引いている自覚がまるで無かったりで。
格差と貧困と不満不安とそれによる凄まじいルサンチマンとヘイトが生み出した、他人や社会に対する明確な悪意を持つ人達がネット上だけでなくリアルに居るのが桁違いだったりする。
外国人観光客がコスプレしてカートに乗ったり。レンタル着物着て羽目を外すのは「自国では許さないような行為が倭国では許される」自由を満喫しているのも恐らくあるだろう。自由なファッションですら社会の同調圧力により抑圧されてるわけで。>RT December 12, 2025
3RP
[連合は政治活動自体すべきではない]
まず大前提として、労働組合は労働条件の改善と労働者の権利保護を目的とする任意団体です。
賃金、労働時間、安全配慮義務など、あくまで「職場における労使関係」を交渉するための存在であり、特定の政党や議員を政治的に支援することは、制度上も理念上も必然ではありません。
にもかかわらず、連合は長年にわたり
•特定政党・特定議員の推薦
•選挙時の組織的動員
•組合員に対する事実上の政治的同調圧力
を常態化させてきました。
これはもはや労働組合の範疇を逸脱しており、連合が「労働者の代表」ではなく「準・政治団体」として振る舞っていることを意味します。
問題の本質は、単なる政治的発言ではありません。
その政治行動が、組合員個々人の意思と切り離されている点にあります。
多くの組合員は…
•政治的立場は個人の自由である
•組合費は労働条件改善のために支払っている
という前提で組合に加入しています。
それにもかかわらず、組合執行部の判断だけで候補者推薦が決定され、異論を唱えにくい空気の中で事実上の同調を求められる構造が放置されています。
これは民主的意思決定とは到底言えません。
さらに悪質なのは、現場レベルで…
•推薦候補への投票を暗に求める行為
•ビラ配りや集会参加を半ば義務のように扱う運用
•断れば「協調性がない」と見なされかねない心理的圧力
といった勧誘を装った強制が発生していることです。
これは政治参加ではありません。
思想・信条の自由に対する組織的干渉です。
民主主義において、政治的選択は
「個人が」「自由意思で」「一切の不利益を恐れずに」行われなければなりません。
組織が一括して政治的立場を決め、それを構成員に事実上押し付ける行為は、民主主義を支えるどころか、内部から腐食させる行為です。
労働者を守るはずの組織が、労働者の自由な意思を縛っている。
連合の政治介入は認められるべきではありません。 December 12, 2025
3RP
倭国の女達の同調圧力で取り繕ってる感じがまじで気持ち悪い
女のいっちばん苦手なところ
女が関わってるコンテンツでだいたいこんな感じ https://t.co/aEj8CT4UHV December 12, 2025
⭐SNSに向いてない人とは
SNSの諍いを見てストレスをためるようなタイプではなく、
本来はお話合いができない・悪感情を拡散する人が一番向いてないと思う
①SNSの男女対立を拡大すると:典型的な事故モデル
・女性側が「誰宛でもなく」「状況やパターンについて話す」:感情の共有や問題提起
↓
・「俺が」「攻撃された!」となぜか関係ない人が飛んでくる
※女性側の極端な意見も、冷静な男性もたくさんいます!
女性が困ってる
→男性が原因
→男性=俺!
→"俺が"責められた
と脳内で4段飛ばしの誤読が起きている
②なぜこうなるのか?
2-1 "論点のレベル"を理解できない
女性:「構造・社会問題」として話している
男性:「個人」批判と受け取る
2-2”個人主義ができていない”
個人主義=個人がそれぞれ境界をしっかり持っている。
「自分の好きにする」ということではなく
「私は私。あなたはあなた」ができるようにするということ。
「自分と社会を切り分ける」ことで、
「攻撃されているような感じ」は受けなくなるはず
※倭国の空気読み文化ではこれに陥りやすい。
「場に応じて振る舞いを微調整する」くらいであればちょうどいいと思うけど、
→「自分の考えをいったん消して、場の正解を探す」
これを長くやると、
「自分は何を思っているか」より
「今空気的には何を思うべきか」が先に立つ
→調整ではなく、無意識のまま集団に同化していく
→自分の意見が何か分からなくなっていく
→ますます空気を読むしかなくなる
→同調圧力が強まる。
・みんな「正しい側に立ちたい」から
「攻撃してもいい誰か」を攻撃して安心する。
・0か100か、という極端な二元論も強まる。
・敵味方に必然的に分かれる為必然的に争いになる。
→男女の分断とか。
→ここで上記①の「俺が!」「攻撃された!」になる条件がそろう
③SNSで個人主義を成立させる最低条件
⭐意見と人格を切り離す
⭐論点を共有する(それぞれ違うものを見ているのが当然と認識する)
⭐立場の違いを"敵意"と誤認しない
↓
対して、今のSNSで起きている現象
・全体論
→「俺の話!?」と誤認
→「個人の問題」と責任を押し付ける話にレイヤーをすり替えたり、
人の痛みを理解できない、自分から見えないものはないと思ってるから「嘘だ、そんなはずはない」と断定する
・論点
→内容に対して触れず、「反射的に出た感情」でしかないうすっぺらい反応たち…
・感情先行
大体何かに怒っている
(大方自分への劣等感、社会への無力感と向き合えず攻撃しやすいものに憎しみを向けている)
落ち着いて自分に向き合ってほしい
・前提、定義を揃えたがらない
→自分がどの立場に立っているか自覚したくない。その時有利な位置に逃げ続けたい。
・不快の表明に対して
→「攻撃された!」と感情で反射
・一般論・常識
→存在しないエビデンスを要求
・エビデンスの扱い方
→中身を理解しておらず都合のいい数字だけ切り抜いてくる
自分の実体験が薄く主張の根拠もない
「自分は何を見て、どう考えたのか」を自分の言葉で語れない、自分の判断の責任も引き受けられないから“誰かが言ってた正しそうな数字”に寄りかかる状態
エビデンスを振り回す人ほど、
“個人として立てていない=自分がどこに立っているか分からない”ことが多い
・議論や意見の交換
→「勝ったように見せる」ため論点を変え続ける論破ゲーム
・0か100か、という極端な思考で、相手を自分の中の仮想敵に勝手に当てはめてしまう
→人はひとりひとり違うことを理解できてない
正しい間違ってる、善悪、敵味方、加害者被害者、で二つに分かれておらずグラデーションがあることを知らない
対人経験が少ないのかも
↓
🙌たとえばの提案:
ディベートが成り立つ最低限くらい…を基準にするなら
(③で挙げた"SNSで個人主義を成立させる最低条件"は実はディベートの基礎そのものでもあるため…)
・論点逸らしは明確に忌避される。
「それは今の論点とは違うよね」が普通に通る
・人格攻撃は相手にされない。
いいねも集まらない
・不快表明が単なる"感情の共有"として尊重される
(理想…)
こういう感覚が少しずつ広まれば
個人主義の兆しくらいにはなる・・・?🤔
↓添付、「対話の場に出てきてはいけない」・・・wwwwちゃっぴーパイセン、、、、、 December 12, 2025
特に倭国人女って同調圧力の世界最強だよな
このテレビみたいに面白くないのに女同士たちで取り繕ってる感じがキモイんだよ
これはよく感じてた特にコロナの時も韓国系のノリも顔の評価、スペック♡とかスペなんちゃらとか
まじで苦手だし鬱陶しい https://t.co/vsQg3w9aTp December 12, 2025
シビアな現実もあってほとんどの人がそれを受け入れてるのがリアルで…エリートコースに進んだ主人公のうちの一人の親御さんが息子の贔屓だと思われたくないとかの理由で早めの安楽死を志願する描写も絶対こういう同調圧力ってあるよな…って何か怖いと思った… December 12, 2025
⭐SNSに向いてない人とは
SNSの諍いを見てストレスをためるようなタイプではなく、
本来はお話合いができない・悪感情を拡散する人が一番向いてないと思う
①SNSの男女対立を拡大すると:典型的な事故モデル
・女性側が「誰宛でもなく」「状況やパターンについて話す」:感情の共有や問題提起
↓
・「俺が」「攻撃された!」となぜか関係ない人が飛んでくる
※女性側の極端な意見も、冷静な男性もたくさんいます!
女性が困ってる
→男性が原因
→男性=俺!
→"俺が"責められた
と脳内で4段飛ばしの誤読が起きている
②なぜこうなるのか?
2-1 "論点のレベル"を理解できない
女性:「構造・社会問題」として話している
男性:「個人」批判と受け取る
2-2”個人主義ができていない”
個人主義=個人がそれぞれ境界をしっかり持っている。
「自分の好きにする」ということではなく
「私は私。あなたはあなた」ができるようにするということ。
「自分と社会を切り分ける」ことで、
「攻撃されているような感じ」は受けなくなるはず
※倭国の空気読み文化ではこれに陥りやすい。
「場に応じて振る舞いを微調整する」くらいであればちょうどいいと思うけど、
→「自分の考えをいったん消して、場の正解を探す」
これを長くやると、
「自分は何を思っているか」より
「今空気的には何を思うべきか」が先に立つ
→調整ではなく、無意識のまま集団に同化していく
→自分の意見が何か分からなくなっていく
→ますます空気を読むしかなくなる
→同調圧力が強まる。
・みんな「正しい側に立ちたい」から
「攻撃してもいい誰か」を攻撃して安心する。
・0か100か、という極端な二元論も強まる。
・敵味方に必然的に分かれる為必然的に争いになる。
→男女の分断とか。
→ここで上記①の「俺が!」「攻撃された!」になる条件がそろう
③SNSで個人主義を成立させる最低条件
⭐意見と人格を切り離す
⭐論点を共有する(それぞれ違うものを見ているのが当然と認識する)
⭐立場の違いを"敵意"と誤認しない
↓
対して、今のSNSで起きている現象
・全体論
→「俺の話!?」と誤認
→「個人の問題」と責任を押し付ける話にレイヤーをすり替えたり、
人の痛みを理解できない、自分から見えないものはないと思ってるから「嘘だ、そんなはずはない」と断定する
・論点
→内容に対して触れず、「反射的に出た感情」でしかないうすっぺらい反応たち…
・前提、定義を揃えたがらない
→自分がどの立場に立っているか自覚したくない。その時有利な位置に逃げ続けたい。
・不快の表明に対して
→「攻撃された!」と感情で反射
・一般論・常識
→存在しないエビデンスを要求
・エビデンスの扱い方
→中身を理解しておらず都合のいい数字だけ切り抜いてくる
自分の実体験が薄く主張の根拠もない
「自分は何を見て、どう考えたのか」を自分の言葉で語れない、自分の判断の責任も引き受けられないから“誰かが言ってた正しそうな数字”に寄りかかる状態
エビデンスを振り回す人ほど、
“個人として立てていない=自分がどこに立っているか分からない”ことが多い
・議論や意見の交換
→「勝ったように見せる」ため論点を変え続ける論破ゲーム
↓
🙌たとえばの提案:
ディベートが成り立つ最低限くらい…を基準にするなら
(③で挙げた"SNSで個人主義を成立させる最低条件"は実はディベートの基礎そのものでもあるため…)
・論点逸らしは明確に忌避される。
「それは今の論点とは違うよね」が普通に通る
・人格攻撃は相手にされない。
いいねも集まらない
・不快表明が単なる"感情の共有"として尊重される
(理想…)
こういう感覚が少しずつ広まれば
個人主義の兆しくらいにはなる・・・?🤔
↓添付、「対話の場に出てきてはいけない」・・・wwwwちゃっぴーパイセン、、、、、 December 12, 2025
笑いって難しいですね。
小劇場でやるコメディもそうなんですけど興行的な意味合いとは別で、演出的な観点から「お客さんを呼ぶ」と「客席を創る」っていうのはすごく大事で。
笑いが起こってない=面白くない
笑いが起こっている=面白い
同調圧力ではなくても客席環境で錯覚したりするんですよねー December 12, 2025
社会が悪い。
政治が腐ってる。
メディアが嘘をついてる。
…そう言いたくなる気持ちはわかります。
でも、結論を言いますね。
本当の根本原因は自分自身。
政府を叩く人は多いです。
SNSでコロナ以降、特に増えました。
でもその人たちの半分以上が、
投票に行っていない現実。
政治家は正義で動かない。
票の匂いで動く。
政治は投票行動で動き
企業は購買行動で動き
メディアは視聴率で動く。
つまり、
黙ってる側が、現状を選んでる。
そして、投票しているのは、
高齢者と金を持ってる人が多い。
だから
その層が得する政策になる。
オーストラリアの投票率は
91.9%。
生活が苦しい人ほど
「文句」より先に
投票日に選挙へ行くことが一番効く。
人間には
犯人探しの本能があります。
政治が悪い
社会が悪い
メディアが悪い
今の現実は、
過去の自分の選択の積み重ね。
沈黙は
「知らなかった」じゃない。
容認なんです。
小さい行動?
意味ない?
違う。
一人の100歩より
100人の1歩なんです。
倭国🇯🇵の教育って、
「○○してはいけません」
ばかり教えて
「○○する権利がある」
を教えてこなかった。
だから
義務ばかり増え、
自己肯定感が育たない。
倭国で
「人生に満足している人」は
約40%。
赤ちゃんは
生まれた瞬間は
100点満点。
でも
比べられ
評価され
点数を引かれていく。
倭国🇯🇵の同調圧力は凄まじいぞ!
コロナ禍で、
マスク警察と何回バトルしたか…
人は、
食べたもので身体が作られ、
聞いた言葉で人生が作られるんです。
他人軸で生きるな!
自分軸で生きろ!
薩摩藩の評価基準を知ってますか?
1 挑戦して成功した人
2 挑戦して失敗した人
3 挑戦する人を支えた人
4 何もしなかった人
5 何もせず批判だけした人
今のSNSは、
⑤が一番声でかすぎるわ!
そして、
余命3ヶ月の人の後悔ランキング
ダントツ1位はこれ。
「人の目を気にして
自分に正直に生きなかったこと」
嫌われる勇気。
これは強がりじゃないんです。
自分の人生を生きる覚悟。
正しさは
人の数だけあるし、
正義の反対は悪じゃなく、
もう一つの正義なんです。
人は
正論では動かない。
共感で動く。
だから
説得しなくていいし、
殴り合わなくていい。
楽しそうに
自分の人生を生きろ!
救世主が現れて、
誰かが守ってくれる?
違う。違う。
動いた人間だけが、
世界を変えるんです。
人は
死に方は選べない。
でも、
生き方は
今この瞬間から選べます。
あなたを苦しめている
本当の根本原因は、
政府でも
社会でもない。
あなた自身なんです。
どう生きる?
どう選ぶ?
次の一手は、
もう
あなたの番です。 December 12, 2025
@hoteiya97 まさに同調圧力に弱い倭国人って感じ。自分が面白いと思っても周りの反応がそうでなければ自分の意見を押しつぶして周りに合わせてその結果不本意な思いを招く December 12, 2025
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



