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三内丸山遺跡
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2025.11.24〜(48週)
:0% :0% (40代/男性)
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三内丸山遺跡の集落は遠くの地域との交流があり、多くの石が持ち込まれています。黒曜石もその一つ。黒曜石は火山岩で、その中に含まれる特徴的な元素の割合から産地が分かります。同じ黒曜石でも産地によって色合いが違うのは、なんとも神秘的ですね。
#丸木舟で運ばれた #遠路はるばるありがとう https://t.co/rdQ7OZxkWp December 12, 2025
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実は縄文人が作った土なんちゃうか説がヤバい
最近の研究で「倭国の黒ボク土の一部は、縄文時代(1万4000年前~)に人が意図的に作った可能性が高い」って話が出てきてるねん。
やり方:
・森を焼いてヤマ焼き(焼き畑)
・落ち葉や草を大量に燃やして炭を土に混ぜる
・貝殻や魚の骨、糞尿まで投入
→ これが何百年・何千年と繰り返されて、超肥沃な「人為的黒ボク土」ができた…という説
三内丸山遺跡(青森)とか、土器から出た土を分析したら
「自然の火山灰だけじゃ説明つかんレベルで炭素と有機物が多すぎる」って結果が出てて、考古学者と土壌学者が今めっちゃ盛り上がってる。
つまり…
倭国の黒ボク土=火山の恵みだけじゃなくて、
縄文人の「先見の明ある土づくり」の遺産でもあるかも!?
「1万年以上前からSDGsやってたやん…」ってなる話やね(笑)
倭国の農地の4割は縄文人が作ったものだった!?黒ボク土形成過程の秘密に迫る! December 12, 2025
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津軽と南部の仲がどれくらい悪いかですが、三内丸山遺跡での鉄板ギャグ「ここが、青森が倭国で最も栄えていた時代の遺跡です」を南部弁でやると、津軽の方は親の仇でも見たような顔をします。 December 12, 2025
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三内丸山遺跡の歩みを進めるうちに、私は次第に縄文人の「精神世界」に心を奪われていった。
ただの集落跡ではなく、彼らが形づくった文化や信仰の痕跡が、目に見える形で残されているのだ。
特に私の目を引いたのは、土偶の数々だった。
高さは数十センチ、手足は簡略化されているが、その表情や姿勢からは生命の息遣いが感じられる。
丸みを帯びた体つきや、精緻に描かれた模様は、縄文人たちの精神性や祈りの対象を示すものであることがわかる。
私は静かに土偶を手に取り、そっと触れてみた。
手のひらに伝わる冷たさの奥に、遥か昔の人々が触れた温もりを想像する。
祭祀や祈りの場で、土偶はどんな役割を果たしていたのだろうか——
想像するだけで、胸が震えた。
私はノートを取り出し、教室で生徒たちに伝える言葉を整理する。
「土偶は、ただの装飾品ではありません。
子どもの成長や豊穣、病気の平癒などを願った、縄文人の祈りの象徴です。
集落の中で、彼らは精神と生活を一体化させ、自然や生き物に感謝しながら暮らしていました」
周囲を歩くと、地面に小さな穴や祭祀跡が点在しているのに気づく。
火を囲んだ跡、貝殻や骨を伴った埋葬跡、精巧な石器が並べられた場所——
これらは、縄文人が日常生活の中で精神を表現し、共同体の絆を深めるために行った活動の痕跡だ。
私は立ち止まり、空を見上げる。
木漏れ日が土偶の顔を照らし、微かに影が揺れる。
その瞬間、縄文人たちの生活が、目には見えないが確かにこの空間に残っていることを実感する。
私が土偶を見つめる間、頭の中で生徒たちの顔を思い浮かべる。
きっと彼らも、形ある遺物から遥か昔の人々の暮らしや思いを感じ取ってくれるに違いない。
次に目を向けたのは、漆器や土器の模様だ。
複雑に絡み合う縄目の模様、波のような文様、動植物を象った装飾——
それらには美的感覚だけでなく、日常生活の中での象徴や祈り、情報の伝達といった意味が込められていた。
私はカメラを取り出し、慎重に撮影する。
土器の模様一つひとつを、生徒に見せることができれば、ただの「古い器」ではなく、縄文人の豊かな精神文化として伝えることができる。
ふと、集落跡の奥に進むと、巨大な掘立柱建物の跡が目に入る。
ここは祭祀の中心的な場として使われたと考えられている。
柱の間隔や配置、敷地の広さから、集落全体がどれほど秩序立った社会であったかが分かる。
私は深呼吸して、心を落ち着ける。
この場所に立つと、縄文人たちが自然と共に生き、精神世界を豊かに育んでいたことが、身体の奥まで伝わってくる。
歩きながら私は思う。
現代の私たちは、便利さや効率を優先するあまり、自然や精神文化とのつながりを忘れがちだ。
でも縄文人は、生活そのものに自然と調和する知恵を織り込み、精神と生活を一体化させていた。
その姿は、私たちに持続可能な生活のヒントを与えてくれる。
ノートに最後の一行を書き終え、私は立ち上がる。
太陽は高く昇り、遺跡全体を黄金色に照らしている。
この光景を生徒たちに伝える責任を胸に、私は次の調査ポイントへ向かうことにした。 December 12, 2025
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青森 行った場所
・六ヶ所村原燃PRセンター
・八戸八食センター
・是川縄文博物館
・三味線弾いてくれるレストラン
・弘前城付近文化財巡り
・旧陸軍師団長官舎スタバ
・ふらいんぐうぃっち聖地喫茶店
・ジビエ熊肉イタリアン
・青森魚菜センター
・三内丸山遺跡
・ワラッセ
・うまい寿司勘
・縄文犬 https://t.co/gjtIEAtkeQ December 12, 2025
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『国体を再定義する試み』:「国体」とは、天皇を倫理的・精神的・政治的中心とする倭国国の抽象的概念であり「国柄」を示す語とされてきた。とりわけ第二次大戦前の倭国において、国家の正統性を語る枠組みとして濫用された歴史を持っている。そのための現代においては保守派の中においてさえも、この言葉に一定の忌避感を抱く者も少なくはない。
しかし、視野を時代の枠から解き放ち、より深くより古くまで倭国という土地に生きた人々の記憶を辿るなら、「国体」という言葉は新たに血の通った重厚な意味を帯びて来るのではないか。
倭国列島に人類が定住したのは、およそ4万年前の石器時代である。約1万4000年前には縄文時代が始まり、定住・採集・漁労・狩猟の複合的な生活文化が1万年以上にわたって続いた。三内丸山遺跡を始めとする遺跡群からは、宝飾品や明らかに祭祀の痕跡が見い出され、自然と共生しながら死者と語らい、自然と共にある生活が経文時代の精神世界の豊かさを物語っている。
従来、弥生時代に稲作と農耕文化が到来したとされてきたが、近年の調査では縄文後期にも農耕の痕跡があり、その境界はより連続的なものと再評価されてもいる。
つまり、「国体」とは決して天皇制や統治制度に概念としてとても還元されるべきもではないのではないか。それは統治以前の遥かなる太古からこの大地に生き、祈り、死を悼み、また生きた無数の祖先たちの連綿と続く記憶の総体である。我々の真の「国体」とは、豊かな自然と共にあるという生き方の連続、そしてそれを今に至るまでつなぐ魂のつながりそのものであろう。
我々は「土の民」の末裔である。
文明が華やかになりし現在より遥か太古、森の木々のざわめきに耳を澄ませ、川の流れに語らい、海とともにあり、日月に畏怖を抱いた祖先の確かな子孫である。4万年の生の記憶と生の連続こそが、国家が定める制度や理念といった形を超えて、今も我々の中に息づいている。この大地と海と大空のもとで、我々の遠い祖先は生きてきたのだという実感と敬愛の念こそが、この国の「国体」ではないかと思う次第である。 December 12, 2025
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私は黒板にチョークを置き、深呼吸をする。今日の授業は少し特別だ。
「みなさん、今日は倭国の、とても古い文化についてお話しします」
声を落ち着かせ、ゆっくりと説明を始める。
その文化とは、北海道・北東北の縄文遺跡群だ。
私が初めてこの遺跡群の存在を知ったのは、学生の頃、歴史の授業で写真を見たときだった。
土器の模様、森の中に立つ掘立柱、そして土偶たち。
一枚一枚の写真が、私の胸を静かに打った。
「縄文時代は、今から1万年以上前から約2,300年前まで続きました。
その間、人々は自然と共に生き、狩猟や採集を中心にしながらも、安定した生活を築いていました」
教室の空気が少し変わる。生徒たちは静かに、興味深そうに私を見つめている。
私はチョークを手に取り、黒板に地図を描き始める。
「北海道、青森、岩手、秋田に点在する遺跡群には、三内丸山遺跡をはじめとする大規模な集落跡があります。
この遺跡では、約5,900年前から約4,200年前にわたり、人々が長期間定住して生活していたことがわかっています」
写真をスクリーンに映すと、長い柱が林立する掘立柱建物の跡や、整然と並んだ集落の跡が見える。
生徒の一人が手を挙げる。
「先生、どうしてそんなに長く定住できたんですか?」
私は笑顔で頷く。
この質問を待っていたのだ。
「それが縄文人のすごいところなんです。
彼らは自然の恵みを利用して、食料を安定させ、環境を壊さずに生活を続ける方法を見つけていました。
栗を栽培した痕跡もあり、狩猟や漁労だけに頼らない、持続可能な生活を築いていたんですよ」
教室に小さな感嘆の声が広がる。
私はさらに話を続ける。
「そして、縄文人はただ生きるだけではなく、豊かな精神文化も持っていました。
土器の模様、漆塗りの器、土偶や複雑な墓制など……
これらは、彼らが高度な技術と精神性を兼ね備えていたことの証拠です」
生徒たちの目が輝き始める。
私は黒板にもう一度深く息をつき、今日の授業を自分の体験に重ねて語り始めた。
「私が初めて三内丸山遺跡を訪れたのは数年前の夏でした。
森を抜ける風、湿った土の匂い、柱の跡に残る静寂……
そこに立った瞬間、縄文人の息づかいを感じたのです」
教室の静けさが増す。
生徒たちはただ聞いているだけではなく、まるで遺跡の中に立っているかのように想像しているのがわかる。
「この遺跡群は、2021年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
世界中の人々に、倭国の縄文文化の価値と、自然と共生する知恵を伝えるためです」
私はチョークを置き、黒板の前で静かに教室を見渡す。
生徒たちの瞳に、小さな火が灯っている。
そう、この火は、縄文の光を受け継ぐ光。
遠い昔、自然と共に生きた人々の知恵が、今も私たちの中に息づいていることを示す光だ。 December 12, 2025
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こちらも。未だ見ていない縄文ファンの方は必見。
2018年11月開催の公開講座なので、少し古いかも。
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北の縄文世界~青森・三内丸山遺跡と豊かな文化~
講師:岡田 康博(青森県世界文化遺産登録専門監)
放送日時:11/29(土) 21:45 BS231
https://t.co/VACe9tepJ2 December 12, 2025
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相棒とのんびりぶらり旅🧳
「三内丸山遺跡にきたヌマクロー 」
縄文時代の暮らしや文化を体験できる場所
屋外かつ日陰も少ないので夏は熱中症対策必須
現場仕事じゃなかったら余裕で倒れてました
#ポケモン #ポケモンgo #pokemon #PokemonGO #ヌマクロー信者 #写真 https://t.co/jJgNkUUavO December 12, 2025
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青森市の三内丸山遺跡の屋内エリアにある「さんまるミュージアム」では、常設展示として、
発掘調査で出土した縄文時代の土器や石器、土偶などが展示されています!
国の重要文化財に指定されているものもあるので、屋外だけでなく、こちらも見てみると、楽しいです😋 https://t.co/lsSNy93pBI December 12, 2025
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3日目
三内丸山遺跡へ
なぜか復元建物の床下や遺物修復作業に目が行く
主要観光地に寄るバス「ねぶたん号」は便利だが座席少なく超小型で、大型トランクは邪魔そうだった
自分は7泊でも33ℓリュックとショルダーバッグ、こういう時は収まりいい
リュックには土産用スペースも取ってある https://t.co/wSdC1YaC7Z December 12, 2025
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青森市の郊外、三内丸山遺跡の入り口に立った瞬間、私は深く息を吸い込んだ。
朝の空気はひんやりとしていて、森の香りが混ざっている。
土の匂い、草の匂い、そしてかすかに漂う木材の匂い——すべてが縄文の息吹を伝えてくれる。
これから目にするのは、約5,900年前から約4,200年前にわたり、人々が長期に定住していた跡だ。
考古学的には、倭国最大級の縄文集落であり、定住生活の規模と高度な社会組織の存在を示す象徴的な場所でもある。
遺跡に足を踏み入れると、広大な平地に林立する掘立柱建物の跡が目に飛び込んできた。
柱の間隔、集落の配列、そして集会や祭祀に使われたとされる大きな建物……
すべてが計算された配置で、縄文人たちの生活の知恵と工夫を感じさせる。
私は教員として、そして一人の観察者として、慎重に歩みを進めた。
足元の地面をよく見ると、小さな土器片や石器のかけらが散らばっている。
手で触れると、遥か昔の人々の生活が、目に見えないけれど確かにここにあったことを実感する。
私はノートを取り出し、生徒たちに伝えるようにメモをする。
「この集落では、食料の確保が非常に安定していたことが分かっています。
栗やドングリの利用、漁労や狩猟、そして季節ごとの植物採取——
自然の恵みを最大限に活かすことで、長期にわたる定住生活が可能になったのです」
遺跡の中心に近づくと、大きな掘立柱の跡が並ぶ空間がある。
ここは集会や祭祀に使われたと考えられる場所で、縄文人たちの精神文化の象徴でもある。
私は柱の跡を見上げ、想像する。
この場所で、家族や仲間たちが集い、祭祀を行い、自然への感謝を捧げた情景を。
小さな子どもたちの笑い声、火を囲む家族の温もり、そして季節の移ろいに合わせた生活のリズム——
目には見えないけれど、空気の中にまだ残っているような気がする。
さらに歩みを進めると、土器や石器を作る作業場跡が見えてくる。
土器の複雑な模様、石器の精巧さ、漆塗りの跡——
どれも縄文人が日々の生活をより豊かにしようとした努力の痕跡だ。
私はノートに書き留めながら、生徒たちに話す言葉を心の中で整理する。
「みなさん、縄文人はただ生きていただけではありません。
自然と共に暮らし、知恵を蓄え、精神文化を育んでいました。
それが、三内丸山遺跡に残された証拠なのです」
遺跡を歩きながら、私は思った。
現代の私たちにとっても、持続可能な生活や自然との共生のモデルとして、縄文の知恵は非常に価値があると。
午前の光が林立する柱の跡を照らす。
土器のかけらに手を触れ、深く息を吸う。
遥か昔、ここで生きた人々の息吹が、私の心の中に静かに流れ込む。
私はノートを閉じ、空を見上げる。
この光景を、そして縄文人の生き方を、教室の生徒たちにどう伝えようか——
胸が高鳴る瞬間だった。 December 12, 2025
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「特別史跡三内丸山遺跡研究紀要5」読み終わる。「角箆の漆は全面に塗られていた製品であるか、漆製品の製作工程の際に用いられる道具であったか」(高橋哲「三内丸山遺跡出土品の再整理事業に係る資料の考察」) December 12, 2025
青森市の三内丸山遺跡にあるレストラン「五千年の星」☝️
縄文時代に食べられていたクリ・クルミ・山菜・ホタテ・古代米などの食材を使ったオリジナルメニューが豊富に揃っています!
食事をしながら、縄文時代を味わうことができ、おすすめです😋 https://t.co/iay8Hc2ymv December 12, 2025
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