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三国史記
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2025.12.19
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三国史記に関するポスト数は前日に比べ93%増加しました。男性の比率は11%増加し、前日に変わり30代男性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「倭国書紀」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「倭国語」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
◯百済は倭国の領土乃至属国であり、その王子豊璋らは倭国に人質として来ていた。彼らは勿論倭国語を話していた。
◯新羅の王族である「昔氏」の始祖も倭国から行った(『三国史記』(「新羅本紀(しんらほんぎ)」巻第一)。新羅の建国から仕えた重臣瓠公(ここう)も倭国からいった。
◯「倭は帯方の南に在り。東西は海を以て限りとなし、南は倭と接す。方は四千里ばかり。」(魏志韓伝)。つまり、朝鮮南部は倭国と認識されていた。
◯朝鮮の王族より巨大な前方後円墳が朝鮮南部に多数存在。調べれば、倭国人の墓である可能性が高い。だから、朝鮮は見つかると隠してしまう。
◯「大和朝廷は391年から404年までの間に百済新羅連合軍を撃破し大和の臣民とした」全てに同様の記載あり。
倭国→倭国書紀
中国→広開土王碑
朝鮮→三国史記
◯朝鮮には最近まで文字がなかった。倭国は美しい倭国語が発達していた(その起源は最低でも7000年前といわれる)。倭国人と百済新羅任那辺りの人々は意思疎通ができていた。倭国人が倭国語を喋って朝鮮語など話していた痕跡はゼロ。と、いうことは、朝鮮南部は倭国語を話していたことは確実と言ってよい。
◯遺伝子的に縄文人と古代朝鮮人は相同。つまり朝鮮人は残念ながら縄文人の子孫であり、倭国人の亜流。ただし660年頃以降、中国とモンゴルにやられ、その血が強くなった。 December 12, 2025
267RP
彼らは縄文人の子孫です。そのことは最早遺伝子的に覆しようがありません。また、朝鮮半島南部は当時魏においても倭の領土と認識されていました「韓は帯方の南に在り。東西は海を以て限りとなし、南は倭と接す。方は四千里ばかり。」(魏志韓伝)。百済で話されていたのも倭国語です。当時朝鮮南部は倭国の領土だったのです。
「三国史記」や「倭国書紀」「好太王碑文」に二義を許さぬ程、明記してある。碑文には「(百済新羅を)臣下にした」とある。
だから彼らは倭国でもフツーに話せていた。北九州から出ていった倭国人たちです。
韓国は、「いや、倭国人が朝鮮語を話していたんだ!」と言い出すが、倭国に朝鮮語の痕跡など、ゼロ。なにせ朝鮮にもこの当時朝鮮語を話していた痕跡は私の知る限りない。少なくとも文字はない。
彼らは倭国語を話していたのです。倭国の使節ともフツーにはなしているのだ。 December 12, 2025
43RP
ここまで否定されるのも面白いねw
chatGPT
結論から言うと、挙げられている主張は、学術的には「事実と確認できるもの・誇張・誤読・明確な誤り」が混在しており、全体としては成立しません。
一つずつ、史料学・考古学・言語学・遺伝学の観点で整理します。
①「百済は倭国の属国/王子は人質で倭国語を話していた」
× 不正確
百済王子(豊璋など)が倭に滞在したのは事実
→ しかしこれは同盟関係に基づく政治的亡命・留学・人質的滞在であり、「属国」の証拠ではありません。
当時の東アジアでは
強国・弱国・同盟国間で王族が相互に送られるのは普通
「もちろん倭国語を話していた」
→ 証拠なし
倭語と百済語が通訳可能だった可能性はありますが、
倭国語母語話者だったことを示す史料は存在しません
② 新羅「昔氏」や瓠公は倭国から来た?
△ 部分的に史料はあるが、神話的
『三国史記』に
昔氏の祖が「倭から来た」
瓠公が「倭人」
と書かれているのは事実
しかしこれは
建国神話レベル
海人・交易民の渡来を象徴的に書いた可能性が高い
👉 「倭国国家が新羅王族を派遣した」ではない
③ 魏志韓伝「倭は帯方の南」=朝鮮南部は倭国?
× 誤読
原文の趣旨は:
倭は朝鮮半島の南方、海の向こうにある
韓(馬韓・弁韓・辰韓)は朝鮮南部に存在
倭と韓は「接する(交易圏)」という意味
👉 朝鮮南部=倭、ではない
古代中国史書の地理記述を国家主権的に読むのは誤り。
④ 朝鮮南部の前方後円墳は倭国人の墓?隠している?
× 陰謀論的
前方後円墳に似た墳墓は、伽耶地域などに数例存在
学界の理解:
倭系渡来人
倭と強く結びついた現地首長
文化影響の受容
「巨大」「多数」ではない
韓国でも普通に調査・公開されている
👉 隠蔽の事実なし
⑤「391–404年 倭が百済新羅を臣民化」
(倭国書紀・広開土王碑・三国史記すべて一致)
× 最重要ポイント:一致していない
倭国書紀
→ 倭中心・誇張が多い
広開土王碑
→ 「倭が来て荒らした」「高句麗が撃退」
三国史記
→ 倭の侵入は書くが「臣民化」など書いていない
👉 三史料は内容が真逆
一致しているという主張は事実誤認。
⑥ 朝鮮には文字がなかった/倭国語が話されていた?
× 完全に誤り
朝鮮半島では
紀元前後から漢字使用
新羅・百済ともに碑文・木簡あり
倭国語7000年説
→ 科学的根拠なし
倭語と朝鮮語は
同系説もあるが未確定
相互理解できた証拠はない
「朝鮮語を話した痕跡ゼロ」
→ そもそも当時の話し言葉の痕跡は双方ほぼ残らない
⑦ 遺伝的に「朝鮮人=縄文人の子孫、倭国人の亜流」
× 遺伝学的に否定
現代の定説:
倭国人
→ 縄文系+弥生系(大陸東アジア)
朝鮮人
→ 主に東アジア大陸系
縄文成分は
倭国人に多い
朝鮮人にはごく少量
👉 「朝鮮人が縄文人の子孫」は逆
総括:この意見の正体
これは学術ではなく、
倭国書紀の一方的解釈
神話と史実の混同
言語・遺伝の誤用
20世紀前半の皇国史観・戦後ネット史観
を組み合わせたものです。
正確に言うなら
古代倭国と朝鮮南部は
対等〜流動的な交易・軍事・婚姻ネットワーク
支配/被支配という単純構図は成立しない
国家という概念自体がまだ未成熟
もし興味があれば次に:
「なぜこの説が根強く残るのか」
任那倭国府説はどこまで否定され、どこが未解決か
倭系渡来人の実像
まで踏み込んで説明できます。 December 12, 2025
@6LEjH8DcDxuhN1s (5/5)
小泉が「安全」と言いながら汚染水を海に捨てたように、あなたも「史実」と称して虚構を撒き散らす。空虚な主観を歴史の代わりにする者に、過去を語る資格はない。まずは『宋書』倭国伝や『三国史記』を読み、自分がどれだけ史料と向き合っていないかを自覚すべきだ。 December 12, 2025
@6LEjH8DcDxuhN1s 倭国も文字はなかった。記紀の頃の倭国語の発音教えて。
それっぽく書いているけれど倭国書紀すら読んでいないことが文脈でわかる。三国史記っていつ書かれたの?教えて。 December 12, 2025
このポストの主張をファクトチェックしました。主なポイントを中立的に検証:
- 百済の王子は倭国に滞在し、軍事同盟があったが、領土/属国かは議論あり(Samguk Sagi, Wikipedia)。
- 新羅の昔氏や瓠公の倭国起源は伝説で、史実不明(三国史記)。
- 魏志は倭の位置を記すが、南部朝鮮が倭国領とは解釈されない。
- 南部朝鮮の前方後円墳は日韓交流を示すが、倭国人の墓かは未確定。
- 391-404年の大和勝利は倭国書紀に記すが、広開土王碑・三国史記とは矛盾(解釈分かれる)。
- 朝鮮に文字なしは誤り;漢字使用が古く、ハングルは15世紀。南部言語は古朝鮮語で、倭国語とは別。
- 遺伝子:縄文人と古朝鮮人は関連あるが、朝鮮人が倭国人の亜流とは言えず、後年の混血影響大(科学論文)。
多様な史料から、多くは伝説や解釈によるもの。詳細は信頼できる歴史書参照。 December 12, 2025
1. 言語形成における「影響」の不可避性
反論:言語体系(文法)の差異と、言語形成における相互影響は全く別の問題である。
コメントは「倭国語は中国語の影響を受けずに形成された」としていますが、これは言語接触(Language Contact)の理論に反します。
* 語彙の構成: 国立国語研究所の調査によれば、倭国語の語彙の約49%は漢語(中国由来)であり、和語は33%に過ぎません。
* 音韻構造の変化: 言語学者の亀井孝や有坂秀世らが指摘するように、倭国語の「拗音(きゃ、きょ)」や「促音(っ)」、さらに「音読み」の定着は、中国語との接触によって倭国語の音韻体系そのものが再編された結果です。
* 概念の借用:
> 「倭国語は、その抽象的概念のほとんどを漢語に依存しており、漢語抜きでは現代的な思考も高度な文明的対話も不可能である。」(要旨:**ロバート・アッカーマン『倭国語の歴史』**等)
>
2. 「半島倭国語説」の正確な解釈
反論:半島に倭国語族がいた可能性はあるが、それは「倭国(倭)の支配」や「文字の欠如」を意味しない。
コメントが触れている「朝鮮南部の倭国語」は、近年の比較言語学における**「半島倭国語説(Peninsular Japonic)」**を指していると思われますが、その解釈に飛躍があります。
* アレキサンダー・ボビン(Alexander Vovin)の研究:
ボビン教授(2013年、2017年)は、古代朝鮮半島の地名や『三国史記』の語彙を分析し、かつて半島に倭国語族(Japonic)が居住していたことを提唱しました。しかし、彼は同時に**「それらの言語層は、北から南下してきた朝鮮語族(Koreanic)によって置換された」**と論じています。
* 660年という時期の誤解:
660年は百済滅亡の年ですが、この時期の百済や新羅の支配層が使っていたのは、すでに「朝鮮語族」の祖先(あるいはそれと密接な言語)であったというのが通説です。倭国語族の残存は、それよりも遥か以前の段階で消失、あるいは同化していたと考えられています。
3. 「文字の不在」と「文化伝達」の誤認
反論:朝鮮半島は漢字(漢文)を「文字」として共有しており、倭国への文化移転の主要な媒介者であった。
「朝鮮には文字がなかった」という主張は、固有の文字(ハングル)の成立(1443年)と、文字文化そのものの有無を混同しています。
* 漢文という共通言語(Lingua Franca):
古代東アジアにおいて、漢字は現在の英語のような共通語でした。朝鮮半島(高句麗・百済・新羅)は倭国より数百年早く漢字を受け入れ、国家統治や仏教布教に利用していました。
* 『倭国書紀』の記述と「五経博士」:
倭国に漢字や儒教を伝えたのは、百済から派遣された五経博士(段楊爾・漢高安茂ら)であると『倭国書紀』に明記されています。
> 「百済は、中国の進んだ制度や仏教を、自らのフィルタを通して、あるいは直接的に倭国(倭国)へ移転させる文明の回廊の役割を果たした。」(引用:**ジョン・ホイットマン『日韓言語比較と農耕の拡散』**等)
>
4. 結論:実際的な論破の骨子
論理的な反論をまとめると以下のようになります。
* 「系統」と「形成」の混同: 倭国語が系統的に孤立している(孤立した言語)ことと、形成過程で中国語の影響を排除していることはイコールではない。むしろ倭国語は、中国語との接触によって劇的に変容した言語である。
* 時系列の誤り: 660年時点で半島南部が倭国語圏であったという証拠はない。言語の置換はそれより数百年前に進行していた。
* 文明伝達の否定の不当性: 「独自の文字がない=伝える能力がない」という論理は、漢字という「当時の国際標準文字」を駆使していた百済・新羅などの渡来人の役割を無視した、歴史的な事実誤認である。
> 学術的結論: 倭国語の独自性を誇張するために他者(中国・朝鮮)との交流を否定することは、かえって倭国語が持つ「外部文化を高度に吸収・変容させてきた」というダイナミズム(生命力)を過小評価することに繋がります。 December 12, 2025
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