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言葉によって
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2025.12.08〜(50週)
:0% :0% ( 30代 / 男性 )
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話す言葉によって性格ってちょっと変わるね
カナダにいたとき、友達と倭国語で話してたら、隣のカナダ人に倭国語かわいいって言われた🤭
自分でもそう思う!倭国語を話すと、アニメの影響なのか語彙力不足なのか、いろいろ柔らかくなる〜
母国語だといちばん素直な感情が出ちゃうね🤣 https://t.co/F9PXuibEZ4 December 12, 2025
237RP
▫︎欧州の宗教社会学者
イントロヴィニエ論考▫︎
題名: 「山上被告と『悪しき教師』」(🎧AI音声解説)
◾️現代イタリア史で「悪しき教師」とは、暴力を直接教唆しなくても、恨みや不満に“正当化の物語”を与え、社会を(左翼)過激化させてしまう言論人を指す概念だ。
複雑な現実を「敵 vs. 被害者」の単純な物語に書き換え、誰かを“絶対悪”と位置づけ、怒りに政治的意味を与える。
その結果、暴力があたかも“理解できる行為”に見え、道徳的ハードルが下がる——
70年代イタリアでは、まさにこの左翼的な情報環境が多くの若者を過激化させたと総括された。
重要なのは、悪しき教師は「暴力を指示しない」という点だ。
むしろ、言葉によって“暴力を正義に見せてしまう枠組み”を提供すること自体が危険なのである。
言葉は人を動かし、「物語(ナラティブ)は人間の行動を変える。」だからこそ、社会を動かす立場にある者ほど、最大級の責任を負う。
この欧米の歴史的知見をふまえ、イントロヴィニエ氏は、倭国の山上事件を「モラルパニック」「反カルト・テロ」の文脈で読み解く。
恨みそのものではなく、“恨みを正当化する物語(ナラティブ)”が暴力の引き金になる構造、そして倭国の情報空間がいかにして山上被告の心理を後押ししたのか——。
本音声解説では、こうした国際的知見をもとに、暴力をめぐる言論の責任と、社会が直面する危うさを対談形式でAIがわかりやすく解説する。
安倍氏に繋がる事件に「誰が何を語り、どんな物語が山上に共有されたのか」。
それを検証することこそが、再発防止の核心となると信じている。
#ビターウィンター #山上徹也 #テロ #安倍元首相襲撃事件 #14facts
引用元/ 倭国語翻訳版https://t.co/aqxESi4nFA December 12, 2025
62RP
「誰かを幸せにする幸せ…」
ミュージシャンの人が
素晴らしい曲を作って
多くの人たちに
感動をあたえることができる…
アイドルやタレントさんが
笑顔をふりまいて
推しの人たちに幸せをあたえる…
身近なことで言えば
飲食店の人たちが
美味しいものを提供して
「美味しかった」と喜んでもらえる
衣料店の人たちが
素敵なお洋服を提供して
喜びをあたえることができる
お医者様や看護士の方たちが
誰かの命を救ったり病気を治したりして
幸せをあたえている
ボランティアの人たちが
自分を犠牲にしてまで
誰かを援助してくれたりしている
こういった総てを
「誰かを幸せにする幸せ…」
そう表現したいと思うわけです
私の写真をご覧になってもらって
優しい気持ちになってもらえたり
私の発する言葉によって
暖かい気持ちになってもらえたならば
私も とてもとても
幸せを感じます(笑
今回の写真は
「怪獣ハム太郎たちと怪獣ねえさん」
この被り物の
オーディションをしたかの様に
似合っていた…笑
きっとこれ以上似合う人は居ない…
そう思いながらシャッターを押していた(笑 December 12, 2025
56RP
【運が良い人が無意識にやっている開運法】
「人の良いところを言葉にして伝えること」です。
運気は、生まれ持ったものだけで決まるのではなく、日々の行動や、発する言葉によっても大きく左右されます。
誰かの素敵な部分や長所を意識して見つけ、それを素直に言葉にして伝えることで、良いご縁やチャンスを引き寄せ、巡り巡って自分のもとにも良い出来事として返ってくるようになります。
運気が下がっているなと感じた時は、人の良いところに目を向けて、それを言葉にして伝えて、自分自身の波動を高めて、幸運を引き寄せるようにしましょう。 December 12, 2025
43RP
学会の人が、いわれのない誹謗中傷を受けている様子を見ることほど苦しいことはない。それによってXから離れる人を見るのは辛いし、誹謗中傷に応戦して身をすり減らしている人を見るのはもっと辛い。アンチの人は、束になって批判をしていると、自分たちは何を言っても良いと思うのかもしれない。しかし、自分の発する言葉によって、相手がどんな気持ちになるのか想像できなくなれば、それは人間として終わりだ。
「お前はカルトだ」。僕は何人にもXで言われてきた。その言葉が、真剣に信仰している人間にとって、どれほど侮辱の言葉か理解できないのだろうか。海外で言えば、ほとんどの人が信仰を持っており、お前はカルトだ、なんて言葉を発すれば二度と人間関係など構築できないだろう。本来、倭国だってそれは同じはずだ。カルトなんて言葉を平気で人の信仰に向かって言っているこの国の現状は、あり得ないことだ。
アンチの人にとって、創価をネタにして誰かと話すことは楽しかったのかもしれない。しかし、その何気ない一言が、誰かの誇りを傷つけ、誰かの心を傷つけ、何より自分の心を汚しているという事実に気づいていける世の中であってほしい。これを読んでもまだ誹謗中傷を続けようとする人間がいるなら、それはもはや人の心なんてないと僕は考える。 December 12, 2025
28RP
心がいちばん壊れやすい瞬間は、つらい出来事が起きたときでも、大切な人を失ったときでもありません。
「自分が何のために生きているのか、わからなくなったとき」です。
どれだけ環境が整っていても、どれだけ周囲に恵まれていても、「羨ましい」と言われていても、
心の中にぽっかり穴があくと、人は静かに音もなく崩れていくのです。
うつ病や双極症に苦しむ多くの人が、この「生きる意味の喪失」に何度もぶつかっています。
外から見れば普通に生活できているようでも、心の奥ではずっと「私はなぜ生きているんだろう」という問いに追い詰められている。
そして、この苦しさは、周りの言葉によって、さらに深まってしまうことがある。
「もっと頑張ればいい」
「感謝されてるんだから幸せでしょ」
こんな言葉は、励ましではなく“心への負荷”になっている。
頑張っても報われない。
褒められても満たされない。
無価値感と孤独感は、静かに心を削り続けます。
心は「役割」や「評価」で支えられるものではないから、どれだけ褒められても、どれだけ周囲に期待されても、「存在そのものが受け入れられている」という実感がなければ、人の心は踏ん張れない。
本当に必要なのは、
誰かの役立つことでも、
成果をあげることでもなく、
「私はここにいていい」
「私は生きていていい」
そう思える根っこの感覚なのです。 December 12, 2025
20RP
皆さんからのイイネやお優しいお言葉によってムッスメ画伯の創作活動に火が🔥😂
言葉のパワーはすごい✨原動力になりますね🥹🌊
イイネやリプを下さった皆様に感謝御礼申し上げます🙌✨ https://t.co/Gii8BLl6uJ https://t.co/CWqODVFCYr December 12, 2025
17RP
体は「食べたもので作られる」
心は「かけてもらった言葉で作られる」
未来は「自分がこうなりたいという言葉によって作られる」
選手は休んだ方がいい時でも休む勇気が出ないことが多い
結果が出ない時に「努力が、練習が足りてないからでは」と思うのが学生
中には指導者にそう言われることも
アスリートの科学的アプローチはその時
「休んでもいいんだよ」と言ってあげられる為にある
選手も納得して、安心して
「休んだ方が結果につながるんだ」を可視化する為にある
⬇️選手や受験生にもすぐ効く情報
・「手を顔に近づけない、を心がける。」
スマホ、ドア、ボタン類・・ウィルスが一番つきやすいのって、手だと考えると、なるほど。今もついつい頬杖をついたり、顎や口のあたりを無意識に触っていました。
・「Jカーブ理論」
Jカーブ理論は、運動量と上気道感染症(URTI)の罹患リスクの関係を示すモデル
激しい運動直後に体内のコルチゾール(ストレスホルモン)やカテコールアミンのレベルが上昇し、これが免疫細胞(特にナチュラルキラー細胞やリンパ球など)の機能や数に一時的な低下を引き起こすそうです。
運動後3〜24時間が感染しやすくなる期間が「オープンウィンドウ」
(ただし、体は感染しやすい場所へ免疫細胞を送り込んでいるため、血液検査上の数値が下がっているだけで、免疫機能自体はむしろ高まっている可能性がある)
「URTI増加は『免疫低下』よりも、旅行・睡眠不足・会場環境・心理ストレスなど行動要因の影響の方が大きい」
いずれにしても運動や受験のストレスで免疫が下がっている時は「今自分はオープンウィンドウなんだ」を意識した方がいいってことかも。
・「前向きな声かけ」は科学的に効果がある
Jカーブの右の方は選手も、受験生も高ストレスで免疫が低下した状態
家族や指導者からの肯定的・共感的な「言葉」は、心理的な負担を軽減し、ストレス起因のコルチゾール分泌が安定し、結果として免疫システムの過度な抑制を防ぎ、体調を良い状態に保つ手助けになるそうです
プラシーボ効果(ポジティブ):前向きな言葉は体にプラスの影響を与える。
ノシーボ効果(ネガティブ):「風邪を引くなよ」「体調管理できていないんじゃないか」、否定的なニュアンスはストレスホルモンを増やし実際に体調にマイナスな影響が出ることも。
山梨学院大の上田先生から動画を共有いただきました。(全4回あるそうです!)
選手・受験生・その親御さんご参考に〜。。しん
「箱根駅伝名将・上田元監督に聞く!冬に負けない食事術【人生が変わる!体調管理術】」
日テレ公式チャンネル・コンディショニングイノベーションLab公式
https://t.co/LQTDIwe3GW December 12, 2025
16RP
『2026年にもEXOとして活動に邁進するというドギョンスは“その後もEXOとして当然アルバム活動計画がある。これからも頑張って良い姿をお見せします。個人としても頑張って活動するつもりだ。すべて機会があれば無条件だ”と強調した。』
来年1月のカムバ以降も“EXOとして当然アルバム活動計画がある”と、我々に未来を確約してくれたギョンスの言葉によって今後の命が保証されました(この世の全てにありがとう) December 12, 2025
13RP
中も来てますが‥とても貴重なインタビュー
怪我で決して万全とは言えない今季の草太くんの状況を本郷コーチの言葉によって心情と共に より明白に描写され
伝わると同時に大丈夫、安堵したという
感情になりました😌
https://t.co/53AATGQhFN December 12, 2025
7RP
【『地平』2026年1月号/困窮ニッポン】new!!
[座談会]非正規公務員――実態・構造・課題・改革
竹信三恵子・上林陽治・川村雅則・早津裕貴
ーーー
●非正規公務員という課題への視点
竹信 本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。非正規公務員は、いまや70万人を超え、公共サービスの質にも深刻な影響を及ぼしています。これらの人たちが置かれている状況を、現場発の「虫の目」の視点で伝えたいと、先月号まで『地平』の連載で追ってきました。今日は、この問題を鳥瞰的な「鳥の目」の視点からも考えてみたいと思い、研究者の方々にお集まりいただきました。まず、皆さんが非正規公務員問題に関心を持たれたきっかけについて伺いたいと思います。
上林 30年ほど前、非常勤職員の方からその窮状を訴える話を聞いたことがきっかけです。正規職員に比べて1週間で15分、1日にすれば3分勤務時間が短いだけなのに、非常勤とされて、待遇に大きな差があることに疑問を感じました。非正規公務員は、当初は臨時職員や嘱託職員という形態でしたが、2017年の地方公務員法改正で会計年度任用職員制度が導入され、問題がより顕在化してきました。特に気になったのは、民間の非正規労働者には適用される労働法の保護が、公務員には適用されないという構造的な問題です。例えば、労働契約法の無期転換ルールや雇い止め規制、パート有期雇用労働法の均等均衡待遇――これらが公務員には適用されません。民間であれば5年働けば無期雇用に転換できますが、公務員は何年働いても1年契約のままです。
また、2000年代から自治体の財政難が深刻化し、正規職員の削減が進む一方で、行政需要は増えつづけました。そのギャップを埋めて、図書館、保育所、学校、福祉施設――市民生活に不可欠なサービスの現場で、非正規公務員が基幹的な業務を担うようになり、その処遇は極めて不安定で低賃金であったわけです。
川村 私は過労死の問題から研究を始めたのですが、格差・貧困の温床でもある非正規雇用問題に関心をもち、地元の北海道の労働組合・各産別のご協力で大規模な調査を2009年に行ないました。そこで、公務の非正規問題が深刻であることに気づかされたのが発端です。おかしな言い方ですが、民間の非正規がまだましだと思えてしまうような実態に驚きました。特に、竹信さんのルポでも書かれていますが、民間の「雇用」と、公務の「任用」は違うなど、複雑な法制度が最初はよく理解できませんでしたね。上林さんの本などの先行研究に学びながら、その後も継続的に調査を行なってきました。
竹信 「任用は行政行為であり、労働契約ではない」といわれるのですが、実態を見れば、上司の指示に従って働き、給与を受け取り、それで生活を立てているので、労働そのものです。にもかかわらず、「任用」という言葉によって、労働者としての権利が否定されてしまっています。早津さんはどのような経緯で関わられたのでしょうか。
早津 私は大学を卒業したのが2011年で、この問題に関心を持ち、勉強を始めたのが2012年ころからです。民間であれば当然認められる権利が、公務員には認められないケースが多く、法的な問題の大きさを実感しました。他方で公務員だと言われながら、公務員法がしっかり守ってくれない。それなら労働者だとして扱ってもらえるかというと、公務員だということで労働法は適用されない、いったい何なんだ、というところから研究してきました。
https://t.co/iDTdiZu9WS December 12, 2025
6RP
@rinoko0 若干スピが入りますが、女は完全体、男は欠損体、生まれながらに存在が定義されてる女と異なり男は外部の言葉によって自分を定義し、ある枠に押し込まれないとならない存在故だと思います、若い頃は経験が少ないのでイメージによって自己を定義しようとし、それがクリエイターになりたい欲です、その December 12, 2025
2RP
武蔵野美術大学『思考のエスキース』展を見た感想
https://t.co/2hwjSJq4CK
武蔵野美術大学 市ヶ谷キャンパスで開催されている長谷川研究室『思考のエスキース』展を鑑賞してきました。
本展示は「デザイン研究をする過程における、形になる前の迷いや驚き、発見と修正、直感と論理が交差する“思考”に焦点を当て」た長谷川研究室の展示です(パンフレットより)。完成品としての展示ではなく、その手前にある思考の素描(エスキース)をひらく試みです。
私自身、武蔵野美術大学で客員研究員として産学プロジェクトに関わる機会があり、また展示の一つに同僚が関わっていたこともあって、テーマ的な関心から足を運びました。
ポスター発表的な展示から、インスタレーション、メディアアート的な表現まで、さまざまな「デザイン研究のかたち」が並んでおり、全体としてとても刺激的な展示でした。
●「思考のエスキース」というタイトルが示すもの
近年、問題解決としてのデザインという考え方が広まり、デザインが関わる領域は急速に拡張してきました。その結果、「なんでもデザイン」「なんでもデザインできる」といった、ある種の楽観主義が生まれているようにも感じます。これはしばしば、デザイン・パニズム、あるいは汎デザインと呼ばれ、批判的に捉えられることもあります。
一方で、その反動として、造形的な美や美学といった、より主観的で感性的な領域へと関心が揺り戻されている動きも感じます。
エディトリアルデザインからキャリアをスタートし、サービスデザインへと領域を拡張してきた自分としては、デザインを単一の方法論として統合的に語ること自体に、もともと違和感があります。
問題解決としてのデザインもあるし、造形美を突き詰めるデザインもある。どちらが正しいという話ではなく、その振幅そのものが、デザインという営みの健全さを示しているのではないか、と感じています。ただ、こうした状況だからこそ、デザインに関わる人間一人ひとりが、「自分は何に与しているのか」「どの価値観の側に立とうとしているのか」に、より誠実である必要性は高まっているように思います。
その意味で、思考の過程そのものをエスキースとして公開する行為は、いま非常に重要な意味を持っているのではないでしょうか。
●エスキースをひらくことの難しさ
一方で、展示を見ながら、「これは本当にエスキースだったのだろうか」と思う瞬間もありました。
全体として、何かを掴もうとしてスピーディーかつダイナミックに描かれた素描というよりは、誰かに見せるために正しさを担保するためにきちんと整えられた提示が多かったように感じました。もちろん、それ自体が悪いという話ではありません。ただ、「途中経過としての思考」をひらくことの難しさが、逆説的に浮かび上がっているようにも思いました。
展示の端々には、「ブリコラージュ」という、人が手元にある知識や資源を組み合わせながら創造や問題解決を行うという概念や、「アクターネットワーク理論」という、人間とモノ、制度、技術などを対等なアクターとして捉える社会理論が登場します。それらは本来、思考を助けるための道具であるはずですが、それが正しさや権威性として前面に出てしまい、制作者自身の迷いや手触りを覆い隠しているようにも感じられました。
これは学生作品だから「できていない」という指摘をしている訳ではなく、むしろ勉強熱心な半可通——たとえば、まさに自分自身、がよくやってしまうことでもあると思いました。既存の理論や言葉によって思考を補強しすぎることで、かえって自分の揺らぎや未整理な感覚を隠してしまう。展示を見ることで、そうした自分自身の虚飾的な側面を照らし返されたような感覚がありました。
●展示空間について
展示空間のデザインについても、今後さらに良くなる余地があるように感じました。
写真撮影が可能かどうか、置かれている資料を持ち帰ってよいのかどうか、といった点が空間として明確に伝わると、来場者がどう関わればよいのかが、より直感的に理解できるのではないかと思います。
「何を展示しているか」だけでなく、「来場者に何をしてほしいのか」を空間で示すことも、研究展示においては重要なのだと改めて感じました。
●「やまがたのデザイン探訪」から立ち上がった問い
ここからは、個人的に展示参加の目的の一つでもあった
「やまがたのデザイン探訪」について触れておきたいと思います。
この展示は、山形におけるデザイン振興の状況をリサーチし、山形工業技術センター、大学、地域企業が連携しながら、デザイン導入が進められてきたプロセスを整理したパネル展示でした。
実態を丁寧に追っており、示唆的な点も多く、非常に興味深い内容でした。そこで提示されている整理や前提については、今後も議論していきたい論点がいくつか浮かび上がりました。
まず一つ目は、「大都市圏では分業型の仕事が主で、地域では越境型の仕事が多い」という整理についてです。
この対比は分かりやすい一方で、「都市か地域か」という地理的区分に依拠しすぎているようにも感じました。分業型かどうかは、むしろ企業規模や産業構造、特に大企業かどうかといった条件によって決まる側面が大きいのではないでしょうか。
大都市圏でも中小規模の現場では越境的な役割遂行はありえると思いますし、地域であっても大規模組織では明確な分業が行われていることがあるのではないでしょうか。「都市/地域」という二項対立だけでは捉えきれない実態があるように思いました。
二つ目は、ブリコラージュと「ゼロイチ」の対比です。
展示では、地域の実践の特徴としてブリコラージュが挙げられ、それがしばしば「ゼロから一を生み出す創造」と対比されていました。しかし個人的には、完全な意味でのゼロからの創造は、ほとんど存在しないのではないかと考えています。
どの創造行為も、既存の知識や経験、文化的文脈の組み合わせによって成り立っており、その意味では、いわゆるゼロイチもブリコラージュ的な性質を持っているはずです。重要なのは「ゼロかどうか」ではなく、「何をどのように組み合わせているのか」なのではないでしょうか。
三つ目は、越境型人材の特徴として挙げられていた「マルチタスク」と「非分業型」が、「マルチタスク / 非分業型」とスラッシュでつながれ、ほぼ同義に扱われている(ように見えた)点です。
マルチタスクとは、時間的に複数の作業を並行・断続的に処理する働き方であり、文化人類学者エドワード・T・ホールが指摘したポリクロニック(同時並行的な時間感覚)な仕事の進め方と関係が深い概念です。
一方で、非分業型という言葉が、役割分担という発想そのものが弱い状態を指すのであれば、それは必ずしもマルチタスクとは一致しません。むしろ主観的な仕事観としては、一つの仕事に責任と意味を統合して向き合う、モノクロニック(順序立てて一つずつ進める時間感覚)なあり方とも結びつきうるように思います。
個人的には、現代の大都市圏、とりわけ大企業の現場で失われつつあるのは、後者のような仕事観ではないかと感じています。
そう考えると、山形のデザイン実践を「地域ならではの事例」として見るだけでなく、より詳細に分析し、そこから大都市圏のポリクロニックな働き方そのものを問い直すという読み替えは、非常に示唆的で面白い可能性を持っているように思いました。この点が個人的に強い興味を持っている部分でもあります。
四つ目は、山形のデザイン人材の実態に関してです。
今回は地域をリードするトップ層のデザイナーに対するインタビューをもとに越境型のデザイン人材の特徴を示していたかと思いますが、山形全体でそれがどれくらい一般化できるのか、という問いです。
個人的に、ある地域でフリーランスとしてお仕事をされているウェブデザイナーと協業する機会がありましたが、むしろ感じたのはウェブの、さらに言うとそのなかでも限定的な部分に対して特化することで、短納期でシンプルなニーズに特化し生き残りを図っているのではないか、ということでした。
UIのデザインはできるが、コンセプト、ライティング、アクセシビリティ、etc.といった周辺領域の知識・経験がなく、越境しないことで仕事の生産性を維持しようとしているのではないか、という感覚。もちろんフィーが出ない以上、越境しない、できないは当然なので良い悪いの話ではなく。
直接の仕事のやりとりではなかったので、深掘りはできませんでしたが、こうした層がいるのか、いないのか、いるとしたらどうすることが地域やデザイナーの生態系をどうよりよくすることができるのか、といったことを考えていけるとよいのではないか、と感じました。
●おわりに
以上、エスキース、つまり素描に対して、ここまでコメントすること自体どうなのか、という迷いは正直あります。
最近も弊社インターンの方から「社員がフリーザっぽい」というコメントを漏らしており「こういうところ?」と思わなくもないのですが、まあひらいているからにはフィードバックも歓迎されるのだろう、ということで、こうしてメモを公開することにしました。
(僕もフリーザっぽいかな、とは怖くて聞けませんでした)
展示に参加された皆様、お疲れさまでした。考えるきっかけをありがとうございました!
長谷川研究室のInstagramアカウントもあるそうなので、気になる方はぜひフォローを
https://t.co/45eHhmtpyZ December 12, 2025
2RP
富野さんや、庵野秀明、本人は是々非々だし、正直世話になったりスゴいと思うところも多いし、好き嫌いで言って嫌いでもないのだが、インターネットのオタクの勝ち馬に乗ってオチャラケたい一部のヤツ等の言葉によってこの2人を過剰に持ち上げる風潮は、超大嫌い。これによってこの2人を嫌いになる事は December 12, 2025
2RP
読書、2冊読了(111、112)
言葉によって水の結晶がかわる
興味深すぎて、、
ほかの本も読みたい。
#江本勝 さん
#里中読書2025 https://t.co/u1FPMpI8yy December 12, 2025
1RP
群れると頭が悪くなるから群れないようにする。
これは正しいと思うけど
この言葉によって起きている事は
『8割の頭が悪い人間とは群れないで真実に気づいた人達と群れる』
これは一般社会から外れてカルト社会で生きれる適性を磨いているだけで群れる人間になっていますw
こういう事が度々起きています。
外れてて生きるなら少数派とも群れるのはやめましょう。劣化版の群れ脳になるだけです。 December 12, 2025
1RP
福祉ですか。
私の経験から言わせてもらうと、認知症の方の介護をしている時、杖で殴られたり蹴られたりすることは時々ありました。しかし、法的にもそれを制止することは不可能であるから、との指導を受けていたため、殴られるまま蹴られるままといった具合で言葉によって落ち着かせることしか出来ませんでした。
相手がナイフを持っていようが、止めることは出来ない。それが福祉職です。また、認知症の方にいくら言葉でやめてくださいと言っても伝わらない。それも福祉職です。
そういう方にはやはり何かしらの拘束が現場・現実的にはせざるを得ないというのが、仕方のない解であろうと思います。
しかし現状、殴られるなら殴られるぞと覚悟を持たねばやっていられない。
最近、強度行動障害の方が病院から訪看へ投げられたというニュースがありましたね。地域での対応は私はそれは不可能だろうと思っていますが、それでも支援職はリスクを負ってでも体を張って命を賭けるしかないのだろう、国が支援職にリスクを放り投げた、そう思ってしまいますね。
それだけの危険に向き合う仕事ならばそれなりの給料を出すべきだと思いますし、殴られそうな時には何か制止出来るための法的根拠を新たに制定してもらいたい、が、今はただ黙って殴られるしかない、というのが解にしかならないです。やるせないですがこれが現状じゃないでしょうか?
知人も区分が6だか7だか、今は現場を離れているので分からないのですが、そんな青年の強度行動障害の夜間ヘルパーを14時間寝ずの勤務でやっています。
どうしようもない、というのが答えだ、と言っていましたね。
ピケピケさんはどう思われますか? December 12, 2025
1RP
わたひおずっとお互いにお互いの不安を取り除いていてめちゃくちゃ良いカップル…不安とか心配事が始めから無いんじゃなくて、ちゃんと向き合った上でお互いの真っ直ぐな言葉によって安心に変えていくのがとても良い… #ドラマ修学旅行 December 12, 2025
1RP
@walhallahlaw ありがとうございます😊
相手を「押す」のでその行為に捕らわれ、「ふれる」だとまたまだ我がでやすい人がいて、「うけとる」だと我がでにくかったようです。
言葉によって全然違うのが面白かったです。
「送る」「迎える」は厳かな感じがあり、また違った世界になりそうです。今度、試してみます。 December 12, 2025
1RP
#情熱僕鳥
親鳥から幼鳥への言葉の継承やさまざまな鳥たちが言葉によって一体化する姿に、言葉の持つ強さを感じました。また、自分の大好きを貫いて研究し続ける鈴木さんがとてもかっこよかったです。私も誰かに今大切なことを言葉で伝え、そしてそれらに耳を傾けられる人でありたいと思います。 https://t.co/FA3WsbF8ng December 12, 2025
1RP
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