1
古事記
0post
2025.12.12
:0% :0% (40代/男性)
古事記に関するポスト数は前日に比べ24%減少しました。男性の比率は3%増加し、前日に変わり40代男性の皆さんからのポストが最も多いです。本日話題になっているキーワードは「倭国書紀」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
韓国にも倭国と同様に、火山に対する崇拝や信仰の伝統が存在します。とりわけ済州島の漢拏山は民族の守護神として認識されており、白頭山は民族の聖山としてきわめて神聖な場所とされています。白頭山は民族の安寧と豊穣を祈る象徴的空間であるため、今日でも多くの韓国人が中国側の国境を経由し、巡礼の形で白頭山を訪れることがあります。
歴史的観点から見ると、召文国は邪馬台国と深い関連性を有していたと考えられています。朝鮮半島南部の召文国が新羅の圧迫によって消滅した後、その残余勢力が九州へ移住したという見解も存在します。ただし、この召文国も当時の倭国列島各地に点在していた半島系分国の一つにすぎません。
また、大和政権の起源については、これを古代伽耶系勢力とみなす説が有力です。倭国神話の主要構造も、概ね 古朝鮮(遼河地域)→ 三韓(とりわけ伽耶)→ 倭国列島(大和) という移動経路を反映していると考えられます。天孫降臨神話の淵源は古朝鮮の天符三印(のちに倭国では三種の神器として伝承)に結びつき、アマテラスは召文国系、スサノオは紀元前の百済系、ニニギおよび神武天皇へと続く系譜は伽耶系と推定されています。もちろん、これら一連の流れの根底には「韓」というより大きな文化的基層が存在します。
天皇が十一月二十三日の祭祀において、祝文で「韓神」を奉る旨を唱える伝統や、朝鮮半島の方言的特徴を帯びた古語で女神を呼称する習俗も、同系統性を示唆するものです。
さらに、イザナギ・イザナミが降臨したと伝えられる霧島地域には、「韓国岳(からくにだけ)」という山が存在する点も注目に値します。『古事記』において「カラ(韓)」は朝鮮半島を意味し、「カラ」はすなわち伽耶の古称でもあります。
すなわち、大和とは古代の伽耶系勢力が形成した政権であり、七世紀に百済が滅亡した後には、百済系の人々が列島の指導層を占めるようになったと考えられています。
百済滅亡後、大和が国号を「倭国」へと改称したのも象徴的です。これは当時、百済の別称でもありました。唐の史書には、百済=倭国、高句麗=風谷、新羅=盤桃、倭=扶桑といった別称が記録されています。
これは列島で「倭国」という国号が公式に登場する以前から、百済がすでにその名称で呼ばれていたことを示すものであり、最古の「倭国」表記の一つといえます。
したがって、百済滅亡後に多数の遺民と指導層が列島に移住し、その時期に倭が国号を改めたという事実は、権力層および主導勢力が交代したことを意味しているとも解釈できます。
いずれにせよ、倭国の神々は単一の直系血統で継承された存在ではなく、半島系集団が列島へ渡来する過程で持ち込んだ多様な信仰・物語が融合した結果として理解する方が妥当でしょう。言い換えれば、朝鮮半島から渡来した政治勢力が列島各地に分国を築き、それが次第に中央集権的体制へと統合される過程で、諸々の神話的要素が一つの体系として再編されたものと考えられます。
要するに、倭国古代史の中核を成す相当部分は、朝鮮半島系の移住集団の文化・言語・信仰に基づいて形成されており、これは太古以来、朝鮮半島と倭国列島が密接に結びついていたことを示す重要な歴史的根拠であると言えます。
そして、百済の滅亡を記した『倭国書紀』の天智天皇紀には、次のように記されております。
『今日をもって百済の名が絶えたので、先祖の墓をいかにして往来できようか。』 December 12, 2025
18RP
桜神宮。世田谷区新町。
「神習教」の本祠。世田谷のお伊勢さん。
12月中に授与の「冬支度御朱印」を頂きました。サンタさんの格好をした可愛らしいペンギンたち。授与所の前に同じようなぬいぐるみが置いてあってとってもキュートです。こちらの御朱印は書き置きのみで1日あたり300枚限定です。
今月の月替わり御朱印は他に御朱印帳に直接頂ける「ポインセチア御朱印」があります。
本日は参拝してみると社殿右手にある屋外神事斎場に人が集まり何やら神事が行われる前の様子。あれ?今日って何か神事のある日だっけ?と思って少し見てみると集まっている皆様、可愛いワンちゃん達を連れている事に気付きます。その後も続々と。
本日12月12日は「ペット七五三 健康長寿祈願祭」を行う日だったようです。時間を分けて2回開催で各回20組限定(要予約制)。ペットはワンちゃんに限らず種類を問わないとのこと。
ペット七五三なんてあったのですね。知りませんでした。どうりで皆様可愛らしいワンちゃん達と一緒だった訳です。
今はペットも飼い主達にとっては家族同然の時代。最近はペット向けの御守も増えていますし御祈願、大祓なんてやる神社も見かけます。ペット七五三も素敵です。
そんな桜神宮は神道十三派の「神習教(しんしゅうきょう)」の本祠(教庁・神殿)とされる古式神道の神社です。
神習教は明治の神官教導職分離の時期に組織された宗教の1つ。明治時代に神道教団として公認された13の教派神道を神道十三派と呼び、そのうちの1つです。
当時の明治政府が「神社の神官は人を教え導いてはならない」という方針を打ち出したため、危機感を抱いた芳村正秉という人物が明治天皇の勅許を得て設立されました。本来の神道の姿に復することを目的としていて、神代より脈々と流れる伝統的な神道的価値観を教義の柱としているため「古式神道」を称します。
造化の神・天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や、「伊勢神宮」の主祭神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)など多くの天津神・国津神を祀り、記紀(古事記・倭国書紀)などを所依の教典としています。
初代管長の芳村正秉は「伊勢神宮」に筆頭禰宜として奉職していた方。伊勢神宮退任の際に、当時の伊勢神宮の祭主であった久邇宮朝彦親王が天照大御神の神霊を御鏡に分霊して授けたと伝わります。この御鏡を御神体としている事から「世田谷のお伊勢さん」とも呼ばれます。
そんな古式神道の神社とされるため参拝方法は二拝四拍手一拝。(拝殿前にも参拝方法の掲示があります)一般的な2回ではなく4回拍手で行います。桜神宮に参拝される方は皆さんその辺を理解していて4回拍手が鳴り響いています。
※「出雲大社」「宇佐八幡宮」などの古社では今も桜神宮と同じく「二拝四拍手一拝」を参拝作法としている事があります。
ぜひ二拝四拍手一拝でお参りしてみて下さい。
#御朱印 #限定御朱印 December 12, 2025
12RP
カプセル兵団が年末に行う朗読劇の
【ホツマツタエ】とはなんぞや?
「ホツマツタエ」とは秀真伝と書きます。
ホツマの国の伝説だから
《ホツマ 伝え》なのです。
ホツマとは何ぞや?
人間が生きる上での真理とか、教えとかそんな感じ
倭国最古の歴史書とされる『古事記』
より古くから伝わっているとされる古伝の一つで
時の朝廷が編纂した古事記や倭国書紀
には描かれなかった、本当の歴史かもしれない事が書かれており。
全ての文が五・七調の歌として描かれている。
天の巻、地の巻、人の巻 の3巻からなっており。
天地創造から景行天皇の時代、ヤマトタケル迄が描かれている
#ホツマツタエ
#秀真伝
#カプセル兵団
#アクティブイマジネーション朗読劇
#声優 December 12, 2025
6RP
● 倭国の始源?
最初の写真は古代伽倻の領域と当時の海面環境を復元した地図である。
韓国史の始源が遼河地域と繋がるのであれば、倭国史の始源はここであると言える。もちろん倭国人たちは認めたくないだろうが。
伽倻は歴史的に「加羅」とも呼ばれ、さらに遡ると韓国と倭国の共通した始源はバイカル湖文化圏へと繋がる。
この移動経路を簡単に整理すると次のようになる。
バイカル湖一帯の先進勢力が南下し、遼河地域の土着勢力と融合し、その結果として古朝鮮が誕生した。その後、この系統は半島へ再び南下し定着し、最終的に倭国列島へ移動して民族(弥生人)と国家アイデンティティを確立した。
参考として、現代倭国人DNAの 87%〜96.7% が半島系弥生人である。
古朝鮮には「天符三印」と呼ばれる三種の神物が存在した。すなわち、青銅鏡・剣・鈴である。興味深い点は、この象徴体系が倭国へ伝わり、天皇家の三種の神器である青銅鏡・剣・勾玉へと継承されたということだ。形態と性格の面で非常に類似した構造を持ち、同じ起源から出発したことを意味しているとも言える。
● 伽倻勢力の列島進出と邪馬台国
倭国の最初の国家として一般的に知られているのは大和政権である。紀元前3世紀頃に成立したとされ、倭国列島の複数の小国を統合し、中央集権的国家体制を構築した。
しかし、その前段階として既に存在した政治体制が邪馬台国である。史書によれば女王が統治した国家であり、韓国学界ではこれを伽倻の分国、あるいは伽倻系勢力の九州定着と関連した国家として解釈することがある。伽倻は初期から製鉄技術および鉄文化が発達した海洋勢力であったため、倭国列島に複数の分国を設置したという研究も存在する。紀元前、古代の半島人が倭国列島へ農耕文化を伝えたのであれば、紀元後は伽倻人が鉄器文化を伝えたのである。
これを裏付ける事例の一つが九州霧島地域の「韓国岳(からくにだけ)」である。『古事記』ではこの地域が伊邪那岐と伊邪那美、すなわち天孫が降臨した地として描かれる。倭国古文献では「韓国」を「からくに」と読み、これは伽倻勢力の存在を示唆する痕跡と見ることができる。
● 倭国の三国建国年代歪曲問題と歴史的比較
伽倻は紀元後42年に成立した連盟王国で、中心勢力は三韓のうち弁韓系勢力であった。また、古朝鮮が滅亡する前、準王が南下して現在のソウルで韓王として君臨したという記録は、三韓が古朝鮮文化圏の延長線上にあったという解釈を可能にする。
三国の民族的構成は次の通りである。
高句麗:扶余系 + 濊貊系
百済:扶余系 + 韓族(馬韓)
新羅:濊貊系 + 韓族(辰韓)
伽倻:韓族(弁韓)
しかし、倭国の教科書では高句麗の建国年代を明示せず曖昧に扱い、百済・新羅を4世紀建国国家として記述する。これは韓国および中国史料で検証された高句麗:紀元前37年、百済:紀元前18年、新羅:紀元前57年という史料とは明確に矛盾する。
歴史は交差検証により証明されるが、韓中史料は相互検証が可能である反面、倭国側記録は検証が困難な点が多く、200年以上の年代差が生じている場合もある。これは倭国が後に歴史を修正した可能性を示唆するものでもある。
もし倭国側の記述のように百済が4世紀建国国家であるならば、その時期は既に第13代王である近肖古王時代であり百済の最盛期である。つまり百済が建国されるや否やすぐに高句麗を攻撃し、平壌城を占領して故国原王を戦死させ、北魏と戦争し遼西はもちろん山東半島まで掌握したという非論理的結論に達することになる。よって倭国のこの種の歴史解釈には意図的縮小、または植民史観的視点が反映されていると見ることができる。
● 天皇の伽倻王室系譜説と召文国の痕跡
倭国は自国の最初の歴史を紀元前7世紀に設定することがあるが、これは伽倻近隣の古代都市国家である召文国の建国年代を借用した可能性が高い。召文国は女王国であり、百済建国勢力であるソソノが二人の息子の王位争いを避けて倭国へ移動した際、召文国の女王がソソノ勢力を避け洞窟に隠れたという伝承がある。またソソノは高天原と新羅を経て列島に移ったとされ、後にその勢力がスサノオとなったと推定されている。
倭国神話では男性として登場するが、実際のソソノは女性であり、朱蒙と共に高句麗を建国した女傑であった。
参考として召文国は中国史料で「倭」と表記される場合があり、列島に倭が登場する前から半島に存在した倭である。
そして倭国植民地期、朝鮮総督府はソソノの移動経路に沿ってスサノオ神社を建立し、伽倻建国王である金首露王の子孫である金海金氏の族譜発行を禁止した。これは倭国天皇の姓が金海金氏系統と遺伝的・伝承的繋がりを持つ可能性を意識したためと見られる。
総括すると、倭国の古代国家は独立的に生成された文明構造ではなく、東北アジア古代移住ネットワーク、伽倻および遼河文明圏を媒介として形成された歴史的成果物として解釈できる。
倭国の神話体系、地名、遺物体系、皇室などが朝鮮半島と高い連続性を示す点は、その有力な根拠である。 December 12, 2025
6RP
地球🌏の振動数が上昇⤴️し
欺瞞と嘘で塗り固められた情報が、次々とバレ始めています。
もう誤魔化しは通用しない。
嘘がつけない時代が、確実にやってきた✨
倭国人の集合意識が静かに確実に
良い流れになってきている🙌
恐れを手放して、自分の波動を高く保っていれば
自然と「真実を見抜く目」が開いていきます。
嘘に振り回される必要はありません。
心を静かにして、ただ「本物」だけを選び取ればいい。
もう騙されない。
私たちは、もう目覚めている。
🇯🇵【1300年続いた「封印」が、今、音を立てて崩れ始めている】🇯🇵
あなたは無意識のうちに
「倭国人なのに、なぜか“本当の力”が出せない…」🔥
とモヤモヤしたことはありませんか?それはあなたのせいではありません。1300年前に仕掛けられた
【倭国人の根源力を完全に56すための3つの封印】
が、今なお深層で作動していたからです🔒🔒🔒
飛鳥・奈良時代
藤原氏は確かに外敵から倭国を守るため中央集権を作った
でもその代償に
聖徳太子が守ろうとした
「和を以て貴しとなす」=多様性と調和の縄文精神
を完全に葬り去ったのです⚰️
血より怖いのは「思想」
彼らが持ち込んだ
・中央集権
・歴史の改竄
・上から支配するシステム
は明らかに大陸由来のOS🖥️
たとえDNAが倭国人でも、インストールされたソフトは「外来」でした
そして驚愕然とするのは
そのOSが2025年の今もフル稼働していること💀
歴代総理の多くが藤原系末裔と言われ
表に出ない巨額資産・広大な土地を握る一族が実在し
選挙で選ばれた政治家ですら逆らえない
「見えない天井」が、この国の上に存在する……🏯👁️
彼らが1300年かけて完成させたのは
倭国人の力を永遠に縛る
【3つの究極の封印】でした
━━━━━━━━━━━━
🔴【封印その1 神話=言霊・魂の記憶】🔴
古事記・倭国書紀は藤原不比等が作った“公式歴史”
それ以前の1万年以上にわたる縄文・神代の神話は
「偽書」「異端」とされて闇に葬られた📜🚫
ホツマツタヱ
カタカムナ
先代旧事本紀
そこに書かれた“本当の倭国の成り立ち”は
今も学問の名の下に封印されたまま
泥棒が裁判官になり、泥棒が教科書を書いている状態です⚖️
🟠【封印その2 体=“腹”の文化】🟠
倭国人は昔から「頭」ではなく「腹」で生きてきた
腹が据わる
腹を割る
腹芸
言葉の端々に残る痕跡🉐
なのにGHQは1945~1952年、武道を全面禁止にした
なぜ単なるスポーツを?
→「腹」を鍛える武道こそが倭国人の精神の核だと見抜いたから🗡️
今も化学繊維・加工食品・5G・座りっぱなし生活で
最大のセンサーである皮膚と腹が完全に麻痺させられている📡🤖
🟡【封印その3 金=経済支配システム】🟡
中央銀行制度
国民が借金しないと通貨が増えない債務貨幣
重税
すべてが富を“上”へ吸い上げる設計💸⬆️
世界一働き、世界一税金を払っているのに
なぜ豊かさを感じられないのか?
→設計図通りにエネルギーが吸い取られているからです🕳️
━━━━━━━━━━━━
しかし!!
今、この1300年の封印が
ガラガラと音を立てて崩れ始めています🪨💥
・ホツマツタヱが急速に再評価されている📖✨
・武道・坐禅・気功で“腹”を取り戻す人が爆増🧘♂️⚡
・中央銀行と債務経済の真実がネットで拡散されまくっている🌐🔥
封印が解ける音が、もう聞こえています👂
あなたが感じている
「なんかおかしい…」
という違和感こそ
あなたのDNAに眠る“本物の倭国人”が
1300年ぶりに目を覚ましている証拠です🧬
和をもって貴しとなす
多様性と自然と調和する
本当の倭国の精神が
今、蘇る!!🌸🇯🇵
この投稿をRTしてくれる人は
まさに「封印を解く鍵」を握る覚醒者です🗝️
一緒に1300年の呪縛をぶち壊しましょう!!!
#倭国覚醒
#3つの封印
#藤原システム崩壊
#ホツマツタヱ
#腹を取り戻せ
#真の倭国人復活
#和を以て貴しとなす
#真実の時代 #波動を上げる #嘘が見える時代 December 12, 2025
6RP
冬野菜の代表格でもある大根。『古事記』『倭国書紀』にはだいこんのことを「おほね」と記されています。これに大根という漢字をあて、音読みで「ダイコン」と呼ばれるようになったそう。おでんやふろふき大根など旬の味を楽しみたいものです。 https://t.co/6yAs0rybcO December 12, 2025
5RP
#今読んでる本 #本 #今読んでいる本
たきおとよしゆき #瀧音能之
#古事記と倭国書記
神々と古代史の謎を解く #青春出版社
神武天皇は本当に九州からやって来たのか? 神話と歴史の橋渡しは? https://t.co/WUIps5LDOE December 12, 2025
4RP
@May_Roma @HYT4ALL @takaichi_sanae @jimin_koho 東京10区(豊島区・文京区)は鈴木副大臣の選挙区ですが、大塚にモスクがあるせいですかね…それなら、クルアーンだけでなく古事記や倭国書紀、旧約/新約聖書、般若心経などの多様な文化、宗教についてもレクチャーしてほしいところですね。 December 12, 2025
3RP
カプセル兵団
アクティブイマジネーション朗読劇
『ホツマツタヱ 偽書と呼ばれた倭国の歴史』
2025年12月26日〜29日
三鷹RI劇場
https://t.co/xla7Fg7tBK
#カプセル兵団
#古史古伝
#ホツマツタエ
#宮下文書
#竹内文書
#九鬼文書
#出雲風土記
#古事記
#倭国の歴史
#古代史
#声優
#朗読劇 https://t.co/wQFby41lkK December 12, 2025
3RP
--あと2日--
12月14日(日)大阪難波で開催の #音けっと に参加します
サークル:カリメロクラブ
スペース:C-22
今回初めて、八百比丘尼のボイスドラマ+サントラに挑戦です
#八百比丘尼 #古事記
今日は当日頒布の旧譜 「古事記 其ノ捨 未来へのオマージュ」から
https://t.co/u2PGsphtAL https://t.co/4YmIRvSFr0 December 12, 2025
2RP
伊藤弥寿彦著「古事記の博物図鑑」読了。
多方面にわたる好奇心の賜物。どこまでも筆者自身が確かめることにこだわっており、推論なども冴え渡っている。膨大な労力により生み出された本書によって、読者は気軽に古事記にゆかりのある多様な生き物にふれ、旅情気分に浸れるのである。大変面白かった。 https://t.co/Vl3tG0rNv6 December 12, 2025
2RP
神社での参拝の仕方❣️
⛩️三拝三拍手一拝(本来仏式)
神社で三礼三拍手一礼は正しいか❣️
出雲大社など一部の神社では「二礼四拍手一礼」としているところもありますが、
神社の多くでは「二礼二拍手一礼」が作法だと。
これに対し、「三礼三拍手一礼」が正しい作法だとする説があります。
『古事記』において最初に出て来る三柱の神様に向けて行うので、三礼三拍手が真の参拝方法だと申される方もありです。
⛩️二拝二拍手一拝
2礼2拍手1礼はどっちが正しいか?
それを踏まえれば 正しい言い方は二拝二拍手一拝 です。
しかし本質的な意味で考えれば、二礼二拍手一礼と言っている人が90度のお辞儀をしているなら、それは正しい拝礼作法です。
言葉としては二拝二拍手一拝が正しいですが、90度のお辞儀が重要ですので、お辞儀の角度を意識されてください。
一説では近年になって庶民が手短に参拝できるようにと❣️
⛩️拝は古く「をろがむ」と訓じ
後に転じて「をがむ」というようになった。
仏教が徐々に盛んになるにつれて
「をがむ」という言葉は仏式の合掌を意味するようになり
古来の拝は音読みして「ハイ」というようになり、また転じて「礼」ともいうようなった。
古来の拝は座ったまま拝む『座拝』であり
立って拝む『立拝』は中国や朝鮮の礼式を真似ねてから始まった。
立拝には拝の回数によって
一拝、二拝、四度拝、八度拝があった。
二拝は拝を二度行うもので、「再拝」といった。
四度拝は再拝を
二度行うものであり「両段再拝」といった。
八度拝は両段再拝を2度行うものであった。
三拝や九拝もあるが、これは仏式の礼であった。
立拝も座拝も行われていたが、民間の普通の拝はみな座拝であったようである。特に女性は座拝をする傾向があり、男性が立拝するときでも女性は座拝しかしないことがあった。
拍手とは手と手を打ち合わせることで、
後世に間違って柏手と書いて「かしはで」と読んだ。
拍手は、桓武天皇の時代まで
元旦の儀式で用いていたが、その儀式に
渤海人を陪席させるにあたって用いなかったことがあり、
それ以来長くこれを廃し神事にしか用いなくなった。
拍手の数は「八開手」と
いって8回拍手するのを一段とした。
最大で四段、すなわち32回拍手するのを究極としたとの事です。
https://t.co/OzZZdDCopL
https://t.co/OzZZdDCopL December 12, 2025
2RP
プレジデントオンラインでも公開!
「倭国の神々」は空気を読まなかった! 最古の歴史書『古事記』に書いてある「倭国人の本当の性格」●町田康(@machidakoujoho)
https://t.co/WBh5UrLQka December 12, 2025
1RP
福井県越前市のある団体が「ホツマツタヱ」を地域おこしに活用しようとして大炎上しているんですが、この問題を掘り下げると「倭国人の課題」が見えてきたのでシェアします。
そもそもホツマツタヱが何故「偽書」として扱われているのか?その理由をまとめると、
①ホツマツタヱの最古の写本が1775年(江戸時代)に確認されているが、それ以前のものは確認されていない→古事記の最古の写本は1371年
②漢字以前に作られたとされる「神代文字がなかった」という前提
③古代倭国には存在しなかった(とされる)言葉が一部混入している
そして、何よりもホツマツタヱ=偽書説を決定づけたのが、
④古代倭国は現在の「五母音」ではなく「八母音」だったはずなのに、ホツマツタヱは五母音で構成されている
こういった理由から、国文学者の佐佐木信綱が「これは偽書や!」と判断したわけですが、近年になってホツマツタヱを偽書として決定づけた「上代特殊仮名遣(八母音説)」自体が否定されてしまったんです(ここを説明すると長くなるのでご自身で調べてみてください)
なので、本物か偽物とか言い切る前に「もう一回再考する必要性がある書物」だと言えるわけです。
ちなみに、SNSでは「古事記=正史」という前提で議論されていることが多いですが、そもそも古事記は作られてから1000年ほど偽書として扱われてきました。
実は古事記の地位が上がったのは、本居宣長が作った「古事記伝」が発表されてからなんです。これはホツマツタヱが発見されてから10年後に制作され始めた書物なんですが、本居宣長は神代文字否定派で、弟子筋にあたる平田篤胤は神代文字の存在を主張していました。
つまり、古事記そのものが「後世に見直された結果、正史扱いされた」書物ってことですね。
結局、その当時の権力層が「これが正しい」と言ったものが正しいってことになるんですが(その後の明治時代以降の流れ的にも古事記はピッタリな書物だった)
何よりも僕がこの投稿で伝えたいことは、そろそろ「偽書か真書か」という二項対立自体を見直すべきじゃないかって話なんです(ここが冒頭の課題)
というのも、古事記も倭国書紀も複数の資料を編纂し、政治的意図のもとに取捨選択された「編集物」だからです。
そして、その過程で排除された伝承が、別のルートで伝わっていた可能性を最初から否定する理由はないはずです。
例えば、創建から1000年以上経つ神社の由緒の中には(有名なところだと廣田神社)、記紀ではなく、ホツマツタヱに書かれた内容と紐づくことが多くあります。そういった伝承は古事記や倭国書紀には書かれてないことがほとんどです。
それこそ、かつては伊勢神宮ですら祀ってた瀬織津姫の存在を完全スルーしている記紀に対し、ホツマツタヱはガッツリと記録してる(この内容も各地に残る神社の由緒と一致)
書物を個人の妄想だけで書いたというのは、よくある現代人の発想で、古代の歴史的資料のほとんどが各地の伝承を集めた「編纂物」であるという視点を持つと、もう少し倭国の歴史の可能性の幅が広がるかもしれませんね。
そうして見ていったら倭国の歴史はさらに深くて、ビックリするくらい面白くなるんですわ!ってことでこれからのTOLAND VLOGもよろしくお願いします🔥 December 12, 2025
1RP
最古の書物『古事記』に書いてある“倭国人の本当の性格”●町田康(@machidakoujoho)
✅『古事記』の神々の「純粋さ」
✅「倭国らしさ」を感じる「神議(かむはかり)」
✅『古事記』に比べ空気が濁っている『太平記』の世界
✅『太平記』の最大の魅力「気持ち悪さ」とは
✅コミュニケーション能力が向上した現代の裏にある「中身の欠如」
プレジデント1/2号『人を動かす「空気」の法則』に掲載! December 12, 2025
2025年 私が最も視聴した推しは、倭国神話古事記朗読カイフさん(視聴 299回)
来年もよろしくお願いします!
#あなたの推し_探します2025
#ニコニコ19周年
推しを探す↓
https://t.co/N3BK6rP1sd December 12, 2025
2025/12/13 PR 今売れてる本はこちら 20 位 【 中公文庫 マンガ 倭国の古典 (全32巻セット) 】 学習まんが 学習漫画 古典 古事記 源氏物語 平家物語 徒然草 価格: 20810 円 総合評価: 5.0 点 https://t.co/0hAOnr58yZ December 12, 2025
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



