倉本聰 トレンド
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2025.12.08〜(50週)
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『北の国から』というドラマを、僕は長いあいだ「優しい物語」だと記憶していた。
北海道の雄大な自然、無口な男、少し不器用な人々。苦しみながら生きる家族の愛が、僕らをゆっくりと癒やしてくれる物語――。
でも、それは完全に小学生の時に理解できた分だけの、淡い記憶だった。
久しぶりに第1話「廃屋」を見直して、心がざわついた。
これは癒やしの物語などではない。むしろ、かなり苦しい。
脚本家の倉本聰は、登場人物たちをとことん追い詰める。そこにあるのは「一度社会から取りこぼされた人間」をどう扱うか、という容赦のないリアリティだった。
黒板五郎は、自然に憧れて田舎に来た「スローライフの実践者」ではない。彼は敗走してきたのだ。
1981年という時代において、離婚し、仕事を失い、父親一人で子どもを育てるというのは、今よりずっと重たい意味を持っていた。それは「生き方の多様性」ではなく、社会的な「失敗」の烙印だったと言っていい。
五郎は、社会のレールから自ら静かに降りたのではない。都会からも、妻からも、弾き飛ばされた。
そして、もう一度立ち上がる場所として選んだのが富良野の廃屋だった。自己実現のためではない。人間としての最低限の尊厳を確保するための、最後の拠点だったのだと思う。誰も関与してこない、自分の原点に戻らないと回復できない傷が、彼にはあった。
ところが、ストーリーは容赦がない。現実が容赦ないと言うべきか。
五郎が逃げたはずの「東京」が、別の形で彼の前に現れる。それが息子の純だ。
便利さ、効率、清潔さ。五郎が否定した価値観を、純は何の疑いもなく身にまとっている。
「汚い」「不便だ」「電気がない」。これらは子どもの不満ではあるけれど、同時に社会の声でもある。五郎は、かつて自分を追い詰めた社会と、今度は父親として向き合わされることになる。
五郎と純の会話は、どこかよそよそしい丁寧語で交わされる。
その距離感が、親子の断絶を痛々しく浮き彫りにする。五郎は息子と一体になって回復していきたいと願うが、それが非常に困難であることが、画面の端々から伝わってくる。
ここが、この物語の逃げ場のなさだ。
妻とは離婚できても、子どもとは離婚できない。
社会からは逃げられても、息子からは逃げられない。
否定したはずの価値観は、他人ではなく、自分の遺伝子を持つ存在の中に、もっとも純粋な形で保存されているのだ。
第1話のラスト、純が東京へ逃げると決意し、こっそりと母親に手紙を書く場面は、今見ても胸が痛む。
五郎が必死に修復した廃屋の片隅で行われる、小さな裏切り。
だが、あれを裏切りと呼んでいいのか。純にとっては、生き延びるための切実な選択だったのだから。
昔の僕は、純側の視点に立っていたから、そこまで苦しい物語だとは思わなかったのかもしれない。五郎を「変わったお父さん」として外から眺めていた。
しかし、大人になった今は違う。僕は五郎側に立ってしまっている。
自分が命がけで作ろうとしている場所を、最愛の息子に拒絶される痛み。純との断絶に心を痛めるからこそ、この物語が容赦なく感じるのだ。
もし純がすぐに田舎に順応していたら、このドラマは単なる「逃げ切り」の話になっていただろう。しかし、そうはならなかった。五郎は気づかされる。
場所を変えるだけでは、人は再生しない。
目の前の、理解できない他者と関係を結び直すしかないのだ、と。
『北の国から』が描いた再生とは、大自然に抱かれて癒やされることではない。
関係性の中で、何度も傷つきながら立ち上がることだ。父親であることを、もう一度、身体で引き受け直すことだ。
父親とは稼ぐことなのか? 威厳があることなのか?
核家族化が進み、サラリーマン社会になり、父親像が揺らぎ始めたあの時代において、五郎には「父とは何か、人とは何か」という普遍的なテーマが託されていた。
あの第1話のヒリヒリした終わり方は、五郎だけに向けられたものではない。
社会のレールから外れたとき、僕たちは何を失い、何を取り戻そうとするのか。今にも十分通用する問いが投げかけられている。
『北の国から』とは、泥だらけになりながら、人が「役割」を取り戻していく記録なのだと思う。
そして最後に、この過酷な物語に普遍性と救いを与えているのが、さだまさしの音楽だ。
あの「モルダウ」やテーマ曲が流れるとき、画面からは寂しさ、切なさ、厳しさ、そして暖かさが一瞬で押し寄せてくる。
言葉にできない感情を音楽が包み込み、僕たちがこの厳しい世界に没入するのを助けてくれる。音楽があるからこそ、僕たちはこの痛みを直視できるのかもしれない。
今、シーズン1の1話が観終わったばかり。12月は『北の国から』ざんまいになりそうだ。 December 12, 2025
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萩原健一 - 前略おふくろ / 酒と泪と男と女 [1977.4.25]
Side-A. 台詞:倉本聰 作詞:藤公之介 作曲:森田公一 編曲:井上堯之
(最高41位 / 9.8万枚 / 1977年度 年間123位)
https://t.co/t6oTsOv42A December 12, 2025
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【12月10日】RSK山陽放送で「地域スペシャルメッセージ 岡山への疎開 倉本聰と戦争 …そしてドラマへ」が放送されます by 倉本聰 界隈 https://t.co/17gUcVpNFr December 12, 2025
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【くまの考える登場人物の俯瞰】
※くそ長いです。が、新人さんにはちょっと学びになるかも?
物語はたとえ史実に基づいていても「作り話」です。司馬遼太郎「竜馬がゆく」でも寝侍の藤兵衛と言う、竜馬の心意気に惚れ行動を共にする泥棒がいます。なぜこのような虚構の人物を登場させたかは司馬さん本人が語っている資料が見当たらないですが、色んな人の分析だと竜馬に対する客観視点と行動の説明役のようですね。
物語の人物は物語世界で生まれ育ち、老いて死んでいくわけです。物語の中で仕事もしてます。家庭も持っています。その人物のほんの上澄みが物語に登場するだけです。ちなみに倉本聰氏が登場人物に緻密な履歴書を作成したと言うのは有名な話ですが、これは別に倉本氏のみならず、物語を作る人は普通にやります。くまも作ります。これがないと話を進めていく上で矛盾が生じてしまったりするからです。
さて、割り振られた登場人物について、まず、その設定を骨組みと考えます。例えば悪役の場合、生まれた瞬間から大悪党と言う人はいません。これは性善説、ではなく、赤ん坊はまっさらな白紙なので、そこに文字や絵を書いたり色付けしていくのは周囲の人間であり環境なので後天的なものです。その蓄積がその人物の人格で、これは本当の人間であろうが架空であろうが同じ定義となります。
台詞などの言動は、その人格と言う樹木から生えた葉っぱであり果実であると考えられます。出てくる台詞はその人格から発生している言葉なので「瓜の蔓に茄子はならぬ」と言うことわざ通り、台詞は好き勝手に出てくるわけではなく、まずはそのキャラの人格に依拠します。
ところが、です。
物語の中の登場人物は二つに大別できます。ストーリーの根幹にかかわる(つまり作者が見せたい、描きたい)いわゆるメインキャラとか主要キャラ、と、物語に臨場感やリアリティを与えるために登場するモブなどです。メインなどは上記の通りです。作者が描きたい内容には登場人物の人生的な背景も重要な要素になります。しかし、モブは、物語的には「そう見える」ことがより重要なものになります。お母さんならお母さんらしく、警官なら警官らしく、と言ういわゆる「記号的表現」が重要です。モブとかサブキャラには、人格的な表現に加え、誰が見ても(聴いても)、そう、らしく見える記号的な表現も重要な要素になります。例えば、医者のドラマのシーンで看護師役がちゃんと看護師として存在することが重要です。そこではそのキャラの人格はひとまず置いといて、となります。言い方を変えるなら舞台装置的な機能が求められているわけです。
今売れているベテラン俳優さんで、ずーっと主役だけ、と言う人はあまり見受けられません。ごく一部のアイドル系から始めて、今もルックスと存在感を要求される人だけです。これは実に凄いことです。なぜなら、ルックスは加齢とともに変わっていきますし、出演実績も朽ちていきます。昔はこんなすごいドラマの主役でした、アニメに出てました、と言うのは当時の話で、これが十年単位になっていくと朽ちていきます。輝いている時期が何十年も続く人はいないんですよ。
横道にそれましたが、登場人物の台詞を「どう読むか」と言うのは、そのキャラに与えられた作品中の役割を理解することだと思うのです。リアリティや臨場感を構築する装置的な役目であれば、人格以上に、求められているリアリティを追求するべきだと思うのです。そこが漠然としていると、ただ「言っているだけ」になりがちになるように思います。
さて、今回の「クリスマスの朝が来る前に」の中でのくまの役ですが、その辺の記号的な役割を負いつつ、しだいに人間性が剥きだされていく、と言う、実に難しく、そして演じるのが楽しくて仕方がない役を拝命しています。
ぜひぜひ、シアターモリエールでご覧ください!
申込みは引用RPにて! December 12, 2025
9RP
初日の夜に行ったSoh's BAR 倉本聰氏が総合プロデュースした「愛煙家のための」大人の隠れ家、とてもいい雰囲気で落ち着ける空間😊お酒もおしゃれだけどアルコール強めなんで、急いで飲んだから酔いました😊帰り軽く遭難したおかげで、たまたま別のお店から出てきたHYDEさん
達に遭遇しました😳 https://t.co/cawpKeA6Hl December 12, 2025
5RP
明日よる8時からの
RSK地域スペシャル #メッセージ は、
「岡山への疎開
倉本聰と戦争…そしてドラマへ」
脚本家 #倉本聰 さんが戦時中に過ごした
岡山での疎開生活。
その記憶と体験は、後の名作ドラマへと深くつながっていきます。
ぜひご覧ください。 https://t.co/f59I60vkd1 December 12, 2025
3RP
【テレビ】12/10(水)山陽放送 20時
地域Sメッセージ「岡山への疎開 倉本聰と戦争…そしてドラマへ」
倭国を代表する脚本家、倉本聰。90歳となった今も、北海道の富良野に拠点を置き、その創作にかける意欲は、決して衰えることがない。
北海道放送
https://t.co/GgVFkgVXvE https://t.co/uM85n1IXhC December 12, 2025
1RP
週末に開催された三鷹市のフェスティバルでの「脚本家人気投票」の結果です
1位、三谷幸喜、宮藤官九郎
3位、向田邦子
4位、野木亜希子、坂元裕二、山田太一
7位、倉本聰
8位、バカリズム、岡田惠和、吉田恵里 香
⭐︎54名の方に投票いただきました
ありがとうございました✨ https://t.co/U036odLdW7 December 12, 2025
1RP
人の心を博つ為には、技術を心が超えていなければならないと、常々僕は考えている。技術を磨くのは勿論のことだが、技術が少しでも高まればそれを超える心を磨かなければならない。『優しい時間/倉本聰』*「お金」=心、友情、信頼ではない。絆や評価の残高は、誠実な言葉と行いで積み上がるものだ。 December 12, 2025
100人くらい先輩がいたんですけど、「金稼ぐなよ、金稼ぐと芸が落ちるぞ」って毎日のように言われてました。でも今から思うと、売れるということは自分を増長させたり、いいかげんになったりすることを言っていたんですね。あれもやっぱりいい言葉だったんですね。『倉本聰の世界/仲代達矢』 December 12, 2025
@torasan80223836 出世作
🎬『月曜日のユカ』ですね
横浜が舞台
若かりし“ネジネジ”
中尾彬さんが恋人役
監督中平康さん
脚本倉本聰さん
音楽黛敏郎さん
松竹らしい
すごいメンツですね🙇🏻♂️ https://t.co/usrY8zpssN December 12, 2025
北の国から
倉本聰のさんの脚本がとても良いから
関東では再放送してるみたいですがBSでも放送して欲しいです
#もう一度見たいBSフジ https://t.co/JtKKEi6sAJ December 12, 2025
@YunagiRyo どれもいいですが、
原田マハさんの
翼をください
は良かったです。
運命的はちょっととっさに思い浮かびません
倉本聰 ライスカレー 脚本
石川好 ストロベリーロード
もいいです。
昔アメリカに住もうと思ってたという意味では運命的なかも December 12, 2025
@zummie_i よかった💓素敵な場所だから楽しんできてね。チーズフォンデュは必見!すごく本格的な味で良き。ただ量が多いのでできればシェアできる人がいた方がいい。
あと、倉本聰さん監修のブランデーもおすすめ。いってらっしゃい😊 December 12, 2025
芸能一家に生まれたお嬢様女優で、1970年代のテレビドラマで清純派ヒロインとして主役の顔となり、数々の倉本聰作品でも印象深い 仁科明子(女優)(コモレバWEB) https://t.co/khpmj0PXvP December 12, 2025
@kawano_hidehiro 普遍的なテーマをコミカルに描いていただけ、多謝。TVドラマの本質はコミュニティー、関わり合い、群像劇だと再認識しました。山田太一さん、倉本聰さん、然り。みなそれぞれ事情を抱えながら独りじゃいられません。物語は幻想かもしれませんが、人々を優しく包摂してくれていて。終わるの淋しいです。 December 12, 2025
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