戦後80年 トレンド
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2025.12.12 19:00
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まだ読んだことがない、という方がいたら、是非読んで頂きたい。
15歳の敬宮様が書いた平和を願う作文。
戦後80年の今年、両陛下が慰霊のために訪れた沖縄、長崎、東京都慰霊堂に敬宮様も同行。昭和天皇から続く天皇の慰霊の旅を、今上陛下から引き継げるのは、国民の痛みに寄り添う心を持つ敬宮様のみ https://t.co/nyjWtWblzO December 12, 2025
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映画『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』絶賛上映中
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声優・板垣李光人さん (@itagaki_rihito)
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原作者・武田一義さん (@144takeda )
対談インタビュー
戦後80年、普通の若者が戦場に行かねばならなかった時代の話――
✅板垣さんの声はぽわぽわしている?
✅板垣さんが、原作マンガを読んだ感想は?
✅実際にペリリュー島に行って発見した戦争の生々しい痕跡とは?
@peleliu_movie
インタビューはURLから👇
https://t.co/8i8KOlpD2r December 12, 2025
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私の肌感覚だけど、戦後80年で今頑張っているのは #ss954 だけだと思う。
テレビはNHKは8月を中心に頑張ってはいたけど、今年一年を通してはセッションが一番じゃないかなぁ。
強い信念みたいのを感じます。 December 12, 2025
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情けない“告げ口外交”を世界中で展開する中国。王毅外相はドイツに「倭国はドイツとは異なり戦後80年経っても侵略の歴史をまだ十分に反省していない」と。はいはい、で、今年7月、独機にレーダー照射して大問題になったのを忘れたの?世界中で顰蹙を買っているのは「貴方」ですhttps://t.co/trBpUZGf4N https://t.co/ziVu2DQAEc December 12, 2025
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戦後80年で、当時どんなことがあったのかを報道する番組は多いけど、今の報道のあり方はどうなのかにも目を向けて欲しい。
政権を批判したり、戦争を起こさないためにどんな報道が必要かを。
#ss954 December 12, 2025
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【ジャーナリスト乗松聡子氏「倭国は加害の歴史を忘れてはならない」】戦後80年となる2025年、カナダ在住の倭国人ジャーナリスト乗松氏は中国を訪れ、歴史と向き合う旅を行いました。多くの遺体を合葬した「万人坑」をテーマに、撫順、北票、阜新、瀋陽をめぐり、成都、重慶、常徳、武漢を訪問。わずか3日間で3万人が殺害され、「第二の南京大虐殺」とも言われる湖南省・廠窖での見学は忘れることができないと語りました。
#高市発言 #村山談話 December 12, 2025
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@nipponichi8 >いつから倭国はテロ礼賛国家になったのか
最大の要因は自虐史観と特権を持った在日の存在、に尽きる。戦後80年経ってやっとその効果が目に見える形で、倭国を苦しめている、と思う。しかし「これは変だ」と気づいた倭国人の逆襲も始まっている、と感じる。 December 12, 2025
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高市がしたこと→国会での発言で日中関係悪化し経済損失、倭国の評判下げる、値上がりする米のさらなる減反、円安、軍拡による増税、アメリカに80兆投資を約束、被災者に対し自分の身は自分で守れ発言
石破さんがしたこと→トランプ関税交渉、防災省、最低賃金引き上げ、戦後80年所感、国連総会演説 December 12, 2025
杉原千畝氏は独断でユダヤ難民数千人に対し倭国通過ビザを発給し救われた命について戦後80年を期に倭国の否定的評価だけでなく様々な面で深堀りすべきでは?#ジャンクション
「ずっとありがとうと言いたかった」“命のビザ”で救われたユダヤ難民の男性、82年ぶり来日し神戸へ https://t.co/YpcAD20X4j December 12, 2025
本日より八丁座では「映画 太陽の子 特別版」公開です。
倭国における原爆開発を背景に戦時下の若者たちを描いたドラマが戦後80年の今年、未公開のメイキング映像を追加して再上映。
連日9:55より、18(木)までの1週間限定上映です。 https://t.co/Kc3GfYfehM December 12, 2025
数々の悲惨な戦争の歴史も残るサイパン。戦後80年の今年、手を合わせに来れて良かった。この穏やかな島の景色が永遠に続きますよう。Pray for Peace. https://t.co/f9Xn6uMc9q December 12, 2025
@mattariver3 戦後80年経過しもはやキノコ雲を見てそれを原爆とイメージする世代ではないって意見があるのなら、なぜ未だに倭国は過去の反省が足りないだの軍国主義だと非難されているのか意味不明だ。
中国出身である彼女はどうなんだろうか? December 12, 2025
ドクター・中松の戦後80年所感(その41)
私が入った海軍機関学校は、海軍の技術将校を教育するための学校であるが、前に言ったように朝6時から夕方6時まで泳いだり、両指いっぱいの太さのオールでカッター訓練したり、10メートルからの飛び込みをしたりなど猛烈な肉体訓練をするが、食事は民間より極めて豪華で、特に5月25日の海軍記念日の食事は一流レストランもかなわないような大変なごちそうが出る。そして、毎回食事の時に音楽の教養がある生徒がレコードをかけて音楽の教養を積む。
私は海軍に入る前に、ショパンやベートーベンなど、いろんな曲を聞いて勉強したのだが、この海軍機関学校の昼食時の音楽は全く聞いたことがなかった。それはチャイコフスキーのスラブ行進曲である。このような非常にユニークな高い教養を海軍は将校として教育していたのである。
通常の夏はそれぞれ故郷のうちに帰るのを楽しみにしていたのだが、この終戦の年の8月は戦時逼迫のため、帰省が中止され、代わりに相撲大会が行われた。そこで私は全員を抜いて海軍横綱になったのは前に言った通りである。カッターとか水泳以外に相撲というものに非常に力を入れ、またラグビーも力を入れた。
中でも海軍はむかしイギリスと提携していて、ラグビーも盛んなのだが、私は足が速いので、ラグビーのウィングになり、通常訓練が終わった後も、このラグビーの訓練をした。
このような物凄い猛訓練は民間に頼んでも絶対出来ない、人生においてかけがいの貴重な体験となった。
(つづく) December 12, 2025
ドクター・中松の戦後80年所感(その43)
前回、終戦の詔勅の話しで、倭国の戦争に対する姿勢について説明した。つまり倭国は人道に反するような戦争はしない。だから終戦をするのだということを終戦の詔勅で言っている。
そのことを具体的にいうと、戦争中、海戦で倭国の軍艦が沈められて、乗組員が海の上を泳いでいると、アメリカ軍は倭国の乗組員に対して、機銃掃射をしてきた。
それに対して、倭国軍の場合は、倭国軍によって沈められたアメリカ兵が海で泳いでいると、倭国の海軍は泳いでいるアメリカ兵を救い上げて軍艦に乗せて、そして軍艦で食料を自分たちが食べずに、その捕虜に食べさせたと。
こういう日米の戦争のやり方、道徳観が違う。それが終戦後も続いていて、倭国の軍律は非常に厳しく保たれていた。
その例として、倭国が終戦の詔勅を出したときに、進駐軍のマッカーサーは信じなくて、おそらくこれは、倭国軍の謀略であろうということで先発隊として、中尉を厚木飛行場に飛ばした。
飛行場に降り立つと彼はキョロキョロと、いつ、倭国兵から狙撃されるのかとものすごくおどおどしていた。
誰一人、倭国兵は狙撃せず、敬礼をもって迎えた。
そこでその中尉は、大丈夫です、マッカーサー殿、着陸して下さいと言った。
そして、マッカーサーが着陸した後も沿道は倭国兵が規律正しく、マッカーサーが通る道の外側に銃口を向けて、外側を警戒して、マッカーサーが通る道を確保した。
極めて軍律厳しい倭国軍は終戦後も続いた。
このように倭国の終戦は敗戦ではないのだ。それをマスコミは間違って敗戦と報じるのは極めて遺憾である。
(つづく) December 12, 2025
ドクター・中松の戦後80年所感(その45)
戦中の母
戦争中は例外なく私の家も空襲にあいました。例えば5月27日の海軍記念日を狙って5月25日にB29の東京大空襲がありました。
その前に3月10日の陸軍記念日にもB29の大空襲がありました。
アメリカは倭国が関東大震災で大変な火災に見舞われたことのデータをちゃんと持っていて、いかにしたら、東京全体を燃やすことができるかということで、深川から火をつければ、東京全体に火が回るという関東大震災の実績をコピーして、3月10日に深川に焼夷弾を落としました。そして多くの人が隅田川に黒こげの死体で浮いているのを、私は目の当たりに見ました。
そしてその後、5月25日の空襲は、今度は下町でなく私の家があった山の手に焼夷弾が落とされました。私の母は直参旗本の家として、江戸城、つまり今の皇居にいたわけですが、明治維新の時に篤姫とともに、原宿に移動しました。
そして、先般、徳川家の古いお蔵で確認したのですが、徳川家の帳簿の中にもはっきり、中松という名前と、原宿の家の地図が残っておりました。
そして、原宿から四谷にかけて、中松家は土地を持っておりまして、私の父が病気になったとき、母は慶応大学の非常にお金のかかる教授を、看護婦とともに、原宿の自宅に往診させるという徹底したことを行い、そのために、今の四谷にあった、うちの借家からの収入とか、全てを使い果たして、ほとんどお金がなくなった12月末、途方に暮れた母はどうしたかというと、12月末に「これで行きましょう」と言って、母が求めた薬を差し出しました。それは虫下しでした。
決して、慶応病院の教授が使うものではありません。それによって、父の鼻からゾロゾロと虫が出てきて、父の病状はあっけなく回復したのです。つまり、母は元来医者の娘で、母の父は、アメリカで医者をした有名な医者で、その前は加賀百万石の藩医でした。そういう系統の、医者の系統の母でしたので、このように慶応大学の医者も直せなかった、父の病気をあっという間に治したのです。
そして、その母が、私の小学校、青山師範付属小学校が東横線の世田谷の碑文谷駅のちに青山師範駅という場所に移転しました。そうすると、母は、原宿の家はそのままにして、新たにその学校のそばに大きな土地を買って家を建てたのです。まさに孟母三遷を実際に実行し、家族全体を移動させました。
その設計も母が行ったのですが、それはまた、非常に奇抜なものでした。どういう奇抜かというと、200坪の大きな土地でしたが、その斜め方向しか使わない。つまり、家を完全に斜めに向けるという設計にして、斜めを全部ガラス張りにするという思い切った設計、つまり、200坪の土地を斜めの半分の100坪しか使わなくて、そこに家を建てるという、すごい発想でした。アメリカから倭国に帰ってきた祖父に相談しましたら、祖父はなんて無駄なことをするんだなということを怒っておりましたが、実はこれがさっき述べた5月25日の大空襲の時に役に立ったのです。
つまり、B29は焼夷弾を、土地の形状に沿って落としていったのです。隣の家が山縣有朋の孫の家でしたが、あっという間に全焼しました。そして、その学習院出の奥さんが、ボロボロと涙を流して家にかけ込んできました。そして、B29はうちの土地にも同じように、焼夷弾を落としていったのですが、さっきの母の設計が、土地の2分の1しかないという発想がここで効いて、焼夷弾はその無駄と思われた芝生の庭に全部落ちました。
戦後、ここに新しい家を建てる時に、芝生から、約40発の焼夷弾が見つかりました。母はこの地区の町会長をしていて、武田信玄よろしく、桟敷に座って、そして采配を、消火の采配をしていたのですが、その母が指揮のために桟敷から立ちあがった途端に、その桟敷に焼夷弾が落ちたという幸運で母は命が助かりました。
そして、山縣さんの隣の私の家のひさしも類焼しましたが、母が、手ばたきで、迅速に消化をいたしました。このように、母は戦時中もしっかり家を守ったのです。
(つづく) December 12, 2025
「豊かになったアジアにおもねるのではなく尊敬をもって接し、独裁に対しては誠意をもって批判する、そういう外交をしてほしいと思います」山岸凉子
“生身の戦後”として語り得る最後の節目に――
岩波書店編集部 編『私の戦後80年、そしてこれからのために』☞ https://t.co/SwQHpyfyNP https://t.co/Lha6Snp72G December 12, 2025
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