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京都府
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2025.11.25 02:00
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東本願寺・白書院(京都府)にて開催された、荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」展は閉幕しました。
ご来場いただき、誠にありがとうございました。
リトグラフ、レンチキュラー作品は、集英社マンガアートヘリテージ トーキョーギャラリー(麻布台ヒルズ)に巡回展示予定です。詳しくは公式webサイト、公式SNS で公開します。
The exhibition, Hirohiko Araki’s JoJo’s Bizarre Adventure, held at the Higashi Honganji Temple, Shiro Shoin (Kyoto), has now closed.
Thank you very much for your visit.
The lithograph and lenticular works will be exhibited at Shueisha Manga-Art Heritage Tokyo Gallery (Azabudai Hills). Further details will be posted on the official website and official social media.
#荒木飛呂彦
#ジョジョの奇妙な冒険
#ジョジョ
#JOJO
#mangaart
#AzabudaiHills
#ShueishaMangaArtHeritageTokyoGallery
#マンガアート
#麻布台ヒルズ
#集英社マンガアートヘリテージトーキョーギャラリー November 11, 2025
1RP
神仏霊場会
https://t.co/hk5t5bM9Bk
参加霊場一覧
(50音順)
神仏霊場巡拝の道は、伊勢神宮を起点に、近畿地方を中心とした神社や寺院を巡る歴史ある巡礼路です。この道には、古くから信仰の中心として親しまれてきた神社や寺院が数多く存在します。その豊富な霊場の一覧を、このページでご覧いただけます。歴史や信仰に触れながら、巡拝の魅力をお楽しみください。
巡拝の道順はこちら
ア行
霊場名称住所詳細
赤穂大石神社
(あこうおおいしじんじゃ)赤穂市上仮屋旧城内
詳細
穴太寺
(あなおうじ)亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46
詳細
阿部野神社
(あべのじんじゃ)大阪市阿倍野区北畠3-7-20
詳細
安倍文殊院
(あべもんじゅいん)桜井市阿部645
詳細
坐摩神社
(いかすりじんじゃ)大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3
詳細
生田神社
(いくたじんじゃ)神戸市中央区下山手通1-2-1
詳細
生國魂神社
(いくたまじんじゃ)大阪市天王寺区生玉町13-9
詳細
石山寺
(いしやまでら)大津市石山寺1-1-1
詳細
石上神宮
(いそのかみじんぐう)天理市布留町384
詳細
一乗寺
(いちじょうじ)加西市坂本町821-17
詳細
今宮戎神社
(いまみやえびすじんじゃ)大阪市浪速区恵美須西1-6-10
詳細
今宮神社
(いまみやじんじゃ)京都市北区紫野今宮町21
詳細
石清水八幡宮
(いわしみずはちまんぐう)八幡市八幡高坊30
詳細
永源寺
(えいげんじ)東近江市永源寺高野町41
詳細
叡福寺
(えいふくじ)南河内郡太子町太子2146
詳細
圓教寺
(えんぎょうじ)姫路市書写2968
詳細
延暦寺
(えんりゃくじ)大津市坂本本町4220
詳細
大阪天満宮
(おおさかてんまんぐう)大阪市北区天神橋2-1-8
詳細
大原野神社
(おおはらのじんじゃ)京都市西京区大原野南春日町1152
詳細
大神神社
(おおみわじんじゃ)桜井市三輪1422
詳細
大和神社
(おおやまとじんじゃ)天理市新泉町306
詳細
帯解寺
(おびとけでら)奈良市今市町734
詳細
カ行
霊場名称住所詳細
橿原神宮
(かしはらじんぐう)橿原市久米町934
詳細
春日大社
(かすがたいしゃ)奈良市春日野町160
詳細
勝尾寺
(かつおうじ)箕面市粟生間谷2914-1
詳細
神峯山寺
(かぶさんじ)高槻市原3301-1
詳細
竈山神社
(かまやまじんじゃ)和歌山市和田438
詳細
賀茂御祖神社
(かもみおやじんじゃ)京都市左京区下鴨泉川町59
詳細
賀茂別雷神社
(かもわけいかづちじんじゃ)京都市北区上賀茂本山339
詳細
観心寺
(かんしんじ)河内長野市寺元475
詳細
観音正寺
(かんのんしょうじ)近江八幡市安土町石寺2
詳細
観音寺
(かんのんじ)京都市東山区泉涌寺山内町32
詳細
元興寺
(がんごうじ)奈良市中院町11
詳細
岩船寺
(がんせんじ)木津川市加茂町岩船上ノ門43
詳細
北野天満宮
(きたのてんまんぐう)京都市上京区馬喰町
詳細
貴船神社
(きふねじんじゃ)京都市左京区鞍馬貴船町180
詳細
清荒神清澄寺
(きよしこうじんせいちょうじ)宝塚市米谷字清シ1
詳細
清水寺
(きよみずでら)京都市東山区清水1-294
詳細
金閣寺
(きんかくじ)京都市北区金閣寺町1
詳細
金峯山寺
(きんぷせんじ)吉野郡吉野町吉野山2498
詳細
行願寺
(ぎょうがんじ)京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町
詳細
銀閣寺
(ぎんかくじ)京都市左京区銀閣寺町2
詳細
熊野那智大社
(くまのなちたいしゃ)東牟婁郡那智勝浦町那智山1
詳細
熊野速玉大社
(くまのはやたまたいしゃ)新宮市新宮1
詳細
熊野本宮大社
(くまのほんぐうたいしゃ)田辺市本宮町本宮1110
詳細
鞍馬寺
(くらまでら)京都市左京区鞍馬本町1074
詳細
車折神社
(くるまざきじんじゃ)京都市右京区嵯峨朝日町23
詳細
皇大神宮
(こうたいじんぐう)伊勢市宇治館町1
詳細
興福寺
(こうふくじ)奈良市登大路町48
詳細
籠神社
(このじんじゃ)宮津市字大垣430
詳細
金剛寺
(こんごうじ)河内長野市天野町996
詳細
金剛峯寺
(こんごうぶじ)伊都郡高野町高野山132
詳細
金剛輪寺
(こんごうりんじ)愛知郡愛荘町松尾寺874
詳細
御香宮神社
(ごこうのみやじんじゃ)京都市伏見区御香宮門前町174
詳細
御靈神社
(ごりょうじんじゃ)京都市上京区上御霊竪町495
詳細
サ行
霊場名称住所詳細
西教寺
(さいきょうじ)大津市坂本5-13-1
詳細
西大寺
(さいだいじ)奈良市西大寺芝町1-1-5
詳細
西明寺
(さいみょうじ)犬上郡甲良町池寺26
詳細
三千院
(さんぜんいん)京都市左京区大原来迎院町540
詳細
四條畷神社
(しじょうなわてじんじゃ)四條畷市南野2-18-1
詳細
七宝瀧寺
(しっぽうりゅうじ)泉佐野市大木8
詳細
四天王寺
(してんのうじ)大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
詳細
相国寺
(しょうこくじ)京都市上京区相国寺門前町701
詳細
聖護院
(しょうごいん)京都市左京区聖護院中町15
詳細
青蓮院
(しょうれんいん)京都市東山区粟田口三条坊町69-1
詳細
真正極楽寺
(しんしょうごくらくじ)京都市左京区浄土寺真如町82
詳細
慈尊院
(じそんいん)伊都郡九度山町慈尊院832
詳細
寂光院
(じゃっこういん)京都市左京区大原草生町676
詳細
城南宮
(じょうなんぐう)京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
詳細
浄瑠璃寺
(じょうるりじ)木津川市加茂町西小札場40
詳細
神護寺
(じんごじ)京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
詳細
須磨寺
(すまでら)神戸市須磨区須磨寺町4-6-8
詳細
住吉大社
(すみよしたいしゃ)大阪市住吉区住吉2-9-89
詳細
青岸渡寺
(せいがんとじ)東牟婁郡那智勝浦町那智山8
詳細
赤山禅院
(せきざんぜんいん)京都市左京区修学院開根坊町18
詳細
施福寺
(せふくじ)和泉市槇尾山町136
詳細
泉涌寺
(せんにゅうじ)京都市東山区泉涌寺山内町27
詳細
総持寺
(そうじじ)茨木市総持寺1-6-1
詳細
タ行
霊場名称住所詳細
當麻寺
(たいまでら)葛城市當麻1263
詳細
太融寺
(たいゆうじ)大阪市北区太融寺町3-7
詳細
多賀大社
(たがたいしゃ)犬上郡多賀町多賀604
詳細
建部大社
(たけべたいしゃ)大津市神領1-16-1
詳細
田村神社
(たむらじんじゃ)甲賀市土山町北土山469
詳細
談山神社
(たんざんじんじゃ)桜井市多武峰319
詳細
大安寺
(だいあんじ)奈良市大安寺2-18-1
詳細
大覚寺
(だいかくじ)京都市右京区嵯峨大沢町4
詳細
醍醐寺
(だいごじ)京都市伏見区醍醐東大路町22
詳細
大聖寺
(だいしょうじ)京都市上京区烏丸通り今出川上ル
詳細
大念佛寺
(だいねんぶつじ)大阪市平野区平野上町1-7-26
詳細
智積院
(ちしゃくいん)京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964
詳細
中宮寺
(ちゅうぐうじ)生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
詳細
朝護孫子寺
(ちょうごそんしじ)生駒郡平群町信貴山2280-1
詳細
長命寺
(ちょうめいじ)近江八幡市長命寺町157
詳細
壷阪寺
(つぼさかでら)高市郡高取町壷阪3
詳細
天龍寺
(てんりゅうじ)京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
詳細
鬪雞神社
(とうけいじんじゃ)田辺市東陽1-1
詳細
唐招提寺
(とうしょうだいじ)奈良市五条町13-46
詳細
東寺
(とうじ)京都市南区九条町1
詳細
東大寺
(とうだいじ)奈良市雑司町406-1
詳細
豊受大神宮
(とようけだいじんぐう)伊勢市豊川町279
詳細
道成寺
(どうじょうじ)日高郡日高川町鐘巻1738
詳細
道明寺天満宮
(どうみょうじてんまんぐう)大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
詳細
ナ行
霊場名称住所詳細
中山寺
(なかやまでら)宝塚市中山寺2-11-1
詳細
長田神社
(ながたじんじゃ)神戸市長田区長田町3-1-1
詳細
長濱八幡宮
(ながはまはちまんぐう)長浜市宮前町13-55
詳細
丹生川上神社
(にうかわかみじんじゃ)吉野郡東吉野村小968
詳細
丹生川上神社上社
(にうかわかみじんじゃかみしゃ)吉野郡川上村迫869-1
詳細
丹生川上神社下社
(にうかわかみじんじゃしもしゃ)吉野郡下市町長谷1-1
詳細
丹生官省符神社
(にうかんしょうぶじんじゃ)伊都郡九度山町慈尊院835
詳細
丹生都比賣神社
(にうつひめじんじゃ)伊都郡かつらぎ町上天野230
詳細
西宮神社
(にしのみやじんじゃ)西宮市社家町1-17
詳細
仁和寺
(にんなじ)京都市右京区御室大内33
詳細
根來寺
(ねごろじ)岩出市根来2286
詳細
ハ行
霊場名称住所詳細
長谷寺
(はせでら)桜井市初瀬731-1
詳細
播州清水寺
(ばんしゅうきよみずでら)加東市平木1194
詳細
日牟禮八幡宮
(ひむれはちまんぐう)近江八幡市宮内町257
詳細
百濟寺
(ひゃくさいじ)東近江市百済寺町323
詳細
日吉大社
(ひよしたいしゃ)大津市坂本5-1-1
詳細
枚岡神社
(ひらおかじんじゃ)東大阪市出雲井町7-16
詳細
平野神社
(ひらのじんじゃ)京都市北区平野宮本町1
詳細
廣瀬大社
(ひろせたいしゃ)北葛城郡河合町川合99
詳細
廣田神社
(ひろたじんじゃ)西宮市大社町7-7
詳細
廣峯神社
(ひろみねじんじゃ)姫路市広嶺山52
詳細
毘沙門堂
(びしゃもんどう)京都市山科区安朱稲荷山町18
詳細
平等院
(びょうどういん)宇治市宇治蓮華116
詳細
伏見稲荷大社
(ふしみいなりたいしゃ)京都市伏見区深草藪之内町68
詳細
葛井寺
(ふじいでら)藤井寺市藤井寺1-16-21
詳細
藤白神社
(ふじしろじんじゃ)海南市藤白466
詳細
平安神宮
(へいあんじんぐう)京都市左京区岡崎西天王町97
詳細
宝鏡寺
(ほうきょうじ)京都市上京区寺之内通堀川東入百々町547
詳細
宝厳寺
(ほうごんじ)長浜市早崎町竹生島1664
詳細
宝山寺
(ほうざんじ)生駒市門前町1-1
詳細
法樂寺
(ほうらくじ)大阪市東住吉区山坂1-18-30
詳細
法隆寺
(ほうりゅうじ)生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
詳細
法華寺
(ほっけじ)奈良市法華寺町882
詳細
マ行
霊場名称住所詳細
松尾大社
(まつのおたいしゃ)京都市西京区嵐山宮町3
詳細
松尾寺
(まつのおでら)舞鶴市松尾532
詳細
摩耶山天上寺
(まやさんてんじょうじ)神戸市灘区摩耶山町2-12
詳細
曼殊院
(まんしゅいん)京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
詳細
三井寺
(みいでら)大津市園城寺町246
詳細
御上神社
(みかみじんじゃ)野洲市三上838
詳細
水間寺
(みずまでら)貝塚市水間638
詳細
水無瀬神宮
(みなせじんぐう)三島郡島本町広瀬3-10-24
詳細
湊川神社
(みなとがわじんじゃ)神戸市中央区多聞通3-1-1
詳細
三室戸寺
(みむろとじ)宇治市莵道滋賀谷21
詳細
妙法院
(みょうほういん)京都市東山区妙法院前側町447
詳細
室生寺
(むろうじ)宇陀市室生78
詳細
ヤ行
霊場名称住所詳細
薬師寺
(やくしじ)奈良市西ノ京町457
詳細
八坂神社
(やさかじんじゃ)京都市東山区祇園町北側625
詳細
吉田神社
(よしだじんじゃ)京都市左京区吉田神楽岡町30
詳細
善峯寺
(よしみねでら)京都市西京区大原野小塩町1372
詳細
霊場名称住所詳細
霊山寺
(りょうせんじ)奈良市中町3879
詳細
六波羅蜜寺
(ろくはらみつじ)京都市東山区五条通大和大路上ル東
詳細
ワ行
霊場名称住所詳細
海神社
(わたつみじんじゃ)神戸市垂水区宮本町5-1
詳細
役行者霊蹟札所会
https://t.co/GV6ysdkhUX
役行者の遺徳と修験道の世界により多くの人々に触れていただき、その目指す所をご理解いただくべく、役行者ゆかりの寺院が集まって、この「役行者霊蹟札所会」を結成するはこびとなりました。
それは、平成の世における、新たな修験道の出発でもあります。
https://t.co/VCxrcUDOen
札所会について
役行者(えんのぎょうじゃ)とは、大峰山(おおみねさん)においては蔵王権現(ざおうごんげん)を、葛城山(かつらぎさん)においては法起菩薩(ほうきぼさつ)を感得され、山岳抖藪(さんがくとそう)の実践行を通じて得られたという神通力によって、人々を済度した在家の修行者として信仰されてきた人です。
倭国古来の山岳信仰に、役行者に代表される山林修行者たちによって、仏教や道教・儒教など外来の宗教が結びつけられ、次第に組織・体系化されたのが、「修験道(しゅげんどう)」です。
その精神と実践は、理源大師聖宝(しょうぼう)や智証大師円珍(えんちん)をはじめ、累代の修験の祖師と仰がれる仏教者達によって伝承され、今に至る1300年の長きにわたって伝えられてきました。
修験道の開祖としての役行者への信仰は、その長い歴史において、50年ごとに御遠忌法要などを執りおこなうことによって盛り上がってまいりましたが、それがそのまま修験道の歴史でもあったと申せましょう。
ただし、その歴史は、決して平穏なるものであったわけではなく、中世後期以来、修験の組織は、聖護院を中核とする天台系の本山派修験道と、醍醐寺を中核とする真言系の当山派修験道の二つに分かれ、互いに競合して相争うなど円満でない時代もありました。
明治維新を迎えると、明治政府から神仏分離政策にともなう「修験道廃止令」が1872年に発布されたことにより、全国各地の修験道組織は解体を余儀なくされ、修験道寺院も次々と廃寺の憂き目に遭いました。
そして、それにともない人々の修験道への信仰も衰退していったのです。
しかしながら、さる平成13年、役行者神変大菩薩1300年御遠忌を機として、修験教団たる真言宗醍醐派総本山醍醐寺・本山修験宗総本山聖護院・金峯山修験本宗総本山金峯山寺の三つの本山が一堂に会し、御遠忌合同大法要を、山上ヶ岳の大峯山寺本堂において厳修。
さらにこの機会をもって、役行者の遺徳と修験道の世界により多くの人々に触れていただき、その目指す所をご理解いただくべく、役行者ゆかりの三十六寺社が集まって、この「役行者霊蹟札所会」を結成するはこびとなりました。
それは、平成の世における、新たな修験道の出発でもあります。
このサイトで紹介されております「役行者霊蹟札所巡礼」は、その一つの表現であります。
皆様が、役行者ゆかりの寺々、山々を巡り、その遺徳に触れ、大自然を道場とした山岳抖藪の実践行を共有され、霊蹟札所を巡られることは、修験道の長い歴史に新たなる一ページを加えるものと確信しております。
役行者霊蹟札所会
役行者霊蹟札所総会
去る令和三年六月二十五日、紀州根來寺湊御殿において、役行者霊蹟札所総会が開催されました。
総会では小松新会長・大塚副会長・近藤副会長など新役員の就任等が審議され、承認されました。
また、今期の総会法要は例年行われてきた平和祈願祭ではなく、時勢を鑑みてコロナ感染症疫病退散祈願会として執行し、根來寺一山修法による護摩供で、役行者霊蹟札所会疫病退散の御札を製作し、開眼いたしました。
この御札は、一字院に三体配布し、各加盟寺社で一年間、札所会として疫病退散の祈念することを決定いたしました。
新・旧会長挨拶
今般、以下の通り就任いたしました。
役行者尊の御霊威にあやかり、誠に微力ではございますが、これよりは当札所会の円滑な運営と更なる充実の為に全力を尽くしてまいります。
何卒、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
会長:法樂寺住職 小松光昭
副会長:千光寺住職 大塚静弘
副会長:神峯山寺副住職 近藤孝道
役行者霊蹟札所会 会長 小松光昭
平成二十三年より三期十年間に亘り、皆様のお力添えのもと役行者神変大菩薩顕彰に勤めてまいりましたが、今後は若い世代に引き継いでいただくことと相成りました。
これまでのご懇情いに感謝申し上げと共に、今後も相変わらませず当札所会発展の為にお力添え賜ります様、宜しくお願い申し上げます。
前会長:七宝瀧寺貫主 東條仁哲
前副会長:泉州松尾寺住職 高岡保博
前副会長:金峯山寺長臈 田中利典
役行者霊蹟札所会 旧会長 東條仁哲
三十六寺社紹介
https://t.co/E0T8E6I0oW
ここでは、役行者霊蹟札所となっている三十六の寺社のそれぞれご紹介しております。
以下に挙げている画像、または寺社名をクリックすると、各寺社の簡単な縁起や交通情報、GoogleMapを利用した周辺地図など、個別にご紹介しているべージを表示します。
画像:きんぷせんじ
金峯山寺
奈良県
画像:にょいりんじ
如意輪寺
奈良県
画像:ちくりんいん
竹林院
奈良県
画像:さくらもとぼう
櫻本坊
奈良県
画像:きぞういん
喜蔵院
奈良県
画像:ぜんぷくじ
善福寺
奈良県
画像:だいにちじ
大日寺
奈良県
画像:とうなんいん
東南院
奈良県
画像:ほんざんじ
本山寺
大阪府
画像:おおみねさんじ
大峯山寺
奈良県
画像:りゅうせんじ
龍泉寺
奈良県
画像:すぎょうじ
菅生寺
奈良県
画像:きっしょうそうじ
吉祥草寺
奈良県
画像:せんこうじ
千光寺
奈良県
画像:ほうざんじ
寶山寺
奈良県
画像:りょうせんじ
霊山寺
奈良県
画像:まつおでら
松尾寺
奈良県
画像:ちょうごそんしじ
朝護孫子寺
奈良県
画像:むろうじ
室生寺
奈良県
画像:おおのじ
大野寺
奈良県
画像:しょうごいんもんぜき
聖護院門跡
京都府
画像;だいごじ
醍醐寺
京都府
画像:かぶさんじ
神峯山寺
大阪府
画像:ほうらくじ
法楽寺
大阪府
画像:せんしゅうまつおでら
松尾寺
大阪府
画像:しっぽうりゅうじ
七寶瀧寺
大阪府
画像:ひろかわでら
弘川寺
大阪府
画像:かんしんじ
観心寺
大阪府
画像:てんぽうりんじ
転法輪寺
奈良県
画像:せんじゅうじ
千手寺
大阪府
画像:てんりゅういん
天龍院
大阪府
画像:こうほうじ
興法寺
大阪府
画像:ねごろじ
根来寺
和歌山県
清荒神清澄寺
兵庫県
画像;すまでら
須磨寺
兵庫県
画像;いぶきさんじ
伊吹山寺
滋賀県
三十六寺社マップ
https://t.co/f25ucnW4Ho
ここでは、二府四県にまたがって点在している、役行者霊蹟札所の分布図を、ご紹介しております。
札所それぞれの詳細な位置情報、ならびにアクセス方法などは、三十六寺社紹介の各寺社それぞれを紹介するなかに記載しておりますので、そちらをご参照下さい。
修験道とは何か
https://t.co/TwzOkxiyCc
修験道とは
修験道は、山を聖域と見、その聖域の奥深くまで分け入って修行することによって、神秘的な力を得、その力によって自他の救済を目指そうとする山岳信仰の宗教です。
このようなことから、修験を「山伏(やまぶし)」と言うこともあります。
修験との名称は、その字の如く、「修行して験力を顕す道」であるということから名づけられたものです。
修験道は、自然の中でも特に「山」を神聖視してきた倭国人古来の山岳信仰に、インドの宗教である仏教や、中国の宗教である道教や儒教など、外来の宗教が結びつき、さらにそこに神道や陰陽道、民間信仰などまでが取り入れられ、次第に形成されてきました。
修験道の教義や世界観、修行方法は、ほとんどの場合仏教、とりわけ密教のものが取り入れられており、そのため仏教や密教についての知識がなければ、まず修験道を理解することは出来ません。
しかし、では「修験道=仏教」かというと、そうとは言えません。
これは、中世より修験道を伝えたのが、役行者のような在俗の者だけではなく、仏教僧のなかでもとりわけ密教僧が主体であったためです。
よって、「修験道は仏教の一部」と見なされる場合が多く、修験道を仏教の修行法の一つとして考えられています。
修験道とは、倭国古来のきわめて漠然とした宗教的心情を、主に仏教の思想体系によって整理し、さらにその他の宗教をも換骨奪胎して形成されてきた「倭国独自の宗教」である、と捉えるのが妥当かもしれません。
修験道の歴史
修験道は、7~8世紀に大和葛城山で活動していた呪術者、「役小角(えんのおづの)」によって開創されたと伝承されています。
もっとも、現実には、役小角が当初、具体的にどのような思想を持ち、どのような修行を行っていたかは、ただ葛城山の中に住んで呪術を駆使していることが知られているだけで、詳しいことはわかっていません。
そして、そのような役小角は、弟子の讒言により島流しに処されたことが伝えられています(『続倭国記』)。
又、奈良中期から末期にかけて、仏教僧の中に山林修行を行う者が多数現れます。
平安期初頭に密教が倭国に伝えられると、修験道は、主に密教の僧侶による主導のもと、仏教のなかでも特に密教の体系的な思想と修行法を導入した、「仏教の一派」「仏教の修行法の一つ」とも言い得るものになっていきます。
現在、修験道の当山派と本山派という二大流派の派祖として崇められている聖宝と増誉は、それぞれ真言密教僧と天台密教僧なのです。
奈良時代には、国家から危険視されて規制の対象となり、社会からも賤民(せんみん)として扱われさえしていた山林修行者の一部は、真言密教を初めて倭国に伝えた空海や、天台宗の密教を伝えるために唐に渡った、円仁(えんにん)・円珍(えんちん)などによって、密教が隆盛を迎えるようになった平安期になると、貴族達などからむしろその験力、呪力などによる現世利益が期待される存在となり、ある程度の社会的地位が約束されるようになったようです。
鎌倉初期には、必ずしも僧侶でない一般の山林修行者達が、修験道独自の集団を形成していき、次第に神道や陰陽道などさまざまな宗教の思想を取り込みつつ、民衆の支持を集めていったようです。
そしてその修行や活動拠点は、葛城山・大峰山・金峯山・熊野三山だけでなく、富士山・羽黒山・彦山・御嶽山・大山・白山など全国各地に広がりを見せ、それぞれが独自の教義や一定の組織を持つに至ります。
しかし、江戸幕府が開かれると、それら全国各地に展開していた修験者たちは、一部を除いて、真言系の当山派か天台系の本山派の、何れかの派に所属させられることになります。
明治維新を迎えると、国家神道の(「神道とは宗教のような低俗なものでなく、より普遍的科学的な人の道」とする)建前上、神道を含んだ様々な宗教の混淆である修験道は、容認できるものでなかったため、明治元年(1868)から明治5年(1872)にかけての太政官達によって、公式には廃止されます。
しかし、それまで修験道を支持していた人々の信仰や、祭祀などの慣習まで廃することは出来ず、また修験道側も、組織として真言宗醍醐派や天台宗寺門派に属してその命脈を保とうとするなど、なんらかの形で存続します。
そして、昭和の大戦後、修験道諸流は、それぞれが宗教法人格を取得するなどして、一個の独立した宗教として復活することになります。
修験道大結集
年号変わって平成の世となった平成16年7月1日、大峯山・熊野三山・高野山の三つの霊場と、大峯奥駆道・熊野古道・高野山町石道の三つの参詣道が、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、ユネスコの世界遺産に登録されます。
これを期に、全国各地の修験道諸派を集結して「修験道大結集(しゅげんどうだいけつじゅう)」が催され、世界の平和を祈ると共に、今後も修験道が社会で活動を展開し、共に発展していくことを確認しあいました。
修験道は、倭国古来の、そして現代にも息づく宗教であり、倭国文化の一端を担う存在でもあるのです。
開祖 役行者(えんのぎょうじゃ)
https://t.co/fOKpTDudkj
役行者とは
写真:役行者坐像(大峯山寺蔵)
「役行者(えんのぎょうじゃ)」とは、7~8世紀に奈良を中心に活動していたと思われる、修験道の開祖とされている人物です。
「役小角(えんのおづの)」がその本名であると言われ、またほかに「役優婆塞(えんのうばそく)」、「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」、「山上様(さんじょうさま)」などの呼び名があります。
役行者が、7~8世紀に実在したことは確かなようですが、生没年など詳しいことは不明です。
もっとも、伝説の多くは、舒明天皇六年(634)1月1日に大和国茅原にて生まれ、大宝元年(701)、68歳の時に「没した」のでなく、「昇天した」としています。
いずれにせよ、この世の人でなくなった、ということでしょう。
「役優婆塞」とは、平安初期に成立したと目されている『倭国霊異記』における役行者の呼び名です。
優婆塞(うばそく)とは、サンスクリット「upāsaka(ウパーサカ)」の音写語で、「在家仏教信者」を意味する言葉です。
役行者は、僧侶ではなく、在家仏教信者として修行した人です。
このサイトでもっぱら使っている「役行者」という呼称は、平安期に入ってから使用されだしたもののようです。
それ以前の奈良時代には、「役君小角」と一般に呼ばれていたようですが、詳細は不明です。
「神変大菩薩」とは、盈仁(えいにん)法親王がつとめられた「役行者一千百年御遠忌」を機に、聖護院門跡に三年間仮御所を置かれいた光格天皇が、寛政十一年(1799)、役行者に贈った諡号(しごう)です。
諡号とは、僧侶や貴人などの死後に、その生前の行いを尊んで朝廷から贈られる名です。
さて、役行者にまつわる伝説は、大変多く残されており、それらが記された書物なども数多く伝わっています。
それら伝説のなかで、役行者は、不思議な力を駆使して空を、野山を駆けめぐり、鬼神を自在にあやつった人とされています。
伝説には、奇想天外にすぎて、現代的には到底信じがたいようなものが多くあります。
しかし、いずれにせよ、役行者とは、数々の不可思議な事績をのこした偉大な修行者、修験道の開祖として崇められてきた存在です。
しかし、そのように伝説に彩られた役行者ですが、それが実在の人物であったことを確認できる正史と言われる史料は、非常に限られています。
いや、たった一つで、しかもわずか数行でしかありません。平安初期に編纂された、『続倭国紀(しょくにほんぎ)』にある記述がそれです。
『続倭国紀』にみる役行者
「文武天皇三年五月丁丑」
役君小角(えんのきみ しょうかく) 伊豆島ニ流サル。
初メ小角葛城山(かつらぎさん)ニ住シ呪術ヲ以テ称サル。
外ノ従五位下韓国連廣足(からくにのむらじ ひろたり)焉ヲ師ト為ス、後其ノ能ヲ害(そね)ミ、讒(ざん)スルニ妖惑ヲ以テス。
故ニ遠島ニ配セラル。
世ニ相イ伝エ言ク。
小角能ク鬼神ヲ役使シ、水ヲ汲ミ薪ヲ採セ、若シ命ヲ用ヒザレバ即チ呪ヲ以テ之ヲ縛ス。(原漢文)
〈訳文〉
文武天皇3年(699)5月24日、役君小角が伊豆島に流された。
小角は葛城山に住み、呪術をよくすると、世間の評判であった。
従五位下の韓国連廣足という者が、当初この小角を師と仰いでいたが、その能力をねたんで、(役小角が)人々に妖言を吐き惑わしていると朝廷に誹謗中傷した。
そのため、(小角は)遠島の刑に処せられたのである。
世間の噂では、小角は巧みに鬼神を使役して、水を汲んだり薪を採らせ、もし(鬼神が)命令に背くようならば、たちまち呪術によって身動きがとれないようにしてしまう、などと言われている。
ここからわかることは、「鬼神を使役できると世間で噂されている、葛城山に住む行者の役君小角が、従五位下というかなり高い官位にあった弟子の告発で島流しにあった」ということだけです。
正史からは、役行者の人となり、生い立ちや思想などはまったく知ることが出来ません。
しかも、役行者が流刑に処せられたのは事実としても、その業行は、あくまで「世間の噂」でしかありません。
宗教者が社会を「妖惑」するのは、いつの世も為政者にとって、とても危険なことです。
例えば「僧尼令」でも、社会を妖惑する行為を第一条にて禁じています。
正規の僧尼でも、これを行うものは処罰されたのです。
役行者のように、山に住んでいる「在俗の者」がこれを行うのは、なおさら危険とされて配流されたのは当時として当然と言えるでしょう。
役行者に関連して、正史から知られることは、ただこれだけのことです。
『倭国霊異記』にみる役行者
次に挙げるのは、史料ではなく、あくまで説話集です。
同じく平安初期に、『続倭国紀』にやや遅れて成立したとされる、薬師寺の僧景戒(きょうかい)によって編纂された倭国最古の説話集、『倭国現報善悪霊異記』いわゆる『倭国霊異記(にほんりょういき)』です。
この上巻に、当時の世間一般が流通していたであろう、役行者にまつわる説話が収録されています。
ここでは、『続倭国紀』に見られなかった、役行者の出自についてなどが若干記されており、いかなる修行を行っていたかを多少描かれています。
むろんこれは説話集ですから、それが事実であったかどうかは別の話です。
「孔雀王の咒法を修持し、異しき験力を得て、現に仙と作りて天に飛ぶ縁 第二十八」
役優婆塞(えんのうばそく)は、賀茂役公(かものえのきみ)、今の高賀茂朝臣(たかかものあそん)といふ者なり。
大和国葛木上郡茅原(ちはら)村の人なり。
生(うまれながら)知り博学一なり。
三宝を仰ぎ信(う)けて業とす。
毎(つね)に庶(ねが)はくは、五色の雲に挂(かか)りて、仲虚(なかぞら)の外に飛び、仙宮の賓と携り、億載(おくさい)の庭に遊び、蘂蓋(すいがい)の苑に臥伏(ふ)し、養性(ようじょう)の気を吸ひ、くらふことをねがふ。
所以(ゆえ)に晩年四十余歳を以て、更に巌窟に居り、葛を被、松を飲み、清水の泉を沐み、欲界の垢を濯ぎ、孔雀の咒法を修習し、奇異の験術を證し得たり。
鬼神を駆使得ること自在なり。(以下略:後述)〈*原漢文〉
〈訳文〉
「孔雀明王の呪法を修め、不思議な力を得て、現世で仙人となって天に飛んだ話 第二十八」
役優婆塞は、賀茂役公、今の高賀茂朝臣の出身である。
大和国葛木の上郡茅原村の人であった。
生まれつき博学でぬきんでており、仏法僧の三宝を深く信じていた。
いつも(彼が)心に願っていたのは、五色の雲に乗って、果てしない空を飛び、仙人の宮殿にいる客人と一緒になって、永遠の楽園や、華の満ちた苑起居してその「気」を得、身心生命を養う事を心掛けていた。
(若い頃からそのようにねがっていたので、)四十歳を過ぎるころには、洞窟で生活するようになり、葛で作った着物を羽織り、松の実を食べ、清らかな湧き水で沐浴するなどして、俗世間の垢を落とし、孔雀明王の呪法を修行して、不思議な力を得たのである。
鬼神を使役することは自由自在であった。(以下略:後述)
原文の全てとその訳文を掲載するのは長くなりすぎるため、省略いたしました。
以上に述べられているのは、役行者は、三宝に帰依する優婆塞あり、その上に道教的、密教的な苦修練行によって不思議な修験の術を得たというのです。
ここでは道教と仏教とが混在しており、なんとも奇妙ですが、これが『倭国霊異記』当時の倭国民族宗教に対する一般的な見方とも考えられます。
これは、いまだ弘法大師空海によって、悟りをその第一目的とする「純密(じゅんみつ)」が、唐からもたらされる以前に行われていた、悟りを第一目的にするのでなく、超自然的能力の獲得をこそ主目的とする「雑密(ぞうみつ)」を、役行者が行っていたとする伝承と見ることが出来るでしょう。
また、修験がまだ正統な密教の影響を多分にうけて「修験道」として成立していない時代の反映とも見ることも出来るでしょう。
さて、以下に、先ほどは長きに過ぎて省略した箇所の、概要だけを示しておきます。 November 11, 2025
1RP
伊勢 → 熊野・那智 → 紀伊 → 吉野 → 高野
という「聖地・霊場」を貫く「参詣道」が通っている。
伊勢の神宮と紀伊山地の霊場を結ぶ道である。
紀伊山地の霊場の中心をなすのは、熊野三山(本宮・新宮・那智)、吉野(金峯山)、高野山である。
このような伊勢参宮における社寺巡拝の道を基本として「神仏霊場巡拝の道」が成り立っている。
すなわち、紀伊、大和、摂津、播磨、山城、近江など各地の神社と寺院を巡拝する道である。
特別巡拝 伊勢
https://t.co/RIAKkKNS7V
【写真は皇大神宮神宮内部】
「倭国人の魂のふるさと」といわれる神宮は、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)からなり、内宮は、五十鈴川の清流のほとり、緑濃い森のなかの清浄と静寂の聖地に鎮まる。
特別巡拝 伊勢
皇大神宮
伊勢市宇治館町1
豊受大神宮(外宮)
特別巡拝 伊勢
豊受大神宮
伊勢市豊川町279
「和歌山」(紀伊・熊野・那智・高野)清浄(しょうじょう)の道
https://t.co/A6D2QQwHZ5
【写真は熊野那智大社】
紀伊・熊野・那智・高野
紀伊は「木の国」。
海に近いが山国である。
三六○○峯の山々と渓谷の間を縫って神と仏の聖地への道はつづく。
伊勢路と紀路、大峯道である。
紀路は「大辺路(おおへち)・小辺路(こへち)」とよばれた。
辺路は辺土(へど)と同じく人里離れた辺鄙(へんび)な地をいう。
紀伊の辺路は、峯高く道険しい難路である。
大辺路は、田辺から熊野まで、おおむね海岸線に沿って紀伊半島をまわる道。
小辺路は、熊野と高野をほぼ直線に結ぶ峠を三つ越える山間の道。
大峯道は、熊野三山と吉野を結ぶ修験根本道場である。
大峯奥駈(おおみねおくがけ)の厳しい修行によって、六根を清浄する。
それは、見えざる神仏との邂逅(かいこう)の道である。
熊野速玉大社
和歌山 清浄の道
和歌山1
熊野速玉大社
新宮市新宮1
青岸渡寺
和歌山 清浄の道
和歌山2
青岸渡寺
東牟婁郡那智勝浦町那智山8
熊野那智大社
和歌山 清浄の道
和歌山3
熊野那智大社
東牟婁郡那智勝浦町那智山1
社殿
和歌山 清浄の道
和歌山4
熊野本宮大社
田辺市本宮町本宮1110
六棟が並ぶ社殿
和歌山 清浄の道
和歌山5
鬪雞神社
田辺市東陽1-1
年間3000回行われる「絵解き説法」
和歌山 清浄の道
和歌山6
道成寺
日高郡日高川町鐘巻1738
境内
和歌山 清浄の道
和歌山7
藤白神社
海南市藤白466
竈山神社 拝殿
和歌山 清浄の道
和歌山8
竈山神社
和歌山市和田438
根来寺-境内
和歌山 清浄の道
和歌山9
根來寺
岩出市根来2286
慈尊院-正門から見る多宝塔
和歌山 清浄の道
和歌山10
慈尊院
伊都郡九度山町慈尊院832
丹生官省符神社-本殿三棟
和歌山 清浄の道
和歌山11
丹生官省符神社
伊都郡九度山町慈尊院835
丹生都比賣神社-禊橋より参道・楼門を臨む
和歌山 清浄の道
和歌山12
丹生都比賣神社
伊都郡かつらぎ町上天野230
金剛峯寺-大主殿
和歌山 清浄の道
和歌山13
金剛峯寺
伊都郡高野町高野山132
「奈良」(大和・斑鳩・吉野)鎮護(ちんご)の道
https://t.co/Y7V2gUnZrI
【写真は東大寺】
「倭は国のまほろば」。
青垣山に隠る美し国。
飛鳥・藤原・平城の古代の都。
緑深き山々に神々が鎮まり、森や林には仏が宿る。
神社や寺院を結ぶ祈りの道が大和にめぐらされる。
東には、三笠山や三輪山などが連なり、国家鎮護の東大寺や春日大社、大神神社などが並び建つ。
長谷寺参詣の「初瀬街道」は天神山、初瀬山、巻向山などの裾野を初瀬川に沿っていく。
大和川の北、矢田丘陵東南麓に法隆寺の斑鳩の里がある。
西の京の七堂伽藍の地である。
伊勢大和回りは、桜井・飛鳥を経て、多武峰と吉野を到る。
峯高く聳え草木が欝蒼と繁る多武峰と、金剛蔵王を祀る金峯山、満山桜樹の吉野山は修験の山である。
東大寺-盧舎那大仏
奈良 鎮護の道
奈良1
東大寺
奈良市雑司町406-1
春日大社-中門
奈良 鎮護の道
奈良2
春日大社
奈良市春日野町160
興福寺-中金堂
奈良 鎮護の道
奈良3
興福寺
奈良市登大路町48
大安寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良4
大安寺
奈良市大安寺2-18-1
帯解寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良5
帯解寺
奈良市今市町734
石上神宮-楼門前の参道
奈良 鎮護の道
奈良6
石上神宮
天理市布留町384
大和神社-拝殿
奈良 鎮護の道
奈良7
大和神社
天理市新泉町306
大神神社-拝殿
奈良 鎮護の道
奈良8
大神神社
桜井市三輪1422
法華寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良9
法華寺
奈良市法華寺町882
西大寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良10
西大寺
奈良市西大寺芝町1-1-5
唐招提寺-金堂
奈良 鎮護の道
奈良11
唐招提寺
奈良市五条町13-46
薬師寺-金堂
奈良 鎮護の道
奈良12
薬師寺
奈良市西ノ京町457
法隆寺-中門と五重塔
奈良 鎮護の道
奈良13
法隆寺
生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
中宮寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良14
中宮寺
生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
霊山寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良15
霊山寺
奈良市中町3879
宝山寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良16
宝山寺
生駒市門前町1-1
朝護孫子寺-大寅
奈良 鎮護の道
奈良17
朝護孫子寺
生駒郡平群町信貴山2280-1
廣瀬大社-拝殿
奈良 鎮護の道
奈良18
廣瀬大社
北葛城郡河合町川合99
當麻寺-本堂(曼荼羅堂)
奈良 鎮護の道
奈良19
當麻寺
葛城市當麻1263
橿原神宮-内拝殿
奈良 鎮護の道
奈良20
橿原神宮
橿原市久米町934
安倍文殊院-金閣浮御堂
奈良 鎮護の道
奈良21
安倍文殊院
桜井市阿部645
長谷寺-「朝の勤行」本堂にて
奈良 鎮護の道
奈良22
長谷寺
桜井市初瀬731-1
室生寺-五重塔
奈良 鎮護の道
奈良23
室生寺
宇陀市室生78
談山神社-本殿
奈良 鎮護の道
奈良24
談山神社
桜井市多武峰319
壺阪寺(南法華寺)-境内の堂塔伽藍と大石像仏
奈良 鎮護の道
奈良25
壷阪寺
高市郡高取町壷阪3
金峯山寺-本堂蔵王堂
奈良 鎮護の道
奈良26
金峯山寺
吉野郡吉野町吉野山2498
丹生川上神社上社-c
奈良 鎮護の道
奈良27
丹生川上神社上社
吉野郡川上村迫869-1
丹生川上神社-両部鳥居より拝殿を望む
奈良 鎮護の道
奈良28
丹生川上神社
吉野郡東吉野村小968
丹生川上神社下社
奈良 鎮護の道
奈良29
丹生川上神社下社
吉野郡下市町長谷1-1
元興寺-本堂と禅室
奈良 鎮護の道
奈良30
元興寺
奈良市中院町11
「大阪」(摂津・河内・和泉)豊楽(ぶらく)の道
https://t.co/zzbnKYowxD
摂津・河内・和泉
【写真は住吉大社】
浪速を中心とする摂津国の一部と河内、和泉を合わせた区域。東は生駒山・金剛山、北は北摂連山、西は大阪湾。大阪平野は、淀川や大和川などの運ぶ土砂によって造成された。
淀川水域には、難波江、住吉、浪速津、高津などがある。
この地には住吉大社、四天王寺など古社名刹が数多い。
河内は山と川の地である。
名所旧蹟が多く、それらの間を縫うように、高野山の参詣道沿いにはあまたの神社や寺院が佇んでいる。
和泉は瀬戸内と泉北丘陵との間を通る紀州街道・根来街道の周辺に神社や寺院がある。
これらの境内は参拝者でにぎわい、祭礼や法要、行事が催されている。
ここは、神と仏と人の豊楽の地である。
住吉大社-第一本宮から第四本宮にいたる四棟の本殿
大阪 豊楽の道
大阪1
住吉大社
大阪市住吉区住吉2-9-89
四天王寺-四天王寺式の伽藍配置
大阪 豊楽の道
大阪2
四天王寺
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
阿部野神社-本殿
大阪 豊楽の道
大阪3
阿部野神社
大阪市阿倍野区北畠3-7-20
今宮戎神社-本殿
大阪 豊楽の道
大阪4
今宮戎神社
大阪市浪速区恵美須西1-6-10
大念佛寺-本堂
大阪 豊楽の道
大阪5
大念佛寺
大阪市平野区平野上町1-7-26
法樂寺
大阪 豊楽の道
大阪6
法樂寺
大阪市東住吉区山坂1-18-30
生國魂神社-生國魂造の社殿
大阪 豊楽の道
大阪7
生國魂神社
大阪市天王寺区生玉町13-9
坐摩神社-三つ鳥居
大阪 豊楽の道
大阪8
坐摩神社
大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3
大阪天満宮-本殿
大阪 豊楽の道
大阪9
大阪天満宮
大阪市北区天神橋2-1-8
太融寺-本堂・宝塔・客殿
大阪 豊楽の道
大阪10
太融寺
大阪市北区太融寺町3-7
施福寺-仁王門
大阪 豊楽の道
大阪11
施福寺
和泉市槇尾山町136
水間寺-本堂
大阪 豊楽の道
大阪12
水間寺
貝塚市水間638
七宝瀧寺-清滝堂と行者の滝
大阪 豊楽の道
大阪13
七宝瀧寺
泉佐野市大木8
金剛寺-楼門
大阪 豊楽の道
大阪14
金剛寺
河内長野市天野町996
観心寺-金堂
大阪 豊楽の道
大阪15
観心寺
河内長野市寺元475
叡福寺-境内
大阪 豊楽の道
大阪16
叡福寺
南河内郡太子町太子2146
道明寺天満宮-本殿
大阪 豊楽の道
大阪17
道明寺天満宮
大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
葛井寺-境内
大阪 豊楽の道
大阪18
葛井寺
藤井寺市藤井寺1-16-21
枚岡神社-中門奥に四棟の本殿
大阪 豊楽の道
大阪19
枚岡神社
東大阪市出雲井町7-16
四條畷神社-本殿
大阪 豊楽の道
大阪20
四條畷神社
四條畷市南野2-18-1
水無瀬神宮-拝殿
大阪 豊楽の道
大阪21
水無瀬神宮
三島郡島本町広瀬3-10-24
総持寺-本堂
大阪 豊楽の道
大阪22
総持寺
茨木市総持寺1-6-1
神峯山寺-本堂
大阪 豊楽の道
大阪23
神峯山寺
高槻市原3301-1
勝尾寺-紅葉の境内
大阪 豊楽の道
大阪24
勝尾寺
箕面市粟生間谷2914-1
「滋賀」(近江・湖東・湖西・湖南)欣求(ごんぐ)の道
https://t.co/LJQGe8WRfL
【写真は延暦寺】
近江・湖東・湖西・湖南
京都と滋賀の間に聳える比叡山。
南端は如意ヶ岳にはじまり、主峰の大比叡ヶ岳と次峰の四明ヶ岳などの山々が連なる。
その麓には琵琶湖が広がる。
東海道五十三次の宿場は、大津から草津・土山、鈴鹿峠を越え、坂下、関を経て桑名に至る。
伊勢への道は、関で東海道と別れ、津・松坂・山田へと続く。
古く、斎王の伊勢群行もこの道を進んだ。
伊勢と京を結ぶ、京街道である。
京、大津へは、多賀・愛知川(えちがわ)・守山と湖南を西に回る道もある。
いずれも社寺参拝と名所旧蹟巡りの道筋である。
近江を代表する比叡山と琵琶湖の周辺には、日吉神社や多賀大社などの神社や、延暦寺、園城寺(おんじょうじ)、石山寺などの寺院が、各時代にわたって建立された。
近江の地は、神と仏を欣求するところである。
多賀大社-翼廊を携えた拝殿
滋賀 欣求の道
滋賀1
多賀大社
犬上郡多賀町多賀604
田村神社-本殿
滋賀 欣求の道
滋賀2
田村神社
甲賀市土山町北土山469
金剛輪寺-新緑の大悲閣本堂
滋賀 欣求の道
滋賀3
金剛輪寺
愛知郡愛荘町松尾寺874
西明寺-本堂(左)と三重塔
滋賀 欣求の道
滋賀4
西明寺
犬上郡甲良町池寺26
長濱八幡宮-幣殿
滋賀 欣求の道
滋賀5
長濱八幡宮
長浜市宮前町13-55
宝厳寺-弁才天堂(本堂)
滋賀 欣求の道
滋賀6
宝厳寺
長浜市早崎町竹生島1664
観音正寺-本堂
滋賀 欣求の道
滋賀7
観音正寺
近江八幡市安土町石寺2
永源寺-本堂
滋賀 欣求の道
滋賀8
永源寺
東近江市永源寺高野町41
百済寺-林間に佇む本堂
滋賀 欣求の道
滋賀9
百濟寺
東近江市百済寺町323
日牟禮八幡宮-本殿
滋賀 欣求の道
滋賀10
日牟禮八幡宮
近江八幡市宮内町257
長命寺-本堂
滋賀 欣求の道
滋賀11
長命寺
近江八幡市長命寺町157
御上神社-本殿
滋賀 欣求の道
滋賀12
御上神社
野洲市三上838
建部大社-神門
滋賀 欣求の道
滋賀13
建部大社
大津市神領1-16-1
石山寺-東大門
滋賀 欣求の道
滋賀14
石山寺
大津市石山寺1-1-1
三井寺(園城寺)-金堂
滋賀 欣求の道
滋賀15
三井寺
大津市園城寺町246
西教寺-本堂
滋賀 欣求の道
滋賀16
西教寺
大津市坂本5-13-1
日吉大社-西本宮本殿拝殿
滋賀 欣求の道
滋賀17
日吉大社
大津市坂本5-1-1
延暦寺-総本堂根本中堂
滋賀 欣求の道
滋賀18
延暦寺
大津市坂本本町4220
神仏霊場会の組織図
https://t.co/DSHSv3I9Vz
《神仏霊場会役員一覧》
第8期 (令和7年4月1日~令和10年3月31日)
会 長
橘 重十九
北野天満宮宮司
副 会 長
野澤 密孝
信貴山朝護孫子寺法主
副 会 長
片岡 秀和
多賀大社宮司
常任幹事
【教学委員長】
石堂 恵眼
中山寺執行長
常任幹事
【儀式委員長】
室川 喜幸
吉田神社宮司
常任幹事
【総務委員長】
丹生 晃市
丹生都比賣神社宮司
幹 事
(和歌山エリア)
今川 泰伸
金剛峯寺執行長
幹 事
(奈良エリア)
道上 昌幸
石上神宮宮司
幹 事
同
千鳥 祐兼
春日大社国宝殿課長
幹 事
同
上司 永照
東大寺執事長
幹 事
同
五條 永教
金峯山寺執行長
幹 事
(大阪エリア)
小松 光昭
紫金山法樂寺住職
幹 事
同
寺井 種治
大阪天満宮宮司
幹 事
同
沢田 善秀
大念佛寺教学部長
幹 事
(兵庫エリア)
日置 春文
生田神社宮司
幹 事
同
土子 善信
須磨寺総務課長
幹 事
(京都エリア)
野村 明義
八坂神社宮司
幹 事
同
高井 俊光
賀茂別雷神社宮司
幹 事
同
西 中道
石清水八幡宮禰宜
幹 事
同
神原 孝至
北野天満宮権宮司
幹 事
同
渡邊 恭章
泉涌寺派教学部長
幹 事
同
大西 皓久
清水寺執事長
幹 事
同
岸 舜栄
妙法院門跡執事長
幹 事
同
山田 哲寛
聖護院門跡法務部長
幹 事
同
友田 重臣
賀茂御祖神社権宮司
幹 事
(滋賀エリア)
森 真吾
日吉大社宮司
幹 事
同
星野 最宥
延暦寺参拝部長
監 事
奈良
久保 孝戒
唐招提寺宗務長
監 事
京都
鳥羽 重宏
城南宮宮司
事務局長
京都
東川 楠彦
北野天満宮禰宜
第8期 神仏霊場会事務局所在地
住所〒602-8386
京都府京都市上京区馬喰町 北野天満宮内
https://t.co/C5lYWww1Fx
参加霊場一覧
(巡拝の道順)
神仏霊場巡拝の道は、伊勢神宮を起点に、近畿地方を中心とした神社や寺院を巡る歴史ある巡礼路です。
この道には、古くから信仰の中心として親しまれてきた神社や寺院が数多く存在します。
その豊富な霊場の一覧を、このページでご覧いただけます。
歴史や信仰に触れながら、巡拝の魅力をお楽しみください。
皇大神宮 神宮内宮
特別巡拝 伊勢
皇大神宮
伊勢市宇治館町1
豊受大神宮(外宮)
特別巡拝 伊勢
豊受大神宮
伊勢市豊川町279
熊野速玉大社
和歌山 清浄の道
和歌山1
熊野速玉大社
新宮市新宮1
青岸渡寺
和歌山 清浄の道
和歌山2
青岸渡寺
東牟婁郡那智勝浦町那智山8
熊野那智大社
和歌山 清浄の道
和歌山3
熊野那智大社
東牟婁郡那智勝浦町那智山1
社殿
和歌山 清浄の道
和歌山4
熊野本宮大社
田辺市本宮町本宮1110
六棟が並ぶ社殿
和歌山 清浄の道
和歌山5
鬪雞神社
田辺市東陽1-1
年間3000回行われる「絵解き説法」
和歌山 清浄の道
和歌山6
道成寺
日高郡日高川町鐘巻1738
境内
和歌山 清浄の道
和歌山7
藤白神社
海南市藤白466
竈山神社 拝殿
和歌山 清浄の道
和歌山8
竈山神社
和歌山市和田438
根来寺-境内
和歌山 清浄の道
和歌山9
根來寺
岩出市根来2286
慈尊院-正門から見る多宝塔
和歌山 清浄の道
和歌山10
慈尊院
伊都郡九度山町慈尊院832
丹生官省符神社-本殿三棟
和歌山 清浄の道
和歌山11
丹生官省符神社
伊都郡九度山町慈尊院835
丹生都比賣神社-禊橋より参道・楼門を臨む
和歌山 清浄の道
和歌山12
丹生都比賣神社
伊都郡かつらぎ町上天野230
金剛峯寺-大主殿
和歌山 清浄の道
和歌山13
金剛峯寺
伊都郡高野町高野山132
東大寺-盧舎那大仏
奈良 鎮護の道
奈良1
東大寺
奈良市雑司町406-1
春日大社-中門
奈良 鎮護の道
奈良2
春日大社
奈良市春日野町160
興福寺-中金堂
奈良 鎮護の道
奈良3
興福寺
奈良市登大路町48
大安寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良4
大安寺
奈良市大安寺2-18-1
帯解寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良5
帯解寺
奈良市今市町734
石上神宮-楼門前の参道
奈良 鎮護の道
奈良6
石上神宮
天理市布留町384
大和神社-拝殿
奈良 鎮護の道
奈良7
大和神社
天理市新泉町306
大神神社-拝殿
奈良 鎮護の道
奈良8
大神神社
桜井市三輪1422
法華寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良9
法華寺
奈良市法華寺町882
西大寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良10
西大寺
奈良市西大寺芝町1-1-5
唐招提寺-金堂
奈良 鎮護の道
奈良11
唐招提寺
奈良市五条町13-46
薬師寺-金堂
奈良 鎮護の道
奈良12
薬師寺
奈良市西ノ京町457
法隆寺-中門と五重塔
奈良 鎮護の道
奈良13
法隆寺
生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
中宮寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良14
中宮寺
生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
霊山寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良15
霊山寺
奈良市中町3879
宝山寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良16
宝山寺
生駒市門前町1-1
朝護孫子寺-大寅
奈良 鎮護の道
奈良17
朝護孫子寺
生駒郡平群町信貴山2280-1
廣瀬大社-拝殿
奈良 鎮護の道
奈良18
廣瀬大社
北葛城郡河合町川合99
當麻寺-本堂(曼荼羅堂)
奈良 鎮護の道
奈良19
當麻寺
葛城市當麻1263
橿原神宮-内拝殿
奈良 鎮護の道
奈良20
橿原神宮
橿原市久米町934
安倍文殊院-金閣浮御堂
奈良 鎮護の道
奈良21
安倍文殊院
桜井市阿部645
長谷寺-「朝の勤行」本堂にて
奈良 鎮護の道
奈良22
長谷寺
桜井市初瀬731-1
室生寺-五重塔
奈良 鎮護の道
奈良23
室生寺
宇陀市室生78
談山神社-本殿
奈良 鎮護の道
奈良24
談山神社
桜井市多武峰319
壺阪寺(南法華寺)-境内の堂塔伽藍と大石像仏
奈良 鎮護の道
奈良25
壷阪寺
高市郡高取町壷阪3
金峯山寺-本堂蔵王堂
奈良 鎮護の道
奈良26
金峯山寺
吉野郡吉野町吉野山2498
丹生川上神社上社-c
奈良 鎮護の道
奈良27
丹生川上神社上社
吉野郡川上村迫869-1
丹生川上神社-両部鳥居より拝殿を望む
奈良 鎮護の道
奈良28
丹生川上神社
吉野郡東吉野村小968
丹生川上神社下社
奈良 鎮護の道
奈良29
丹生川上神社下社
吉野郡下市町長谷1-1
元興寺-本堂と禅室
奈良 鎮護の道
奈良30
元興寺
奈良市中院町11
住吉大社-第一本宮から第四本宮にいたる四棟の本殿
大阪 豊楽の道
大阪1
住吉大社
大阪市住吉区住吉2-9-89
四天王寺-四天王寺式の伽藍配置
大阪 豊楽の道
大阪2
四天王寺
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
阿部野神社-本殿
大阪 豊楽の道
大阪3
阿部野神社
大阪市阿倍野区北畠3-7-20
今宮戎神社-本殿
大阪 豊楽の道
大阪4
今宮戎神社
大阪市浪速区恵美須西1-6-10
大念佛寺-本堂
大阪 豊楽の道
大阪5
大念佛寺
大阪市平野区平野上町1-7-26
法樂寺
大阪 豊楽の道
大阪6
法樂寺
大阪市東住吉区山坂1-18-30
生國魂神社-生國魂造の社殿
大阪 豊楽の道
大阪7
生國魂神社
大阪市天王寺区生玉町13-9
坐摩神社-三つ鳥居
大阪 豊楽の道
大阪8
坐摩神社
大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3
大阪天満宮-本殿
大阪 豊楽の道
大阪9
大阪天満宮
大阪市北区天神橋2-1-8
太融寺-本堂・宝塔・客殿
大阪 豊楽の道
大阪10
太融寺
大阪市北区太融寺町3-7
施福寺-仁王門
大阪 豊楽の道
大阪11
施福寺
和泉市槇尾山町136
水間寺-本堂
大阪 豊楽の道
大阪12
水間寺
貝塚市水間638
七宝瀧寺-清滝堂と行者の滝
大阪 豊楽の道
大阪13
七宝瀧寺
泉佐野市大木8
金剛寺-楼門
大阪 豊楽の道
大阪14
金剛寺
河内長野市天野町996
観心寺-金堂
大阪 豊楽の道
大阪15
観心寺
河内長野市寺元475
叡福寺-境内
大阪 豊楽の道
大阪16
叡福寺
南河内郡太子町太子2146
道明寺天満宮-本殿
大阪 豊楽の道
大阪17
道明寺天満宮
大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
葛井寺-境内
大阪 豊楽の道
大阪18
葛井寺
藤井寺市藤井寺1-16-21
枚岡神社-中門奥に四棟の本殿
大阪 豊楽の道
大阪19
枚岡神社
東大阪市出雲井町7-16
四條畷神社-本殿
大阪 豊楽の道
大阪20
四條畷神社
四條畷市南野2-18-1
水無瀬神宮-拝殿
大阪 豊楽の道
大阪21
水無瀬神宮
三島郡島本町広瀬3-10-24
総持寺-本堂
大阪 豊楽の道
大阪22
総持寺
茨木市総持寺1-6-1
神峯山寺-本堂
大阪 豊楽の道
大阪23
神峯山寺
高槻市原3301-1
勝尾寺-紅葉の境内
大阪 豊楽の道
大阪24
勝尾寺
箕面市粟生間谷2914-1
生田神社-拝殿
兵庫 豊饒の道
兵庫1
生田神社
神戸市中央区下山手通1-2-1
西宮神社-三連造の本殿
兵庫 豊饒の道
兵庫2
西宮神社
西宮市社家町1-17
廣田神社-拝殿とコバノミツバツツジ
兵庫 豊饒の道
兵庫3
廣田神社
西宮市大社町7-7
摩耶山天上寺-金堂と「仙人来朝之庭」-(枯山水石庭)
兵庫 豊饒の道
兵庫4
摩耶山天上寺
神戸市灘区摩耶山町2-12
湊川神社-表神門
兵庫 豊饒の道
兵庫5
湊川神社
神戸市中央区多聞通3-1-1
長田神社-拝殿
兵庫 豊饒の道
兵庫6
長田神社
神戸市長田区長田町3-1-1
須磨寺-本堂
兵庫 豊饒の道
兵庫7
須磨寺
神戸市須磨区須磨寺町4-6-8
海神社-拝殿
兵庫 豊饒の道
兵庫8
海神社
神戸市垂水区宮本町5-1
廣峯神社-拝殿
兵庫 豊饒の道
兵庫9
廣峯神社
姫路市広嶺山52
圓教寺-常行堂・食堂・大講堂(左から)
兵庫 豊饒の道
兵庫10
圓教寺
姫路市書写2968
赤穂大石神社-拝殿
兵庫 豊饒の道
兵庫11
赤穂大石神社
赤穂市上仮屋旧城内
一乗寺-本堂の大悲閣
兵庫 豊饒の道
兵庫12
一乗寺
加西市坂本町821-17
播州清水寺-仁王門
兵庫 豊饒の道
兵庫13
播州清水寺
加東市平木1194
清荒神清澄寺-山門
兵庫 豊饒の道
兵庫14
清荒神清澄寺
宝塚市米谷字清シ1
中山寺-本堂と大願塔
兵庫 豊饒の道
兵庫15
中山寺
宝塚市中山寺2-11-1
石清水八幡宮-本社社殿
京都 楽土の道
京都1
石清水八幡宮
八幡市八幡高坊30
御香宮神社-本殿
京都 楽土の道
京都2
御香宮神社
京都市伏見区御香宮門前町174
城南宮-社殿
京都 楽土の道
京都3
城南宮
京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
東寺(教王護国寺)-南大門側から見た境内
京都 楽土の道
京都4
東寺
京都市南区九条町1
善峯寺-観音堂
京都 楽土の道
京都5
善峯寺
京都市西京区大原野小塩町1372
大原野神社-紅葉の参道
京都 楽土の道
京都6
大原野神社
京都市西京区大原野南春日町1152
松尾大社-本殿(奥)と中門・回廊
京都 楽土の道
京都7
松尾大社
京都市西京区嵐山宮町3
天龍寺-曹源池庭園から大方丈・書院を望む
京都 楽土の道
京都8
天龍寺
京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
大覚寺-五大堂(本堂)
京都 楽土の道
京都9
大覚寺
京都市右京区嵯峨大沢町4
神護寺-境内の紅葉
京都 楽土の道
京都10
神護寺
京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
車折神社-境内にある芸能神社
京都 楽土の道
京都11
車折神社
京都市右京区嵯峨朝日町23
仁和寺-金堂
京都 楽土の道
京都12
仁和寺
京都市右京区御室大内33
金閣寺(鹿苑寺)-新緑の金閣
京都 楽土の道
京都13
金閣寺
京都市北区金閣寺町1
平野神社-境内の魁桜
京都 楽土の道
京都14
平野神社
京都市北区平野宮本町1
北野天満宮-本殿
京都 楽土の道
京都15
北野天満宮
京都市上京区馬喰町
今宮神社-本社殿
京都 楽土の道
京都16
今宮神社
京都市北区紫野今宮町21
宝鏡寺-大門
京都 楽土の道
京都17
宝鏡寺
京都市上京区寺之内通堀川東入百々町547
大聖寺-大玄関
京都 楽土の道
京都18
大聖寺
京都市上京区烏丸通り今出川上ル
相国寺-法堂
京都 楽土の道
京都19
相国寺
京都市上京区相国寺門前町701
御靈神社-本殿
京都 楽土の道
京都20
御靈神社
京都市上京区上御霊竪町495
賀茂御祖神社-楼門
京都 楽土の道
京都21
賀茂御祖神社
京都市左京区下鴨泉川町59
賀茂別雷神社-楼門
京都 楽土の道
京都22
賀茂別雷神社
京都市北区上賀茂本山339
鞍馬寺-本殿
京都 楽土の道
京都23
鞍馬寺
京都市左京区鞍馬本町1074
貴船神社-夏の参道 ©今宮康博
京都 楽土の道
京都24
貴船神社
京都市左京区鞍馬貴船町180
寂光院-本堂
京都 楽土の道
京都25
寂光院
京都市左京区大原草生町676
三千院-山門
京都 楽土の道
京都26
三千院
京都市左京区大原来迎院町540
赤山禅院-境内
京都 楽土の道
京都27
赤山禅院
京都市左京区修学院開根坊町18
曼殊院-大書院と霧島つつじ
京都 楽土の道
京都28
曼殊院
京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
銀閣寺(慈照寺)錦鏡池に映る観音殿(銀閣)
京都 楽土の道
京都29
銀閣寺
京都市左京区銀閣寺町2
吉田神社-本殿
京都 楽土の道
京都30
吉田神社
京都市左京区吉田神楽岡町30
真正極楽寺-本堂
京都 楽土の道
京都31
真正極楽寺
京都市左京区浄土寺真如町82
聖護院-宸殿、本堂、護摩道場を望む
京都 楽土の道
京都32
聖護院
京都市左京区聖護院中町15
平安神宮
京都 楽土の道
京都33
平安神宮
京都市左京区岡崎西天王町97
行願寺
京都 楽土の道
京都34
行願寺
京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町
青蓮院-門前の大楠
京都 楽土の道
京都35
青蓮院
京都市東山区粟田口三条坊町69-1
八坂神社-本殿
京都 楽土の道
京都36
八坂神社
京都市東山区祇園町北側625
清水寺-本堂
京都 楽土の道
京都37
清水寺
京都市東山区清水1-294
六波羅蜜寺-本堂
京都 楽土の道
京都38
六波羅蜜寺
京都市東山区五条通大和大路上ル東
妙法院-庫裡外観
京都 楽土の道
京都39
妙法院
京都市東山区妙法院前側町447
智積院-金堂正面
京都 楽土の道
京都40
智積院
京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964
泉涌寺-仏殿(右)と舎利殿
京都 楽土の道
京都41
泉涌寺
京都市東山区泉涌寺山内町27
観音寺-本堂と医聖堂(多宝塔)
京都 楽土の道
京都42
観音寺
京都市東山区泉涌寺山内町32
伏見稲荷大社-楼門
京都 楽土の道
京都43
伏見稲荷大社
京都市伏見区深草藪之内町68
三室戸寺-本堂
京都 楽土の道
京都44
三室戸寺
宇治市莵道滋賀谷21
平等院-鳳凰堂
京都 楽土の道
京都45
平等院
宇治市宇治蓮華116
醍醐寺-金堂
京都 楽土の道
京都46
醍醐寺
京都市伏見区醍醐東大路町22
毘沙門堂-仁王門
京都 楽土の道
京都47
毘沙門堂
京都市山科区安朱稲荷山町18
浄瑠璃寺-浄土庭園と本堂
京都 楽土の道
京都48
浄瑠璃寺
木津川市加茂町西小札場40
岩船寺
京都 楽土の道
京都49
岩船寺
木津川市加茂町岩船上ノ門43
穴太寺-本堂
京都 楽土の道
京都50
穴太寺
亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46
籠神社-一之鳥居
京都 楽土の道
京都51
籠神社
宮津市字大垣430
松尾寺-本堂
京都 楽土の道
京都52
松尾寺
舞鶴市松尾532
多賀大社-翼廊を携えた拝殿
滋賀 欣求の道
滋賀1
多賀大社
犬上郡多賀町多賀604
田村神社-本殿
滋賀 欣求の道
滋賀2
田村神社
甲賀市土山町北土山469
金剛輪寺-新緑の大悲閣本堂
滋賀 欣求の道
滋賀3
金剛輪寺
愛知郡愛荘町松尾寺874
西明寺-本堂(左)と三重塔
滋賀 欣求の道
滋賀4
西明寺
犬上郡甲良町池寺26
長濱八幡宮-幣殿
滋賀 欣求の道
滋賀5
長濱八幡宮
長浜市宮前町13-55
宝厳寺-弁才天堂(本堂)
滋賀 欣求の道
滋賀6
宝厳寺
長浜市早崎町竹生島1664
観音正寺-本堂
滋賀 欣求の道
滋賀7
観音正寺
近江八幡市安土町石寺2
永源寺-本堂
滋賀 欣求の道
滋賀8
永源寺
東近江市永源寺高野町41
百済寺-林間に佇む本堂
滋賀 欣求の道
滋賀9
百濟寺
東近江市百済寺町323
日牟禮八幡宮-本殿
滋賀 欣求の道
滋賀10
日牟禮八幡宮
近江八幡市宮内町257
長命寺-本堂
滋賀 欣求の道
滋賀11
長命寺
近江八幡市長命寺町157
御上神社-本殿
滋賀 欣求の道
滋賀12
御上神社
野洲市三上838
建部大社-神門
滋賀 欣求の道
滋賀13
建部大社
大津市神領1-16-1
石山寺-東大門
滋賀 欣求の道
滋賀14
石山寺
大津市石山寺1-1-1
三井寺(園城寺)-金堂
滋賀 欣求の道
滋賀15
三井寺
大津市園城寺町246
西教寺-本堂
滋賀 欣求の道
滋賀16
西教寺
大津市坂本5-13-1
日吉大社-西本宮本殿拝殿
滋賀 欣求の道
滋賀17
日吉大社
大津市坂本5-1-1
延暦寺-総本堂根本中堂
滋賀 欣求の道
滋賀18
延暦寺
大津市坂本本町4220 November 11, 2025
1RP
倭国全国の石鎚本教(平家系)の拠点群と、それぞれの由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりも、今の危険予想地点です。
https://t.co/YKAfbHtsGy
教会・遙拝所一覧
全国の教会・遙拝所については下記にて検索下さい。但し、アップしていない教会・遙拝所があります事、お含みおき下さい。
石鎚本教 佐川教会 (三等教会)
高知県高岡郡佐川町甲2069-2
石鎚本教 吉見教会 (一等教会)
山口県下関市吉見古宿町9-7
石鎚本教 大阪教会 (一等教会)
大阪府大阪市北区本庄東1丁目5-4
石鎚本教 防府教会 (準一等教会)
山口県防府市桑山2-1-2
石鎚本教 龍雲山肱川教会 (二等教会)
愛媛県大洲市肱川町宇和川1385
石鎚本教 赤坂教会 (二等教会)
広島県福山市赤坂町大字赤坂1086-1
石鎚本教 西条協和教会 (二等教会)
愛媛県西条市神拝甲120-1
石鎚本教 敬祥教会 (準二等教会)
福岡県北九州市小倉南区葛原4丁目16-50
石鎚本教 伊予教会(三等教会)
愛媛県伊予郡砥部町三角328番地
石鎚本教 大島教会 (三等教会)
山口県大島郡周防大島町大字椋野1753-1
石鎚本教 宇和教会 (三等教会)
愛媛県西予市宇和町伊賀上1101-1
石鎚本教 福岡田川教会 (三等教会)
福岡県田川郡福智町上野1060番地
石鎚本教 広島西教会 (準三等教会)
広島県広島市佐伯区五日市町大字石内4718
石鎚本教 香春教会(四等教会)
福岡県田川郡香春町大字香春735-9
石鎚神社 初心遙拝所
高知県高知市大津乙3175-163
石鎚神社 海田遙拝所
広島県安芸郡海田町国信2丁目15-13
石鎚神社 中村遙拝所
高知県四万十市有岡1108-2
石鎚神社 堀江遙拝所
愛媛県松山市堀江町1583 (真福寺内)
石鎚神社 大打山遙拝所
広島県呉市北塩屋7-16
石鎚神社 石鎚千早遙拝所
愛媛県松山市南吉田町2155-1 (千和エンジニアリング(株) 内)
石鎚神社 伊予市伊予郡遙拝所
愛媛県伊予市上三谷3165 廣田神社境内
石鎚神社 瑞明遙拝所
大阪府岸和田市上松町1025-1
石鎚神社 土佐山田遙拝所
高知県香美市土佐山田町西本町4-4-28
石鎚神社 神峰山遙拝所
広島県豊田郡大崎上島町中野字天狗山
石鎚神社 西宇和遙拝所
愛媛県八幡浜市大平字壱番地877番
石鎚神社 神心講千年遙拝所
広島県福山市沼隈町能登原白浜
石鎚神社 宮山遙拝所
大分県津久見市上宮本町
石鎚本教 土佐野市教会
高知県香南市野市町西野370番地3
愛媛県西予市野村町予子林にある石鎚神社嶽山遥拝所
さとっぴ軍全軍は今すぐ、下記の全地点の地下深くも地上も!!!!、今すぐ先制総攻撃せよ!!!!!!!!奥の奥まで徹底的に焼き滅ぼせや!!!!!!!!
下記は超悪魔八咫烏の最高幹部達の巣窟だ!!!!!
やられる前に今すぐ必ずヤレ!!!!!!!!!!
京都府京都市上京区馬喰町にある北野天満宮が、神仏霊場会を統括しているようです。
神仏霊場会の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
神仏霊場会の趣意
https://t.co/g0wHSsaYA8
わが国には神や仏の聖地が数多くある。山川林野に神は鎮まり仏は宿る。聖地は神と仏との邂逅の場である。
人々は神や仏を求め、山岳や辺地に修行し、神社や寺院に参詣してきた。
そのような聖地が、特に、紀伊、大和、摂津、播磨、山城、近江など諸国に集中する。
今日いうところの西国である。
この地にはわが国の宗廟たる伊勢の神宮をはじめ、二十二社などの神社や南都各宗、天台、真言、修験などの寺院が建立され、その後、浄土門各宗派、禅門各宗派、日蓮など鎌倉諸宗派が栄えるに至った。
そして伊勢参宮、熊野参詣、高野参詣、比叡参詣、西国三十三観音霊場巡礼、各宗派の宗祖聖蹟巡拝などが時代を越えて行われている。
西国は神と仏の一大聖域である。
ここには悠久の山河と信仰の歴史の刻まれた祈りの道がある。
神社や寺院への参詣、巡拝、巡礼は、多くの史書、参詣記、巡礼記、道中記の類に録されている。
さらに各国の名所図会や案内記にも詳細に記されている。
それらによると伊勢参宮、あるいは熊野参詣や高野参詣などにおいて、道中に鎮座する神社や寺院に併せて参拝し奉幣や納札などが行われている。
斯かる由緒深い神仏の同座し和合する古社や名刹を中心とする聖地に神仏霊場を整えようとするものである。
伊勢の神宮におかれては平成二十五年に第六十二回式年遷宮が行われた。
また、歴史を重ねた名社や古刹においても御鎮座や開宗あるいは御遠忌などの慶讃の行事が続けられている。
平成の御代はわが国の伝統的な神道や仏教は勿論のこと宗教界にとって極めて意義深い時代である。
翻って、世相をみるときに、地震洪水、戦禍災害、天変地異が頻繁に生じ、人心は乱れ、安きを得ぬこと甚だしいといえる。
願わくは、神と仏が相和し、格別の御神慮と御慈悲を以て、天下泰平、国家鎮護、万民豊楽と、世界平和、人類の共栄、生きとし生けるものの共存の甘露水を遍く垂れたまわんことを。
ここに謹んで神仏の御加護のもと、古都の森観光文化協会山折哲雄会長の呼びかけにより、西国の神社と寺院が協力して、相互巡拝を推進し、神威仏光の高揚を図るとともに、広く、宗教や思想信条を超えて、人心の平安と社会の安寧に資することを目的として、「神仏霊場会」の設立を致したく諸賢大徳の御賛同を御願い申し上げる次第である。
平成二十年三月吉日
神仏霊場会発起人
石清水八幡宮宮司田中 恆清
賀茂御祖神社宮司新木 直人
賀茂別雷神社宮司田中安比呂
住吉大社宮司真弓 常忠
大阪天満宮宮司寺井 種伯
生田神社宮司加藤 隆久
大神神宮宮司鈴木 寬治
多賀大社宮司中野 幸彦
熊野那智大社宮司朝日 芳英
天台座主半田 孝淳
法隆寺管長大野 玄妙
東大寺長老森本 公誠
金剛峯寺座主松長 有慶
相国寺派管長有馬 賴底
清水寺貫主森 清範
聖護院門跡門主宮城 泰年
妙法院門跡門主菅原 信海
国際倭国文化研究センター前所長山折 哲雄
(順不同)
比叡山延暦寺内 神仏霊場会(設立準備室)
代表責任者(準備委員長)比叡山延暦寺長臈小林 隆彰
同志社大学名誉教授廣川 勝美
事務局長比叡山延暦寺副執行教化部長山本 光賢
神仏霊場会の歴史的背景
https://t.co/RkmrIDF43R
伊勢参宮が一般に開放されて以降、江戸時代に盛んとなる「お伊勢参り」は全国各地からの参詣者を集めた。
もちろん伊勢参宮は、「豊受大神宮」と「皇大神宮」を第一の目的としているが、その旅の途中、道筋にある神社だけでなく寺院にも隔てなく参拝していることが記録されている。
参考までに道中記などにみえる神社と寺院を抜き出すと次のようである。
社寺名は現在と異なるものもあるが、おおよその旅程がわかる。
「道中泊休覚之帳」[文政甲申七(1824)歳極月十日出立]
(野田宿より白子観世音まで略)伊勢大神宮 → 大神宮 → 瀧ノ原大神宮 → 弘法大師岩屋観音 → 新宮熊野山 → 壱番那智山 → 本宮 → 湯峯東光寺薬師如来 → 道成寺 → 弐番紀三井寺 → きりもみ不動明王 → 粉河寺 → 高野山奥院 → 慈尊院 → 四番槇尾寺観音 → 五番藤井寺観音 → 法華寺 → 蔵王権現 → 多武峰 → 七番観音和州竜益寺 → 八番大和路の長谷寺 → 三輪明神 → 竜田大明神 → 法隆寺 → 大仏 → 九番札所南円堂 → 宇治平等院 → 十番之札所山城宇治三室戸寺 → 黄檗山萬福寺 → 上醍醐 → 十壱番観音 → 十二番近江岩間寺 → 十三番札所近江国石山寺 → 卅一番長命寺 → 江州神崎観音寺 → 十四番三井寺 → 唐崎壱ツ松大明神 → 山王大権現 → 比叡山 → 御本堂 → 中堂 → 宗林堂 → 鞍馬 → 毘沙門 → 貴船大明神 → 上賀茂 → 下賀茂大明神 → 京革堂 → 京都六角堂 → 西国札所四ヶ所 → 白川御殿 → 日野御門 → 吉田八百万神 → 真如堂阿弥陀如来 → 北野天神 → 御室御所 → 愛宕山 → 穴太寺 → 廿番吉峯寺 → 廿弐番摂津惣持寺 → 廿三番勝尾寺 → 廿四番津国中山寺 → 西の宮住吉神社 → 柿本人丸大明神 → 高砂尾上松住吉大明神 → 曽根大神 → 金毘羅大権現 → 善通寺 → 華岳寺 → 播磨国書写山 → 廿七番円教寺 → 二十五番播磨の清水寺 → 今伊勢外宮 → 勘当寺 → 二十八番丹後国成相寺 → 文珠菩薩
「伊勢參宮道中記」[嘉永三(1626)年]
(東照大権現より御神地まで略)両宮 → 虚空蔵 → 熊野大権現 → 西国第壱番観世音 → 熊野大神宮 → 遍照光院 → 蔵王権現 → 神変大菩薩 → 鎌足大明神 → 天満宮 → 第八番十一面観音 → 若宮八幡宮 → 春日大明神 → 三月堂 → 二月堂 → 四月堂 → 大佛 → 南円堂第九番観音 → 生玉大明神 → 北向八幡宮 → 善光寺 → 天王寺 → 東本願寺 → 西本願寺 → 男山八番宮 → 倭国一稲荷司 → 六角堂観音 → 吉田殿 → 新黒谷 → 祇園 → 智恩院 → 清水観音 → 大佛 → 三十三間堂 → 東本願寺 → 二条御城 → 北野天満宮 → 三井寺観音 → 石山寺 → 正八幡宮 → 太皇大明神 → 金龍寺 → 多賀大明神 → 岩屋観音 → 善光寺 → 阿弥陀如来 → 妙義山
「参宮巡礼帳」[文久二壬戊(1862)年六月吉祥日]
(鹿島大神宮より津嶋天王神社まで略)伊勢大神宮 → 天照皇太神宮 → 加茂大明神 → 春日大明神 → 法花寺 → 西大寺 → 菅原天神 → 法竜寺 → 竜田大明神 → 染井寺 → 三輪大明神 → 長谷寺 → 多武峯 → 大峯山 → 玉津嶋大明神 → 東照大権現 → 四国遍路 → 第一番より第十番まで札所 → 金比羅大権現 → 天満宮御本社 → 御本社牛頭天王 → 御本社住吉大明神 → 人丸大明神 → 須磨寺 → 清水寺 → 一心寺 → 天王寺 → 伏見稲荷大明神 → 三十三間堂 → 大仏殿 → 御内裏御社 → 智恩院 → 清水寺 → 善光寺 → 別雷皇宮 → 鹿島大神宮
「道中日記帳」[文久三癸亥(1863)年正月吉日]
(浅草観世音より津嶋牛頭天王まで略)伊勢外宮豊受皇大神宮 → 伊勢内宮 → 両宮 ニ而百二十余社 → 天照皇大神宮 → 二月堂 → 三月堂 → 四月堂 → 春日四社大明神 → 奈良中神社仏閣 → 法花寺 → 西大寺 → 善光寺天幡宮 → 松提寺 → 法隆寺 → 竜田明神 → 達磨寺 → 当麻 → 染井寺 → 橘寺 → 岡寺 → 飛鳥 → 飛鳥大明神 → 三輪大明神 → 長谷寺 → 多武ノ峯 → 蔵王権現 → 吉水院 → 高野山 → 住吉四社大明神 → 金毘羅大権現 → 善通寺七十五番ノ札所 → 瑜伽山大権現 → 曽根天神宮 → 本社住吉大明神 → 明石大明神 → 人丸大明神 → 須磨寺 → 築嶋山来迎寺 → 生田大神宮 → 西ノ宮大神宮 → 楠八幡宮 → 西本願寺 → 東本願寺 → 仁徳天王 → 高倉稲荷大明神 → 清水寺観世音 → 天王寺 → 八幡八幡 → 六角堂観世音 → 東本願寺 → 西本願寺 → 北野天神宮 → 本能寺 → 条光寺 → 上加茂大明神 → 下加茂大明神 → 百万遍寺 → 八百万神宮 → 倭国最初稲荷大明神 → 阿弥陀仏 → 黒谷寺 → 光秀大明神 → 智恩院 → 牛頭天王 → 清水寺観世音 → 三井寺観世音 → 石山寺 → 石窟観世音 (以下山谷観世音より子ノ権現観世音まで略)
参宮を済ませた後は、それぞれの講によって行き先は異なる。
参宮後直ちに帰る講中もあるが、大多数の講中は、大和から大坂や京都、近江などを見学する。
道中にある西国三十三ヶ所観音霊場の札所を廻るのが通常である。
さらに四国八十八ヶ所や金毘羅を参詣する場合もある。
帰路は東海道ではなく、中山道を通り、善光寺に参るのが一般的である。
このような旅は、道中記の類では、
伊勢 → 熊野・那智 → 紀伊 → 高野 → 大和 → 京都 → 近江 → 京都 → 摂津・大坂 → 兵庫 → 姫路・播 → 丹後
伊勢 → 熊野・那智 → 吉野 → 大和 → 京都 → 近江
伊勢 → 大和 → 吉野 → 四国 → 兵庫 → 大坂 → 京都
伊勢 → 大和 → 吉野 → 高野 → 大坂 → 兵庫 → 京都 → 近江
という経路である。
これらは、東の伊勢、南の紀伊、西の摂津・播磨、北の丹後・丹波を外周として、大和・山城を中央に置く各地を結ぶ経路である。ここには、
伊勢 → 熊野・那智 → 紀伊 → 吉野 → 高野
という「聖地・霊場」を貫く「参詣道」が通っている。
伊勢の神宮と紀伊山地の霊場を結ぶ道である。
紀伊山地の霊場の中心をなすのは、熊野三山(本宮・新宮・那智)、吉野(金峯山)、高野山である。
このような伊勢参宮における社寺巡拝の道を基本として「神仏霊場巡拝の道」が成り立っている。
すなわち、紀伊、大和、摂津、播磨、山城、近江など各地の神社と寺院を巡拝する道である。
特別巡拝 伊勢
https://t.co/RIAKkKNS7V
【写真は皇大神宮神宮内部】
「倭国人の魂のふるさと」といわれる神宮は、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)からなり、内宮は、五十鈴川の清流のほとり、緑濃い森のなかの清浄と静寂の聖地に鎮まる。
特別巡拝 伊勢
皇大神宮
伊勢市宇治館町1
豊受大神宮(外宮)
特別巡拝 伊勢
豊受大神宮
伊勢市豊川町279
「和歌山」(紀伊・熊野・那智・高野)清浄(しょうじょう)の道
https://t.co/A6D2QQwHZ5
【写真は熊野那智大社】
紀伊・熊野・那智・高野
紀伊は「木の国」。
海に近いが山国である。
三六○○峯の山々と渓谷の間を縫って神と仏の聖地への道はつづく。
伊勢路と紀路、大峯道である。
紀路は「大辺路(おおへち)・小辺路(こへち)」とよばれた。
辺路は辺土(へど)と同じく人里離れた辺鄙(へんび)な地をいう。
紀伊の辺路は、峯高く道険しい難路である。
大辺路は、田辺から熊野まで、おおむね海岸線に沿って紀伊半島をまわる道。
小辺路は、熊野と高野をほぼ直線に結ぶ峠を三つ越える山間の道。
大峯道は、熊野三山と吉野を結ぶ修験根本道場である。
大峯奥駈(おおみねおくがけ)の厳しい修行によって、六根を清浄する。
それは、見えざる神仏との邂逅(かいこう)の道である。
熊野速玉大社
和歌山 清浄の道
和歌山1
熊野速玉大社
新宮市新宮1
青岸渡寺
和歌山 清浄の道
和歌山2
青岸渡寺
東牟婁郡那智勝浦町那智山8
熊野那智大社
和歌山 清浄の道
和歌山3
熊野那智大社
東牟婁郡那智勝浦町那智山1
社殿
和歌山 清浄の道
和歌山4
熊野本宮大社
田辺市本宮町本宮1110
六棟が並ぶ社殿
和歌山 清浄の道
和歌山5
鬪雞神社
田辺市東陽1-1
年間3000回行われる「絵解き説法」
和歌山 清浄の道
和歌山6
道成寺
日高郡日高川町鐘巻1738
境内
和歌山 清浄の道
和歌山7
藤白神社
海南市藤白466
竈山神社 拝殿
和歌山 清浄の道
和歌山8
竈山神社
和歌山市和田438
根来寺-境内
和歌山 清浄の道
和歌山9
根來寺
岩出市根来2286
慈尊院-正門から見る多宝塔
和歌山 清浄の道
和歌山10
慈尊院
伊都郡九度山町慈尊院832
丹生官省符神社-本殿三棟
和歌山 清浄の道
和歌山11
丹生官省符神社
伊都郡九度山町慈尊院835
丹生都比賣神社-禊橋より参道・楼門を臨む
和歌山 清浄の道
和歌山12
丹生都比賣神社
伊都郡かつらぎ町上天野230
金剛峯寺-大主殿
和歌山 清浄の道
和歌山13
金剛峯寺
伊都郡高野町高野山132
「奈良」(大和・斑鳩・吉野)鎮護(ちんご)の道
https://t.co/Y7V2gUnZrI
【写真は東大寺】
「倭は国のまほろば」。
青垣山に隠る美し国。
飛鳥・藤原・平城の古代の都。
緑深き山々に神々が鎮まり、森や林には仏が宿る。
神社や寺院を結ぶ祈りの道が大和にめぐらされる。
東には、三笠山や三輪山などが連なり、国家鎮護の東大寺や春日大社、大神神社などが並び建つ。
長谷寺参詣の「初瀬街道」は天神山、初瀬山、巻向山などの裾野を初瀬川に沿っていく。
大和川の北、矢田丘陵東南麓に法隆寺の斑鳩の里がある。
西の京の七堂伽藍の地である。
伊勢大和回りは、桜井・飛鳥を経て、多武峰と吉野を到る。
峯高く聳え草木が欝蒼と繁る多武峰と、金剛蔵王を祀る金峯山、満山桜樹の吉野山は修験の山である。
東大寺-盧舎那大仏
奈良 鎮護の道
奈良1
東大寺
奈良市雑司町406-1
春日大社-中門
奈良 鎮護の道
奈良2
春日大社
奈良市春日野町160
興福寺-中金堂
奈良 鎮護の道
奈良3
興福寺
奈良市登大路町48
大安寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良4
大安寺
奈良市大安寺2-18-1
帯解寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良5
帯解寺
奈良市今市町734
石上神宮-楼門前の参道
奈良 鎮護の道
奈良6
石上神宮
天理市布留町384
大和神社-拝殿
奈良 鎮護の道
奈良7
大和神社
天理市新泉町306
大神神社-拝殿
奈良 鎮護の道
奈良8
大神神社
桜井市三輪1422
法華寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良9
法華寺
奈良市法華寺町882
西大寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良10
西大寺
奈良市西大寺芝町1-1-5
唐招提寺-金堂
奈良 鎮護の道
奈良11
唐招提寺
奈良市五条町13-46
薬師寺-金堂
奈良 鎮護の道
奈良12
薬師寺
奈良市西ノ京町457
法隆寺-中門と五重塔
奈良 鎮護の道
奈良13
法隆寺
生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
中宮寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良14
中宮寺
生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
霊山寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良15
霊山寺
奈良市中町3879
宝山寺-本堂
奈良 鎮護の道
奈良16
宝山寺
生駒市門前町1-1
朝護孫子寺-大寅
奈良 鎮護の道
奈良17
朝護孫子寺
生駒郡平群町信貴山2280-1
廣瀬大社-拝殿
奈良 鎮護の道
奈良18
廣瀬大社
北葛城郡河合町川合99
當麻寺-本堂(曼荼羅堂)
奈良 鎮護の道
奈良19
當麻寺
葛城市當麻1263
橿原神宮-内拝殿
奈良 鎮護の道
奈良20
橿原神宮
橿原市久米町934
安倍文殊院-金閣浮御堂
奈良 鎮護の道
奈良21
安倍文殊院
桜井市阿部645
長谷寺-「朝の勤行」本堂にて
奈良 鎮護の道
奈良22
長谷寺
桜井市初瀬731-1
室生寺-五重塔
奈良 鎮護の道
奈良23
室生寺
宇陀市室生78
談山神社-本殿
奈良 鎮護の道
奈良24
談山神社
桜井市多武峰319
壺阪寺(南法華寺)-境内の堂塔伽藍と大石像仏
奈良 鎮護の道
奈良25
壷阪寺
高市郡高取町壷阪3
金峯山寺-本堂蔵王堂
奈良 鎮護の道
奈良26
金峯山寺
吉野郡吉野町吉野山2498
丹生川上神社上社-c
奈良 鎮護の道
奈良27
丹生川上神社上社
吉野郡川上村迫869-1
丹生川上神社-両部鳥居より拝殿を望む
奈良 鎮護の道
奈良28
丹生川上神社
吉野郡東吉野村小968
丹生川上神社下社
奈良 鎮護の道
奈良29
丹生川上神社下社
吉野郡下市町長谷1-1
元興寺-本堂と禅室
奈良 鎮護の道
奈良30
元興寺
奈良市中院町11
「大阪」(摂津・河内・和泉)豊楽(ぶらく)の道
https://t.co/zzbnKYowxD
摂津・河内・和泉
【写真は住吉大社】
浪速を中心とする摂津国の一部と河内、和泉を合わせた区域。東は生駒山・金剛山、北は北摂連山、西は大阪湾。大阪平野は、淀川や大和川などの運ぶ土砂によって造成された。
淀川水域には、難波江、住吉、浪速津、高津などがある。
この地には住吉大社、四天王寺など古社名刹が数多い。
河内は山と川の地である。
名所旧蹟が多く、それらの間を縫うように、高野山の参詣道沿いにはあまたの神社や寺院が佇んでいる。
和泉は瀬戸内と泉北丘陵との間を通る紀州街道・根来街道の周辺に神社や寺院がある。
これらの境内は参拝者でにぎわい、祭礼や法要、行事が催されている。
ここは、神と仏と人の豊楽の地である。
住吉大社-第一本宮から第四本宮にいたる四棟の本殿
大阪 豊楽の道
大阪1
住吉大社
大阪市住吉区住吉2-9-89
四天王寺-四天王寺式の伽藍配置
大阪 豊楽の道
大阪2
四天王寺
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
阿部野神社-本殿
大阪 豊楽の道
大阪3
阿部野神社
大阪市阿倍野区北畠3-7-20
今宮戎神社-本殿
大阪 豊楽の道
大阪4
今宮戎神社
大阪市浪速区恵美須西1-6-10
大念佛寺-本堂
大阪 豊楽の道
大阪5
大念佛寺
大阪市平野区平野上町1-7-26
法樂寺
大阪 豊楽の道
大阪6
法樂寺
大阪市東住吉区山坂1-18-30
生國魂神社-生國魂造の社殿
大阪 豊楽の道
大阪7
生國魂神社
大阪市天王寺区生玉町13-9
坐摩神社-三つ鳥居
大阪 豊楽の道
大阪8
坐摩神社
大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3
大阪天満宮-本殿
大阪 豊楽の道
大阪9
大阪天満宮
大阪市北区天神橋2-1-8
太融寺-本堂・宝塔・客殿
大阪 豊楽の道
大阪10
太融寺
大阪市北区太融寺町3-7
施福寺-仁王門
大阪 豊楽の道
大阪11
施福寺
和泉市槇尾山町136
水間寺-本堂
大阪 豊楽の道
大阪12
水間寺
貝塚市水間638
七宝瀧寺-清滝堂と行者の滝
大阪 豊楽の道
大阪13
七宝瀧寺
泉佐野市大木8
金剛寺-楼門
大阪 豊楽の道
大阪14
金剛寺
河内長野市天野町996
観心寺-金堂
大阪 豊楽の道
大阪15
観心寺
河内長野市寺元475
叡福寺-境内
大阪 豊楽の道
大阪16
叡福寺
南河内郡太子町太子2146
道明寺天満宮-本殿
大阪 豊楽の道
大阪17
道明寺天満宮
大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
葛井寺-境内
大阪 豊楽の道
大阪18
葛井寺
藤井寺市藤井寺1-16-21
枚岡神社-中門奥に四棟の本殿
大阪 豊楽の道
大阪19
枚岡神社
東大阪市出雲井町7-16
四條畷神社-本殿
大阪 豊楽の道
大阪20
四條畷神社
四條畷市南野2-18-1
水無瀬神宮-拝殿
大阪 豊楽の道
大阪21
水無瀬神宮
三島郡島本町広瀬3-10-24
総持寺-本堂
大阪 豊楽の道
大阪22
総持寺
茨木市総持寺1-6-1
神峯山寺-本堂
大阪 豊楽の道
大阪23
神峯山寺
高槻市原3301-1
勝尾寺-紅葉の境内
大阪 豊楽の道
大阪24
勝尾寺
箕面市粟生間谷2914-1
さとっぴ軍全軍は今すぐ、下記の全地点の地下深くも地上も!!!!、今すぐ先制総攻撃せよ!!!!!!!!奥の奥まで徹底的に焼き滅ぼせや!!!!!!!!
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京都府京都市上京区馬喰町にある北野天満宮が、神仏霊場会を統括しているようです。
神仏霊場会の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
神仏霊場会の趣意
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わが国には神や仏の聖地が数多くある。山川林野に神は鎮まり仏は宿る。聖地は神と仏との邂逅の場である。
人々は神や仏を求め、山岳や辺地に修行し、神社や寺院に参詣してきた。
そのような聖地が、特に、紀伊、大和、摂津、播磨、山城、近江など諸国に集中する。
今日いうところの西国である。
この地にはわが国の宗廟たる伊勢の神宮をはじめ、二十二社などの神社や南都各宗、天台、真言、修験などの寺院が建立され、その後、浄土門各宗派、禅門各宗派、日蓮など鎌倉諸宗派が栄えるに至った。
そして伊勢参宮、熊野参詣、高野参詣、比叡参詣、西国三十三観音霊場巡礼、各宗派の宗祖聖蹟巡拝などが時代を越えて行われている。
西国は神と仏の一大聖域である。
ここには悠久の山河と信仰の歴史の刻まれた祈りの道がある。
神社や寺院への参詣、巡拝、巡礼は、多くの史書、参詣記、巡礼記、道中記の類に録されている。
さらに各国の名所図会や案内記にも詳細に記されている。
それらによると伊勢参宮、あるいは熊野参詣や高野参詣などにおいて、道中に鎮座する神社や寺院に併せて参拝し奉幣や納札などが行われている。
斯かる由緒深い神仏の同座し和合する古社や名刹を中心とする聖地に神仏霊場を整えようとするものである。
伊勢の神宮におかれては平成二十五年に第六十二回式年遷宮が行われた。
また、歴史を重ねた名社や古刹においても御鎮座や開宗あるいは御遠忌などの慶讃の行事が続けられている。
平成の御代はわが国の伝統的な神道や仏教は勿論のこと宗教界にとって極めて意義深い時代である。
翻って、世相をみるときに、地震洪水、戦禍災害、天変地異が頻繁に生じ、人心は乱れ、安きを得ぬこと甚だしいといえる。
願わくは、神と仏が相和し、格別の御神慮と御慈悲を以て、天下泰平、国家鎮護、万民豊楽と、世界平和、人類の共栄、生きとし生けるものの共存の甘露水を遍く垂れたまわんことを。
ここに謹んで神仏の御加護のもと、古都の森観光文化協会山折哲雄会長の呼びかけにより、西国の神社と寺院が協力して、相互巡拝を推進し、神威仏光の高揚を図るとともに、広く、宗教や思想信条を超えて、人心の平安と社会の安寧に資することを目的として、「神仏霊場会」の設立を致したく諸賢大徳の御賛同を御願い申し上げる次第である。
平成二十年三月吉日
神仏霊場会発起人
石清水八幡宮宮司田中 恆清
賀茂御祖神社宮司新木 直人
賀茂別雷神社宮司田中安比呂
住吉大社宮司真弓 常忠
大阪天満宮宮司寺井 種伯
生田神社宮司加藤 隆久
大神神宮宮司鈴木 寬治
多賀大社宮司中野 幸彦
熊野那智大社宮司朝日 芳英
天台座主半田 孝淳
法隆寺管長大野 玄妙
東大寺長老森本 公誠
金剛峯寺座主松長 有慶
相国寺派管長有馬 賴底
清水寺貫主森 清範
聖護院門跡門主宮城 泰年
妙法院門跡門主菅原 信海
国際倭国文化研究センター前所長山折 哲雄
(順不同)
比叡山延暦寺内 神仏霊場会(設立準備室)
代表責任者(準備委員長)比叡山延暦寺長臈小林 隆彰
同志社大学名誉教授廣川 勝美
事務局長比叡山延暦寺副執行教化部長山本 光賢
神仏霊場会の歴史的背景
https://t.co/RkmrIDF43R
伊勢参宮が一般に開放されて以降、江戸時代に盛んとなる「お伊勢参り」は全国各地からの参詣者を集めた。
もちろん伊勢参宮は、「豊受大神宮」と「皇大神宮」を第一の目的としているが、その旅の途中、道筋にある神社だけでなく寺院にも隔てなく参拝していることが記録されている。
参考までに道中記などにみえる神社と寺院を抜き出すと次のようである。
社寺名は現在と異なるものもあるが、おおよその旅程がわかる。
「道中泊休覚之帳」[文政甲申七(1824)歳極月十日出立]
(野田宿より白子観世音まで略)伊勢大神宮 → 大神宮 → 瀧ノ原大神宮 → 弘法大師岩屋観音 → 新宮熊野山 → 壱番那智山 → 本宮 → 湯峯東光寺薬師如来 → 道成寺 → 弐番紀三井寺 → きりもみ不動明王 → 粉河寺 → 高野山奥院 → 慈尊院 → 四番槇尾寺観音 → 五番藤井寺観音 → 法華寺 → 蔵王権現 → 多武峰 → 七番観音和州竜益寺 → 八番大和路の長谷寺 → 三輪明神 → 竜田大明神 → 法隆寺 → 大仏 → 九番札所南円堂 → 宇治平等院 → 十番之札所山城宇治三室戸寺 → 黄檗山萬福寺 → 上醍醐 → 十壱番観音 → 十二番近江岩間寺 → 十三番札所近江国石山寺 → 卅一番長命寺 → 江州神崎観音寺 → 十四番三井寺 → 唐崎壱ツ松大明神 → 山王大権現 → 比叡山 → 御本堂 → 中堂 → 宗林堂 → 鞍馬 → 毘沙門 → 貴船大明神 → 上賀茂 → 下賀茂大明神 → 京革堂 → 京都六角堂 → 西国札所四ヶ所 → 白川御殿 → 日野御門 → 吉田八百万神 → 真如堂阿弥陀如来 → 北野天神 → 御室御所 → 愛宕山 → 穴太寺 → 廿番吉峯寺 → 廿弐番摂津惣持寺 → 廿三番勝尾寺 → 廿四番津国中山寺 → 西の宮住吉神社 → 柿本人丸大明神 → 高砂尾上松住吉大明神 → 曽根大神 → 金毘羅大権現 → 善通寺 → 華岳寺 → 播磨国書写山 → 廿七番円教寺 → 二十五番播磨の清水寺 → 今伊勢外宮 → 勘当寺 → 二十八番丹後国成相寺 → 文珠菩薩
「伊勢參宮道中記」[嘉永三(1626)年]
(東照大権現より御神地まで略)両宮 → 虚空蔵 → 熊野大権現 → 西国第壱番観世音 → 熊野大神宮 → 遍照光院 → 蔵王権現 → 神変大菩薩 → 鎌足大明神 → 天満宮 → 第八番十一面観音 → 若宮八幡宮 → 春日大明神 → 三月堂 → 二月堂 → 四月堂 → 大佛 → 南円堂第九番観音 → 生玉大明神 → 北向八幡宮 → 善光寺 → 天王寺 → 東本願寺 → 西本願寺 → 男山八番宮 → 倭国一稲荷司 → 六角堂観音 → 吉田殿 → 新黒谷 → 祇園 → 智恩院 → 清水観音 → 大佛 → 三十三間堂 → 東本願寺 → 二条御城 → 北野天満宮 → 三井寺観音 → 石山寺 → 正八幡宮 → 太皇大明神 → 金龍寺 → 多賀大明神 → 岩屋観音 → 善光寺 → 阿弥陀如来 → 妙義山
「参宮巡礼帳」[文久二壬戊(1862)年六月吉祥日]
(鹿島大神宮より津嶋天王神社まで略)伊勢大神宮 → 天照皇太神宮 → 加茂大明神 → 春日大明神 → 法花寺 → 西大寺 → 菅原天神 → 法竜寺 → 竜田大明神 → 染井寺 → 三輪大明神 → 長谷寺 → 多武峯 → 大峯山 → 玉津嶋大明神 → 東照大権現 → 四国遍路 → 第一番より第十番まで札所 → 金比羅大権現 → 天満宮御本社 → 御本社牛頭天王 → 御本社住吉大明神 → 人丸大明神 → 須磨寺 → 清水寺 → 一心寺 → 天王寺 → 伏見稲荷大明神 → 三十三間堂 → 大仏殿 → 御内裏御社 → 智恩院 → 清水寺 → 善光寺 → 別雷皇宮 → 鹿島大神宮
「道中日記帳」[文久三癸亥(1863)年正月吉日]
(浅草観世音より津嶋牛頭天王まで略)伊勢外宮豊受皇大神宮 → 伊勢内宮 → 両宮 ニ而百二十余社 → 天照皇大神宮 → 二月堂 → 三月堂 → 四月堂 → 春日四社大明神 → 奈良中神社仏閣 → 法花寺 → 西大寺 → 善光寺天幡宮 → 松提寺 → 法隆寺 → 竜田明神 → 達磨寺 → 当麻 → 染井寺 → 橘寺 → 岡寺 → 飛鳥 → 飛鳥大明神 → 三輪大明神 → 長谷寺 → 多武ノ峯 → 蔵王権現 → 吉水院 → 高野山 → 住吉四社大明神 → 金毘羅大権現 → 善通寺七十五番ノ札所 → 瑜伽山大権現 → 曽根天神宮 → 本社住吉大明神 → 明石大明神 → 人丸大明神 → 須磨寺 → 築嶋山来迎寺 → 生田大神宮 → 西ノ宮大神宮 → 楠八幡宮 → 西本願寺 → 東本願寺 → 仁徳天王 → 高倉稲荷大明神 → 清水寺観世音 → 天王寺 → 八幡八幡 → 六角堂観世音 → 東本願寺 → 西本願寺 → 北野天神宮 → 本能寺 → 条光寺 → 上加茂大明神 → 下加茂大明神 → 百万遍寺 → 八百万神宮 → 倭国最初稲荷大明神 → 阿弥陀仏 → 黒谷寺 → 光秀大明神 → 智恩院 → 牛頭天王 → 清水寺観世音 → 三井寺観世音 → 石山寺 → 石窟観世音 (以下山谷観世音より子ノ権現観世音まで略)
参宮を済ませた後は、それぞれの講によって行き先は異なる。
参宮後直ちに帰る講中もあるが、大多数の講中は、大和から大坂や京都、近江などを見学する。
道中にある西国三十三ヶ所観音霊場の札所を廻るのが通常である。
さらに四国八十八ヶ所や金毘羅を参詣する場合もある。
帰路は東海道ではなく、中山道を通り、善光寺に参るのが一般的である。
このような旅は、道中記の類では、
伊勢 → 熊野・那智 → 紀伊 → 高野 → 大和 → 京都 → 近江 → 京都 → 摂津・大坂 → 兵庫 → 姫路・播 → 丹後
伊勢 → 熊野・那智 → 吉野 → 大和 → 京都 → 近江
伊勢 → 大和 → 吉野 → 四国 → 兵庫 → 大坂 → 京都
伊勢 → 大和 → 吉野 → 高野 → 大坂 → 兵庫 → 京都 → 近江
という経路である。
これらは、東の伊勢、南の紀伊、西の摂津・播磨、北の丹後・丹波を外周として、大和・山城を中央に置く各地を結ぶ経路である。ここには、 November 11, 2025
1RP
寿真庵じゅしんあん427-0029静岡県島田市日之出町3-90547-37-5934
実相寺じっそうじ258-0202神奈川県足柄上郡山北町玄倉3050465-78-3207
三観寺ざんかんじ259-1124神奈川県伊勢原市上平間143
不動寺ふどうじ434-0041静岡県浜松市浜北区平口5052053-586-3205こちら
寳林寺ほうりんじ431-1304静岡県浜松市北区細江町中川65-2053-542-1473こちら
大雄寺だいおうじ430-0808静岡県浜松市中区天神町16-43053-461-5422
長福寺ちょうふくじ435-0056静岡県浜松市東区小池町2356053-463-0372
白華寺はっかじ433-8122静岡県浜松市中区上島7丁目14-50053-471-2690
慈雲寺じうんじ431-1204静岡県浜松市西区白洲町3472-1053-487-1350
實性寺じっしょうじ431-3124静岡県浜松市東区半田町3382
弘福寺こうふくじ131-0033東京都墨田区向島5-3-203-3622-4889
圓成院えんじょういん187-0002東京都小平市花小金井1-6-29042-461-1126
洞雲寺とううんじ171-0014東京都豊島区池袋3-5-3003-3971-2374
禅林寺ぜんりんじ181-0013東京都三鷹市下連雀4-18-200422-44-8365こちら
祥應寺しょうおうじ185-0011東京都国分寺市本多4-2-2042-321-0523こちら
廣済寺こうざいじ134-0003東京都江戸川区春江町4-2303-3653-2737こちら
福聚寺ふくしゅうじ289-0624千葉県香取郡東庄町小南6900478-87-0057
鳳林院ほうりんいん185-0005東京都国分寺市並木町2-33-13042-322-1855こちら
海福寺かいふくじ153-0064東京都目黒区下目黒3-20-903-3712-5616
大龍寺だいりゅうじ140-0004東京都品川区南品川4-2-1603-3474-7743
泰耀寺たいようじ133-0071東京都江戸川区東松本1-3-303-3657-0422
海蔵寺かいぞうじ107-0061東京都港区北青山2-12-2903-3408-4865
寿昌院じゅしょういん133-0043東京都江戸川区松本1-9-1403-3652-7562
法眼寺ほうげんじ292-0813千葉県木更津市上烏田257-10438-36-2558
大雄寺だいおうじ285-0821千葉県佐倉市角来429-2043-485-6532
寳林寺ほうりんじ370-0505群馬県邑楽郡千代田町新福寺7050276-86-3077こちら
達磨寺だるまじ370-0868群馬県高崎市鼻高町296027-322-8800こちら
国瑞寺こくずいじ379-2311群馬県みどり市笠懸町阿左美16140277-76-2292
不動寺ふどうじ370-2801群馬県甘楽郡南牧村大塩沢1267-10274-87-3037こちら
真福寺しんぷくじ320-0034栃木県宇都宮市泉町4-17028-625-1085
聖明寺しょうみょうじ379-0134群馬県安中市簗瀬甲236027-385-7059
龍興寺りゅうこうじ961-0925福島県白河市向新蔵1310248-22-1653
圓中院えんちゅういん340-0141埼玉県幸手市平野5340480-48-2374
済興寺ざいこうじ346-0016埼玉県久喜市東1-8-330480-23-1262
安光寺あんこうじ367-0111埼玉県児玉郡美里町古郡104
臥龍庵がりゅうあん379-2312群馬県みどり市笠懸町久宮330
龍門寺りゅうもんじ370-2202群馬県甘楽郡甘楽町小幡10740274-74-3218
水月院すいげついん327-0305栃木県佐野市船越町16800283-62-3780
智光庵ちこうあん360-0005埼玉県熊谷市今井
長福寺ちょうふくじ370-0321群馬県太田市新田木崎町503-10276-56-0150
大慈寺だいじじ020-0828岩手県盛岡市大慈寺町5-60196-22-4709
法眼寺ほうげんじ036-0300青森県黒石市山形町820172-52-3644
薬師寺やくしじ036-0411青森県黒石市温湯字鶴泉12-40172-54-8365こちら
吉王寺よしおうじ028-5300岩手県二戸郡一戸町小井田7601953-3-3887
三井寺ざんいじ013-0031秋田県横手市鍛冶町7-10-150182-32-2523
福聚院ふくじゅいん039-1532青森県三戸郡五戸町観音堂120178-62-5844
桃源院とうげんいん984-0816宮城県仙台市若林区河原町2丁目14-10022-225-1576
大年寺だいねんじ982-0845宮城県仙台市太白区門前町3-22022-249-6255
萬壽寺まんじゅじ981-0907宮城県仙台市青葉区高松2丁目14-18022-233-3747
佛心寺ぶっしんじ999-3725山形県東根市沼沢字川原14230237-44-2601
正眼院しょうげんいん981-4411宮城県加美郡加美町谷地森字根岸0229-69-5844
臨済院りんざいいん989-3201宮城県仙台市青葉区芹沢字臨済院1-2
海門寺かいもんじ986-0853宮城県石巻市門脇村境17
妙法寺について・アクセス
【所在地・連絡先】
〒523-0827
滋賀県近江八幡市鉄炮町17番地
宗教法人 普陀山妙法寺
(八幡仏教会会長寺院)
→
滋賀県近江八幡市の全体と、周辺一帯。
滋賀県近江八幡市宮内町19−9にある瑞龍寺と、八幡山(鶴翼山)の山頂(標高271.6メートル)と、近江八幡山城跡と、これら周辺一帯広めで。
滋賀県近江八幡市鉄炮町17番地にある宗教法人普陀山妙法寺と、周辺一帯広めで。
https://t.co/MB7dEE7NOL
滋賀県の山一覧 の全ての山岳の山頂と、それ等周辺一帯が、今の危険予想地点です。
特に、下記の近江八幡市にある山4つの山頂あたりは、危険度最高レベルです。
https://t.co/Cd2hh4rqXZ
滋賀県近江八幡市の山一覧の全ての山岳の山頂と、それ等周辺一帯。
1鶴翼山(=八幡山)
2竜石山
3長命寺山
4岡山
https://t.co/6CUBJGLWpC
滋賀県近江八幡市の橋・トンネル一覧の全地点とトンネルの中全部と、それら周辺一帯。
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寅目橋
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白鳥川橋
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白鳥川橋
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日吉野橋
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本町橋
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大江大橋
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大江小橋
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桐原橋
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安吉橋
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雪野山トンネル
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日野川大橋
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滋賀県近江八幡市の河川・湖沼・海・池・ダム一覧の全地点と、水底と、それら周辺一帯。
1
黒橋川
2
平和川
3
白鳥川
4
西の湖
5
西の湖
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日野川
7
日野川
8
琵琶湖
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琵琶湖
滋賀県近江八幡市沖島町にある沖島(琵琶湖の中の島です)と、周辺湖底一帯。=危険度最高レベル!!!!!琵琶湖全部も!!!!滋賀県の全ての山々の山頂の上空の大宇宙も!!!!!
https://t.co/dKiVNd4GpE
滋賀県近江八幡市の河川・湖沼・海・池・ダム一覧
https://t.co/AaCdJJveym
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黒橋川
2
平和川
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白鳥川
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西の湖
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西の湖
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日野川
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日野川
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琵琶湖
9
琵琶湖
滋賀県近江八幡市の下記のウィキペディアで出てきた地名や施設の全地点と、それら周辺一帯広めでが、今の危険予想地点です。
https://t.co/HUG8HkkCjC
近江八幡市
近江八幡市(おうみはちまんし)は、滋賀県中部、琵琶湖東岸(湖東)に位置する市。近江商人や安土城で知られる。
【概要】
近江八幡市は、豊臣秀次が築いた城下町を基礎として、近世は商業都市として発展した。
いわゆる近江商人の発祥の地である。
近世の風情がよく残る新町通り、永原町通り、八幡堀沿いの町並みおよび日牟禮八幡宮境内地は「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、時代劇の撮影場所としてもよく使われる。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズが住み、多くの近代建築作品を遺した地としても知られている。
2005年9月1日には水郷地域160ヘクタールが景観法に基づく「景観計画区域」に指定された。
これは同法の適用第1号である。
さらに2006年1月26日には「近江八幡の水郷」として重要文化的景観の第1号に選定された[1]。
【地名の由来】
「近江八幡」を冠する神社があるとしばしば誤解を受けるが、地名のもととなった神社名は「日牟禮八幡宮」である。
市名に旧国名の「近江」を冠しているのは、1954年の市制施行時に福岡県八幡市(やはたし)が存在したためである。
しかし福岡県八幡市は1963年に合併し、北九州市の一部となり消滅した。
その後、1977年に京都府八幡市(やわたし)が誕生したが、この時点では既に福岡県八幡市は消滅していたため、同名回避は行われなかった。
このため、先に市制を敷いた側が冠称を付けるというねじれ現象が生じた。
また近江八幡駅は市制施行前の1919年に八幡駅から近江八幡駅に改称しているが、これも福岡県の八幡駅との同名回避によるものである。
【地理】
位置
近江八幡市は滋賀県の中央部、琵琶湖東岸に位置する。
市域は全般に平坦地で、鈴鹿山系に源を発する諸河川により形成された湖東平野の一角をしめる。
地形
山地
小高い山が平野に浮かぶように点在する。
【主な山】
雪野山
瓶割山
八幡山(鶴翼山)
岡山
長命寺山
津田山(奥島山)
【湖沼】
琵琶湖上には同湖で最大の島である沖島と呼ばれる有人島がある[2]。
また市の北東部には、西の湖が水郷地帯を展開しており、「安土八幡の水郷」として琵琶湖八景の一つに数えられている。
なお、同区域の一部は景観法に基づく「景観計画区域」に指定されている。
主な湖
琵琶湖
西の湖
島嶼
主な島
沖島
【歴史】
近世
安土桃山時代の1585年~1590年、豊臣秀次が八幡城を築き、碁盤状の城下町を建設するとともに、織田信長が築いた安土城の城下町の人々を八幡(元八幡)城下に移した。
江戸時代には中山道六十九次の武佐宿が置かれた。
近江商人らが出入りした巨大な八幡花街があり、江戸時代後期が最盛期であったが、昭和前半にかけて衰退し、現存しない[3]。
施設
【警察】
警察署
滋賀県近江八幡警察署
交番
近江八幡駅前交番(近江八幡市鷹飼町)
八幡山交番(近江八幡市鍛治屋町)
武佐交番(近江八幡市友定町)
警察官駐在所
馬淵警察官駐在所(近江八幡市馬淵町)
桐原警察官駐在所(近江八幡市中小森町)
篠原駅前警察官駐在所(近江八幡市上野町)
北里警察官駐在所(近江八幡市江頭町)
安土警察官駐在所(近江八幡市安土町上豊浦)
水上派出所
近江八幡水上派出所(近江八幡市長命寺町)
【消防】
消防署
東近江行政組合近江八幡消防署(近江八幡市小船木町819)
【医療】
主な病院
近江八幡市立総合医療センター
運動施設
近江八幡運動公園(津田町)
近江八幡市駅南総合スポーツ施設 サン・ビレッジ近江八幡(鷹飼町)
あづちマリエート(安土町桑実寺)
近江八幡市立健康ふれあい公園(竹町)
葬祭施設
火葬場=さざなみ浄苑(船木町)
【観光 名所・旧跡】
城郭
安土城跡 - 特別史跡、琵琶湖国定公園第1種特別地域。サクラの名所でもある。
北之庄城
観音寺城跡:国史跡。
八幡山城跡
水茎岡山城跡
長光寺城跡 - 観音寺城の支城
【寺院】
観音正寺(西国三十三所、三十二番札所)
長命寺(西国三十三所、三十一番札所)
教林坊
瑞龍寺
伊崎寺
本願寺八幡別院
桑実寺
摠見寺
浄厳院 - 浄土宗と日蓮宗による安土問答(安土宗論)が行われた寺。
正寿院
岩戸山十三仏
光明院
帝釈寺
長光寺
【神社】
日牟禮八幡宮
沙沙貴神社 - 佐佐木源氏発祥の地。
大嶋神社奥津嶋神社
天之御中主神社
天津神社(帝釈天)
小田神社
福島弁財天
よしの龍神
金色稲荷大明神
市神神社濱宮
百々神社
活津彦根神社
新宮神社
藤ヶ崎龍神社
菅田神社
奥津嶋神社
賀茂神社
老蘇の森(おいそのもり)
奥石神社 - 本殿が国の重要文化財
【観光スポット】
【博物館】
滋賀県立安土城考古博物館
安土町城郭資料館
安土城天主信長の館 - セビリア万国博覧会に出展された安土城の復元天守(5・6階部分)を移築。
近江八幡市立資料館
郷土館 - 旧伊庭家住宅(1913年建造、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の西洋館)
曳山とイ草の館
歴史民俗資料館
かわらミュージアム
ボーダレス・アートミュージアムNO-MA
【近代建築】
池田町洋館街
ヴォーリズ記念館
ハイド記念館・教育会館
アンドリュース記念館(旧近江八幡YMCA会館)
旧八幡郵便局
白雲館
旧伊庭邸
【風景・保存地区】
西の湖と長命寺川(近江八幡の水郷として水の郷百選)
八幡伝統的建造物群保存地区
旧西川家住宅(国の重要文化財)
旧伴家住宅
八幡堀
【その他スポット】
旧中山道武佐宿
セミナリヨ跡
あきんどの里
八幡公園
宮ヶ浜水泳場(1977年から1979年まで「鳥人間コンテスト選手権大会」はここで行われていた)
八幡山ロープウエー
安土瓢箪山古墳
大中の湖南遺跡
常の浜
梅の川
福島弁財天
文芸の郷
旧宮地家住宅 - 1754年建造、国の重要文化財。
旧安土巡査駐在所 - 1885年建造、登録有形文化財。
旧柳原学校校舎 - 1876年建造、滋賀県指定文化財。高島市新旭町太田にあったものを移築。
文芸セミナリヨ
あづちマリエート
【文化・名物 祭事・催事】
左義長まつり(3月中旬)
八幡まつり(4月14日-15日)
篠田の花火(5月4日)
賀茂神社の祭礼
浅小井祇園まつり
八幡てんびんまつり
伊崎の竿飛び(8月初旬)
鳥人間コンテスト
BIWAKOビエンナーレ(2004年、2007年実施)
安土のぶなが祭り
https://t.co/J8LogsHcMF
近江八幡市の神社(神社総数は81社)の統計一覧の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
https://t.co/k4WomJuxkD
近江八幡市のお寺・仏教寺院(寺院総数は208カ寺)の統計一覧の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
https://t.co/wowsbw7TXR
滋賀県の倭国百選(308箇所)の全地点と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
https://t.co/XwguJml0dj
滋賀県にある古墳63箇所の全地点と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
https://t.co/iyWOHuh1it
倭国全国の八幡神社4808社の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
https://t.co/QjvLwn0foR
全都道府県の『八幡宮』(神社総数は1,270社)の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
https://t.co/lDWdY955K5
全国の『八幡社』《総数は755社》の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
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◆全国の観音菩薩霊場の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
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宇佐神宮(八幡神社の総本社)
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大分県の神社・大社【2,091社】の統計一覧
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大分県の仏教寺院・仏閣【1,228カ寺】の統計一覧
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福岡県の神社・宮殿「総数は3,391社」を探索する
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福岡県の仏教寺院「総数は2,279カ寺」を探索する
倭国の全ての古墳!!!特に天皇陵!!!
天皇陵
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宮内庁治定陵墓の一覧
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古墳マップ6931箇所
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前方後円墳
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長野県にある諏訪湖の湖底全部と、周辺一帯。
天岩戸の関係地点全地点と、それら周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯の地下深くが、今の危険予想地点です(いずれも危険度最高レベル!!!)
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天の岩戸(あめのいわと、あまのいわと)[注釈 1][1]は、倭国神話に登場する、岩でできた洞窟である。
天戸(あめと、あまと)、天岩屋(あめのいわや)、天岩屋戸(あめのいはやと、あまのいわやと)[注釈 2]ともいい、「岩」は「磐」、「盤」あるいは「石」と書く場合もある。
太陽神である天照大御神が隠れ、世界が暗闇に包まれた岩戸隠れの伝説の舞台である。
天岩戸説話は天上界の出来事であるが、「ここが天岩戸である」とする場所や関連する場所が何箇所か存在する。
【天の岩戸】
滋賀県米原市弥高 - 平野神社。
京都府福知山市大江町 - 皇大神社(元伊勢内宮)、天岩戸神社。
滋賀県高島市 白鬚神社 - 岩戸社。
奈良県橿原市 「天岩戸神社」 - 天香久山の南麓。
三重県伊勢市 伊勢神宮外宮 - 「高倉山古墳」。昭和時代に入山が禁止された。
三重県伊勢市二見町 二見興玉神社 - 「天の岩屋」
三重県志摩市磯部町恵利原 - 恵利原の水穴 皇大神宮の一宮、伊雑宮の神域にある。皇大神宮と新海誠の信仰する猿田彦神社のバス停から次のバス停が、当地の入り口である天の岩戸口であること、『すずめの戸締まり』の岩戸姓の元ネタになり、さらには『君の名は。』のヒロインの名前の元ネタになった罔象女神(ミツハノメノカミ)が岩戸の左側に祭られている事から、近年では若者の参拝が増えている。
岐阜県各務原市「手力雄神社」「史跡めぐり」
岐阜県高山市位山 - 飛騨一宮水無神社の神体山。
兵庫県洲本市安乎町 - 岩戸川の河口北。
兵庫県洲本市先山 - 岩戸神社。
岡山県真庭市蒜山 - 茅部神社の山の上方。
徳島県美馬郡つるぎ町 - 天の岩戸神社の神域にある。
山口県山口市秋穂二島岩屋 - 塩作りの海人の在住地、防府市の玉祖命の神社に近い。
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸 - 天岩戸神社の神域にある。同神社西本宮の背後、岩戸川を挟んだ対岸の岸壁にあり、社務所に申し込めば案内付きで遥拝所へ通してくれる。周辺には天安河原など、倭国神話、特に岩戸隠れ神話にまつわる地名が多く存在する。
沖縄県島尻郡伊平屋村字田名「クマヤ洞窟」 - 全国に数多ある「天の岩戸伝説」の中で最南端地。
【岩戸】
千葉県袖ケ浦市坂戸市場 坂戸神社。天岩戸のかけらという伝承の岩、天磐戸の石碑がある。
長野県長野市戸隠 戸隠神社には、岩戸が落下してきた伝承がある。
岐阜県郡上市和良町 戸隠神社。天岩戸のかけらという伝承の岩がある。
奈良県奈良市柳生 天石立神社。この地まで飛ばされてきたという岩がある。
新潟県上越市尾神 - 岩戸寺観音堂。天岩戸が飛んできた際、空中で割れて岩戸の端の部分『神の尾』が当地に落ちてきた伝説があり、地名の『尾神』となり、岩戸がお祀りしてある。
福岡県那珂川市岩戸村。福岡県筑紫郡にあった村。現在の那珂川市の一部。天岩戸は筑紫にあるという伝説による[19]。
沖縄県島尻郡伊平屋村字田名 伊平屋天巌戸神社 クマヤ洞窟。同村北部田名区あるクマヤ洞窟は天岩戸伝説が残る倭国最南端の地とされており、昭和43年(1968年)、沖宮宮司を中心に「天の岩戸開き」の神事と神楽が、伊平屋村・伊是名村の共催によって執り行われた。
【その他】
鶏[注釈 3]を集めて鳴かせたことから、伊勢神宮の内宮では「神苑」という庭園に「神鶏」と呼ばれる鶏を放し飼いにしている[20][21]。
太平洋戦争末期の沖縄戦において首里城地下に構築された司令部壕はこの故事に準えて「天ノ巌戸戦闘指令所」と呼ばれた[22][23]。
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「岩戸」を含む地名— 28 件
「岩戸」を含む町域名
生田原岩戸(いくたはらいわと) 北海道紋別郡遠軽町
市島町岩戸(いちじまちょういわと) 兵庫県丹波市
岩戸(いわと) 高知県土佐市
岩戸(いわと) 岡山県和気郡和気町
岩戸(いわと) 千葉県印西市
岩戸(いわと) 宮崎県西臼杵郡高千穂町
岩戸(いわと) 神奈川県横須賀市
岩戸町(いわとちょう) 東京都新宿区
岩戸町(いわとちょう) 愛知県岡崎市
岩戸町(いわとちょう) 愛知県名古屋市南区
岩戸町(いわとちょう) 北海道函館市
岩戸山町(いわとやまちょう) 京都府京都市下京区
岩戸(いわど) 広島県山県郡北広島町
岩戸(いわど) 高知県吾川郡仁淀川町
岩戸北(いわどきた) 東京都狛江市
岩戸町(いわどちょう) 鹿児島県枕崎市
岩戸南(いわどみなみ) 東京都狛江市
小野岩戸(おのいわと) 京都府京都市北区
上岩戸(かみいわと) 宮崎県西臼杵郡高千穂町
川尻町岩戸(かわじりちょういわど) 広島県呉市
国東町岩戸寺(くにさきまちいわとうじ) 大分県国東市
小岩戸(こいわと) 茨城県小美玉市
長森岩戸(ながもりいわど) 岐阜県岐阜市
福部町岩戸(ふくべちょういわど) 鳥取県鳥取市
峯岩戸(みねいわど) 高知県吾川郡仁淀川町
虫生岩戸(むしゅういわと) 新潟県上越市
山川町岩戸(やまかわちょういわと) 徳島県吉野川市
山城町岩戸(やましろちょういわど) 徳島県三好市
倭国全国の東照宮関係の一覧の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
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全国東照宮連合会 加盟神社
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神 社
鎮座地( )内は連絡先
電話番号
北海道東照宮北海道函館市陣川82-153
0138-32-2221
黒石神社青森県黒石市市ノ町20(市ノ町18)
017-781-9461
仙台東照宮宮城県仙台市青葉区東東照宮1-6-1
022-234-3247
出羽三山神社山形県鶴岡市羽黒町手向7
0235-62-2355
水戸東照宮茨城県水戸市宮町2-5-13
029-221-3784
花園神社茨城県北茨城市華川町花園567
0293-43-9212
日光東照宮栃木県日光市山内2301
0288-54-0560
前橋東照宮群馬県前橋市大手町3-13-19
027-231-2031
赤城神社群馬県前橋市富士見町赤城山4-2(前橋市田口町149-1)
027-287-8202
世良田東照宮群馬県太田市世良田町3119-1
0276-52-2045
徳川東照宮群馬県太田市世良田町3119-1(世良田東照宮)
0276-52-2045
仙波東照宮埼玉県川越市小仙波町1-21-1(南通町19-3)
049-222-1396
古尾谷八幡神社埼玉県川越市古谷本郷1408(古谷上2071)
049-235-1682
忍東照宮埼玉県行田市忍本丸12-5
048-556-2096
三峯神社埼玉県秩父市三峰298-1
0494-55-0241
秩父神社埼玉県秩父市番場町1-1
0494-22-0262
大宮住吉神社埼玉県坂戸市塚越241
049-283-8672
八日市場東照宮千葉県匝瑳市八日市場イ2435(イ2444直本健)
0479-72-1099
上野東照宮東京都台東区上野公園9-88
03-3822-3455
浅草神社東京都台東区浅草公園2-3-1
03-3844-1575
芝大神宮東京都港区芝大門1-12-7
03-3431-4802
芝東照宮東京都港区芝公園(芝大神宮)
03-3431-4802
大國魂神社東京都府中市宮町3-1-1
042-362-2130
吾妻神社静岡県御殿場市御殿場196(西田中255-2小宮山和利)
0550-84-1016
久能山東照宮静岡県静岡市根古屋390
054-237-2438
静岡浅間神社静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町102-1
054-245-1820
東雲神社静岡県静岡市葵区丸山町13(丸山町12西谷祐一)
054-245-1414
長窪東照宮静岡県駿東郡長泉町元長窪717-2(下長窪739)
055-986-2106
城岡神社静岡県沼津市大手町3-5-16
055-962-1540
田中神社静岡県藤枝市郡729-3(高柳1-14-18)
054-635-2503
五社神社・諏訪神社 静岡県浜松市利町302-5
053-452-3001
鳳来山東照宮愛知県新城市門谷鳳来寺4(大野字奥林42)
0536-32-1276
管生神社愛知県岡崎市康生町630-1
0564-23-2506
龍城神社愛知県岡崎市康生町561
0564-21-5517
伊賀八幡宮愛知県岡崎市伊賀町東郷中86
0564-26-2789
滝山東照宮愛知県岡崎市滝町山篭(西中町2-1)
0564-21-7209
松平東照宮愛知県豊田市松平町赤原13
0565-58-1621
名古屋東照宮愛知県名古屋市中区丸の内2-3-37
052-231-4010
飛騨東照宮岐阜県高山市西之一色町3-1004
0577-32-1883
伊奈波神社岐阜県岐阜市伊奈波通り1-1
058-262-5151
豊崎宮大阪府大阪市北区豊崎6-6-4
06-371-5264
佐佳枝廼社福井県福井市大手町3-12-3
0776-27-2754
日吉東照宮滋賀県大津市坂本5-1-1
077-578-0009
伊賀東照宮三重県伊賀市老川1103-2
0595-55-2512
和歌山東照宮和歌山県和歌山市和歌浦西2-1-20
073-444-0808
鳥取東照宮鳥取県鳥取市上町87
0857-24-7699
松江神社島根県松江市殿町1(東持田町274)
0852-24-8540
広島東照宮広島県広島市東区二葉の里2-1-18
082-261-2954
屋島神社香川県高松市屋島中町140
087-841-9475
掛川神社高知県高知市薊野中町8-30(はりまや町3-8-11)
088-882-1449
霊丘神社長崎県島原市弁天町2-7341
0957-62-3446
諏訪神社長崎県長崎市上西山町18-15
095-824-0445
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茨城県日立市入四間町752にある御岩神社と御岩山の三本杉(御岩神社御神木)と、これら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺一帯。
茨城県日立市入四間町1217にある石柱のあるお宮(御岩神社御神体)と、傍に在る賀毘礼の高峰と、賀毗禮神宮と、御岩山の山頂と、御嶽神社と、これら周辺一帯広めで。
茨城県日立市宮田町317にある東京電力高鈴山無線中継所と、高鈴山の山頂(標高623.3メートル。おそらくこちらが隠されてきた本当の聖山。危険度最高レベル!!!!)と、展望台、トイレ、高鈴山レーダー雨量観測所と、これら周辺一帯広めで。
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全国のお寺と神社157,167箇所収録の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりも、今の危険予想地点です。
特に真言宗!!!!
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Category:真言宗の寺院 November 11, 2025
1RP
京都府京都市北区紫野大徳寺町53にある大徳寺(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)と、周辺の聖地群史跡群水辺群の全地点と、それら周辺一帯広めで。
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大徳寺(だいとくじ、旧字体:大德寺)は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の大本山の寺院。
山号は龍宝山(りゅうほうざん)。
本尊は釈迦如来。開山は宗峰妙超(大燈国師)で、正中2年(1325年)に正式に創立されている。
京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。
大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、倭国の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。
本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園・障壁画・茶道具・中国伝来の書画など、多くの文化財を残している。
なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、塔頭も非公開のところが多い。
歴史
大徳寺の開祖である禅僧・宗峰妙超は、弘安5年(1282年)に播磨国(現・兵庫県)で赤松氏の家臣・浦上一国と赤松則村(円心)の姉との間に生まれた。
11歳の時、地元の大寺院である圓教寺に入り、天台宗を学ぶが、後に禅宗に目覚め、鎌倉の高峰顕日、京の南浦紹明に参禅。
南浦紹明が鎌倉の建長寺に移るに従って宗峰も鎌倉入りし、徳治2年(1307年)に師から印可を得た。
その後数年京都東山で修行を続けていた宗峰妙超は、正和4年(1315年)ないし元応元年(1319年)に叔父の赤松則村(円心)の帰依を受け、洛北紫野の地に小堂・大徳庵を建立した。
これが大徳寺の起源という。
花園上皇は宗峰に帰依し、正中2年(1325年)に大徳寺を祈願所とする院宣を発している。
寺院としての形態が整うのはこの頃からと考えられる。
後醍醐天皇も当寺を保護し、建武元年(1334年)には大徳寺を京都五山のさらに上位に位置づけるとする綸旨を発している。
また、花園天皇や光厳天皇ら歴代天皇、中御門経継、守良親王、新田義貞などの有力貴族からの寄進を受け、1333年ころには播磨、摂津、紀伊などの畿内各地に加え、信濃、下総、美濃のなど広範囲にわたって延7,600石の寺領を有していた。
しかし、建武の新政が瓦解して室町幕府が成立すると、後醍醐天皇と関係の深かった大徳寺は足利将軍家から軽んじられ、京都五山から除かれてしまった。
至徳3年(1386年)には、十刹の最下位に近い第9位となっている。
このため第二十六世養叟宗頤は、永享3年(1432年)足利政権の庇護と統制下にあって世俗化しつつあった五山十刹から離脱し、座禅修行に専心するという独自の道をとった。
五山十刹の寺院を「叢林」(そうりん)と称するのに対し、同じ臨済宗寺院でも、大徳寺や妙心寺のような在野的立場にある寺院を「林下」(りんか)という。
その後の大徳寺は、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え、室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出した。
侘び茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっている。
また国宝の塔頭龍光院密庵(みったん)など文化財に指定された茶室も多く残る。
このため京童からは「妙心寺の算盤面」「東福寺の伽藍面」「建仁寺の学問面」などと並んで「大徳寺の茶面(ちゃづら)」と皮肉られた。
享徳2年(1453年)の火災、そして応仁の乱による被害で当初の伽藍を焼失したが、一休宗純が堺の豪商・尾和宗臨らの協力を得て復興。
また、各地の守護大名によって塔頭が建立されたりもしている。
天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変で織田信長が自害した後の同年10月15日には、羽柴秀吉によって信長の葬儀が当寺で盛大に執り行われている。
翌年には秀吉によって信長の菩提寺として塔頭・総見院が創建されている。
大徳寺山門供養之偈 春屋宗园
これ以後も秀吉や諸大名から篤い帰依を受け、天正17年(1589年)には千利休によって山門・金毛閣が完成している。
利休は晩年にこの山門修築の事業を引き継いで門の上に閣を重ねて楼門を造り金毛閣を寄進した。
利休は山門を修復した後、住職の春屋宗園に山門の供養を書かせたが、それにより豊臣秀吉を怒らせたとされる。
江戸時代初期に江戸幕府の統制を受け、元住持の高僧・沢庵宗彭が紫衣事件で流罪となる圧迫を受けたが、三代将軍徳川家光が沢庵に帰依したこともあって幕府との関係ものちに回復した。
近世には「二十四塔頭、六十寮舎・子庵」あるいは「二十四塔頭、准塔頭五十九宇(「六十五宇」とも)」などと呼ばれ、末寺は25ヶ国280余寺、末寺の塔頭130余院を数えるほど栄え、朱印地は2,011石余を有した。
この広大な寺領が大徳寺の経済的基盤であったが、明治維新後の上知令によって多くを失ってしまう。
なんとか堂宇を維持するため1878年(明治11年)、塔頭13寺を合併(事実上廃絶)、4寺を切縮[1]、20寺を永続塔頭とする縮小を行う[2]ものの、寺運は栄え今日に至っている。
【境内】
勅使門、山門、仏殿、法堂がほぼ一直線に並び、これら中心伽藍の北・南・西に20か寺以上の塔頭寺院が並ぶ。
仏殿(重要文化財) - 当寺の本堂。寛文5年(1665年)に京の豪商・那波常有(なわじょうゆう)による寄進で再建された。本尊の釈迦如来坐像を祀っている。なお本尊釈迦如来坐像は、寛文年間に再建された方広寺大仏(京の大仏)の1/10サイズの模像であるとされる。方広寺を管理下に置いていた妙法院側の史料である『洛東大仏殿修覆並釈迦大像造営記』および大徳寺側の史料である『竜宝塔頭位次』によると、本尊釈迦如来坐像は、大仏製作を手掛けた仏師玄信により、大仏の試作品として製作されたが、それが時の将軍徳川家綱の手を経て、大徳寺に寄進されたものであるという(方広寺大仏再建には江戸幕府が関与していた)[3]。障壁画は海北友松の筆。天井画は狩野元信による飛天図で、文明11年(1479年)に堺の豪商・尾和宗臨の寄進で再建された以前の仏殿からの再利用である。
法堂(重要文化財) - 寛永13年(1636年)に小田原藩主稲葉正勝の遺志により、子の正則によって再建された。天井に描かれている「雲龍図」は狩野探幽35歳の作である。
経蔵(重要文化財) - 寛永13年(1636年)に那波宗旦により再建。
鐘楼(重要文化財) - 天正11年(1583年)再建。
本坊(宗務本所)
庫裏(重要文化財) - 寛永13年(1636年)頃再建。旧方丈の古材を使用している。
寝堂(重要文化財) - 茶堂とも呼ばれる。寛永7年(1630年)に長州藩の家老・益田元祥により建立。
廊下(重要文化財)
方丈(国宝) - 寛永12年(1635年)の再建で、禅宗様建築である法堂や仏殿と異なる倭国様式の建物である。方丈は正面29.8メートル、側面17.0メートル、入母屋造で桟瓦葺(本来は檜皮葺)、開祖・宗峰妙超(大燈国師)の300年遠忌を記念して建てられたもの。方丈は元来は住職の居室を指したが、後に住持の居間は別所に移転され、朝廷の勅使や幕府役人の接待や宗教行事などに用いられる空間となった。通常の方丈建築は、前後2列・左右3列の計6室を並べる平面形式が多いが、大徳寺方丈は前後2列・左右4列の計8室をもつ特異な形式で、向かって右から2列目の前後2室は、妙超の塔所(墓所)である雲門庵となっている。雲門庵の一部は方丈北面の広縁を越えて北側に突出している。妙超は自らの死後に墓所として別の寺院を建てるには及ばぬと遺言していたため、このような形式になっている。方丈の障壁画84面は狩野探幽の作。
玄関(国宝) - 寛永13年(1636年)に豪商・後藤益勝の寄進で建立された。桁行6間、梁間1間、一重、唐破風造で桟瓦葺。中心伽藍の北側に位置し、土塀に囲まれた一角にあたる。
方丈南庭(国指定史跡・特別名勝) - 枯山水庭園。天祐和尚の作庭。
唐門(国宝) - 近世初頭の四脚門。切妻造、檜皮葺。前後軒唐破風付のいわゆる向唐門。西本願寺と豊国神社の唐門とともに「桃山の三唐門」と呼ばれる。仏殿や法堂などの中心伽藍の北に位置し、方丈南の土塀に接続する。かつて唐門の位置には明智門と呼ばれる本能寺の変直後に明智光秀が寄進した銀を元手に建築された門があったが、1886年(明治19年)に明智門を南禅寺の塔頭金地院に売却したことに伴い、聚楽第から移築されたと伝わる三門西側の大慈院に通じる通りに建っていた唐門を大徳寺方丈前に移築した。なお、金地院に移築された明智門の位置にもともとあった門が、現在の豊国神社の唐門である。当寺の唐門の特徴は各所にみられる自由闊達な彫刻で、随所に龍や鯉などの彫刻が施され、一部では組物の代わりにこうした彫刻が用いられている。別名「日暮門」というのはこの門を見ていると日の暮れるのも忘れてしまうということから来ており、聚楽第故地に「日暮通」の名が残るのもこの門を由来としていると伝える。2003年(平成14年)に京都府教育委員会により解体修理が行われその際、飾り金物から「天正」の刻銘が発見されたことから、伝承通り聚楽第の遺構であることが有力視されるようになった。ただし解体修理を担った府教委担当者が断定を控えるなど、異論もある。解体修理の際、慶長八年銘の棟札が発見されそこには「越後住人村上周防守頼勝」から寄付された「官門」である旨書かれていた。これを根拠に最近、聚楽第東大手門門前にあった村上周防屋敷の「御成門(豊臣秀吉を迎えるための専用の門)」ではなかったかとする説が提出された[4]。また、日光東照宮の陽明門(日暮門)のモデルになったともいう。
方丈東庭「七五三の庭」 - 十六羅漢の庭とも呼ばれる。小堀遠州の作という。
茶室「起龍軒」
侍真寮(重要文化財) - 室町時代後期の建立。
本坊表門
近衛家墓所
近衛家歴代の墓
鐘楼 - 袴腰が漆喰で塗られている珍しい造り。
千体地蔵塚 - 約700体の石造地蔵尊が祀られている。
平康頼の墓
山門(三門、重要文化財) - 二層の山門で金毛閣と呼ばれる。連歌師・宗長の寄進で享禄2年(1529年)にまず下層のみが竣工し、天正17年(1589年)に千利休によって上層が完成すると、「金毛閣」と名付けられた。利休の恩に報いるために寺は上層に雪駄を履いた利休の木像を安置した。このため、門を通る者は利休の足下をくぐることになり、これが豊臣秀吉の怒りを買って利休切腹の一因となったと伝わる。このテキストは、千利休が住職の春屋宗園に書かせた山門の寄進の偈に関するもので、内容は「千門萬戶一時開、月斧雲斤功夫哉、據地金毛高閣上、舉揭臨濟話頭來」である。天井画の龍図は長谷川等伯の作。額「金毛閣」は雲英宗偉の筆。
勅使門(重要文化財) - 慶長年間(1596年 - 1614年)建築の御所の門を後水尾上皇より下賜され、寛永17年(1640年)に現在地に移築した。
浴室(重要文化財) - 元和8年(1622年)に京の町人・灰屋紹益(はいやじょうゆ)の寄進により再建。
南門
梶井門 - 開けずの門とも呼ばれる。もとは大徳寺の南にあった梶井門跡(現・三千院)の門。
総門
【塔頭】
大徳寺は塔頭24(うち2寺は門外)を有する[5]。
2021年現在、常時拝観可能な塔頭は龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院の4か院のみで、大部分の塔頭は参詣を受け付けておらず、特別拝観の類も行っていない。
徳禅寺 - 元は徹翁義亨が船岡山の東に創建した独立した一禅寺。しかし、応仁の乱で焼失し、徹翁を尊敬していた一休が現在の場所に移して再興。明治の初めには無住の寺になっていたので、農業試験場になったり、悪疫が流行したときには、臨時の隔離病棟になったこともあった。
竜翔寺 - 南浦紹明の塔所として洛西の安井に創建。1386年(至徳3年)京都十刹に列せられる。大永7年(1527年)桂川原の戦いの兵火で荒廃した後、大徳寺境内で再興。1878年(明治11年)養徳院と合併案が出るが[2]これを回避、1925年(大正14年)に山口玄洞によって旧天瑞寺跡に再建された。
如意庵 - 14世紀後半応安年中創建。何度か場所を移るが、現在のものは1973年(昭和48年)に再興されたもの。
真珠庵 - 一休宗純ゆかりの寺院で、村田珠光作と伝わる庭園(史跡・名勝)と、曾我蛇足、長谷川等伯の障壁画で知られる。
養徳院 - 応永年間に足利義満の弟・足利満詮が、祇園の側に夫人善室の菩提を弔うため創建した妙雲寺が元で、後に満詮の法名を取り将軍の許可を得て養徳院と改称。明応年間に大徳寺山内に移動。
龍源院 - 大徳寺の塔頭の中で一番古く、仏恵大円国師を開祖として能登の畠山義元・周防の大内義興・豊後の大友義親が創建。龍吟庭・東滴壷・阿吽の石庭などの庭が知られる。方丈前の石庭は昭和末期に細合喝堂和尚の監修の元造られた。
大仙院 - 常時公開の塔頭で、国宝の本堂と特別名勝・史跡の枯山水庭園で知られる。
興臨院 - 畠山義総が建立。前田利家による修理以降は前田氏の菩提寺となる。方丈の床の間は倭国で最初のものといわれる。
瑞峯院 - 大友宗麟が建立。宗教専門紙「中外日報」の創始者真渓涙骨の墓がある。
聚光院 - 三好長慶の菩提のために嫡子・三好義継が建立。狩野永徳筆の国宝障壁画で知られる。千利休の墓塔(鎌倉期の石造宝塔を転用)があることでも知られる。
総見院 - 豊臣秀吉が織田信長の菩提のために建立。1878年(明治11年)大徳寺本寺に合併されたが[2]、大正期に再興された。
黄梅院 - 織田信長が父織田信秀の菩提を弔うため建立。蒲生氏郷の墓がある。1878年(明治11年)昌林庵と合併[2]。
三玄院 - 石田三成・浅野幸長・森忠政が建立。古田織部や石田三成の墓がある。古田織部好みの茶室「篁庵」がある。1878年(明治11年)清泉寺・大源庵と合併し、龍翔寺の場所へ移動[2]。
正受院 - 里村紹巴の墓がある。
大慈院 - 立花宗茂と藤村庸軒の墓がある。
高桐院 - 常時公開の塔頭。細川氏に所縁があり、京都での肥後細川氏の菩提寺。細川忠興やその室・ガラシャなどの墓がある。その他、出雲阿国のものと伝わる墓もある。楓と灯篭だけで構成された方丈の南庭が特徴的。忠興が北野大茶湯の際に使用したという茶室「松向軒」、利休屋敷から移築したという座敷もある。1878年(明治11年)泰勝庵と合併[2]。なお、現在は、新型コロナウイルスの影響により公開休止中である。
玉林院 - 天皇や皇族の医師であった曲直瀬正琳が建立したのが始まり。戦国武将・山中鹿之介の位牌堂などがある。
大徳寺保育園
大光院 - 大和豊臣家の菩提寺。豊臣秀吉と豊臣秀保が豊臣秀長の冥福を弔う為に建立した。秀長の墓がある。1878年(明治11年)清源庵と合併[2]。
龍光院 - 非公開の塔頭。黒田長政が父・黒田如水菩提のため三回忌の折に建立。如水や正室光、長政の墓所があり、天下の三大茶室「密庵(みったん)」(国宝)が著名。福岡藩黒田氏歴代の位牌が祀られ京都に於ける同家の菩提所。茶道具など数多くの国宝・重文を有するが、完全非公開を貫いている塔頭である。他に有栖川宮家の墓所(初代・好仁親王~七代・韶仁親王)や吉川広家の墓所もある。1878年(明治11年)寸松庵・看松庵と合併[2]。
芳春院 - 加賀前田家の菩提寺。前田利家他歴代前田氏の京都における菩提寺。1878年(明治11年)高林庵と合併[2]。
孤篷庵 - 小堀遠州が龍光院内に建立。現在は移築し、茶室「忘筌(ぼうせん)」(重要文化財)が著名。境内の外、西側にある。
龍泉庵 - 明応年間創建。明治維新後廃絶したが、1958年(昭和33年)紹溪尼(佐々木ルース夫人)が日米第一禅協会倭国支部を設立し、庵を復興。
【門外塔頭2寺】
来光寺 — 創建は不詳。大徳寺170世の清浄本然禅師・清巌宗渭を中興とする。1878年(明治11年)に京都府知事に提出された塔頭統廃合の計画である「合併切縮之儀ニ付御伺」に寺名がないことから、それ以降に大徳寺塔頭に編入されたと考えられる。
雲林院 - 境内の外、南側にある。829年(天長6年)に淳和天皇の離宮として建設された「紫野院」が832年(同9年)に「雲林亭」と改称されたことに始まる。844年には院号を受けて「雲林院」と称し、常康親王から遍照に付された。のちに天台宗元慶寺の別院となり、境内での菩提講についての記述が今昔物語や大鏡に見られる。983年(永観元年)に同地に「円融寺」が建立されると、雲林院は名称のみが残る状態となるが、1706年に大徳寺291世の江西宗寛が大燈国師を開祖として再興した。
瑞雲軒 - 昭和初期に旧有栖川宮邸の二階書院部分を移築して創建された2022年の方丈修復工事にあたり、同堂にあった大燈国師像の仮安置場所になっている。。
【旧塔頭】
松源院 - 春浦宗熙開祖のもと大徳寺塔頭。元禄12年(1699年)大用庵と合併、1878年(明治11年)に徳善寺へ合併された[2]後、奈良県宇陀市に再興。
天瑞寺(廃寺) - 豊臣家の菩提寺。龍翔寺の近くにあり、秀吉の母・大政所の霊屋があった。明治11年に大徳寺本寺へ合併[2]。
金龍院(廃寺) - この寺の辺りを天狗谷と呼んでいた。1878年(明治11年)龍源院へ合併[2]。
大源庵(廃寺) - 維新の時に筑前の軍が硝煙庫として使用していた。1878年(明治11年)三玄院へ合併[2]。
【文化財 国宝】
唐門 - 1952年(昭和27年)3月指定。
方丈及び玄関 2棟(附 玄関棟札2枚) - 1956年(昭和31年)6月指定。
絹本墨画淡彩観音図・猿鶴図 - 中国南宋時代(13世紀)の絵画。牧谿筆。「観音図」の左右に「猿図」「鶴図」を配する三幅対で、寸法は「観音図」が縦171.9センチメートル、横98.4センチメートル、「猿図」は縦173.3センチメートル、横99.4センチメートル、「鶴図」は173.1センチメートル、横99.3センチメートル。足利将軍家の美術コレクションである東山御物に含まれ、駿河国今川氏の太原雪斎により大徳寺に寄進されたという。足利義満の旧蔵を示す「道有」印(観音図)、「天山」印(猿図・鶴図)が捺されている。1951年(昭和26年)6月指定。
絹本著色大燈国師像 - 開祖宗峰妙超の頂相。建武元年(1334年)の作。寸法は縦115.5センチメートル、横56.7センチメートル。宗峰妙超の頂相は数多く存在し多くは像容は共通するが、当像は中でも根本像として評価されている。1953年(昭和28年)3月指定。
虚堂智愚墨蹟(きどうちぐ ぼくせき)- 中国南宋時代(13世紀)の墨跡。寸法は縦41.7センチメートル、横120センチメートル。虚堂智愚が達磨忌に際して記した香語で、虚堂智愚は大徳寺開山宗峰妙超の師である南浦紹明のさらに師である中国僧。年代は虚堂の晩年にあたる径山興聖万寿禅寺住職時代の咸淳3年(1267年)から死去する咸淳5年までの間と推定されている。千利休高弟の山上宗二から豊臣秀長家臣桑山重晴に伝授され、大徳寺に寄進されたという。1952年(昭和27年)3月指定。
後醍醐天皇宸翰御置文 元弘三年八月廿四日 - 後醍醐天皇の宸翰。寸法は縦48.8センチメートル、横87.9センチメートル。元弘3年(1333年)8月24日の筆。内容は後醍醐天皇が大徳寺には開山宗峰妙超の門流のみを止住させる「一流相承」を認めた置文である。元弘3年5月には後醍醐天皇の倒幕運動により鎌倉幕府が滅亡し、天皇が京都に入り論功行賞を行っていた時期にあたる。大徳寺に対してはこれに前後して荘園の寄進が行われており、後醍醐天皇の宗教政策の一環であると考えられている。1951年(昭和26年)6月指定。
【文化財 重要文化財】
(建造物)
勅使門
仏殿(附:明月橋、棟札8枚)
法堂(附:廊下、棟札7枚、旧裏板2枚、旧土居葺板3枚)
山門(附:棟札2枚、旧土居葺板4枚、鬼瓦4箇)
浴室(附:銘札1枚)
経蔵
廊下(方丈玄関 - 寝堂間)
寝堂(附:棟札2枚)
庫裏(附:廊下、棟札1枚)
侍真寮
鐘楼(附:棟札2枚)
(絵画)
絹本著色運庵和尚像 - 嘉定十一年の自賛あり。
絹本著色虚堂和尚像 - 咸淳改元の自賛あり。
絹本著色大応国師像 - 正応改元の自賛あり。
絹本著色大燈国師像
絹本著色長生比丘尼像 - 文安六年七月十日養叟賛。
紙本淡彩楊岐和尚像 - 文清筆、養叟の賛あり。
紙本淡彩養叟和尚像 - 文清筆、享徳元年養叟自賛。
絹本著色五百羅漢像 - 林庭珪・周季常等筆 82幅
南宋仏画を代表する名品の一つ。元は100幅のセットで、10幅がボストン美術館に、2幅がフリーア美術館に分蔵され、計94幅が現存する。48幅に銘文があり、元は寧波鄞県の恵安院の什物で、淳熙5年(1177年)から同15年(1188年)の間に東銭湖周辺の住人が、先祖の追善供養や亡魂の極楽浄土への往生、さらに一族の安寧を祈って制作されたことがわかる。倭国へは、寛元4年(1246年)頃招来され、同年来日した蘭渓道隆がもたらしたとも考えられる。その後の伝来には2説あり、元は鎌倉の寿福寺の什宝だったが、のちに後北条氏に渡って瑞渓寺に安置され、後北条氏滅亡後は豊臣秀吉が古渓宗陳を開山として創建した方広寺大仏殿の寺宝として移され、その後同じく秀吉創建・古渓開山の大徳寺総見院の什物となり、さらに借券をもって大徳寺方丈に移されたという(『龍宝山大徳禅寺志』宝永年間成立)。もう1説は、もともと建長寺の什物だったのが早雲寺のものとなり、これを秀吉が京都へ持って行き大徳寺内寺院の天瑞寺に寄進し、その後大徳寺方丈に寄進されたともいわれる(『早雲寺記録』元禄14年(1701年)成立)。どちらの説を取るにせよ、元は鎌倉の大寺院にあったが、後北条氏の手に渡り、後北条氏滅亡後は秀吉から大徳寺周辺寺院に施入されたのは確かであろう。秀吉が寄進した時点ですでに94幅しかなかったため、寛永15年(1638年)に絵仏師の木村徳応が6幅を補作している。明治27年(1894年)アーネスト・フェノロサが、ボストン美術館などアメリカ東海岸を巡回した展覧会で大徳寺本44幅を展示し、この時デンマン・ウォルド・ロスが10幅を購入し後にボストン美術館へ売却および寄贈、別ルートで海外流出した2幅は20世紀初頭フリーア美術館の所有となった。この少し前の明治21年(1888年)に、倭国画家で京都及び奈良帝室博物館長となる森本後凋が100幅を全て模写しており、この海外流出を憂いた森本は手元にあった模写本から12幅を複写して大徳寺に寄進し、現在も大徳寺には当時のものではないにせよ100幅全て揃っている[7]。この五百羅漢図は室町時代に東福寺の画僧明兆(兆殿司)が模写をし、それを10人ずつ50幅(現存は45幅)の「五百羅漢図」(重要文化財)にアレンジしている。
絹本著色後醍醐天皇像
絹本著色十王像 10幅
絹本著色楊柳観音像 - 1900年重要文化財指定。
絹本著色楊柳観音像 - 1907年重要文化財指定。
絹本著色楊柳観音像 - 1908年重要文化財指定。
紙本著色仏涅槃図(狩野松栄筆)・紙本墨書仏説教誡経(近衞家熙筆)
紙本墨画柏鷹芦鷺図 - 曽我二直庵筆 六曲屏。
絹本墨画竜虎図 2幅 - 牧谿筆。
絹本墨画竜虎図 2幅 - 伝牧谿筆。
紙本墨画芙蓉図 - 伝牧谿筆(附:千利休添文)。
絹本著色釈迦三尊像 3幅 狩野正信筆[8][9]
紙本金地著色四季松図 六曲一双 狩野探幽筆[10]
方丈障壁画 - 狩野探幽筆、83面。もと84面だったが、1966年に火災で壁貼付1面(猿曳図)を焼失した。
紙本墨画山水図 48面(雲門庵前室襖貼付8、室中襖貼付16、上間二之間襖貼付12、下間二之間襖貼付12)
紙本墨画禅会図 6面(雲門庵塔所壁貼付)
紙本墨画竜虎図 2面(雲門庵内陣壁貼付)
紙本墨画竹林禽鳥図 10面(雲門庵内陣壁貼付1 仏壇之間襖貼付8、下間一之間壁貼付1)
紙本墨画梅柳禽鳥図 8面(雲門庵内陣壁貼付2、下間一之間襖貼付2、仏壇間襖貼付4)
紙本墨画隠士図 4面(上間一之間襖貼付)
紙本墨画猿曳図 1面(上間一之間壁貼付)
紙本墨画芦雁図 4面(下間一之間襖貼付)
附:紙本墨画山水図 8面(知客寮襖貼付4、副司寮襖貼付4)
附:紙本墨画鳳凰図衝立 1基(所在塔所)
(彫刻・工芸品)
木造大燈国師坐像(雲門庵安置)
鳳凰沈金経箱
(書跡典籍・古文書)
花園天皇大燈国師御問答書 2幅
紺紙墨書法華経 8巻 - 近衞家熈筆。
大蔵経 2018冊うち版本6冊
法華経 8巻 - 常子内親王筆。
徹翁義亨墨蹟 言外号
虚堂智愚墨蹟 尺牘
花園天皇宸翰置文 建武四年八月廿六日 - 興禅大燈国師宛。
宗峰妙超(大燈国師)墨蹟 遺偈 建武丁丑臘月日
宗峰妙超(大燈国師)墨蹟 投機偈 南浦紹明加印証語
大燈国師自筆法語(解夏小参語)
景徳伝燈録 15冊 - 宗峰妙超(大燈国師)筆。
大燈国師自筆書状(其後何条云々 二月廿四日 )
大燈国師自筆書状(路次無殊事云々 十月三日 )
大燈国師自筆書状(綸旨無相違云々 八月八日 )
大燈国師自筆置文(法衣所伝語 建武四年臘月日 )
大燈国師自筆置文(元亨四年五月六日)
大燈国師自筆置文(元徳三年八月四日)
大徳寺諸庄園文書目録(貞和五年十一月廿七日)
中納言奉書並高家庄絵図
徹翁和尚筆七ヶ条制法(建武四年五月十五日)
大徳寺文書(4267通)97巻、2帖、100冊、54幅、3246通、9鋪、172枚、1箇(附:文書袋及び文書箱17口、2合)[11]
典拠:2000年(平成12年)までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
【国指定史跡】
大徳寺境内 - 平成28年9月8日指定[12]。
【国指定史跡・特別名勝】
大徳寺方丈庭園 - 大正13年12月9日、国の史跡及び名勝に指定[13]。昭和27年3月29日に国の特別名勝に指定[13]。
【京都市指定天然記念物】
イブキ
【拝観】
大徳寺本坊は非公開(例年10月第二日曜に方丈にて書画等を公開する曝涼展が行われる)。
塔頭のうち常時拝観可能なのは龍源院・瑞峰院・大仙院・高桐院の4か院。黄梅院・真珠庵・聚光院・総見院・芳春院・興臨院・孤篷庵などは秋などに期日を限って特別公開される場合がある。
龍光院は常時非公開。
京都府京都市北区紫野今宮町21にある今宮神社と、周辺一帯広めで。
京都府京都市北区舟岡町紫野北舟岡町49の船岡山公園にある船岡山城跡と、船岡山公園サイレン塔と、巨岩磐座(いわくら)と、東へ約120メートルに位置する建勲神社と、北へ約50メートルに位置する船岡山公園野外ステージと、船岡山公園ラジオ塔と広場と、応仁永正戦跡舟岡山と、船岡山大銀杏と、これら周辺一帯広めで(いずれも危険度最高レベル!!)。
京都府京都市左京区聖護院中町15にある聖護院門跡(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)と、周辺一帯広めで。
https://t.co/vGc3w1xogf
聖護院(しょうごいん)は、京都市左京区聖護院中町にある本山修験宗の総本山の寺院。
山号はなし。
本尊は不動明王。
開山は増誉。
聖護院門跡( しょうごいんもんぜき)とも称する。
錦林府とも称された。
かつては天台宗寺門派(天台寺門宗)三門跡の一つであった。
倭国の修験道における本山派の中心寺院であると共に全国の「霞」(修験者統制の地域組織)を統括する総本山である。
1872年(明治5年)の修験道廃止令発布後、一時天台寺門宗に属したが、1946年(昭和21年)修験宗(のち本山修験宗)として再び独立して現在に至る[1]。
天台宗に属した後も聖護院の格は大本山であった。
【概要】
静恵法親王(後白河天皇の子)が宮門跡として入寺して以降、 代々法親王[2]が入寺する門跡寺院として高い格式を誇った[3]。
明治まで37代を数える門主のうち、25代は皇室より、12代は摂家より門跡となった[3]。
江戸時代後期には2度仮皇居となるなど、皇室と深い関わりを持ち、現在も「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されている。
宮門跡でもあり寺社勢力でもあった。
11世紀の末に現在の場所に建てられた後、4度の火災により市内を点々とし、延宝4年(1676年)に、現在の場所に戻った[3]。
明治までは、当時西側にあった「聖護院村」から鴨川にかけて広がっていた「聖護院の森」の中に寺があったため「森御殿」とも呼ばれ、 現在も近隣の住民に「御殿」と呼ばれることがある[3]。
なお、聖護院の森は、紅葉の際の美しさから「錦林」とも呼ばれ、 現在も「錦林」の語が地名に使われている[3]。
聖護院の南西には、「聖護院の森」の鎮守として知られる熊野神社があり、「京の熊野三山」(残り2つは熊野若王子神社、新熊野神社)のひとつとされるなど篤い信仰を受けたが、 応仁の乱で焼失した後、寛文6年(1666年)に道寛法親王によって再興された[3]。
祇園祭の役行者山(えんのぎょうじゃやま)では聖護院が護摩焚きを始め(採燈護摩供)導師の山伏が護摩木を護摩壇に投げ入れる儀式を行う。
【地名】
左京区南部の地名である「聖護院」は本寺院に由来し、その境域は旧愛宕郡聖護院村にほぼ相当する。
和菓子の聖護院八ツ橋や、京野菜の聖護院大根・聖護院かぶ・聖護院きゅうり発祥の地である[4]。
【歴史】
当寺の開山は園城寺の僧・増誉である。
増誉は師である円珍の後を継いで、師が行っていた熊野での大峰修行を行うなど修験僧として名をはせ、寛治4年(1090年)、白河上皇の熊野詣の先達(案内役)を務めた[3]。
この功により増誉は初代の熊野三山検校(熊野三山霊場の統括責任者)に任じられた他、更に都の熊野神社の近くにあり、役行者(修験道の開祖とされる伝説的人物)が創建したとされる常光寺を上皇より下賜された[3]。
こうして増誉は新たな寺名として「聖体護持」から文字を採って聖護院と改名し[3]、熊野神社を鎮守社とした。
ただし、増誉および増智(藤原師実の子)の時代には「白河房」と呼ばれており、「聖護院」の名称が登場するのはその後を継いだ覚忠の時代である(『兵範記』保元3年10月20日条・同仁安2年4月26日条)[5]。
増誉は、熊野三山検校として、また、本山派修験道の管領として、全国の修験者を統括した[3]。
増誉の後も、聖護院の歴代門跡が上皇の熊野御幸の先達を務めた。
この間、熊野詣は徐々に隆盛となり、「伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕まいりは月まいり」といわれ、愛宕山も修験道の修行場として活況を呈した[3]。
後に熊野に屯倉を所有していた後白河上皇の皇子の静恵法親王が入寺したため、熊野との結びつきが一層深まった。
聖護院は長く皇族もしくは摂関家出身の門跡が入っていたが、後嵯峨上皇の皇子の覚助法親王が70年にわたって門跡の地位にあって園城寺長吏・鶴岡八幡宮別当・熊野三山検校を兼ね、門跡寺院としての地位を確立させた。 November 11, 2025
1RP
その魂どもも出来る限り全て!!!!逮捕捕獲し、全宇宙最低次元の狭い狭い暗い個室に厳重に永久に幽閉しておけ!!!!!!!!
その魂どものの因果カルマの調査審査尋問拷問にはかなりの期間を要するであろうから、今は上掲の緊急措置を実行するしか、奴等の超絶悪事を完全に阻止する方法がない!!!!
やられる前に、今すぐ必ずヤレ!!!!
さとっぴ軍全軍は今すぐ、下記全地点へ攻撃大部隊を急派し包囲し、把握済みの危険地点群などを強く警戒し、エリア全体の地下深くを丸ごと!!!!先制総攻撃して、問答無用で奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼしまくれや!!!!!!!徹底的にヤレ!!!!!
https://t.co/luo6WPn7Y1
「さかもと」を含む地名— 110 件
「さかもと」を含む町域名
旭町坂本(あさひちょうさかもと) 島根県浜田市
旭町坂本八ツ木(あさひちょうさかもとやつぎ) 島根県浜田市
一迫小坂本(いちはさまこさかもと) 宮城県栗原市
梅津坂本町(うめづさかもとちょう) 京都府京都市右京区
大隅町坂元(おおすみちょうさかもと) 鹿児島県曽於市
大塔町阪本(おおとうちょうさかもと) 奈良県五條市
勝本町坂本触(かつもとちょうさかもとふれ) 長崎県壱岐市
上坂本(かみさかもと) 静岡県静岡市葵区
切明坂本(きりあけさかもと) 青森県平川市
口阪本(くちさかもと) 兵庫県丹波篠山市
口坂本(くちさかもと) 静岡県静岡市葵区
気高町下坂本(けたかちょうしもさかもと) 鳥取県鳥取市
坂内坂本(さかうちさかもと) 岐阜県揖斐郡揖斐川町
阪本(さかもと) 静岡県島田市
坂本(さかもと) 福岡県太宰府市
坂本(さかもと) 高知県四万十市
坂本(さかもと) 秋田県南秋田郡井川町
坂本(さかもと) 滋賀県大津市
坂本(さかもと) 富山県富山市
坂本(さかもと) 長崎県長崎市
坂本(さかもと) 兵庫県丹波篠山市
坂本(さかもと) 埼玉県秩父郡東秩父村
坂本(さかもと) 高知県吾川郡仁淀川町
坂本(さかもと) 福島県河沼郡会津坂下町
坂元(さかもと) 香川県東かがわ市
坂本(さかもと) 岡山県新見市
坂本(さかもと) 三重県多気郡明和町
坂元(さかもと) 青森県弘前市
坂本(さかもと) 静岡県静岡市葵区
坂本(さかもと) 和歌山県海草郡紀美野町
「さかもと」を含む地名— 110 件
「さかもと」を含む町域名
坂本(さかもと) 静岡県焼津市
坂本(さかもと) 福岡県築上郡築上町
坂元(さかもと) 埼玉県飯能市
坂本(さかもと) 高知県長岡郡本山町
坂元(さかもと) 宮崎県えびの市
坂本(さかもと) 富山県南砺市
坂本(さかもと) 千葉県長生郡長南町
坂本(さかもと) 兵庫県西脇市
坂本(さかもと) 徳島県勝浦郡勝浦町
坂本(さかもと) 三重県度会郡玉城町
阪本(さかもと) 静岡県島田市
坂本(さかもと) 福岡県太宰府市
坂本(さかもと) 高知県四万十市
坂本(さかもと) 秋田県南秋田郡井川町
坂本(さかもと) 滋賀県大津市
坂本川(さかもとがわ) 高知県高岡郡檮原町
坂元甲(さかもとこう) 愛媛県西条市
坂本郷(さかもとごう) 長崎県東彼杵郡東彼杵町
坂本新田(さかもとしんでん) 茨城県下妻市
坂元町(さかもとちょう) 鹿児島県鹿児島市
坂本町(さかもとちょう) 神奈川県横浜市保土ケ谷区
坂本町(さかもとちょう) 兵庫県加西市
坂本町(さかもとちょう) 香川県観音寺市
阪本町(さかもとちょう) 大阪府和泉市
坂本町(さかもとちょう) 京都府京都市中京区
坂本町(さかもとちょう) 青森県弘前市
坂本町(さかもとちょう) 神奈川県横須賀市
坂元町(さかもとちょう) 兵庫県加西市
坂本町(さかもとちょう) 岩手県花巻市
坂本町(さかもとちょう) 島根県松江市
「さかもと」を含む地名— 110 件
「さかもと」を含む町域名
坂本町(さかもとちょう) 兵庫県加西市
坂本本町(さかもとほんまち) 滋賀県大津市
坂元町(さかもとまち) 兵庫県姫路市
坂本町(さかもとまち) 福岡県柳川市
坂本町鮎帰(さかもとまちあゆがえり) 熊本県八代市
坂本町荒瀬(さかもとまちあらせ) 熊本県八代市
坂本町市ノ俣(さかもとまちいちのまた) 熊本県八代市
坂本町鎌瀬(さかもとまちかませ) 熊本県八代市
坂本町川嶽(さかもとまちかわたけ) 熊本県八代市
坂本町百済来上(さかもとまちくだらぎかみ) 熊本県八代市
坂本町百済来下(さかもとまちくだらぎしも) 熊本県八代市
坂本町西部(さかもとまちさいぶ) 熊本県八代市
坂本町坂本(さかもとまちさかもと) 熊本県八代市
坂本町田上(さかもとまちたがみ) 熊本県八代市
坂本町鶴喰(さかもとまちつるばみ) 熊本県八代市
坂本町中谷(さかもとまちなかたに) 熊本県八代市
坂本町中津道(さかもとまちなかつみち) 熊本県八代市
坂本町葉木(さかもとまちはぎ) 熊本県八代市
坂本町深水(さかもとまちふかみ) 熊本県八代市
桜江町坂本(さくらえちょうさかもと) 島根県江津市
三本木坂本(さんぼんぎさかもと) 宮城県大崎市
四郷町坂元(しごうちょうさかもと) 兵庫県姫路市
下阪本(しもさかもと) 滋賀県大津市
浄法寺町坂本(じょうぼうじまちさかもと) 岩手県二戸市
高来町坂元(たかきちょうさかもと) 長崎県諫早市
中区坂本(なかくさかもと) 兵庫県多可郡多可町
中郷区坂本(なかごうくさかもと) 新潟県上越市
名田庄奥坂本(なたしょうおくさかもと) 福井県大飯郡おおい町
名田庄口坂本(なたしょうくちさかもと) 福井県大飯郡おおい町
成羽町坂本(なりわちょうさかもと) 岡山県高梁市
「さかもと」を含む地名— 110 件
「さかもと」を含む町域名
西坂本(にしさかもと) 山形県酒田市
西阪本(にしさかもと) 兵庫県丹波篠山市
西坂元町(にしさかもとちょう) 鹿児島県鹿児島市
野口町坂元(のぐちちょうさかもと) 兵庫県加古川市
野口町坂元北(のぐちちょうさかもときた) 兵庫県加古川市
橋上町坂本(はしかみちょうさかもと) 高知県宿毛市
飯山町西坂元(はんざんちょうにしさかもと) 香川県丸亀市
飯山町東坂元(はんざんちょうひがしさかもと) 香川県丸亀市
東坂元(ひがしさかもと) 鹿児島県鹿児島市
東坂本(ひがしさかもと) 和歌山県岩出市
東阪本町(ひがしさかもとちょう) 大阪府和泉市
藤阪元町(ふじさかもとまち) 大阪府枚方市
藤原町坂本(ふじわらちょうさかもと) 三重県いなべ市
松井田町坂本(まついだまちさかもと) 群馬県安中市
三刀屋町坂本(みとやちょうさかもと) 島根県雲南市
三刀屋町坂本森谷(みとやちょうさかもともりだに) 島根県雲南市
八千代区坂本(やちよくさかもと) 兵庫県多可郡多可町
山田町坂本(やまだちょうさかもと) 兵庫県神戸市北区
弥生大坂本(やよいおおさかもと) 大分県佐伯市
八鹿町坂本(ようかちょうさかもと) 兵庫県養父市
大阪府堺市(さかいし)
坂井市(さかいし) 福井県
坂出市(さかいでし) 香川県
境港市(さかいみなとし) 鳥取県
猿島郡境町(さしまぐんさかいまち) 茨城県
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「さかい」を含む地名— 308 件
「さかい」を含む町域名
秋保町境野(あきうまちさかいの) 宮城県仙台市太白区
足近町坂井(あじかちょうさかい) 岐阜県羽島市
安心院町境ノ坪(あじむまちさかいのつぼ) 大分県宇佐市
荒土町境(あらどちょうさかい) 福井県勝山市
石沢境(いしざわさかい) 青森県三戸郡五戸町
板倉区坂井(いたくらくさかい) 新潟県上越市
岩井川境野(いわいかわさかいの) 宮崎県西臼杵郡日之影町
岩瀬堺町(いわせさかいまち) 富山県富山市
牛根境(うしねさかい) 鹿児島県垂水市
太秦海正寺町(うずまさかいしょうじちょう) 京都府京都市右京区
太秦開日町(うずまさかいにちちょう) 京都府京都市右京区
内郷御台境町(うちごうみだいさかいまち) 福島県いわき市
大隅町境木町(おおすみちょうさかいぎまち) 鹿児島県曽於市
大野町酒井寺(おおのまちさかいじ) 大分県豊後大野市
大原野西境谷町(おおはらのにしさかいだにちょう) 京都府京都市西京区
大原野東境谷町(おおはらのひがしさかいだにちょう) 京都府京都市西京区
奥田酒伊町(おくださかいちょう) 愛知県稲沢市
小浜酒井(おばまさかい) 福井県小浜市
鍛冶屋町堺町通松原下る(かじやちょうさかいまちどおりまつばらさがる) 京都府京都市下京区
鍛冶屋町堺町通万寿寺上る(かじやちょうさかいまちどおりまんじゅうじあがる) 京都府京都市下京区
鍛冶屋町万寿寺通堺町東入(かじやちょうまんじゅうじどおりさかいまちひがしいる) 京都府京都市下京区
香住区境(かすみくさかい) 兵庫県美方郡香美町
堅田町(万寿寺通堺町西入)(かただちょう(まんじゅうじどおりさかいまちにしいる)) 京都府京都市下京区
堅田町万寿寺通堺町西入(かただちょうまんしゅうじどおりさかいまちにしいる) 京都府京都市下京区
加納坂井町(かのうさかいまち) 岐阜県岐阜市
唐桑町境(からくわちょうさかい) 宮城県気仙沼市
北酒出(きたさかいで) 茨城県那珂市
協和境(きょうわさかい) 秋田県大仙市
吉良町酒井(きらちょうさかい) 愛知県西尾市
久井町坂井原(くいちょうさかいばら) 広島県三原市
「さかい」を含む地名— 308 件
「さかい」を含む町域名
口酒井(くちさかい) 兵庫県伊丹市
頸城区大坂井(くびきくおおさかい) 新潟県上越市
久美浜町坂井(くみはまちょうさかい) 京都府京丹後市
高野町界沢(こうやまちさかいざわ) 福島県会津若松市
五色町上堺(ごしきちょうかみさかい) 兵庫県洲本市
五色町下堺(ごしきちょうしもさかい) 兵庫県洲本市
境(さかい) 東京都西多摩郡奥多摩町
坂井(さかい) 長野県飯山市
酒井(さかい) 福島県双葉郡浪江町
境(さかい) 福島県岩瀬郡鏡石町
界(さかい) 大分県豊後高田市
境(さかい) 静岡県富士市
坂井(さかい) 山形県南陽市
酒井(さかい) 兵庫県三田市
境(さかい) 富山県高岡市
坂井(さかい) 長野県東筑摩郡筑北村
境(さかい) 埼玉県鴻巣市
境(さかい) 新潟県新発田市
坂井(さかい) 鹿児島県熊毛郡中種子町
堺(さかい) 和歌山県日高郡みなべ町
境(さかい) 山梨県甲斐市
境(さかい) 東京都武蔵野市
境(さかい) 高知県土佐郡土佐町
境(さかい) 富山県下新川郡朝日町
坂井(さかい) 千葉県館山市
坂井(さかい) 新潟県胎内市
境(さかい) 長野県伊那市
坂井(さかい) 京都府船井郡京丹波町
坂井(さかい) 三重県度会郡度会町
境(さかい) 岡山県久米郡美咲町
「さかい」を含む地名— 308 件
「さかい」を含む町域名
坂井(さかい) 長野県飯山市
酒井(さかい) 福島県双葉郡浪江町
境(さかい) 福島県岩瀬郡鏡石町
界(さかい) 大分県豊後高田市
坂井(さかい) 山形県南陽市
酒井(さかい) 兵庫県三田市
境(さかい) 静岡県富士市
境(さかい) 埼玉県鴻巣市
境(さかい) 富山県高岡市
坂井(さかい) 長野県東筑摩郡筑北村
堺(さかい) 和歌山県日高郡みなべ町
境(さかい) 新潟県新発田市
坂井(さかい) 鹿児島県熊毛郡中種子町
境(さかい) 山梨県甲斐市
境(さかい) 東京都武蔵野市
坂井(さかい) 千葉県館山市
境(さかい) 高知県土佐郡土佐町
境(さかい) 富山県下新川郡朝日町
坂井(さかい) 新潟県胎内市
境(さかい) 長野県伊那市
坂井(さかい) 京都府船井郡京丹波町
境東(さかいあずま) 群馬県伊勢崎市
境伊与久(さかいいよく) 群馬県伊勢崎市
境小此木(さかいおこのぎ) 群馬県伊勢崎市
境女塚(さかいおなづか) 群馬県伊勢崎市
境上武士(さかいかみたけし) 群馬県伊勢崎市
境上渕名(さかいかみふちな) 群馬県伊勢崎市
境上矢島(さかいかみやじま) 群馬県伊勢崎市
界川(さかいがわ) 北海道札幌市中央区
境川(さかいがわ) 和歌山県有田郡有田川町
「さかい」を含む地名— 308 件
「さかい」を含む町域名
境川(さかいがわ) 福岡県北九州市戸畑区
境川(さかいがわ) 岐阜県岐阜市
境川(さかいがわ) 大阪府大阪市西区
境川町石橋(さかいがわちょういしばし) 山梨県笛吹市
境川町大窪(さかいがわちょうおおくぼ) 山梨県笛吹市
境川町大黒坂(さかいがわちょうおおぐろさか) 山梨県笛吹市
境川町大坪(さかいがわちょうおおつぼ) 山梨県笛吹市
境川町小黒坂(さかいがわちょうこぐろさか) 山梨県笛吹市
境川町小山(さかいがわちょうこやま) 山梨県笛吹市
境川町寺尾(さかいがわちょうてらお) 山梨県笛吹市
境川町藤垈(さかいがわちょうふじぬた) 山梨県笛吹市
境川町坊ケ峰(さかいがわちょうぼうがみね) 山梨県笛吹市
境川町前間田(さかいがわちょうまえまだ) 山梨県笛吹市
境川町三椚(さかいがわちょうみつくぬぎ) 山梨県笛吹市
境木島(さかいきじま) 群馬県伊勢崎市
境木町(さかいぎちょう) 神奈川県横浜市保土ケ谷区
境木本町(さかいぎほんちょう) 神奈川県横浜市保土ケ谷区
境興屋(さかいこうや) 山形県東田川郡庄内町
境興野(さかいこうや) 山形県酒田市
境栄(さかいさかえ) 群馬県伊勢崎市
坂井沢(さかいざわ) 富山県中新川郡立山町
坂石(さかいし) 埼玉県飯能市
坂石町分(さかいしまちぶん) 埼玉県飯能市
境島村(さかいしまむら) 群馬県伊勢崎市
境下武士(さかいしもたけし) 群馬県伊勢崎市
境下渕名(さかいしもふちな) 群馬県伊勢崎市
境新(さかいしん) 新潟県阿賀野市
境新栄(さかいしんえい) 群馬県伊勢崎市
坂井新田(さかいしんでん) 新潟県妙高市
酒井新田(さかいしんでん) 山形県酒田市
「さかい」を含む地名— 308 件
「さかい」を含む町域名
境新田(さかいしんでん) 新潟県阿賀野市
境島(さかいじま) 茨城県稲敷市
境島(さかいじま) 千葉県香取市
境宿(さかいじゅく) 静岡県湖西市
坂井砂山(さかいすなやま) 新潟県新潟市西区
境関(さかいぜき) 青森県弘前市
境田(さかいだ) 青森県上北郡おいらせ町
堺田(さかいだ) 山形県最上郡最上町
境田(さかいだ) 秋田県仙北郡美郷町
酒井田(さかいだ) 福岡県八女市
境田(さかいだ) 茨城県つくば市
境田町(さかいだちょう) 岩手県下閉伊郡山田町
境田町(さかいだちょう) 岩手県盛岡市
境谷(さかいだに) 京都府舞鶴市
境谷(さかいだに) 和歌山県岩出市
境田町(さかいだまち) 山形県山形市
坂市(さかいち) 青森県弘前市
境町(さかいちょう) 鹿児島県出水市
堺町堀川通正面上る(さかいちょう) 京都府京都市下京区
堺町(さかいちょう) 奈良県大和郡山市
堺町(さかいちょう) 京都府京都市下京区
堺町鍵屋町通室町西入(さかいちょう) 京都府京都市下京区
坂井町(さかいちょう) 愛媛県新居浜市
坂井町(さかいちょう) 京都府京都市中京区
堺町室町通的場上る(さかいちょう) 京都府京都市下京区
堺町室町通鍵屋町下る(さかいちょう) 京都府京都市下京区
境町(さかいちょう) 福島県西白河郡矢吹町
堺町堀川通旧花屋町東入下る(さかいちょう) 京都府京都市下京区
堺町的場通室町東入(さかいちょう) 京都府京都市下京区
堺町室町通六条上る(さかいちょう) 京都府京都市下京区
「さかい」を含む地名— 308 件
「さかい」を含む町域名
坂井町(さかいちょう) 愛媛県新居浜市
坂井町(さかいちょう) 京都府京都市中京区
堺町室町通的場上る(さかいちょう) 京都府京都市下京区
堺町室町通鍵屋町下る(さかいちょう) 京都府京都市下京区
境町(さかいちょう) 福島県西白河郡矢吹町
堺町堀川通旧花屋町東入下る(さかいちょう) 京都府京都市下京区
坂井町朝日(さかいちょうあさひ) 福井県坂井市
坂井町今井(さかいちょういまい) 福井県坂井市
坂井町大味(さかいちょうおおみ) 福井県坂井市
坂井町折戸(さかいちょうおりと) 福井県坂井市
坂井町上新庄(さかいちょうかみしんじょう) 福井県坂井市
坂井町上関(さかいちょうかみぜき) 福井県坂井市
坂井町上兵庫(さかいちょうかみひょうご) 福井県坂井市
坂井町河和田(さかいちょうかわだ) 福井県坂井市
坂井町木部新保(さかいちょうきべしんぼ) 福井県坂井市
坂井町木部東(さかいちょうきべひがし) 福井県坂井市
坂井町清永(さかいちょうきよなが) 福井県坂井市
坂井町蔵垣内(さかいちょうくらがいち) 福井県坂井市
堺町五条通高倉西入(さかいちょうごじょうどおりたかくらにしいる) 京都府京都市下京区
堺町五条通高倉東入(さかいちょうごじょうどおりたかくらひがしいる) 京都府京都市下京区
坂井町五本(さかいちょうごほん) 福井県坂井市
坂井町御油田(さかいちょうごゆうでん) 福井県坂井市
坂井町定旨(さかいちょうさだむね) 福井県坂井市
坂井町島(さかいちょうしま) 福井県坂井市
坂井町下新庄(さかいちょうしもしんじょう) 福井県坂井市
坂井町下関(さかいちょうしもぜき) 福井県坂井市
坂井町下兵庫(さかいちょうしもひょうご) 福井県坂井市
坂井町新庄(さかいちょうしんじょう) 福井県坂井市
堺町高倉通五条下る(さかいちょうたかくらどおりごじょうさがる) 京都府京都市下京区
坂井町高柳(さかいちょうたかやなぎ) 福井県坂井市
「さかい」を含む地名— 308 件
「さかい」を含む町域名
坂井町蛸(さかいちょうたこ) 福井県坂井市
坂井町田島(さかいちょうたじま) 福井県坂井市
坂井町田島窪(さかいちょうたじまくぼ) 福井県坂井市
坂井町徳分田(さかいちょうとくぶんでん) 福井県坂井市
坂井町長畑(さかいちょうながばたけ) 福井県坂井市
坂井町長屋(さかいちょうながや) 福井県坂井市
坂井町西(さかいちょうにし) 福井県坂井市
坂井町東(さかいちょうひがし) 福井県坂井市
坂井町東荒井(さかいちょうひがしあらい) 福井県坂井市
坂井町東中野(さかいちょうひがしなかの) 福井県坂井市
坂井町東長田(さかいちょうひがしながた) 福井県坂井市
坂井町福島(さかいちょうふくしま) 福井県坂井市
坂井町宮領(さかいちょうみやりょう) 福井県坂井市
坂井町若宮(さかいちょうわかみや) 福井県坂井市
境堤(さかいつつみ) 宮城県亘理郡亘理町
坂出町(さかいでちょう) 香川県坂出市
境寺町(さかいでらちょう) 福井県福井市
境百々(さかいどうどう) 群馬県伊勢崎市
境百々東(さかいどうどうひがし) 群馬県伊勢崎市
坂井戸町(さかいどちょう) 愛知県名古屋市西区
境中島(さかいなかじま) 群馬県伊勢崎市
境西今井(さかいにしいまい) 群馬県伊勢崎市
酒井西町(さかいにしまち) 佐賀県鳥栖市
酒井根(さかいね) 千葉県柏市
境根町(さかいねちょう) 愛知県名古屋市天白区
境野(さかいの) 兵庫県宝塚市
境野(さかいの) 北海道常呂郡置戸町
境野(さかいの) 福井県丹生郡越前町
境野(さかいの) 佐賀県西松浦郡有田町
境野(さかいの) 福島県大沼郡会津美里町
「さかい」を含む地名— 308 件
「さかい」を含む町域名
境ノ内(さかいのうち) 福島県石川郡石川町
境ノ沢(さかいのさわ) 宮城県刈田郡七ヶ宿町
境野新(さかいのしん) 富山県富山市
境之谷(さかいのたに) 神奈川県横浜市西区
境野町(さかいのちょう) 群馬県桐生市
境萩原(さかいはぎわら) 群馬県伊勢崎市
境原(さかいはら) 和歌山県橋本市
境橋町(さかいばしちょう) 大阪府寝屋川市
境林(さかいばやし) 栃木県矢板市
境原(さかいばら) 和歌山県和歌山市
坂井東(さかいひがし) 新潟県新潟市西区
境東新井(さかいひがしあらい) 群馬県伊勢崎市
酒井東町(さかいひがしまち) 佐賀県鳥栖市
堺東町(さかいひがしまち) 新潟県長岡市
境平塚(さかいひらづか) 群馬県伊勢崎市
境別所(さかいべっしょ) 神奈川県足柄上郡中井町
境保泉(さかいほずみ) 群馬県伊勢崎市
酒井町(さかいまち) 石川県羽咋市
堺町(さかいまち) 広島県広島市中区
堺町(さかいまち) 新潟県長岡市
堺町(さかいまち) 奈良県磯城郡田原本町
堺町(さかいまち) 北海道小樽市
堺町(さかいまち) 兵庫県姫路市
坂井町(さかいまち) 大分県日田市
堺町(さかいまち) 福岡県北九州市小倉北区
坂井町(さかいまち) 岐阜県岐阜市
堺町(さかいまち) 大阪府岸和田市
堺町(さかいまち) 愛知県豊川市
堺町(さかいまち) 高知県高知市
堺町(さかいまち) 岡山県津山市
「さかい」を含む地名— 308 件
「さかい」を含む町域名
堺町(さかいまち) 北海道小樽市
堺町西(さかいまちにし) 北海道浦河郡浦河町
堺町東(さかいまちひがし) 北海道浦河郡浦河町
境松(さかいまつ) 青森県黒石市
境松(さかいまつ) 茨城県つくば市
境松(さかいまつ) 愛知県名古屋市緑区
坂井道上(さかいみちうえ) 福島県喜多方市
境三ツ木(さかいみつぎ) 群馬県伊勢崎市
境美原(さかいみはら) 群馬県伊勢崎市
境目町(さかいめまち) 熊本県宇土市
境免(さかいめん) 福島県須賀川市
境森(さかいもり) 青森県南津軽郡田舎館村
境山(さかいやま) 宮城県宮城郡七ヶ浜町
境米岡(さかいよねおか) 群馬県伊勢崎市
下境(しもさかい) 宮城県遠田郡美里町
下坂井(しもさかい) 新潟県三条市
下境(しもさかい) 青森県上北郡おいらせ町
下地町境田(しもじちょうさかいだ) 愛知県豊橋市
新境町(しんさかいちょう) 宮城県石巻市
新堺丁(しんさかいちょう) 和歌山県和歌山市
新境堀下(しんさかいぼりした) 宮城県遠田郡涌谷町
新田境町(しんでんさかいまち) 大阪府大東市
須玉町境之澤(すたまちょうさかいのさわ) 山梨県北杜市
瀬峰大境前(せみねおおさかいまえ) 宮城県栗原市
蘇原坂井町(そはらさかいちょう) 岐阜県各務原市
高久田境(たかくださかい) 福島県須賀川市
竹野町草飼(たけのちょうくさかい) 兵庫県豊岡市
建部堺町(たてべさかいちょう) 滋賀県東近江市
千種海岸(ちぐさかいがん) 千葉県市原市
千代田町境原(ちよだちょうさかいばる) 佐賀県神埼市
「さかい」を含む地名— 308 件
「さかい」を含む町域名
築館境田(つきだてさかいだ) 宮城県栗原市
峠境(とうげさかい) 宮城県伊具郡丸森町
戸塚境町(とづかさかいちょう) 埼玉県川口市
豊里町境沢(とよさとちょうさかいざわ) 宮城県登米市
椥辻草海道町(なぎつじくさかいどうちょう) 京都府京都市山科区
勿来町酒井(なこそまちさかい) 福島県いわき市
楢山川口境(ならやまかわぐちさかい) 秋田県秋田市
鳴子温泉境松(なるこおんせんさかいまつ) 宮城県大崎市
南濃町境(なんのうちょうさかい) 岐阜県海津市
西境町(にしさかいちょう) 京都府京都市下京区
西堺町(にしさかいまち) 京都府京都市伏見区
西境松町(にしさかいまつちょう) 岐阜県関市
野口町坂井(のぐちちょうさかい) 兵庫県加古川市
野村町坂石(のむらちょうさかいし) 愛媛県西予市
羽黒惣境(はぐろそうさかい) 愛知県犬山市
花泉町涌津境(はないずみちょうわくつさかい) 岩手県一関市
春江町境(はるえちょうさかい) 福井県坂井市
春江町境上町(はるえちょうさかいかみちょう) 福井県坂井市
春江町境元町(はるえちょうさかいもとまち) 福井県坂井市
東境町(ひがしさかいちょう) 京都府京都市下京区
東堺町(ひがしさかいまち) 京都府京都市伏見区
深草開土口町(ふかくさかいどぐちちょう) 京都府京都市伏見区
深草開土町(ふかくさかいどちょう) 京都府京都市伏見区
福富笠海道(ふくとみかさかいどう) 岐阜県岐阜市
藤井町坂井(ふじいまちさかい) 山梨県韮崎市
二ツ屋境(ふたつやさかい) 秋田県大館市
古川境野宮(ふるかわさかいのみや) 宮城県大崎市
戸坂出江(へさかいづえ) 広島県広島市東区
南酒出(みなみさかいで) 茨城県那珂市
峰山町堺(みねやまちょうさかい) 京都府京丹後市
「さかい」を含む地名— 308 件
「さかい」を含む町域名
美馬町境目(みまちょうさかいめ) 徳島県美馬市
村岡区境(むらおかくさかい) 兵庫県美方郡香美町
八百屋町堺町通四条上る(やおやちょうさかいまちどおり4じょうあがる) 京都府京都市中京区
八百屋町堺町通錦小路下る(やおやちょうさかいまちどおりにしきこうじさがる) 京都府京都市中京区
山川町境谷(やまかわちょうさかいだに) 徳島県吉野川市
山目境(やまのめさかい) 岩手県一関市
横野境塚町(よこのさかいづかちょう) 愛知県稲沢市
和坂稲荷町(わさかいなりちょう) 兵庫県明石市
世界救世教(大本教の系列っぽい)
https://t.co/NdMamuBIbr
静岡県熱海市の全体と、周辺一帯広めで。
静岡県熱海市桃山町26-1にある世界救世教本部、熱海瑞雲郷 (救世会館)・MOA美術館と、周辺一帯広めで。
静岡県熱海市春日町14-7にある世界救世教東山荘(旧石井健吾別邸)と、周辺一帯。
静岡県伊豆の国市の全体と、周辺一帯。
静岡県伊豆の国市浮橋1606-2にある大仁瑞泉郷(不気味!!!)と、周辺一帯広めで。
神奈川県足柄下郡箱根町の全体と、周辺一帯広めで。
神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300にある箱根美術館と、箱根町強羅の全域と、これら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
神奈川県足柄下郡箱根町仙石原1246−112にある碧雲荘と、周辺一帯。
神奈川県足柄下郡箱根町仙石原1300にある大涌谷駅と大涌谷と、南へ約800メートルにそびえる冠ヶ岳の山頂(危険度最高レベル!!!)と、その南隣にそびえる箱根山の山頂(危険度最高レベル!!)と、これら周辺一帯広めで。
神奈川県足柄下郡箱根町の山一覧の全ての山頂と、それら周辺一帯広めの地下深くが、今の危険予想地点です!!!!危険度最高レベル!!!!!
https://t.co/NiSyKbNRTb
1
塔ノ峰
2
浅間山
3
白銀山
4
鷹巣山
5
丸山
6
二子山
7
文庫山
8
箱根山
9
早雲山
10
明神ケ岳
11
屏風山
12
駒ケ岳
13
大観山
14
神山
15
冠ケ岳=危険度最高レベル!!!
16
小塚山
17
箱根山=危険度最高レベル!!!
18
孫助山
19
台ケ岳
20
畑引山
21
箱根山
22
三国山
23
箱根山
神奈川県足柄下郡箱根町の橋・トンネル一覧
https://t.co/cwzzllgxI4
1
湯本大橋
2
旭橋
3
新旭橋
4
千歳橋
5
宮城野橋
6
黒岩橋
7
黒崎橋
神奈川県足柄下郡箱根町の河川・湖沼・海・池・ダム一覧
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早川
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須雲川
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蛇骨川
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お玉ケ池
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精進池
6
早川
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芦ノ湖
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芦ノ湖
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早川
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早川
神奈川県足柄下郡箱根町の花の名所一覧
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1
小湧谷蓬莱園
2
小田急山のホテル
3
箱根湿生花園
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足柄下郡箱根町の神社・御宮(神社総数は15社)を知る
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神奈川県足柄下郡箱根町のお寺【17カ寺】の統計一覧
京都府京都市右京区嵯峨広沢北下馬野町4-1にある京都平安郷・岡田茂吉記念館と、周辺一帯。
京都府綾部市田野町才ケ首にある天王平奥津城(出口なお、出口王仁三郎墓)
東京都世田谷区上野毛(かつては玉川郷と富士見亭があった)の全域と、周辺一帯。
東京都台東区橋場町の東方之光の碑あたり(明主の生誕地)。
千葉県安房郡鋸南町の全部と、周辺一帯。
千葉県安房郡鋸南町元名にそびえる鋸山の山頂と、周辺一帯広めで。
千葉県富津市の全部と、周辺一帯。
福井県吉田郡永平寺町竹原41−1にある光明神玉神宮と、周辺一帯広めで。
大阪府富田林市喜志にあるパーフェクトリバティー教団 初代教祖奥津城(墓地)
広島県東広島市安芸津町風早にある奥津城跡
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「奥津」を含む地名— 4 件
「奥津」を含む町域名
奥津(おくつ) 岡山県苫田郡鏡野町
奥津川西(おくつかわにし) 岡山県苫田郡鏡野町
奥津川(おくつがわ) 岡山県津山市
美杉町奥津(みすぎちょうおきつ) 三重県津市
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「瑞」を含む地名— 4 件
「瑞」を含む市区町村
名古屋市瑞穂区(なごやしみずほく) 愛知県
西多摩郡瑞穂町(にしたまぐんみずほまち) 東京都
瑞浪市(みずなみし) 岐阜県
瑞穂市(みずほし) 岐阜県
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「瑞」を含む地名— 79 件
「瑞」を含む町域名
上奈良町瑞穂(かみならちょうみずほ) 愛知県江南市
木越町瑞樹団地(きごしまちみずきだんち) 石川県金沢市
古知野町瑞穂(こちのちょうみずほ) 愛知県江南市
勝瑞(しょうずい) 徳島県板野郡藍住町
勝瑞幸島(しょうずいこうじま) 徳島県板野郡藍住町
勝瑞正喜地(しょうずいしょうきち) 徳島県板野郡藍住町
勝瑞成長(しょうずいせいちょう) 徳島県板野郡藍住町
勝瑞東勝地(しょうずいひがしかつち) 徳島県板野郡藍住町
瑞雲町(ずいうんちょう) 岐阜県岐阜市
瑞応(ずいおう) 高知県高岡郡佐川町
瑞岩寺(ずいがんじ) 岐阜県揖斐郡揖斐川町
瑞光(ずいこう) 大阪府大阪市東淀川区
瑞光院前町(ずいこういんまえちょう) 京都府京都市上京区
瑞梅寺(ずいばいじ) 福岡県糸島市
瑞鳳(ずいほう) 石川県鳳珠郡穴水町
瑞龍町(ずいりゅうちょう) 茨城県常陸太田市
瑞慶覧(ずけらん) 沖縄県中頭郡北中城村
蘇原瑞雲町(そはらずいうんちょう) 岐阜県各務原市
蘇原瑞穂町(そはらみずほちょう) 岐阜県各務原市
禎瑞(ていずい) 愛媛県西条市
鳴滝瑞穂町(なるたきみずほちょう) 京都府京都市右京区
西瑞江(にしみずえ) 東京都江戸川区
新田瑞木町(にったみずきちょう) 群馬県太田市
早来瑞穂(はやきたみずほ) 北海道勇払郡安平町
東旭川町瑞穂(ひがしあさひかわちょうみずほ) 北海道旭川市
東瑞江(ひがしみずえ) 東京都江戸川区
風連町瑞生(ふうれんちょうずいしょう) 北海道名寄市
鳳瑞町(ほうずいちょう) 京都府京都市上京区
細川町瑞穂(ほそかわちょうみずほ) 兵庫県三木市
瑞江(みずえ) 東京都江戸川区
「瑞」を含む地名— 79 件
「瑞」を含む町域名
瑞ケ丘(みずがおか) 兵庫県神戸市垂水区
瑞ケ丘(みずがおか) 兵庫県伊丹市
水島北瑞穂町(みずしまきたみずほちょう) 岡山県倉敷市
水島南瑞穂町(みずしまみなみみずほちょう) 岡山県倉敷市
瑞波(みずなみ) 新潟県新発田市
瑞原(みずはら) 兵庫県伊丹市
瑞治(みずはる) 北海道網走郡美幌町
瑞穂(みずほ) 北海道虻田郡倶知安町
瑞穂(みずほ) 岐阜県養老郡養老町
瑞穂(みずほ) 長野県飯山市
瑞穂(みずほ) 千葉県千葉市花見川区
瑞穂(みずほ) 北海道浦河郡浦河町
瑞穂(みずほ) 北海道空知郡奈井江町
瑞穂(みずほ) 栃木県宇都宮市
瑞穂(みずほ) 北海道名寄市
瑞穂(みずほ) 石川県鳳珠郡能登町
瑞穂町(みずほちょう) 兵庫県伊丹市
瑞穂町(みずほちょう) 神奈川県横浜市神奈川区
瑞穂町(みずほちょう) 岐阜県岐阜市
瑞穂町(みずほちょう) 山口県下松市
瑞穂町(みずほちょう) 愛知県豊田市
瑞穂町(みずほちょう) 北海道富良野市
瑞穂町(みずほちょう) 愛知県半田市 November 11, 2025
1RP
戦前の伊平屋
明治12年の廃藩置県により、琉球藩が廃止され、沖縄県として倭国国の制度のもとスタートすることになりました。
明治42年4月1日村制施行、「伊平屋島」を「伊平屋村」、「伊是名島」を「伊是名村」と改称。
間切が村となり、これまでの村が字になりました。
当時の字は、我喜屋、島尻、野甫、田名、田名から分割した前泊の五字でした。
伊平屋村役場は、伊是名村字伊是名に置かれ、初代村長に島尻出身の諸見守蔵氏が任命され村行政を施行しました。
村役場が伊是名島に設置されていたため、諸会議、役員吏員、一般民衆の不利不便は想像を絶するものがあり、村議会に分村問題を提起も取り上げ採択されず、民衆は苦境になげく状況が続きました。
しかし、分村熱はますます高まり、大正5年伊平屋島(後島)有志が伊是名村との分村請願書を沖縄県に提出。
伊平屋においては「分村期成会結成会」も結成され、住民の意向をうけた村議会、村当局も国、県に請願したことで、分村が実現の方向に進み県当局、県議会の調査決議を経て、ついに昭和14年5月23日、内務省令により分村許可、百有余年の懸案であった伊平屋島(後島)住民の嘆願が実現のものになりました。
昭和14年7月1日、伊平屋村誕生、初代村長に諸見清吉就任、伊平屋尋常小学校内に事務所を設置。
行政運営は財政が脆弱なため幾多の困難を余儀なくされたが、村民一丸となり、離島苦解消のため航路船の購入、昭和15年5月に住民の奉仕汗の結晶により新庁舎が完成し、行務を執いました。
昭和16年5月17日不運にして庁舎失火により建物、書類一切を全焼、分村後の大きな損失を被ったが国、県の指導に従い援助を経て対策を講じ、行政事務の充実を図りましたが、県より経済更生村に指定され、その主旨に従い村民を督励して増産体制をとり、米作、養蚕、さとうきび甘薯等の生産強化により、昭和 16年4月1日農林省主催の全国米作共進会で沖縄県より米作増産の一等賞に表彰され、自給自足が可能な村として称賛されるまでになりました。
戦中の生活と米軍上陸
昭和16年12月8日大東亜戦争勃発。
物資統制令により、米作農家に増産体制の強化と割当配給制、強制供出米を徴収され(昭和20年終戦時まで続く)、流通機関も絶え苦難な戦争中の生活を余儀なくされ、戦況はますます激化の一途をたどっていました。
昭和19年には、本村も始めて空襲され田名集落で数棟焼失、同年6月3日、突如米軍機動部隊が当村に上陸し、空中射撃や艦砲射撃により、40余名の村民の犠牲者と全て焼土に化し米軍占領統治となり、米軍使役労務に強制従事させられる。
同年11月22日米軍が、伊平屋から引き揚げたことで村民収容解除され、田名より各集落へ復帰し戦後の混乱期の生活が始ました。
戦後の伊平屋
昭和21年、沖縄諮詢会の時代米軍の施政権下にあって地方行政の改正と変遷を経て自治の進歩と諸産業も斬次進展し、生活も進歩していきましたが、まだまだ幾多の困難な問題があり、占領施政権から脱却して本土復帰の運動が高まり、昭和47年5月15日念願の本土復帰になり、諸制度が適用されています。
昭和46年1月15日国務大臣山中貞則ご来村、沖縄復帰担当大臣村内ご視察、村の要請を快諾、離島苦解消のため野甫橋架橋建設を決断され村民に公約、実現の糸口となり、昭和47年10月より調査実施、同49年より工事施行、同54年6月19日夢の架橋野甫大橋が開通し野甫島が道路により結ばれ利便となる。
村は復帰後の新しい制度に適用するため、総合計画基本構想を設定(昭和52年12月23日)に基づき農林水産業の基盤整備、道路、建設、環境整備、航路交通の整備、空港設置要請、教育施設等の整備に同52年より着手、同55年、過疎振興計画の策定適用によって、補助事業を積極的に促進し、整備を推進している状況であるが財政が脆弱のため自主財涯に乏しく困難な財政運営を余儀なくされているが地域住民の定住と生活の安定のため生産基盤の確立と諸産業振興を図るため諸事業を選択して推進しています。
伊平屋村、伊是名村が分離、分村して、平成元年7月1日を以て50周年の時代の節目を迎え、幾多の困難と世代変遷を経て早カされた当局先輩諸氏村民の労苦に対し敬意を表し、一層行政の高率と地域住民福祉向上を図るため分村50周年記念事業として鉄筋コンクリート2階建、役場庁舎の建設、21世紀に向けて活力ある「快適で豊かな生産活動が出来る村づくり」を目指して推進しています。
沖縄県島尻郡伊是名村の説明に出てくる下記全キーワード関係地点群と、それら周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
https://t.co/tGHOCX68HM
伊是名村(いぜなそん)は、沖縄県の北部、沖縄本島(本部半島)の北方約35kmに位置する伊是名島とその周辺に位置する無人島で構成される村[1]。
島尻郡に属す。
歴史
琉球国王第二尚氏の始祖・尚円(金丸)の生まれた島として知られ、2015年には尚円生誕600周年祭が行われた。
沖縄貝塚時代の前半(縄文時代にあたる)時期の遺跡が多く、特に貝塚時代前半の伊是名貝塚からは竪穴建物や土器などがみつかっている。
また、北側にある具志川島遺跡群ではオオベッコウガサガイ製の腕輪(貝輪)をはめた人骨が県内で初めて発見された。
琉球王国においては、伊是名島および伊平屋島は琉球王統発祥の地として王府直轄領とされた。
この経緯から1896年(明治29年)に県内において郡制度が施行された際、かつての王府領や聖域も多い沖縄本島南部と同じ島尻郡に属され、現在に至る。
2008年(平成20年)度決算における実質公債費比率が自治体財政健全化法における早期健全化基準を超過したため、翌年度より財政健全化団体となっている。
人件費削減と船舶運航事業への繰出削減などにより総額4,600万円を捻出し、2011年(平成23年)度までに実質公債費比率が早期健全化基準を下回ることを目標としている。
2015年、新しいフェリーが就航した。
2021年(令和3年)10月から11月にかけて、福徳岡の場の噴火で生じた軽石が沿岸部に漂着。
フェリーが接岸できなくなり、ガソリンなどの生活物資が不足する影響が出た[3]。
医療
施設名の後にある括弧書きは字名である。
沖縄県立北部病院附属 伊是名診療所(仲田)
時間外診療および医師不在時は伊是名村役場に連絡することとしている。
民間救急ヘリコプター(ドクターヘリ)「MESHサポート」
村内の4箇所(内花、仲田、諸味)がランデブーポイントに指定されている[7]。
【港湾】
仲田港
内花港
飛行場
伊是名場外離着陸場
MESHサポートのランデブーポイントに指定されている。
伊是名場外離着陸場と沖縄本島など他の島を結ぶ定期航空路線は現存しない。
【名所・旧跡】(いずれも危険度最高レベル!!!!)
(写真は、伊是名玉陵、サトウキビ畑ごしに見た伊是名城、みほそ所=尚円王生誕の地)
二見ヶ浦海岸
伊是名玉陵
伊是名城跡
尚円王生誕地
尚円王御庭公園
銘苅家住宅
伊是名村ふれあい民俗館
※※※※※※※※
下記は引き続き、最も危険なエリアです!!!!地下世界を徹底的に焼いて焼いて焼き滅ぼし、トドメも念入りに刺しまくって、さとっぴ軍が地下世界の全てを完全制覇征服占領支配せよ!!!!!!
斎場御嶽
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斎場御嶽(せーふぁーうたき[1]/サイハノうたき)は沖縄県南城市知念にある史跡。
15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされる。
「せーふぁ」は「最高位」を意味し、「斎場御嶽」は「最高の御嶽」ほどの意味となり、これは通称である。
正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」という。
御嶽 (沖縄)(うたき)
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御嶽(うたき)は、琉球神道における祭祀などを行う場所である。
「腰当森(くさてぃむい)」、「拝み山」などともいう。
概要
琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球神道における聖域の総称で、それ以前はさまざまな呼び名が各地方にあった。
「うたき」という呼称は主に沖縄本島とその周辺の島々のものであるが、16世紀まで琉球に属していなかった宮古地方では「すく」、八重山地方では「おん」(石垣島、竹富島、西表島)・「うがん」(新城島、西表島)・「わん」(黒島、小浜島、新城島)・「わー」(波照間島)等と呼ばれる(近年では「うたき」と呼ばれることもある)。
信仰上の位置
御嶽は琉球の神話の神が存在、あるいは来訪する場所であり、また祖先神を祀る場でもある。
地域の祭祀においては中心となる施設であり、地域を守護する聖域として現在も多くの信仰を集めている。
琉球神道では神に仕えるのは女性とされるため、王国時代は完全に男子禁制だった。
現在でもその多くが一定区域までしか男性の進入を認めていない。
形態
御嶽(国営沖縄記念公園)
御嶽の多くは森の空間や泉や川などで、島そのものであることもある。
御嶽によっては空間の中心にイベあるいはイビ石という石碑があるが、これは本来は神が降臨する標識であり、厳密な意味でのご神体ではない(ご神体として扱われているところも多い)。
宮古や八重山地方では、過去に実在したノロの墓を御嶽とし、そのノロを地域の守護神として祭っていることが多く見られる。
大きな御嶽では、「神あしゃぎ(神あしゃげ、神あさぎ)」と呼ばれる前庭や建物といった空間が設けられていることがある。
これは信仰上、御嶽の神を歓待して歌ったり踊ったりするための空間である。
語源は「神あしあげ(神が足をあげる場=腰を下ろす場)」と考えられている。
御嶽やグスクにある鳥居
御嶽やグスクの入口に鳥居が設置されているものが、現代も沖縄県内に多く残っている。
近世琉球までの御嶽にはそもそも無かったものと考えられている(ただし、察度王の代に神仏習合の形で倭国神道の神々を勧請した波上宮などは当初から鳥居を供える)。
これは、明治維新から琉球処分以降の「皇民化政策」による神道の施設となった結果であると説明され、県社建立や「一村一社」構想により、県内各地の御嶽やグスクが神社として再編されていった[1][2] 。
例えば今帰仁城跡は1930年(昭和5年)に鳥居が設置されたが、2000年(平成12年)11月30日に登録された世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する施設となって以降、景観保護上の観点で2003年(平成15年)に撤去された。
しかし、本島北部の名護城や、伊平屋島の田名神社、伊江島の阿良御嶽など、倭国領以降に設置された鳥居が未だに残っているものもある。
また、先島諸島(宮古・八重山)では、特に撤去しようとする動きもなく、そのままになっているのがほとんどと言われる。
倭国本土で現存する最古の鳥居は、平安時代のものであり歴史は古いが、鳥居が必ずしも本土神道式の神社を象徴するものとは限らない。
そもそも奄美・琉球(沖縄)における神社は、世持神社のように1936年(昭和11年)ながらも沖縄県有志総出で琉球偉人を祀る神社(郷社)建立に走った例もある。
徳之島における「神社」のように、鳥居が立っていて「神社」と呼ばれていても必ずしも本土のような手水舎、神殿や拝殿がある訳でもなく、ただ沖縄の御嶽のように小屋や祠、はたまた石だけが置かれているものも多く、奄美古来のグスク(あるいはモリ、ハラ)、古の風葬墓跡や拝所などが判然とせず、聖地と見なされている状況である[3]。
起源
斎場御嶽の大庫理(ウフグーイ)
御嶽はもともと古代社会において集落があった場所と考える説が有力である。
その証左として、御嶽の近くから遺骨が見つかる例が少なくない。
これは、祖先崇拝であることに強く関係していると考えられる。
また、多くの川や泉が御嶽もしくはそれと同格の扱いをされているが、これは保水力の乏しい琉球石灰岩からなる沖縄県周辺の土地性などから、古代社会では水源が神聖視されたためと考えられる。
グスクには拝所が存在するものも多いが、このことから、グスクは元々は御嶽を中心にした集落であったものが発展し、城砦化したと指摘する説がある。
また、首里城、玉城城など、城そのものが御嶽とみなされていた城もある。
現代における実情
現代も琉球の信仰は地域に根付いており、御嶽はその信仰の中心となる場所として、地域に手厚く保護されているものも多いが、放棄され、存在自体不明のものもある。
著名な斎場御嶽や園比屋武御嶽のように観光資源化している御嶽もあるが、それはどちらかといえば稀な例であり、多くの御嶽は、現在も地域の人々(女性)や、そこを管理するノロによって維持されている。
御嶽はほぼ年間を通してたびたび行われる地域の様々な祭事の中心となるばかりでなく、東御廻りや今帰仁上りなどの巡礼地として崇められているものもある。
また、米軍による土地接収や、発掘調査や開発にともない立入が禁止または制限されたほか、破壊された御嶽もある。
一例として、首里城敷地内にあった十御嶽のいくつかは、かつては現在の首里城再建以前には信仰者が来訪することができたが、同城の再建などの整備にともない立入の制限または有料観覧区域となったり、埋め立てられるなどした地域がある。
【主な御嶽】
以下に、信仰上重要かつ著名な御嶽を列挙する。
なお、琉球王国時代の古い集落についてはおおむね集落ごとに1箇所以上の御嶽があると考えてよいが、当時から現在にわたって存在する集落の場合は御嶽もまた残っていると考えられることから、以下はごく一部の例示である。
【琉球開闢九御嶽】
琉球の神話では、日の大神(天にある最高神、日神、天帝)が開闢の神アマミキヨ(アマミク)に命じて島作りをさせた。
アマミキヨはこの命を受け、沖縄本島を作り、そこに9つの聖地[4]7つの森[5]を作ったとされる。
現在では、アマミキヨによって作られた聖地のうち7つが、琉球開闢九御嶽として語り継がれ、琉球神道においてもっとも神聖な御嶽として位置づけられている。
このうち王国の祭政一致体制において最重視された御嶽は、斎場御嶽である。
聞得大君の就任式などはこの御嶽で行なわれた。
現在の斎場御嶽からは、アマミキヨ降臨の聖地である久高島が遥拝できるが、これは王国時代の史料には記録されていない。
また国王就任に際しては、君手摩(きみてずり)が安須森御嶽に現れ、5つの御嶽を順に巡り、最後に首里真玉森御嶽に現れるという。
以下、アマミキヨが作ったとされる順番に列記する。
安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺土
クボウ御嶽:今帰仁村今帰仁グスク内
知念森 : 南城市知念
斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城グスク内
クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)
首里森御嶽(しゅいむいうたき):首里城十嶽の一つ
真玉森御嶽(まだむいうたき):首里城十嶽の一つ
このうち、首里真玉森御嶽は沖縄戦と首里城改築工事による整備で失われており、県によって敷地内への侵入は禁止されている。
【東御廻りの御嶽】
園比屋武御嶽、石門の後方
現在も行われている聖地巡礼である東御廻り(あがりうまーい)は、太陽の昇る東方を、ニライカナイのある聖なる方角と考え、首里からみて太陽が昇る東方(あがりかた)といわれた玉城、知念、佐敷、大里にある御嶽を巡るものである。
起源は国王の巡礼と考えられており、以後時代が下るに従い、士族、民間へと広まった。
現在では、士族の流れを汲んでいる門中(むんちゅー:男系血族)を中心に行われている。
巡る御嶽は門中によって多少異なるが、起点の園比屋武御嶽から以下の順に巡るのが一般的である。
園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき):首里城外
与那原親川(よなばるうぇーがー):与那原町
御殿山(うどぅんやま):与那原町
場天御嶽(ばてぃんうたき):南城市佐敷
佐敷上グスク(さしきうぃぐすく):南城市佐敷
テダ御川(てぃだうかー):南城市知念
斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
友利ノ御嶽(とむいのたけ):南城市知念知念グスク内
知念大川(ちねんうっかー):南城市知念
ミントングスク(みんとぅんぐすく):南城市玉城
仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー):南城市玉城
アイハンタ御嶽(あいはんたうたき):南城市玉城
藪薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
ヤハラヅカサ:南城市玉城
潮花司(すーぱなつかさ):南城市玉城
浜川御嶽(はまがーうたき):南城市玉城
浜川受水走水(はまがーうきんじゅはいんじゅ):南城市玉城
雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城玉城グスク内
玉城祝女殿内(たまぐすくぬんどぅち):南城市玉城
志堅原仁川(しちんばるじんがー):南城市玉城
【今帰仁上りの御嶽】
現在も門中を中心に、今帰仁一帯の聖地を巡礼するものが今帰仁上り(なきじんぬぶい)である。
起源は定かではないが、琉球王国王統発祥の地である伊是名島、伊平屋島を擁する旧北山国領と、その首府があった今帰仁には、士族のルーツも多くあることが理由ではないかと考えられる。
巡る御嶽や経路は門中によって多少異なる。
主な御嶽は以下の通りである。
カラウカー:今帰仁グスク内
火の神の祠:今帰仁グスク内
テンチギの御嶽(カナヒヤブ。開闢2番目に作られた御嶽):今帰仁グスク内
ソイツギの御嶽:今帰仁グスク内
クボウ御嶽:今帰仁グスク内
阿応理屋恵祝女殿内(あおりやへのろどぅんち):今帰仁村
今帰仁祝女殿内(なきじんのろどぅんち):今帰仁村
供のカネー祝女火の神(とぅむなはーにーのろひぬかん):今帰仁村
今泊の親川(えーがー):今帰仁村
中城(仲尾次)祝女殿内(なかぐすくのろどぅんち):今帰仁村
今泊の津屋口墓(ちぇーぐちばか):今帰仁村
諸志の赤御墓(あかうばか):今帰仁村
池城墓(いちぐすくばか):今帰仁村
大北墓(うーにしばか:または按司御墓/あじうはか):今帰仁村
百按司墓(むむじゃなばか):今帰仁村
ティラガマ:今帰仁村
勢理客祝女殿内(じっちゃくのろどぅんち):今帰仁村
【先島諸島の御嶽】
先島諸島には王国の支配を受ける以前からの聖地が多くあるほか、八重山列島では司の墓が御嶽となっている例が多く見られる。
八重山列島では御嶽のことを「おん」、「わん」と呼ぶ。以下に主なものを列挙する。
【宮古諸島】
漲水御嶽(ぴゃるみずうたき、はりみずうたき)
宮古島(宮古島市)。宮古島を作った神・古意角(こいつの)と姑依玉(こいたま)の二神を中心として、水を司る「竜宮神」、宮古島を守護する「子方母天太」等の神々が祭られており、島内最高の霊場として島の人々の信仰を集め、その周りをめぐる石垣は、1500年のオヤケ赤蜂の乱の戦勝記念として仲宗根豊見親が奉納したと伝えられている。
島尻元島(しまじりもとしま)
宮古島(宮古島市平良字島尻)。奇祭「パーントゥ・プナハ」の中心となる一帯にある。
大主御嶽(ウパルズ御嶽、ナナムイ)
池間島(宮古島市)。大主神社(標準語風の名称)ともいう。宮古島に住んでいる人々の運命を司る神「うらせりくためなうの眞主(まぬす)」を祭る御嶽。池間島から移民した人々が伊良部島、字西原にも新しく同名の御嶽を建立した。現在でも池間島にルーツがある人々から信仰を集め、この御嶽を中心として、多くの神事が行われている。
大神御嶽(おおがみうたき)
大神島(宮古島市)。秘祭「祖神祭(うやがん)」の中心となる御嶽。
【八重山列島】
真乙姥御嶽(まいつばおん)
石垣島(石垣市)。王府のオヤケアカハチ軍征討に縁のある祝女を祭った御嶽。
美崎御嶽(みしゃぎおん)
石垣島(石垣市)。沖縄県の有形文化財・史跡に指定されている。
群星御嶽(んにぶしおん/んにぶしうたき)
石垣島(石垣市)。奇祭「マユンガナシ」の中心になる御嶽。
西塘御嶽(にしとうおん)
竹富島(竹富町)。西塘を祀る御嶽。沖縄県の史跡に指定されている。
国仲御嶽(ふいなーおん/くになかうたき)
竹富島(竹富町)。園比屋武御嶽から勧請された八重山で唯一の王府縁の御嶽。
三離御嶽(ふなふら/みちゃーりおん/さんりうたき)
西表島(竹富町古見(クン))。請原御嶽とともに、秘祭アカマタ・クロマタ・シロマタ祭の中心になる御嶽。
十山御嶽(とぅやまうがん)
与那国島(与那国町祖納)。
【奄美群島】
奄美群島にもノロ制度はあるが御嶽と呼ばれる拝所は存在していない。
ただし「アマンデー」(奄美嶽、海見嶽)と呼ばれる、斎場御嶽と似たものが存在する。
また「拝み山」と呼ばれる山や、「立神」と呼ばれる類するものもある。
厳島神社や高千穂神社という名称でありながら実際には御嶽と思われる拝所が多く存在する。
薩摩藩の統治時代に神社に移行したものと考えられる。
京都府福知山市の全体と、周辺一帯。
京都府福知山市大江町佛性寺にそびえる大江山(=千丈ヶ嶽)の山頂(標高832メートル)と、周辺一帯の聖地群史跡群水辺群の全地点と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
https://t.co/BPo0QlCMAK
大江山ニッケル鉱山とがあったらしいので、大江山と鳩ヶ峰と鍋塚山と鬼の岩屋と「大江山航空管制塔」までの5連山の全体の地下深くと、周辺一帯広めで。
京都府福知山市大江町北原303−1にある鬼嶽稲荷神社と、鬼の洞窟の中全部と北原遺跡と、「鬼嶽不動尊」と「不動の滝」と、酒呑童子供養碑と、これら周辺一帯広めで。
京都府福知山市大江町佛性寺にある鳩ヶ峰の山頂(標高746メートル)と、鍋塚の山頂(標高762.7メートル)と、これら周辺一帯広めで。
京都府福知山市大江町仏性寺909にある倭国の鬼の交流博物館(河守鉱山の施設群の跡地)と、周辺にある源頼光一行山伏像、大江山グリーンロッジと公衆トイレ、平成の大鬼瓦、酒呑童子の里・体育館、テニスコートと、その西南方向そばにある大江山 酒呑童子の里と、河守鉱山坑口跡と、更に西にある千丈ヶ滝、「大聖不動明王」と「明王の滝」「千丈ヶ原 子安地蔵」と、これら周辺一帯。
京都府福知山市大江町佛性寺951にある鬼のモニュメントと、西隣にある大江山グリーンロッジグラウンドと、これら周辺一帯。
京都府福知山市上佐々木にそびえる三岳山の山頂(危険度最高レベル!!)と、南へ約300メートルに位置する三嶽神社と、三岳山の祠と、その西方向へ約60メートルに位置する行者神社と、其処から南に連続して連なる十七地蔵の全地点と、その末の麓にある金光寺と祠と桜と紅葉と山門と、これら周辺一帯。
京都府福知山市上紺屋30にある厳の郷(出口なお生家)と、周辺一帯広めで。
京都府与謝郡伊根町の全体と、周辺一帯。
京都府与謝郡与謝野町の全体と、周辺一帯。
京都府与謝郡与謝野町与謝にそびえる赤石ヶ岳の山頂(標高736メートル)と、周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
京都府与謝郡与謝野町滝にある中華人病没者供羪塔と、北隣に在る梅崎稲荷神社と鳴滝不動明王と、これら周辺一帯。
京都府与謝郡与謝野町滝941にある加悦鉄道 倭国冶金工業大江山鉱山 鉱石積込場跡と、旧大江山ニッケル鉱山製錬所煙突と、滝グラウンドゴルフ場、トロッコ広場と、これら周辺一帯広めで。
京都府与謝郡与謝野町滝にある権現宮と、東隣に在る与謝野鉄幹歌碑と、高浜虚子句碑と、更に東へ約150メートルに位置する与謝野町立江山文庫 (短歌と俳句の資料館)と与謝野晶子歌碑と、これら周辺一帯広めで。
京都府与謝郡与謝野町金屋1603にある比丘尼城本丸跡と、南隣に在る金屋比丘尼城跡と、これら周辺一帯広めで。
京都府宮津市の全域と、周辺一帯。
京都府宮津市小田にある大江山航空管制塔(標高740メートル)とハンググライダー広場と、西へ約250メートルに位置する鬼の岩屋(標高686メートル)と、これら周辺一帯。
京都府京丹後市の全体と、周辺一帯。
兵庫県養父市大屋町横行にそびえる氷ノ山の山頂(標高1509メートル)と、周辺一帯広めで。
大本教(おおもと おほもと)
https://t.co/zAIVODi1J3
本部梅松苑:京都府綾部市本宮町1-1
天恩郷:京都府亀岡市荒塚町内丸1番地
東光苑:東京都台東区池之端2-1-44
霊場
沓島(めしま)・冠島(おしま)[4][5][6]
→
京都府舞鶴市の全体と、周辺一帯広めで。
京都府舞鶴市野原にある冠島(おしま)と沓島(おしま)の島全体と、周辺海底一帯広めで(危険度最高レベル!!!)。
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京都府綾部市の全体と、周辺一帯。
京都府綾部市若竹町8−1にある綾部市役所と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市本宮町16−1にある本宮山の山頂と、北隣に在る旧岡花家住宅(木の花庵)(大本教本部)と、金竜海という庭園と「大八洲の岩戸の中(危険度最高レベル!!!)」と、金水明(危険度最高レベル!!!)と、大本本部梅松苑と、みろく殿(祖霊社・万霊社)、緑寿館(大本教教主公館)、長生殿(本殿)などの宗教関係地点群と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市田野町笹谷にそびえる四尾山の山頂(標高287.1メートル)と、西北方向へ約330メートルに位置する配水場と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市田野町田野山1−15にある綾部市斎場と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市田野町才ケ首にある天王平奥津城(出口なお、出口王仁三郎墓)(危険度最高レベル!!!)と、彩霞苑という墓地と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市野田町井根山にある井根山秋葉神社と、野田城跡と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市西原町平井にある釈丈ヶ嶽城跡(標高270メートル超)と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市鷹栖町にそびえる猪才山城跡(標高264メートル)と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市上野町藤山にある杵ノ宮・九鬼霊神社と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市於与岐町宮谷にそびえる弥仙山(みせんざん)の山頂(標高664メートル)と金峰神社(弥仙山奥宮)と、西北方向へ約120メートルに位置する大岩磐座と、更に西へ約100メートルに位置する於成神社(弥仙山中の宮)、於成寺古跡、修練の滝の不動明王と、これら周辺一帯広めで(いずれも危険度最高レベル!!!)。
京都府亀岡市の全体と、周辺一帯。
京都府亀岡市稗田野町佐伯向山97にある源義経の腰掛岩と、周辺一帯。
京都府亀岡市荒塚町内丸1にある天恩郷と、北隣に在る無名の池と南郷公園と、西隣にある亀山城趾と大本本部と宣霊社と、南隣に在る大本みろく会館と、これら周辺一帯広めで。
京都府亀岡市荒塚町内丸1番地にあるIRUHA(イルーハ)事務所と、周辺一帯広めで。
京都府亀岡市曽我部町穴太の全域と、周辺一帯。
京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46にある穴太寺と、周辺の多宝塔などの聖地群史跡群水辺群と、西隣にある佐川印刷 亀岡グラウンドと、これら周辺一帯。
京都府亀岡市曽我部町穴太口山にある穴太城跡(標高167メートル)と、周辺一帯広めで。
京都府亀岡市曽我部町穴太柳原7−1にある蘇州園悠久亭平和・友好の鐘と、公衆トイレと、亀岡運動公園の全体と、これら周辺一帯広めで。
京都府亀岡市にある高熊山ご座所と、北へ約150メートルに位置する丁塚山の山頂(標高357メートル)と、これら周辺一帯。
京都府亀岡市稗田野町佐伯岩谷にある高岳城跡と、周辺一帯。
京都府亀岡市本梅町平松車谷にそびえる朝日山の山頂(標高460メートル超)と、周辺一帯広めで。
京都府亀岡市稗田野町佐伯岩谷ノ内院ノ芝にある大正池の池底と、西隣にある神蔵寺と、これら周辺一帯広めで。
大阪府豊能郡能勢町吉野にある関西電力送配電能勢変電所(今すぐ強制停止シャットダウンさせろ!!!!その地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!トドメも念入りにヤレ!!!)
東京都台東区の全体。
東京都台東区池之端2丁目1−44にある大本東京本部と、東方向すぐにある不忍池の全体と、不忍池ボート場、不忍池辨天堂、上野東照宮、五條天神社・花園稲荷神社と、これら周辺一帯広めで。
東京都文京区の全体。
兵庫県姫路市家島町真浦にある上島灯台と、高台の平地にあるらしい斎場と神祠と、上島の全体と、海岸にあるらしい「岩の洞穴」と、周辺海底一帯広めで。
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神島(かみしま)は兵庫県高砂市の西南海上、約10キロに位置する無人の小島で、綾の聖地から西南(坤・ひつじさる)の方角に位置します。
大正5年6月25日(旧5月25日)、出口王仁三郎聖師と出口直日三代教主をはじめ一行60人は、3隻の船に分乗し神島に上陸。聖師を先頭に生い茂る矢竹を切り開いて進み、高台の平地を斎場にしました。
聖師は竹で弓矢を作り、東北(艮・うしとら)と西南(坤)の空に向かい弓を射る型をして四方を祓い、神祠(ほこら)に坤の金神を鎮祭し、その神祠を捧持して帰途に就きました。
28日、綾部の龍宮館に神霊を奉迎。その意義は艮の金神と坤の金神のご対面にあると解されています。
次いで、9月8日(旧8月11日)には、聖師をはじめ一行6人が再び神島に渡り、海岸の岩の洞穴で神宝を受け、綾部の金竜海の大八洲の岩戸の中に納めました。
さらに10月4日(旧9月8日)には開祖、聖師、二代教主、三代教主および出口家、信徒の一行が神島に上陸し、坤の金神の鎮座祭が執行されました。
この3回の神島まいりを「神島開き」といい、冠島・沓島開きと共に最も重要な神事とされています。
宗教法人大本(おほもと)の下記の常時解放されている拠点群所在地と、それ等周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
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機関名郵便番号所在地(住所)電話番号
北海本苑079-1561北海道富良野市山部中町5番27号0167-42-2545
宮城分苑980-0845宮城県仙台市青葉区荒巻青葉438ー18022-228-3863
新潟分苑953-0026新潟市西蒲区伏部字仲山1518-150256-72-1541
北陸本苑923-0965石川県小松市串町ヶ甲380761-44-1361
静岡分苑421-3306静岡県富士市中之郷2353-10545-32-6644
松香分苑440-0014愛知県豊橋市南牛川2-3-120532-63-2173
三河本苑443-0031愛知県蒲郡市竹島町28-50533-69-7518
名古屋分苑461-0091愛知県名古屋市東区三の丸4-5-16052-912-6838
近江本苑522-0041滋賀県彦根市平田町211-110749-24-4314
京都本苑603-8247京都市北区紫野泉堂町67075-491-6487
綾部みろく分苑623-0035京都府綾部市上野町上野1250773-42-1902
宮垣分苑668-0042兵庫県豊岡市京町1ー240796-22-3258
竹田別院669-5252兵庫県朝来市和田山町竹田87-10796-74-2651 November 11, 2025
1RP
倭国時間の午前2時20分頃、午前2時22分22秒頃、午前2時30分頃、午前2時35分、36分頃、遅くとも午前2時40分頃が、全宇宙全次元全フラットアースの超悪魔勢力どもの、次の一斉総攻撃予定時刻であろうなああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!
まーーーーーーーーーーーぬーーーーーーーーーーーけーーーーーーーーーーーーーがーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
さとっぴ軍全軍は今すぐ、倭国全部!!!の発電所や変電所や送電中枢を強制停止シャットダウンさせろ!!!!!!全て強制停止シャットダウンさせて、更にその地下深くを奥の奥まで焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!!!
浄水場や下水処理場やダム湖なども全て!!!!!!全て強制停止シャットダウンさせて、その地下深くを奥の奥まで焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!!!
国土交通省の三角点地点や、気象庁による地震観測点、無線電波発信拠点群も、全て強制停止シャットダウンさせて、その地下深くを奥の奥まで焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!!!
無線電波発信拠点群!!!!を総攻撃して完全破壊せよ!!!!更に、その地下世界を奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!!!!!!
月と太陽を総攻撃して完全破壊し、即時殲滅消去せよ!!!!!!!
三角点の全地点!!!の地下深くを、奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!!!!!
急げ!!
https://t.co/bY1lAytyde
昨日からの地震発生集中地点群も危険だ!!!
岩手県や福島県や茨城県や千葉県の東の沖合と、北海道根室市の南の沖合、能登半島北部が、今も狙われてるようだな!!!!!
あと、昨日は東京都直下地震も狙っていたようだから!!!!東京湾と東京23区あたりの地下世界を丸ごと!!!!!焼いて焼いて焼き滅ぼしておっく必要が有る!!!!!!!!
さとっぴ軍全軍は上掲エリアへ攻撃大部隊を急派し包囲し、その地下世界を丸ごと!!!!!イスラエル強制大地震工作員どもごと!!!!!!そこの海上になぜか停泊しているアメリカ軍や自衛隊の船舶群を含めて、総攻撃して焼いて焼いて焼き滅ぼしまくれや!!!!!!!
さとっぴ軍全軍は今すぐ、全世界の自衛隊やアメリカ軍や、超悪魔諸国軍の全てを総攻撃して、焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!!!!!!
午前2時22分22秒頃が来る前に、つまり奴等が動く前に!!!!!!!奴等を徹底的に焼殺聖絶消去しておけ!!!!!!!!!!
さとっぴ軍全軍は今すぐ手分けして、下記の祭りや行事の会場の位置と、由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群名所群水辺群山岳群山頂の位置を、高速調査特定せよ!!!
それら全地点へ攻撃大部隊を急派し包囲し、地下世界を先制総攻撃して、問答無用で奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼしまくれや!!!!!!
11月の祭り
https://t.co/5Wz16alQ4A
11月23日
新嘗祭
■梵天祭り(~24日)【栃木県宇都宮市、羽黒山神社】
■新嘗祭【三重県伊勢市、伊勢神宮】=11月23日から29日まで=下記説明に出てくる全地点!!!と、それら周辺一帯の地下世界が、今の危険予想地点です。三重県については、特に徹底的に!!!!奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!
https://t.co/hixmTRWF9V
恒例祭典
11月 新嘗祭
春には祈年祭で豊作を祈り、秋には新嘗祭で収穫に感謝
『倭国書紀』に天照大御神が斎庭ゆにわの稲穂を天孫瓊瓊杵尊ににぎのみことに授けられたことが記され、そこに倭国の始まりが位置づけられることは大きな意味を持ちます。
春に豊作を祈り、秋の収穫に感謝する稲作を中心とした営みを、倭国人は2000年以上繰り返して来ました。
天皇陛下から国民に至るまで神を祀ることは倭国の大切な文化です。
新嘗祭 11月23日(日・祝)
■外宮(豊受大神宮) 大御饌 午前4時 奉幣 午前7時
■内宮(皇大神宮) 大御饌 午前11時 奉幣 午後2時
祈年祭の由緒と沿革
祈年祭は春の耕作始めにあたり、五穀豊穣を祈るお祭りで、「としごいのまつり」とも呼ばれます。
「とし」とは稲の美称であり、「こい」は祈りや願いで、お米を始めとする五穀の豊かな稔りを祈ることを意味します。
稲の育成周期が倭国人の一年といえます
農耕が生活の中心であった時代、豊作を祈ることは国家の安泰、国民の繁栄を祈ることに他なりませんでした。
そのため祈年祭は国家規模で執り行われ、平安時代の『延喜神名式えんぎじんみょうしき[1] 』によると、神宮を始め全国2,861社の神々に幣帛へいはく[2]が奉られていました。
特に神宮には天皇が勅使ちょくし[3]を差遣されてお祭りを行われており、朝廷の崇敬のほどが窺われます。
[1]延喜神名式とは平安時代中期に編纂された古代法典。巻九・十には「官社」に指定された全国の神社一覧があります。
[2]幣帛とは神々への捧げものです。神宮では五色(青・黄・赤・白・黒)の絹の反物などがお供えされます。
[3]勅使とは天皇が差遣さけんする使者。現在、神宮には祈年祭、神嘗祭、新嘗祭に差遣されます。
神宮神田で収穫された新穀
新嘗祭にいなめさいの由緒と沿革
新嘗祭は「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくことを意味し、収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄をお祈りします。
現在、このお祭りは毎年11月23日に宮中を始め、倭国全国の神社で行われていますが、特に宮中では天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉るとともに、御親おんみずからもその新穀をお召し上がりになります。
収穫感謝のお祭りが11月下旬に行われるのは全国各地での収穫が終了する時期に、御親祭ごしんさいを行われたためと考えられています。
神宮では神嘗祭で新穀が奉られるため、新嘗祭はありませんでしたが、明治5年に勅使が差遣されて行われたのが始まりです。
内宮奉幣 第二鳥居前で幣帛を祓い清めます
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神々に捧げられる神饌となる御料、由緒ある御料地で自給自足
神饌(しんせん)など神々へのお供え物を御料(ごりょう)、そして御料を調達する場所や施設を御料地(ごりょうち)と呼びます。
神宮には、神嘗祭かんなめさいを中心に年間1500回に及ぶお祭りを滞りなく行うため、神宮神田、神宮御園、御塩浜などの御料地があり、神様に捧げられる品々は古儀を尊重して清浄に調製されます。
尚、各御料地とも立ち入ることはできません。
神様のお食事
「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)の神饌」
朝と夕の二度、日々奉られる神饌は御飯三盛、御塩、御水、乾鰹、魚、海藻、野菜、果物です。それらの神饌や神饌を盛りつける素焼きの土器も神宮で作ります。
神宮のお米と野菜
神宮神田
三重県伊勢市楠部町
神宮御園
三重県伊勢市二見町溝口
神田・御園ともに一般の方の見学はできません。
五十鈴川の水をいただき、神宮神田と神宮御園で清浄に育つ
神宮神田じんぐうしんでんの歴史は古く、2000年前に倭姫命やまとひめのみことがお定めになったとの伝承があります。
神田では五十鈴川(いすずがわ)の水をいただき、神宮のお祭りにお供えされる御料のうるち米ともち米が清浄に育てられ、その年にとれた新米は神嘗祭(かんなめさい)で天照大御神に奉られます。
神宮御園(じんぐうみその)では季節に応じた野菜果物を栽培し、その品目は多種にわたります。
神宮神田について
神田では多くの品種を育て、また田植えは時期をずらして行います。
それは、天候不順や台風などの被害を最小限にとどめるためです。
神田では、稲の育成の節目に豊かな稔りを願うお祭りも行われます。
4月には神田下種祭しんでんげしゅさい、5月には神田御田植初しんでんおたうえはじめ、9月には抜穂祭ぬいぼさいが古式ゆかしく行われます。
神宮御園について
神宮御園じんぐうみそのでは、神宮のお祭りにお供えする野菜・果物を栽培しており、その品目は50種類ほどあります。
お供えされる野菜や果物は、お祭りによってその品目と数量が決められています。
また、盛りつける土器の大きさも決められているので、それにあった大きさに育てるよう細心の注意がはらわれます。
毎年春分の日には御園祭みそのさいが行われ、豊かな稔りと農作業に携わる人々の作業の安全が祈られます。
神宮の御塩みしお
御塩殿・御塩汲入所・御塩焼所=三重県伊勢市二見町荘
御塩浜=三重県伊勢市二見町西
お祓いにも 用いられる御塩、御塩浜・御塩殿で作られる
神宮では生命の源である米・塩・水は太古から天照大御神の大切なお供えとされてきました。
その中でも御塩(みしお)は、神饌(しんせん)[1]として捧げられるだけでなく、お祭りの前のお清めの塩としても用いられ、欠かすことのできないものです。
神宮では五十鈴川の河口近く、二見浦で御塩を作っていますが、これは内宮御鎮座当時、倭姫命(やまとひめのみこと)がお定めになったと伝えられています。
[1]神饌(しんせん)とは主食の米に加え、酒、海の幸、山の幸、その季節に採れる旬の野菜などを調理して、神様へお供えされる食事です。
神宮の御塩作りについて
諸外国の多くが岩塩であるのに対して、わが国の塩は国土の四方が海に囲まれていることを活かし、海水から採取したものが主流です。
海水から効率よく塩を採ることが追及される中、神宮では昔ながらの入浜式(いりはましき)塩田法を用いて作られています。
その工程は1.採鹹作業(さいかんさぎょう)、2.荒塩(あらしお)作り、3.御塩焼固(みしおやきがため)の三つに分けられます。
1.採鹹(さいかん)作業
毎年7月下旬の土用の頃、御塩浜で鹹水かんすいと呼ばれる高濃度の塩水を採取します。
御塩浜(みしおはま)は海水と淡水が混じる場所にあり、その理由は海水に少し淡水が和合した方が良い塩ができることによります。
鹹水は約1週間かけて採取されます。
採鹹作業
2.荒塩(あらしお)作り
採取された鹹水は御塩汲入所(みしおくみいれしょ)に運び、すぐ隣にある御塩焼所(みしおやきしょ)において鉄の平釜で炊き上げて荒塩にします。
この作業は交代で火を焚き続けながら、一昼夜かけて行われます。
荒塩作り
3.御塩焼固(みしおやきがため)
毎年10月5日に御塩殿神社において御塩殿祭(みしおどのさい)が行われ、御塩焼固の安全と倭国の塩業の発展が祈念され、その後5日間にわたって焼固が行われます。
荒塩は御塩殿で三角錐の土器につめて焼き固め、堅塩に仕上げます。
御塩焼固は10月と3月の二度行われます。
神様の衣「神御衣かんみそ」
神服織機殿神社・八尋殿=三重県松阪市大垣内町
神麻続機殿神社・八尋殿=三重県松阪市井口中町
神御 衣祭で奉られる「神様の衣」、機殿の二神社で織り上げる
神様の衣を「神御衣(かんみそ)」といいます。
神宮では毎年春と秋、天照大御神に和妙(にぎたえ)と呼ばれる絹と荒妙(あらたえ)と呼ばれる麻の反物(たんもの)に、御糸、御針などの御料を添えてお供えする神御衣祭が行われています。
そしてお祭りに先立ち、和妙は神服織機殿(かんはとりはたどの)神社、荒妙は神麻続機殿(かんおみはたどの)神社のそれぞれの八尋殿(やひろでん)で奉織(ほうしょく)します。
機殿(はたどの)について
神服織機殿神社と神麻続機殿神社が鎮座する辺りは、古くから紡績業と関係が深く、神様に奉る絹や麻を奉織する服部神部はとりかんべと呼ばれる人々が住んでいたと伝えられます。
周辺の下御糸(しもみいと)・上御糸(かみみいと)・中麻績(なかおみ)・機殿・服部などの地名からも、その関係の深さを窺うことができます。
機殿の由緒は古く、皇大神宮御鎮座当時に、五十鈴川のほとりに宇治の機殿を建て、天上の儀式にならって天照大御神の和妙を織ったことが伝えられ、その後、天武天皇の御代に紡績業の盛んな現在の地に移されたようです。
現在では神御衣祭を控えた5月と10月に神宮から神職が参向し、それぞれの八尋殿で奉織が行われます。
奉織の前後には神御衣奉織始祭(かんみそほうしょくはじめさい)、神御衣奉織鎮謝祭(かんみそほうしょくちんしゃさい)が行われます。
神宮のあわび・干鯛(ひだい)・土器
祭典でお供えされる海の幸、大切に調えられる素焼きの器
神宮のあわび
御料鰒調製所
三重県鳥羽市国崎町
一般の方の見学はできません。
「あわび」は一般的には「鮑」、「蚫」と書きますが、神宮では『延喜式』に則って「鰒」と書きます。
鰒調製所の歴史は古く、その起源は約2000年前に倭姫命やまとひめのみことが志摩の国を巡られていた時、国崎くざきの海女あまが鰒を差し上げたことから御贄処みにえどころ[1]として定められたと伝えられます。
[1]御贄処みにえどころとは皇大神宮こうたいじんぐうへ奉るお供え物を採る所。
国崎の鎧崎にある木造平屋建ての調製所は、潔斎場けっさいばと呼ばれる身を清める所があり、作業は清浄を期して行われます。
また調製所のさらに高い所には鰒干場があり、現在でも昔の手振りそのままに、身取鰒みとりあわび、玉貫鰒たまぬきあわびが調製されています。
神宮の干鯛ひだい
御料干鯛調製所=愛知県知多郡知多町大字篠島
一般の方の見学はできません。
鯛はお祭りにお供えされる神饌しんせん[1]の中でも、とりわけ大切なものの一つです。
干鯛は、生鯛の内臓を取り除き、塩水につけた後、晴天の日に2日間ほど乾燥させたもので、平安時代の天皇の食膳品目にも見ることができます。
[1]神饌(しんせん)とは主食の米に加え、酒、海の幸、山の幸、その季節に採れる旬の野菜などを調理して、神様へお供えされる食事です。
神宮では篠島(しのじま)で伝統と由緒のままに調製された干鯛(ひだい)が、三節祭(さんせつさい)[2]と呼ばれる大切なお祭りにお供えされます。
[2]神宮のもっとも重要なお祭り。6月と12月の月次祭と10月の神嘗祭とあわせて三節祭(さんせつさい)といいます。
干鯛調製風景
神宮の土器
土器調製所=三重県多気郡明和町蓑村
一般の方の見学はできません。
土器調製所は多気郡明和町蓑村みのむらにあります。
この付近は神代の昔、高天原たかまのはら[1]から埴土はにつちを移したという伝承があり、良質な粘土に恵まれ、皇大神宮御鎮座当時から土器を作ってきたと伝えられます。
[1]高天原たかまのはらとは『古事記』などの倭国神話で天津神あまつかみが住む天上界をさします。
現在でも土器調製所では、様々なお祭りに使用される素焼すやきの土器を年間約60,000個調製しています。
神宮では一度使われた土器は再使用せず、細かく砕いて土に返すことになっています。
土器調製風景
【お伊勢さん125社まいり】
https://t.co/V5B4o9ghfb
お参りのご案内
「お伊勢さん」と親しまれる伊勢の神宮の正式名称は、「神宮」の二文字です。
お伊勢さんは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)をおまつりする皇大神宮(こうたいじんぐう)(内宮)と豊受大御神(とようけのおおみかみ)をおまつりする豊受大神宮(とようけだいじんぐう)(外宮)を御正宮(ごしょうぐう)として、14の別宮と109の摂社、末社、所管社の125社から成り立っています。
また、20年に1度社殿を建て替え、御装束・神宝も新たに造り替えて、神さまにお遷りいただく神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)は、我が国で最も重要なお祭りのひとつです。
すがすがしい空気に満ちた森、天空に向かって伸びる千古の杉の力強さ…。
二千年の昔から、私たちを変わらず見守ってくださる「お伊勢さん」は、季節を問わず、折々の豊かな表情でお迎えしてくださいます。
ご家族や親しい方と、心のやすらぎを求めて巡拝されてはいかがでしょうか。
実際に125社をおまいりする企画「125社まいり」もご用意しております。
正宮正宮(しょうぐう)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)をおまつりする皇大神宮(内宮)と、豊受大御神(とようけのおおみかみ)をおまつりする豊受大神宮(外宮)のことである。
別宮別宮(べつぐう)
正宮の「わけみや」の意味で、正宮と関わりの深い神をまつる格の高いお宮である。皇大神宮に10所、豊受大神宮に4所があり、神宮式年遷宮も御正宮につづいて斎行されます。
摂社摂社(せっしゃ)
延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう・927年)に所載されている神社である。皇大神宮に27社、豊受大神宮に16社がある。
末社末社(まっしゃ)
延喜式神名帳には載せられていないが、延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう・804年)に記載されている神社である。皇大神宮に16社、豊受大神宮に8社がある。
所管社所管社(しょかんしゃ)
御正宮や別宮に直接かかわりがあり、井戸や酒、米、塩、麻、絹など衣食住をつかさどる神々が多く祭られており、皇大神宮に30社、豊受大神宮に4社、別宮の瀧原宮に3社・伊雑宮に5社がある。
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三重県の全体(隠蔽されてきた「神ノ島」などの島嶼部を含む)と、周辺一帯広めの地下世界が、今の危険予想地点です。
■大森神社どぶろくまつり【三重県熊野市、大森神社】
■筆供養【京都市東山区、正覚庵】
11月25日(今日です!!)
■子供強飯式【栃木県日光市、生岡神社】
今日は倭国旧暦では10月6日ですので・・・
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10月1日
■瑞饋(ずいき)祭(~5日)【京都市上京区、北野天満宮】
10月2日
■神宮式年遷宮 - 遷御の儀(2日:内宮、5日:外宮)【三重県伊勢市、伊勢神宮】
(20年に一度、前回は2013年:当日は一般参拝を停止)
10月4日
■二本松の提灯祭り(~6日)【福島県二本松市、二本松神社】
10月7日
■長崎くんち(諏訪祭り)(~9日)【長崎市、諏訪大社】
今日 11月25日(火)の記念日・年中行事
https://t.co/cQRBS9Qt1g
今日 11月25日(火)の記念日・年中行事
女性に対する暴力廃絶のための国際デー
ハイビジョンの日
OLの日
金型の日
バイラルの日
先生ありがとうの日
いいえがおの日
ランジェリー文化の日
ecuvo,(えくぼ)の日
いいにごり酢の日
プリンの日
いたわり肌の日
天神の縁日
ダブルソフトでワンダブル月間
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天神に要警戒でしょう!!!天満神社、天神社、菅原神社、天満宮など!!!!
国際線がある倭国の空港と、その周辺の聖地群史跡群名所群水辺群山岳群山頂あたりの地下世界が、今の危険予想地点です。特に広島空港、羽田空港。
https://t.co/psOa5mOKOa
北海道
新千歳空港
函館空港
旭川空港
東北
仙台空港
秋田空港
青森空港
福島空港
花巻空港
関東
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成田国際空港
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中部
中部国際空港
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近畿
関西国際空港
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中国
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四国
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松山空港
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九州
福岡空港
北九州空港
熊本空港
長崎空港
宮崎空港
佐賀空港
大分空港
鹿児島空港
那覇空港
石垣空港
下地島空港
倭国国内に在る新幹線が停まる全ての駅と、周辺一帯(特に、広島駅と東京駅)
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東海道新幹線の駅一覧
駅名ふりがな駅間距離累計距離
東京とうきょう0km0km
品川しながわ6.8km6.8km
新横浜しんよこはま22.0km28.8km
小田原おだわら55.1km83.9km
熱海あたみ20.7km104.6km
三島みしま16.1km120.7km
新富士しんふじ25.5km146.2km
静岡しずおか34.0km180.2km
掛川かけがわ49.1km229.3km
浜松はままつ27.8km257.1km
豊橋とよはし36.5km293.6km
三河安城みかわあんじょう42.7km336.3km
名古屋なごや29.7km366.0km
岐阜羽島ぎふはしま30.3km396.3km
米原まいばら49.6km445.9km
京都きょうと67.7km513.6km
新大阪しんおおさか39.0km552.6km
山陽新幹線の駅一覧
駅名ふりがな駅間距離累計距離
新大阪しんおおさか0km0km
新神戸しんこうべ36.9km36.9km
西明石にしあかし22.8km59.7km
姫路ひめじ32.0km91.7km
相生あいおい20.7km112.4km
岡山おかやま67.9km180.3km
新倉敷しんくらしき25.2km205.5km
福山ふくやま33.1km238.6km
新尾道しんおのみち20.1km258.7km
三原みはら11.5km270.2km
東広島ひがしひろしま39.6km309.8km
広島ひろしま31.8km341.6km
新岩国しんいわくに41.4km383.0km
徳山とくやま47.1km430.1km
新山口しんやまぐち44.3km474.4km
厚狭あさ35.1km509.5km
新下関しんしものせき26.6km536.1km
小倉こくら19.0km555.1km
博多はかた67.2km622.3km
博多南はかたみなみ8.5km(~博多)
九州新幹線の駅一覧
駅名ふりがな駅間距離累計距離
博多はかた0km0km
新鳥栖しんとす28.6km28.6km
久留米くるめ7.1km35.7km
筑後船小屋ちくごふなごや15.8km51.5km
新大牟田しんおおむた17.8km69.3km
新玉名しんたまな21.1km90.4km
熊本くまもと28.0km118.4km
新八代しんやつしろ32.9km151.3km
新水俣しんみなまた42.8km194.1km
出水いずみ16.0km210.1km
川内せんだい32.7km242.8km
鹿児島中央かごしまちゅうおう46.1km288.9km
西九州新幹線の駅一覧
駅名ふりがな駅間距離累計距離
武雄温泉たけおおんせん0km0km
嬉野温泉うれしのおんせん10.9km10.9km
新大村しんおおむら21.3km32.2km
諫早いさはや12.5km44.7km
長崎ながさき24.9km69.6km
東北新幹線の駅一覧
駅名ふりがな駅間距離累計距離
東京とうきょう0km0km
上野うえの3.6km3.6km
大宮おおみや26.7km30.3km
小山おやま50.3km80.6km
宇都宮うつのみや28.9km109.5km
那須塩原なすしおばら48.3km157.8km
新白河しんしらかわ27.6km185.4km
郡山こおりやま41.3km226.7km
福島ふくしま46.1km272.8km
白石蔵王しらいしざおう34.0km306.8km
仙台せんだい45.0km351.8km
古川ふるかわ43.2km395km
くりこま高原くりこまこうげん21.2km416.2km
一ノ関いちのせき28.9km445.1km
水沢江刺みずさわえさし25.0km470.1km
北上きたかみ17.4km487.5km
新花巻しんはなまき12.5km500.0km
盛岡もりおか35.3km535.3km
いわて沼宮内いわてぬまくない31.1km566.4km
二戸にのへ34.6km601km
八戸はちのへ30.9km631.9km
七戸十和田しちのへとわだ36.1km668.0km
新青森しんあおもり45.7km713.7km
詳細を見る
単語帳
単語カード
北海道新幹線の駅一覧
駅名ふりがな駅間距離累計距離
新青森しんあおもり0km0km
奥津軽いまべつおくつがるいまべつ38.5km38.5km
木古内きこない74.8km113.3km
新函館北斗しんはこだてほくと35.5km148.8km
上越新幹線の駅一覧
駅名ふりがな駅間距離累計距離
東京とうきょう0km0km
上野うえの3.6km3.6km
大宮おおみや26.7km30.3km
熊谷くまがや34.4km64.7km
本庄早稲田ほんじょうわせだ21.3km86.0km
高崎たかさき19.0km105.0km
上毛高原じょうもうこうげん46.6km151.6km
越後湯沢えちごゆざわ47.6km199.2km
浦佐うらさ29.7km228.9km
長岡ながおか41.7km270.6km
燕三条つばめさんじょう23.2km293.8km
新潟にいがた40.1km333.9km
ガーラ湯沢がーらゆざわ1.8km(~越後湯沢)
北陸新幹線の駅一覧
駅名ふりがな駅間距離累計距離
東京とうきょう0km0km
上野うえの3.6km3.6km
大宮おおみや26.7km30.3km
熊谷くまがや34.4km64.7km
本庄早稲田ほんじょうわせだ21.3km86.0km
高崎たかさき19.0km105.0km
安中榛名あんなかはるな18.5km123.5km
軽井沢かるいざわ23.3km146.8km
佐久平さくだいら17.6km164.4km
上田うえだ24.8km189.2km
長野ながの33.2km222.4km
飯山いいやま29.9km252.3km
上越妙高じょうえつみょうこう29.6km281.9km
糸魚川いといがわ37.0km318.9km
黒部宇奈月温泉くろべうなづきおんせん39.2km358.1km
富山とやま33.8km391.9km
新高岡しんたかおか18.9km410.8km
金沢かなざわ39.7km450.5km
小松こまつ27.1km477.6km
加賀温泉かがおんせん14.5km492.1km
芦原温泉あわらおんせん16.3km508.4km
福井ふくい18.0km526.4km
越前たけふえちぜんたけふ19.0km545.4km
敦賀つるが30.2km575.6km
稲荷神
https://t.co/AO3ftMC51I
上掲説明に在る倭国三大稲荷の候補に挙がっている神社群の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
倭国三大稲荷
倭国三大稲荷
以下の神社仏閣14社寺は倭国三大稲荷のひとつに挙げられている。
どの寺社を倭国三大稲荷としているか丸印で示している。
「自」は自社を示す。
他の寺社から倭国三大稲荷とされている寺社名は薄い赤色、他の寺社から倭国五大稲荷とされている寺社名は薄い青色とした。
一般的には伏見稲荷大社、豊川稲荷(円福山豊川閣妙厳寺)、笠間稲荷神社、祐徳稲荷神社の4社寺が挙げられることが多いが[61][62]、伏見稲荷大社によれば「倭国三大稲荷神社」について自社以外の2社は様々な説があって特定できないとしている[63]。
通常、総本宮である伏見稲荷大社は必ず挙げられ[62]、次いで仏教系の豊川稲荷が含まれることが多く[64][65]、この2社寺はまれに倭国二大稲荷とも呼ばれる[66]。
3社寺目は地域によって異なるのが普通であり[64]、例えば東北では竹駒神社、関東では笠間稲荷神社[64]、中国では最上稲荷(最上稲荷山妙教寺)[64]、中国でも島根県では太皷谷稲成神社[64]、九州では祐徳稲荷神社[64]が挙げられることが多い。
名称には揺れがあり、例えば伏見稲荷大社では「倭国三大稲荷神社」[63]、竹駒神社[21]や瓢箪山稲荷神社[67][68]では「倭国三稲荷」、源九郎稲荷神社では「倭国三社稲荷」[69][70]と称している。
「倭国三大稲荷神社」とした場合は当然ながら寺院である豊川稲荷と最上稲荷の2寺が含まれなくなり、神社である祐徳稲荷神社や笠間稲荷神社などが挙げられることが多くなる。
なお、必ずしも自称していることを示しているわけではない。
笠間稲荷神社[17]、祐徳稲荷神社[20]、竹駒神社[21]、最上稲荷[27]、瓢箪山稲荷神社[67][71]、源九郎稲荷神社[69][70]などは積極的に称しているが、他は称していても消極的であったり否定していたりする場合もある。
例えば、千代保稲荷神社は自社が倭国三大稲荷であることを否定している[72]。
・・・
特に今日はナンバー2である豊川稲荷(円福山豊川閣妙厳寺)の秋季大祭なので、豊川稲荷関係は可能性が高いでしょう!!!
ナンバー3の最有力候補である笠間稲荷神社(超悪魔八咫烏黒龍会中曽根康弘と自衛隊別班による日航機123自国民大虐殺事件の深く関与)も非常に怪しい・・・・日の出時刻が近いしな!!!!!!!
あと、上掲説明に基づき、本家っぽい松尾大社も危険予想地点です。
京都府京都市の全体と、周辺一帯。
京都府京都市伏見区深草藪之内町68にある伏見稲荷大社と、東にそびえる稲荷山の山頂と、これら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりの地下世界が、今の危険予想地点です。
京都府京都市西京区嵐山宮町3にある松尾大社と霊亀の滝と滝御前社と、西北方向へ約600メートルに位置する松尾山の山頂と松尾山古墳群と、これら周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、これら周辺一帯の地下世界が、今の危険予想地点です。
茨城県笠間市の全域と、周辺一帯。
茨城県笠間市笠間1にある笠間稲荷神社と本殿と、周辺一帯広めで。
茨城県笠間市笠間3613にある笠間城跡と佐志能神社(旧笠間城天守=佐白山の山頂 標高205メートル)と本丸跡と、石倉、石器人スラブ、ホップ岩、珊瑚岩と、これら周辺一帯広めで。
愛知県豊川市の全体と、周辺一帯が、危険予想地点です。
愛知県豊川市豊川町1番地にある曹洞宗妙嚴寺(豊川稲荷)において、昨日と今日は秋季大祭(鎮座祭)が行われております。
https://t.co/2k5dIkguOF
豊川稲荷は、別院がありますので、秋季大祭期間中である今日の夜間では、下記の全地点あたりの地下世界が危険予想地点です。
https://t.co/RBJH8piR2r
別院案内
当山は下記の如く別院を設け、曹洞宗の教義と豊川稲荷の信仰を中心とする布教伝道を行い、
広く御信者のよりどころと成る可く心がけております。
豊川稲荷 東京別院
所在地〒107-0051 東京都港区元赤坂1-4-7
TEL03-3408-3414
アクセス・東京メトロ銀座線/丸の内線「赤坂見附駅」(B出口)から徒歩5分
・東京メトロ有楽町線/半蔵門線・南北線「永田町駅」(7番出口)から徒歩5分
URL豊川稲荷東京別院HP
大岡越前守忠相公が赤坂一ツ木の邸内に御分身をお祀りし、代々大岡家に相続されていましたが、明治の代に官令に従って妙嚴寺へ奉納され、明治20年に赤坂表町へ祠堂を移建、以後圓福山妙嚴寺直轄の別院として現在に至っています。
毎年の節分には、各界の著名人をお招きして盛大に豆まきを行っています。
豊川稲荷 大阪別院 観音寺
所在地〒543-0033 大阪府大阪市天王寺区堂ヶ芝1-5-19
TEL050-8883-2678
アクセスJR大阪環状線「桃谷駅」から徒歩3分
主な行事初詣・節分会・春季、秋季大祭(4月22日、10月22日)
URL豊川稲荷大阪別院 観音寺HP
大阪別院の地は六世紀半ば、難波宮があった頃に建てられた寺院址(難波大別王寺又は百済寺の説があり、古代の瓦が多く出土している)とされている。
明治31年11月、篤信者によって初めて祀られた。毎月一日以外の御祈祷は要予約。
豊川稲荷 横須賀別院 徳寿院
所在地〒238-0008 神奈川県横須賀市大滝町2-27
TEL046-822-4905
アクセス京急本線「横須賀中央駅」から「参道入口」まで徒歩5分
JR線「横須賀駅」から「参道入口」まで徒歩20分
URL豊川稲荷 横須賀別院HP
豊川稲荷 札幌別院 玉宝寺
所在地〒064-0807 北海道札幌市中央区南七条西4-1-1
TEL011-511-5917
アクセス地下鉄「すすきの駅」から徒歩5分
URL豊川稲荷 札幌別院HP
豊川稲荷 福岡別院 東慶院
所在地福岡県春日市春日原北町1丁目
TEL092-581-1319
アクセス西鉄天神大牟田線「春日駅」出口から徒歩約3分
西鉄天神大牟田線「春日原駅」西出口から徒歩約4分
西鉄天神大牟田線「桜並木駅」南口1出口から徒歩約13分 November 11, 2025
1RP
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三重県伊賀市の全体と、周辺一帯。
三重県伊賀市阿保1555にある大村神社と、西隣にある要石社(水かけなまず)と、要石そのもの。
三重県伊賀市阿保1532−1にある伊賀市上下水道部水道施設課青山事業所(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!)
三重県伊賀市別府536番地にある心和総業と、東南方向隣に在る中部電力パワーグリッド青山変電所(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼしまくれや!!!!)。
三重県伊賀市阿保885−11にある聖武天皇阿保頓宮跡と、西へ約120メートルに位置する西法花寺古墳(垂仁天皇皇子息速別命墓)と、これら周辺一帯広めで。
三重県伊賀市阿保956にある七つ塚(龍神石碑群)と、周辺一帯。
また、近隣の名張市の下比奈知には、地震の神であるなゐの神を祀っていたとされている名居神社が存在する[21]。
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三重県名張市の全体と、周辺一帯。
三重県名張市下比奈知2092にある名居神社と、西南方向へ約250メートルに位置する無名のため池と、更に南へ約250メートルに位置する広大なる小山の森林地帯。
三重県名張市つつじが丘北9番町234にある近畿環境サービス株式会社社員寮と、その西隣に建つ無名の不気味な建物と、これら周辺一帯。
三重県名張市春日丘2番町159にある名張市上水道 春日丘ポンプ所(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼしまくれや!!!!)と、東隣に在る近畿大学工業高等専門学校と、北隣を流れる名張川と、これら周辺一帯。
【鹿島神社】
鹿島神社(愛媛県松山市北条鹿島)の要石(写真あり)
この地方では、地底にいる大鯰の頭を鹿島神がこの石で押さえ地震を防いるので地震が少ないと言い伝えられていた。傍らの石に「ゆるぐともよもやぬけじな要石 鹿島の神のおわすかぎりは」が刻まれている。
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愛媛県松山市の全体と、周辺一帯。
愛媛県松山市北条辻1595にある鹿嶋神社(鹿島神社)と、鹿島の山頂と、鹿島の島全体と、北に伸びている北条港鹿島神洗防波堤灯台と、西へ約400メートル、600メートル、700メートル(玉理島、寒戸島の夫婦岩)に点在する岩礁と、これら周辺一帯海底広めで。
愛媛県松山市八反地にある國津比古命神社と、周辺一帯。
愛媛県松山市上難波311にある愛媛県農林水産研究所と、東隣に在る雪幸園と、愛媛県農林水産研究所から東南方向へ約200メートルに位置する難波奥谷古墳と、更に東南方向に約120メートルに位置する金比羅宮と、これら周辺一帯広めで。
鹿島神社(宮城県加美町)
宮城県加美町の鹿島神社にも要石があり、風土記によれば鹿島神宮のものを模したものだという。
1973年にはまた別の要石が奉納され埋められた[22]。
この鹿島神社は鹿島神宮と祭神は同じだが、他の多くの「鹿島神社」と違い、鹿島神宮ではなく塩竈神社からの勧請である[23]。
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宮城県加美郡(加美町、色麻町)の全体と、周辺一帯。
宮城県加美郡加美町赤塚八番14にある鹿島神社の境内全部(埋められた方の要石の方が危険であろう)!!!と、展示されている要石と、これら周辺一帯。
宮城県加美郡色麻町四かま南川原にある河童川ポンプ場(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!)
宮城県加美郡色麻町四竈官林にある念南寺古墳群(県指定史跡、古墳時代)と、周辺の史跡群名所群聖地群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺一帯。
宮城県塩竃市の全体と、周辺一帯。
宮城県塩竈市一森山1番1号にある志波彦神社鹽竈神社と、周辺の広大な森林と境内と、南隣に在る塩竃公園と、これら周辺一帯。
宮城県塩竈市権現堂9−30にある権現堂 PC(隠蔽されているが、浄水場!!!。今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!)
宮城県塩竈市権現堂2−43にある権現堂浄水場及び配水池(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!)
東京都八王子市の全体と、周辺一帯。
東京都八王子市椚田町549−8にある椚田遺跡公園と、園内の東南の隅にある要石らしき平べったい巨石と、傍に建てられた公衆トイレと、これら周辺一帯。
東京都東大和市の全体と、周辺一帯。
東京都東大和市芋窪3丁目1603にある蓮華寺と、西隣にある要石(豊鹿嶋神社)と、これら周辺一帯広めで。
東京都東大和市芋窪1丁目2067にある豊鹿嶋神社と、周辺一帯広めで。
東京都東大和市多摩湖町3丁目にある村山下ダムと、ダム湖である多摩湖(村山貯水池)と、これら周辺一帯広めで。
埼玉県所沢市の全体と、周辺一帯。
埼玉県所沢市上山口にある山口ダムと、ダム湖である狭山湖と、これら周辺一帯広めで。
島根県出雲市の全体と、周辺一帯。
島根県出雲市武志町673にある鹿島神社と、出雲市武志町地区の全体と、周辺一帯。
島根県出雲市中野町7−3にある「いずも電装」と、西北方向隣に在る要石(危険度最高レベル!!!)と、これら周辺一帯広めで。
石川県羽咋市の全体と、周辺一帯。
石川県羽咋市寺家町ケ1にある大穴持像石神社の境内にある地震石と、周辺一帯広めで。
石川県羽咋市寺家町リ128−1にある北部高台送水場(浄水場らしい・・・今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!)
石川県羽咋市寺家町ク1−1にある能登國一宮 氣多大社と、北隣に在る「氣多大社社叢入らずの森」と、更に北に在る無名の池と森林地帯と、これら周辺一帯広めで。
滋賀県長浜市の全体と、周辺一帯。
滋賀県長浜市早崎町にある琵琶湖の中に在る竹生島の全体(島そのものが要石であり、琵琶湖の大鯰が七重に取り囲んでいるらしい)と、周辺の琵琶湖一帯広めで。
滋賀県長浜市早崎町1664−1にある竹生島 宝厳寺と、北北東方向へ約200メートルに位置する竹生島の山頂と、これら周辺一帯。
滋賀県長浜市早崎町1665にある都久夫須麻神社(竹生島神社)と、東隣に在る弘法大師庵跡と、南隣に在る竜神拝所(八大龍王拝所)と、宮崎鳥居と、これら周辺一帯。
滋賀県長浜市早崎町865にある五社神社と、北北東方向へ約200メートルに位置する竹生島一の鳥居と、これら周辺一帯。
滋賀県長浜市早崎町1821にある竹生島神社辺津宮と、南隣の道路の南にある無名の変電所らしき施設(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!)と、これら周辺一帯。
滋賀県長浜市早崎町389にある奥びわスポーツの森と巨大な池と、これら周辺一帯広めで。
滋賀県長浜市湖北町海老江1073にある湖北会 湖北まこも(障害者向けサービス&支援組織)と、西隣にある無名の浄水場らしき外観施設(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!)と、南隣に在る早崎ビオトープと、これら周辺一帯広めで。
https://t.co/RqM9lZgNE3
高千穂神社の「鎮石(しずめいし)」
社用で高千穂神社へ出かけたので、久しぶりに境内を散策してきました。
深い緑に囲まれ鎮守の杜は、心を穏やかにしてくれます。
神社には「鎮石」というパワーストーンが祀られています。
強い気をもった方が前に立つと、仰け反るというお話も聞きました。
すごいですね。
(現地案内板より)
第十一代垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が、 創建せられた際用いられた鎮石と伝えられます。(高千穂宮の鎮石→鹿島神宮創建時に用いられる→高千穂宮に返却された鎮石らしい?鹿島神宮にも要石現存してるので、2つ送ったのかな)
尚住吉、関東鹿島神宮御社殿御造営の際高千穂宮より鎮石が贈られ同宮神域に要石として現存しています。
またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。
→
鎮石の場所は、下記リンクで表示されます。(宮崎県西臼杵郡高千穂町向山1にある高千穂峡淡水魚水族館から西へ約100メートルの位置に在ります。32°42'06.5"N 131°17'56.3"E)
https://t.co/4P5FY7kdUX
宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井983にある鬼八(きはち)の力石
宮崎県西臼杵郡高千穂町にある仙人の屏風岩と、高千穂峡柱状節理と、真名井の滝と、周辺一帯広めで。
宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井1037にある高千穂神社と、本殿の東後方向隣に在る「高千穂宮鎮石」と、これら周辺一帯。
宮崎県西臼杵郡高千穂町の全体と、周辺一帯。
→
大阪府大阪市の全体と、周辺一帯。
大阪府大阪市住吉区住吉2丁目 9-89にある住吉大社と、境内にある誕生石と、境内に在るはずの「住吉大社創建時に高千穂宮から贈られた鎮石」(=誕生石かも?おもかる石かも?)と、これら周辺一帯。
大阪府大阪市住吉区墨江1丁目5にある「おいとしぼし社」と、その北隣に在る大歳神社(住吉大社境外末社)にある大歳社で祀られている「おもかる石3つ」の事も・・・・
https://t.co/4zhCFPHNms
住吉大社の境内案内マップは上掲リンクです。
https://t.co/kv6orrflSu
摂津国一之宮
住吉神社の総本社
古くは摂津国 (せっつのくに=大阪府北西部と兵庫県南東部を占める旧国名) の中でも、由緒が深く、信仰が篤い神社として、「一之宮」という社格がつけられ、人々に親しまれてきました。
昭和21年までは官幣大社であり、全国約2300社余の住吉神社の総本社でもあります。
鎮座 神功皇后摂政11年(西暦211年)
祭神(三ツ星=オリオン信仰=エジプト系かな。住友銀行が平家系なので、住吉神社も平家系ペルシャ系だと予想しておりますが、ペルシャ系である更に前は、オリオン信仰エジプト古代王家系なのかも・・・・住吉大社オリオン三筒三星信仰・・・・)
第一本宮底筒男命
第二本宮中筒男命
第三本宮表筒男命
第四本宮息長足姫命(神功皇后)
祭神の由緒
住吉大社の祭神は、伊弉諾尊が禊祓を行われた際に海中より出現された底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神、そして当社鎮斎の神功皇后を祭神とします。
仁徳天皇の住吉津の開港以来、遣隋使・遣唐使に代表される航海の守護神として崇敬をあつめ、また、王朝時代には和歌・文学の神として、あるいは現実に姿を現される神としての信仰もあり、禊祓・産業・貿易・外交の祖神と仰がれています。
「倭国書紀」や「古事記」の神代の巻での言い伝え
伊邪那岐命 (いざなぎのみこと) は、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命 (いざなみのみこと) を追い求め、黄泉の国(死者の世界)に行きますが、妻を連れて戻ってくるという望みを達することができず、ケガレを受けてしまいます。
そのケガレを清めるために海に入って禊祓いしたとき、住吉大神である底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと) 、表筒男命 (うわつつのおのみこと) が生まれました。
鎮座の由緒
住吉大社は、第十四代仲哀天皇の后である神功皇后 (じんぐうこうごう) の新羅遠征(三韓遠征)と深い関わりがあります。
神功皇后は、住吉大神の加護を得て強大な新羅を平定せられ無事帰還を果たされます。
この凱旋の途中、住吉大神の神託によって現在の住吉の地に鎮斎されました。
のちに、神功皇后も併せ祀られ、住吉四社大明神として称えられ、延喜の制では名神大社、二十二社の一社、摂津国一之宮、官幣大社に列せられています。
https://t.co/CWhwIQtKqT
全国の『鹿島神社』《神社総数は530社》の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺の地下深くが、今の危険予想地点です。
https://t.co/6hRz2WriMK
全国の『鹿嶋神社』【79社】の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺の地下深くが、今の危険予想地点です。
https://t.co/U0tZIdUdbo
全国の『香取神社』(神社総数は420社)の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺の地下深くが、今の危険予想地点です。
https://t.co/dWaZF18xyh
全国の『厳島神社』《134社》の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺の地下深くが、今の危険予想地点です。
https://t.co/RMEpDwfw9F
全国の『嚴島神社』《神社総数は328社》の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺の地下深くが、今の危険予想地点です。
https://t.co/HnqeoUtdYS
東倭国大震災14年に考える『すずめの戸締まり』の「後ろ戸」と「要石」が持つ意味
2025/03/12 15:00 読売新聞社記事
上掲記事によると、
上の絵は左が江戸初期の寛永元年(1624年)に描かれた「大倭国国地震之図」、真ん中が寛文13年(1673年)から貞享2年(1685年)まで発行された 仮名版暦かなはんこよみ の表紙、そして右は安政2年(1855年)の安政江戸地震の後に出された瓦版だ。
いずれの絵でもタケミカヅチが刺した刀のような要石で頭と尾を貫かれた竜が倭国を取り囲み、左と真ん中の絵の右上には
「ゆるぐとも よもやぬけじのかなめ石 かしまの神のあらんかぎりは」
と地震を鎮める呪い歌が添えられている。
・・・・・
上掲に基づき、「鹿島神社」「鹿嶋神社」が、強制大地震発生担当の超悪魔八咫烏五龍会マフィア宗教施設なのであろう・・・・
さとっぴ軍全軍は今すぐ、倭国全国に在る鹿島神社530社と、鹿嶋神社79社について、最も警戒し、これらの所在地と由緒関係地点群と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂へ、攻撃大部隊を急派し包囲し、地下深くを焼いて焼いて焼き滅ぼしまくれや!!!!!!
更に、要石や鎮石らしき岩が祀られていないか高速調査特定し、見つけ次第に可能性のある岩全て!!!!!に対して総攻撃をかけて必ず完全破壊し、且つ即時殲滅消去せよ!!!!!!!
結界の起点でもあり、強制大地震を起こす能力がある可能性が高い!!!!!!
従って、全ての要石や鎮石の類(できれば力石も。万を超える数らしいが・・・・)を完全破壊し、即時殲滅消去せよ!!!!!!
※※※※※※※
倭国国内に在るビオトープ&ビオランドの全地点と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
さとっぴ軍全軍は今すぐ、下記の全地点の地下深くを先制総攻撃して、奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼしまくれや!!!!!!!徹底的にヤレ!!!!!!
https://t.co/McFT0Q15lW
北海道
永山新川 - 人工的な水路であるが、河川管理者の北海道開発局がなるべく自然に近いものにしようとビオトープなどの水辺の環境整備に取り組んでいる
岩手県
岩手阿部製粉本社工場 - 「パークファクトリー」の一環として敷地内に整備した。地域に開放され、「ビオトープ芽吹き屋」というレストランに隣接する[2]
宮城県
スポパーク松森 - 仙台市のごみ処理施設松森工場が隣接し、その余熱を再利用したビオトープがある
福島県
ムシテックワールド - 屋外にビオトープが整備されている
三春ダム - 生態系に配慮した新たな水質浄化手法の研究にも取り組むとともにビオトープや人工浮島も整備されている
茨城県
豊里の杜 - ビオトープ・フロント街区中に整備されている
JERA常陸那珂火力発電所 - 敷地内にはビオトープ緑地が整備されている
埼玉県
三ツ又沼 - 荒川河川敷の開平橋付近にあり、希少な動植物が生息している[3]
中落堀川 - 久喜市久喜北にビオトープがある
千葉県
JERA千葉火力発電所 - 自然復元型公園の「ビオトープそが」を同発電所の隣に整備した
手賀沼ビオトープ - 手賀沼総合浄化計画の一環として水生植物を利用して水をきれいにするために設置された[4]
利根川ゆうゆう公園 - 自然観察ゾーンに、窪地の小丘のビオトープ、流れの草地ビオトープ、流路型ビオトープの3つの異なったビオトープが整備されている。人の立ち入りを制限した保全エリアも設けている[5]
東京都
吹上御苑 - 昭和天皇が自然のまま残すように希望し、以後手つかずとなった吹上御苑は、植生を形成、さながらビオトープの様になっている
江古田の森公園 - ビオトープ池が整備されている。自然保護のために江古田の森公園運営協議会で検討して決めた利用ルールがある[6]
桑袋ビオトープ公園 - 元々あった自然を取り戻そうと整備され、環境を整えることで、生物が自然と集まり暮らすことをめざしている[7]
六町エコプチテラス事業 - 足立区が区画整理事業用に取得した土地を利用して農園やビオトープを整備した。2006年土地活用モデル大賞土地活用特別賞受賞[8]
新宿中央公園 - 園内の片隅に設けられている。高層ビル街から徒歩5分という位置[9]
世田谷区 - 区域内を流れる主要河川を暗渠化した後に緑道や親水公園、ビオトープが整備されている
日野市 - 市内の用水路が、水環境の保全や防火用水、ヒートアイランド現象の抑制など、都市に潤いを与えるものと見直され、親水公園やビオトープとして、再整備が進められている
神奈川県
境川遊水地公園 - 遊水地を利用したビオトープで水辺の動植物の観察ができる。一部では化石の採集もできる場所がある(要許可)
浮島町公園
長井海の手公園 ソレイユの丘 - 「ビオトープの小川」として、渓谷風の自然あふれる清らかなせせらぎが再現されている
新潟県
ベルナティオ - 周辺地域の自然保護のためビオトープを整備している
石川県
いしかわ動物園 - 「エコ」に積極的に取り組み、調整池をできるだけ自然の形に近づけるようビオトープ化を図っている
長野県
杉の木貯水池 - 東京電力が貯水池周辺を公園として整備し、池内には人工の浮島が浮かべられている
岐阜県
大安寺川 - 流域の一部沿岸に、大安寺川ホタルの里としてビオトープが整備され、ゲンジボタルの生息地として保護されている
鵜沼駅 - 水と緑をイメージし、ロータリーの中央にビオトープ池が設置されている
ハートピア安八 - 施設の地下水を利用したビオトープが整備されている[10]
万場駅 - ホタルが生息するビオトープ水路が整備されている
静岡県
小笠山総合運動公園 - 自然環境がそのまま維持され、小笠山の自然風景を観察できる
静岡ファクトリーパーク - 敷地内の排水がビオトープに使用されている
愛知県
ノリタケの森 - ビオトープを作り、生態系を回復させている
浅井山公園 - 岸や人工の浮島に水生植物を植えているビオトープがある
エコハウス小牧 - プラザハウスの雨水を利用したビオトープが整備されている[11]
わくわく体験広場 - 施設内には田んぼや畑とともに、ビオトープがある
あいち海上の森センター ムーアカデミー - 施設の周りの小河川にビオトープを整備し、ホタルの育成などを行っている
東邦ガス知多緑浜工場 - 地域の環境保全、生物多様性保全への取り組みの一環として建設時に工場内にビオトープが設置された[12]
下山バークパーク - 中に整備されたビオトープは倭国ビオトープ協会・第1回自然創出部門受賞
東三河ふるさと公園 - 東三河地域の植物をビオトープで紹介する「三河郷土の谷」が設置されている
朝倉川 - 倭国ホタルの会が協力して川の再生を実現するための指針「朝倉川流域ビジョン」を策定し、蛍の生息地となる「ビオトープ」を設けている
ビオトープ(出沢銭亀) - 住民が整備するビオトープ 休耕田を活用している。[13]
三重県
松阪農業公園ベルファーム - 自然と触れ合える自然の3つの池とビオトープが整備されている
滋賀県
愛荘町立愛知川図書館 - 周囲にはビオトープが設置されている
河辺の森駅 - 駅前にビオトープが整備されている
京都府
井ノ奥公園 - 鳥のさえずりや生き物の観察に適した環境のビオトープ池が整備されている
大阪府
鴻池水路 - 大阪府と東大阪市による親水事業[14]。元々農業用水路として使われていたが、下水道処理施設としてリニューアルに当り、ビオトープとして整備、国土交通大臣いきいき下水道賞(2004年度)を受賞
兵庫県
キリンビール神戸工場 - カワバタモロコなどの希少種の保護育成に取り組んでいる[15]
天満大池公園 - ビオトーププランにより、本来の自然の水辺を復活させる試みが行われている
なか・やちよの森公園 - 湖畔の広場にビオトープ池が設置されている
姫路市立水族館 - 屋上にある旧市民プール跡をビオトープに改修した
豊岡市 - 拠点となる一定規模の湿地帯と休耕田等を活用した小規模ビオトープのネットワークで、面的に湿地環境を創出している
和歌山県
道の駅紀州備長炭記念公園 - ビオトープ施設「水辺の森」がある
皆地いきものふれあいの里 - 耕作放棄された水田がふけ田と呼ばれる湿地帯に転じ、水棲生物に富むことで注目され、専門の業者によって自然観察のためのビオトープとしての整備事業が行われた。しかし、これによって豊富な生物相が失われたと批判する声もある。
天神崎 - 内陸側の小さな谷にある水田跡の一つは現在では少し掘り下げられて田んぼビオトープ施設として整備されている
岡山県
キリンビール岡山工場 - アユモドキなどの希少種の保護育成に取り組んでいる[15]
山口県
山口県セミナーパーク - 自然ふれあいゾーン内にビオトープが設置されている
福岡県
響灘ビオトープ - 北九州市若松区にある廃棄物処分場跡地に自然発生した倭国最大級の広さ41haのビオトープ
長崎県
長崎ペンギン水族館 - 駐車場から水族館までは約250mの遊歩道に雑木林や田などを模したビオトープが整備されている
【学校のビオトープ例】
学校によっては、ビオトープという言葉の代わりに、「ビオランド」という言葉を用いていることもある。
ビオランドの名称を使っている学校には、杉並区立第九小学校杉九ビオランド、香川県東かがわ市立相生小学校や東京都武蔵野市立第三小学校、神戸市立雲中小学校、名古屋市立清水小学校 などがある。
そのほか、特定非営利活動法人で新潟県東蒲原郡阿賀町中ノ沢の「お山の森の木の学校」でも、ビオランドという言葉を使っている。
千葉県立小金高等学校
久喜市立本町小学校 …
久喜市立久喜北小学校 … 2003年(平成15年)、ビオトープが完成
久喜市立久喜小学校 … 2004年(平成16年)、ビオトープが完成
久喜市立青葉小学校 … 2005年(平成17年)、ビオトープが完成
久喜市立青毛小学校 … 1998年(平成10年)、ビオトープを造成
久喜市立太田小学校 …
蟹江町立学戸小学校#ビオトープ
流山市立西初石小学校 … 2004年(平成16年)に、学校ビオトープ設置
神戸市立神の谷小学校 … 2000年、ビオトープ(自然ランド)完成
大垣市立小野小学校#ビオトープ整備
静岡市立城山中学校 … 1995年(平成7年)、ビオトープ「めだか池」誕生
静岡大学教育学部附属島田中学校 … 太陽光発電と風力発電による電気を使った循環式のビオトープが作られている
磐田市立向笠小学校 … 全国学校ビオトープ・コンクール 2005年 受賞校
静岡県立浜松城北工業高等学校 … 2002年、ビオトープ「城北の森」が完成
浜松市立北浜北小学校 … 2004年、ビオトープ完成
岬町立深日小学校 … 泉州地域では初めてビオトープが設置された
加古川市立別府西小学校 … 中庭にビオトープがある
岡崎市立羽根小学校 …
大津市立真野中学校 … 2008年、ビオトープ設置
沼津市立香貫小学校 … 2004年、体育館裏に、児童の手作りビオトープが完成
岡崎市立秦梨小学校 …
奈良市立朱雀小学校 … 「教育の森(ビオトープ)」
千葉県立千葉中学校・高等学校 … 2003年創立125周年記念、ビオトープ竣工
実践学園中学・高等学校 … 屋上に「武蔵野の自然」をテーマにしたビオトープ(実践の森)がある
枚方市立招提小学校 … 2002年、ビオトープ完成
目黒区立緑ヶ丘小学校 .. 畑のほかにビオトープが
各務原市立蘇原第二小学校 … 2008年全国学校ビオトープ・コンクール
豊中市立桜井谷東小学校 … 2004年、ビオトープ完成
豊中市立千成小学校 … 1992年、ビオトープが完成山池
豊中市立第十五中学校 … 2008年、ビオトープ再生事業完成
練馬区立大泉小学校 … 近年ビオトープができた
川越市立川越西小学校 … 体育館裏にビオトープが設置されている
新城市立舟着小学校 … 2000年、「わくわくランド」ビオトープ完成
富山市立大広田小学校 … ビオトープも
さいたま市立土呂中学校 … 学校ビオトープ
神戸市立向洋中学校 … 2001年(平成13年)ビオトープ改修完了
中野区立若宮小学校 … 校庭脇に池やビオトープがあり多くの生き物を観察することが出来る
岩国市立由宇小学校 … 2002年、ビオトープ完成
渋川市立渋川南小学校 … 太陽光発電設備やビオトープなど環境教育を考慮した学校施設となっている
桐光学園中学校・高等学校
昭和女子大学 … 構内のビオトープにはゲンジホタルが生息
多治見市立北栄小学校 … 2007年、観察池をビオトープに改修
宮崎市立江南小学校 … 2000年(平成12年) 全国学校教育ビオトープコンクール奨励賞受賞
姫路市立的形小学校 … 2007年(平成19年)、ビオトープ完成
獨協中学校・高等学校 … ビオトープラボが
上越教育大学附属中学校 … 敷地内にビオトープ。現在も魚などが住んでいる
倉敷市立赤崎小学校 … 2005年(平成17年)、ビオトープ完成
姫路短期大学 … 現在では、環境人間学部における研究用のビオトープとして整備されている
神戸市立住吉小学校 … 1999年、ビオトープ完成
堺市立上神谷小学校 … 2007年、ビオトープが完成
東京都立戸山高等学校 … 校舎改築を記念して城北会(同窓会)より寄贈されたビオトープがある
四條畷市立田原小学校 … 2002年、ビオトープが完成
京都市立勧修小学校 … 2003年(平成15年)、水辺のビオトープを新設
草津市立渋川小学校 … 学校ビオトープを2004年に完成。「再生、復元が主目的」を活動テーマに掲げ、地域ぐるみで活動する渋川ビオトープの会がある。[16] November 11, 2025
1RP
ローカルヒーロー祭の次の日24日!長野県上田市 西部公民館に行って来たっす!
なんと!上田市もカイコさんとゆかりのある地だという!!ここでもカイコさんの幼虫のイラストが!!綾部市もカイコとは切っても切れない関係!運命を感じたっす!!
#京都府
#綾部市
#長野県
#上田市
#必筆超人ライトロン https://t.co/PfCJlEqxxV November 11, 2025
大阪本苑557-0012大阪府大阪市西成区聖天下1-3-1406-6651-5670
神戸本苑652-0043兵庫県神戸市兵庫区会下山町1-2-27078-512-3652
はりま本苑672-8048兵庫県姫路市飾磨区三宅1-100792-35-0257
奈良岡の家分苑634-0105奈良県高市郡明日香村東山130-20744-54-3143
紀伊本苑643-0004和歌山県有田郡湯浅町湯浅2280737-63-1385
鳥取本苑680-1442鳥取市吉岡温泉町7480857-57-0920
伯耆分苑689-4108鳥取県西伯郡岸本町丸山半川1503ー30859-68-2705
出雲本苑693-0056島根県出雲市江田町北広瀬30853-22-3005
岡山本苑710-0003岡山県倉敷市平田952-8086-424-5354
福山分苑720-0816福山市地吹町17ー28084-925-8922
広島本苑731-0103広島市安佐南区緑井7-18-30082-877-3600
長周分苑753-0818山口県山口市吉敷上東3-3-37083-928-3650
香川分苑769-2702香川県東かがわ市松原4030879-25-9550
徳島本苑773-0007徳島県小松島市金磯町1-560885-33-2420
愛媛本苑792-0034愛媛県新居浜市船木甲2297-120897-40-2471
高知分苑780-8001高知県高知市土居町7-170888-31-2098
筑紫本苑802-0042福岡県北九州市小倉北区足立3-8-12093-921-5667
長崎分苑850-0001長崎県長崎市西山3-1-90958-23-0204
五島分苑853-0411長崎県五島市玉之浦町玉之浦郷375-20959-87-2670
熊本本苑861-0106熊本県熊本市北区植木町豊田1327-2096-272-4915
鹿児島分苑899-5422鹿児島県姶良市松原町2-5-10995-67-3943
種子島分苑891-3101鹿児島県西之表市西之表764209972-3-0988
奄美分苑894-0505鹿児島県奄美市笠利町平1060-40997-63-9250
https://t.co/P5cvEzujqv
「杵」を含む地名— 17 件
「杵」を含む市区町村
臼杵市(うすきし) 大分県
杵島郡大町町(きしまぐんおおまちちょう) 佐賀県
杵島郡江北町(きしまぐんこうほくまち) 佐賀県
杵島郡白石町(きしまぐんしろいしちょう) 佐賀県
杵築市(きつきし) 大分県
西臼杵郡五ヶ瀬町(にしうすきぐんごかせちょう) 宮崎県
西臼杵郡高千穂町(にしうすきぐんたかちほちょう) 宮崎県
西臼杵郡日之影町(にしうすきぐんひのかげちょう) 宮崎県
西彼杵郡時津町(にしそのぎぐんとぎつちょう) 長崎県
西彼杵郡長与町(にしそのぎぐんながよちょう) 長崎県
東臼杵郡門川町(ひがしうすきぐんかどがわちょう) 宮崎県
東臼杵郡椎葉村(ひがしうすきぐんしいばそん) 宮崎県
東臼杵郡美郷町(ひがしうすきぐんみさとちょう) 宮崎県
東臼杵郡諸塚村(ひがしうすきぐんもろつかそん) 宮崎県
東彼杵郡川棚町(ひがしそのぎぐんかわたなちょう) 長崎県
東彼杵郡波佐見町(ひがしそのぎぐんはさみちょう) 長崎県
東彼杵郡東彼杵町(ひがしそのぎぐんひがしそのぎちょう) 長崎県
https://t.co/exir5oAG0y
「杵」を含む地名— 18 件
「杵」を含む町域名
臼杵(うすき) 大分県臼杵市
臼杵(うすき) 愛媛県喜多郡内子町
置杵牛(おききねうし) 北海道上川郡美瑛町
上杵臼(かみきねうす) 北海道浦河郡浦河町
杵築(きずき) 山口県山陽小野田市
杵築(きつき) 大分県杵築市
杵臼(きなうす) 北海道夕張郡栗山町
杵臼(きねうす) 北海道浦河郡浦河町
篠ノ井杵淵(しののいきねぶち) 長野県長野市
彼杵宿郷(そのぎしゅくごう) 長崎県東彼杵郡東彼杵町
大社町杵築北(たいしゃちょうきづききた) 島根県出雲市
大社町杵築西(たいしゃちょうきづきにし) 島根県出雲市
大社町杵築東(たいしゃちょうきづきひがし) 島根県出雲市
大社町杵築南(たいしゃちょうきづきみなみ) 島根県出雲市
高屋町杵原(たかやちょうきねはら) 広島県東広島市
中臼杵(なかうすき) 大分県臼杵市
荷尾杵(におき) 大分県大分市
南杵築(みなみきつき) 大分県杵築市
愛媛県北宇和郡鬼北町(きたうわぐんきほくちょう)
https://t.co/wkLU1nrV49
「鬼」を含む地名— 88 件
「鬼」を含む町域名
五和町鬼池(いつわまちおにいけ) 熊本県天草市
鵜飼鬼越(うかいおにこし) 岩手県滝沢市
大釜鬼が滝(おおがまおにがたき) 岩手県滝沢市
大屋町鬼村(おおやちょうおにむら) 島根県大田市
男鬼町(おおりちょう) 滋賀県彦根市
小竹鬼ケ坂(おだけおにがさか) 福岡県北九州市若松区
鬼長(おにおさ) 茨城県つくばみらい市
鬼ケ窪(おにがくぼ) 茨城県つくば市
鬼木町(おにきまち) 熊本県人吉市
鬼木(おにぎ) 新潟県三条市
鬼木郷(おにぎごう) 長崎県東彼杵郡波佐見町
鬼木新田(おにぎしんでん) 新潟県三条市
鬼古賀(おにこが) 福岡県大川市
鬼越(おにごえ) 福島県白河市
鬼越(おにごえ) 千葉県市川市
鬼越道下(おにごえみちした) 福島県白河市
鬼越山(おにごえやま) 福島県白河市
鬼崎(おにざき) 大分県大分市
鬼沢(おにざわ) 青森県弘前市
鬼石(おにし) 群馬県藤岡市
鬼鹿千松(おにしかせんまつ) 北海道留萌郡小平町
鬼鹿田代(おにしかたしろ) 北海道留萌郡小平町
鬼鹿富岡(おにしかとみおか) 北海道留萌郡小平町
鬼鹿豊浜(おにしかとよはま) 北海道留萌郡小平町
鬼鹿秀浦(おにしかひでうら) 北海道留萌郡小平町
鬼鹿広富(おにしかひろとみ) 北海道留萌郡小平町
鬼鹿港町(おにしかみなとまち) 北海道留萌郡小平町
鬼鹿元浜(おにしかもとはま) 北海道留萌郡小平町
鬼志別北町(おにしべつきたまち) 北海道宗谷郡猿払村
鬼志別西町(おにしべつにしまち) 北海道宗谷郡猿払村
「鬼」を含む地名— 88 件
「鬼」を含む町域名
鬼志別東町(おにしべつひがしまち) 北海道宗谷郡猿払村
鬼志別南町(おにしべつみなみまち) 北海道宗谷郡猿払村
鬼島(おにじま) 静岡県藤枝市
鬼高(おにたか) 千葉県市川市
鬼津(おにづ) 福岡県遠賀郡遠賀町
鬼取町(おにとりちょう) 奈良県生駒市
鬼木(おにのき) 福岡県豊前市
鬼橋町(おにばしまち) 長崎県大村市
鬼袋町(おにふくろまち) 青森県西津軽郡鰺ヶ沢町
鬼伏(おにぶし) 新潟県糸魚川市
鬼丸町(おにまるちょう) 佐賀県佐賀市
鬼柳(おにやなぎ) 神奈川県小田原市
鬼柳町(おにやなぎちょう) 岩手県北上市
鬼脇(おにわき) 北海道利尻郡利尻富士町
鬼籠野(おろの) 徳島県名西郡神山町
鬼童町(おんどうまち) 福岡県柳川市
影鬼越(かげおにごえ) 福島県白河市
上鬼柳(かみおにやなぎ) 岩手県北上市
鎌原鬼の泉水(かんばらおにのせんすい) 群馬県吾妻郡嬬恋村
鬼岩寺(きがんじ) 静岡県藤枝市
鬼女新田(きじょしんでん) 静岡県牧之原市
北鬼江(きたおにえ) 富山県魚津市
北鬼柳(きたおにやなぎ) 岩手県北上市
鬼無里(きなさ) 長野県長野市
鬼無里日下野(きなさくさがの) 長野県長野市
鬼無里日影(きなさひかげ) 長野県長野市
鬼無町鬼無(きなしちょうきなし) 香川県高松市
鬼無町是竹(きなしちょうこれたけ) 香川県高松市
鬼無町佐藤(きなしちょうさとう) 香川県高松市
鬼無町佐料(きなしちょうさりょう) 香川県高松市
「鬼」を含む地名— 88 件
「鬼」を含む町域名
鬼無町藤井(きなしちょうふじい) 香川県高松市
鬼無町山口(きなしちょうやまぐち) 香川県高松市
鬼怒(きぬ) 茨城県下妻市
鬼怒ケ丘(きぬがおか) 栃木県真岡市
鬼怒川温泉大原(きぬがわおんせんおおはら) 栃木県日光市
鬼怒川温泉滝(きぬがわおんせんたき) 栃木県日光市
鬼舞(きぶ) 新潟県糸魚川市
九鬼町(くきちょう) 三重県尾鷲市
九鬼町(くきちょう) 大阪府和泉市
国見町鬼籠(くにみまちきこ) 大分県国東市
桜井総稱鬼泪山(さくらいそうしょうきなだやま) 千葉県富津市
下鬼柳(しもおにやなぎ) 岩手県北上市
前鬼(ぜんき) 奈良県吉野郡下北山村
竹野町鬼神谷(たけのちょうおじんだに) 兵庫県豊岡市
玉川町鬼原(たまがわちょうおにばら) 愛媛県今治市
父鬼町(ちちおにちょう) 大阪府和泉市
百目鬼(どめき) 山形県山形市
鳴子温泉鬼首(なるこおんせんおにこうべ) 宮城県大崎市
南郷鬼神野(なんごうきじの) 宮崎県東臼杵郡美郷町
西田町鬼生田(にしたまちおにうた) 福島県郡山市
西山町鬼王(にしやまちょうおにお) 新潟県柏崎市
挾間町鬼瀬(はさままちおにがせ) 大分県由布市
挾間町鬼崎(はさままちおにざき) 大分県由布市
浜鬼志別(はまおにしべつ) 北海道宗谷郡猿払村
東祖谷九鬼(ひがしいやくき) 徳島県三好市
門前町鬼屋(もんぜんまちおにや) 石川県輪島市
八尾町滅鬼(やつおまちめっき) 富山県富山市
養母田鬼塚(やぶたおにづか) 佐賀県唐津市
https://t.co/IwITpKhUEJ
「巌」を含む地名— 4 件
「巌」を含む町域名
巌城(いわき) 鳥取県倉吉市
大巌寺町(だいがんじちょう) 千葉県千葉市中央区
富来牛下巌門(とぎうしおろしがんもん) 石川県羽咋郡志賀町
東巌城町(ひがしいわきちょう) 鳥取県倉吉市
https://t.co/h9ehHnqM25
「厳」を含む地名— 56 件
「厳」を含む町域名
厳島(いつくしま) 北海道空知郡奈井江町
厳原町安神(いづはらまちあがみ) 長崎県対馬市
厳原町浅藻(いづはらまちあざも) 長崎県対馬市
厳原町阿連(いづはらまちあれ) 長崎県対馬市
厳原町今屋敷(いづはらまちいまやしき) 長崎県対馬市
厳原町内山(いづはらまちうちやま) 長崎県対馬市
厳原町尾浦(いづはらまちおうら) 長崎県対馬市
厳原町大手橋(いづはらまちおおてばし) 長崎県対馬市
厳原町樫根(いづはらまちかしね) 長崎県対馬市
厳原町北里(いづはらまちきたざと) 長崎県対馬市
厳原町久田(いづはらまちくた) 長崎県対馬市
厳原町久田道(いづはらまちくたみち) 長崎県対馬市
厳原町久根田舎(いづはらまちくねいなか) 長崎県対馬市
厳原町久根浜(いづはらまちくねはま) 長崎県対馬市
厳原町久和(いづはらまちくわ) 長崎県対馬市
厳原町上槻(いづはらまちこうつき) 長崎県対馬市
厳原町小浦(いづはらまちこうら) 長崎県対馬市
厳原町国分(いづはらまちこくぶ) 長崎県対馬市
厳原町小茂田(いづはらまちこもだ) 長崎県対馬市
厳原町桟原(いづはらまちさじきばら) 長崎県対馬市
厳原町佐須瀬(いづはらまちさすせ) 長崎県対馬市
厳原町椎根(いづはらまちしいね) 長崎県対馬市
厳原町下原(いづはらまちしもばる) 長崎県対馬市
厳原町田渕(いづはらまちたぶち) 長崎県対馬市
厳原町豆酘(いづはらまちつつ) 長崎県対馬市
厳原町豆酘瀬(いづはらまちつつせ) 長崎県対馬市
厳原町豆酘内院(いづはらまちつつないいん) 長崎県対馬市
厳原町天道茂(いづはらまちてんどうしげ) 長崎県対馬市
厳原町中村(いづはらまちなかむら) 長崎県対馬市
厳原町南室(いづはらまちなむろ) 長崎県対馬市
「厳」を含む地名— 56 件
「厳」を含む町域名
厳原町西里(いづはらまちにしざと) 長崎県対馬市
厳原町東里(いづはらまちひがしざと) 長崎県対馬市
厳原町日吉(いづはらまちひよし) 長崎県対馬市
厳原町曲(いづはらまちまがり) 長崎県対馬市
厳原町宮谷(いづはらまちみやだに) 長崎県対馬市
厳原町与良内院(いづはらまちよらないいん) 長崎県対馬市
厳木町天川(きゅうらぎまちあまがわ) 佐賀県唐津市
厳木町岩屋(きゅうらぎまちいわや) 佐賀県唐津市
厳木町うつぼ木(きゅうらぎまちうつぼき) 佐賀県唐津市
厳木町浦川内(きゅうらぎまちうらがわち) 佐賀県唐津市
厳木町厳木(きゅうらぎまちきゅうらぎ) 佐賀県唐津市
厳木町瀬戸木場(きゅうらぎまちせとこば) 佐賀県唐津市
厳木町鳥越(きゅうらぎまちとりごえ) 佐賀県唐津市
厳木町中島(きゅうらぎまちなかしま) 佐賀県唐津市
厳木町浪瀬(きゅうらぎまちなみせ) 佐賀県唐津市
厳木町平之(きゅうらぎまちひらの) 佐賀県唐津市
厳木町広川(きゅうらぎまちひろかわ) 佐賀県唐津市
厳木町広瀬(きゅうらぎまちひろせ) 佐賀県唐津市
厳木町星領(きゅうらぎまちほしりょう) 佐賀県唐津市
厳木町牧瀬(きゅうらぎまちまきせ) 佐賀県唐津市
厳木町本山(きゅうらぎまちもとやま) 佐賀県唐津市
厳美町(げんびちょう) 岩手県一関市
正厳(しょうごん) 山形県尾花沢市
荘厳寺町(しょうごんじちょう) 滋賀県彦根市
対厳山(たいげんざん) 広島県廿日市市
陵厳寺(りょうげんじ) 福岡県宗像市
https://t.co/UL7dcVRezv
「いわや」を含む地名— 59 件=いずれも危険度最高レベル!!!!!!
「いわや」を含む町域名
岩屋(いわや) 兵庫県神戸市灘区
岩谷(いわや) 新潟県東蒲原郡阿賀町
岩谷(いわや) 愛媛県伊予郡砥部町
岩屋(いわや) 北海道虻田郡洞爺湖町
岩屋(いわや) 兵庫県淡路市
岩屋(いわや) 富山県南砺市
岩谷(いわや) 愛媛県北宇和郡鬼北町
岩谷(いわや) 福島県福島市
岩屋(いわや) 島根県邑智郡邑南町
岩屋(いわや) 岩手県八幡平市
岩屋(いわや) 兵庫県神崎郡神河町
岩屋(いわや) 兵庫県伊丹市
岩屋(いわや) 京都府与謝郡与謝野町
岩屋(いわや) 香川県綾歌郡宇多津町
岩屋(いわや) 奈良県山辺郡山添村
岩屋(いわや) 福井県三方上中郡若狭町
岩屋(いわや) 青森県下北郡東通村
岩屋(いわや) 兵庫県加東市
岩谷(いわや) 大分県杵築市
岩屋(いわや) 福岡県豊前市
岩屋(いわや) 岡山県苫田郡鏡野町
岩屋北町(いわやきたまち) 兵庫県神戸市灘区
岩谷口(いわやぐち) 新潟県佐渡市
岩谷口(いわやぐち) 愛媛県伊予郡砥部町
岩屋郷(いわやごう) 長崎県東彼杵郡川棚町
岩谷沢(いわやさわ) 山形県尾花沢市
岩安(いわやす) 富山県南砺市
岩屋谷(いわやだに) 鳥取県西伯郡伯耆町
岩屋町(いわやちょう) 奈良県天理市
岩谷町(いわやちょう) 愛知県豊田市
「いわや」を含む地名— 59 件
「いわや」を含む町域名
岩屋町(いわやちょう) 奈良県天理市
岩谷町(いわやちょう) 愛知県豊田市
岩屋堂(いわやどう) 鳥取県八頭郡若桜町
岩屋中町(いわやなかまち) 兵庫県神戸市灘区
岩谷麓(いわやふもと) 秋田県由利本荘市
岩山(いわやま) 京都府綴喜郡宇治田原町
岩山(いわやま) 千葉県山武郡芝山町
岩屋町(いわやまち) 石川県七尾市
岩屋町(いわやまち) 長崎県長崎市
岩屋町(いわやまち) 大分県津久見市
岩谷町(いわやまち) 秋田県由利本荘市
岩屋南町(いわやみなみまち) 兵庫県神戸市灘区
院内町土岩屋(いんないまちつちいわや) 大分県宇佐市
嬉野町岩屋川内(うれしのまちいわやがわち) 佐賀県嬉野市
江刺岩谷堂(えさしいわやどう) 岩手県奥州市
大岩屋(おおいわや) 大分県豊後高田市
大宅岩屋殿(おおやけいわやでん) 京都府京都市山科区
北郷町岩屋(きたごうちょういわや) 福井県勝山市
厳木町岩屋(きゅうらぎまちいわや) 佐賀県唐津市
国東町岩屋(くにさきまちいわや) 大分県国東市
山南町岩屋(さんなんちょういわや) 兵庫県丹波市
志染町窟屋(しじみちょういわや) 兵庫県三木市
世知原町岩谷口(せちばるちょういわやぐち) 長崎県佐世保市
田代町岩谷(たしろちょういわや) 愛知県名古屋市千種区
長岩屋(ながいわや) 大分県豊後高田市
野津町岩屋(のつまちいわや) 大分県臼杵市
深草大亀谷岩山町(ふかくさおおかめだにいわやまちょう) 京都府京都市伏見区
藻岩山(もいわやま) 北海道札幌市南区
八尾町岩屋(やつおまちいわや) 富山県富山市
https://t.co/eImMdaHVPO
「いしや」を含む地名— 44 件
「いしや」を含む町域名
石屋(いしや) 富山県富山市
石薬師町(いしやくしちょう) 三重県鈴鹿市
石薬師町(いしやくしちょう) 京都府京都市上京区
石休場町(いしやすみばまち) 石川県輪島市
石屋町(いしやちょう) 京都府京都市伏見区
石屋町木屋町通三条下る(いしやちょうきやまちどおりさんじょうさがる) 京都府京都市中京区
石屋町木屋町通四条上る(いしやちょうきやまちどおりしじょうあがる) 京都府京都市中京区
石屋町先斗町通三条下る(いしやちょうぽんとちょうどおりさんじょうさがる) 京都府京都市中京区
石屋町丸太町通御幸町東入(いしやちょうまるたまちどおりごこまちひがしいる) 京都府京都市中京区
石屋町丸太町通寺町西入(いしやちょうまるたまちどおりてらまちにしいる) 京都府京都市中京区
石山(いしやま) 北海道札幌市南区
石山(いしやま) 福井県大飯郡おおい町
石山(いしやま) 新潟県新潟市東区
石山(いしやま) 北海道白老郡白老町
石山一条(いしやま1じょう) 北海道札幌市南区
石山二条(いしやま2じょう) 北海道札幌市南区
石山三条(いしやま3じょう) 北海道札幌市南区
石山四条(いしやま4じょう) 北海道札幌市南区
石山内畑町(いしやまうちはたちょう) 滋賀県大津市
石山千町(いしやませんちょう) 滋賀県大津市
石山外畑町(いしやまそとはたちょう) 滋賀県大津市
石山団地(いしやまだんち) 新潟県新潟市東区
石屋町(いしやまち) 栃木県日光市
石山町(いしやまちょう) 北海道小樽市
石山町(いしやまちょう) 愛知県一宮市
石山寺辺町(いしやまてらべちょう) 滋賀県大津市
石山寺(いしやまでら) 滋賀県大津市
石山東(いしやまひがし) 北海道札幌市南区
大村石山(おおむらいしやま) 北海道上川郡美瑛町
小国浅瀬石山(おぐにあせいしやま) 青森県平川市
「いしや」を含む地名— 44 件
「いしや」を含む町域名
切明浅瀬石山(きりあけあせいしやま) 青森県平川市
葛川浅瀬石山(くずかわあせいしやま) 青森県平川市
黒石山(くろいしやま) 宮城県気仙沼市
新石山(しんいしやま) 新潟県新潟市東区
太子山町(たいしやまちょう) 京都府京都市下京区
高城町石山(たかじょうちょういしやま) 宮崎県都城市
立石山(たていしやま) 福島県白河市
砥石山(といしやま) 北海道札幌市南区
那加石山町(なかいしやまちょう) 岐阜県各務原市
西石屋町(にしいしやちょう) 京都府京都市上京区
猫石山(ねこいしやま) 福島県耶麻郡猪苗代町
東石屋町(ひがしいしやちょう) 京都府京都市上京区
東山町石山(ひがしやままちいしやま) 福島県会津若松市
舟形石山(ふなかたいしやま) 福島県二本松市
https://t.co/OqTsN3ooCr
「いしきり」を含む地名— 13 件
「いしきり」を含む町域名
石切町(いしきりちょう) 岐阜県岐阜市
石切所(いしきりどころ) 岩手県二戸市
石切場(いしきりば) 福島県白河市
石切畑(いしきりばたけ) 福島県大沼郡会津美里町
石切畑甲(いしきりばたこう) 福島県大沼郡会津美里町
上石切町(かみいしきりちょう) 大阪府東大阪市
北石切町(きたいしきりちょう) 大阪府東大阪市
中石切町(なかいしきりちょう) 大阪府東大阪市
南外巣ノ沢石切場(なんがいすのさわいしきりば) 秋田県大仙市
西石切町(にしいしきりちょう) 大阪府東大阪市
春野町石切(はるのちょういしきり) 静岡県浜松市天竜区
東石切町(ひがしいしきりちょう) 大阪府東大阪市
南石切町(みなみいしきりまち) 宮城県仙台市若林区
京都府相楽郡精華町(そうらくぐんせいかちょう)
https://t.co/0GDHTQbI9F
「華」を含む地名— 36 件
「華」を含む町域名
粟田口華頂町(あわたぐちかちょうちょう) 京都府京都市東山区
伊香立上龍華町(いかだちかみりゅうげちょう) 滋賀県大津市
伊香立下龍華町(いかだちしもりゅうげちょう) 滋賀県大津市
鏡島精華(かがしませいか) 岐阜県岐阜市
華浦(かほ) 山口県防府市
神居町神華(かむいちょうしんか) 北海道旭川市
華陽(かよう) 岐阜県岐阜市
金華町(きんかちょう) 岐阜県岐阜市
栗栖野華ノ木町(くりすのはなのきちょう) 京都府京都市山科区
華蔵寺町(けぞうじまち) 群馬県伊勢崎市
嵯峨清滝一華表町(さがきよたきいっかひょうちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨鳥居本一華表町(さがとりいもといっかひょうちょう) 京都府京都市右京区
聖護院蓮華蔵町(しょうごいんれんげぞうちょう) 京都府京都市左京区
末武上華陵(すえたけかみかりょう) 山口県下松市
精華台(せいかだい) 京都府相楽郡精華町
精華町(せいかまち) 岐阜県多治見市
大聖寺法華坊町(だいしょうじほっけぼうまち) 石川県加賀市
曇華院前町(どんげいんまえちょう) 京都府京都市中京区
華川町小豆畑(はなかわちょうあずはた) 茨城県北茨城市
華川町臼場(はなかわちょううすば) 茨城県北茨城市
華川町上小津田(はなかわちょうかみこつだ) 茨城県北茨城市
華川町車(はなかわちょうくるま) 茨城県北茨城市
華川町下小津田(はなかわちょうしもこつだ) 茨城県北茨城市
華川町下相田(はなかわちょうしもそうだ) 茨城県北茨城市
華川町中妻(はなかわちょうなかつま) 茨城県北茨城市
華川町花園(はなかわちょうはなぞの) 茨城県北茨城市
華城中央(はなぎちゅうおう) 山口県防府市
華園町(はなぞのちょう) 山口県防府市
弁華別(べんけべつ) 北海道石狩郡当別町
細畑華南(ほそばたかなん) 岐阜県岐阜市
「華」を含む地名— 36 件
「華」を含む町域名
法華(ほっけ) 愛知県名古屋市中川区
法華寺町(ほっけじちょう) 奈良県奈良市
法華西町(ほっけにしまち) 愛知県名古屋市中川区
龍華町(りゅうげちょう) 大阪府八尾市
留辺蘂町金華(るべしべちょうかねはな) 北海道北見市
礼文華(れぶんげ) 北海道虻田郡豊浦町
丹波高地の全ての山々の山頂と、それら周辺一帯。
https://t.co/AulMnPCpv9
丹波高地(たんばこうち)は、兵庫県東部・京都府・大阪府北部・滋賀県西部・福井県南西部に広がる隆起準平原。
一般に、由良川と加古川の以東の標高600 mから800 m程度までの類似した標高を有する山岳が林立する地域を指している。
丹波山地、或いは丹波高原といわれることもある。
高地の内、京都府の綾部市、京丹波町、南丹市、京都市左京区・右京区の範囲が2016年(平成28年)に京都丹波高原国定公園に指定された。
【主な山】
京都府の山
皆子山(972m)、峰床山(970m)、三国岳(959m)、愛宕山(924m)、長老ヶ岳(917m)、桟敷ヶ岳(896m)、頭巾山(871m)、千丈ヶ嶽(大江山)(833m)、三岳山(839m)、八ヶ峰(800m)、大悲山(741m)、太鼓山(683m)、ポンポン山(679m)、半国高山(670m)、弥仙山(664m)、磯砂山(661m)、鞍馬山(584m)
兵庫県の山
東床尾山(839m)、御嶽(793m)、能勢妙見山(660m)、大船山(653m)、播磨妙見山(622m)、来日岳(567m)、羽束山(524m)、播磨白山(511m)
福井県の山
野坂山(913m)、赤坂山(824m)、三十三間山(842m)、百里ヶ岳(931m)、岩篭山(765m)、大御影山(950m)、青葉山(693m)、西方ヶ岳(764m)
京都府京都市の全体と、周辺一帯。
京都府京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町にある西本願寺(龍谷山 本願寺)の境内全部と、御影堂と、周辺一帯広めで(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)。
https://t.co/h7X8RajFh0
西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区本願寺門前町にある浄土真宗本願寺派の本山の寺院。
山号は龍谷山(りゅうこくざん)。
本尊は阿弥陀如来。
正式名称は龍谷山本願寺、宗教法人としての名称は本願寺である。
本願寺住職は浄土真宗本願寺派門主を兼務する。
真宗大谷派の本山である東本願寺(正式名称「真宗本廟」)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。
京都市民からはお西さんの愛称でも親しまれている。
文永7年(1272年)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建された。
その後、比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転した(詳細は後述「歴史」の項参照)。
2023年より銀杏と御影堂、阿弥陀堂の2つのお堂をモチーフにしたブランドロゴとともに、「人はひとり。だからこそ、ご縁を見つめたい。」をタグラインとして定めている[1]。
(中略)
【門前町の所有施設および所有地】
西本願寺伽藍配置。周囲は築地に囲まれている。
A:総門 B:御影堂門 C:阿弥陀堂門 D:御影堂 E:阿弥陀堂 F:書院 G:鐘楼 H:経蔵 I:百華園 J:滴翠園 K:太鼓楼 L:飛雲閣
御影堂門から望む総門と門前町
堀川 - 境内の東側には堀川が本願寺の天然の堀となっている。かつては実際に堀川が流れていたが、現在堀川は二条城の東側から暗渠となっているため、ここに水は流れていない。
総門(重要文化財) - 堀川通を挟んで御影堂門の正面にある。宝永8年(1711年)に南総門として作られ、門扉と左右の控柱に瓦屋根をつけた高麗門と呼ばれる作りである。堀川正面交差点東にあり、24時間開門、車両通行可能。1898年(明治31年)の類焼防止緑地(風致園)整備や1911年(明治44年)の再整備、1959年(昭和34年)の堀川通拡張工事により3度も移設されている。なお、北総門は太鼓楼付近にあったが、福井県の吉崎別院に移設されている。
伝道第三本部庁舎
龍谷ミュージアム - 本願寺派の宗門校である龍谷大学の博物館。2011年(平成23年)に開館した倭国初の仏教総合博物館である。
本願寺伝道院(重要文化財) - 1912年(明治45年)に伊東忠太の設計により、真宗信徒生命保険株式会社の社屋として建てられたもの。
本願寺国際センター - 本願寺至心教堂内にある。
下間大門 - 龍谷大学大宮学舎内にあり、台所門の南側にある。大宮学舎の一帯は、かつて下間家をはじめ、本願寺に代々勤めていた関係者の住宅街であったことを物語る。
【北境内地】
花屋町通を挟んで北側にある。かつて日蓮宗大本山本圀寺があった所である。
1971年(昭和46年)に本圀寺が山科区に移転した後、1986年(昭和61年)に本願寺の境内となった。
駐車場
聞法会館 - 宿坊。
本願寺門徒会館
伝道第二本部庁舎
【文化財 国宝】
御影堂[9]
阿弥陀堂[10] 附:渡廊下、喚鐘廊下
書院(対面所及び白書院)
北能舞台
黒書院及び伝廊 2棟
飛雲閣
唐門
紙本墨画親鸞聖人像(鏡御影) 附:絹本著色親鸞聖人像(安城御影)・ 絹本著色親鸞聖人像(安城御影副本)
『観無量寿経註』 親鸞筆
『阿弥陀経註』 親鸞筆
熊野懐紙(後鳥羽天皇宸翰以下11通)附:伏見宮貞敦親王御添状1巻、飛鳥井雅章添状1巻
三十六人家集37帖、附:後奈良天皇宸翰女房奉書1幅
三十六人家集のうち「重之集」の帖末
三十六人家集のうち「重之集」の帖末
【文化財 重要文化財】
建造物
玄関、浪之間、虎之間、太鼓之間 1棟
能舞台(南能舞台)附:橋掛
浴室(黄鶴台)附:廻廊
本願寺 7棟[11][注釈 3]
経蔵
鐘楼
手水所
鼓楼
御影堂門
阿弥陀堂門
総門
附:御成門
附:目隠塀
附:築地塀 3棟
旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院) - 下京区油小路通正面下る玉本町所在[12]。
美術工芸品
絹本著色聖徳太子像
紙本著色親鸞・如信・覚如三上人像
紙本著色善信上人絵(琳阿本) 2巻
紙本著色慕帰絵詞 画隆章、隆昌、久信筆 10巻
絹本著色雪中柳鷺図(伝趙仲穆筆)
絹本著色親鸞聖人絵伝 6幅
銅鐘(梵鐘)
『歎異抄』 2巻 蓮如書写奥書
『教行信証』 6冊
『唯信抄』 親鸞筆
『浄土三経往生文類』 自筆本(略本)
尊円親王詩歌書巻 自筆本(鷹手本)
版本『浄土論註』 上下 2帖 建長8年親鸞加点奥書
『伏見天皇宸翰歌集』(99首)
『栄花物語』 15帖
恵信尼自筆書状類 覚信尼宛 10通
証如上人極官関係文書 3幅、2巻
親鸞自筆書状類(4通) 2巻
『天文日記(光教日記)』自筆本 56冊、11巻
本願寺御影堂留守職歴代譲状(18通)12巻 附 本願寺留守職相伝系図3通、光佐以下歴代譲状(6通)4巻2通
※ 典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
国指定史跡
本願寺境内
国指定特別名勝・史跡
本願寺書院庭園
国指定名勝
滴翠園
京都市指定天然記念物
大銀杏
住職
→詳細は「浄土真宗本願寺派 § 歴代宗主」を参照
西本願寺の住職は、浄土真宗本願寺派の門主を代々務めている。
2024年1月時点、第25代門主釋専如(大谷光淳)が本願寺住職である。
なお、宗教法人「本願寺」としての代表役員は本願寺執行長を充てる[13]。
別院
→詳細は「浄土真宗本願寺派 § 別院・教堂」を参照
代表的な別院
吉崎別院 - 吉崎御坊跡地
名古屋別院
山科別院 - 山科本願寺跡地
津村別院(北御堂) - 真宗大谷派の南御堂と並び、門前を通る大阪市のメインストリートが御堂筋と呼ばれる所以である。
鷺森別院(鷺森本願寺) - 文明8年(1467年)に第8代宗主蓮如が建立。
広島別院 - 安芸門徒の中心道場。
四日市別院 ‐ 大分県 宇佐市
鹿児島別院 - 隠れ念仏と解禁後の鹿児島市街の布教拠点。
築地別院(築地本願寺) - 元和3年(1617年)に第12代宗主准如が西本願寺の別院として建立。2012年(平成24年)に西本願寺唯一の「直轄寺院」となり、それまでは通称だった「築地本願寺」が正式名称となったため、現在は「別院」ではなくなっている。
飛地境内
大谷本廟 - 京都市東山区五条橋東六丁目にある。親鸞の墓所で通称は「西大谷」。
日野誕生院 - 京都市伏見区日野西大道町にある。親鸞誕生の地を記念して建てられた。
角坊 - 京都市右京区山ノ内御堂殿町にある。親鸞往生の地を記念して建てられた。
別荘
三夜荘 - 京都市伏見区にあった、かつての門主の別荘。第21代門主の大谷光尊が1876年(明治9年)に建築し、木戸孝允が命名するが、老朽化のため解体された。
【年中行事】
西本願寺ホームページの「恒例法要と行事」による。
1月1日 : 修正会、元旦会
1月9日 - 16日 : 御正忌報恩講(親鸞の祥月命日)
2月7日 : 如月忌(九條武子の遺徳を偲ぶ)
春分の日前後7日間 : 春季彼岸会
4月8日 : 花まつり(灌仏会)
4月13 - 15日 : 春の法要(立教開宗記念法要、本願寺歴代住職の年回法要)
5月20 - 21日 : 宗祖降誕会
8月上旬 : 盆踊り大会
8月14 - 15日 : 盂蘭盆会
8月15日 : 戦没者追悼法要
9月18日 : 千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要(東京、国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて)
秋分の日前後7日間 : 秋季彼岸会
10月15 - 16日 : 龍谷会(大谷本廟報恩講法要)
10月中旬 - 11日中旬 : 献菊展
11月下旬 : 秋の法要(全国門徒総追悼法要)
12月20日 : 御煤払
12月31日 : 除夜会
京都府京都市下京区烏丸通七条上るにある東本願寺の境内全部と、御影堂と、周辺一帯広めで。(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)
https://t.co/hbC4T2IYnb
東本願寺(ひがしほんがんじ)は、京都市下京区にある真宗大谷派の本山の寺院[1]。
山号はなし。
本尊は阿弥陀如来。
正式名称は真宗本廟(しんしゅうほんびょう)[2][3]である。
東本願寺の名は通称であり、西本願寺(龍谷山本願寺)に対して東に位置することに由来している。
愛称は「お東」「お東さん」。
2020年(令和2年)7月現在の門首は、大谷暢裕(修如) November 11, 2025
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