内村鑑三 トレンド
0post
2025.12.01〜(49週)
:0% :0% (40代/男性)
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
#新プロジェクトX をどちらかといえば斜に構えて見ることが多いのですが、今晩の『75万人を救った用水路~医師・中村哲 希望のアフガニスタン~』は姿勢を正して2回見ました。実にいい番組でした。
敢えてひとつだけ注文をつけるなら、愛読書に内村鑑三を入れても良かった気がします。 December 12, 2025
3RP
📔モクレン文庫おすすめ書籍をご紹介
内村鑑三『地人論』(改訂第7版、警醒社書店)
書名からは感じにくいかもしれませんが、西洋と東洋を架橋し得る倭国の使命というべきものを論じた一冊です。同質のことを井筒俊彦が語っています。井筒の親友、関根正雄は内村の再晩年の弟子でした。(若松英輔)
https://t.co/1p8TtDgz4D December 12, 2025
1RP
《カネや学歴がないから大成できない》と嘆くのは誤りだ。あらゆる不幸や障害に打ち勝つプロセスこそ真の大事業。条件が揃った成功に価値はない。不足や反対が多い程それに克つ人生は《面白く》後世への遺産も大きい。立ちはだかる困難や欠乏を神の恩恵として感謝し、乗り越えよう。[内村鑑三] https://t.co/3e0SNjQyiV December 12, 2025
1992.1.5 スピーチ 池田大作全集79巻より
ところで、このケネディ大統領が「最も尊敬した倭国人」とは、だれであったか。
それは江戸時代の米沢(山形県)の藩主・
上杉鷹山である。
ちなみに内村鑑三(近代倭国の思想家)は『代表的倭国人』という著作の中で五人の人物を紹介しているが、その一人が上杉鷹山である。
『代表的倭国人』については、私の『若き日の読書』(本全集22巻収録)でも紹介した。
(『代表的倭国人』には、日蓮大聖人が、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹とともに挙げられている)
4 上杉鷹山(治憲)は、民衆を愛し、民衆のための政治を行った名君として知られる。彼は、君主の心得として、次の三項目を内容とする指針を残している。
一、自らの利益のために
国家を用いてはならない。
一、自らの利益のために
人民を用いてはならない。
一、人民のために君主があるのであり、
君主のために人民があるのではない。
「伝国之辞」と呼ばれる、この″民主宣言″が伝えられたのは、一七八五年(天明五年)。
これはアメリカ独立宣言(一七七六年)の九年後、またフランス人権宣言(一七八九年)の四年前のことである。
身分差別の厳しい封建社会において、世界に先駆ける形で残された、この民主精神、人間主義の叫びが、ケネディ大統領の胸にも強く響いたのであろう。
ともあれ、いかなる社会にあっても、いかなる時代になろうとも、どこまでも「人間が根本」──これが歴史の正道である。
「仏法」の正しき精神もここにある。膨大な「経典」も、すべて「人間のために」説かれた。「御本尊」も、すべての「人間」が等しく最高の幸福境涯を満喫しゆくために大聖人が建立してくださった。
そうした仏法の根本目的を離れ、人間を「手段化」していく宗派、聖職者は″人類の敵″である。もとより大聖人の仏法の「正統」とは、まったく無関係であると私どもは断ずる。
5 「地域の新生」もたらした青年の「一念」
鷹山が、上杉謙信から十代目の家督を継ぎ、米沢藩主となったのは、一七六七年(明和四年)、わずか十七歳の時であった。学会でいえば高等部の年齢である。
当時の米沢藩は、財政的に貧窮し、衰退の一途をたどっていた。
かつて福島の会津百二十万石を有していた上杉家の領地は、米沢三十万石に転封になったあと、さらに十五万石に減らされた。会津時代の八分の一である。
借金の山を抱え、極端な赤字財政。家臣から農民まで、藩の経済は破綻状態であった。
鷹山が藩主になる三年前には、もはや藩の存続は不可能であるとして、前藩主(上杉重定)が幕府に領地の返上を願い出ようとするほどであった。
しかし、新しい青年藩主は、安易に悲観に流されたりはしなかった。それどころか、十代の若き鷹山は、米沢の地に自身の使命を定め、「ここに理想の国をつくろう!」と立ち上がるのである。
6 かつて私は、山形に「人間のアルカディア(理想郷)を」との指針を贈った。以来、山形の同志は、このモットーを掲げて「山形に広布の理想郷をつくろう」と立ち上がった。
さまざまな現実に挑戦しながら、見事な実証を重ねておられる皆さまを、私は心からたたえたい。
「仏法は勝負」である。「人生も勝負」である。勝負はまず必ず「勝つ」と決めることである。
その「一念」から勝利は回転を始める。鷹山も″我が藩を理想の地に!″と、まず決めた。その「一念」に勝利の因があった。
例えば、相撲の世界であれば、「よし、必ず大関・横綱になってみせる」と決めた人は、それなりの努力があり、それに応じての力の開発があろう。
広布の組織においても、支部長であれば「自分が、皆に尽くす名支部長になって、必ずこの支部を大きく発展させてみせる」と──。
社会においても、広布の戦いにおいても、この「必勝の一念」「希望の一念」から出発しなければ、いかに方策を講じてみても、結局は崩れてしまう。
土台がないようなものである。反対に、どの県、どの支部であろうと、″長の一念″によって、どのようにでも発展していくことができる。
世間においてすら、一念の力は偉大である。
いわんや「事の一念三千」の御当体たる御本尊を持った私どもが、信心の一念で、いくらでも壮大な勝利を切り開けることは絶対に間違いない。 December 12, 2025
ぼくはありしまたけおちゃん!が霞むほど、とにかく正宗白鳥のタチが悪くて大爆笑なんですけど、でも「(内村鑑三以外は)他は見て過ぎよ」って言うのが白鳥先生なんだよ、「僕は祈れない」国木田独歩をも有する文アルくん、聞いてますか?おーい?すぎて December 12, 2025
正直な所、聞こえてて、出されても、困る、というのも正直な気持ちとしてあります みんなが逃げ出すほど厳格な父・内村鑑三がイベントガチャで登場!しても困るっていうか 文アルの武器を見てて、じゃあうっちー武器無しじゃん、信仰はダイナマイト、自爆じゃん、って爆笑してて 実装無理です https://t.co/Aco3lMfnA1 December 12, 2025
モクレン文庫📖おすすめカテゴリー
🟢若松が選ぶ!〈必読セット〉
西田幾多郎講演録や内村鑑三の機関誌など、なかなか手に入らない貴重な本や、一緒に読むとより深まるセットをご用意しています。ぜひご覧下さい!
https://t.co/DwJETbexJ4 December 12, 2025
高市歴史観で一つだけ問題なのは、「自衛の為の戦争(マッカーサー証言)」歴史観の無批判的な迎合です。
マッカーサーの議会証言(「倭国の戦争は主に自衛の為の戦争だった。)は、それなりに意味はあるが、大統領職を狙った共和党側の対民主党批判(対ルーズベルト政策、経済制裁政策の批判)としての世論操作の一面があったことを無視してはならないと思います。
一方、倭国政界でも、苦労人の代表格の高橋是清は仙台藩足軽の家に養子に出されて育った人だった。宮城県では、226事件で暗殺された人だに「死人に口なし」といわんばりに、226事件の主謀者らに対しての同情心から高橋是清の政策を軽視する冷酷で無教養な人が多すぎると感じます。
一方では竹田恒泰一派のように、「満州(経済学)派」の石原莞爾賛美の大合唱が木魂してるが、まりに軽薄、と感じますね。
最後の特攻で有名は生粋の国家主義者だった宇垣纏は「陸軍の満州政策は、乞食根性、百まで・・」と批判していた。
昭和5年に勃発した世界恐慌の最中、その(デフレ)対策で登場したのが「八紘一宇」の美名で隠した石原莞爾(背景には新興宗教団の国柱会があった。)の「満州は資源の宝庫」「満州は倭国の生命線」の資源強奪戦略であって(それが、米財界の満州進出指向に同調していたルーズベルトの対日経済制裁の発端だった)でした。それに、明白に一線を画していたのが高橋是清の政策「円高是正策」、「時局匡救事業(公共投資増大策)」だったのですが、この高橋是清政策は、今日でも、ノーベル経済学賞を受賞したステグリッツ、P・クルーグマン、バーナンキらが、驚嘆,讃頌してる政策であったことを知るべきです。更に、宮城県の「リベラル」派が、郷土の生んだ俊悦な高橋政策を軽視して、二宮賢治(国柱会の熱心な信者だった。)が、「そういう人になりたい」と言ったのは、実は内村鑑三の愛弟子の斎藤宗次郎の姿だったことを知るべきで、それを無視して、二宮賢治を無批判に持ち上げてる姿は滑稽とすら感じます。
まして「リベラル派」が「金銭問題だけの統一教」批判をするなら、満州事変(以降での犠牲者がいくらになったのかを忘れ)の、満州進出の思想背景である新興宗教団の「国柱会」の罪悪性に、無頓着なのは不思議でさえあります。 December 12, 2025
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



