厚生労働省 トレンド
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2025.11.26 06:00
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🔻豊田真由子氏叩きの裏にある政治的な意図
週刊文春や週刊新潮による豊田真由子氏への同時攻勢は、単なるスキャンダル報道ではない。これは事実無根の誹謗中傷であり、極めて政治的な意図を持ったキャンペーンだと断じざるを得ない。
この動きは、「いま参政党を止めないと手遅れになる」という既成勢力側の強い焦りが核心にある。
焦りの理由は「豊田氏の能力」
参政党は既存の政治構造に疑問を持つ国民の支持を集め、無視できない勢力へと成長している。参政党がさらに力をつけることを、既得権益層やそれに連なるメディアは極度に恐れている。豊田氏が参政党の主要メンバーとして活動を開始したことで、彼女の能力が党の推進力になることは明らかだ。ハーバード大学、厚生労働省でのキャリアに裏打ちされた豊田氏の政策立案能力や論理的な発信力は、周知の通り極めて高い。彼女のような「本物の能力」を持つ政治家が参政党で活躍すれば、現体制崩壊が加速しかねない。だからこそ、彼らは能力そのものへの恐怖から、豊田氏を真っ先に潰すべき標的として選んでいる。
しかし、悲しいかなオールドメディアの連中が垂れ流すガセ記事をまともに信じる人など今どきどこにもいない。必死のネガキャンも徒労に終わるだろう。
https://t.co/D4WSDQzHcG November 11, 2025
22RP
11月26日 水曜日🔥 🍲🍢
X民の皆さま、
おは&こん&ばんは✨
スイスイ水曜日、頑張っていきましょう
今日は、北陸を中心に大気の不安定な状態が継続し、昼過ぎには関東でも雷雨になる所がある
朝は前日より気温が下がり、日中の気温は前日より高くなる 特に、東京や
名古屋の気温は大幅アップ 九州から沖縄は黄砂が飛んでくるので注意⚠️
素敵な一日をお過ごしください🌿
今日もよろしくお願いします🤲
◯朝のニュース 面白い記事なので
10月7日、自民党の雇用問題調査会の場で、厚労省労働基準局長らが裁量労働制について誤った文章を提出し、説明も誤っていたことが分かった
裁量労働制は業務の遂行に裁量のある労働者に対し、事前に定めた「みなし時間」働いたものとみなし、それ以下しか働かなかったとしても、それ以上働いたとしても同じ額の給与が支給される
だが、厚労省は、裁量労働制であれば「月45時間・年360時間」休日労働を含めても月100時間未満や複数月平均で月80時間以内とされる、「労働時間の上限規制」が適用されないと誤った説明をしていた
(補足)
そもそも、政府は以前から裁量労働制を拡大しようとしてきた 裁量労働制は成果主義に相性が良いとされ、成果で仕事が評価されるのであれば、労働者は仕事を効率的にこなすようになり、労働時間も短縮されると主張されてきた
だが、実際には、裁量労働制は「みなし時間」よりも多く働かせる場合が多く、労働時間は普通の労働者よりも長い 例えば、あらかじめ1日9時間働いたものと「みなす」協定を結び、実際には10時間働かせたとしても、9時間分しか給与は支払われない
だから、実際には過大なノルマによって労働時間が伸びる傾向がある 安倍政権ではこの事実を覆い隠すため杜撰なデータが使用され問題化したが、その後やはり長いことが確認されている
労働時間の上限規制との関係では、事業主には実際に働いた時間を把握する義務があり、上限を超えて働かせてはならないが、超過分の賃金を支払う必要はなく、遂行方法も労働者が決めるため、厳密に把握しているケースは少ない つまり、実務上は労働時間の上限規制が機能していないのだ
厚労省としては、同制度が事実上そのような運用になっていることを踏まえ、政府にこれ以上の規制緩和を思い止まらせようとした可能性が高い
→裁量労働制の上限規制あるけど、実際ない状態、この辺が更なる労働時間規制緩和の核心になりそう
◯今日は、ペンの日です
東京都中央区倭国橋兜町に事務局を置き、国際ペンクラブ(PEN International)の倭国センターとして活動をする一般社団法人・倭国ペンクラブが制定
1935年(昭和10年)のこの日、倭国ペンクラブが創立された 当時の会名は倭国ペン倶楽部 記念日の制定は30周年を記念したもの ペンクラブは、文学を通じて諸国民の相互理解を深め、表現の自由を擁護するための国際的な文学者の団体である
倭国ペンクラブ(The Japan P.E.N. Club)のペン(P.E.N.)は、文字を書く道具としてのペン(PEN)を表すとともに、Pは詩人(Poets)と劇作家(Playwrights)を、Eは随筆・評論家(Essayists)と編集者(Editors)を、Nは小説家(Novelists)をそれぞれ表す
倭国ペンクラブの初代会長は詩人・小説家の島崎藤村(しまざき とうそん、1872~1943年)であった 倭国ペンクラブに集う表現者達の熱い思いによって、その灯火を掲げ続けられ、表現の自由と平和への訴えが続けられてきた
→AIにとって代わられないよう、人類は更なる能力の向上が必要ですか?
◯他にも、いい風呂の日、いいチームの日、いいプルーンの日、いいフォローの日、ポリフェノールの日、鉄分の日、いいブロッコリーの日、ビン牛乳の日 などがあります
→今日は、お風呂関係のイラスト多いかな😆
https://t.co/66CRODEapN November 11, 2025
7RP
朗報です。
出産費用も無償化へ。
厚労省が出産のときの標準的な自己負担する費用を26年からなくす方針を検討。
現在、帝王切開などが保険の対象。
正常分娩は対象外で、代わりに出産育児一時金の50万円が支給されてる。
また、地域差も大きく、東京都は正常分娩の費用の平均値が605,261円で一番高い。
最低は、熊本県の361,184円(R4厚労省)。
出産のハードルが下がるのはいいことのように思えるけど、問題点も↓ November 11, 2025
6RP
ぜひお読みください!!
厚生労働省が新たな減額改定を含む最高裁判決への対応策を公表したため、緊急声明「生活保護利用者の人間の尊厳を再び踏みにじる司法軽視の再減額方針の撤回を強く求める」を発出しました https://t.co/NMF6mZtibR #いのちのとりで November 11, 2025
4RP
有料記事をプレゼント
11月26日 8:08まで全文お読みいただけます
裁量労働制は上限規制の「適用外」 厚労省が自民会合で不正確な説明https://t.co/0s9R2nV0G5
「(裁量労働制の)適用拡大の是非だけでなく、乱用にどう歯止めをかけるかという議論が不可欠」 November 11, 2025
3RP
厚労省から「制度の均衡」「費用の抑制」と言われる度に涙が出た。当事者の気持ち考慮したのか。その度に「障害児産んでごめんね」と自責の念で胸が潰れそうになり、この子と二人であの世へ旅立とうかと何度も思った
来週は障害者週間。こんな事、差別でしかない
#障がい児福祉の所得制限をなくそう https://t.co/9c3Jg31HZs November 11, 2025
2RP
倭国政府ガチです。勉強しない人が多いから『 IT、デザイン、データ分析の565講座を"無料"で公開中』。Google、総務省、デジタル庁、経産省、厚労省、22都道府県、転職サイトなど268団体が力を合わせて作った。ChatGPT、イラストレーター、逃走中の企画作り、文系AI人材になる方法をタダで学べて驚く
公式サイトのリンクはリプ欄に貼りました November 11, 2025
2RP
12月は「#職場のハラスメント撲滅月間」です。
すべての働く方が安心して力を発揮できる職場へ。
事業主には、職場におけるハラスメント防止のための措置が義務付けられています。
厚生労働省・愛知労働局では、セクハラ、カスハラなどの撲滅に向けた情報提供を行っています。
ぜひ職場の体制整備にお役立てください。
👇詳しくはこちら
https://t.co/Ljtx61ODPj
#ハラスメント対策 #就活セクハラ防止 #カスタマーハラスメント防止
#職場環境改善 November 11, 2025
1RP
国保保険料の軽減措置「高校生年代まで」に拡大、厚労省検討…子育て世帯の負担軽減狙う(読売新聞オンライン)
#Yahooニュース
https://t.co/GySZY2xS4n November 11, 2025
「世界青年学会・飛翔の年」 おはようございます😊「令和6年能登半島地震」「能登豪雨災害」で被災された方々の早い復興と生活の安定・再建を祈ります。🙏🙏🙏 🔶🔷🔶 〈ライフウオッチ〉 ルポ 就職氷河期世代と信仰④2025年11月26日 聖教新聞より抜粋・引用です 🔹🔸🔹1990年代前半、バブル崩壊後の景気低迷により、就職環境は一変しました。 厳しい不況の中で就職活動せざるを得なかった「就職氷河期世代」。 社会の変化に翻弄されながらも、懸命に生き抜いてきた女性部員の軌跡をたどります。(記事=中谷光昭) ▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️1995年の大卒の就職率は戦後の統計開始以降、46年ぶりに60%台に落ち込んだ。 北海道の髙沼正湖さん(岩見沢池田圏、女性部本部長)が道内の短期大学を卒業したのは、まさにこの年だった。 「引く手あまただったバブル世代と、たった数年しか違わないのに、求人は激減して“これしかないの……”ってがく然としたことを覚えています」 卒業直前に会社から内定を取り消された友人や、卒業後も就活を続けざるを得なかった同級生も少なくなかったと言う。 髙沼さんも、懸命に求人を探し、「岩見沢市に住むことを条件」とする従業員10人強の会社に「わずかな募集」を見つけ、何とか滑り込んだ。 公園事業を手がける会社で、事務職として採用されたが、「小さな会社だったので、営業や遊具の図面設計など、一人で何役もこなしました」。 筑波大学の田中洋子名誉教授が指摘するように、当時はバブル崩壊後の不況により、企業が「リストラ」や「新卒採用の抑制」を行ったため、残った人だけで仕事をこなさねばならず、長時間の残業が増えた。 髙沼さんの職場も例外ではなく、「連日、深夜まで仕事が続き、家には寝るためだけに帰っていました」。 それでも、上司や同僚との人間関係が良好で、残業分も給与に反映されたため「体はつらくても、仕事に食らいつくことができました」。 6年働き、英範さんとの結婚を機に退職した。 「仕事が好きだったし、将来の生活や家計のことを考えると、できることなら結婚後も仕事を続けたかった」と、髙沼さんは言う。 だが「当時、私の会社は時短勤務など柔軟な働き方は認められていなかったし、今のように育児休暇の制度も普及していなかったので、私には『結婚後も職場に残る』という選択をすることはできなかったんです」。 🔹🔹🔹🔸🔸🔸🔸🔹🔹🔹■支援の対象外 髙沼さんは、2002年に長男・柊翔さん、06年に次男の空輝さんを出産した。 妊娠・出産・育児の過程においても、就職氷河期特有の苦悩に直面したと言う。 「当時は、幼稚園も保育園も無償ではなかったし、妊婦健診の助成も出産一時金も、今より少なかったので、お金の工面に苦労しました」 2000年代は、出産・子育ての支援制度が拡充されていく過渡期だった。就職氷河期世代の中には、子どもの年齢が対象を超えており、支援を受けられなかった人が多かったといわれている。 公的支援が間に合わなかったことに加え、社会は不況の真っただ中。さらに、当時は子育てしながら働ける仕事も少なかったため、小さい子どものいる世帯が貧困や低所得の状態に置かれていた可能性が高いとみられている。 髙沼さんの場合、特に助成を受けたかったのは「子どもの医療費」だった。長男の柊翔さんが原因不明の先天性の病と闘っていたからだ。 柊翔さんは生まれつき両足にあざがあり、足首から指先にかけて大きく腫れていた。 足の長さや大きさも左右で違ったため、歩くことにも困難が生じ、転んだり、ぶつけたりして出血し、靴下やズボンが真っ赤に染まってしまうこともあった。 この病は、血管の形成がうまくいかず、体にあざや腫瘤ができ、激しい痛みや、炎症により高熱が続くことも。患部を強く打つと、出血することもある。 子ども医療費の助成は今、全国約7割の市区町村で高校3年まで拡充されているが、柊翔さんの年齢を後から追いかけるようにしか助成の対象年齢が上がらなかったため、「支援はほぼ受けることができなかった」と言う。 柊翔さんは、膨らんだ足を小さくするための減量手術に臨み、小学校卒業までに30回以上の入退院、10回以上の手術を勝ち越えた。 髙沼さんは自立支援医療(育成医療)の制度を使い、入院・手術費を工面しながら、傍らに付き添い、闘病を支え抜いた。 柊翔さんの病は難病に指定されておらず、医学的な調査研究が進まず、治療法が確立されていなかった。そのため髙沼さんは「一刻も早く、病気の研究を進めてほしい」と切望していた。 正確な病名を知るにも時間がかかり、中には「数年かけて病院を転々とし、ようやく病名が分かった」という患者もいたという。 柊翔さんも当初は「血管腫」と言われ、「プロテウス症候群かも」と二転三転し、市外の大学病院で検査を重ねる中、「混合型血管奇形」の診断にたどり着くことができた。 「対症療法ばかりで、根治する治療法がないし、柊翔の体や将来を思うと、不安でいっぱいでした」と、述懐する髙沼さん。心を支えたのは、学会活動の中で得た「同志とのつながり」だったと言う。「つらい時ほど、訪問・激励に歩き、同志の皆さんに会いに行きました。皆さんから苦難を乗り越えた体験や悩みに負けずに戦っている様子を伺うたび、『大変なのは自分だけじゃない』『みんな踏ん張ってるんだ』って、いつも元気をもらったんです」 髙沼さんは、他の患者家族と協力し、2007年から、混合型血管奇形(現在は混合型脈管奇形)の難病指定を求める署名活動を開始。7年間で集めた署名は124万筆を超え、厚生労働省に提出することができた。 この間、柊翔さんが病に負けず健やかに成長する姿は、テレビや新聞など多くのメディアに取り上げられた。 ある時は、面識のない患者家族から「柊翔さんが出ていたテレビを見て、娘の症状と似ていると思い、担当医に伝えたところ、それまでの誤った治療を止めることができました。柊翔さんは娘の命の恩人です」と感謝のメッセージが寄せられたこともあったという。 2015年、混合型脈管奇形の特定の疾患が難病指定され、柊翔さんの病名は「クリッペル・トレノネー・ウェーバー症候群」に分類された。 以来、脈管奇形の研究も進み、医療費の助成も拡充された。柊翔さんは服薬で病状を上手にコントロールしながら、日常生活を送ることができるようになった。 🔹🔹🔹🔸🔸🔸🔸🔹🔹🔹■不登校の中で 柊翔さんは、入退院をしながら、院内学級で学ぶこともあり、小学校に通える期間が短かった。 その分、中学校で思い出をつくろうと、希望に胸を膨らませて入学した。“友達もできて楽しい!”と、毎日、声を弾ませて帰ってきたという。 だが、入学式の1カ月後、柊翔さんは突然、布団から起き上がれなくなった。診断は「起立性調節障害」。 「学校に行きたい」と頭では思っているのに、低血圧になり、体が思うように動かなかった。夕方になると、何事もなかったように、普段の体調に戻る。 髙沼さんは当初、そんな柊翔さんの姿にもどかしさを感じ、厳しい言葉を浴びせてしまったという。 「私の世代は、良い学校に行って、良い大学に進んで、良い会社に就職することが、“幸せの条件だ”と植え付けられて育ったので、“もし、息子が高校に行けなかったら……”という焦りが出てしまったんです。柊翔を無理やりにでも学校に行かせようとしたり、言い合いになったりした日もありました」 高度経済成長期の「成功モデル」が重視された時代にあって、就職氷河期世代の多くは受験、就活、昇進など長きにわたって競争を強いられ、勝たなければ幸せになれないと教えられてきた。 髙沼さんは、毎朝の言い争いの中で、次第に柊翔さんの心が離れていくのを感じた。 “このままではダメだ。でもどうすれば……”――祈りながら、自身の振る舞いを見つめ直す中で、「ハッとした」という。 「私は自分が生きてきた時代の価値観を、息子に押し付けてしまっていたことに気付いたんです。良い大学を出たって、良い会社に入れるとは限らない――自分たちに染み付いた価値観はもう崩れてしまっているのに」髙沼さんは柊翔さんの気持ちを尊重し、体調の回復を待つことにした。夫にも「自分たちの時代と息子を重ねないようにしよう」と伝え、夫婦で温かく見守った。 「息子の体調が戻った時にいろんな進路の選択肢を示してあげられるように、学校や支援制度を調べました」 柊翔さんは、中学3年間は学校に通うことができなかったが、高校は、心身に負担がかからないように髙沼さんが薦めた市内の通信制の学校に入学。 その後、プログラミングやゲームの開発を学べる専門学校に進み、柊翔さんは生き生きと授業に臨んだ。 「振り返れば、長い入院生活の中で、息子の心を癒やしたのはゲームでした。当時は『ゲームばっかりやっていて大丈夫かな』って心配していたんですけど、それが息子の自信になり、希望をくれる存在になるとは、夢にも思っていませんでした」 今年6月、柊翔さんは大手ゲーム開発会社のインターンシップ(就業体験)に挑んだ。 大学院生や国立大学の学生も参加する中で、柊翔さんの仕事への姿勢が高く評価され、会社から「採用面接を受けませんか」と声がかかった。 結果は「合格」。柊翔さんは内定を得て、来春から、正社員として働き始める。 次男の空輝さんも、柊翔さんと同じく「起立性調節障害」と診断され、不登校の日々が続いた。 だが髙沼さんは動じることなく、柊翔さんの経験を生かし、空輝さんの思いに寄り添うことができた。 空輝さんは、兄の背を追うように通信制の高校を経て専門学校に進み、夢を探求している。髙沼さんは、患者家族や医師・看護師など、さまざまな人とのつながりの中で、前を向く勇気を得ることができた。 その中で、どんな時でも柊翔さんの成長を見守り、関わり続けてくれた創価家族の存在は、「一番の心の支え」となった。 “今度は私が、誰かの支えになりたい”――女性部本部長として広布の最前線を駆けながら、髙沼さんは、地域の人の輪に果敢に飛び込んだ。 市の女性消防団や、子どもの読み聞かせサークルの活動は10年以上続けている。 2014年からは、家計を支えるため仕事にも復帰し、総合小売業のパートとして働いている。非正規ながら4年前には主任に昇格。後進の育成や店舗間の連携・運営を担っている。 「“人とのつながり”を、できる限り多くつくりたかったので、仕事をしても地域の活動は絶対やめずに、全てを両立してきました」 そうした行動力と持続力は「就職氷河期を生き抜く中で鍛えられた」と、髙沼さんは振り返る。 「就職難や厳しい職場環境で、もまれてきたからこそ、ちょっとやそっとのことではくじけないタフな精神力をもつことができたと思います。自分のやりたいことをいつも応援し、支えてくれた夫にも感謝しています」 ■「つなぎ手」に 人との「つながり」が深まるにつれて、「同年代や年下世代のママ友から、子育ての悩みを相談されることが増えてきた」と言う。 「お子さんの病や障がい、不登校の悩みを伺った時は、息子たちの体験を話すようにしています。私が調べた通信制の学校の情報や支援制度を紹介すると、『とても参考になった』と喜んでもらえて、息子と同じ高校に進学した子も何人かいます」 人と人、人と制度を結ぶ「つなぎ手」になる――髙沼さんはそこに、喜びや生きがいを見いだした。 社会学者の宮本みち子氏は本紙のインタビュー(本年5月9日付)で、「じっくりと話を聴き、その人に寄り添いながら、一緒に選択肢を探る。必要に応じて同行し、支援や制度への橋渡しを行う」ことの大切さに触れながら、創価学会員の活動の中に、こうした役割を見いだせると語った。 髙沼さんもまた、そうした学会員の一人として、孤立を防ぐための温かな声かけを広げている。 取材の結びに、髙沼さんに尋ねた。「多くの試練を勝ち越えた今、心に刻む師の言葉は何ですか」。髙沼さんは、ほほ笑んで言った。「私は、池田先生が教えてくださった戸田先生の言葉が大好きなんです」 「一生のすべての体験が生きてくるのだ。何ひとつ、塵も残さず、無駄はなかったことが分かるのです。これが妙法の大功徳です」 髙沼さんは、最後に、こう言葉を結んだ。 「柊翔や空輝が闘病を通して専門家や支援制度に出あわせてくれたおかげで、困っているお母さんに大事な情報を伝えることができています。柊翔は入院中にやっていた大好きなゲームが、とうとう彼の仕事になりました。本当に『塵も残さず』無駄はない。これまで苦労したことが、全部生かされていると感じます」
おはようございます😊
「令和6年能登半島地震」「能登豪雨災害」で
被災された方々の早い復興と生活の安定・再建を祈ります。🙏🙏🙏
🔶🔷🔶
〈ライフウオッチ〉
ルポ 就職氷河期世代と信仰④
2025年11月26日 聖教新聞より抜粋・引用です
🔹🔸🔹
1990年代前半、バブル崩壊後の景気低迷により、就職環境は一変しました。
厳しい不況の中で就職活動せざるを得なかった「就職氷河期世代」。
社会の変化に翻弄されながらも、懸命に生き抜いてきた女性部員の軌跡をたどります。(記事=中谷光昭)
▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️
1995年の大卒の就職率は戦後の統計開始以降、46年ぶりに60%台に落ち込んだ。
北海道の髙沼正湖さん(岩見沢池田圏、女性部本部長)が道内の短期大学を卒業したのは、まさにこの年だった。
「引く手あまただったバブル世代と、たった数年しか違わないのに、求人は激減して“これしかないの……”ってがく然としたことを覚えています」
卒業直前に会社から内定を取り消された友人や、卒業後も就活を続けざるを得なかった同級生も少なくなかったと言う。
髙沼さんも、懸命に求人を探し、「岩見沢市に住むことを条件」とする従業員10人強の会社に「わずかな募集」を見つけ、何とか滑り込んだ。
公園事業を手がける会社で、事務職として採用されたが、「小さな会社だったので、営業や遊具の図面設計など、一人で何役もこなしました」。
筑波大学の田中洋子名誉教授が指摘するように、当時はバブル崩壊後の不況により、企業が「リストラ」や「新卒採用の抑制」を行ったため、残った人だけで仕事をこなさねばならず、長時間の残業が増えた。
髙沼さんの職場も例外ではなく、「連日、深夜まで仕事が続き、家には寝るためだけに帰っていました」。
それでも、上司や同僚との人間関係が良好で、残業分も給与に反映されたため「体はつらくても、仕事に食らいつくことができました」。
6年働き、英範さんとの結婚を機に退職した。
「仕事が好きだったし、将来の生活や家計のことを考えると、できることなら結婚後も仕事を続けたかった」と、髙沼さんは言う。
だが「当時、私の会社は時短勤務など柔軟な働き方は認められていなかったし、今のように育児休暇の制度も普及していなかったので、私には『結婚後も職場に残る』という選択をすることはできなかったんです」。
🔹🔹🔹🔸🔸🔸🔸🔹🔹🔹
■支援の対象外
髙沼さんは、2002年に長男・柊翔さん、06年に次男の空輝さんを出産した。
妊娠・出産・育児の過程においても、就職氷河期特有の苦悩に直面したと言う。
「当時は、幼稚園も保育園も無償ではなかったし、妊婦健診の助成も出産一時金も、今より少なかったので、お金の工面に苦労しました」
2000年代は、出産・子育ての支援制度が拡充されていく過渡期だった。就職氷河期世代の中には、子どもの年齢が対象を超えており、支援を受けられなかった人が多かったといわれている。
公的支援が間に合わなかったことに加え、社会は不況の真っただ中。さらに、当時は子育てしながら働ける仕事も少なかったため、小さい子どものいる世帯が貧困や低所得の状態に置かれていた可能性が高いとみられている。
髙沼さんの場合、特に助成を受けたかったのは「子どもの医療費」だった。長男の柊翔さんが原因不明の先天性の病と闘っていたからだ。
柊翔さんは生まれつき両足にあざがあり、足首から指先にかけて大きく腫れていた。
足の長さや大きさも左右で違ったため、歩くことにも困難が生じ、転んだり、ぶつけたりして出血し、靴下やズボンが真っ赤に染まってしまうこともあった。
この病は、血管の形成がうまくいかず、体にあざや腫瘤ができ、激しい痛みや、炎症により高熱が続くことも。患部を強く打つと、出血することもある。
子ども医療費の助成は今、全国約7割の市区町村で高校3年まで拡充されているが、柊翔さんの年齢を後から追いかけるようにしか助成の対象年齢が上がらなかったため、「支援はほぼ受けることができなかった」と言う。
柊翔さんは、膨らんだ足を小さくするための減量手術に臨み、小学校卒業までに30回以上の入退院、10回以上の手術を勝ち越えた。
髙沼さんは自立支援医療(育成医療)の制度を使い、入院・手術費を工面しながら、傍らに付き添い、闘病を支え抜いた。
柊翔さんの病は難病に指定されておらず、医学的な調査研究が進まず、治療法が確立されていなかった。そのため髙沼さんは「一刻も早く、病気の研究を進めてほしい」と切望していた。
正確な病名を知るにも時間がかかり、中には「数年かけて病院を転々とし、ようやく病名が分かった」という患者もいたという。
柊翔さんも当初は「血管腫」と言われ、「プロテウス症候群かも」と二転三転し、市外の大学病院で検査を重ねる中、「混合型血管奇形」の診断にたどり着くことができた。
「対症療法ばかりで、根治する治療法がないし、柊翔の体や将来を思うと、不安でいっぱいでした」と、述懐する髙沼さん。心を支えたのは、学会活動の中で得た「同志とのつながり」だったと言う。
「つらい時ほど、訪問・激励に歩き、同志の皆さんに会いに行きました。皆さんから苦難を乗り越えた体験や悩みに負けずに戦っている様子を伺うたび、『大変なのは自分だけじゃない』『みんな踏ん張ってるんだ』って、いつも元気をもらったんです」
髙沼さんは、他の患者家族と協力し、2007年から、混合型血管奇形(現在は混合型脈管奇形)の難病指定を求める署名活動を開始。7年間で集めた署名は124万筆を超え、厚生労働省に提出することができた。
この間、柊翔さんが病に負けず健やかに成長する姿は、テレビや新聞など多くのメディアに取り上げられた。
ある時は、面識のない患者家族から「柊翔さんが出ていたテレビを見て、娘の症状と似ていると思い、担当医に伝えたところ、それまでの誤った治療を止めることができました。柊翔さんは娘の命の恩人です」と感謝のメッセージが寄せられたこともあったという。
2015年、混合型脈管奇形の特定の疾患が難病指定され、柊翔さんの病名は「クリッペル・トレノネー・ウェーバー症候群」に分類された。
以来、脈管奇形の研究も進み、医療費の助成も拡充された。柊翔さんは服薬で病状を上手にコントロールしながら、日常生活を送ることができるようになった。
🔹🔹🔹🔸🔸🔸🔸🔹🔹🔹
■不登校の中で
柊翔さんは、入退院をしながら、院内学級で学ぶこともあり、小学校に通える期間が短かった。
その分、中学校で思い出をつくろうと、希望に胸を膨らませて入学した。“友達もできて楽しい!”と、毎日、声を弾ませて帰ってきたという。
だが、入学式の1カ月後、柊翔さんは突然、布団から起き上がれなくなった。診断は「起立性調節障害」。
「学校に行きたい」と頭では思っているのに、低血圧になり、体が思うように動かなかった。夕方になると、何事もなかったように、普段の体調に戻る。
髙沼さんは当初、そんな柊翔さんの姿にもどかしさを感じ、厳しい言葉を浴びせてしまったという。
「私の世代は、良い学校に行って、良い大学に進んで、良い会社に就職することが、“幸せの条件だ”と植え付けられて育ったので、“もし、息子が高校に行けなかったら……”という焦りが出てしまったんです。柊翔を無理やりにでも学校に行かせようとしたり、言い合いになったりした日もありました」
高度経済成長期の「成功モデル」が重視された時代にあって、就職氷河期世代の多くは受験、就活、昇進など長きにわたって競争を強いられ、勝たなければ幸せになれないと教えられてきた。
髙沼さんは、毎朝の言い争いの中で、次第に柊翔さんの心が離れていくのを感じた。
“このままではダメだ。でもどうすれば……”――祈りながら、自身の振る舞いを見つめ直す中で、「ハッとした」という。
「私は自分が生きてきた時代の価値観を、息子に押し付けてしまっていたことに気付いたんです。良い大学を出たって、良い会社に入れるとは限らない――自分たちに染み付いた価値観はもう崩れてしまっているのに」
髙沼さんは柊翔さんの気持ちを尊重し、体調の回復を待つことにした。夫にも「自分たちの時代と息子を重ねないようにしよう」と伝え、夫婦で温かく見守った。
「息子の体調が戻った時にいろんな進路の選択肢を示してあげられるように、学校や支援制度を調べました」
柊翔さんは、中学3年間は学校に通うことができなかったが、高校は、心身に負担がかからないように髙沼さんが薦めた市内の通信制の学校に入学。
その後、プログラミングやゲームの開発を学べる専門学校に進み、柊翔さんは生き生きと授業に臨んだ。
「振り返れば、長い入院生活の中で、息子の心を癒やしたのはゲームでした。当時は『ゲームばっかりやっていて大丈夫かな』って心配していたんですけど、それが息子の自信になり、希望をくれる存在になるとは、夢にも思っていませんでした」
今年6月、柊翔さんは大手ゲーム開発会社のインターンシップ(就業体験)に挑んだ。
大学院生や国立大学の学生も参加する中で、柊翔さんの仕事への姿勢が高く評価され、会社から「採用面接を受けませんか」と声がかかった。
結果は「合格」。柊翔さんは内定を得て、来春から、正社員として働き始める。
次男の空輝さんも、柊翔さんと同じく「起立性調節障害」と診断され、不登校の日々が続いた。
だが髙沼さんは動じることなく、柊翔さんの経験を生かし、空輝さんの思いに寄り添うことができた。
空輝さんは、兄の背を追うように通信制の高校を経て専門学校に進み、夢を探求している。
髙沼さんは、患者家族や医師・看護師など、さまざまな人とのつながりの中で、前を向く勇気を得ることができた。
その中で、どんな時でも柊翔さんの成長を見守り、関わり続けてくれた創価家族の存在は、「一番の心の支え」となった。
“今度は私が、誰かの支えになりたい”――女性部本部長として広布の最前線を駆けながら、髙沼さんは、地域の人の輪に果敢に飛び込んだ。
市の女性消防団や、子どもの読み聞かせサークルの活動は10年以上続けている。
2014年からは、家計を支えるため仕事にも復帰し、総合小売業のパートとして働いている。非正規ながら4年前には主任に昇格。後進の育成や店舗間の連携・運営を担っている。
「“人とのつながり”を、できる限り多くつくりたかったので、仕事をしても地域の活動は絶対やめずに、全てを両立してきました」
そうした行動力と持続力は「就職氷河期を生き抜く中で鍛えられた」と、髙沼さんは振り返る。
「就職難や厳しい職場環境で、もまれてきたからこそ、ちょっとやそっとのことではくじけないタフな精神力をもつことができたと思います。自分のやりたいことをいつも応援し、支えてくれた夫にも感謝しています」
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■「つなぎ手」に
人との「つながり」が深まるにつれて、「同年代や年下世代のママ友から、子育ての悩みを相談されることが増えてきた」と言う。
「お子さんの病や障がい、不登校の悩みを伺った時は、息子たちの体験を話すようにしています。私が調べた通信制の学校の情報や支援制度を紹介すると、『とても参考になった』と喜んでもらえて、息子と同じ高校に進学した子も何人かいます」
人と人、人と制度を結ぶ「つなぎ手」になる――髙沼さんはそこに、喜びや生きがいを見いだした。
社会学者の宮本みち子氏は本紙のインタビュー(本年5月9日付)で、「じっくりと話を聴き、その人に寄り添いながら、一緒に選択肢を探る。必要に応じて同行し、支援や制度への橋渡しを行う」ことの大切さに触れながら、創価学会員の活動の中に、こうした役割を見いだせると語った。
髙沼さんもまた、そうした学会員の一人として、孤立を防ぐための温かな声かけを広げている。
取材の結びに、髙沼さんに尋ねた。「多くの試練を勝ち越えた今、心に刻む師の言葉は何ですか」。髙沼さんは、ほほ笑んで言った。「私は、池田先生が教えてくださった戸田先生の言葉が大好きなんです」
「一生のすべての体験が生きてくるのだ。何ひとつ、塵も残さず、無駄はなかったことが分かるのです。これが妙法の大功徳です」
髙沼さんは、最後に、こう言葉を結んだ。
「柊翔や空輝が闘病を通して専門家や支援制度に出あわせてくれたおかげで、困っているお母さんに大事な情報を伝えることができています。柊翔は入院中にやっていた大好きなゲームが、とうとう彼の仕事になりました。本当に『塵も残さず』無駄はない。これまで苦労したことが、全部生かされていると感じます」
🔷ここまでが、抜粋・引用です🎵 🔷
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厚労省通知の「血管病変を著しく憎悪させる業務による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」を読んだほうがいいのかもしれません。それ関連の問題がけっこう多い気がする。…でもボリュームがあったらイヤだなあ
#シャロ勉 November 11, 2025
国保保険料の軽減措置「高校生年代まで」に拡大、厚労省検討…子育て世帯の負担軽減狙う(読売新聞オンライン)
#Yahooニュース
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【インフルエンザで気をつけること】
インフルは「熱が下がったあと」に急変することがあります。
これは CDC(米国疾病対策センター)や厚労省が示す受診サインにも共通しています。
以下は保存推奨です。
【🟥 今すぐ受診した方がいいサイン(CDC・厚労省)】
・息が速い(1分間に25回以上が目安)/浅い、苦しそう
・反応が鈍い、会話がおかしい、起き上がれない
・けいれん、強い頭痛の急な悪化
・胸の痛み・圧迫感
・尿がほとんど出ない
【🟧 なるべく早く受診を検討するサイン(CDC)】
・咳や熱が一度良くなってから再悪化
・水分があまり取れない
・顔色が悪い、ぐったりしている
解熱=安全ではありません。
解熱後48時間は体の変化がいちばん大切なサインになります。 November 11, 2025
区が指導できるよう環境を作っていく
本当はガツンと自治体がやって欲しいのだが
正直この問題に区長会が機能しているように思えない
こうゆう時のための区長会なのでは無いか
東京都が厚生労働省に「民間火葬場」の管理めぐり法改正申し入れ 火葬料金設定にあらかじめ行政が関与する仕組み作りなど 都内では火葬料金高騰で
#Yahooニュース
https://t.co/6utE9rcdzQ November 11, 2025
非接種と接種者で分けて統計を取ったらワクチン接種者の方が陽性率が低かった。皆んな大変喜んで、首相、ワクチン大臣、医師会らが「ワクチン効果が凄い」と吹聴しました。しかしそれは、接種歴が未記載の人を未接種で感染した事にした詐欺で、直したら陽性率が逆転してしまいましたとさ。有名な「厚生労働省ワクチンデータ改竄事件」です。 November 11, 2025
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