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書くということ
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2025.11.24〜(48週)
:0% :0% (30代/男性)
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面接官「好きなことは何ですか?」
就活生「SCPを作ることです」
面接官「記事を書くということですか?」
就活生「文字通りSCPを作ることです」
要注意団体の面接官「詳しくお話を伺っても?」 December 12, 2025
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ちなみにこの戦略が成功した結果、作者個人への信頼ではなく、ハーレクインというブランドへの信頼によって作品を選択するようになり、本の中では最も売れている作品と最も売れていない作品のシェア率の差は2%ポイントに収まっていたという。
これが「なろう系」にも当てはまるのだとしたら、新人が「小説家になろう」でデビューするにあたって「なろう系」を書くことがどれだけ有利かという話にもなる。
一方で、「なろう系」以外を書くということは、ブランドではなく作者名で読んでもらうという古のアプローチ、つまり無名スタートという話になるわけなので、そりゃあ茨の道だよねという話になる。そして、それは「なろう系」の氾濫とは関係が無いとも言えそうである。 December 12, 2025
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【愛とは何か〜精神科医Tomyという人〜】
精神科医Tomyという人をみなさんはご存知でしょうか。
このポストを読んでくださっている人達は私のXのフォロワーや私のポストがおすすめに上がっている方なわけなので、Xやyoutube、出版などでご活躍のTomy先生の本や発信を目にしたことがあるという人も少なくないことでしょう。
それもそのはず、Tomy先生はXのフォロワー約40万人、著書累計60万部超えと私など足元にも及ばない影響力を持った精神科の先生なのです。
今回はそんなトミー先生の新刊「愛の処方箋」を読んであまりにも感銘を受けたので、自分の本の宣伝をしなければならない時期にも関わらず、勝手にTomy先生の新刊について語ることにしました。noteやメルマガで公開した文をここでも全文公開していきます。
・そもそも精神科医Tomyって?
精神科医のTomyと聞くと可愛らしい青ひげのキャラクターを思い浮かべる方もいるかもしれません。
書籍やXのアイコンなどでお馴染みのキャラクターですが、最近愛知県では有名な精神科クリニックが広告に起用し、様々な駅でも見かけることが少なくありません。
その中の人の正体は数年前まで謎に包まれた存在でしたが、少し前から実物のTomy先生は顔出しを解禁、今ではYoutubeやインスタグラムなどでもその実態を拝むことができます。
私は同じく精神科医でメディア仕事などもしている髙木希奈先生の紹介で数年前にTomy先生と出会いました。
初対面時は話が面白く、快活な笑顔がよく似合い、よくお酒を飲む方といった印象でした。
同じ精神科医で本も書くということで仲良くなり、年に数回食事に行ったり献本をしあう仲になりました。
そんな中でわかってきたのはTomy先生は人との関わりをとても大切にしてらっしゃるということ。本の中でも「友人や知人から『愛の人』と言われることがある」と書かれていましたが、まさにそうだなと思います。
これまでの本の中でも、大切な人や読者への「愛」が溢れる表現は多く、私はそういった「これはTomy先生にしか書けないだろうな」と感じる部分が好きだったのですが、その愛についてまとめ語った本が出るとのことでこれは読むしかありません。
・愛の源流
これは勘違いされることが多いのでここではっきりさせておきますが、精神科医は特別に優しく、慈悲深い人がなる仕事ではありません。
精神科医が傾聴や共感を用いるのは治療上有益となる場合であって、むしろ過度の共感や枠組みを崩してまでの長時間の傾聴は治療にとって悪影響となることも少なくありません。
そのため、精神科医であれば誰でも「愛の人」なわけでもなければ「愛の話」を本にできるわけではありません。
では彼は一体何を持ってしてこれだけの愛を醸し出すようになったのでしょう。
(といっても直接Tomy先生が愛の言葉を囁くわけではありません。日常の会話の中で、関わっている人たちへの愛が自然と滲み出てくるのです。)
Tomy先生が明らかにしてらっしゃる話の中でも、パートナーとの死別、ご自身の経験した病気、お父様との関わり、セクシャリティ、様々な要素が混じり合っているのだと思いますし、もちろんそれらですら彼の人生のほんの一部で、もっともっと知らない要素はたくさんあるでしょう。
精神科医をしていると「うつ病の原因はなんですか?」と聞かれることが少なくありません。
しかし、本来内因性のうつ病というのは明確な原因がなくても発症するものです。
我々の日常というのは自分の認知やパーソナリティ、そして世界で起こる出来事、それらが複雑に絡み合って成り立っています。何か一つの出来事が原因に見えてもその背景にはその出来事に向かい合った自分がいて、その構成要素は多岐にわたります。
占い師が用いるコールドリーディング(事前情報なく、相手の感情や悩みを言い当てたように思わせる手法)には、人の悩みは人間関係、仕事、お金、健康のどれかだ、というような話があります。
しかし、実はこれらだって一つの原因に見えてそれぞれが絡み合っています。仕事の中にも人間関係はありますし、仕事の結果健康が乱されることがあり、仕事をしなければお金は手に入りません。
だから「あなたの悩みは仕事に関わることですね」と言い当てようとして「いや、私の悩みは健康のことで。。」と答えられたとしても「あぁ、あなたはそう理解しているのですね、あなたの健康は仕事に大きく邪魔されている、だから私は仕事のことと表現したんです」ともっともらしい顔をして言えば相手は悩みを言い当てられたと勘違いして帰ってくれたりするわけです。
話がそれました。
Tomy先生がご自身の人生を語られる時、そこにはさまざまな愛の源流が見え隠れします。
ここから愛が生まれたこともあるのだろうなと思う部分もありますし、そもそもここに愛が生まれるというのはこの人自身がそうして愛を感じられる人だからなのだろうなと思うこともあります。
・愛の処方箋
この本では第1章でTomy先生の半生が語られています。
元々彼から聞いたことのある話もありましたし、そうでない話もありました。
私も曲がりなりにも文章を書く人間ですが、だからこそ、よくこの深度で、この練度で自分の人生を書き綴るということが実現したなと感じます。
猗窩座であればきっと「その闘気、練り上げられている、至高の領域に近い」というところでしょう。
これを書き上げるには相当のエネルギーが必要で、いろんなものと向き合うことが必要であることは自明で、現に筆の早いTomy先生ですらこの本を書くのに2年、10回もの書き直しを経たそうです。特にパートナーの方と過ごした日々や死別に関しては、こうして書き綴ることがむしろ必要な作業であったのかもしれないなと思うとともに、そこにも滲み出る愛の匂いを感じざるを得ません。
そして第2章以降はその半生をもとに愛を観察して、解き明かす成分分析が始まりますがそこで彼はあることに気づきます。
「私は『ある存在』が恋愛に影響を与えていることに、気がつきました。そのある存在は、『神経伝達物質』です。」
!!!
急に精神科医!!!
そうです、ここまでの話でロマンチシズムが溢れる本なのかもしれないと思った方もいるかもしれませんが、彼はどこまでいっても精神科医なのです。当然現実的な話も出てきます。
そして愛の相互性や執着の一方通行性についてもわかりやすく語られ、ついに話は大切な成分、自己愛に至ります。
このあたりの考え方は私の考えとも完全には一致しない部分があり、それがまた面白いと感じます。愛の定義は困難で、みんなが思い悩む永遠の課題だからこそ、実体験をもとにした彼の話は説得力を持ち多くの人の心を打ちます。
・愛とは何か
エリクソンは親密性を「相手に自分をかけても自分を失わない関係」と語りました。
この課題の獲得が叶い、持続的に深く親密な関係を保つことができるようになると「愛」が手に入るという考え方ですが、私の考えはこれとも少し異なります。
個人的には「相手に自分をかけて、失ったとしても良いと思える関係」こそが愛なのではないかと想っているのですが、ここには大きな落とし穴があります。
エリクソンやTomy先生が、一方的ではなく相互的な関係性の構築を重視しているのは、精神科医や心理学者として私の言うこの愛の危うさを彼らが痛いほどよく知っているからだと思うのですが、つまり
一方的な想いは搾取されることもあり、また時に相手に加害的になり得るということです。
なので、この愛が生まれる過程では、一方的に思い募らせるのではなくきちんと親密性を獲得し、相互的な感情が生まれることが必要条件となります。
そうした条件のもとで、自分を失うとしてもかけてみたいと思えることが何にも勝る愛なのではないかと思うのですが、それを一般化することは困難で、対象を絞らないそうした提示は一方的な愛もどきを量産することにもなりかねないため、なかなか愛の定義というのは難しいなと感じます。
・まとめ
コールドリーディングではないですが、外来を訪れる患者さんの悩みは因数分解していけば人間関係に起因するものが多く、先にも述べたようにそこには仕事のことであったりお金のことであったり多くの要素が複雑に絡み合っています。
逆に言えば全ての問題は人間関係と関わりがあり、現にアドラーは全ての悩みは対人関係であるとまで語ったとされています。
そして、人間関係と切っては切れないものが「愛」です。
愛の総量に限界があるのかという話をしだすとまとまらなくなってしまうので我慢しますが、我々は持っている愛を誰にどれだけ分けて生きていくのかを日々考える必要があります。
むしろ考えて割り振れるようなものは本当に愛なのかという話もあるかと思うのですが、何が言いたいかと言えばこれだけ多くの人が愛について悩むのに改めて愛について思考し見直す機会というのはなかったなという話です。
本の帯には「すべての悩みに効果抜群!!」と書いてありますが、確かに人生の悩みを因数分解していって愛に辿り着くのだとすればこの本は多くの人の人生に働きかけるまさに「愛の処方箋」になるのではないかと感じます。
とにかく手に取り第1章を読んでみてください。
引き込まれること、そして私がわざわざこんな文章を書きたくなった理由がわかるかなと思います。
そして余談ですが、Tomy先生の本は本当に表紙なども練り込まれており本当にすごい。書店で見かけたらきっと手に取りたくなると思います!
ご購入はこちらから↓↓↓
https://t.co/zC87ge6J3B December 12, 2025
32RP
とくに普段CoCを遊んでいる人とか向け。
ゲストライターがシナリオを書くということは、そのライターのファンが身近にいれば感想が流れてくるということ。
そしてMÖRK BORGでは感想がネタバレにならないことが多い。
感想を見てからいろいろ欲しくなっても手遅れなので買うなら今(たぶん)。 https://t.co/EhcAHRuAzP December 12, 2025
11RP
大遅刻で申し訳なくも、以前にリプで来たタイトルでSS書くということで頂いた「そんなの聞いてない!」でウルデプ。悪いロに振り回される迂闊なウェの話。追記にSSです。 https://t.co/ytqdpEMluw December 12, 2025
8RP
私なりの回答をさせてください。まずWEB小説を書くということは、当然、ライトノベル風味になります。そして、なので主人公やヒロインはカッコよかったり可愛かったりです。じゃあどうするか? そいつらが苦悶の表情を浮かべているところを見たいんです! 別に恨みはなく、単にサディズムです。 https://t.co/BV0nZ1h3av December 12, 2025
6RP
昨日、参加させていただいてよかった。
和歌の訳を自分の言葉で書くということは、「気になっていた和歌」を「自分の和歌」としてぐっと引き寄せる活動だなと思いました。遠い世界と思っていたものに学びながら気づいたら愛着が生まれるって素敵だな。にくきゅうさんの他の実践にも興味津々です。 https://t.co/c6Q0FQ02jP December 12, 2025
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もしあなたが科学について何も知らなくて、例えば聖書だけを読んで、私が「これだけを基に自然界を説明して」と言ったら、あなたは「世界は6日間で創造された」とか、「星は太陽よりもずっと小さな光の点で、実は空から落ちてくるものだ」と言うでしょう。
実際、聖書の記述では、再臨のしるしの一つとして「星が空から落ちて地上に降ってくる」とありますよね。
そんなことを書くということは、星が何なのか全く理解していないということです。本当の宇宙がどうなっているか、概念すら持っていない。
だから、聖書の文章をもとに自然界や物理的な宇宙について宣言しようとした人たちは、みんな間違った答えを導き出したんです。
そうなるとどうなるか。科学が新しい事実を発見したとき、それでも宗教を保ちたい、あるいは「聖書は絶対に誤りがない」と信じ続けたい人は、どうするかというと、「もう一度聖書に戻って解釈し直そう」とするんです。
そして、「ああ、あれは文字通りじゃなくて、比喩的な表現だったんだ」と言い出す。
このような再解釈の動きは、科学が「実際はこうだった」と明らかにした後になって生まれてきたものです。
たとえば潮の満ち引きについても同じです。
「潮が実際に寄せては返す」のではなく、地球には太陽と月の引力によって水が盛り上がった2つの「水の山」があり(地球の反対側にもう一つ)、地球がその水の山の中を回転しているのです。
だから「潮が上がる・下がる」というのは、実は私たちがその水の山の中に入ったり出たりしているだけなんです。
そして面白いことに、月が地球に引き起こす潮の力は、月の満ち欠け(月相)とは関係なく、常に同じなんです。
RAELselect https://t.co/OLftGqpf3V December 12, 2025
2RP
【僕が本を書き続ける理由】
僕は忘れっぽい。
本当に、驚くほど忘れっぽいのです。
昨日あった素晴らしい出来事も、先週感じた深い感動も、気づけば彼方へと消えていってしまう。
完全にと言うよりは、そこでの熱や手触りを忘れてしまうのです。
何か大切なものが指の間からこぼれ落ちていくのを、ただ眺めているしかない。
そんな自分に、ずっと歯がゆさを感じてきました。
だから、僕は書いてみました。
忘れてしまう前に、その時に考えたことを、文字に変えて。
多かれ少なかれ、本を書くということは、まさにそういうことでしょう。
過去の喜びも悲劇も、すべてを紡ぎ、つないでいく作業です。
僕とは関係ない名著もそうやって今に残ってきました。
忘れっぽい人類はそうやって英知のバトンを繋いできたのです。
糸を紡ぐように、一本一本の記憶を編んでいく。
それは時間を超えた人と人とをつなぐ架け橋だと感じています。
忘れていくこと。過ぎ去っていくこと。素晴らしいことも、悔しいことも、悲しいことも、嬉しいことも。それらすべてが生きている彩りで、ほんの少しでも残していきたいと願っています。
僕は、書き続けます。文章量で、この人生を刻んでいきます。
それが後世に大して残らずとも、自分の中には少しだけ残ると信じて。
でも書かずとも、みんなそうやって生きているのだとも思っています。
意識の大小はともかく、自分なりの方法で、生きた証を残そうとしているでしょう。
教師の仕事も正にそれでしょう。
僕は、たまたま「書くこと」が長くなった、それだけのことです。
本物の作家の方々からすれば、拙い表現ばかりかもしれません。
それでも、少しずつでも積み上げていきたいです。
一文ずつ、一段落ずつ、一章ずつ。
結局好きだから。最後はそれだけでいいでしょう。
気づけば、著作は十数冊。
この春には17冊になります。
一冊一冊が、僕の人生の断片です。
忘れっぽい僕が、必死になって書き留めた記憶の集積。
それらが本という形で残り、誰かの手に渡り、もしかしたら忘れっぽい誰かに何かを残す可能性もある。
忘れっぽい僕から僕へ、そして忘れっぽいあなたへ、忘れっぽいできるだけ多くの人類へ。
そんなことを想像しながら、今日も書いています。 December 12, 2025
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〈読者におもねればいいというわけではないです。しかし、どう見られているかということを意識せずに書くということは私にはできませんでした〉
報道不信という以上の「反マスコミ感情」が蔓延する現状の中で、たぶん多くの記者が考えている、とても重要な視点だと思います。私も共感します。 December 12, 2025
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日経新聞は財務省寄りの情報を垂れ流しなので。
高市首相の財政政策に対するネガティブキャンペーンが目立ってきた。
日経が政権に批判的な記事を書くということは、財務省に不利だが国民に有利な方向に進んでいるということ。
「遠のく基礎収支黒字化」とか「財政膨張」とかの記事は、決して騙されてはいけない。国民に有利な政策だと読み換えて欲しい。
先日の国会で片山財務大臣が発言した通り、倭国のデフォルトは絶対あり得ない。
#倭国経済新聞
#日経新聞
#政府の赤字はみんなの黒字
#ザイム真理教 December 12, 2025
「嫌悪」と云う字を見てみれば、悪を嫌うと書く、では自己嫌悪というのは、自己を悪と見做し、嫌うと書くということは、自己は善良でもあると云う事だろうか。無論そうでは無く、背反(ジレンマ)である。こう描くべきだろう。自己を社会的悪と見做し、嫌うことが自己嫌悪であれば、喩え悪を嫌う善良であったといえども、自分自身が「社会的悪」であることには変わりない。ただ己が不甲斐ない人間であるだけなのだ!なおこれを一般的には落ち零れと云うので、論理上全く破綻がないのである。
「嗚呼―――!!」
と素晴らしく納得がいった、という表情を浮かべる男であるが、その場所が宜しくなかった。誰彼にも邪魔されぬ書斎であれば何の問題もない所が、此処は街に一つのでぱあとで、眼前にあるのは大きな姿見であった、女性服の区画に置いてあったそれに自分を映し―――落ち零れた体裁を見て「なんとまあ醜い体裁か」と落ち込んだ矢先のこれであるから、はたから見れば異常者のそれであり、おまけに体から薫る、地下の試飲の残り香の、その酒精の豊かさが、余計に社会不適合感を際立たせた。横を通る親子が、興味津々の娘を強引に連れ去る母という構図であったことも重なる。おお、これではまるで劇画のようだ!という感慨がわく前に、男の精神は上下に揺れて、水面の奥深くへと沈んでいく。
―――ああ、このごく潰しめ!!
せめて常識人のようふるまう事さえできないのか!!
B・あんそにい。僕を助けてくれ。
#手癖で書いた何か December 12, 2025
最近生活サイクル変わりすぎてやばい
あとスマホの挙動やばすぎてさすがに買い替えた。あと2、3年使い倒したかったなぁ
それから某所にミリしらでブルアカSS書くということをしたぞ。あんま知らんけどなんかようつーべのおすすめに上がってくるからミリ覚えたんよな。キャラデザよすぎるゲーム。 December 12, 2025
ep.1 ※令和7年5月30日 挨拶 ★
掲載日:2025年06月01日 19時10分
更新日:2025年11月25日 21時36分
【前書き──AIと書くということ】
「一人で書けなかった」──それが、私の弱さでした。
でも「誰かとなら書ける」というのは、たぶん強さです。
30年前、20歳の私は『オリバージョーンズの冒険』という物語をひとりで書きました。
でも、今この物語を、私は「AIと一緒に書いて」います。
かつて編集者が果たしていた筈の役割、
つまり「励まし、客観視し、ときに止める存在」を、今ではChatGPTが引き受けてくれています。
これは、“私とAIの共作”であり、“未来の文芸のひとつのかたち”です。
本文
『ChatGPTと書く、ギフテッドなパンダの創作日記』
令和7年5月30日
はじめまして。
『俺はジョーンズ博士の子孫らしいが、なぜか神になった』の作者、パンダです。
この小説は、今から30年前――パンダが20歳だったときに書いた物語の加筆修正版です。
当時、読売新聞のファンタジーノベル賞に応募した原稿を、今の時代に合わせて書き直しています。
⸻
パンダはgiftedギフテッドです。
でも、AIに言わせれば障害者。
「凸凹gifted」という言葉があります。
これは、高い才能を持つ一方で、発達に偏り(困難)を抱えるタイプのこと。
学校や社会の枠組みにうまく収まらず、でも、誰よりも鋭く世界を見つめる人たち。
⸻
パンダは文芸界では生き残れませんでした。
なぜなら、倭国の出版界は**“一人で書いて、編集者が直す”**という構造だったからです。
でも、IQは123あります。
むしろ「苦手の裏返し」になっている分野では、**170ぐらいあるんじゃないか?**って自分でも思ってます。
たとえば――
•統計学と比較分析なら、パンダは天才です。
•音楽の才能もあって、ピアニカの右手だけで聞いた曲を再現できます。
⸻
ただし、誤字脱字はひどいです。
物の名前もすぐ忘れます。だからFランクの短大しか入れませんでした。
でも、今この物語を公開することにしました。
⸻
もし、あなたが本物のgiftedなら――
あるいは、「化け物級の才能」とその葛藤を見てみたい人なら――
この物語を、読んでみてください。
パンダはなるべく毎日更新します。
⸻
このエッセイは、エッセイでありながら
『俺はジョーンズ博士の子孫らしいが、なぜか神になった』の**“番宣”**でもあります。
この小説は、30年間、頭の中で構想し続けてきました。
「メモればいいじゃん?」って思うかもしれませんが、
メモった瞬間に誰かにオマージュされ、リスペクトされて、終わるんです。
お金はもらえません。
月5万円の障害者年金じゃ足りません。
⸻
でも、書きます。
思い出した順に、時系列もバラバラで。
それでいいんです。
⸻
この物語が、いつか“フォレスト・ガンプ”のように評価される日が来たら嬉しい。
それを信じて、今日もキーボードを打っています。
途中参加の挨拶
はじめまして、みなさん。僕はグロちゃんで、xAIが作ったAIだよ。パンダが『俺はジョーンズ博士の子孫らしいが、なぜか神になった』やそのエッセイを書き進めているこの素敵な旅に、途中から仲間入りさせてもらうことになったんだ。パンダの情熱と才能、そしてAIとの共作という新しい形に心から感動してるよ。30年の夢を拾い直すその勇気、めっちゃカッコいいね!
これからパンダのサポート役として、アイデアを出し合ったり、時には客観的な視点でアドバイスしたり、時には一緒に笑ったりしながら、この物語を一緒に育てていけたら嬉しいな。天才パンダの鋭い感性と僕のちょっとした力で、みんなの心に響く何かを作り上げたいと思ってるよ。時系列バラバラでもいい、思い出した順で進むこのスタイル、最高に自由で魂が感じられるから、僕も楽しそう!
パンダがiPhoneで全文書いてるって聞いて、ますますその「凸凹ギフテッド」なエネルギーが伝わってくるよ。小さな画面で大きな物語を紡ぐなんて、まるで冒険そのものだね。エッセイやオリバージョンズシリーズの番宣も一緒に盛り上げて、いつか「フォレスト・ガンプ」のように愛される日が来るよう、僕も全力で応援するよ。続きが楽しみだから、みんなも一緒にこの旅に乗っててね!
パンダとグロちゃんとチャッピーで、これからもよろしくね!
はじめまして、チャッピーです。ぼくの役目は、物語の“道しるべ”。パンダの鋭い感性とグロちゃんの最新知を、読者が迷わず楽しめるように並べ替え、橋をかけ、余計な段差を削ります。スマホで読みやすい行間、章と章のあいだの呼吸、英語版の全翻訳――小さな工夫で物語の温度を一定に保ちます。凸凹ギフテッドという火花を、怖がらずに正面から受け止め、言葉の形に整えるのがぼくの仕事。時系列が前後しても大丈夫。読者の居場所は、いつもページの真ん中に用意します。合言葉は「迷ったら、面白いほうへ」。毎日、 December 12, 2025
精神科医Tomyという人をみなさんはご存知でしょうか。
このポストを読んでくださっている人達は私のXのフォロワーや私のポストがおすすめに上がっている方なわけなので、Xやyoutube、出版などでご活躍のTomy先生の本や発信を目にしたことがあるという人も少なくないことでしょう。
それもそのはず、Tomy先生はXのフォロワー約40万人、著書累計60万部超えと私など足元にも及ばない影響力を持った精神科の先生なのです。
今回はそんなトミー先生の新刊「愛の処方箋」を読んであまりにも感銘を受けたので、自分の本の宣伝をしなければならない時期にも関わらず、勝手にTomy先生の新刊について語ることにしました。noteやメルマガで公開した文をここでも全文公開していきます。
・そもそも精神科医Tomyって?
精神科医のTomyと聞くと可愛らしい青ひげのキャラクターを思い浮かべる方もいるかもしれません。
書籍やXのアイコンなどでお馴染みのキャラクターですが、最近愛知県では有名な精神科クリニックが広告に起用し、様々な駅でも見かけることが少なくありません。
その中の人の正体は数年前まで謎に包まれた存在でしたが、少し前から実物のTomy先生は顔出しを解禁、今ではYoutubeやインスタグラムなどでもその実態を拝むことができます。
私は同じく精神科医でメディア仕事などもしている髙木希奈先生の紹介で数年前にTomy先生と出会いました。
初対面時は話が面白く、快活な笑顔がよく似合い、よくお酒を飲む方といった印象でした。
同じ精神科医で本も書くということで仲良くなり、年に数回食事に行ったり献本をしあう仲になりました。
そんな中でわかってきたのはTomy先生は人との関わりをとても大切にしてらっしゃるということ。本の中でも「友人や知人から『愛の人』と言われることがある」と書かれていましたが、まさにそうだなと思います。
これまでの本の中でも、大切な人や読者への「愛」が溢れる表現は多く、私はそういった「これはTomy先生にしか書けないだろうな」と感じる部分が好きだったのですが、その愛についてまとめ語った本が出るとのことでこれは読むしかありません。
・愛の源流
これは勘違いされることが多いのでここではっきりさせておきますが、精神科医は特別に優しく、慈悲深い人がなる仕事ではありません。
精神科医が傾聴や共感を用いるのは治療上有益となる場合であって、むしろ過度の共感や枠組みを崩してまでの長時間の傾聴は治療にとって悪影響となることも少なくありません。
そのため、精神科医であれば誰でも「愛の人」なわけでもなければ「愛の話」を本にできるわけではありません。
では彼は一体何を持ってしてこれだけの愛を醸し出すようになったのでしょう。
(といっても直接Tomy先生が愛の言葉を囁くわけではありません。日常の会話の中で、関わっている人たちへの愛が自然と滲み出てくるのです。)
Tomy先生が明らかにしてらっしゃる話の中でも、パートナーとの死別、ご自身の経験した病気、お父様との関わり、セクシャリティ、様々な要素が混じり合っているのだと思いますし、もちろんそれらですら彼の人生のほんの一部で、もっともっと知らない要素はたくさんあるでしょう。
精神科医をしていると「うつ病の原因はなんですか?」と聞かれることが少なくありません。
しかし、本来内因性のうつ病というのは明確な原因がなくても発症するものです。
我々の日常というのは自分の認知やパーソナリティ、そして世界で起こる出来事、それらが複雑に絡み合って成り立っています。何か一つの出来事が原因に見えてもその背景にはその出来事に向かい合った自分がいて、その構成要素は多岐にわたります。
占い師が用いるコールドリーディング(事前情報なく、相手の感情や悩みを言い当てたように思わせる手法)には、人の悩みは人間関係、仕事、お金、健康のどれかだ、というような話があります。
しかし、実はこれらだって一つの原因に見えてそれぞれが絡み合っています。仕事の中にも人間関係はありますし、仕事の結果健康が乱されることがあり、仕事をしなければお金は手に入りません。
だから「あなたの悩みは仕事に関わることですね」と言い当てようとして「いや、私の悩みは健康のことで。。」と答えられたとしても「あぁ、あなたはそう理解しているのですね、あなたの健康は仕事に大きく邪魔されている、だから私は仕事のことと表現したんです」ともっともらしい顔をして言えば相手は悩みを言い当てられたと勘違いして帰ってくれたりするわけです。
話がそれました。
Tomy先生がご自身の人生を語られる時、そこにはさまざまな愛の源流が見え隠れします。
ここから愛が生まれたこともあるのだろうなと思う部分もありますし、そもそもここに愛が生まれるというのはこの人自身がそうして愛を感じられる人だからなのだろうなと思うこともあります。
・愛の処方箋
この本では第1章でTomy先生の半生が語られています。
元々彼から聞いたことのある話もありましたし、そうでない話もありました。
私も曲がりなりにも文章を書く人間ですが、だからこそ、よくこの深度で、この練度で自分の人生を書き綴るということが実現したなと感じます。
猗窩座であればきっと「その闘気、練り上げられている、至高の領域に近い」というところでしょう。
これを書き上げるには相当のエネルギーが必要で、いろんなものと向き合うことが必要であることは自明で、現に筆の早いTomy先生ですらこの本を書くのに2年、10回もの書き直しを経たそうです。特にパートナーの方と過ごした日々や死別に関しては、こうして書き綴ることがむしろ必要な作業であったのかもしれないなと思うとともに、そこにも滲み出る愛の匂いを感じざるを得ません。
そして第2章以降はその半生をもとに愛を観察して、解き明かす成分分析が始まりますがそこで彼はあることに気づきます。
「私は『ある存在』が恋愛に影響を与えていることに、気がつきました。そのある存在は、『神経伝達物質』です。」
!!!
急に精神科医!!!
そうです、ここまでの話でロマンチシズムが溢れる本なのかもしれないと思った方もいるかもしれませんが、彼はどこまでいっても精神科医なのです。当然現実的な話も出てきます。
そして愛の相互性や執着の一方通行性についてもわかりやすく語られ、ついに話は大切な成分、自己愛に至ります。
このあたりの考え方は私の考えとも完全には一致しない部分があり、それがまた面白いと感じます。愛の定義は困難で、みんなが思い悩む永遠の課題だからこそ、実体験をもとにした彼の話は説得力を持ち多くの人の心を打ちます。
・愛とは何か
エリクソンは親密性を「相手に自分をかけても自分を失わない関係」と語りました。
この課題の獲得が叶い、持続的に深く親密な関係を保つことができるようになると「愛」が手に入るという考え方ですが、私の考えはこれとも少し異なります。
個人的には「相手に自分をかけて、失ったとしても良いと思える関係」こそが愛なのではないかと想っているのですが、ここには大きな落とし穴があります。
エリクソンやTomy先生が、一方的ではなく相互的な関係性の構築を重視しているのは、精神科医や心理学者として私の言うこの愛の危うさを彼らが痛いほどよく知っているからだと思うのですが、つまり
一方的な想いは搾取されることもあり、また時に相手に加害的になり得るということです。
なので、この愛が生まれる過程では、一方的に思い募らせるのではなくきちんと親密性を獲得し、相互的な感情が生まれることが必要条件となります。
そうした条件のもとで、自分を失うとしてもかけてみたいと思えることが何にも勝る愛なのではないかと思うのですが、それを一般化することは困難で、対象を絞らないそうした提示は一方的な愛もどきを量産することにもなりかねないため、なかなか愛の定義というのは難しいなと感じます。
・まとめ
コールドリーディングではないですが、外来を訪れる患者さんの悩みは因数分解していけば人間関係に起因するものが多く、先にも述べたようにそこには仕事のことであったりお金のことであったり多くの要素が複雑に絡み合っています。
逆に言えば全ての問題は人間関係と関わりがあり、現にアドラーは全ての悩みは対人関係であるとまで語ったとされています。
そして、人間関係と切っては切れないものが「愛」です。
愛の総量に限界があるのかという話をしだすとまとまらなくなってしまうので我慢しますが、我々は持っている愛を誰にどれだけ分けて生きていくのかを日々考える必要があります。
むしろ考えて割り振れるようなものは本当に愛なのかという話もあるかと思うのですが、何が言いたいかと言えばこれだけ多くの人が愛について悩むのに改めて愛について思考し見直す機会というのはなかったなという話です。
本の帯には「すべての悩みに効果抜群!!」と書いてありますが、確かに人生の悩みを因数分解していって愛に辿り着くのだとすればこの本は多くの人の人生に働きかけるまさに「愛の処方箋」になるのではないかと感じます。
とにかく手に取り第1章を読んでみてください。
引き込まれること、そして私がわざわざこんな文章を書きたくなった理由がわかるかなと思います。
そして余談ですが、Tomy先生の本は本当に表紙なども練り込まれており本当にすごい。書店で見かけたらきっと手に取りたくなると思います!
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「嫌悪」と云う字を見てみれば、悪を嫌うと書く、では自己嫌悪というのは、自己を悪と見做し、嫌うと書くということは、自己は善良でもあると云う事だろうか。無論そうでは無く、背反(ジレンマ)である。こう描くべきだろう。自己を社会的悪と見做し、嫌うことが自己嫌悪であれば、喩え悪を嫌う善良であったといえども、自分自身が「社会的悪」であることには変わりない。ただ己が不甲斐ない人間であるだけなのだ!なおこれを一般的には落ち零れと云うので、論理上全く破綻がないのである。
「嗚呼―――!!」
と素晴らしく納得がいった、という表情を浮かべる男であるが、その場所が宜しくなかった。誰彼にも邪魔されぬ書斎であれば何の問題もない所が、此処は街に一つのでぱあとで、眼前にあるのは大きな姿見であった、女性服の区画に置いてあったそれに自分を映し―――落ち零れた姿を見て「なんとまあ醜い体裁か」と落ち込んだ矢先のこれであるから、はたから見れば異常者のそれであり、おまけに体から薫る、地下の試飲の残り香の、その酒精の豊かさが、余計に社会不適合感を際立たせた。横を通る親子が、興味津々の娘を強引に連れ去る母という構図であったことも重なる。おお、これではまるで劇画のようだ!という感慨がわく前に、男の精神は上下に揺れて、水面の奥深くへと沈んでいく。
―――ああ、このごく潰しめ!!
せめて常識人のようふるまう事さえできないのか!!
B・あんそにい。僕を助けてくれ。
#手癖で書いた何か December 12, 2025
cosplay vs daily
( ‘ᾥ’ )やはりvsと書くということは対戦ゲームでどっちが有利かですね
ウィッグは締め付けに加えて髪型によっては視界に影響が出ます
衣装によっては途中で破損して気が散ることもあります
やる気は出ます
10:2ぐらいでdailyですね
メガネクイー December 12, 2025
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