ルドルフ トレンド
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2025.12.11 18:00
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もう、何度見ても可愛い、オグリの、ルドルフに対して、臨戦体制→わたわたっ、からのかたじけない…
原作からさらに尊みを追加していただいて、ありがとうございます😊 https://t.co/Ceb6ZS7JNJ December 12, 2025
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エリザベート 2025(10/26)の古川トートはねこにも興味無いし、子ルドルフにもあんまり興味無さそうだった
本当にシシィを手に入れる為の駒としか子ルドのこと見てなさそう https://t.co/VIPK6jUH4y https://t.co/Qu1Rlg9Ys7 December 12, 2025
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ルドルフ~テイオー~ポイント
伝説の親子3代GⅠ馬
ポイントを労うテイオー
周囲に孫自慢のルドルフ
空想するだけで楽しい🌈 https://t.co/gNlttiRDnk December 12, 2025
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@yosakuriku お返事ありがとうございます(^^)
私、エリザ大好きで何回か帝劇で観てます。しかし京本くんがミュージカルに出る前なんです(@_@;)
まだJrだったのでしょうか…その頃は事務所がSHOCKやっててもなにやってても横目で見るだけで、観劇にハマってましたw井上くんのルドルフを観ました✨️ December 12, 2025
独立運動の芳雄さんトートって、ルドルフに腕伸ばしながら離れていくの時の表情管理最高で、伏せ目×上げた顎×僅かに開く唇の耽美3点盛りで溢れた帝王の色気で国が傾くレベルなのが本当に好き…😭 December 12, 2025
おもろ。「推したい」という欲を抱いたことのないぼくがハラオチできる内容だった。その上で、記事内に引用されている『宗教の起源』(ロビン・ダンバー著)については、この引用の仕方だけでは誤解を招きかねないので、同書の紹介を以下に貼りつけておこうと思う。→
以下、かつてのポスト。
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なぜ人類は〈神〉を必要としたのか。それは「デカ過ぎる共同体の維持」に必要だったからだと著者は推定する。人間がお互いの顔や性格を見知って共同体を維持できるのは、せいぜい150人までだという。150人を超えると群れはバラバラになるかストレスにやられてしまう。そこで結束力を促したのが宗教であり〈神〉観念である。これがダンバーの見立てだ。
これは、「知力・体力の凄まじいネアンデルタール人たちをホモ・サピエンスが圧倒できたのは、抽象概念(=「村」や「民族」「われわれ」「私たち」等)のために団結できたからだ」という説とも伴走できる話である。
人類は毛づくろいの代わりに言語を獲得して共同体内のストレスを解消し続けた。その上で、道徳を説き、倫理やルールを設け、さらには反共同体的な人物を罰するための〈神〉をも用意した。
言葉の誕生は悲劇でもある。なぜなら、言語がハッキリすることによって「言葉にできない世界」もまたハッキリしてくるからだ。特に神秘志向的な体験や生身の感情は、言葉ではいかんともしがたい。この強烈な「なまのもの」が宗教の土台となる。狩猟採集社会には、占いや治療を行うシャーマンがほぼ必ずあらわれるけれど、そこには必然性があるのだ。その上でダンバーは、個々の人間が宗教を信じるメリットを取り上げていく。世界を説明してくれることの安心感、満足、幸福、結束力の強化、共同体内の権威の機動力強化……。
やや繰り返しになるが、霊長類はグルーミングによってエンドルフィン系を活性化し、群れを維持してきた。一方、ヒトは、言葉や笑い、歌、踊り、感情に訴える物語、宴会などでエンドルフィン系を活性化してきた。そのなかの最強ツールの一つが宗教儀式である。宗教もエンドルフィン系を活性化させる。
ヒトは、①言語、②出身地、③学歴、④趣味や興味、⑤世界観(宗教も含む)、⑥音楽の好み、⑦ユーモアのセンスで友情を確認する。これを「友情の七本柱」と呼ぶらしいが、これらは大規模に拡大された共同体を疑似親族集団としてヒトに認知させる側面を持つ。だから、宗教は共同体維持に役立つのだ。
だが―― 一方で、その宗教共同体が大きくなり過ぎると、今度は宗教内で分裂が生じた。そして互いに暴力を振るうようになった。また、ヒトは、信仰のために死に、共同体や国家のために死ねるようにもなった。人類が〈神〉観念に振り回されるようになったのだ。そして、人類はいまだ、この〈神〉観念の暴走を調停する手段や思想を持ち合わせてはいない。宗教から人は離れられないというのに。
ちなみに本書では、「メンタライジング」という概念が参照されている。宗教が成り立つには、人が、人知を超えたものを想像できなければならない。また、その霊に精神があることを想像できなければならない。こういったことが「メンタライジング」の問題なのだが、これらの必然性が人間の「意識」というものを〈押し出すようにして〉生み出したのではないかという仮説がある。
古くはジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』でそれが議論された。ジェインズは、人類がまだ左右の脳の機能分担をうまく行えなかった時に〈神〉観念を思いつき、それを想像することで右半球の脳に起こる「声」と左半球の脳に起こる「応接」を統合したのではないか、そこから意識が生まれたのではないかと論じた。ルドルフ・オットーも『聖なるもの』の中で、「ヌミノーゼ」という概念を持ち出し、説明できないものに出合ったり、啓示を感じたりすることが意識形成を促したと見ていた。これらは、ダンバーの議論に通じるものがあると思う。正しさの証明はとてもムズイけれど。
ロビン・ダンバー『宗教の起源』白揚社@hakuyo_sha December 12, 2025
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