戦後80年 トレンド
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2025.11.22 16:00
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石破前首相の発言が、今なお頭から離れない。戦後80年所感を発表時に、「メディアと権力が一体化することが一番怖い。誰も批判しなくなってしまう」と指摘したのだが、後を継いだ高市首相の支持率は非常に高い。支持率が高ければ高いほど、メディアが「空気を読む」ことにより批判しなくなりかねない。いかなる時も、「空気を読まない」メディアが必要だ November 11, 2025
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ドクター・中松の戦後80年所感(その32)
それは連合艦隊が総力を上げてフィリピンを守った時、敵の攻撃は武蔵に集中した。
そして敵に言わせれば、飛行機ではこの不沈戦艦は沈められないと、後ほど記録されたほど猛烈な集中攻撃を武蔵は受けたがなかなか沈まなかった。
その間を縫って戦艦大和は静々とレイテ湾の中に入っていった。そしてレイテ湾の中にはマッカーサーをはじめとした上陸軍の幹部がいた。
だからこのレイテ湾に入った大和の巨砲でこのマッカーサー司令部を撃てばマッカーサーも戦死し、そしてマッカーサー司令部も壊滅する。まさに戦局が逆転する絶好の機会であった。
そして戦後調べたら大和の弾の数は、マッカーサー軍の大砲の弾よりはるかに多く、大和が米軍を粉砕したことは明らかだった。
しかるに非常に不思議なことであるが、大和はせっかくレイテ湾に入っていながら、くるりと Uターンしてレイテ湾の外へ出て行ってしまった。つまりせっかく倭国が勝つチャンスを逃がしたのが、この戦艦大和のI艦長である。
したがって、この戦艦大和のI艦長を私は倭国を勝たせなかったNo.9とする。
終戦後海軍の集まりがあって、私はこの戦艦大和のI艦長と親しくディスカッションすることができた。
そしてなぜあの時 Uターンしたのですかと質問したのであるが、結局何の答えも得られなかった。
つまり敵の謀略作戦、例えば北に機動部隊があるからそちらへ行けとか、そのような無線を傍受して回転したのではないかと想像される。
いずれにしても、あの大和の レイテ湾Uターン作戦は、最後の倭国が勝つチャンスを逃したものである。
だから、倭国を勝たせなかったNo.9は戦艦大和のI艦長である。
さて倭国を勝たせなかったNo.10は誰だろうか?
投稿をお待ちします。
(つづく) November 11, 2025
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《ここに来て衝撃の新事実》
#aespa原爆ランプ事件 の新情報
韓国人からタレコミ
「ニンニンの買ったランプの名前は
【広島のあの日の核爆発照明】だった」
これ本気でヤバいだろ
NHKも終わりだよ
#NHKはaespaの共犯
この件、僕は「NHKが戦後80年倭国ヘイトの為にaespaを鉄砲玉にした」と考えてる。 https://t.co/KflfFv1kUH November 11, 2025
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石破さんの時は「消費税は5%かゼロか」とか「戦後80年見解はよかった」的な、平和で前向きな話が多かったのに。
高市政権に変わって1ヶ月で、株価は乱高下、超円安、トリプル安、非核三原則見直し、原潜、緊急事態条項、そして日中断交の危機。
倭国は滅ぶのか?
みたいな雰囲気になってきた。 November 11, 2025
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1館目は元町映画館!多くの方の来場のもと映画化への思いや制作中のエピソードなどお話。そして、目指してきた戦後80年中の公開を迎えられたことへの感謝と同時に、公開時期に流れた思いもよらなかった非核三原則の見直しに関するニュースを受けての改めての本作公開への思いなどを語りました! https://t.co/9q2XHRg9jP November 11, 2025
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ドクター・中松の戦後80年所感(その28)
倭国を勝たせなかった人No.6は、日米の勝敗を逆転させた人である。
当時倭国は勝ちに勝って、一方的にアメリカに勝ち、マレー、ジャワなど南方地域のほとんどで勝ち、イギリスやオランダなどの支配から解き放った。倭国の軍艦は一隻も沈まず、そして山本連合艦隊はインド洋でイギリスやオランダの軍艦を続々と沈めていた。このような状態だから完全に倭国は勝利に酔い、一種のたるみがあった。
ここに窮鼠猫を噛むというアメリカの作戦はホーネットという旧式な航空母艦にB25というエンジン二つの旧式の爆撃機を乗せて、倭国を爆撃するというものだ。
私の家は直参旗本で江戸城から千駄ヶ谷に篤姫と共に移転させられたが、その前の明治通りをはさんだ向こう側に大橋君の家があった。そして大橋君のお父さんは、飛ばないけれどもカタチを作るという「ソリッドモデル」を造ることを趣味にしていたので、私は時々それを見に行った。その日は快晴で天気がいいので屋上に上がろうということで、大橋君とお母さんと三人で屋上で空を見上げていたら、奇妙な見慣れない黒い双発の飛行機が飛んできた。
それがさっき言ったアメリカのミッチェルという爆撃機で、ノースアメリカン製である。それを追いかけて倭国の旧式九七式戦闘機がパンパンパンと乾いた音を立てて機銃を撃ちながら追いかけ、そして 旧式九七式戦闘機は宙返りして速度を加速して、またパンパンパンとミッチェルを追いかけていた。
要するにアメリカの東京爆撃は大した戦果もなく終わったのだ。
ちなみに私は多摩川の土手で行われていた毎日新聞主催の模型飛行機競技会に毎年参加し、ここで私が発明した自動引込み脚を披露した。大人達は引込む脚を見て、あっけにとられていたが私の作った模型飛行機は超低空で会場を旋回した。するとみんなは「ノースアメリカンだ。ノースアメリカンだ。」と叫んだ。これは先に述べた東京空襲でノースアメリカンが超低空で東京に侵入したことを皆んなが覚えていたからだ。
(つづく) November 11, 2025
今日は午後から、さざんかホールで戦没者追悼式に出席。
次世代にどう繋ぐか課題ですね。
戦後80年との事で泉座さんによる朗読劇も披露されました。
#戦没者追悼式 #さざんかホール #泉座 https://t.co/h8FQIX8Uhv November 11, 2025
中国が意識しているのは諸外国だと思うけれど。
台湾有事にもし米国が参戦するなら倭国が支援するだろうことは自明で新しい話では無い。
戦後80年平和憲法を守って来た倭国を、軍国主義に戻ろうとしていると喧伝することで、諸外国からの倭国の印象を落とし、防衛力強化を抑制しようとしている。 https://t.co/zGZdHP9kqD November 11, 2025
先日、11/25リーディングライブの音楽リハーサルがありました!😊
素敵な演奏を朗読と共にお届けします。ご来場お待ちしております!
『ことばとおんがく』
戦後80年特別企画
11月25日(火)19:30start
晴れたら空に豆まいて
🌟ご予約:晴れたら空に豆まいてWebサイト
https://t.co/aFiJWtbqGX https://t.co/ITBdVBbE3c November 11, 2025
病院に行って来た
私の提案で画期的薬が処方された
これで今、執筆中の戦後80年所感 倭国を勝たせなかった十人、つまり現代版「平家物語」のラストシーンを拍車を持って書くことが出来るので、皆さん是非X,Facebookをご覧下さい。
そして誰か映画化することを期待しています。 https://t.co/L1egOy1Qkx November 11, 2025
以前、青木理さんのインタビューを受けて以来、ありがたいことにスタジオジブリ『熱風』が毎月送られてくる。
非常に質の高い文章が多く今では楽しみの一つになっている。
今日届いた11月号でまず読んだのは青木さんのインタビュー連載「倭国人と戦後80年」。
今回のゲストは歴史学者の笠原十九司さん。
倭国軍が南京事件に至るまでの背景を丁寧になぞりながら、知識と想像力の欠如を指摘する素晴らしい内容でした。
各地の常設書店でぜひご覧ください(リンクは常設書店一覧)
https://t.co/dY0WvEjJDk November 11, 2025
ドクター・中松の戦後80年所感(その31)
ミッドウェー海戦で全部の空母がなくなったので、山本司令長官はその搭乗員全部を海軍の航空隊基地ラバウルに集めた。
大基地から零戦等を出してガダルカナル地方の敵軍を殲滅する航空殲滅作戦を行って大成功を収め、零戦が大勝利した。
そしてその戦果を確認するため、宇垣参謀長が南に向けて視察に行くことになった。
それを聞いた山本長官は宇垣が行くなら俺も行きたい、と言って山本長官も行くことになった。
そこで問題は海軍の暗号である。海軍の暗号は破るのが難しいとされていたのだが、連合軍は必死になって倭国の海軍の暗号を研究し、そして山本長官が南に行くという暗号を読み解いた。
そこでアメリカとしては 二つの選択があった。
一つは山本を撃墜する。そうするとアメリカが倭国海軍の暗号を読んでいるということがわかってしまうというマイナス面が出てくる。
二つ目は山本を撃墜しない。そうすると暗号を読んでいるという秘密はバレない。
しかしアメリカは山本司令長官がいる限り倭国が勝つ可能性があるということで、たとえ暗号が見破られていることがわかったりしても、それよりも暗殺する方がメリットがあると考えた。
長官は零戦の援護はロッキーだけでいいよと言って、指揮官先頭ということで一番機に乗った。
そして宇垣は 二番機に乗った。
それで敵はP38を24機用意して山本を待ち伏せた。零戦 は 6機で山本を守ったのだが、機数が足りなくて撃墜された。
山本はしっかりと軍刀を持ち微動だにせず座席に座っていたという。
これは当時その地は倭国の陸軍が占領していたので、倭国の陸軍が最初に発見した状態がその状態であった。
そこでこの貴重な山本さえ生きていれば倭国は勝ったかもしれないのに、それをみすみす殺してしまった、守りきれなかった。
暗号を敵が解読しているということを見抜けなかった。
したがってその対応策もしなかった。
具体的には、山本の出張を止められなかった。
また行くにしても一番機ではなく二番機に乗せなかった。
また零戦を6機でなく、敵を上回る例えば30機で護衛させるべきだった。
軍服も第二種という目立つものではなく、第三種という目立たないものを着せるべきだった。
これらを怠ったのは、宇垣参謀長である。
倭国を勝たせなかった人No.8は宇垣参謀長である。
自分は二番機に乗って命は助かった。
さて倭国を勝たせなかったNo.9は誰だろうか?
投稿をお待ちする。
(つづく) November 11, 2025
ドクター・中松の戦後80年所感(その22)
前回の二つの成果について、一つ目は終戦で大東亜共栄圏が未完成に終わったが、終戦後に見事完成したことです。
具体的には終戦で復員船が海外にいる兵隊を乗せて復員させていたが、現地人と結婚した兵隊や現地に残りたいという兵隊がかなりいた。
これらの兵隊は終戦後例えばオランダがインドネシアを取り戻そうとやって来た時、インドネシア兵と共に戦い、見事インドネシアを独立させた。
マレーシアやシンガポールも同様でありシンガポールは山下大将がパーシバルに白旗を掲げて降参させ昭南と命名したのだが、終戦後イギリスを追い払って独立し、倭国に留学していたマハティールが大統領になった。
また香港もイギリスが撤退せざるを得なくなった。さらにインドやビルマもイギリスを追い払った。ベトナムについては終戦後アメリカと戦争したのだが、アメリカの近代兵器に対してベトナムに残った倭国兵が要所要所を指揮して粘り勝ちし、ついにアメリカは撤退する。つまりアメリカに勝つという大戦果をあげた。
私は終戦後ビルマに行った。倭国ではビルマは軍事政権に乗っ取られて悪い国になったと言われているが、私はビルマに行って驚くべき状況を見た。それは倭国の多くの兵隊がビルマのために命を捧げた。これらの兵隊および倭国に感謝する。だから倭国が地震などの大災害で住むところがなくなった人にビルマの土地を用意をしている。とある将軍は語った。また隣りの国のインドも倭国に非常に恩義を感じていて、私を国立物理学研究所の講演に招いて今後ともご指導をお願いしたい。という事だった。
このように倭国は終戦で大東亜共栄圏の建設は道半ばだったが終戦後見事に花が咲いたのである。
だから戦後の人やマスコミが終戦を敗戦と置き換えて言ったりすることは先輩の努力に対して失礼である。
ましてそのために命を捧げた方を祀る靖国神社を参拝しないと公言する総理の行為は倭国国民の代表として絶対に許されるべきではない。
右に述べたことが第一の成果であるが、それでは第二の成果とは何でしょうか?
皆さん是非投稿して下さい。
(つづく) November 11, 2025
ドクター・中松の戦後80年所感(その25)
倭国を勝たせなくした人No.4は近衛文麿総理である。
なぜかというとソ連はゾルゲというスパイを倭国に送っていたが、こともあろうにこの近衛総理はこのゾルネをドイツの通信者と思ってペラペラと国の最高機密を喋った。そしてそのゾルネのスパイの手下だが朝日新聞の尾崎という記者で、これも近衛総理はまさかソ連のスパイと思わなかった。
倭国の国の重要問題、例えば南進とか北進とか非常に重要な問題は最高機密であって、部下に言うことはもちろんのことドイツの通信者や朝日新聞に、しかもソ連のスパイにペラペラ喋るということは、誠に総理として軽率であり、絶対してはならぬことである。こともあろうに近衛総理はこの 2人を常にそばに置いて、倭国の重要機密を自慢げに話した。
そしてゾルゲは早速電報で本国に打電した。これによってスターリンはシベリアの兵隊をヨーロッパに送ることが出来て、ひいてはドイツに勝つことができたのである。そして倭国より早く1945年 5月にドイツは降伏し、倭国の終戦をその三ヶ月後にし、しかもソ連は日ソ不可侵条約を破って倭国の北方領土を占領し、今も続いているというわが国に大打撃を与えたのは、ひとえに近衛総理なのである。しかも近衞総理は終戦直前に連合国との和解をソ連に頼もうとする政治オンチの事をやっている。
だから私が倭国を勝たせなくしたNo.4は近衛文麿総理だと言っているのである。
さて倭国を勝てせなくしたNo.5は誰だろうか。投稿をお待ちしてます。
(つづく) November 11, 2025
ドクター・中松の戦後80年所感(その27)
そしてしかも山本長官がアメリカでの経験上、日曜日にはアメリカ軍人はだらけているという習慣を知っていたので、攻撃は日曜日つまり12月の凍る前の日曜日というとハワイ時間12月 7日しかなかった。倭国時間では12月8日である。
そしてその前にワシントンの野村大使に宣戦布告を、ハル国務長官またルーズベルトに渡す手はずだった。
しかしワシントンの倭国大使館は前日に退職者があって、その退職パーティーが遅くまであり、そして専門家のタイピストも翌日は出るのが遅かったので、素人がタイプを打ったので時間がかかり、山本長官が指示した時刻にワシントンに届けることができなかった。
そしてワシントンに電話で予定のアポイントをずらしてくれという電話をした。そしてその結果として倭国軍が真珠湾を攻撃した後にのこのこと野村大使がルーズベルトに宣戦布告の書類を持って行った。
ルーズベルトはこれこそ天佑なり、すなわちチャンスである。つまり倭国は非常に汚い国で、交渉も長引かされて、そして交渉をしながらスネークアタック、すなわち騙し打ちをする汚い国だと全国民に呼びかけた。
その交渉を長引かせかたというのは、倭国はいかに戦争しないかというので交渉が伸びたのだが、アメリカは逆手に取って交渉を長引かせて、それがインチキな敵を騙す手段で、宣戦布告無しに真珠湾を攻撃したという、全く倭国の意図、山本五十六の意図と全く違う宣伝をして、そして「リメンバーパールハーバー」という標語を作った。これによってリンドバークが平和平和といって、それに賛同していた人も全アメリカ人が立ち上がって兵隊に応募する。
つまりこの「リメンバーパールハーバー」は原爆を落としたB 29の機体にも書かれていた標語だ。
つまり倭国を勝たせなかった人No.5は野村大使である。
さてNo.6は誰だろうか?
(つづく) November 11, 2025
今はまともモードのひろゆきなのか👀
この「なぜ止められなかったのか」まで踏み込んで解析したのが、石破茂元首相の戦後80年見解だ。未見の方は是非一度見て欲しい。倭国が今のような状況だからこそ石破さんは発信したのだとわかるから。 https://t.co/pPJ3fIXv1q November 11, 2025
ドクター・中松の戦後80年所感(その30)
だから第二次陸上攻撃が必要ということを第一次攻撃隊から報告を受け、次の第二次攻撃隊も陸用爆弾を装着して赤城上で待機していた。
一方、連合艦隊は敵艦隊がいると想定して偵察機を出した。
それを扇状に偵察機を飛行させれば、絶対に敵艦隊が見つかるはずである。ところが連戦連勝の倭国軍はたるみが出て、重巡利根の偵察員は行きがけに敵艦を見逃してしまい、帰りがけにようやく敵艦を見つけた。
つまり時すでに遅しである。
赤城の爆撃機は陸上爆弾を急遽、艦船用爆弾と交換する。急いで交換するために陸上用の爆弾が甲板にゴロゴロたくさん並んでいた。その時、敵の雷撃隊は 51機 で赤城に向かっていたのだが、優秀な零戦隊がそのうち 50機を撃墜して、零戦隊は意気揚々と帰ってきたが上空は空っぽだった。
実は不幸なことに真珠湾攻撃を成功させた源田実航空作戦参謀が病気で入院していたので、赤城に乗っていなかった。
だから上空の警戒にぬかりがあったのである。
そして上空からアメリカの急降下爆撃機ドーントレスが急降下して来て、赤城の甲板にゴロゴロ置かれている爆弾に向けて爆弾を投下したので、誘爆してあっという間に大爆発を起こし赤城が沈没した。そして近くにいた加賀も沈没した。そして多くの優秀な搭乗員が失われた。
このミッドウェー海戦を境として、日米の立場が全く逆転した。それまで倭国は一方的に勝っていたのだが、それ以降完全にアメリカが勝つようになった。この致命的な失敗を起こしたのは、まさに重巡利根の偵察員が敵の艦隊を見逃したという重大なミスが原因である。
倭国が勝てる戦争を負けるようになったきっかけとなったのである。
このミッドウェー海戦で倭国の空母群が壊滅しただけではなく、もう一つの大きな損失を生じた。それは何かというと、赤城の零戦が燃料切れでアラスカの氷土に着陸しようとしたのであるが、脚が雪にひっかかり機体がひっくり返り搭乗員が首の骨を折って、零戦がまるまる無傷でアメリカの手に渡ったのである。それまで零戦は世界最強でアメリカのどの戦闘機にも勝っていたのであるが、アメリカはこの零戦を使って模擬空中戦を行い、現在のアメリカ戦闘機では絶対に勝てないという結論を出し、従って零戦一機に対し必ずニ機で戦うことと、一発撃ったらすぐ急降下して逃げることと、零戦に勝つ戦闘機の開発を進め、ようやく終戦間際になってノースアメリカン社がP51という戦闘機を開発した。
終戦後P51と零戦がコンペを行うのだが、その結果については後に述べる。
いずれにしてもこのミッドウェー作戦は空母を失ったのみならず、零戦の秘密も失ったのである。
だから倭国を勝たせなかった人No.7は重巡利根の偵察長である。
さて皆さん倭国を勝たせなかったNo.8は誰でしょうか?
投稿をお待ちする。
(つづく) November 11, 2025
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