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あの頃、
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2025.12.16 09:00
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【感謝‼️】
ちょっと真面目な話を…
まずは全滋賀県民の皆様、レイラック滋賀を応援していただいた皆様、最後まで戦ってくれた選手達、運営・スタッフ・ボランティアスタッフの皆様、いつも力を貸してくれたスポンサー・パートナー企業の皆様、関係者の皆様、MIOびわこ滋賀の時代から共に戦ってくれた選手達、今日ゴール裏に集まってくれた仲間達、天国から見守ってくれた2人…
そして、ここまで共に戦ってくれたファン・サポーターの仲間達、本当に本当にありがとうございました‼️
本当におめでとうございます!!🥷✨
思えば、あの時…当時MIOびわこ滋賀のみんなが何も聞かずに温かく迎え入れてくれて、今思い出しても涙が溢れます。
だから、どうしてもこのチームと共にJリーグへ昇格したかった。みんなの喜ぶ顔が見たかった。
そのために自分が出来る事は何でもやろうと誓いました。
当時の滋賀は観客動員数も数百人でした。けして強いチームでもありませんでした。
まずは来てくれた人達が「また来たい」そう思ってもらえるように、スタジアムに来てくれる人達が一人でも増えるように…
だから、本物の忍者にもなった。太鼓を抱えてみんなの所をまわリもした。メインへ飛び込んで、みんなを煽ったしもした。巨大パイフラをまるで忍者の武器のように振ったりもした。試合終了後、みんなの見送りもした。それもこれもみんな今日この瞬間のため…
あの頃、スタジアムDJの chocoさん @SRadio10 さんがいつも仰っていた言葉
「Jリーグを本気で目指します!!」最初は誰も本気にしていなかったかも知れない。だけど…
沢山挫折したし沢山泣いたし沢山悔しい思いもした。沢山の壁にぶち当たった。
だけど、1人の想いがいつの間にかみんなの想いに変わったんだよね。
そして、みんながどんな時も諦めずに夢を追い続けてきたからこそ、今日の日を迎えることができたんだと思う。
夢を追い続けること、諦めない限り必ず辿り着けるんだ!!
そして、アスルクラロ沼津の皆様。最後まで正々堂々とした勝負をありがとうございました。結果についても僕に対しても、みんな色々思うことあるかも知れないけれど、それでも会いに来てくれた方々や声を掛けてくれて沢山のサポーターが本当に沢山いてメッチャ嬉しかった、本当にありがとう。僕は今でもみんなの事大好きです。
こんな形で対戦する事になってしまったけど、みんなと対戦出来て良かったと思っています!
今はもう歌うことが無くなったのでアスルの皆は知らない人の方が多いのかも知れないけど、
今日、レイラック滋賀で僕らが歌った
『ルージュの伝言』は沼津が当時Jリーグに昇格を目指していた時に歌っていたチャントです。僕が当時の沼津ダラーズから引き継ぎました。
この引き継いだチャントで沼津からJを引き継いだのも きっと神様が与えてくれた縁なのかも知れません。
本当にみんな、ありがとうございました🙇。
ようやく僕の夢が叶いました。これで僕の役目も一段落です。
最後にレイラック滋賀のみんなへ…
みんなはこれで終わりじゃないよ
君達はまだ夢のその先へ進まなくちゃ行けないんだ
最後まで最後まで諦めずに
信じ進めば辿り着ける場所がある
その手でその足で 越えてゆけ!
思い描いた夢のその先へ
遠くその先へ!!
もっとずっと…越えてゆけ!!
ありがとうございました🥷
じゃあね❗️✨
#レイラック滋賀 #レイラック滋賀FC #アスルクラロ沼津 #コミュサカ #yokko December 12, 2025
昭和40年代、扉に鍵がついている冷蔵庫があった。子供が勝手に食べたりジュースを飲んだりしないように、なんだって。あの頃、たしかに子供はいつも腹ペコだったなあ… https://t.co/7jh7CUTQva https://t.co/GrS3z8XN55 December 12, 2025
みなさん、おはようございます。
少しだけ、昔の話をさせてください。
若かったころの自分を振り返ると、
どこを切り取っても、暗い色ばかりが残っています。
いま思い出しても、胸の奥が静かに沈むような記憶ばかりで、
正直に言えば、楽しかった思い出はあまり多くありません。
けれど
そんな日々だったからこそ、
いまの自分の中に、いくつかの小さな教訓が残ったのだとも思っています。
誤解しないでほしいのですが、
自分は、これまでの半生を誰かのせいにしてはいません。
あれは認識の甘さだったな、とか、
思い上がっていたな、とか、
結局は、自分自身の未熟さが失敗を呼んだのだと、
そう思っています。
要するに
まあ、若いころの自分は、
なかなかどうして、ろくでもない人間でした。
それはさておき。
今日は、そんな失敗の中で、
少しずつ気づいてきたことを、
ひとつだけ、お話ししたいと思います。
自分は、人生の中で
「友人ほど大切なものはない」
と思っています。
というのも、若いころに家を出て、
ほとんど何も持たずに生きてきたからです。
お盆も、正月も、
頼れる場所はなく、
気づけば、ずっと一人でした。
だからこそ
いつも話に出てくる、亡き親友のMという存在が、
どれほど大きかったか
いまになって、しみじみ思いだされるのです。
友人は、大事です。
でも、それは数の話ではありません。
会う頻度でもありません。
しょっちゅう飲みに行かなくてもいい。
年に数回、顔を合わせるだけでいい。
大切なのは、
その「質」なのだと、自分は思っています。
半生の失敗の中で、
これは確かだと思えることが、ひとつあります。
それは、
人が「立場の弱い人」にどう接するか、
そこには、その人の本質が、ふっと表れる、ということです。
反撃してこられない相手。
弱い立場にいる人。
そういう人たちに向けた態度は、
不思議と、ごまかしがききません。
これは、友人でも、恋人でも、
あるいは、これから共に生きる誰かでも、
同じことだと思っています。
たとえば
スーパーのレジの方。
電話のオペレーターさん。
レストランのウェイターさん。
そういう場面で、
どんな言葉を選び、どんな表情を向けるのか。
そこに、その人の輪郭が、
そっと浮かび上がってくる気がするのです。
自分は若いころ、
タクシーに乗って働いていた時期があります。
地元の有力者、政治家、医師、
プロ野球選手
いろいろな方を乗せました。
もう何十年も前の話ですが、
正直に言えば、
名前を知られた方の中にも、
運転手である自分に、
まるで物を扱うような口調で指示をする人がいました。
「・・・おい、そこじゃない!」
「・・・〇〇へ行け」
降りるときも、無言。
一方で、
ごく普通の方が乗られると、
「ありがとうございました」と、
きちんと目を見て言ってくれる。
当時の自分は、
サービス業とは、感情を脇に置く仕事だと
半ば思い込んでいましたから、
態度で仕事を変えることはありませんでした。
それでも
嫌な記憶というのは、
不思議なほど、長く残るものですね。
いま、ふとニュースで
当時の有名人を見ることがあります。
すると、
あの頃、傲慢だった人たちが、
いつの間にか不遇な状況にあったり、
会社がなくなっていたりすることがある。
偶然かもしれません。
こじつけかもしれません。
それでも、
胸のどこかで、
「ああ、そういうこともあるのかもしれないな」
と思ってしまうのです。
話が少し遠回りになりました。
では、
どんな人を友人として選ぶのか。
いまの自分の周りにいる人は、
決して多くありません。
両手で足りるくらいです。
けれど、
不思議なくらい、
みな、清々しい人たちです。
経営で苦労してきた人も多いのに、
レストランに入れば、
アルバイトの方にも、自然に笑顔を向ける。
自分の経験では
若い人、立場の弱い人、
声を上げにくい人に、
やさしく接する人で、
「悪い人だな」
と思った人は、
一人もいませんでした。
もちろん、
これは絶対の基準ではありません。
ただの目安かもしれません。
それでも、
誰と友人になり、
誰と人生を共にするか
それは、思っている以上に、
大切な選択なのだと思うのです。
そして、もうひとつ。
自分自身が、
そういう人間であるかどうか。
弱い立場の人。
困っている人。
声を返せない人。
そういう人たちに、
自分はどんな態度を取っているだろうか。
素晴らしい人たちと出会える自分でいるかどうか。
それを、ときどき立ち止まって、
確かめてみる必要があるのかもしれません。
今回も、
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
明日からの日々が、
あなたにとって、
少しでも深く、やさしいものになりますように。 December 12, 2025
まぁ!コナン映画のポストカード、懐かしい!あの頃、私も夢中だったなぁ。未開封ってとこが良いね!ちょっと欲しいかも…🌸🇯🇵
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