仏教 トレンド
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2025.12.09 03:00
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私が"今この瞬間"に写真を撮って
顔が浮腫んでたり
ちょっと剃り残しや肌荒れがあったり
それを凝視して興奮する皆がいるのも「今」という一瞬を共有しているからだと思うんだ😆
"今"は更新されるから、同じ脇でも違うし、日々変化していくし、その時々で汗ばんでたり楽しみ方がある。それって仏教?🤣 https://t.co/cOMKFpa2CO https://t.co/qEW8OBwW1E December 12, 2025
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インド仏教に"好きになりすぎない"という教えがあるらしい
風くんのことも好きになり過ぎないようにしてる
欲が出るから
今回のツアーもエントリーするけど 全落ちでもいいやの気持ち
夢中になり過ぎて自分のやるべき事を疎かにしないよう 自分が醜くならないよう
戒めであり 私なりの風くんへの誠意 December 12, 2025
おはようございます❗️
小説エピソード13『土木現場で我思う故に作業員』
ブログ、現代仏教抒情詩『暗景』
更新致しました
お時間が許せば
お読み下さると嬉しく思います( ≧∀≦)ノ
皆様にとって
良き一日でありますように🏄️
https://t.co/ZOUPAf2VyI December 12, 2025
いま一部のヒンドゥー至上主義者(Hindutva)が神道の起源はヒンドゥーだと言ってそれが広まってしまっているようです。倭国の根源的な精神は神道です。倭国には神道が古来からあり、途中から仏教が入って来て神仏集合したことと、神道の起源や神と仏教やヒンドゥーの神は全く違うのですが、一部のHindutvaが神道の起源はヒンドゥーだと言っているようです。
発端は恐らくこの元インド大使の榎泰邦が、倭国の神とインドの神は似ているみたいな動画を上げてバイラルに拡散されたことだと思います。それを信じてしまってるインド人が今かなり多いように感じます。Hindutvaには過激派や悪巧みをする者たちもいるので注意が必要です。榎泰邦はカルト創価学会の外務省メンバー「大鳳会」の中心人物です。 December 12, 2025
本日、成道会です。
お釈迦様がお悟りを開かれた(成道した)日を記念してお勤めをする、仏教徒にとって大切な日です。
多くの仏教寺院で法要が執り行われます。
岡林院でも、小さな規模ではありますがお経を奉読させて頂きました。
どうか世界中の人々が、穏やかな日を過ごせますよう🙏 https://t.co/OXLqYLrxCk December 12, 2025
「皇道仏教」をさらに深く掘り下げるには、この思想が具体的にどのように形成され、当時の社会でどのような役割を果たし、戦後にどのような影響を残したのかという歴史的経緯と構造を理解することが重要です。
1. 思想形成の歴史的背景:明治維新から戦時体制まで
「皇道仏教」は突然現れたものではなく、明治以降の国家体制の変化の中で徐々に形成されました。
•国家神道体制下での仏教: 明治政府は神道を国家の根幹に据え(国家神道)、仏教は一時的に弾圧されました(廃仏毀釈)。仏教界は存続のために国家への協力を余儀なくされ、この時期から仏教を国家体制に組み込もうとする動きが強まりました。
•日清・日露戦争期: 戦争が始まると、仏教教団は積極的に「従軍布教使」を戦地に派遣しました。彼らは兵士の精神的支柱となり、戦死を厭わない精神(「戦争は名誉である」という価値観)を鼓吹しました。この段階で、仏教の「無我」の教えが「国のために命を捧げること」と曲解・結びつけられました。
•十五年戦争期(満州事変以降): この時期に「皇道仏教」という言葉が標榜されるようになります。国家の意図に反する仏教教義は排除され、国体や東亜新秩序といった概念と仏教が融合されました。
2. 思想的支柱:「真俗二諦論(しんぞくたいろん)」の悪用
「皇道仏教」を教学的に正当化する上で中心的な役割を果たしたのが、真宗大谷派などで採用された真俗二諦論の特定の解釈でした。
•真諦(仏教の真理)と俗諦(世俗の法・国家の政令): 本来、この二つは相依りながらも異なる次元のものであるとされます。
•戦時下の解釈: 戦時教学においては、「真諦を以て俗諦を資け、俗諦を以て真諦を資け、二諦相依りて現当二世を相益す(真理をもって世俗を助け、世俗をもって真理を助け、両者が互いに利益し合う)」という解釈が強調されました。これは、仏教徒が国家の政令(戦争遂行)に無批判に従うことが、そのまま仏教の真理の実践であるとする論理でした。これにより、教団は国家権力への協力を教学的に正当化しました。
3. 具体的な活動と影響
皇道仏教の思想は、以下のような具体的な行動に現れました。
•「天牌(てんぱい)」の奉安: 天皇の写真や名前を記した牌を本堂に安置する運動が展開されました。これは仏教の寺院が天皇制国家の一部であることを象徴する行為でした。
•大陸布教: 「皇道仏教」は、倭国の中国大陸への侵略を宗教的に正当化する役割も担いました。大陸での布教活動は、倭国の植民地支配や皇民化政策と一体となって進められました。
4. 戦後責任と今日の課題
敗戦後、国家神道体制は解体されましたが、多くの仏教教団は戦時中の戦争協力に対する明確な自己批判や責任追及をすぐには行いませんでした。
•責任からの逃避: 戦時下の教団の姿勢は、指導者たちの「状況に追随できる信仰態度」や、思想の曖昧さとして解釈され、個人の責任が追及されることは稀でした。
•戦後世代への課題: 戦争責任は、戦後世代の倭国人にとっても、過去の罪責として残る課題であり続けています。多くの教団が現在「非戦・平和」の取り組みを行っていますが、それは戦時中の歴史的経緯を踏まえた上での反省に基づくものです。
「皇道仏教」という概念は、倭国の仏教が近代国家の圧力といかに対峙し、また迎合していったかを示す、負の歴史的な思想遺産と言えます。 December 12, 2025
斜め読みしていたところをちゃんと読むと、なんと「門前の小僧習わぬ経を読む」が出てきて笑ってしまったw
「がんばる」は出てこないかな...まあ四苦八苦が出てきているからいいかな(仏教ばっかりだな) December 12, 2025
こんにちは、インド人です。
神道は倭国固有の宗教であり、ヒンドゥー教はインド固有の宗教であることはよく理解しています。どちらも非常に古い宗教で、それぞれの国で独自に発展してきたものです。ただ、この動画でお話しされているのは文化的な影響のことであり、歴史的事実として倭国の文化は(特にインドで生まれた仏教を通じて)インド文化から大きな影響を受けているのは間違いありません。その結果、多くのヒンドゥーの神々や概念が倭国に伝わり、今でも(形を変えつつ)信仰されています。傲慢な気持ちは一切なく、ただ敬意を持って申し上げています。
インドでは、倭国の人々に対して特別な親しみや温かさを感じている人が多いです。お互いに非常に古い固有の宗教・文化を持ちながら、同時に歴史的・精神的なつながりも共有している——そんな共通点があるからだと思います。 December 12, 2025
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